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【最後の出演はいつ?】9月7日の公の場と9月16日の舞台出演を時系列で比較

滑原 圭介 滑原 圭介 • 更新: • 公開: • 読了約 14 分
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川島なお美さんの最後について調べる際、混同されやすいのが「最後の公の場」と「最後の舞台出演」の違いだ。

この2つは同じ日ではない。

9月7日のシャンパーニュ発表会は、報道陣の前に姿を見せた最後の公的なイベント。一方、舞台女優として最後に出演したのは、9月16日のミュージカル『パルレ~洗濯~』だった。

最後の写真は18時15分に撮影されたもの

ガジェット通信の2015年9月25日付の追悼記事では、当日の取材を担当したカメラマンが、自身のカメラに残っていた285枚の写真から28枚を公開している。

その記事には、トークセッションやフォトセッションの様子が時系列で掲載されている。

特に注目したいのは、記事の最後に紹介された写真だ。

撮影者によると、自身のカメラに残った最後のスチール写真は9月7日18時15分撮影だったという。

これは川島さんの人生における最後の写真と断定できるものではない。しかし、最後の公の場で撮影された写真を具体的な時刻とともに確認できる、貴重な取材記録である。

2015年9月の出来事を時系列で整理

川島さんの闘病から最後の舞台、訃報までの経緯を整理すると、次のようになる。

時期 出来事・関係者 確認できる内容 2013年8月 人間ドック 小さな腫瘍が見つかる。 2014年1月28日 肝内胆管がんの手術 約12時間に及ぶ腹腔鏡手術を受ける。 2014年7月 本人による病状の説明 芸能生活35周年の会で、医師から告げられた5年生存率について語る。 2015年9月7日 COLLET新商品発表会 鎧塚俊彦さんと出席。最後の公の場となる。 2015年9月16日 『パルレ~洗濯~』 長野県伊那市で出演。これが最後の舞台出演となる。 2015年9月17日 『パルレ』降板 体調不良により、以降の公演を降板。 2015年9月20日 『クリスマス・キャロル』 予定されていた全28公演の降板が発表される。 2015年9月23日 本人の公式ブログ 降板へのお詫びと、治療に専念する意向を掲載。 2015年9月24日 死去 19時55分、胆管がんのため54歳で亡くなる。

9月16日が最後の舞台出演になった理由

9月17日、川島さんは主演ミュージカル『パルレ~洗濯~』の降板を発表した。

日刊スポーツの報道によると、川島さんは前日の16日、長野県伊那市での公演に出演していた。しかし、公演終了後、滞在先で体調不良を訴えたという。

17日の長野県飯田市での公演には代役が立てられ、所属事務所は休養が必要と判断した。

このため、9月7日のイベントが最後の公の場、9月16日の伊那市公演が最後の舞台出演という整理になる。

【胆管がんとの闘い】2013年の発見から2015年の急変まで

川島なお美最後の姿

川島なお美さんが患ったのは、肝内胆管がんだった。

胆管は肝臓で作られた胆汁を十二指腸へ運ぶ管であり、肝内胆管がんは肝臓の内部を走る胆管に発生するがんを指す。

川島さんの場合、病気が判明したのは2013年夏だった。

2014年1月に受けた12時間の手術

2015年9月20日付のデイリースポーツの記事によると、川島さんは2013年8月の人間ドックで小さな腫瘍を発見された。

すぐに手術を受けるのではなく、信頼できる医師を探したうえで治療方針を決定。2014年1月28日に約12時間に及ぶ腹腔鏡手術を受け、胆管を摘出した。

2月上旬には退院し、同月下旬にはラジオ収録で仕事に復帰している。

当初、川島さんは病名や手術について公表するつもりはなかったという。舞台を降板することで作品そのものが別の意味で注目されることを避けたいという、仕事への強い責任感が背景にあった。

5年生存率50%という厳しい現実

2014年7月、芸能生活35周年を祝うパーティーで、川島さんは自ら病気について語った。

その内容は、翌2日に更新された本人の公式ブログにも記されている。

川島さんは、医師から告げられた5年生存率50%という数字を公表したうえで、芸能界で35年間活動してきた経験を引き合いに出し、自分を信じていきたいという思いを表明した。

当時の発言には、病気を抱えながらも女優として活動を続けようとする意志が表れている。

ただし、この50%という数字は川島さん自身が医師から伝えられた予後の説明であり、すべての肝内胆管がん患者に当てはまる数値ではない。

2015年9月、最後まで仕事への意欲を示していた

2015年9月7日の発表会で、川島さんは手術後の生活について説明していた。

アルコールについては、以前のように多く飲むのではなく、お祝いなど特別なときに少量楽しむ程度にしていると話した。

加えて、舞台に向けた体力づくりにも取り組んでいた。

本人は2キロのダンベルを持ちながら発声練習をしていることも明かし、舞台への意欲を示していた。

一方、9月17日に『パルレ』を降板した後、状況は変わっていく。

9月19日には公式ブログで療養に入ることを報告。9月20日には『クリスマス・キャロル』の全公演降板が発表された。

同作品は11月から12月にかけて全国24都市で28公演を予定していた。代役には渡辺めぐみさんが起用されることになった。

【最後の言葉は「ごめんね」】鎧塚俊彦さんが明かした最期

川島なお美さんの最後の言葉として広く知られているのが、「ごめんね、ごめんね」という言葉だ。

これは亡くなった後、夫の鎧塚俊彦さんが報道陣に明かしたエピソードである。

2015年9月26日、鎧塚さんは東京都内の自宅前で取材に応じ、妻が息を引き取るまでの様子を語った。

亡くなる前日の夜に交わされた言葉

日刊スポーツの2015年9月26日付の報道によると、川島さんは9月23日午後11時ごろに吐血した。

その際、川島さんは「ごめんね、ごめんね」と繰り返したという。

鎧塚さんは、シーツを汚してしまったことに対して謝ったのではないかと受け止めていた。

「ごめんね、ごめんね」

鎧塚さんによると、これがはっきりとした言葉として聞いた最後だった。

このエピソードで大切なのは、亡くなる瞬間に特別なメッセージを残したという話ではないことだ。

病床で夫と過ごすなか、身近な相手に向けて自然に発した言葉だった。鎧塚さん自身も、その言葉にさまざまな意味を感じていたという。

2015年9月24日19時55分、54歳で死去

川島さんは2015年9月24日19時55分、胆管がんのため東京都内の病院で亡くなった。

享年54。

鎧塚さんは取材に対し、最期は苦しむことなく眠るように息を引き取ったと説明した。

9月7日の発表会で夫婦そろって笑顔を見せてから、わずか17日後のことだった。

この短い期間に、最後の舞台出演、降板、療養、そして訃報が続いたことが、多くの人に強い衝撃を与えた。

【女優・川島なお美の軌跡】『失楽園』から舞台女優としての晩年まで

川島なお美さんを最後の姿だけで振り返ると、闘病や激やせの印象が前面に出やすい。しかし、彼女の芸能人生は35年以上に及び、テレビ、映画、舞台と幅広い分野で活動してきた。

女子大生タレントから人気女優へ

川島さんは1960年11月10日、愛知県名古屋市生まれ。

青山学院大学英米文学科への入学と同時に芸能活動を始めた。ラジオ番組『ミスDJリクエストパレード』などへの出演を経て、タレント、女優として知名度を高めていく。

1990年代にはドラマ『イグアナの娘』や『失楽園』などに出演。特に1997年の『失楽園』では松原凛子役を演じ、女優としての存在感を強く印象づけた。

1998年には第35回ゴールデン・アロー賞の放送賞を受賞している。

代表作『失楽園』とワインのイメージ

川島なお美さんの主な活動


『失楽園』

1997年放送のテレビドラマ。松原凛子役を演じ、女優としての知名度を大きく高めた代表作。


『イグアナの娘』

1996年のテレビドラマ。幅広いジャンルの作品に出演したキャリアを代表する一作。


『パルレ~洗濯~』

韓国発のミュージカル。2015年に川島さんが最後に出演した舞台作品。

川島さんといえば「私の血はワインでできている」という言葉を思い浮かべる人も多い。

ワインへの造詣は深く、ワインエキスパートの資格も取得。フランスのワイン産地から騎士号を授与されるなど、単なる趣味の枠を超えた活動をしていた。

夫の鎧塚俊彦さんとの結婚も、食やワインを愛する川島さんの人生を語るうえで欠かせない。

2人は2009年に入籍。鎧塚さんはパティシエとして活動し、川島さんが亡くなるまで夫婦として歩みをともにした。

最後まで舞台に立とうとした理由

川島さんの舞台への思いを知るうえで参考になるのが、日刊スポーツの演劇担当記者による2015年10月9日の追悼コラムだ。

同コラムでは、川島さんがテレビで知られるようになった後も、小劇場の作品に積極的に出演していたことが紹介されている。

2001年には劇団四季の『マンマ・ミーア!』のオーディションを自ら受け、不合格となった後も演出家の浅利慶太さんの勧めでレッスンに通ったという。

歌、ダンス、発声、演技を学び、舞台女優としての基礎を身につけていった。

最後の舞台となった『パルレ』でも、体調が悪いなかで9月16日の公演を演じきったと報じられている。

華やかなテレビの仕事だけでなく、舞台で演じることそのものを大切にしていた。その姿勢は、晩年の活動を理解するうえで要点だ。

【川島なお美の最後の姿】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:川島なお美さんの最後の公の場はいつですか?

A1:2015年9月7日です。東京・恵比寿で開催されたシャンパーニュ「COLLET」の新商品発表会に、夫の鎧塚俊彦さんと出席しました。

Q2:川島なお美さんの最後の舞台出演はいつですか?

A2:2015年9月16日です。長野県伊那市で上演されたミュージカル『パルレ~洗濯~』が最後の舞台出演となりました。翌17日に体調不良で降板しています。

Q3:川島なお美さんの最後の言葉は何ですか?

A3:夫の鎧塚俊彦さんが明かした「ごめんね、ごめんね」です。亡くなる前日の夜、吐血した際に口にした言葉で、シーツを汚したことを謝っていたのではないかと鎧塚さんは語っています。

Q4:川島なお美さんの病名は何でしたか?

A4:肝内胆管がんです。2013年に腫瘍が見つかり、2014年1月28日に約12時間の腹腔鏡手術を受けました。2015年9月24日に胆管がんのため亡くなりました。

Q5:川島なお美さんは何歳で亡くなりましたか?

A5:54歳です。1960年11月10日生まれで、2015年9月24日に亡くなりました。

Q6:川島なお美さんの没後10年はいつですか?

A6:2025年9月24日です。2026年11月現在では、没後11年を迎えています。

川島なお美さんの最後の公の姿は、2015年9月7日のシャンパーニュ「COLLET」新商品発表会だった。

夫の鎧塚俊彦さんとともに登壇し、笑顔で取材に応じる姿が写真に残されている。痩せた姿に心配の声が集まるなかでも、本人は舞台への意欲を示していた。

その後の経緯を整理すると、最後の舞台出演は9月16日の『パルレ~洗濯~』。17日に降板し、20日には『クリスマス・キャロル』の全公演降板が発表された。そして9月24日19時55分、54歳で亡くなった。

夫に伝えた最後の言葉として報じられた「ごめんね、ごめんね」という言葉も、川島さんの人生を振り返る際に語り継がれている。

2025年9月24日に没後10年を迎えた川島さん。2026年になった今、最後の写真だけでなく、『失楽園』での演技や舞台に向き合い続けた姿勢、ワインを愛した人生にも目を向けたい。

川島なお美さんの最後の姿は、闘病の記録であると同時に、最後まで女優として生きようとした一人の表現者の姿でもあった。

主な参考資料:日刊スポーツ(2015年9月17日・26日、2015年10月9日)、デイリースポーツ(2014年7月3日、2015年9月20日)、川島なお美オフィシャルブログ(2015年9月23日)、新潮社・著者プロフィール、ガジェット通信(2015年9月25日)。

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