俳優・升毅(ます・たけし)さんの若い頃は、現在の落ち着いた名バイプレーヤーとしての印象とは少し違っていました。実は高校時代、俳優よりもアイドルに憧れていたことを本人が明かしています。郷ひろみさん、西城秀樹さん、野口五郎さんら同世代のスターに刺激を受け、芸能界を意識するようになったのです。
その後、両親から大学進学を条件に俳優への道を認められ、近畿大学に進学。在学中にNHK大阪放送劇団付属研究所へ入り、20歳で劇団五期会に所属しました。1981年の映画『ガキ帝国』、演劇ユニット「売名行為」、1991年の劇団MOTHER結成を経て、40歳だった1995年に東京へ進出しています。2026年11月現在70歳となった升さんの、俳優人生の原点を時系列で振り返ります。
【高校時代】升毅は実はアイドル志望だった!若い頃の意外な夢

升毅さんの若い頃を語るうえで、まず注目したいのが高校時代の夢です。
現在は幅広い役柄を演じる実力派俳優として知られていますが、本人のインタビューによると、もともとはアイドルになりたいという気持ちを持っていました。
新御三家への憧れが芸能界を意識するきっかけに升さんは1955年12月9日生まれ。東京都で生まれ、父親の仕事の関係で幼少期から東京と大阪を行き来し、中学生の頃から大阪で育ちました。
当時、同世代で活躍していたのが郷ひろみさん、西城秀樹さん、野口五郎さんです。いわゆる「新御三家」と呼ばれたスターたちの存在は、升さんに大きな影響を与えました。
2025年の双葉社「THE CHANGE」のインタビューでは、野口五郎さんが中学生の頃にデビューしたことや、父親から野口さんの写真を見せられたエピソードを振り返っています。
「僕はもともと、アイドルになりたかったんです。」
本人が明かしたこの言葉からも、芸能界を目指した最初の動機が、必ずしも本格的な演劇への憧れだけではなかったことが分かります。
歌やダンスを専門的に習っていたわけではなく、東京で開催されるオーディションの情報も十分に得られなかったといいます。それでも、同世代のスターがテレビや雑誌で活躍する姿を見て、自分も芸能の世界に入りたいという思いを強めていきました。
両親にはアイドル志望と言えず、俳優になりたいと伝えた興味深いのは、アイドルになりたいという本音を両親には打ち明けられなかったことです。
2021年のテレビ朝日「テレ朝POST」のインタビューで、升さんは高校時代の進路指導について語っています。アイドルになりたいとは恥ずかしくて言えず、俳優になりたいという表現を選んだそうです。
父親は放送局に勤務しており、家庭には芸能関係者が訪れることもありました。劇団四季の関係者が自宅に遊びに来るなど、演劇や芸能の世界が身近な環境だったことも、進路を考える背景になっています。
高校卒業時、升さんは大学へ進まず俳優になりたいと考えていました。しかし、父親から提示されたのは、現役で大学に合格し、4年間で卒業するという条件でした。
当時の升さんは勉強が苦手で、大学受験を避けたい気持ちもあったと率直に振り返っています。それでも、自分で俳優になりたいと言い出した以上、父親の条件を受け入れて受験勉強に取り組みました。
このエピソードは、升さんの芸能界デビューが勢いだけで決まったものではなく、家族との約束を果たしながら実現した進路だったことを示しています。
【近畿大学時代】大学在学中に養成所へ!20歳で俳優デビューした経緯
高校卒業後、升毅さんは近畿大学へ進学します。
俳優になる夢を持ちながら大学生活を送り、大学2年生になる頃にはNHK大阪放送劇団付属研究所へ入所。学業と演技の勉強を並行する生活が始まりました。
近畿大学の卒業学部と卒業年升さんは1978年に近畿大学を卒業しています。近畿大学の公式発表では、卒業した学部・学科は商経学部経済学科(現在の経済学部経済学科)と紹介されています。
大学の卒業生を紹介する「Kindai Picks」でも、本人へのインタビューが掲載されています。進学の経緯について、父親から大学卒業を条件に俳優への挑戦を認められ、受験勉強をして入学したことを明かしました。
大学1年生の頃はキャンパスライフを楽しみ、2年生になる頃に俳優を目指すという約束を思い出して、養成所への入所を決意したそうです。
大学生活とNHK大阪放送劇団付属研究所の両立所属事務所の公式プロフィールによると、1975年にNHK大阪放送劇団付属研究所へ入所。その後、1976年に劇団五期会で俳優デビューを果たしました。
本人も2025年のインタビューで、大学在学中に養成所へ入り、20歳で劇団五期会に入ったと説明しています。
大学の授業と演技のレッスンを両立する日々は、本人にとって決して苦痛ばかりではなかったようです。近大の友人との交流や、大学周辺で過ごした時間も大切な思い出になっています。
本人によると、当時の近畿大学は現在よりも規模が小さく、学食のサービス定食が100円だったことも印象に残っているそうです。
また、大学に通い続けた理由には、自分の飽きっぽい性格を改善したいという気持ちもありました。俳優になるという目標を持ちながら、大学を4年間やり遂げた経験は、その後の長い俳優人生を支える土台になったと考えられます。
【若い頃の経歴】劇団五期会から『ガキ帝国』、売名行為、MOTHERへ
升毅さんの20代から40歳頃までを振り返ると、大阪の演劇界で経験を積み、舞台と映像の両方で活動の幅を広げていったことが分かります。
20歳で劇団五期会に入り、俳優として本格始動1976年、20歳の升さんは劇団五期会に所属します。所属事務所の公式プロフィールでは、ここで俳優デビューを果たし、同年にはNHK銀河テレビ小説でドラマデビューしたと記載されています。
劇団五期会には約10年間所属。劇団員として舞台経験を積みながら、テレビや映画にも出演するようになりました。
劇団員時代について、双葉社のインタビューでは、アルバイトをしながら小道具や大道具も自分たちで作っていたと語っています。
当時は俳優業だけで生活できる状況ではなかったものの、仲間と一緒に作品を作ること自体が楽しく、役者を辞めることは考えなかったそうです。
1981年の映画『ガキ帝国』で注目を集める若い頃の升さんを語るうえで欠かせない作品が、1981年公開の井筒和幸監督による映画『ガキ帝国』です。
升さんは同作に「明日のジョー」役で出演。所属事務所のプロフィールでも、1981年の『ガキ帝国』が映画デビュー作として紹介されています。
この作品への出演は、関西で活動していた升さんの名前が広く知られるきっかけの一つになりました。
加えて、映画出演後には東京の事務所から誘いがあったことも、本人がテレビ朝日のインタビューで明かしています。井筒監督から東京へ来ないかという話を伝えられたものの、当時はまだ大阪で活動を続けることを選びました。
この判断は、後のキャリアを考えると重要です。早い段階で東京へ移るのではなく、関西の演劇界で自分たちの表現を磨く道を選んだのです。
1985年、立原啓裕・牧野エミと「売名行為」を結成1985年には、升毅さんが立原啓裕さん、牧野エミさんらと演劇ユニット「売名行為」を結成します。
ユニークな名前も印象的ですが、活動そのものも当時の関西小劇場シーンに強い存在感を示しました。
升さんはLmaga.jpの板尾創路さんとの対談で、当時の関西演劇界について振り返っています。学生劇団だった劇団そとばこまちや劇団新感線などとの交流・共演を通じて、関西の小劇場ブームに参加していったと語っています。
売名行為は約6年間活動し、最後の3年間には人気劇団として知られるようになりました。劇作家・演出家のG2さんが加わったことも、作品づくりの転換点になったと升さんは説明しています。
1991年に劇団MOTHERを結成、2002年まで座長を務める1991年、売名行為の活動を終えた升さんは、新たに劇団MOTHERを結成します。
売名行為ではメンバーそれぞれの人気が高まり、出演者のスケジュールが合わず、十分な稽古時間を確保することが難しくなっていました。
そこで升さんは、改めてしっかり稽古を重ね、作品を作り込む劇団を立ち上げることを決断します。
劇団MOTHERでは主宰・座長を務め、2002年の解散まで関西の演劇シーンを支えました。演出家G2さんとの協働も、劇団の作品づくりを語るうえで重要な要素です。
1990年代には、劇団新感線の古田新太さんや劇団そとばこまちの生瀬勝久さんら、関西の演劇人との交流もありました。大阪や京都を中心とした演劇文化が、東京でも注目されるようになっていった時期です。
升毅の若い頃から現在までの年表| 年代・年齢 | 出来事・関係者 | 俳優人生への影響 |
|---|---|---|
| 高校時代 | 新御三家に憧れ、芸能界を志す | アイドルへの憧れから俳優を目指す |
| 1975年 | NHK大阪放送劇団付属研究所に入所 | 演技の基礎を学ぶ |
| 1976年・20歳 | 劇団五期会で俳優デビュー | 舞台俳優として本格始動 |
| 1978年 | 近畿大学商経学部経済学科を卒業 | 大学と俳優活動を両立 |
| 1981年 | 映画『ガキ帝国』に出演 | 映画界でも注目を集める |
| 1985年 | 立原啓裕・牧野エミらと売名行為を結成 | 関西小劇場ブームの一翼を担う |
| 1991年 | 劇団MOTHERを結成 | 主宰・座長として活動 |
| 1995年・40歳 | 『沙粧妙子-最後の事件-』出演、東京進出 | 全国的な知名度を獲得 |
| 2002年 | 劇団MOTHER解散 | 映像作品を中心とする活動へ |
| 2017年・62歳 | 映画『八重子のハミング』で主演 | 長編映画初主演を実現 |
| 2025年・70歳 | 俳優デビュー50周年を迎える | 新たな舞台にも挑戦 |
| 2026年・70歳 | テレビ・映画・舞台で活動 | 俳優としてキャリアを継続 |
こうして見ると、升さんの若い頃は、テレビ出演だけで知名度を上げた時代ではありません。劇団での経験、映画出演、仲間との共同制作という積み重ねが、その後の俳優としての個性を形作っていきました。
【1995年の転機】40歳で東京進出!『沙粧妙子-最後の事件-』の衝撃
升毅さんの俳優人生において、大きな転換点となったのが1995年です。
20代から30代にかけて大阪を拠点に活動してきた升さんが、40歳で東京へ本格的に進出。全国的な知名度を獲得するきっかけとなったのが、フジテレビ系ドラマ『沙粧妙子-最後の事件-』でした。
阪神・淡路大震災で仕事を失い、東京からオファー1995年1月、阪神・淡路大震災が発生します。
当時の升さんは、劇団活動だけでなく、神戸のラジオ局Kiss FM KOBEでDJとしてレギュラー出演していました。しかし、震災の影響でラジオ番組が終了し、生活の基盤にも変化が生じます。
そんな時期に、東京のテレビ局関係者から仕事の誘いを受けました。
2021年のテレビ朝日「テレ朝POST」のインタビューでは、当時の心境を次のように振り返っています。
「神様はいるんだ」という感じでした。
ドラマと映画のオファーがほぼ同時に届き、升さんは東京で本格的に活動することを決意。大阪で劇団活動を続けながら仕事をするのではなく、東京で一人暮らしを始めました。
『沙粧妙子-最後の事件-』で演じた梶浦圭吾1995年に放送された『沙粧妙子-最後の事件-』は、浅野温子さん主演のフジテレビ系サスペンスドラマです。
升さんが演じたのは、浅野さん演じる沙粧妙子の元恋人であり、元プロファイリングチームのリーダーでもある梶浦圭吾。
IQ187の天才でありながら、猟奇殺人者となった人物という、非常に強烈な役柄でした。
この役で見せた独特の存在感と緊張感のある演技は、視聴者に強い印象を残しました。
本人もテレビ朝日の取材で、『ガキ帝国』のときと同様に、印象的な役を任されたことへの感謝を語っています。
東京進出は成功したが、劇団MOTHERとの両立に苦労東京での映像作品への出演が増える一方、升さんには大阪の劇団MOTHERを維持するという課題がありました。
本人のインタビューによると、当初は東京での仕事と劇団活動を両立するつもりでした。しかし、劇団側には升さんが出演しない舞台はMOTHERの舞台ではないという考えもあり、出演方法を工夫しながら活動を続けていたそうです。
それでも、映像の仕事が増えるにつれて両立は難しくなり、2002年に劇団MOTHERは解散しました。
約11年間にわたって座長を務めた劇団の解散は、升さんにとって寂しい出来事だったといいます。一方で、よい時期に区切りをつけられたという思いも、後年のインタビューで明かしています。
1995年の東京進出は、単に活動拠点を変えたというだけではありません。大阪で築いてきた演劇人としての経験を、全国規模の映像作品で発揮する新しい段階への移行だったのです。
【若い頃の写真】デビュー当時と30代の升毅は現在とどう違う?
升毅さんの若い頃の写真を探している人にとって、参考になるのが近畿大学の卒業生インタビュー「Kindai Picks」と、関西のエンタメ情報サイトLmaga.jpです。
近畿大学の卒業生インタビューに掲載されたデビュー当時の写真2017年に公開されたKindai Picksのインタビュー記事には、デビュー当時の升さんの写真が掲載されています。
記事では、当時の升さんを爽やかな笑顔が印象的な若手俳優として紹介。大学時代のエピソードとともに、若い頃の姿を確認できる資料になっています。
現在の落ち着いた雰囲気とは違い、若手時代ならではのフレッシュな印象が見どころです。
30代の升毅は「売名行為」の活動時代Lmaga.jpの2021年の板尾創路さんとの対談には、「売名行為」を結成していた30代の頃の升さんの写真が掲載されています。
加えて、同記事には劇団MOTHER時代の写真もあります。舞台俳優として活動していた当時の姿を知るうえで、貴重なビジュアル資料です。
写真を比較すると、若い頃から舞台で培ってきた存在感が、現在の俳優としての表情にもつながっていることが感じられます。
若い頃の写真を探すときに押さえたい掲載媒体- Kindai Picks:近畿大学在学中やデビュー当時の写真、大学生活のエピソード。
- Lmaga.jp:30代の「売名行為」時代や劇団MOTHER時代の写真。
- 週刊女性PRIME:2025年のデビュー50周年インタビューに関連する写真。
- Players Agency:現在の公式プロフィール写真と出演歴。
なお、高校時代のアイドル活動を記録した写真と、俳優デビュー後の写真は区別して見る必要があります。本人がアイドルに憧れていたことはインタビューで明かされていますが、アイドルとしてデビューしたという経歴ではありません。
【2026年現在】升毅は70歳!若い頃から現在まで続く俳優人生
1955年12月9日生まれの升毅さんは、2026年11月6日現在70歳です。同年12月9日に71歳を迎えます。
俳優デビューから50年以上が経過しても、テレビドラマ、映画、舞台などで活動を続けています。
『ショムニ』『あさが来た』など幅広い作品に出演東京進出後の升さんは、さまざまなテレビドラマや映画に出演してきました。
代表的な出演作として知られるのが、フジテレビ系『ショムニ』シリーズ、NHK連続テレビ小説『あさが来た』などです。
2015年放送の『あさが来た』では、波瑠さん演じるヒロインの父親役を担当。物語に深みを与える存在として出演しました。
2017年には佐々部清監督の映画『八重子のハミング』で長編映画初主演を果たします。当時62歳での主演は、長い俳優人生の中でも大きな節目となりました。
そのほか、NHK連続テレビ小説『ブギウギ』や『おじさまと猫』などにも出演。作品ごとに異なる人物像を演じ分けています。
2025年は俳優デビュー50周年の節目2025年には俳優デビュー50周年を迎えました。
神戸っ子の2025年1月のインタビューでは、升さんが10年ごとに目標を立ててきたことを語っています。
同年には主演舞台『殿様と私』にも挑戦。長年の盟友であるマキノノゾミさんが作・演出を担当し、松本市と大阪で上演されました。
また、2025年には双葉社のインタビューで若い頃のアイドルへの憧れや、劇団員時代の経験を改めて振り返っています。50年という節目に、自身の原点を語ったことも印象的です。
2026年の出演情報と現在の活動所属事務所Players Agencyの公式プロフィールには、2026年の出演作として、次の作品が掲載されています。
- 読売テレビ『スモークブルーの雨のち晴れ』
- テレビ朝日系『ボーダレス〜広域移動捜査隊〜』
- BS-TBS『氷室想介の事件簿3』
- 映画『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』
- WOWOW『MR -医薬情報担当者-』
加えて、2026年11月6日公開の映画『神様は、どこ?』も公式プロフィールの最新ニュースに掲載されています。
舞台についても、2026年には主演作『父よ!』などが掲載されており、映像作品だけに活動を限定していません。
若い頃に劇団で身につけた舞台表現を大切にしながら、現在も新しい作品に参加し続けていることが、升さんの俳優人生の特徴です。
【プロの結論】升毅の俳優人生の転機はアイドル志望から大阪演劇、そして東京進出にあった
升毅さんの経歴を振り返ると、俳優としての成功は一つの作品や一度の転機だけで生まれたものではないことが分かります。
高校時代のアイドルへの憧れ、近畿大学での学び、NHK大阪放送劇団付属研究所での演技修業、劇団五期会での経験。さらに『ガキ帝国』や売名行為、劇団MOTHERでの活動が重なり、40歳での東京進出につながりました。
転機1:アイドルへの憧れが芸能界への入口になった最初から俳優としての明確なキャリアプランがあったわけではありません。人気者になりたい、テレビに出たいという素直な憧れが、芸能界への第一歩でした。
しかし、アイドルという夢をそのまま追うのではなく、俳優という仕事を選択したことで、長く続けられる表現の世界に進むことになりました。
転機2:関西の劇団活動が演技の土台を作った升さんのキャリアで見逃せないのは、東京で知名度を得る前に、大阪の演劇界で長い時間を過ごしていたことです。
舞台では、演技だけでなく、稽古、作品づくり、仲間との協働など、映像作品とは異なる経験が大切です。
劇団五期会、売名行為、MOTHERと活動の場を変えながら、升さんは俳優としての表現力だけでなく、座長として作品を成立させる経験も積んでいきました。
東京進出後に多彩な役柄を任されるようになった背景には、この長い下積みと舞台経験があったと考えられます。
転機3:40歳の東京進出で俳優としての可能性が広がった1981年の『ガキ帝国』出演時に東京進出の誘いを受けながら、大阪に残ることを選んだ升さん。実際に東京へ移ったのは1995年、40歳のときでした。
この選択は、若いうちに上京して成功するという一般的な芸能界のイメージとは異なります。
大阪での経験を積み重ねた後、40歳で全国規模の映像作品に挑戦したことが、俳優としての新しい可能性を開きました。
升毅の経歴から読み取れる3つのポイント- 早いデビューだけが成功を決めるわけではない:20歳で俳優デビューした後も、大阪で長く経験を積んでいる。
- 舞台経験は映像作品にも生きる:劇団での活動が、幅広い役柄を演じる基礎になった。
- 40代以降にも大きな転機は訪れる:40歳での東京進出、62歳での映画初主演など、キャリアの節目を重ねている。
若い頃の升さんを知る際には、単に昔の写真や年齢だけを見るのではなく、どの時期に何を経験し、その後の仕事にどう結びついたのかを合わせて見ると、俳優としての魅力がより理解できます。
【升毅の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:升毅は若い頃、アイドルだったのですか?
A1:アイドルとして活動していたわけではありません。本人のインタビューによると、高校時代は郷ひろみさん、西城秀樹さん、野口五郎さんら新御三家に憧れ、アイドルになりたいと思っていました。その後、俳優を志すようになりました。
Q2:升毅の出身大学はどこですか?
A2:近畿大学です。1978年に商経学部経済学科(現在の経済学部経済学科)を卒業しています。在学中の1975年にNHK大阪放送劇団付属研究所へ入所しました。
Q3:升毅は何歳で俳優デビューしましたか?
A3:本人のインタビューでは、20歳で劇団五期会に入ったと語っています。所属事務所の公式プロフィールでは1976年が俳優デビューの年として紹介されています。
Q4:升毅が出演した若い頃の代表作は何ですか?
A4:1981年公開の井筒和幸監督作品『ガキ帝国』が代表的です。「明日のジョー」役で出演し、映画デビュー作としても所属事務所のプロフィールに掲載されています。
Q5:升毅が東京に進出したのは何歳のときですか?
A5:40歳だった1995年です。フジテレビ系ドラマ『沙粧妙子-最後の事件-』や映画『7月7日、晴れ』への出演を機に東京へ活動拠点を移しました。
Q6:升毅は2026年現在何歳ですか?
A6:1955年12月9日生まれのため、2026年11月6日現在は70歳です。2026年12月9日に71歳になります。
升毅さんの若い頃は、アイドルへの憧れから始まり、近畿大学への進学、NHK大阪放送劇団付属研究所での修業、20歳での俳優デビューへと続いていきました。
1981年の『ガキ帝国』で映画に進出し、1985年には売名行為、1991年には劇団MOTHERを結成。大阪の演劇界で活動を続けた後、1995年に40歳で東京へ進出し、『沙粧妙子-最後の事件-』で全国的な注目を集めました。
その後も『ショムニ』『あさが来た』『八重子のハミング』などに出演し、2026年現在も映画、ドラマ、舞台で活躍しています。
若い頃の写真から現在の姿までを比較すると、外見の変化だけでなく、俳優として積み重ねてきた時間も見えてきます。特に注目したいのは、20歳のデビューから40歳の東京進出、62歳の映画初主演まで、人生の節目ごとに新しい挑戦を続けてきた点です。
高校時代に抱いたアイドルへの憧れは、長い年月を経て、確かな演技力を持つ俳優としての現在につながっています。升毅さんの魅力は、若い頃の夢を出発点に、50年以上にわたって自分の表現を磨き続けてきたところにあるのと考えられます。
主な事実確認資料
- 所属事務所 Players Agency 公式プロフィール:生年月日、俳優デビュー、劇団歴、2026年出演情報。
- テレビ朝日「テレ朝POST」:高校時代のアイドル志望、俳優を目指した経緯、東京進出。
- 近畿大学「Kindai Picks」・近畿大学公式発表:大学時代、卒業学部、養成所入所。
- 双葉社「THE CHANGE」・神戸っ子・Lmaga.jp:本人インタビュー、劇団活動、若い頃の写真、50周年の振り返り。