長谷川和彦は、作品数こそ少ないものの、日本映画史に強い足跡を残した映画監督です。東京大学文学部に進学した後、今村昌平監督の今村プロに入り、映画制作の現場で経験を積みました。
1976年の『青春の殺人者』で監督デビュー。同作は水谷豊と原田美枝子が出演し、キネマ旬報ベスト・テンで第1位を獲得しました。
続く1979年の『太陽を盗んだ男』では、沢田研二を主演に迎え、原子爆弾を自作した中学校教師が国家を相手に立ち向かうという大胆な物語を描きました。公開から年月が経過しても映画ファンから高く評価される作品です。
1982年には大森一樹、相米慎二、根岸吉太郎、黒沢清ら当時の若手監督とともに、映画制作会社ディレクターズ・カンパニーの活動を主導しました。自身の監督作だけでなく、次世代の映画人を支える役割も担っていた人物です。
長谷川和彦と室井滋に関する年表この年表からも分かるように、長谷川は映画監督としての活動と、室井との長い共同生活を並行させてきました。映画制作に対する強いこだわりを持ち続けたことは、晩年の報道からもうかがえます。
生年月日の公表記録を比較すると、長谷川は1946年1月生まれ、室井は1960年10月生まれで、年齢差は約15歳です。
【2026年1月31日に死去】長谷川和彦の享年80と室井滋が喪主を務めた経緯

長谷川和彦は2026年1月31日午後4時47分、東京都内の病院で亡くなりました。死因は誤嚥性肺炎による多臓器不全で、享年80でした。
訃報は2月1日から2日にかけて共同通信やスポーツ紙、テレビ局などが報道。長年のパートナーだった室井滋が、葬儀で喪主を務めることも伝えられました。
長年続いた闘病生活テレビ朝日やスポーツニッポンの報道によると、長谷川は晩年、肺がんやパーキンソン病の治療を受けていました。入退院を繰り返し、最後は寝たきりで声を出すことも難しい状態だったと室井が説明しています。
2026年2月3日のスポーツニッポンの取材では、室井は長谷川との別れについて「寂しい。存在が大きかった」と心境を明かしました。
加えて、長谷川が亡くなる直前まで映画制作への情熱を持ち続けていたことにも触れています。監督作品は2本にとどまりましたが、本人の中では新作への意欲が消えていなかったといいます。
室井は、長谷川が最期まで映画について考えていたことを振り返り、プロデュースを担当して短編映画を撮る可能性も考えたものの、本人は自分自身の作品を撮りたかったのだろうと語りました。
喪主を務めた室井滋と事実婚の現実共同通信の訃報では、葬儀は近親者のみで営まれ、喪主はパートナーの室井滋と発表されました。法律上の配偶者ではなくても、35年以上にわたって生活をともにした室井が、最も近しい存在として見送ることになったのです。
一方、2026年2月の『女性自身』は、事実婚ならではの介護上の難しさも報じています。室井は長谷川の病状や生活について取材に応じ、入退院や施設での療養を支えてきた経緯を明かしました。
過去には、姓が異なることで病院から病状を教えてもらえなかった経験もあったといいます。法律婚を選ばず、互いの姓を守ってきた2人でしたが、医療や介護の場面では、制度上の家族とパートナーとの違いに直面することもありました。
これは事実婚が愛情の薄い関係だったことを意味しません。むしろ、長い共同生活を続けながら、制度の枠組みとの間で現実的な課題を経験していたことを示しています。
【室井滋の現在】夫を亡くした後も女優・作家として活動
2026年11月現在、室井滋は俳優、エッセイスト、絵本作家として活動を続けています。長谷川和彦の死去によって長年のパートナーを失いましたが、芸能活動や文化活動を休止したわけではありません。
所属事務所ホットロードの公式プロフィールでは、2026年のテレビ出演、映画ナレーション、ラジオ出演、舞台関連イベントなどが掲載されています。
高志の国文学館の館長としても活動室井は2023年4月、富山県立高志の国文学館の2代目館長に就任しました。富山県出身という自身の背景を生かし、俳優としてだけでなく、文学や地域文化を伝える仕事にも携わっています。
2026年も同館の企画展やイベントに関わり、9月には朗読劇やトークイベントなどに出演しています。公式情報では、2026年10月にもテレビ出演や講演、絵本関連の活動が確認できます。
2026年も続く俳優・作家としての仕事2026年5月公開の映画『幕末ヒポクラテスたち』ではナレーションを担当。著書では2026年4月に絵本『背中合わせの恐怖』を刊行するなど、表現活動を継続しています。
また、2025年12月にはエッセイ『やっぱり猫 それでも猫』を発売。ラジオや新聞連載など、映像作品以外にも活動の場を広げています。
室井の現在を知るうえで大切なのは、長谷川との関係だけで彼女の人生を捉えないことです。長谷川を支えた長年のパートナーであると同時に、独自のキャリアと表現活動を築いてきた俳優でもあります。
長谷川の死去後も、室井自身の仕事や文化活動は続いています。
【よくある質問】室井滋の旦那に関するFAQ
Q1:室井滋の旦那は誰ですか?
長年のパートナーは映画監督の長谷川和彦です。『青春の殺人者』『太陽を盗んだ男』を手がけた人物で、室井とは35年以上にわたって生活をともにしました。法律上の夫婦ではなく事実婚の関係でした。
Q2:室井滋と長谷川和彦は結婚していたのですか?
婚姻届を提出した法律婚ではありません。2人は事実婚として暮らしていました。長谷川は室井の姓を残したいという考えを過去のインタビューで明かしています。
Q3:室井滋と長谷川和彦の間に子供はいますか?
2人の間に子供はいません。室井は2019年の『ダウンタウンなう』で、子供ができていたら結婚を考えたかもしれないと話しています。
Q4:長谷川和彦と室井滋の年齢差は何歳ですか?
公表されている生年月日を基準にすると、長谷川は1946年1月5日生まれ、室井は1960年10月22日生まれで、約15歳差です。
Q5:長谷川和彦はいつ亡くなりましたか?
2026年1月31日に誤嚥性肺炎による多臓器不全で亡くなりました。享年80です。葬儀は近親者で営まれ、室井滋が喪主を務めると報道されました。
Q6:室井滋は現在、再婚していますか?
2026年11月現在、再婚したという公表情報はありません。所属事務所の公式プロフィールでは、俳優や作家としての活動が紹介されています。
Q7:長谷川和彦の代表作は何ですか?
代表作は1976年の『青春の殺人者』と1979年の『太陽を盗んだ男』です。いずれも日本映画史に残る作品として評価されています。
室井滋の旦那として検索される人物は、映画監督の長谷川和彦です。2人は1980年代から長い共同生活を送り、35年以上にわたって事実婚の関係を続けてきました。
入籍しなかった背景には、室井の姓を残したいという長谷川の思いがありました。さらに室井自身も、子供がいなかったことや、法律婚に必ずしもこだわらない価値観を語っています。
2026年1月31日、長谷川は80歳で死去。室井は長年のパートナーとして葬儀の喪主を務めることになりました。35年以上にわたる関係は、婚姻届の有無だけでは測れないものだったことが、2人の発言や報道から伝わってきます。
【プロの結論】事実婚を理解するために押さえたい3つのポイント今回の話題から読み取れる要点は次の3つです。
- 法律婚とパートナー関係は同じではない:入籍していなくても、長期間にわたって生活をともにし、互いを支える関係は成立する。
- 姓や家族観も人生の選択に関わる:長谷川が室井姓を尊重したように、結婚という制度よりも個人の価値観を優先する選択がある。
- 事実婚には制度上の課題もある:医療や介護、相続などでは法律婚と異なる扱いになる場合があり、長期的な生活設計が必要になる。
室井滋と長谷川和彦の関係は、結婚という形式にとらわれずに人生をともにした一つの実例です。そして長谷川の死去後も、室井は俳優や作家として自身の歩みを続けています。2人が築いた関係と、それぞれの人生の軌跡は、2026年の今も多くの人が関心を寄せる理由となっています。