炎鵬が大けがを負ったのは、2023年5月の大相撲夏場所だった。
当時の番付は西十両3枚目。幕内経験もある人気力士として関取の地位を守ろうとしていた時期だったが、場所中に体の異変が現れた。
9日目の取組後に体調が急変TBS NEWS DIGの2026年6月の特集によると、炎鵬は2023年夏場所で初日から9連敗を喫し、10日目から休場した。
その9日目、取組を終えて部屋に戻った後に倒れ、病院に搬送された。検査によって判明したのが、脊髄の損傷だった。
脊髄は脳と全身をつなぐ神経の通り道であり、損傷すると手足の運動や感覚に影響が及ぶ可能性がある。炎鵬の場合も、相撲を取ることだけでなく、日常生活そのものが困難になるほどの状態だった。
実は首の負傷は以前から抱えていた2026年5月のSmart FLASHのインタビューでは、炎鵬自身が、問題となった箇所について以前から痛めていたと振り返っている。
本人の説明では、最初に痛めたのは2019年5月の新入幕の翌年、つまり2020年1月場所の初日だった。
この点は、2023年の夏場所で突然すべてが始まったわけではないことを示している。
長期間にわたって負担を抱えていた首の状態が、2023年の場所中に深刻な脊髄損傷として表面化したという経緯だ。
脊髄損傷で日常生活にも影響炎鵬は入院後、約2週間にわたって治療を受けた。
報道された本人の証言によれば、手の指が何度もつる、足が思うように動かないなど、身体感覚にも大きな異変が生じていた。
これは単なる筋肉痛や打撲とは性質が異なる負傷だった。
首の痛みだけであれば、一定期間の安静や治療を経て競技に戻れるケースもある。しかし、脊髄損傷では神経機能への影響が問題になるため、競技復帰の判断はより慎重にならざるを得ない。
炎鵬の休場が長期化した最大の理由は、この負傷の深刻さにあった。
【怪我の原因と休場の理由】なぜ7場所連続で土俵を離れたのか

炎鵬の怪我について調べると、「首の怪我」「脊髄損傷」「7場所連続休場」という3つの情報が必ずといってよいほど登場する。
これらは別々の出来事ではなく、2023年5月の負傷から始まった一連の経過としてつながっている。
怪我の原因は何だったのか炎鵬は身長167センチの小兵力士として知られ、低い姿勢から相手の懐に入り込む相撲を得意としている。
体格差のある相手に対して、素早く懐に入って攻めることは大きな武器だ。一方、相手との接触や激しい攻防が続く相撲では、首や体幹にも大きな負担がかかる。
ただし、炎鵬の脊髄損傷について、特定の一番の衝突だけが医学的な原因だったと断定できる公表情報はない。
本人のインタビューで明らかになったのは、首の同じ箇所を2020年1月場所から痛めていたという経緯だ。
したがって、2023年5月場所の負傷を考えるうえでは、以前から抱えていた首の問題と、場所中に現れた症状を分けて理解する必要がある。
医師からは手術を勧められていた2026年5月16日掲載のSmart FLASHのインタビューでは、炎鵬が当時の医療判断について詳しく語っている。
医師からは早期の手術を勧められ、別の病院で意見を聞いた際にも同様の説明を受けたという。
手術をすれば相撲を続けることは難しくなる一方、今後の人生を考えれば手術を受けるべきだという趣旨の説明だった。
炎鵬は最終的に手術を受けず、経過を観察する道を選んだ。
これは本人の競技人生にとって極めて重い判断だった。脊髄という重要な部位の負傷である以上、復帰を急ぐことができない状況だったことも理解できる。
休場はなぜ7場所に及んだのか日本相撲協会の公式プロフィールに掲載された星取表を見ると、休場の経過は明確だ。
- 2023年5月場所:途中休場
- 2023年7月場所:全休
- 2023年9月場所:全休
- 2023年11月場所:全休
- 2024年1月場所:全休
- 2024年3月場所:全休
- 2024年5月場所:全休
つまり、最初の途中休場を含めて、7場所連続で本場所の取組から離れたことになる。
ここで注意したいのは、7場所すべてが全休だったわけではないという点だ。最初の2023年5月場所は10日目から休場し、残る6場所が全休となっている。
長期休場によって番付は十両から幕下、三段目、序二段へと下がり、最終的には序ノ口まで転落した。
【炎鵬の怪我から復活まで】休場・序ノ口転落・十両復帰の年表
炎鵬の復活を理解するには、負傷から十両復帰までを時系列で見るのが分かりやすい。
日本相撲協会の公式番付・星取表と、日刊スポーツ、スポニチ、TBS NEWS DIGなどの報道を整理すると、次のようになる。
この年表で注目したいのは、2024年7月の復帰後、単純に番付を上げ続けたわけではないことだ。
2025年には左足の負傷で再び休場し、2026年1月にも左足首を骨折した。それでも、各場所で成績を積み重ね、2026年春場所の幕下4枚目で5勝2敗を記録したことが十両復帰につながった。
【炎鵬のリハビリと伊勢ヶ濱部屋】序ノ口から再出発できた理由
炎鵬の復活を語るうえで欠かせないのが、長期にわたるリハビリと所属部屋の変化だ。
寝たきりの状態から始まったリハビリSmart FLASHのインタビューによると、入院中の炎鵬はほぼ寝たきりだった。
退院後も手の指が何度もつる、足が思うように動かないなどの症状に苦しみ、本人も走れるようになるとは思えないほどだったという。
それでも、本人は土俵に戻るという目標を持ち続けた。
復帰までの道のりは、単に筋力を取り戻すだけではなかった。日常生活で必要な動作から身体の感覚を取り戻し、段階的に運動量を増やしていく必要があった。
スポニチの2024年7月11日の報道では、炎鵬は2023年12月から実戦稽古を再開していたことが紹介されている。
2024年6月下旬の合宿では、ほぼ毎日相撲を取れるようになり、主治医や相撲診療所の医師らも交えて出場の判断が進められた。
そして2024年7月場所、ようやく本場所の土俵に戻った。
2024年7月場所は序ノ口から再出発
2024年7月場所
- 番付:西序ノ口13枚目
- 成績:6勝1敗
- 状況:約1年2カ月ぶりの本場所復帰
日本相撲協会公式星取表
かつて幕内で活躍した力士が、序ノ口からやり直すことになった。
しかし、炎鵬は復帰場所で6勝1敗という好成績を残した。
さらに2024年9月場所は西序二段31枚目で6勝1敗。同年11月場所は西三段目56枚目で6勝1敗と、順調に番付を戻していった。
その後も2025年3月場所には西幕下30枚目で6勝1敗を記録。負傷前の十両に戻るための土台を着実に築いた。
宮城野部屋から伊勢ヶ濱部屋へもう一つの転換点が、所属部屋の変更だ。
炎鵬は当初、元横綱・白鵬が師匠を務めた宮城野部屋に所属していた。
しかし、2024年4月、宮城野部屋の閉鎖に伴い、所属力士は伊勢ヶ濱部屋に移ることになった。
この移籍は炎鵬の負傷そのものが原因ではない。部屋の運営上の事情による環境の変化だった。
TBS NEWS DIGの特集では、移籍後も炎鵬が以前の師匠への敬意を持ち続けていたことや、師匠代行を務めた玉垣親方から「足るを知る」という言葉を教わったことが紹介されている。
できることが限られていても、その一つ一つに感謝する。リハビリを続けるうえで、こうした考え方が本人の支えになったことがうかがえる。
【左腓骨剥離骨折と左足首骨折】復活への道を阻んだ新たな怪我
炎鵬の怪我は2023年の脊髄損傷だけではない。
序ノ口から幕下まで戻った後にも、左足に関する負傷が続いている。
ここは検索時に混同されやすいポイントだ。
2025年7月:左腓骨の剥離骨折2025年7月場所、炎鵬は東幕下16枚目で出場した。
ところが、4番相撲の鳴滝戦で左足を負傷。最終成績は2勝2敗3休となった。
同年8月21日のスポニチ報道で、本人は診断結果が腓骨の剥離骨折だったことを明かしている。
腓骨は、すねの外側にある骨だ。剥離骨折は、靱帯や腱などが付着する部分に強い力が加わり、骨の一部が剥がれるように損傷する骨折を指す。
炎鵬は当時、患部に負担をかけない範囲で四股や上半身の運動を行い、回復を優先していた。
この負傷によって一時的に番付回復のペースは落ちたが、同年9月場所には復帰し、5勝2敗を記録した。
2026年1月:左足首の内側と外側を骨折さらに2026年1月場所でも左足を痛めている。
炎鵬は東幕下11枚目で6勝1敗の成績を残したものの、最後の一番で勝てば十両復帰が決まるという状況を逃した。
2月27日の日刊スポーツの取材で、本人は左足首の内側と外側の2カ所を骨折していたと説明した。
この負傷により、春場所前には相撲を取る稽古を再開できない時期もあった。
それでも炎鵬は3月場所への出場を目指し、治療と調整を続けた。
3月8日の春場所初日には英乃海を下手投げで破り、白星スタート。最終的に5勝2敗を挙げ、十両復帰を決定づけた。
2つの骨折は脊髄損傷と同じ怪我なのかここは区別しておきたい。
- 2023年5月:首の脊髄損傷
- 2025年7月:左腓骨の剥離骨折
- 2026年1月:左足首の内側・外側の2カ所の骨折
それぞれ発生時期も負傷部位も異なる。
左足の骨折が2023年の脊髄損傷から直接生じたという医学的な説明は報道されていない。
一方で、いずれも本場所への出場や稽古の継続に影響を与えた負傷であり、炎鵬の復活を難しくした要因だったことは確かだ。
【2026年11月最新】炎鵬の現在の番付と十両復帰後の成績
東十両10枚目
炎鵬(えんほう)
- 所属:伊勢ヶ濱部屋
- 出身:石川県金沢市
- 生年月日:1994年10月18日
- 最高位:東前頭4枚目
- 2026年11月場所:0勝0敗(場所前)
2026年11月6日時点、日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている炎鵬の番付は東十両10枚目だ。
11月場所はまだ取組が始まっていないため、公式記録は0勝0敗となっている。
2026年5月、3年ぶりの十両復帰炎鵬の十両復帰が正式に決まったのは、2026年3月25日。
春場所で東幕下4枚目として5勝2敗を挙げ、日本相撲協会の番付編成会議で再十両が決まった。
2026年5月場所では西十両14枚目として土俵に戻った。
5月10日の初日、炎鵬は193センチの栃大海を押し出しで破り、復帰初戦を白星で飾った。
身長167センチの炎鵬と193センチの栃大海。実に26センチの身長差がある対戦だった。
日刊スポーツによると、炎鵬は復帰後の心境について、次のように語った。
「つくづく今日までやってきてよかった」
この場所の最終成績は8勝7敗。十両での15日間の戦いを勝ち越しで終えた。
2026年7月・9月場所の成績十両復帰後の成績も確認しておこう。
- 2026年5月場所:西十両14枚目、8勝7敗
- 2026年7月場所:西十両11枚目、8勝7敗
- 2026年9月場所:東十両9枚目、7勝8敗
7月場所でも勝ち越し、番付を上げた。
9月場所は7勝8敗と負け越したものの、十両の地位を維持。11月場所は東十両10枚目となった。
つまり、2026年5月に十両へ戻ってから、3場所連続で十両の土俵に立っている。
幕内復帰の可能性はある?炎鵬は2026年10月18日の32歳の誕生日に、再入幕への意欲を語っている。
ライブドアニュースが配信した報道によれば、本人は1日でも長く土俵に上がり、純粋に強くなりたいという思いを示していた。
再入幕を果たせば、自己最高位の東前頭4枚目に続く新たな挑戦となる。
ただし、11月場所時点では十両10枚目であり、幕内復帰が確定しているわけではない。まずは十両で安定した成績を残すことが必要になる。
【プロの結論】炎鵬の復活を評価する3つの視点炎鵬の歩みを評価するとき、単純に番付がどれだけ上がったかだけを見るのは十分ではない。
特に注目したいのは次の3点だ。
1. 脊髄損傷から本場所に戻ったこと
日常生活にも支障が出るほどの負傷から、段階的なリハビリと医療面の判断を経て、実際に相撲を取れる状態まで戻したこと自体が大きな転換点だった。
2. 序ノ口から十両まで番付を戻したこと
幕内経験者が序ノ口まで落ち、そこから関取に復帰したのは昭和以降初めてと報じられている。
これは炎鵬個人の復活だけでなく、大相撲の番付史に残る出来事でもある。
3. 15日間の土俵を継続できるか
幕下以下の取組は原則として1場所7番だが、十両以上は15日間の取組がある。
復帰初場所で8勝7敗を残したことは、再び関取として15日間を戦い抜くうえで大きな一歩だった。
今後の評価では、単場所の勝ち星だけでなく、複数場所にわたる出場継続と安定した成績を見ていく必要がある。
【炎鵬の怪我】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:炎鵬の怪我はいつ起きた?
A1:大きな転機となったのは2023年5月場所の9日目。取組後に体調が急変し、病院で脊髄損傷が判明しました。10日目から休場しています。
Q2:炎鵬の怪我は脊髄損傷だった?
A2:はい。2023年5月場所で首を痛め、脊髄損傷と診断されました。日常生活にも影響する深刻な負傷でした。
Q3:炎鵬は何場所休場した?
A3:2023年5月場所の途中休場を含めて7場所連続です。2023年7月場所から2024年5月場所までは6場所連続で全休しました。
Q4:炎鵬はいつ序ノ口から復帰した?
A4:2024年7月場所です。西序ノ口13枚目で6勝1敗を記録し、土俵に戻りました。
Q5:炎鵬はいつ十両に復帰した?
A5:2026年5月場所です。3月場所で幕下4枚目、5勝2敗の成績を残し、3月25日の番付編成会議で再十両が決まりました。
Q6:炎鵬の左腓骨剥離骨折はいつ?
A6:2025年7月場所です。鳴滝戦で左足を負傷し、剥離骨折と診断されました。
Q7:炎鵬の2026年11月場所の番付は?
A7:日本相撲協会の公式番付では東十両10枚目です。11月6日時点では場所前のため、成績は0勝0敗です。
炎鵬の怪我は、2023年5月場所の脊髄損傷から始まった。
首の古傷を抱えながら相撲を続けていた炎鵬は、場所中に症状が深刻化し、日常生活にも影響するほどの状態に陥った。
その後、7場所連続で本場所を休み、番付は序ノ口まで降下。しかし、2024年7月場所に6勝1敗で復帰すると、序二段、三段目、幕下と着実に番付を上げていった。
2025年の左腓骨剥離骨折、2026年1月の左足首骨折という新たな困難もあったが、2026年5月には念願の十両復帰を達成。7月場所も勝ち越し、11月場所は東十両10枚目となっている。
2026年11月現在の炎鵬は、怪我からの復帰を果たし、関取として次の目標に向かっている段階だ。
再入幕という目標に向けて、まずは十両で15日間を戦い続けられるか。脊髄損傷から序ノ口、そして十両へと戻ってきた炎鵬の挑戦は、まだ続いている。
主な参照資料:日本相撲協会公式「炎鵬友哉 力士プロフィール・過去の星取表」、日刊スポーツ、スポニチアネックス、TBS NEWS DIG、Smart FLASH(ライブドアニュース配信)。