『じゃりン子チエ』の舞台は、大阪市西成区の萩之茶屋周辺を中心とした下町がモデルになっています。主人公・竹本チエが暮らす架空の住所は「大阪市頓馬区西萩」ですが、実は「西萩」という地名はかつて大阪市西成区に実在していました。現在の花園北、旭、鶴見橋の一部にあたる地域です。
加えて、作者のはるき悦巳氏は中学1年生まで西成区の萩之茶屋周辺で暮らしていたことを明かしています。作中の公園や駅、商店街にも大阪の実在の風景との共通点が見つかります。一方、作者自身は作品の舞台を特定の場所に限定していません。2025年の大阪松竹座での舞台化や2026年の関連公演も含め、実際の地名と作品世界の関係を整理します。
【舞台の場所を特定】じゃりン子チエの「頓馬区西萩」は大阪のどこ?

『じゃりン子チエ』の主人公・竹本チエが暮らす場所は、原作第6巻に登場する住所表記によれば「大阪市頓馬区西萩」です。
しかし、大阪市に頓馬区という行政区は存在しません。現在の大阪市にも、過去の行政区にも、この名称の区はありません。
「頓馬」という言葉には、どこか大阪らしいユーモラスな響きがあります。実在する区名をそのまま使うのではなく、架空の行政区を設定することで、実際の大阪を思わせながらも自由に描ける作品世界を作り上げています。
注目したいのは、架空なのは「頓馬区」という区名だけではないという点です。作品に登場する西萩駅や西萩小学校、商店街などは、実在する地域の特徴を取り入れながら構成されています。
西萩のモデルは西成区花園北周辺『じゃりン子チエ』の街を調査してきた関西じゃりン子チエ研究会の研究資料によると、作中の西萩地区に対応する有力な地域は、大阪市西成区の花園北周辺です。
その根拠となるのが、かつて実際に存在した「西成区西萩町」という旧町名です。
現在の花園北1~2丁目、旭1~3丁目、鶴見橋1~3丁目の一部にあたる一帯は、1973年まで西萩町と呼ばれていました。
つまり、西萩という名称は作者が完全にゼロから作ったものではありません。大阪の地図に実在した旧町名と、作品に登場する架空の地区名が重なっているのです。
この発見によって、単なる大阪の下町をイメージした作品というだけではなく、実際の西成の地理や歴史が作品の背景に深く関わっていることが見えてきます。
萩之茶屋と花園北の位置関係も重要南海高野線の萩ノ茶屋駅を基準にすると、東側には現在の萩之茶屋、西側には花園北が広がっています。
旧西萩町の範囲と現在の花園北周辺を重ねると、作品に登場する西萩のイメージとの共通点が見つかります。
一方、萩之茶屋という地名も、作者の幼少期の生活圏や駅のモデルを考えるうえで重要です。花園北と萩之茶屋は、どちらか一方だけを作品のモデルとするよりも、隣接する地域を一体として捉えるほうが実態に近いと考えられます。
【作者の証言を検証】はるき悦巳の幼少期と西成の関係
中学1年生まで萩之茶屋周辺で生活作品の舞台を考えるうえで欠かせない人物が、原作者のはるき悦巳氏です。
はるき氏は1947年生まれ。関西じゃりン子チエ研究会が紹介する過去のインタビューや演劇パンフレットの記録には、本人が中学1年生まで大阪市西成区の萩之茶屋周辺に住んでいたという証言が残されています。
1980年8月8日号の『朝日ジャーナル』でも、幼少期の生活環境について語っています。
当時の周辺には、現在の都市公園のような緑豊かな空間がほとんどなく、子どもたちは限られた場所で遊んでいました。新世界やジャンジャン町で映画を見たり、街を走り回ったりした経験も、本人の回想として紹介されています。
こうした体験は、チエやテツを取り巻く大人たちの姿、商店街の空気、子どもたちの遊び方などに反映されていると考えられます。
作者自身は西成をどのように捉えていたのか興味深いのは、はるき氏が西成や釜ヶ崎に対して、外部から持ち込まれる一面的なイメージとは異なる感覚を持っていたことです。
過去のインタビューでは、釜ヶ崎に対する世間の先入観に触れながら、自分にとっては面白い経験が多かった子ども時代の街として振り返っています。
当時の街には、昼間から大人が集まり、子どもの野球に大人が加わるような光景もあったそうです。仕事や家庭という枠だけでは説明できない人間関係が、日常の中に存在していました。
これは『じゃりン子チエ』の魅力と深く結びついています。
テツは決して模範的な父親ではありません。仕事をさぼり、博打や喧嘩に明け暮れます。しかし、周囲にはテツを知り尽くした人々がいて、時には叱り、時には助け、時には一緒になって騒ぎます。
チエもまた、子どもでありながら大人たちの事情を理解し、自分なりに生活を切り盛りしています。
こうした人間関係は、作者が実際に過ごした西成の街での経験を土台にしていると読み取れます。
ただし、作者は舞台を一か所に限定していないここで見落としてはいけないのが、はるき氏自身が作品の舞台を萩之茶屋や西萩町だけに特定するつもりはないと語っている点です。
演劇『じゃりン子チエ』のパンフレットに掲載された本人のコメントでは、幼少期の街で経験した面白い出来事が作品のイメージにつながっているという趣旨が説明されています。
つまり、実在の地域がモデルであることと、作品の舞台がその地域そのものであることは別問題です。
西成区の萩之茶屋、花園北、新世界、天王寺周辺などの風景や記憶を組み合わせて、架空の西萩が作られたと捉えるのが自然です。
この作者の証言こそ、「モデルは西成のどこなのか」という疑問に対する最も重要な手がかりです。
【旧町名を徹底比較】西萩町は現在のどの地名に変わった?
1973年の町名変更が重要な転換点西萩町が実在したことを確認するうえで重要なのが、1973年(昭和48年)に実施された西成区の町名変更です。
大阪市内では、住居表示や町の区域の整理に伴い、旧町名が廃止され、新しい町名が設定されました。西萩町もその対象となった地名の一つです。
関西じゃりン子チエ研究会は、角川書店の『日本地名大辞典・大阪府』や1965年発行の『大阪市精図』などを手がかりに、作中の地名と旧町名の対応を調査しています。
その調査で示された主な関係を整理すると、次のようになります。
| 作品に登場する地名 | 実在した旧町名・地域 | 現在の地名・対応関係 |
|---|---|---|
| 西萩 | 西萩町 | 花園北、旭、鶴見橋の一部 |
| 東萩 | 東萩町 | 萩之茶屋、天下茶屋北の一部 |
| 入舟 | 西入船町・東入船町 | 萩之茶屋周辺 |
| 立花 | 橘通 | 橘周辺 |
| 南海 | 南海通 | 玉出東周辺 |
| 海西 | 海道町が候補 | 萩之茶屋周辺と推定 |
| 北萩・南萩・萩町 | 同名の旧町名は確認されていない | 西萩・東萩から発想された可能性 |
この対照表から分かるのは、作品に登場する地名のすべてが実在したわけではないものの、周辺の旧町名とかなり近い関係にあるということです。
特に西萩と東萩の関係は興味深いものです。西萩町と東萩町という旧町名が実際に存在し、その周囲にも入舟や南海など、作品の地名と共通する名称が見られます。
なお、表に示した対応は研究会による地名資料の照合に基づくもので、作品中の架空の町域と現在の行政上の境界が完全に一致することを意味しません。現在の町名は大阪市の西成区町名資料でも確認できます。
旧町名が残した作品への影響1973年に西萩町という住所表記が消えた後も、その名称は地域の歴史を伝える手がかりとして残っています。
また、作品の連載が始まった1978年には、旧町名の廃止からまだ5年しか経過していませんでした。作者が子ども時代を過ごした時期の地名や街の記憶が、作品に自然に入り込んでいたとしても不思議ではありません。
現在の地名だけを見ていると架空の名前に思える「西萩」が、古い地図を調べると実在した地名につながる。この点は、聖地巡礼を楽しむファンにとっても大きな発見です。
【原作とアニメの違い】なぜ新世界が舞台だと思われている?
原作の舞台は大阪の具体的な街を描きすぎない『じゃりン子チエ』の原作漫画は、1978年から1997年まで『漫画アクション』で連載された作品です。
物語の中心は、ホルモン焼き屋を切り盛りする小学5年生のチエと、父親のテツ、母親のヨシ江、周囲の人々の日常です。
小学館の漫画賞を受賞した本作は、大阪の下町を舞台とした人情コメディとして親しまれてきました。
原作における大阪の描写は、特定の観光地を見せることよりも、人々が暮らす街の生活感を伝えることに重点があります。
そのため、読者が大阪の地理を知らなくても物語を楽しめます。一方、大阪出身の読者が読むと、街並みや言葉遣い、商店街の様子に実在の地域を感じ取れる仕組みになっています。
アニメでは通天閣やジャンジャン横丁が目立つ原作とアニメの舞台設定を考える際に、特に注意したいのが新世界の扱いです。
1981年に放送が始まったテレビアニメでは、初期のエピソードを中心に通天閣やジャンジャン横丁を思わせる風景が描かれています。
そのため、アニメから作品に入った人には「じゃりン子チエの舞台=新世界」という印象が残りやすくなっています。
しかし、関西じゃりン子チエ研究会の原作検証によれば、原作漫画にはジャンジャン横丁という名称は登場しません。通天閣も限られた場面で背景として描かれているだけで、チエの家のすぐ近所にあるという設定ではありません。
つまり、原作とアニメでは大阪の見せ方に違いがあります。
原作・アニメ・現実の大阪を比較それぞれの特徴を整理すると、次のようになります。
- 原作漫画:西萩という架空の地区を中心に、実在の西成周辺の生活感を組み合わせた世界。
- 1981年のテレビアニメ:通天閣やジャンジャン横丁など、大阪を象徴する風景が視覚的に取り入れられている。
- 現実の大阪:萩之茶屋、花園北、新世界、天王寺など、それぞれ異なる特徴を持つ実在の地域。
アニメは映像作品として大阪らしさを伝えるため、視聴者に分かりやすい風景を取り入れたと考えられます。
一方、原作は街の人間関係や日常を中心に描いています。この表現方法の違いが、舞台のモデルをめぐる誤解につながっているのです。
なお、テレビアニメ第1シリーズは1981年10月から1983年3月まで放送され、全64話とスペシャル1話で構成されています。第2シリーズ『チエちゃん奮戦記 じゃりン子チエ』は1991年10月から1992年10月まで放送されました。制作会社トムス・エンタテインメントの公式作品情報でも、この放送記録を確認できます。
【聖地巡礼ガイド】萩之茶屋・花園北・河底池を歩く
① 萩ノ茶屋駅|西萩駅のモデルとして注目される場所最初に訪れたいのが、南海高野線の萩ノ茶屋駅です。
関西じゃりン子チエ研究会の現地調査では、作中の西萩駅と萩ノ茶屋駅の構造に共通点があると指摘されています。
ホームや改札の配置、券売機の位置など、駅の雰囲気に似た部分が見られるためです。
ただし、実際の萩ノ茶屋駅と漫画の西萩駅は完全に同じではありません。駅周辺の商店街の位置関係にも違いがあります。
駅を訪れる際は、駅舎そのものだけでなく、東側と西側で異なる街並みに注目すると、作品の背景を理解しやすくなります。
② 花園北|旧西萩町の記憶をたどる次に注目したいのが西成区花園北です。
この地域は、かつて西萩町と呼ばれていた場所の一部にあたります。現在の街並みからは、旧町名がそのまま残っているわけではありませんが、旧町名継承碑や古い地図を手がかりに地域の歴史をたどることができます。
作品の西萩を理解するうえでは、花園北周辺を単なるロケーションとして見るのではなく、1973年以前の町名や地域の区分まで意識することが大切です。
また、駅西側の商店街周辺には、原作の描写を思わせる下町の雰囲気が残る場所もあります。
③ 天王寺公園の河底池|ひょうたん池のモデル西成周辺から少し足を延ばして訪れたいのが、天王寺公園内にある河底池です。
作品に登場する「ひょうたん池」のモデルとして知られる場所で、茶臼山の近くに位置しています。
はるき氏は過去のインタビューで、チエが遊ぶ公園のモデルに近い場所として茶臼山周辺を挙げています。関西じゃりン子チエ研究会の調査資料では、河底池と作中のひょうたん池との関係も紹介されています。
河底池には赤い橋が架かっており、映画版にも描かれた風景との共通点があります。
ただし、現在の河底池には作中のような貸しボートはありません。研究会の資料では、作者が少年時代を過ごした1950年代半ばには貸しボートが存在した可能性も紹介されています。
つまり、作品の池は現実の河底池をそのまま写したものではなく、当時の風景や記憶を作品用に再構成したものと考えられます。
聖地巡礼で押さえたい3つのポイント- 萩ノ茶屋駅:西萩駅のモデルとされる駅の構造や周辺の街並みを確認する。
- 花園北:旧西萩町の範囲と現在の地名を照らし合わせる。
- 天王寺公園・河底池:ひょうたん池や茶臼山とのつながりを確認する。
この3か所を巡ると、作品に描かれた大阪の街が一つの場所だけから生まれたのではないことが分かります。
なお、萩之茶屋周辺は現在も多くの人が生活する地域です。撮影や散策では住民のプライバシーに配慮し、私有地や店舗の営業を妨げないようにしたいところです。
1999年から2003年までの「浪花人情」シリーズ『じゃりン子チエ』は漫画やアニメだけでなく、過去に複数回、舞台作品として上演されています。
関西じゃりン子チエ研究会の舞台公演資料によると、1999年から2003年にかけて、松竹による舞台化が行われました。
主な公演は次の3つです。
- 1999年10月:大阪・新歌舞伎座で『浪花人情おもろい町』を上演。
- 2000年8月:名古屋・中日劇場で『浪花人情パラダイス』を上演。
- 2003年8~10月:全国公演として『平成15年度松竹特別公演・人情喜劇おもろい町』を上演。
この時期の舞台でテツを演じたのは、元プロボクサーで西成区出身の赤井英和です。
チエ役は1999年・2000年公演では谷口由記、2003年の全国公演では中尾洋子が務めました。
原作を基本的に踏襲しながらも、舞台ならではの脚色が加えられています。例えば1999年の公演では、原作にはない「テツの葬式」という場面が第一幕に盛り込まれました。
漫画のエピソードをそのまま舞台に移すのではなく、観客が一つの演劇作品として楽しめるように構成を変更していた点が特徴です。
2025年11月、大阪松竹座で新たな舞台が実現大きな話題となったのが、松竹創業130周年を記念して企画された2025年の舞台版です。
公演は大阪松竹座のさよなら公演として、2025年11月15日から25日まで行われました。
当初の告知では24日までと紹介された媒体もありましたが、松竹の最終的な公式公演日程では25日が千秋楽となっています。
脚本を担当したのはわかぎゑふ、演出は村角太洋。原作の世界を現代の舞台演劇として再構成しました。
主な出演者は以下のとおりです。
- 竹本チエ:澤井梨丘
- 竹本テツ:波岡一喜
- 竹本ヨシ江:三倉茉奈
- 花井拳骨:赤井英和
- お好み焼き屋のオッちゃん:山本浩之
- 小鉄:桐生麻耶
- おバァはん:桂南光
- おジィはん:佐藤武志
- ミツル:曽我廼家一蝶
- アントニオJr.:中林登生
特に注目されたのは、過去の舞台でテツを演じた赤井英和が、今回は花井拳骨役を務めたことです。以前の舞台版とのつながりを感じさせる配役となりました。
また、チエ役の澤井梨丘はNHK連続テレビ小説『ブギウギ』で主人公の幼少期を演じた俳優です。大阪を舞台にした作品での経験も、今回の配役に注目が集まる理由の一つでした。
2026年2月には浪曲版『じゃりン子チエ』も上演2026年に入ってからも、作品を舞台芸能として楽しむ機会がありました。
松竹の公式公演情報によると、2026年2月3日には大阪松竹座で「真山隼人 浪曲の会in大阪松竹座『じゃりン子チエ』」が開催されています。
出演は浪曲師の真山隼人、曲師は沢村さくら、特別ゲストは桂二葉でした。
これは2025年の俳優による舞台劇とは異なる浪曲形式の公演です。原作を題材に、語りと三味線を中心とした伝統芸能で作品を表現した点が特徴です。
2025年の舞台化を一過性の企画として見るのではなく、漫画・アニメ・演劇・浪曲へと広がる作品の表現形態の一つとして捉えることができます。
【プロの結論】じゃりン子チエの舞台モデルは一か所ではない
ここまでの資料を総合すると、『じゃりン子チエ』の舞台モデルについては、次のように整理できます。
西萩地区の地理的なモデルとして有力なのは、西成区花園北周辺。作者の生活体験の原風景として重要なのは、萩之茶屋周辺。そして公園や池の風景には、天王寺公園や河底池周辺が関係しています。
この3つを混同しないことが、作品の舞台を正しく理解するためのポイントです。
よくある3つの誤解誤解1:西萩は完全な架空の地名だった。
実際には、1973年まで大阪市西成区に西萩町という旧町名が存在しました。作品の地名と実在の歴史が重なっています。
誤解2:じゃりン子チエの舞台は新世界だけである。
新世界はアニメで印象的に描かれていますが、原作の地理的な背景を調べると、萩之茶屋や花園北など、より広い範囲が関係していることが分かります。
誤解3:作者が西成の特定の住所を作品の舞台と断定している。
作者の幼少期の生活圏は萩之茶屋周辺ですが、本人は作品の舞台を特定の場所に限定していません。実在の地域を組み合わせた創作世界として理解する必要があります。
聖地巡礼に向いている人・注意したい人おすすめできる人:
- 原作漫画を読み、背景に描かれた大阪の街並みを知りたい人。
- 西成区の旧町名や大阪の地域史に興味がある人。
- アニメと現実の大阪の風景を比較してみたい人。
- 天王寺公園や茶臼山など、作品に関係する場所を訪ねたい人。
注意したい人:
- 漫画の背景とまったく同じ建物や店舗が現存していると期待している人。
- 作品のモデルが一つの住所に確定していると考えている人。
- 現在の街並みが昭和の作品に描かれた風景と完全に同じだと想像している人。
街の風景は時代とともに変化します。聖地巡礼では、現存する建物を探すだけでなく、地名や地形、歴史を調べることで、より深く作品を楽しめます。
じゃりン子チエの舞台に関するよくある質問(FAQ)
Q1:じゃりン子チエの舞台は大阪のどこですか?
A1:大阪市西成区の萩之茶屋・花園北周辺が中心的なモデルです。旧西萩町が存在した花園北周辺と、作者が幼少期を過ごした萩之茶屋周辺が特に重要です。
Q2:頓馬区西萩は実在しますか?
A2:頓馬区は実在しません。ただし、西萩町という旧町名は実在しました。1973年まで西成区にあり、現在の花園北、旭、鶴見橋の一部にあたります。
Q3:作者のはるき悦巳は西成出身ですか?
A3:はるき氏は中学1年生まで西成区の萩之茶屋周辺で生活していたと過去のインタビューなどで語っています。幼少期の経験が作品の街の描写に影響しています。
Q4:じゃりン子チエのひょうたん池はどこですか?
A4:天王寺公園内にある河底池がモデルとして知られています。近くには茶臼山があり、作者が公園のモデルに近い場所として言及した地域とも重なります。
Q5:アニメと原作では舞台が違うのですか?
A5:基本的には同じ大阪の下町が舞台ですが、風景の見せ方に違いがあります。アニメでは通天閣やジャンジャン横丁を思わせる描写が目立つ一方、原作では西萩という架空の街と周辺の生活風景が中心です。
Q6:じゃりン子チエの舞台版はいつ上演されましたか?
A6:主な公演は1999年の大阪公演、2000年の名古屋公演、2003年の全国公演です。その後、2025年11月15日から25日まで大阪松竹座で新たな舞台が上演され、2026年2月3日には同劇場で浪曲版も上演されました。
Q7:2026年現在も舞台版を見ることはできますか?
A7:2025年の大阪松竹座での舞台劇は終了しています。2026年2月には浪曲公演が行われましたが、俳優による舞台劇とは別形式です。今後の再演については、松竹などの公式公演情報を確認する必要があります。
『じゃりン子チエ』の舞台は、大阪市西成区の萩之茶屋・花園北周辺を中心とする下町です。
架空の「頓馬区西萩」という住所には、かつて実在した西成区西萩町という旧町名とのつながりがあります。加えて、作者のはるき悦巳氏が中学1年生まで萩之茶屋周辺で暮らしていたという証言も、作品の背景を理解する重要な手がかりです。
一方、作品の街は実在の地域をそのまま再現したものではありません。花園北の旧町名、萩之茶屋の生活風景、新世界の大阪らしさ、天王寺公園の河底池など、複数の場所と作者の記憶が重なって生まれています。
2025年の大阪松竹座での舞台化、2026年の浪曲公演も、作品が漫画やアニメの枠を越えて受け継がれていることを示しています。
チエとテツが暮らす西萩を知るために必要なのは、特定の住所を探し当てることだけではありません。旧町名を調べ、駅を歩き、池や商店街の風景を見比べることです。そうすることで、昭和の大阪の暮らしと人情を描いた『じゃりン子チエ』の世界が、より立体的に見えてきます。
編集上の重要な補足: 2025年公演の千秋楽は、初期告知の11月24日ではなく、松竹の最終公式日程に基づく11月25日としています。また、2026年2月3日の公演は通常の舞台劇ではなく浪曲公演です。