DeNAの創業者として知られる南場智子さん。マッキンゼーでパートナーに就任し、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した後、1999年にDeNAを立ち上げた日本を代表する女性起業家です。2026年11月現在はDeNAの代表取締役社長兼CEOを務めています。
その華やかな経歴の出発点は、新潟県立新潟高校での高校時代と、津田塾大学学芸学部英文学科で過ごした学生時代にあります。加えて、ブリンマー大学への留学、マッキンゼーでの挫折、ハーバードMBA取得など、若い頃には意外な苦労も経験していました。
【幼少期から高校時代】南場智子はどんな若い頃を過ごした?

南場智子さんは1962年4月21日、新潟県に生まれました。幼少期から負けず嫌いで、自分の考えを持ち、周囲を引っ張ることが多い子どもだったと本人が振り返っています。
2026年に東京都が公開した若者向けインタビューでは、子どもの頃の性格や家庭環境について、かなり具体的に語っています。
学級委員長や生徒会活動に積極的だった子ども時代南場さんは、学級委員長や生徒会活動に積極的に参加していました。遊びのルールを決める役割も自然に担っていたそうです。
一方、教師の指示に素直に従うタイプではなく、授業が退屈だと感じると席を立って帰ってしまうこともあったと明かしています。
勉強についても、普段から教科書を熱心に読むというより、試験前に集中して取り組むスタイルだったそうです。本人は、負けず嫌いだったため、試験前には一夜漬けで勉強していたと振り返っています。
こうしたエピソードからは、幼い頃から自分の意思を強く持ち、納得できることには積極的に取り組む性格がうかがえます。
厳しい家庭環境と新潟を離れる決断南場さんは東京都のインタビューで、家庭には「父が絶対」という秩序があったと語っています。
高校入学後は水泳部に所属していましたが、帰宅時間を明確に答えられなかったことを理由に、父親から退部を求められました。また、家庭には18時という門限があり、高校の学園祭の準備で学校に残る必要があるときも、一度帰宅してから学校へ戻ったことがあったそうです。
特に大きな転機になったのが、高校3年生の進路選択でした。
父親からは地元の大学に進学するよう求められていましたが、南場さんは新潟を離れて東京の大学に進学したいと考えていました。高校3年生のお盆には、ボストンバッグに荷物を詰めて家を出ようとしたことも本人が明かしています。
最終的には母親が女子大学への進学を提案し、父親との話し合いを重ねた結果、東京の津田塾大学への進学が実現しました。
この経験は、南場さんが後年、若者に対して自由に挑戦できる環境や、自分の関心を深める経験の大切さを語る背景にもつながっています。
【学生時代】新潟高校・津田塾大学・ブリンマー大学留学の実態
出身高校は新潟県立新潟高校南場智子さんの出身高校は、新潟県立新潟高校です。
1981年に同校を卒業し、同年に津田塾大学学芸学部英文学科へ入学しました。
新潟高校から東京の大学へ進学したことは、南場さんにとって単なる進学先の変更ではありませんでした。家庭の中で決められていた生活から離れ、自分の進路を自分で選ぶ大きな一歩だったのです。
津田塾大学では英文学科に在籍進学先の津田塾大学では、学芸学部英文学科で学びました。
津田塾大学は英語教育や国際的な視野を重視してきた女子大学です。南場さんがその後、アメリカの大学への留学や海外でのビジネス教育に進んでいったことを考えると、学生時代の学びはキャリア形成の重要な土台になったと考えられます。
ただし、英文学科での学びが、そのまま後年の経営コンサルティングの専門性になったわけではありません。大学で培った語学や異文化への理解を、その後の実務経験と組み合わせていった点が特徴です。
1985年にはアメリカのブリンマー大学へ留学南場さんは大学在学中の1985年、アメリカのブリンマー大学に留学しました。
ブリンマー大学はアメリカ・ペンシルベニア州にあるリベラルアーツ系の大学です。海外の教育環境に身を置いた経験は、南場さんの視野を広げる機会になりました。
東京都の公開プロフィールでも、1985年のブリンマー大学留学が経歴に記載されています。
南場さんは2026年の東京都のインタビューで、若い時期に海外生活を経験し、異なる価値観に触れることの意義についても語っています。留学は単なる語学習得ではなく、自分の常識を相対化する機会だったと捉えられます。
学生時代から海外経験を積んだことの意味南場さんの学生時代を振り返ると、新潟から東京へ進学し、さらにアメリカへ留学するという段階的な環境の変化がありました。
その後、マッキンゼーという国際的なコンサルティング企業で働き、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得しています。
最初から起業家になることを目指していたというより、異なる環境に飛び込み、その都度、自分に必要な経験を積み重ねていったキャリアだったといえます。
【南場智子の経歴年表】マッキンゼー入社からDeNA創業まで
南場さんの若い頃から現在までの経歴を、主な転換点とともに整理しました。
| 時期 | 経歴・出来事 | ポイント |
|---|---|---|
| 1962年 | 新潟県で誕生 | 4月21日生まれ |
| 1981年 | 新潟県立新潟高校卒業 | 津田塾大学へ進学 |
| 1985年 | ブリンマー大学留学 | アメリカでの留学経験 |
| 1986年 | 津田塾大学卒業・マッキンゼー入社 | 社会人としてのキャリアを開始 |
| 1988年 | マッキンゼーを退職してハーバードへ | ビジネススクール留学 |
| 1990年 | ハーバードMBA取得 | マッキンゼーに復職 |
| 1996年 | マッキンゼーのパートナーに就任 | 経営幹部として活躍 |
| 1999年 | DeNA創業 | 自ら事業を立ち上げる道へ |
| 2015年 | 横浜DeNAベイスターズオーナー就任 | スポーツ分野にも進出 |
| 2019年 | デライト・ベンチャーズ創業 | スタートアップ支援に取り組む |
| 2021年 | 経団連副会長に就任 | 経済界でも活動 |
| 2025年 | 経済財政諮問会議の民間議員 | 政策面にも関与 |
| 2026年6月 | DeNA代表取締役社長兼CEOに就任 | 創業者として経営の最前線へ |
この年表で特に注目したいのは、1986年のマッキンゼー入社から1999年のDeNA創業までの約13年間です。
大学卒業後に外資系コンサルティング企業へ入り、海外MBAを取得し、パートナーにまで昇進した後に起業しています。すでに安定したキャリアを築いていたにもかかわらず、別の道を選んだことが南場さんの経歴を特徴づけています。
【マッキンゼーとハーバードMBA】若い頃に経験した挫折と成長
1986年にマッキンゼーへ入社した理由1986年、津田塾大学を卒業した南場さんは、マッキンゼー・アンド・カンパニーの日本支社に入社しました。
外資就活ドットコムのインタビューで、南場さんは当時、コンサルティングという仕事自体を詳しく理解していたわけではなかったと振り返っています。
マッキンゼーに勤めていた先輩から勧められたことが応募のきっかけでした。実際に選考を受けた企業も、マッキンゼーとボストン コンサルティング グループの2社だったと語っています。
当時は日本企業で男女の雇用機会に差があり、女性が積極的に仕事をしたい場合、外資系企業や官公庁などが選択肢になりやすい時代でした。
南場さん自身も、男女の区別なく仕事を任せてもらえそうな環境に魅力を感じたと説明しています。
入社後の2年間は成果が出ず、苦労したマッキンゼー入社後の南場さんは、最初から順調だったわけではありません。
2026年に東京都が公開したインタビューでは、社会人になって最初の2年間について、思うように成果が出ず、自分の価値を問い続ける苦しい時期だったと明かしています。
朝9時に出社し、翌朝4時や5時まで働く生活を送ることもありました。資料作成だけでなく、電話対応やコピーなどの雑務にも積極的に取り組んでいたそうです。
特に印象的なのは、重要なプレゼンテーションの前日に資料の製本を終えた後、寝過ごしてしまったという失敗談です。翌朝、プレゼンテーションが始まった後に目を覚まし、会場に向かったときの冷ややかな視線が今も忘れられない経験として残っていると語っています。
華々しいキャリアの裏には、仕事の能力不足を自覚し、失敗を経験しながら成長していった時期がありました。
1988年にハーバード・ビジネス・スクールへ1988年、南場さんはいったんマッキンゼーを退職し、アメリカのハーバード・ビジネス・スクールへ留学しました。
この決断について、本人は東京大学での講演で「逃亡」だったと率直に表現しています。
マッキンゼーで思うように成果を出せず、仕事から離れて学び直したいという気持ちがあったのです。
外資就活ドットコムのインタビューでも、当時の仕事ではビジネスの基本を理解できておらず、非効率な働き方になっていたと振り返っています。
また、当時のマッキンゼー日本支社には留学制度がなかったため、会社をいったん退職して私費で留学する道を選びました。
1990年にMBA取得、マッキンゼーへ復職1990年、南場さんはハーバード・ビジネス・スクールを修了し、MBAを取得しました。
留学後はマッキンゼーの日本支社に復職しています。
海外での学びを経て、仕事に対する姿勢も変化しました。企業の成長戦略や構造改革などを担当し、コンサルタントとして経験を積んでいきます。
ここで重要なのは、MBA取得が単なる学歴の追加ではなかったことです。本人の振り返りによれば、留学前に感じていた仕事上の課題を見直し、改めて自分の働き方を組み立てる契機になっていました。
1996年、マッキンゼーのパートナーに就任1996年、南場さんはマッキンゼーのパートナーに就任しました。
パートナーは、通常のコンサルタントとは異なり、企業の経営方針や組織運営にも関わる重要な役職です。
南場さんはその後、インターネット関連の新規事業にも携わるようになります。この経験が、後のDeNA創業につながっていきました。
【DeNA創業の理由】順調なマッキンゼーを辞めて起業したのはなぜ?
インターネットオークションの可能性に着目1990年代後半、南場さんはマッキンゼーでインターネット関連の新規事業を担当していました。
その中で関心を持ったのが、インターネットオークションでした。
当時、アメリカではインターネットを使ったオークションが広がり始めていました。南場さんは、日本でも本格的なサービスを展開すれば大きな事業になると考えていました。
東京大学での講演では、オークション事業について周囲に提案した際、「自分でやれば良いのではないか」と言われたことが、起業を考える大きなきっかけになったと語っています。
アドバイザーではなく実行者になりたかった南場さんが起業を決意した理由は、単純に独立したかったからではありません。
コンサルタントとして企業に提案するだけでなく、自分が考えたビジネスモデルを実際に動かし、サービスとして世の中に送り出したいという思いが強くなっていました。
本人は、ビジネスが人々の役に立ち、収益を生み出すところまで関わりたいという趣旨を説明しています。
2013年のITmediaのインタビューでも、マッキンゼーには未練がなく、次の事業を立ち上げることで頭がいっぱいだったと振り返っています。
つまり、順調だったキャリアを捨てたというより、仕事に対する興味が、企業への助言から自分自身による事業の実行へ移っていったのです。
1999年3月4日、DeNAを設立1999年3月4日、南場さんは株式会社ディー・エヌ・エーを設立しました。
創業当初の事業はインターネットオークションです。同年11月には、オークションサイト「ビッダーズ」を開始しました。
しかし、事業は最初から成功したわけではありません。東京大学での講演では、創業から最初の約5年間は売上がなかなか伸びなかったことも明かしています。
また、サービス開発の際には、運用テストを始める段階でシステムのプログラムが完成していないことが発覚するなど、大きなトラブルも経験しました。
こうした創業期の失敗を乗り越えながら、DeNAはモバイルサービスやゲームなどへ事業領域を広げていきました。
南場さんの若い頃の経験を知るうえで大切なのは、マッキンゼーの肩書やMBAだけで起業が成功したわけではないという点です。実際の事業運営で直面した失敗から学び、組織をつくり直してきたことが、その後の成長を支えました。
【2026年最新】南場智子の現在・若い頃の写真・著書を紹介
2026年6月にDeNA代表取締役社長兼CEOへ復帰2026年11月現在、南場さんはDeNAの代表取締役社長兼CEOを務めています。
2026年5月12日、DeNAは役員人事を発表し、同年6月27日付で南場さんが代表取締役社長兼CEOに就任する人事を公表しました。
同社は、事業環境の変化に対応して経営のスピードを高めるため、創業者である南場さん自身がCEOとして変革を主導する体制が適切だと説明しています。
また、2026年7月1日時点の経団連の審議員会議長・副議長名簿では、南場さんは審議員会副議長として掲載されています。
2015年からは横浜DeNAベイスターズのオーナーも務めています。IT企業の経営だけでなく、スポーツやスタートアップ支援、経済政策に関わる活動も続けています。
南場智子の若い頃の写真は見られる?南場さんの若い頃の写真を探している人も少なくありません。
写真を確認する際に参考になるのが、東京都が2026年に公開した本人インタビューです。このページには南場さんのプロフィール写真に加え、DeNA創業時の南場さんの写真も掲載されています。
創業当時の姿を知ることができる資料であり、現在の経営者としての姿と比較する際にも参考になります。
一方、新潟高校や津田塾大学の在学中の写真については、撮影時期や出典が確認できる資料を基準に見ることが大切です。ネット上で若い頃の写真として紹介されている画像も、本人の写真なのか、撮影年代がいつなのかを確認してから判断したいところです。
著書『不格好経営』で分かる若き日の経験と創業の舞台裏南場さんの経営者としての考え方を知るなら、著書『不格好経営―チームDeNAの挑戦』が代表的な一冊です。
2013年6月に日本経済新聞出版社から刊行された本書では、DeNAの創業から事業の成長、組織づくり、経営上の失敗などが語られています。
タイトルにある「不格好」という言葉が示すように、成功した経営者の華やかな側面だけではなく、創業期の苦労や判断ミス、仲間との試行錯誤が描かれています。
マッキンゼーでパートナーまで昇進した人物が、なぜ安定した職場を離れ、起業という不確実な道を選んだのか。その背景を理解するうえでも参考になります。
学生時代からの生い立ちに加え、起業後の経験まで知りたい人には、本人の言葉で書かれた本書がおすすめです。
【南場智子の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:南場智子の出身高校はどこですか?
A1:新潟県立新潟高校です。1981年に卒業し、津田塾大学学芸学部英文学科へ進学しました。
Q2:南場智子は大学時代に留学していましたか?
A2:はい。津田塾大学在学中の1985年に、アメリカのブリンマー大学へ留学しています。
Q3:南場智子がハーバードMBAを取得したのは何年ですか?
A3:1990年です。1988年にマッキンゼーをいったん退職してハーバード・ビジネス・スクールへ留学し、修了後はマッキンゼーに復職しました。
Q4:南場智子はなぜマッキンゼーを辞めたのですか?
A4:インターネット関連の新規事業に関わる中で、自分が考えたビジネスモデルを実際に事業化し、成長させるところまで携わりたいと考えたためです。
Q5:南場智子がDeNAを創業したのは何年ですか?
A5:1999年3月4日です。インターネットオークション事業を出発点としてDeNAを設立しました。
Q6:2026年現在、南場智子は何をしていますか?
A6:2026年6月27日付でDeNAの代表取締役社長兼CEOに就任しています。また、横浜DeNAベイスターズのオーナーや経団連審議員会副議長としても活動しています。
南場智子さんの若い頃は、順風満帆なエリート人生という一言では説明できません。
新潟県立新潟高校を卒業し、津田塾大学で英文学を学び、ブリンマー大学への留学を経験。その後、1986年にマッキンゼーへ入社しましたが、社会人としての最初の2年間は成果が出ず、苦しい時期を過ごしました。
1988年のハーバード留学、1990年のMBA取得、1996年のマッキンゼーのパートナー就任を経て、1999年にDeNAを創業。自ら事業を動かしたいという思いが、人生の大きな転換点になりました。
そして2026年6月、再びDeNAのCEOとして経営の最前線に立っています。
南場さんの歩みから読み取れるのは、学歴や肩書だけでなく、環境を変える決断、失敗から学ぶ姿勢、そして自分が関心を持ったことを深く追求する力の大切さです。
東京都の2026年インタビューで、南場さんは若者に向けて次のようなメッセージを残しています。
「自分が夢中になれることに真正面から向き合い、『深める』経験をしてほしい」
この言葉は、新潟で過ごした高校時代から、アメリカ留学、マッキンゼーでの挫折、そしてDeNA創業に至るまでの経験と重なります。南場智子という経営者を理解するには、成功した現在だけでなく、若い頃に積み重ねた挑戦と失敗にも目を向けることが大切です。
主な事実確認資料
- 東京都「南場智子さんから若者への言葉」:2026年の本人インタビュー、学生時代、家庭環境、キャリア年表、創業時の写真。
- 東京大学「南場智子氏講演記録」:マッキンゼー退職、MBA、起業理由、創業初期の経験。
- DeNA公式サイト:2026年6月の役員人事、現在の役職、会社沿革。
- 経団連公式役員名簿:2026年7月時点の副議長就任状況。
- 国立国会図書館:『不格好経営―チームDeNAの挑戦』の書誌情報。