乙事主(おっことぬし)とは、スタジオジブリの映画『もののけ姫』に登場する、巨大な白い猪神です。鎮西(現在の九州地方)からやって来た猪一族を率いる長老で、作中では500歳という驚くべき年齢が設定されています。森を守るために人間と戦う誇り高い存在ですが、物語の終盤では人間への憎しみと戦いの傷によってタタリ神へと変貌してしまいます。
実は乙事主には、山犬の神モロと約100年前まで良好な関係にあったという裏設定もあります。2026年現在、改めて作品を見直すと、乙事主の悲劇は単なる敗北ではなく、自然の衰退、一族の存続、誇りと怒りが交錯する物語として読み取れます。ここでは、読み方や名前の由来、年齢、能力、モロやサンとの関係、最後の結末、声優、神話的なモデルまで詳しく解説します。
【正体を解説】乙事主とは?読み方・名前の由来と猪一族での立場

乙事主の正しい読み方は「おっことぬし」です。「おつことぬし」や「おとことぬし」ではありません。
「乙事」は長野県諏訪郡富士見町に実在する地名で、乙事主という名前はこの地域にちなんだものとされています。
長野県の公式観光サイト「Go! NAGANO」でも、富士見町の乙事地区は『もののけ姫』のモチーフとなった場所として紹介されています。宮崎駿監督と信州とのつながりを考えると、地名がキャラクターの命名に影響したことがうかがえます。
ただし、乙事地区に実際に巨大な猪がいたという意味ではありません。民俗学者の畑中章宏氏も2025年のCINRAの記事で、地名の由来と猪神の姿に関係する民俗的背景を考察しています。
乙事主の正体は鎮西を治める巨大な猪神乙事主は普通のイノシシではありません。白い巨体と2対4本の牙を持つ、山の神として描かれる存在です。
物語では、九州を意味する鎮西から海を渡ってやって来た猪神の長老として登場します。人間による森林破壊を止めるため、残された猪たちを率いてシシ神の森へ向かいます。
その目的には、森を守るという使命だけでなく、仲間だったナゴの守を失ったことへの怒りもありました。
乙事主が率いる猪一族は、かつての強大な勢力を失いつつあります。彼自身も、若い猪たちの体が小さくなり、知恵や力が衰えていることを深刻に受け止めています。
つまり、乙事主は単に強い動物の王ではありません。滅びに向かう一族の最後の誇りを背負った存在なのです。
【年齢・性格・能力】乙事主は500歳!目が見えない老猪神の実力
乙事主の年齢は500歳、モロより200歳年上乙事主の年齢は500歳です。
この設定は、2021年にスタジオジブリ公式Xが紹介した情報でも話題になりました。加えて、日本テレビの金曜ロードショー公式アカウントが2023年に紹介した作品の裏設定でも、乙事主500歳、モロ300歳という年齢が取り上げられています。
人間の寿命とはまったく異なる時間を生きる神々だからこそ、数百年という年齢が設定されています。500年もの間、森や猪一族の変化を見続けてきた乙事主には、若い猪たちにはない経験と責任感があります。
老齢によって視力を失っている乙事主の特徴のひとつが、目が見えないことです。
サンが彼の目の状態に気づく場面からも、視力を失っていることが分かります。500年という長い年月を生きた老神であり、外見にも老いが表れています。
しかし、視力を失っているからといって、戦う力まで衰えたわけではありません。
優れた嗅覚や周囲の気配を察知する能力を持ち、目が見えなくても周囲の状況を把握できます。アシタカの言葉からナゴの守の最期を受け止める場面にも、単なる獣ではない知性が表れています。
乙事主の性格は誇り高く、情に厚いが頑固乙事主の性格を一言で表すなら、誇り高く、一族への責任感が強い長老です。
人間を憎んでいる一方、誰に対しても無差別に襲いかかるわけではありません。アシタカがナゴの守の最期を正直に伝えると、その言葉に耳を傾け、感謝を示します。
一方で、戦いに対する姿勢は非常に頑固です。モロから人間の石火矢に正面から挑む危険性を指摘されても、戦う決意を変えません。
その背景には、一族が衰退していくことへの焦りがあります。人間に狩られ、ただの肉として扱われる未来を受け入れるくらいなら、最後まで猪神として戦いたいという意志があるのです。
この性格は、乙事主の魅力であると同時に、悲劇的な結末を招く要因にもなっています。
【人物相関表】乙事主とモロ・サン・アシタカの関係とは?
乙事主を理解するうえで欠かせないのが、森を守るほかの登場人物との関係です。特にモロとの過去は、映画本編だけでは分かりにくい重要な裏設定です。
| 人物・存在 | 乙事主との関係 | 物語上のポイント |
|---|---|---|
| モロの君 | かつて親密な関係にあった山犬の神 | 人間への対抗方針では意見が対立する |
| サン | モロの娘で、森を守る仲間 | 目の見えない乙事主を助けようとする |
| アシタカ | ナゴの守の最期を伝えた人間 | 正直な告白に耳を傾ける |
| ナゴの守 | かつての仲間である猪神 | 人間との戦いに向かう大きなきっかけ |
| エボシ御前 | 森を侵害する人間側の指導者 | 石火矢を使う人間たちの象徴的存在 |
| シシ神 | 命を司る森の神 | 最後に乙事主の命を奪う |
乙事主とモロの関係には、意外な裏設定があります。
実は、2人はかつて親密な関係にあり、約100年前までは良い仲だったとされています。
日本テレビの金曜ロードショー公式アカウントが2023年に紹介した裏設定でも、この関係が取り上げられました。乙事主が500歳、モロが300歳という年齢設定も同時に紹介されています。
映画本編では恋愛関係だった過去が詳しく描かれているわけではありません。しかし、モロが乙事主の登場を見て「少しは話の分かるやつが来た」と反応することからも、2人の間に長い交流があったことが感じられます。
現在の2人は、森を守るという目的では一致していても、人間との戦い方をめぐって対立しています。
モロは人間の武器の恐ろしさを理解し、無謀な正面攻撃を避けようとします。それに対して乙事主は、たとえ一族が滅びても人間に立ち向かうことを選びます。
かつて親しかった2人だからこそ、考え方の違いが際立つ関係になっています。
乙事主とサンの関係は?サンはモロに育てられた人間の娘であり、森の一員として生きています。
乙事主はサンのことを知っており、彼女をモロの娘として認識しています。サンも乙事主を敬意を持って接するべき存在として扱い、目が見えない彼の助けになろうとします。
特に重要なのが、サンが乙事主の目となって行動する場面です。
この行動には、森の神々を守りたいというサンの強い意志が表れています。サンにとって乙事主は単なる猪の長老ではなく、森を守るために共に戦う大切な存在なのです。
しかし、乙事主がタタリ神へ変貌し始めると、サンの思いは悲劇的な展開を迎えます。
乙事主とアシタカの関係アシタカは、タタリ神となったナゴの守にとどめを刺した人物です。
その事実を隠さず伝えたアシタカに対して、乙事主は話を聞き、若者として一定の敬意を示します。
ただし、人間であるアシタカと猪神の乙事主が同じ立場になることはありません。乙事主は彼に森から去るよう告げ、次に会うときには敵として扱わなければならないと伝えます。
ここには、個人としての理解と、人間という存在全体への憎しみを切り分けられない乙事主の葛藤が見えます。
【悲劇の真相】乙事主がタタリ神になった理由は?
人間との戦いで負傷し、憎しみが増幅する乙事主がタタリ神へと変わる最大の原因は、人間との戦いで受けた傷と、積み重なった憎しみです。
エボシ御前たちが使う石火矢は、自然の神々にとっても大きな脅威です。乙事主は一族を率いて戦いますが、戦況は猪たちにとって厳しいものとなります。
人間の武器によって傷つき、仲間たちも次々に失われていくなかで、乙事主の精神は追い詰められていきます。
本来は冷静な判断力を持っていた長老も、怒りと苦しみを抑えられなくなっていくのです。
猪の毛皮をまとったジバシリが決定的な引き金に乙事主のタタリ神化を決定的にするのが、ジバシリと呼ばれる人間たちの存在です。
彼らは死んだ猪の毛皮をまとい、猪の一族に紛れるような姿で行動します。
目が見えない乙事主は、その光景を正しく認識できず、仲間たちが戻ってきたかのように受け止めてしまいます。
仲間の姿を利用する人間たちの行動は、乙事主にとって耐えがたいものでした。そこに戦いで受けた傷と、仲間を失った悲しみが重なり、怒りと混乱が限界に達します。
タタリ神とは何か?乙事主の変貌が意味するものタタリ神とは、強い憎しみや苦しみを抱え、禍々しい存在へと変貌した神の姿です。
作中では、冒頭に登場するナゴの守もタタリ神になっています。人間が自然を傷つけ、その結果として神が憎悪に支配されるという構図は、物語全体を貫く重要なテーマです。
乙事主の場合も、もともと悪意を持っていたわけではありません。森と一族を守ろうとした存在が、戦いのなかで憎しみに飲み込まれてしまったのです。
ここで注目したいのは、タタリ神化が単なる戦闘能力の強化ではないという点です。
乙事主は変貌するにつれて、言葉や理性を失い、周囲を正しく認識することもできなくなっていきます。長い年月を生きてきた知性ある神が、自分自身を制御できなくなることこそ、この場面の恐ろしさです。
乙事主の悲劇は、自然を守るための怒りが、最終的には自分自身と守りたかったものを破壊してしまうという皮肉を描いています。
【最後と結末】乙事主は死亡する?モロがサンを救った最期の場面
タタリ神になりかけた乙事主にサンが巻き込まれる物語の終盤、乙事主は傷を癒やすためにシシ神のもとへ向かいます。その傍らにはサンがいます。
しかし、乙事主はすでに憎しみに支配され始めており、ついにタタリ神へと変貌してしまいます。
サンは乙事主を助けようとしますが、巨大なタタリ神となった乙事主の体に巻き込まれ、身動きが取れなくなります。
アシタカもサンを助けようとしますが、乙事主の暴走を止めることは簡単ではありません。
モロが最後の力を使ってサンを救出するサンの危機を前にして立ち上がるのが、モロです。
すでに傷を負い、命の終わりが近づいていたモロですが、娘であるサンを救うため、最後の力を振り絞ります。
モロは乙事主に立ち向かい、その体からサンを引き離します。
この場面は、モロと乙事主の関係を考えるうえでも非常に重要です。かつて親密だった相手が憎しみに支配され、結果として自分の娘を危険にさらしてしまった。その相手に対して、モロは最後までサンを守るために行動します。
乙事主とモロの対照的な生き方が、ここで決定的な形となって表れます。
シシ神に命を吸い取られ、乙事主は死亡するサンが救い出された後、シシ神が姿を現します。
シシ神は傷を癒やす力を持つ一方、命を奪う力も持つ存在です。乙事主の体に触れたシシ神は、その命を吸い取ります。
乙事主はシシ神によって命を奪われ、最後を迎えます。
したがって、乙事主は人間との戦いに敗れて単純に殺されたわけではありません。タタリ神になりかけた状態で、シシ神の力によって命を終えることになります。
その後、モロも力尽きます。森を守ろうとした2体の神が、同じ戦いのなかで命を落とす展開は、作品のなかでも特に重い場面です。
乙事主の最後が物語に残した意味乙事主の結末は、自然と人間の対立を単純な善悪で判断できないことを示しています。
乙事主は森を守ろうとしました。しかし、その方法は一族を率いた全面的な戦いであり、結果として多くの命が失われました。
一方、モロは人間を憎みながらも、戦いの結果を冷静に見極めていました。
乙事主の最期には、誇りを守ろうとすることと、実際に生き残ることの難しさが表れています。森を守るという正しい目的があっても、怒りだけでは未来を切り開けない。その厳しい現実が描かれているのです。
【声優・名言・モデル】乙事主を演じた森繁久彌と神話的背景
乙事主の声優は森繁久彌乙事主の声を担当したのは、俳優の森繁久彌です。
スタジオジブリの公式作品情報でも、『もののけ姫』の声の出演者として森繁久彌の名前が記載されています。
森繁久彌の重厚で落ち着いた声は、500年を生きた猪神の威厳や、長老としての風格を感じさせます。
乙事主は登場する場面こそ限られていますが、その声には長い年月を生きてきた存在ならではの重みがあります。
特に、アシタカの告白を受け止める場面では、単なる怒りに支配された神ではなく、言葉を理解し、相手を判断する知性ある存在としての魅力が伝わってきます。
乙事主の名言と印象的なセリフ乙事主のセリフには、一族を守ろうとする責任感と、人間への強い警戒心が表れています。
特に印象的なのが、アシタカに対して森を去るよう告げる場面です。
「森を去れ。次に会うときは殺さねばならぬ」
この言葉は、アシタカ個人を憎んでいるというよりも、人間と猪神が敵対する状況を受け入れた乙事主の決意を表しています。
また、一族が衰退していることを嘆き、人間に狩られる未来を恐れる発言も重要です。乙事主の戦いが単なる復讐ではなく、種族の存続と尊厳をかけたものだったことが分かります。
なお、よく知られる「乙事主だ。少しは話の分かるやつが来た」というセリフは、乙事主本人ではなくモロの発言です。印象的なセリフだけに、発言者を混同しないようにしたいところです。
乙事主のモデルは摩利支天?神話的な背景を考察乙事主の姿には、日本の宗教や民間信仰とのつながりを考えられる要素があります。
2025年10月にCINRAで公開された民俗学者・畑中章宏氏の記事では、乙事主のモデルに関する興味深い考察が紹介されています。
注目されているのが、仏教の守護神である摩利支天(まりしてん)です。
摩利支天は、猪に乗った姿で表現されることがある神格です。災厄から身を守る存在として、武士などからも信仰されてきました。
乙事主も巨大な猪の姿をした神であることから、摩利支天との共通点が指摘されています。
ただし、これは民俗学的な考察であり、スタジオジブリが乙事主の公式モデルを摩利支天と発表したわけではありません。猪に乗る神という図像的な共通点から考えると、作品の宗教的な背景を読み解く興味深い視点になります。
乙事主のモデルと長野県富士見町の関係乙事主の名前の由来とされる長野県富士見町には、乙事地区のほかにも、『もののけ姫』の登場人物と関連づけられる地名があります。
例えば、エボシ御前を連想させる烏帽子、甲六と重なる甲六などです。
長野県の公式観光情報でも、こうした地名と作品との関係が紹介されています。
また、民俗学者の畑中氏は、猪に乗る摩利支天の信仰が周辺地域に存在することにも着目しています。
こうした地名や信仰の背景を知ると、乙事主は単に架空の巨大な猪として生み出されたキャラクターではなく、日本の地域文化や神仏のイメージとも重なり合う存在として見ることができます。
【よくある質問】乙事主とは何かに関するFAQ
Q1:乙事主の年齢は何歳ですか?
A1:乙事主は500歳です。モロは300歳という設定で、乙事主のほうが200歳年上です。約100年前まで2人は良好な関係にあったという裏設定も紹介されています。
Q2:乙事主とモロは恋人同士だったのですか?
A2:はい。作品の裏設定では、かつて親密な関係にあり、約100年前まで良い仲だったとされています。ただし、映画本編では恋愛関係の詳細は描かれていません。
Q3:乙事主はなぜタタリ神になり、最後はどうなったのですか?
A3:人間との戦いで負傷し、一族を失った悲しみや人間への憎しみが限界に達したためです。猪の毛皮をまとったジバシリを仲間と見誤ったことも、変貌を決定づける要因になりました。最後はシシ神に命を吸い取られて死亡します。
乙事主は、『もののけ姫』に登場する500歳の巨大な猪神であり、衰退する猪一族を率いる誇り高い長老です。
モロとは約100年前まで親密な関係にありましたが、人間との戦い方をめぐって意見が対立します。サンを守ろうとする姿勢や、アシタカの言葉に耳を傾ける場面からは、強さだけではない知性や情の深さも感じられます。
しかし、石火矢による負傷、仲間の喪失、人間への憎しみが重なり、最終的にはタタリ神へと変貌してしまいます。サンはモロによって救い出されますが、乙事主自身はシシ神に命を奪われます。
2026年に改めて作品を振り返ると、乙事主の存在から読み取れるのは、自然を守るための怒りだけではありません。変わりゆく世界に取り残されることへの恐怖、失われていく一族への責任、そして誇りを守ろうとする者の苦悩です。
乙事主は悪役でも、単なる敗北者でもありません。自分たちの生き方を守ろうと最後まで戦った、悲劇的な森の神なのです。その最期を理解すると、『もののけ姫』が描く自然と人間の対立、そして共存の難しさが、より深く見えてきます。