1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故で亡くなった歌手・坂本九さん。43歳という若さで突然命を落とした坂本さんの遺体は、どのように発見され、誰が身元を確認したのだろうか。妻の柏木由紀子さんが遺体と対面した経緯や、身元判明の決め手となった品物については、事故から40年を迎えた2025年にも改めて報道されている。
実は、坂本さんの身元確認で重要な手掛かりとなったのは、日常的に身につけていた特別なペンダントだった。一方、事故全体では指紋鑑定や歯形による照合も大きな役割を果たしている。2024年に公開された日本看護科学会誌の研究論文には、当時の群馬県警や医療関係者、日本赤十字社などによる検案・身元確認・遺族支援の記録がまとめられている。
2026年、事故から41年。坂本九さん個人の身元確認に関する証言と、日航123便の犠牲者全体に対して行われた検案記録を照らし合わせると、当時の状況がより具体的に見えてくる。
【事故当日】坂本九が日航123便に搭乗した経緯と御巣鷹の尾根で起きた悲劇

坂本九さんは、1985年8月12日、東京・渋谷のNHKで公開収録を終えた後、大阪へ向かうため日本航空123便に搭乗した。
当日は大阪で知人の選挙応援に参加する予定だったと、2025年8月の日刊スポーツの報道で伝えられている。
搭乗したのは羽田空港発、大阪・伊丹空港行きの日本航空123便。坂本さんは当時43歳だった。
同便は18時12分に羽田空港を出発。18時24分ごろ、伊豆半島東岸付近で機体後部に異常が発生した。
その後、操縦が極めて困難な状態となり、約32分間の飛行を続けた末、18時56分ごろ、群馬県多野郡上野村の山中に墜落した。
国土交通省や日本航空が公開している事故の記録によると、事故機には乗客509人、乗員15人の計524人が搭乗していた。
そのうち520人が死亡し、4人が生存した。
事故原因については、1978年に実施された後部圧力隔壁の修理の不具合に起因する疲労亀裂が、飛行中に破壊へと進んだことが事故調査報告書で示されている。
墜落現場の特定と遺体収容事故直後は、墜落地点の特定が難航した。
現場は群馬県上野村の山深い場所にあり、救助隊が現地に到着したのは翌朝だった。
事故現場は、後に御巣鷹の尾根として広く知られるようになった。
遺体の収容と検案は、群馬県藤岡市を中心に進められた。藤岡市民体育館などが検視・安置場所として使われ、警察、医師、歯科医師、看護職などが協力して対応した。
この事故では、遺体の損傷が激しく、顔貌だけで本人を判断できないケースが少なくなかった。
そのため、衣服や装身具、身体的特徴、指紋、歯の状態など、複数の情報を組み合わせる必要があった。
【身元確認の真相】坂本九の遺体発見と柏木由紀子との対面
坂本九さんの遺体確認について、特に重要なのが妻・柏木由紀子さんによる証言である。
2023年8月の週刊女性PRIMEのインタビューと、2025年8月の日刊スポーツの取材では、当時の身元確認につながったペンダントについて具体的に語られている。
決め手となったのは笠間稲荷神社のペンダント坂本さんと柏木さんは、1971年12月に茨城県の笠間稲荷神社で結婚式を挙げた。
笠間は坂本さんにとって、母親の実家があり、幼少期に疎開した思い出の土地でもあった。
2人にとって縁の深い場所だったことから、笠間稲荷神社の名前が刻まれた特注のペンダントを坂本さんは身につけていた。
柏木さんの2023年のインタビューによれば、遺体の胸元にそのペンダントが見つかったことが、坂本さん本人であると判断する決め手になったという。
2025年の日刊スポーツの記事でも、柏木さんは身元判明の決め手がこのペンダントだったと振り返っている。
ペンダントは単なる装身具ではなかった。
結婚した場所、夫婦の思い出、坂本さん自身の人生に結びついた品物だったのである。
事故から4日後に見つかったショルダーバッグ柏木さんの証言には、遺体の確認に至るまでの重要な出来事も含まれている。
事故から4日後にあたる8月16日、坂本さんのショルダーバッグが見つかった。
バッグの中には、娘が手作りしたカードや、壊れた愛用のウォークマンが入っていたという。
加えて、警察から柏木さんに対し、確認してほしい遺体があるとの連絡が入った。
バッグの発見は、坂本さんの所持品が事故現場から見つかったことを示す重要な手掛かりだった。
ただし、バッグそのものが遺体の身元を確定したわけではない。柏木さんの回想では、最終的な決め手はペンダントだった。
柏木由紀子は実際に遺体と対面したのかこの点については、2025年8月12日に配信された週刊女性PRIMEの記事が重要な証言を伝えている。
当時の坂本さんの所属事務所だったマナセプロダクションの元社長・曲直瀬道枝さんは、事故後の状況について取材に応じた。
曲直瀬さんは、柏木さんが遺体と対面した場面を遠くから見ていたと証言している。
つまり、柏木さんが身元確認のために現地へ赴き、実際に遺体と対面したことは、家族側の回想だけでなく、当時の関係者による証言からも裏付けられている。
また、日刊スポーツの2025年8月10日の記事では、柏木さん自身が藤岡市民体育館で安否確認の連絡を待っていた当時を振り返っている。
「大丈夫、大丈夫」
柏木さんは、体育館にいた間、坂本さんが生きている可能性を信じ続けていたと語っている。
【身元確認の仕組み】指紋鑑定・歯形・着衣はどのように使われたのか
坂本さんの身元確認ではペンダントが重要な手掛かりとなったが、日航123便の事故全体では、さらに多くの確認方法が使われた。
特に注目したいのが、群馬県歯科医師会の記録を引用した2024年の日本看護科学会誌の研究内容である。
520人中518人の身元が判明同研究によると、事故の犠牲者520人のうち、518人の身元が判明した。
判明率は99.6%に達している。
当時の主な身元確認の根拠は次のとおりだ。
| 身元確認の方法 | 確認根拠の割合 |
|---|---|
| 指紋 | 44.4% |
| 歯形 | 15.1% |
| 着衣 | 12.4% |
| 顔による対面 | 11.6% |
| 身体的特徴 | 5.8% |
| 血液型 | 0.8% |
出典:群馬県歯科医師会『日航機墜落事故関係資料』(1986年、pp.23–24)。2024年の日本看護科学会誌掲載論文による引用。数値は事故全体の集計であり、坂本九さん個人の確認方法を示すものではない。
群馬県警による指紋鑑定と身体的特徴の記録当時の群馬県警の検案班と警察医は、収容された遺体について、全身の計測と写真撮影を実施した。
記録された主な特徴は次のとおりである。
- 頭髪の状態
- 手術痕
- 爪やマニキュア
- 指紋
- 身体の特徴
- 着衣や装身具
特に指紋は、顔貌の確認が困難な状況でも本人を特定するための重要な情報となった。
事前に登録されていた指紋や、本人に関する資料との照合が可能なケースでは、身元確認に役立った。
群馬県歯科医師会による歯形の照合歯による身元確認も、大きな役割を担った。
検案の際、顎骨や歯が残っている場合には、歯科医師が歯の状態を記録した。
必要に応じて歯形の採取やX線撮影も行われた。
歯は、治療痕や歯並びなど個人ごとの特徴が残りやすい。そのため、生前の歯科診療記録と比較することで、顔を直接確認できない遺体でも身元を特定できる可能性がある。
今回の事故では、群馬県歯科医師会の資料が、身元確認の方法別の集計を把握する重要な史料となっている。
ただし、坂本さん本人の身元確認に歯形や指紋が使われたと断定できる個別記録は、今回確認できる公表資料からは示されていない。
坂本さんについては、柏木さんが語ったペンダントの発見が、個別の身元確認を説明する最も具体的な証言である。
【検案と遺体の処置】日本赤十字社が担った遺族支援と当時の現場
日航123便の事故では、警察や医師だけでなく、日本赤十字社をはじめとする看護職も重要な役割を果たした。
その活動を詳しく記録したのが、2024年に日本看護科学会誌に掲載された研究論文である。
2024年の日本看護科学会誌に掲載された研究論文の正式名称は「日本航空123便墜落事故における看護:遺体の検案と処置,身元確認に焦点をあてて」。
川原由佳里氏、内木美恵氏ら6人の研究者による歴史研究で、2024年9月26日にJ-STAGEで公開された。
研究では、群馬県や医師会、日本赤十字社などの関係機関が保管していた報告書、関係者の記録、遺族の手記などを資料として使用している。
事故当時の活動を、遺体の検案、処置、身元確認、遺族へのケアという観点から検証した研究だ。
日本赤十字社から派遣された看護職同論文によれば、日本赤十字社は群馬県支部を中心として、関東各県や山梨県、静岡県などから看護職を派遣した。
その規模は次のとおりである。
| 項目 | 記録された内容 |
|---|---|
| 派遣人数 | 延べ623人 |
| 実人数 | 360人 |
| 主な活動開始 | 1985年8月13日 |
| 遺体の検案・処置 | 8月14日から |
| 遺族支援 | 家族の待機場所や身元確認時など |
| 活動終了 | 9月28日まで |
特に8月13日は、生存者の救出支援と、現地に集まった家族への対応が行われた。
翌14日からは、遺体の検案や処置、身元確認の補助、遺族へのケアが本格化した。
遺体の検案と処置はどのように行われたのか2024年の研究論文には、当時の検案作業について具体的な記録が残されている。
群馬県警の検案班や警察医が遺体の所見を記録し、看護職は遺体の洗浄や衣服の整理などを担当した。
身元確認に必要な遺留品を失わないよう、衣服の取り扱いにも注意が払われた。
検案が終わった後は、家族が遺体と対面できるよう、看護職による処置が行われた。
損傷した部分を綿花や新聞紙などで整え、包帯やシーツを使って外見を整える作業も実施された。
身元が確認された遺体については、遺族が用意した衣服を着せ、希望に応じて品物を棺に納めた。
「整体」と呼ばれた遺体の整復研究論文の中でも特に注目されるのが、看護師長の金田和子氏らによって実践された「整体」である。
これは、損傷が激しい遺体について、段ボールや新聞紙、綿花、包帯などを用いて、人の形に整える処置だった。
単に外見を整える作業ではない。
遺族の希望を聞き、故人の身長や体格を確認しながら、できる限り生前の姿に近づけることを目指した。
衣服が用意されていれば、それを着せて棺に納めることもあった。
研究では、この取り組みについて、死者の尊厳を守り、突然の死別に直面した家族を支える看護実践として評価している。
【噂と事実を比較】坂本九の遺体確認について混同されやすい情報
坂本九さんの遺体に関する情報を調べる際には、事故全体の身元確認方法と、坂本さん個人について伝えられている証言を区別する必要がある。
特に混同されやすいのは、指紋鑑定、歯形、ペンダント、家族との対面の関係だ。
| よくある疑問・情報 | 確認できる事実 |
|---|---|
| 坂本九は指紋で身元確認された | 事故全体では指紋が主要な確認方法だったが、坂本さん個人についてはペンダントが決め手と妻が証言 |
| 歯形によって坂本九と判明した | 歯形照合は事故全体で活用された。坂本さん個人への適用を示す公表資料は確認できない |
| 妻は遺体と対面していない | 元所属事務所社長が柏木さんの対面を目撃したと証言 |
| ショルダーバッグだけで身元が確定した | バッグの発見は重要な手掛かりだが、身元判明の決め手として伝えられているのはペンダント |
| 520人全員の身元が判明した | 518人が判明し、2人は身元不明のままだった |
| 518人全員が顔を見て確認された | 顔による確認は全体の11.6%と報告されている |
ここで特に注意したいのが、身元判明率99.6%という数字の意味だ。
518人の身元が判明したからといって、518人全員の遺族が顔を見て本人だと確認したわけではない。
実際、2024年の研究では、顔による確認は11.6%、身体的特徴による確認は5.8%だった。
指紋や歯形、着衣などによって本人と判定されたケースも多かった。
身元が分かることと、家族が故人の姿を直接確認できることは、必ずしも同じではなかったのである。
さらに同論文によれば、検案された遺体は2,065体に上った。
この数字は亡くなった人数ではなく、分離した遺体なども含む検案対象の数である。完全遺体とされたものは492体、全体の23.8%だった。
こうした数字からも、当時の身元確認がどれほど困難だったかが分かる。
【2026年の視点】事故から41年、坂本九の遺体確認記録を残す意味
1985年8月12日の事故から、2026年で41年が経過した。
事故の記憶を次世代に伝えるうえで、近年重要な意味を持つのが、当時の関係者の証言と学術的な記録の蓄積である。
妻・柏木由紀子が語り続ける事故の記憶柏木由紀子さんは、2025年の事故40年目の取材で、夫の死と事故の記憶について改めて語った。
事故後、2人の娘を育てながら生活を続けてきた柏木さんは、坂本さんの歌を親子で歌い継ぐ活動にも取り組んできた。
2004年からは長女の大島花子さん、次女の舞坂ゆき子さんと母子ユニット「ママエセフィーユ」を結成し、坂本さんの楽曲を歌うコンサートを開催した。
坂本さんの遺作として知られる「心の瞳」も、家族が父親の歌を伝えていく活動と結びついている。
2025年8月の日刊スポーツのインタビューでは、柏木さんは坂本さんと事故の記憶を風化させたくないという思いを語っている。
2024年の研究が残した災害看護の教訓日本看護科学会誌の研究が重要なのは、単に当時の遺体確認方法を整理しただけではない点にある。
研究では、遺族だけでなく、検案や処置に従事した看護職の精神的負担にも触れている。
事故対応に参加した看護職の中には、数か月、数年が経過しても当時の光景がよみがえり、食欲不振や不眠などを経験した人もいた。
また、研究は災害時の遺体処置や遺族支援について、法医学的・衛生学的な対応だけでなく、看護の視点から検討する必要性を指摘している。
これは、身元確認が単なる事務的な作業ではなかったことを示している。
遺族にとっては、故人が誰であるかを確かめることが、死を受け止めるための重要な過程でもあった。
【よくある質問】坂本九の遺体に関するFAQ
Q1:坂本九の遺体はどのように身元確認されたのですか?
坂本九さんが身につけていた、笠間稲荷神社の名前が刻まれた特注ペンダントが決め手になったと、妻の柏木由紀子さんが証言している。2人が結婚式を挙げた神社にちなむ思い出の品だった。
Q2:柏木由紀子は坂本九の遺体と対面したのですか?
はい。2025年の週刊女性PRIMEの報道では、元所属事務所社長の曲直瀬道枝さんが、柏木さんが遺体と対面した場面を目撃したと証言している。
Q3:坂本九の遺体は事故から何日後に確認されたのですか?
柏木さんの2025年の回想では、事故から4日後の8月16日にショルダーバッグが見つかり、その後、警察から遺体の確認を求められたとされている。2013年の日刊ゲンダイの記事では、同日深夜に遺体が確認されたと報じられている。
Q4:日航123便の事故では指紋や歯形も使われたのですか?
はい。事故全体では指紋が44.4%、歯形が15.1%の身元確認根拠として報告されている。ただし、これは犠牲者全体の統計であり、坂本さん個人の確認方法を示す数字ではない。
Q5:日航123便の犠牲者520人全員の身元が判明したのですか?
いいえ。2024年の日本看護科学会誌掲載論文によると、520人のうち518人の身元が判明した。判明率は99.6%で、2人は身元不明のままだった。
坂本九さんの遺体確認について、最も具体的な手掛かりとして伝えられているのは、妻・柏木由紀子さんの証言に登場する笠間稲荷神社ゆかりのペンダントである。
事故から4日後の1985年8月16日には、坂本さんのショルダーバッグも発見された。その後、柏木さんは警察から連絡を受け、藤岡市で身元確認に臨んだ。元所属事務所社長も、柏木さんが遺体と対面したことを証言している。
一方、日航123便の事故全体では、指紋や歯形、着衣、身体的特徴などを使った確認作業が進められ、520人中518人の身元が判明した。
2024年に発表された日本看護科学会誌の研究論文は、群馬県警、医師会、日本赤十字社などの活動を記録し、検案だけでなく、死者の尊厳を守る処置や遺族支援の重要性も明らかにした。
坂本九さん個人の身元確認を示す証言と、520人の犠牲者全体に関する統計は、分けて理解する必要がある。
2026年で事故から41年。坂本九さんの歌が今も歌い継がれていることと同じように、事故で失われた520人の命、遺族の歩み、現場で活動した人々の記録も、後世に伝えていくべき歴史である。