ホーム 芸能ニュース・ゴシップ 高畑勲『かぐや姫の物語』徹底解説|罪と罰、月へ帰る理由と制作の真意

高畑勲『かぐや姫の物語』徹底解説|罪と罰、月へ帰る理由と制作の真意

滑原 圭介 滑原 圭介 • 更新: • 公開: • 読了約 24 分
目次

2026年現在も、日本の長編アニメーションを代表する作品として語り継がれているのが、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』です。2013年11月23日に公開された本作は、日本最古の物語文学『竹取物語』を原作に、誰もが知るかぐや姫の物語を、ひとりの女性が生きた人生として描き直しました。竹林を駆け回る少女の無邪気な姿から、都で自由を奪われていく姫の苦悩、そして月へ帰る最後の瞬間まで、作品全体には高畑監督独自の人間観が込められています。

特に多くの視聴者が疑問に感じるのが、「姫の犯した罪と罰」とは何だったのか、なぜかぐや姫は地球を離れなければならなかったのかという問題です。朝倉あきの声の演技、久石譲の音楽、二階堂和美が歌う「いのちの記憶」、手描きの線を生かした映像表現、約8年に及んだ制作の背景まで整理すると、この映画が単なる昔話の映画化ではないことが見えてきます。

【作品の基本情報】高畑勲監督が描いた『かぐや姫の物語』のあらすじ

高畑勲かぐや姫

※ここから物語の結末に触れます。

『かぐや姫の物語』は、平安時代に成立したとされる『竹取物語』を原作とするスタジオジブリの長編アニメーションです。

監督・脚本を担当したのは高畑勲。脚本には坂口理子が参加し、企画は鈴木敏夫、プロデューサーは西村義明が務めました。

スタジオジブリの公式作品情報によれば、上映時間は約137分。2013年11月23日に東宝配給で公開されました。

竹の中から生まれた少女と山里での日々

物語は、竹を取って暮らす翁が、光り輝く竹の中から小さな女の子を見つけるところから始まります。

少女は驚くほどの速さで成長し、山里の人々から愛されながら、自然の中でのびのびと暮らしていきます。

特に印象的なのが、幼なじみの捨丸や山里の子どもたちと一緒に野山を駆け回る場面です。

そこには、身分や財産、世間体に縛られない自由な時間があります。

やがて翁は竹から黄金や高価な衣装を見つけ、少女を高貴な姫として育てることが自分の使命だと考えるようになります。

その結果、一家は都へ移り住み、少女は「なよ竹のかぐや姫」として貴族社会に迎えられます。

都で失われていく自由と自分らしさ

都での生活は、山里での暮らしとは正反対でした。

かぐや姫は相模から貴族の女性としての作法を教えられ、眉を整え、歯を黒く染めるなど、当時の上流階級の女性に求められる姿へと変えられていきます。

加えて、美しい姫の評判を聞いた五人の貴公子が求婚してきます。

彼らに対し、かぐや姫は簡単には手に入らない宝物を持ってくるよう要求します。しかし、求婚者たちは姫自身を理解しようとするのではなく、自分の欲望や虚栄心を満たそうとします。

その後、帝からも求愛されますが、かぐや姫の意思は尊重されません。

山里で自由に生きていた少女は、いつしか周囲の期待に応えるための存在になってしまったのです。

月からの迎えと、涙の別れ

物語の終盤、かぐや姫は帝に突然抱き寄せられたことをきっかけに、月へ帰りたいと願ってしまいます。

その願いが届き、満月の夜に月の使者たちが迎えに来ることになります。

しかし、実際に迎えが訪れると、かぐや姫は激しく抵抗します。

地上での暮らしには苦しみもありました。それでも、山里の自然、家族との時間、捨丸との思い出、限られた命の中で感じた喜びを手放したくなかったのです。

最後には天人の羽衣を着せられ、地上での記憶を失っていきます。それでも、月へ向かう途中で地球を振り返る姿には、言葉にならない余韻が残されています。

この結末こそ、高畑監督が描こうとした「生きること」の意味を考える重要な場面です。

【罪と罰の真相】かぐや姫が地上に来た理由と高畑勲の制作意図

『かぐや姫の物語』を理解するうえで、最も重要なのが「姫の犯した罪と罰」というテーマです。

この言葉は作品の宣伝コピーとして広く知られていますが、実は高畑監督自身が、このコピーに異議を唱えていました。

ここには、作品の企画段階と完成した映画との間にある、興味深い変化があります。

そもそも『竹取物語』では何が罪だったのか

原作の『竹取物語』では、かぐや姫が月の世界で罪を犯し、その償いとして地上に降ろされたことが語られています。

ところが、原作は具体的に何をしたのかまでは説明していません。

高畑監督が注目したのは、この説明されていない部分でした。

かぐや姫はなぜ地球にやってきたのか。なぜ一定期間を地上で過ごした後、月へ戻る必要があったのか。

そして、地球で何を感じ、何を求めていたのか。

これらの疑問を掘り下げることが、映画制作の出発点になりました。

高畑勲が最初に考えていた「罪」の意味

企画段階の構想では、月の世界にいるかぐや姫が、かつて地上で暮らした経験を持つ女性から地球の話を聞くという背景が考えられていました。

その女性の記憶を呼び覚まして苦しませたことが、かぐや姫の罪とされる構想です。

そして罰として地上に降ろされることになります。

興味深いのは、かぐや姫自身が地上への憧れを持っていた点です。

月の世界は清浄で、老いや病気、悲しみとは無縁の場所として描かれます。

一方、地球には四季があり、花が咲き、鳥が鳴き、人々は喜びや悲しみを感じながら生きています。

永遠に変わらない世界よりも、限りある命を持つ人間の世界に魅力を感じる。

この発想が、作品の根底にある重要な思想です。

ただし、企画段階の説明と完成した映画の内容は同一ではありません。

高畑監督は「罪と罰」のテーマを途中で変更していた

ここが、作品を理解するうえで見落とせない事実です。

2026年1月のAll Aboutの記事が紹介した『ジブリの教科書19 かぐや姫の物語』に記された鈴木敏夫プロデューサーの証言によると、高畑監督は当初の構想から「罪と罰」を中心テーマにする方針を変更していました。

鈴木プロデューサーが企画書をもとに「姫の犯した罪と罰。」というコピーを提案したところ、高畑監督は、そのテーマはすでにやめたと説明したとされています。

さらに制作が進んだ段階でも、監督は宣伝コピーに不満を示していたと紹介されています。

つまり、映画を見て「結局、何が罪だったのか分からない」と感じるのは、必ずしも理解不足ではありません。

完成した映画は、罪の正体を明確に説明することよりも、かぐや姫が地上で何を感じ、どのように生きたのかを描く方向へ進んでいるからです。

罪と罰をどう読み解くべきか

整理すると、次のように考えられます。

観点 内容 意味
原作の設定 月で罪を犯し、地上に降ろされる 罪の具体的内容は明示されない
初期企画 地上の記憶を呼び覚ました女性を苦しませたことが罪 企画段階での物語設定
初期の思想 人間の世界に憧れること自体が禁忌 永遠の世界と有限の命の対比
完成した映画 地上での生活と感情を中心に描写 生きる喜びと苦しみが主題
宣伝コピー 姫の犯した罪と罰 監督自身が完成作とのずれを指摘

この違いを踏まえると、本作を単純な「罪を犯した少女が罰を受ける物語」として理解するのは十分ではありません。

むしろ、罪という言葉にとらわれず、なぜ人は不完全で苦しみのある世界に生きたいと願うのかを考えることが、作品の核心に近づく方法です。

【月へ帰る理由】かぐや姫はなぜ最後に地球を離れたのか

かぐや姫が月へ帰る理由には、物語の設定と、彼女自身の心情という二つの側面があります。

月へ帰る直接のきっかけは何だったのか

物語上の大きな転機となるのは、帝に突然抱き寄せられる場面です。

それまで、かぐや姫は貴族社会の窮屈さや求婚者たちの身勝手さに苦しんできました。

しかし、帝に自分の意思を無視されて抱き寄せられたことで、精神的な限界に達します。

そこで思わず月へ帰りたいと願ってしまうのです。

この場面は、単純に月へ戻りたいという希望を表したものではありません。

自分の意思を尊重されない地上の生活から、逃れたいという切実な感情が表れています。

その願いが月の迎えにつながり、帰還が現実のものになっていきます。

帰りたくないのに帰らなければならない矛盾

月の世界は、苦しみも悲しみもない清浄な場所です。

一見すると、そこへ戻ることは幸福に思える可能性があります。

しかし、かぐや姫にとっては違いました。

地上には苦しみがある一方で、喜びや愛情、自然の美しさがあります。

山里で過ごした時間は、彼女にとってかけがえのないものでした。

月の使者が迎えに来たとき、かぐや姫が必死に帰還を拒むのは、地上での暮らしが苦しかったからこそ、そこにあった幸福も知っているためです。

月の世界は本当に理想郷なのか

本作では、月の世界を単純な理想郷として受け取ることもできません。

苦しみがないことは、同時に喜びや悲しみを感じる必要もないことを意味します。

人間は、失うことを知っているからこそ、大切なものを愛おしく感じます。

いつまでも続く命ではなく、限られた時間だからこそ生まれる感情があります。

高畑監督が描いた月と地球の対比には、こうした人間の生に対する深い問いかけが含まれています。

月へ帰ることは、かぐや姫にとって幸福な帰郷というより、地上で生きる機会を失う悲しい別れだった。

この視点で最後の場面を見ると、羽衣を着せられた後に見せる涙の意味も、より深く感じられます。

【声優・音楽・映像表現】朝倉あきと久石譲が作り上げた世界

『かぐや姫の物語』の魅力は、ストーリーだけではありません。

声の演技、音楽、そして従来のジブリ作品とは異なる映像表現が一体となることで、独特の作品世界が生まれています。

朝倉あきが演じたかぐや姫の魅力


かぐや姫の声を担当。オーディションを経て主要キャストに選ばれ、少女時代から大人になった姫までの変化を声で表現した。

朝倉あきの演技で特徴的なのは、かぐや姫の感情の変化を自然な声の表情で伝えていることです。

山里で遊ぶ少女の無邪気さ、都での生活に対する戸惑い、求婚者たちへの反発、そして月へ帰ることへの恐怖。

それぞれの場面で声の印象が変化し、キャラクターの内面が伝わってきます。

特に注目したいのが、プレスコという収録方式です。

プレスコとは、完成した映像に声を合わせるのではなく、先に声を収録し、その演技をもとにアニメーションを制作する方法です。

朝倉あきはシネマトゥデイのインタビューで、映像がない状態で演技するには想像力が必要だったと振り返っています。

一方、後からアフレコを経験したことで、プレスコでは自由に演じられていたことを実感したとも語っています。

声の演技を先に作ることで、アニメーションにも役者の自然な感情や呼吸を反映させやすくなったのです。

久石譲の音楽が表現する生命の輝き


本作の音楽を担当。東京交響楽団による演奏を含むサウンドトラックが2013年11月20日に発売された。

久石譲の音楽は、かぐや姫の感情と物語の時間の流れを支えています。

サウンドトラックには「生きる喜び」「山里」「生命の庭」「絶望」「悲しみ」「月の都」「帰郷」など、物語の展開に対応した楽曲が収録されています。

これらの曲名からも、音楽が単なる背景ではなく、作品のテーマと深く結びついていることが分かります。

特に、山里の場面と月の世界の場面では、音楽が生み出す印象が大きく異なります。

地上の自然や人間の生活には、温かさや躍動感があります。

一方、月の世界には、静けさや現実から切り離されたような感覚があります。

この対比が、かぐや姫の心情をより鮮明にしています。

二階堂和美の「いのちの記憶」が残す余韻


主題歌「いのちの記憶」の作詞・作曲・歌唱を担当したアーティスト。

主題歌「いのちの記憶」は、映画の余韻を決定づける重要な楽曲です。

スタジオジブリの公式発表によれば、高畑監督は以前から二階堂和美の歌声に注目しており、その力強さと優しさに共感して主題歌を依頼しました。

2013年7月24日にシングルが発売されています。

この曲が作品にふさわしい理由は、映画の中心にある「命の有限性」というテーマと結びついているからです。

人は生き、出会い、別れ、記憶を重ねていきます。

かぐや姫が地上で過ごした時間も、永遠ではありません。

だからこそ、その時間に宿った感情が大切なものとして残ります。

手描き作画が生み出す独特の映像表現

本作の映像表現で最も印象的なのは、鉛筆や筆で描いたような、荒々しくも柔らかい線です。

一般的なアニメーションのように輪郭を整えてキャラクターを描くのではなく、線の勢いや余白を生かした表現が採用されています。

この表現には、単なる見た目の美しさを超えた意味があります。

例えば、かぐや姫が山里を走る場面では、線そのものが動きの勢いを感じさせます。

反対に、都で抑圧される場面では、画面全体の印象が変化し、彼女の閉塞感が伝わってきます。

シネマトゥデイのインタビューでは、高良健吾も、かぐや姫の感情が変わる瞬間に筆遣いまで変化することに感動したと語っています。

また、高畑監督は、見る側が絵の裏側にある本物を想像できるような表現を目指していたと紹介されています。

つまり、すべてを細密に描き込むのではなく、あえて描き切らないことで観客の想像力を引き出す映像なのです。

【制作背景と経緯】約8年を費やした高畑勲の長編アニメーション

『かぐや姫の物語』は、通常の長編アニメーションと比べても、非常に大規模な制作プロジェクトでした。

高畑監督は『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)以来、約14年ぶりに長編アニメーションを完成させています。

ジブリ第7スタジオで進められた制作

制作の現場には、通常のジブリ作品とは異なる制作体制が用意されました。

東京都小金井市のスタジオジブリから少し離れた場所に、第7スタジオが新設され、アニメーション制作の精鋭スタッフが集められました。

ディズニー公式が紹介する制作ドキュメンタリー『高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~』では、2011年5月5日から制作現場の記録が始まったことが紹介されています。

高畑監督の新しい表現方法は、スタッフにとっても簡単に理解できるものではありませんでした。

従来のアニメーションとは異なる描線や動きの表現を実現するため、試行錯誤が繰り返されます。

公開延期を経て完成した作品

当初は宮崎駿監督の『風立ちぬ』と同日公開が発表されていました。

しかし、制作は予定どおりには進みませんでした。

映像表現の難しさや制作工程の複雑さによってスケジュールが遅れ、公開は延期されます。

その後、スタッフの努力によって作品は完成し、2013年11月23日に公開されました。

西村義明プロデューサーは、制作期間が約8年に及んだことを振り返っています。

完成までの苦闘を記録したドキュメンタリーは、作品の背景を知るうえでも重要な資料です。

主要スタッフ・キャストと作品の関係
区分 人物・担当 作品における役割
原案・脚本・監督 高畑勲 作品の構想と演出
脚本 坂口理子 脚本制作
企画 鈴木敏夫 企画・プロデュース面
プロデューサー 西村義明 制作統括
かぐや姫 朝倉あき 主人公の声
捨丸 高良健吾 姫の幼なじみ
翁 地井武男 姫を育てる竹取の翁
媼 宮本信子 姫を見守る養母
音楽 久石譲 劇伴音楽
主題歌 二階堂和美 「いのちの記憶」
人物造形・作画設計 田辺修 キャラクターの造形
美術 男鹿和雄 背景美術

この制作陣を見ると、本作が単に高畑監督一人の作品ではなく、多くの専門スタッフの技術と創意によって完成した映画であることが分かります。

アカデミー賞での評価と国際的な反響


2015年・第87回アカデミー賞

長編アニメーション賞ノミネート

1作品


受賞ではなくノミネート

本作は海外でも高い評価を受け、2015年の第87回アカデミー賞で長編アニメーション賞にノミネートされました。

アカデミー賞公式記録には、高畑勲と西村義明の名前がノミネート作品の関係者として記載されています。

ただし、受賞したのは『ベイマックス』です。

したがって、『かぐや姫の物語』はアカデミー賞受賞作品ではなく、正式なノミネート作品という位置づけになります。

それでも、日本の古典文学を題材にした作品が、独創的な映像表現とともに世界的な映画賞で評価されたことには大きな意義があります。

【作品の本質を考察】高畑勲が伝えたかった「生きること」の意味

本作の本当の主題は、かぐや姫が犯した罪の答えを探すことだけではありません。

むしろ、地上で生きた時間そのものに注目することで、高畑監督が描いた人間観が見えてきます。

人間は不完全だからこそ美しい

月の世界には、老いや病気、死がありません。

しかし、そこには人間が経験するような感情の揺れもありません。

地球では、春になれば花が咲き、夏には草木が茂り、秋には実りが訪れます。

季節は巡り、命は成長し、やがて終わりを迎えます。

この変化の中で人間は喜び、悲しみ、誰かを愛し、時には後悔します。

かぐや姫が惹かれたのは、まさにそのような世界でした。

高畑監督は、地上の苦しみを単純に否定するのではなく、その苦しみを含めた命の輝きを描いています。

自由を奪われる女性という現代的なテーマ

もう一つ重要なのが、女性の生き方をめぐる問題です。

かぐや姫は、周囲から高貴な女性として扱われるほど、自分らしく生きる自由を失っていきます。

翁は娘の幸せを願って都へ連れていきますが、その愛情は結果として本人の希望とすれ違います。

貴族たちも、かぐや姫が何を考えているかより、自分が彼女を手に入れられるかどうかを優先します。

この構造は、女性の意思よりも社会的な役割や周囲の期待を優先する社会への批評として読むことができます。

京都大学新聞社の2013年の作品評でも、本作を女性の自由への意思を描いた作品として捉える視点が示されていました。

ただし、こうした社会批評だけで映画全体を説明することもできません。

自然の美しさ、家族への愛情、幼い頃の記憶、命の有限性など、複数のテーマが重なっているからです。

【プロの結論】この映画を理解するための3つの視点

作品を深く理解するためには、次の三つを意識すると見え方が変わります。

1. 罪の答えだけを探さないこと。 企画段階の設定と完成した映画のテーマは異なります。罪の説明がないこと自体も、作品を読み解く手がかりです。
2. 山里と都の対比を見ること。 自然の中で自由に生きる少女と、社会の期待に縛られる姫の違いが、物語の重要な軸になっています。
3. 線と音楽の変化に注目すること。 セリフだけでなく、描線、余白、音楽によって人物の感情が表現されています。

物語の展開を追うだけでは見落としてしまう感情の変化に注目すると、高畑勲監督がなぜこの作品に長い時間を費やしたのかも理解しやすくなります。

【よくある質問】高畑勲の『かぐや姫の物語』に関するFAQ

Q1:かぐや姫が犯した罪とは何ですか?

A1:原作『竹取物語』では、月で罪を犯したことは語られていますが、具体的な内容は明示されていません。高畑監督の初期企画では、地上の記憶を呼び覚まして女性を苦しませたことが罪とされていました。ただし、監督は制作途中でこのテーマを変更しています。

Q2:かぐや姫はなぜ月へ帰らなければならなかったのですか?

A2:物語では、月の世界で犯した罪に対する地上での期間が終わり、月の使者が迎えに来るという設定です。また、映画では帝に抱き寄せられた際、思わず月へ帰りたいと願ってしまうことが、迎えにつながる重要なきっかけとして描かれています。

Q3:かぐや姫の声優は誰ですか?

A3:主人公のかぐや姫を演じたのは朝倉あきです。捨丸役は高良健吾、翁役は地井武男、媼役は宮本信子が担当しています。

Q4:主題歌「いのちの記憶」は誰が歌っていますか?

A4:二階堂和美です。作詞・作曲・歌唱を担当しており、高畑監督が彼女の歌声に共感して主題歌を依頼しました。映画音楽は久石譲が担当しています。

Q5:『かぐや姫の物語』はアカデミー賞を受賞しましたか?

A5:2015年の第87回アカデミー賞で長編アニメーション賞にノミネートされましたが、受賞はしていません。受賞作品は『ベイマックス』です。

高畑勲監督の『かぐや姫の物語』は、誰もが知っている昔話を、命の有限性と人間の感情を描く壮大な物語へと発展させた作品です。

「姫の犯した罪と罰」という宣伝コピーは有名ですが、完成した映画の中心にあるのは、罪の正体を明らかにすることではありません。

地上で生きることの喜び、自由を奪われる苦しみ、大切な人との別れ、そして限られた時間だからこそ輝く命の意味です。

朝倉あきの繊細な声の演技、久石譲の音楽、二階堂和美の「いのちの記憶」、田辺修や男鹿和雄をはじめとするスタッフの手描き表現。それぞれが一体となり、かぐや姫の心を映像として表現しています。

2026年に改めて鑑賞するなら、次のような視点がおすすめです。

- 物語の謎を楽しみたい人: 原作と映画の違い、罪と罰の解釈に注目する。
- 映像作品として楽しみたい人: 手描きの線や余白、動きの変化を観察する。
- 人間ドラマとして楽しみたい人: かぐや姫と翁、媼、捨丸との関係を中心に見る。

この映画が最後に問いかけるのは、月へ帰ることが正しいかどうかではありません。

限られた命を与えられた私たちは、今この瞬間をどう生きるのか。

その問いは、公開から13年近くが経とうとする2026年にも、色あせることなく観る人の心に残り続けています。

同じカテゴリの記事

滑原 圭介
コンテンツディレクター 滑原 圭介
プロフィールを見る →

旅行・観光を担当。現地の公式観光資料と営業情報を確認してから記事にします。

おすすめの関連記事