事件が発生したのは、2017年12月7日午後8時30分ごろ。東京都江東区富岡にある富岡八幡宮の境内とその周辺で、神社関係者4人が相次いで襲撃されました。
死亡したのは、当時の宮司だった富岡長子さん、弟の富岡茂永氏、茂永氏の妻・富岡真里子氏の3人です。長子さんと一緒にいた専属運転手の男性も負傷しました。
事件後の警視庁の捜査や共同通信の報道などによると、長子さんが帰宅した際に襲撃され、その後、茂永氏夫妻も死亡する事態となりました。
事件の特異性は、神社の責任者とその実の弟、弟の妻が事件の当事者となったことです。
富岡八幡宮は、地域の人々から「深川の八幡さま」として親しまれてきた歴史ある神社です。江戸三大祭りの一つに数えられる深川八幡祭りでも知られています。
地域の信仰と祭礼を支えてきた神社で、なぜこのような事件が起きたのでしょうか。
その答えを考えるには、事件当日だけでなく、そこに至るまでの宮司継承の経緯を確認する必要があります。
【人物関係と時系列】富岡長子・富岡茂永・富岡真里子の関係

事件を理解するうえで欠かせないのが、富岡家の人物関係です。
宮司職は長年にわたって富岡家が担ってきました。事件当時の長子さんは、父親の後を継いで宮司に就任した立場でした。一方、茂永氏もかつて同じ神社の宮司を務めていました。
つまり、今回の事件は、単純に外部の人物が神社を襲撃したものではありません。神社の運営と後継者の問題に深く関係する親族間の事件でした。
主な関係者一覧| 人物 | 立場・関係 | 事件との関係 |
|---|---|---|
| 富岡長子さん | 富岡八幡宮の宮司 | 事件で死亡した被害者 |
| 富岡茂永氏 | 長子さんの弟・元宮司 | 事件の加害者とみられ、事件後に死亡 |
| 富岡真里子氏 | 茂永氏の妻 | 事件に関与し、事件後に死亡 |
| 富岡興永氏 | 長子さんと茂永氏の父・先代宮司 | 宮司職の継承に関係する人物 |
| 丸山聡一氏 | 事件当時の権宮司 | 事件後に宮司代務者となり、後に宮司に就任 |
| 時期 | 出来事 | 意味 |
|---|---|---|
| 1995年3月 | 富岡茂永氏が宮司に就任 | 父から弟への継承 |
| 2001年5月 | 茂永氏が宮司を退任 | 宮司職をめぐる対立が深まる |
| 2006年1月 | 茂永氏が脅迫容疑で逮捕されたと報道 | 姉弟間の対立が表面化 |
| 2010年以降 | 長子さんの宮司就任を神社本庁に具申 | 後継者問題が長期化 |
| 2017年5月 | 神社本庁からの離脱を決議 | 神社の運営体制が転換 |
| 2017年9月28日 | 神社本庁との包括関係を解消 | 単立宗教法人へ移行 |
| 2017年12月7日 | 富岡八幡宮殺傷事件が発生 | 長子さんら3人が死亡 |
| 2018年 | 丸山聡一氏が宮司に就任 | 事件後の体制を確立 |
| 2018年9月28日 | 東京地検が茂永氏夫妻を不起訴 | 刑事裁判には至らず |
この年表から分かるのは、事件の直前に突然、家族間の対立が始まったわけではないということです。
宮司の交代をめぐる問題は、少なくとも2000年代初頭には表面化しており、2017年の神社本庁離脱によって大きな転換点を迎えました。
【事件の動機と背景】宮司職を巡る姉弟間の確執はなぜ続いたのか
富岡八幡宮殺人事件の背景として繰り返し報道されたのが、富岡長子さんと富岡茂永氏の長年の確執です。
その中心にあったのが、宮司職の継承でした。
1995年に弟の茂永氏が宮司に就任茂永氏は、1994年11月に父親に代わって宮司代行となり、翌1995年3月に正式に宮司へ就任しました。
しかし、2001年5月に宮司を退任します。
当時の報道では、金銭問題や女性関係などが退任の背景として取り上げられました。退任後は父親の興永氏が宮司に復帰しています。
その後、姉の長子さんが神社運営の中心的な役割を担うようになりました。
この交代によって、茂永氏と長子さんの間には宮司職をめぐる対立が生まれ、長期間にわたって解消されない状態が続いたと報じられています。
2002年と2006年に表面化した脅迫問題姉弟間の対立は、神社内部の人事問題だけにとどまりませんでした。
報道によると、長子さんは2002年1月、宮司の地位をめぐる親族間のトラブルについて警視庁深川署に相談していました。
さらに2006年1月には、茂永氏が長子さんに脅迫的な内容のはがきを送ったとして、脅迫容疑で逮捕されています。
このとき問題になったのは、長子さんに対する強い敵意を示す内容でした。
つまり、2017年の事件以前から、対立は警察への相談や逮捕にまで発展していたのです。
約2800通の手紙が示した宮司職への執着事件後、さらに注目されたのが、茂永氏の名前で送られた約2800通の手紙です。
公益財団法人国際宗教研究所の宗教情報リサーチセンターがまとめた調査資料によると、事件翌日以降、神社関係者や報道機関、警察関係者などに大量の文書が届きました。
文書はA4用紙約8枚にわたる内容で、主な要求は次のようなものでした。
- 長子さんを富岡八幡宮から退任させること。
- 茂永氏の息子を宮司に就任させること。
- 神社の責任役員らに対して要求を受け入れるよう迫ること。
文書には、要求が実現しなければ死後も怨念を残すという趣旨の記述もあったと報じられています。
ここで注目したいのは、要求の対象が長子さん個人への批判だけではなかったことです。
茂永氏は、自分自身の復帰だけでなく、息子への宮司職の継承も求めていました。
この点からも、宮司という地位をめぐる問題が、富岡家の次世代にまで及んでいたことが分かります。
事件の動機は宮司職だけだったのか宮司職の継承問題は、事件の重要な背景です。
しかし、事件の動機を単純に「姉が宮司になったことへの嫉妬」とだけ説明すると、経緯を十分に理解できません。
確認できる背景には、次の複数の要素があります。
1. 2001年の茂永氏の宮司退任。
2. 退任後も続いた姉弟間の対立。
3. 長子さんの宮司就任をめぐる神社本庁との問題。
4. 長子さんの退任と息子への継承を要求する文書。
5. 事件直前まで続いていた親族間の緊張。
特に、2017年9月28日の神社本庁離脱と長子さんの正式な宮司就任は、事件直前の重要な転換点として研究資料でも取り上げられています。
ただし、事件の全容を法廷で検証する刑事裁判は開かれていません。そのため、これらは報道や関係資料から把握できる背景であり、裁判所が確定した動機ではありません。
【神社本庁からの離脱】富岡八幡宮が単立宗教法人になった理由
富岡八幡宮事件を理解するうえで、もう一つ重要なのが、2017年9月の神社本庁からの離脱です。
この出来事は、単なる宗教団体間の手続きではありませんでした。
長子さんの宮司就任をめぐる問題と密接につながっていたからです。
神社本庁と富岡八幡宮の対立神社本庁は、全国の神社を包括する宗教団体です。
神社本庁に所属する神社では、宮司の任命についても本庁の制度が関係します。
富岡八幡宮では、先代宮司の興永氏が退任した後、長子さんを正式な宮司に就任させるための手続きが進められました。
しかし、神社本庁による正式な任命は実現しませんでした。
日刊スポーツの2017年12月の報道によると、神社本庁側は、富岡家の親族間の問題や係争中の裁判などを理由として、長子さんの任命に慎重な姿勢を示していました。
一方、富岡八幡宮側は、責任役員会や氏子関係者の意向を踏まえ、長子さんを正式な宮司に就任させることを求めていました。
2017年9月28日に単立宗教法人へ移行富岡八幡宮の責任役員会は、2017年5月に神社本庁からの離脱を決議しました。
その後、同年9月28日に神社本庁との包括関係が解消され、単立の宗教法人となりました。
単立宗教法人とは、神社本庁などの包括宗教法人に所属せず、独立した法人として運営される宗教法人を指します。
これは宗教活動をやめることでも、神社としての資格を失うことでもありません。
宗教法人としての運営や代表者の選任について、自らの規則に基づいて判断する立場に移ったということです。
この移行によって、長子さんは正式に宮司となりました。
離脱と事件の関係をどう見るべきか事件との関係で重要なのは、神社本庁からの離脱が、長子さんの宮司就任を実現するための組織上の転換だったことです。
茂永氏にとっては、長子さんの正式就任と、自身が求めていた後継者の問題が重なる時期でもありました。
宗教情報リサーチセンターの研究資料は、2017年9月28日の離脱と長子さんの宮司就任を、事件に至る経緯の重要な節目として整理しています。
ただし、神社本庁から離脱したこと自体が殺傷事件を引き起こしたと断定することはできません。
組織の制度上の対立と、茂永氏個人の行動や意思決定は、区別して考える必要があります。
【2018年9月の不起訴処分】東京地検の判断と捜査の結末
事件のその後を調べる読者にとって、特に気になるのが2018年9月の不起訴処分です。
事件では3人が死亡し、残る男性運転手も負傷しました。警視庁は事件の経緯や関係者の死亡状況などを捜査していました。
容疑者死亡のまま書類送検茂永氏と真里子氏は、事件後に死亡しました。
そのため、警視庁は両名について、殺人や殺人未遂などの容疑で、容疑者死亡のまま書類送検する方針を取りました。
また、茂永氏については、妻との関係をめぐる嘱託殺人の容疑も捜査対象となりました。
この事件では、当事者の大半が死亡しているという特殊な状況が、刑事手続きにも大きく影響しました。
2018年9月28日、東京地検が不起訴処分2018年9月28日、東京地検は富岡茂永氏と富岡真里子氏を不起訴処分としました。
宗教情報リサーチセンターの記録によると、両名は死亡した状態で書類送検されており、茂永氏に関する嘱託殺人容疑についても不起訴となっています。
ここで注意したいのは、不起訴という言葉の意味です。
不起訴処分は、検察官が裁判所に公判を求めないという刑事手続き上の判断です。
検察庁の説明でも、被疑者が死亡した場合は、訴訟条件を欠くものとして不起訴となる場合に含まれています。
不起訴は無罪判決と同じなのかこれは事件に関する大きな誤解の一つです。
両者は明確に異なります。
| 項目 | 不起訴処分 | 無罪判決 |
|---|---|---|
| 判断する機関 | 検察官 | 裁判所 |
| 意味 | 公判を請求しない | 裁判で有罪と認められない |
| 裁判の実施 | 原則として行われない | 公判を経て判断される |
| 今回の事件 | 2018年9月28日に処分 | 刑事裁判による無罪判決はない |
今回の事件では、被疑者が死亡していたため、刑事裁判によって責任の有無や動機を詳しく審理する段階には進みませんでした。
したがって、不起訴処分をもって「事件の疑いが晴れた」「裁判で無罪が確定した」と理解するのは正確ではありません。
一方で、裁判が行われなかった以上、事件の動機や個々の行動について司法判断が示されていないことも事実です。
2018年9月の不起訴処分が、刑事事件としての大きな区切りとなりました。
【プロの結論】富岡八幡宮の現在は?事件後の宮司体制と2026年の状況
事件後の富岡八幡宮は、宮司を失った状態から、新たな運営体制へ移行しました。
注目すべきなのは、事件前の富岡家を中心とする継承問題から、神社としての継続的な運営へと軸足が移ったことです。
事件後の宮司体制はどう変わったのか事件発生後、富岡八幡宮では、当時の権宮司だった丸山聡一氏が宮司代務者に就任しました。
その後、2018年に正式な宮司に就任しています。
事件直後の日刊スポーツの報道でも、丸山氏が神社の代表を代務する体制が伝えられていました。
この人事は、神社の祭祀や運営を継続するための重要な対応でした。
2026年現在の宮司は丸山聡一氏2026年現在の富岡八幡宮については、近年の公的資料と地域の祭礼情報から現状を確認できます。
東京都が公表した「東京都宗教法人名簿」では、2024年12月31日時点で、富岡八幡宮は次のように登録されています。
| 確認項目 | 登録内容 |
|---|---|
| 法人名称 | 富岡八幡宮 |
| 所在地 | 東京都江東区富岡1丁目 |
| 包括団体 | 単立・神道系 |
| 代表役員 | 丸山聡一氏 |
| 法人の位置づけ | 単立宗教法人 |
加えて、2026年の深川八幡祭り特設サイトに掲載された宮司インタビューでも、丸山聡一氏が現職の宮司として紹介されています。
したがって、事件後の宮司体制は一時的な代務体制にとどまらず、丸山氏を中心とする運営へ移行したことが確認できます。
富岡八幡宮は事件後も祭礼を継続富岡八幡宮は、事件後も地域の祭礼や神事を続けています。
2026年の深川八幡祭り特設サイトによると、富岡八幡宮は2027年に御鎮座400年を迎える予定です。
2026年の例大祭に向けた宮司インタビューでは、神輿の連合渡御や鳳輦渡御など、伝統行事の継続に向けた取り組みが紹介されています。
特に連合渡御では、54基の神輿が参加する計画が紹介されており、地域の氏子と神社が一体となって祭礼を支える姿が伝わってきます。
事件によって神社の運営体制は大きく変わりましたが、富岡八幡宮が地域にとって持つ宗教的・文化的な役割まで失われたわけではありません。
事件を理解するための3つの判断基準富岡八幡宮殺人事件を調べる際には、次の3点を分けて考えることが大切です。
1. 家族の問題と神社の制度を混同しない
宮司継承をめぐる富岡家の対立と、神社本庁の任命制度は関連していますが、同じ問題ではありません。両者を分けることで、事件に至る組織的背景が見えてきます。
2. 手紙の内容と確定した事件動機を区別する
約2800通の文書は、茂永氏が何を要求していたかを知る重要な資料です。しかし、文書に書かれた主張が、そのまま客観的に確定した事実や事件の全動機になるわけではありません。
3. 不起訴と無罪を混同しない
2018年9月の不起訴処分は、裁判所による無罪判決ではありません。被疑者死亡によって公判に進まなかったという刑事手続き上の経緯を理解する必要があります。
事件の本質を考えるには、個人間の感情的な対立だけでなく、宗教法人の運営、後継者選定、組織の意思決定という複数の視点が必要です。
【富岡八幡宮殺人事件】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:富岡八幡宮殺人事件はいつ発生しましたか?
2017年12月7日午後8時30分ごろ、東京都江東区富岡の富岡八幡宮周辺で発生しました。富岡長子さん、弟の富岡茂永氏、茂永氏の妻・真里子氏の3人が死亡し、男性運転手1人が負傷しました。
Q2:富岡長子さんと富岡茂永氏の関係は?
実の姉弟です。茂永氏は1995年に宮司に就任しましたが、2001年に退任。その後、長子さんが神社運営の中心となり、2017年には正式な宮司に就任しました。宮司職の継承をめぐる長年の確執が事件の背景にありました。
Q3:約2800通の手紙には何が書かれていたのですか?
長子さんの退任や、茂永氏の息子を宮司に就任させることなどを求める内容でした。事件前後に神社関係者や報道機関などに送られたと報じられています。
Q4:富岡八幡宮が神社本庁から離脱したのはなぜですか?
長子さんの宮司就任をめぐり、富岡八幡宮側と神社本庁側の間で調整が続いていました。正式な任命が実現しなかったことから、2017年5月に離脱を決議し、同年9月28日に単立宗教法人となりました。
Q5:2018年の不起訴処分は無罪という意味ですか?
いいえ。東京地検が2018年9月28日に不起訴処分としましたが、被疑者である茂永氏と真里子氏はすでに死亡していました。裁判所による無罪判決が出たわけではありません。
Q6:富岡八幡宮は2026年現在も存在していますか?
はい。2026年現在も神社として運営されています。宮司は丸山聡一氏で、東京都の宗教法人名簿でも代表役員として登録されています。深川八幡祭りなどの祭礼も継続されています。
Q7:富岡八幡宮の現在の宮司は富岡家の人物ですか?
事件後は権宮司だった丸山聡一氏が宮司代務者となり、その後、正式に宮司へ就任しました。2026年の地域の祭礼情報でも、丸山氏が宮司として紹介されています。
富岡八幡宮殺人事件は、2017年12月7日に発生し、宮司の富岡長子さん、弟の富岡茂永氏、茂永氏の妻・真里子氏の3人が死亡した重大事件です。
背景には、2001年の茂永氏の宮司退任以降に続いた姉弟間の確執がありました。
加えて、長子さんの正式な宮司就任をめぐる神社本庁との対立が、2017年9月の単立宗教法人への移行につながりました。
事件後、警視庁による捜査を経て、東京地検は2018年9月28日に茂永氏夫妻を不起訴処分としています。ただし、刑事裁判は行われず、事件の動機や背景について裁判所の判断が示されたわけではありません。
2026年現在、富岡八幡宮は丸山聡一宮司のもとで運営され、伝統的な祭礼を継続しています。2027年には御鎮座400年という節目を迎えます。
この事件を理解する最大の要点は、宮司職をめぐる家族間の確執、神社本庁との制度上の対立、事件後の刑事手続きを、それぞれ区別して捉えることです。
富岡八幡宮の歴史を知るうえでも、事件の悲劇だけでなく、その後の組織運営や地域との関係がどのように再構築されてきたのかを見ていくことが重要です。