歌手・俳優として昭和から平成にかけて活躍した西郷輝彦さんは、2022年2月20日、前立腺がんのため75歳で亡くなりました。橋幸夫さん、舟木一夫さんとともに「御三家」と呼ばれ、「星のフラメンコ」などのヒット曲で一世を風靡した人物です。
西郷さんは2011年に前立腺がんの全摘出手術を受けたものの、2017年に再発。その後、抗がん剤治療や放射線治療を続け、2021年にはステージ4の去勢抵抗性前立腺がんを公表しました。日本では当時未承認だったPSMA標的療法を受けるため、オーストラリア・シドニーへ渡航したことでも大きな注目を集めました。
【死因は前立腺がん】西郷輝彦は2022年2月20日に75歳で死去

西郷輝彦さんの死因は、前立腺がんです。
所属事務所のサンミュージックと西郷エンタープライズ株式会社は、2022年2月21日、西郷さんが前立腺がんとの長い闘病の末、2月20日午前9時41分に東京都内の病院で亡くなったと発表しました。
訃報が伝えられたのは亡くなった翌日のことです。享年75歳でした。
所属事務所の発表では、長年にわたって前立腺がんと闘ってきたことが報告され、葬儀は遺族の意向によって近親者のみで執り行われるとされました。
死亡理由と最期について分かっていること西郷輝彦さんは、長きにわたり前立腺がんとの闘病を続けた末、2022年2月20日に75歳で亡くなりました。
報道各社が伝えた所属事務所の発表によると、死亡の原因として公表された病名は前立腺がんです。
2021年5月にはステージ4の去勢抵抗性前立腺がんを公表し、海外での治療にも挑戦していました。その後も闘病を続けていましたが、2022年2月20日に帰らぬ人となりました。
一方、亡くなる直前の具体的な病状の変化や、直接的な身体上の死因の詳細については、所属事務所の発表で細かく説明されていません。
そのため、海外治療の副作用や特定の合併症が死亡につながったとする説明は正確ではありません。公表されている死因は、あくまで前立腺がんです。
2026年現在も西郷輝彦さんは故人2026年11月現在、西郷さんは2022年2月20日に亡くなった人物であり、芸能活動を再開したという事実はありません。
現在も「西郷輝彦 現在」「西郷輝彦 2026年最新」と検索される背景には、過去の闘病報道や海外治療の経過を改めて知りたいという関心があります。
また、2025年には日本国内でPSMA標的療法の一つが承認されました。西郷さんが海外に渡った当時と現在では、前立腺がん治療を取り巻く環境にも変化が生まれています。
【闘病の経緯を時系列で整理】2011年の手術から2017年の再発、豪州渡航まで
西郷さんの前立腺がんとの闘いは、亡くなる約10年前の2011年に始まりました。
当初は前立腺がんの全摘出手術を受け、その後も治療に取り組んでいました。しかし、2017年に再発が判明。複数の治療を受けながら病状と向き合う日々が続きました。
2021年には国内で受けられる治療に限界を感じ、主治医と相談したうえでオーストラリアでのPSMA標的療法を決断します。
西郷輝彦の闘病・芸能活動の主要年表| 時期 | 出来事・関係者 | 内容と背景 |
|---|---|---|
| 1947年2月5日 | 誕生 | 鹿児島県生まれ。本名は今川盛揮。 |
| 1964年 | 歌手デビュー | 「君だけを」でデビュー。日本レコード大賞新人賞を受賞。 |
| 1966年 | 星のフラメンコ | 代表曲が大ヒット。橋幸夫、舟木一夫とともに御三家として人気を集める。 |
| 1972年 | 辺見マリと結婚 | 一男一女をもうける。長女は辺見えみり。 |
| 1973~1977年 | どてらい男 | 主演ドラマがヒットし、俳優としての知名度を高める。 |
| 1975~1981年 | 江戸を斬る | 遠山金四郎役で主演。時代劇俳優として人気を確立。 |
| 1981年 | 辺見マリと離婚 | 結婚生活に区切りをつける。 |
| 1987年 | 独眼竜政宗 | NHK大河ドラマで片倉小十郎役を演じる。 |
| 2011年 | 前立腺がんの診断 | 前立腺の全摘出手術を受ける。 |
| 2017年11月 | がん再発 | 再発が判明し、ホルモン治療や放射線治療、抗がん剤治療などを続ける。 |
| 2021年4月下旬 | オーストラリア渡航 | シドニーでPSMA標的療法に挑戦。 |
| 2021年5月12日 | 病状を公表 | 自身のYouTubeチャンネルを通じ、ステージ4の去勢抵抗性前立腺がんを公表。 |
| 2021年9月下旬 | 豪州での治療を終える | 約5カ月のシドニー滞在を経験。 |
| 2022年2月20日 | 死去 | 前立腺がんのため75歳で亡くなる。 |
西郷さんは2011年、前立腺がんの疑いから検査を受け、前立腺の全摘出手術を受けました。
その後、本人の振り返りによると、自覚症状がほとんどなかったこともあり、しばらく検査を受けない期間があったといいます。
その間にがんの転移が始まっており、再入院して治療に取り組むことになりました。
前立腺がんは、治療後に自覚症状が落ち着いていても、PSA値などを確認しながら経過観察を続けることが重要な病気です。西郷さんの経験は、治療後の定期検査の重要性を考えるうえでも示唆的です。
2017年:前立腺がんが再発2017年11月、西郷さんは前立腺がんの再発を経験します。
その後はホルモン治療をはじめ、放射線治療や抗がん剤治療など複数の治療を受けました。
報道では、放射線や抗がん剤による治療を合計11回受けたことも紹介されています。
しかし、治療によって一時的に改善しても、再び病状が悪化することがあり、安定した状態を維持するのは難しかったようです。
2021年:ステージ4を公表し、オーストラリアへ2021年5月12日、西郷さんは自身のYouTubeチャンネルを通じて、ステージ4の去勢抵抗性前立腺がんであることを公表しました。
当時74歳だった西郷さんは、国内での治療を続けながらも、新たな治療法を求めて海外に目を向けました。
主治医と相談した結果、当時の日本では未承認だったPSMA標的療法を受けるため、2021年4月下旬にオーストラリアのシドニーへ渡航しました。
この決断の背景には、病気だけに人生を左右されるのではなく、もう少し俳優・歌手として仕事を続けたいという強い希望がありました。
【ステージ4・去勢抵抗性前立腺がんとは】西郷輝彦の病状を解説
西郷さんの闘病報道で特に注目された言葉が「ステージ4」と「去勢抵抗性前立腺がん」です。
この2つは同じ意味ではありません。それぞれ異なる観点から病気の状態を示す医学用語です。
ステージ4はがんの進行度を示す分類ステージは、がんの大きさや周囲への広がり、リンパ節や遠隔臓器への転移などをもとに分類されます。
前立腺がんのステージ4は、周囲の組織への広がりやリンパ節・遠隔臓器への転移などを伴う進行した状態を指します。
西郷さんは2021年、自身の病状についてステージ4であることを公表しました。
ただし、ステージ4という診断だけで、余命や具体的な死亡時期が決まるわけではありません。がんの広がり、治療への反応、全身状態などによって経過は異なります。
去勢抵抗性前立腺がんはホルモン療法が効きにくくなった状態前立腺がんは、男性ホルモンであるアンドロゲンの影響を受けて増殖する性質があります。
そのため、ホルモン療法によって男性ホルモンの分泌や働きを抑え、がんの進行を抑制する治療が行われます。
しかし、治療を続けるうちに、男性ホルモンが十分に抑えられているにもかかわらず、がんが再び進行する場合があります。
これが去勢抵抗性前立腺がんです。
国立がん研究センターのがん情報サービスでも、ホルモン療法の効果が弱まり、男性ホルモンが抑制された状態でも病状が進行するがんとして説明されています。
PSA値の上昇が治療方針を考える手掛かりにPSAとは前立腺特異抗原の略称で、前立腺で作られるタンパク質の一種です。血液検査によって数値を調べることができ、前立腺がんの診断や治療後の経過観察に利用されます。
西郷さんの場合も、PSA値の上昇が海外での治療を検討するきっかけの一つになりました。
ただし、PSA値が上がったからといって、それだけでがんの進行度や転移の有無が確定するわけではありません。画像検査や診察などを組み合わせた判断が必要です。
西郷さんの病状が難しかった背景には、初回手術後の再発に加え、ホルモン療法や抗がん剤治療などを続けても病気を十分に抑えられなくなったことがありました。
【オーストラリアでのPSMA治療】西郷輝彦が海外に希望を託した理由
西郷さんの闘病を語るうえで欠かせないのが、2021年のオーストラリア渡航です。
日本国内での治療を続けてきた西郷さんが、なぜ海外での治療を選択したのでしょうか。
PSMA標的療法とはどのような治療なのかPSMAとは、前立腺特異的膜抗原のことです。前立腺がんの細胞に多く発現するタンパク質で、これを標的にすることでがん細胞を狙う治療につなげられます。
PSMA標的放射性リガンド療法では、PSMAに結合する物質に放射性同位元素を組み合わせ、がん細胞に放射線を届ける仕組みが用いられます。
従来の抗がん剤治療とは異なる仕組みを利用するため、治療の選択肢が限られていた進行性前立腺がんの患者にとって、新たな可能性を持つ治療として期待されてきました。
西郷輝彦が海外治療を決断した理由日豪プレスが掲載した西郷さん本人へのインタビューでは、2011年の手術後に転移が始まり、その後、抗がん剤や放射線治療などに取り組んできた経緯が語られています。
本人は、治療によって一時的に改善しても再び悪化する状況が続き、抗がん剤による回復にも限界を感じていたと説明しました。
そこで主治医に相談したところ、日本では未承認でもオーストラリアで受けられる治療法があると知ったのです。
ただし、渡航をすぐに決めたわけではありません。本人の話では、約1年間考えた末に決断したといいます。
そのときの思いを象徴するのが、次の言葉です。
「もうちょっと好きな仕事を続けたい」
病気を抱えながらも、俳優や歌手としての活動を続けたいという希望が、海外治療を選ぶ大きな動機になっていました。
治療後には本人が改善を報告していた2021年のシドニー滞在中、西郷さんはPSMA標的療法を受けた経過をインタビューで紹介しています。
本人によると、点滴による治療を受けた後、2回目の治療を終えた段階で、検査画像上のがんが消えたことを確認したと感じたそうです。
また、それまで背中や腰、肋骨付近にあった痛みが軽減し、歩ける距離も伸びたと語っています。
シドニーのボンダイビーチ周辺を散歩できるようになったことも、本人にとって大きな喜びだったようです。
2021年4月下旬から9月下旬まで約5カ月間滞在したオーストラリアでの経験は、単なる治療のための渡航にとどまりませんでした。
ただし、本人が一時的な改善を実感したことと、がんが完全に治癒したことは同じではありません。その後、2022年2月に亡くなったという経過からも、治療の反応だけで長期的な予後を判断できないことが分かります。
【2026年最新】日本でもPSMA標的療法が承認されている
西郷さんがオーストラリアへ渡った2021年当時、本人が受けたPSMA標的療法は日本では未承認の治療として紹介されていました。
しかし、2026年現在、日本国内の医療環境は変化しています。
2025年9月19日に国内初のPSMA標的放射性リガンド療法が承認2025年9月19日、ルテチウムビピボチドテトラキセタン(177Lu-PSMA-617)が、日本国内で「PSMA陽性の遠隔転移を有する去勢抵抗性前立腺がん」に対する治療薬として承認されました。
製品名は「プルヴィクト静注」です。
これは、PSMA陽性のがん細胞を標的とし、放射性同位元素ルテチウム177から放出される放射線によって、がん細胞の増殖を抑える治療です。
日本泌尿器科学会、日本核医学会、日本医学放射線学会、日本放射線腫瘍学会も、2025年10月に承認に関する案内を公表しています。
2026年現在も誰でも受けられる治療ではない国内承認によって治療の選択肢は広がりましたが、すべての前立腺がん患者が対象になるわけではありません。
主な条件や注意点は次のとおりです。
- PSMA陽性の遠隔転移を有する去勢抵抗性前立腺がんが対象となる。
- PSMA-PET検査によって対象となる病変を確認する必要がある。
- 検査や治療を実施できる医療機関が限られている。
- 放射線管理に対応した設備や入院体制が必要となる。
- 患者の病状や身体状態によって適応が判断される。
2026年には、日本医科大学付属病院などでPSMAセラノスティクス診療が進められています。日本医科大学付属病院は2026年2月から放射性リガンド療法を開始し、同年4月からPSMA-PET検査を開始する予定・実施体制について案内しています。
西郷輝彦の治療と現在の国内治療は同じなのかここで注意したいのは、西郷さんが2021年にオーストラリアで受けた治療と、2025年に国内承認された薬剤を、完全に同一の治療として扱わないことです。
どちらもPSMAを標的とする治療領域に属しますが、使用する薬剤、診断方法、適応条件、治療を受ける時期などには違いがあります。
また、西郷さんは2022年に亡くなっているため、2025年の国内承認による治療を受けたわけではありません。
西郷さんが海外へ渡った時代には限られていた選択肢が、その後の医学研究や医薬品開発によって国内でも利用できるようになったという点は、闘病の歴史を振り返るうえで重要な変化です。
【歌手・俳優としての功績】星のフラメンコと昭和の御三家
西郷輝彦さんは、前立腺がんとの闘病によって広く知られるようになった人物ではありません。
1960年代から歌手として大きな人気を獲得し、その後はテレビドラマや映画、舞台でも活躍した、日本の芸能史に名を残す存在です。
1964年「君だけを」で歌手デビュー1947年2月5日、鹿児島県谷山市(現在の鹿児島市)に生まれた西郷さんは、1964年2月にクラウンレコードから「君だけを」でデビューしました。
新人専属歌手第1号として売り出され、続いて「チャペルに続く白い道」「星空のあいつ」などもヒット。
4作目の「十七才のこの胸に」では、日本レコード大賞新人賞を受賞しました。
星のフラメンコが代表曲に1966年に発売された「星のフラメンコ」は、西郷輝彦さんの代表曲として広く知られています。
当時の歌謡界では、従来の歌謡曲とは異なるリズムやビートを取り入れた楽曲が注目されていました。西郷さんもその流れを象徴する歌手の一人であり、若い世代から強い支持を受けました。
橋幸夫さん、舟木一夫さんとともに昭和歌謡の「御三家」と呼ばれたのも、この時代です。
3人はそれぞれ異なる個性を持ちながら、1960年代の青春歌謡を代表する存在として人気を競い合いました。
俳優としても「どてらい男」「江戸を斬る」で成功西郷さんの魅力は歌手活動だけにとどまりません。
1973年に始まった関西テレビ系ドラマ「どてらい男」では主演を務め、1977年まで181回にわたって放送される人気シリーズとなりました。
さらに1975年からはTBS系時代劇「江戸を斬る」で遠山金四郎役を演じ、時代劇俳優としての地位を確立しました。
NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」では、1987年に渡辺謙さんが演じた伊達政宗を支える片倉小十郎役を担当。重厚な演技でも存在感を発揮しました。
音楽活動で培った表現力を俳優業にも生かし、歌手から時代劇スターへと活動の幅を広げたことが、西郷さんの大きな特徴です。
【辺見えみりとの関係】元妻・辺見マリとの結婚と家族の事実
西郷輝彦さんについて検索される関連キーワードの一つが、タレントの辺見えみりさんとの関係です。
辺見えみりさんは、西郷さんと歌手・女優の辺見マリさんとの間に生まれた長女です。
1972年に辺見マリと結婚、1981年に離婚西郷さんは1972年2月、辺見マリさんと結婚しました。
2人の間には長男と長女が生まれ、長女が現在もタレントとして活動する辺見えみりさんです。
その後、1981年6月に離婚しました。
離婚後も両者はそれぞれ芸能活動を続け、2022年の西郷さんの訃報に際しては、元妻の辺見マリさんが追悼コメントを発表しています。
1990年に再婚し、家庭を築く西郷さんは1990年9月に再婚し、その後3人の娘に恵まれました。
再婚後の家庭生活については、芸能活動とは分けてプライベートを大切にしていた部分もあります。
2021年のオーストラリアでの治療には妻も同行しており、本人もインタビューで、海外治療を決断する際に妻の理解が大きな支えになったと語っています。
西郷輝彦と辺見えみりの関係を整理- 西郷輝彦:歌手・俳優。本名は今川盛揮。
- 辺見マリ:1972年に西郷さんと結婚し、1981年に離婚した元妻。
- 辺見えみり:西郷さんと辺見マリさんの長女。タレントとして活動。
- 今川宇宙:西郷さんの三女。女優・アーティストとして活動。
このように、辺見えみりさんと西郷さんの関係は、親子関係です。元妻である辺見マリさんとの結婚歴と混同しないことが大切です。
2024年9月には、辺見マリさんがテレビ朝日系「徹子の部屋」に出演し、亡くなった元夫について語りました。西郷さんの俳優としての可能性を惜しみ、もっと活躍できる人だったという思いを明かしています。
【西郷輝彦の死因と現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:西郷輝彦さんの死因は何ですか?
A1:前立腺がんです。所属事務所の発表によると、2022年2月20日午前9時41分、東京都内の病院で亡くなりました。
Q2:西郷輝彦さんはいつ亡くなりましたか?
A2:2022年2月20日です。75歳でした。訃報は翌日の2月21日に所属事務所から発表されました。
Q3:西郷輝彦さんはステージ4の前立腺がんだったのですか?
A3:はい。2021年5月12日、自身のYouTubeチャンネルを通じて、ステージ4の去勢抵抗性前立腺がんであることを公表しました。
Q4:西郷輝彦さんはオーストラリアでどんな治療を受けましたか?
A4:シドニーでPSMA標的療法を受けました。当時、日本では未承認だった治療法です。本人は治療後に画像上の改善や痛みの軽減を実感したと語っていました。
Q5:2026年現在、日本でもPSMA治療を受けられますか?
A5:はい。2025年9月19日に、PSMA陽性の遠隔転移を有する去勢抵抗性前立腺がんを対象とする177Lu-PSMA-617が国内承認されました。ただし、適応条件や実施施設には制限があります。
Q6:西郷輝彦さんと辺見えみりさんはどのような関係ですか?
A6:親子です。辺見えみりさんは、西郷輝彦さんと元妻の辺見マリさんとの間に生まれた長女です。
Q7:西郷輝彦さんの代表曲は何ですか?
A7:代表曲として「星のフラメンコ」が知られています。ほかにも「君だけを」「十七才のこの胸に」「涙をありがとう」などのヒット曲があります。
西郷輝彦さんは2022年2月20日、75歳で前立腺がんのため亡くなりました。
2011年の全摘出手術、2017年の再発、そして2021年に公表したステージ4の去勢抵抗性前立腺がん。長期にわたる治療の中で、抗がん剤や放射線治療だけでなく、オーストラリアでのPSMA標的療法にも挑戦しました。
その海外渡航の背景には、少しでも長く好きな仕事を続けたいという本人の願いがありました。治療中も自身のYouTubeチャンネルを通じて経験を発信し、同じ病気と向き合う人たちに情報を届けようとしていたことも忘れてはなりません。
また、2025年には日本でもPSMA標的放射性リガンド療法が承認され、2026年には実際の診療体制も整備されつつあります。西郷さんが治療を受けた時代と比べ、前立腺がんの治療選択肢は広がっています。
一方で、治療法にはそれぞれ適応条件があり、特定の治療がすべての患者に効果をもたらすわけではありません。前立腺がんの診断や再発、治療選択については、PSA値だけで判断せず、専門医による検査と相談が欠かせません。
「星のフラメンコ」で歌謡界を彩り、「どてらい男」「江戸を斬る」で俳優としても確かな足跡を残した西郷輝彦さん。その歌声と演技、そして最後まで仕事への情熱を失わなかった生き方は、2026年の今も多くの人の記憶に残っています。
主な確認資料:所属事務所の訃報を伝えた報道、日本クラウン公式プロフィール、日豪プレスの本人インタビュー、国立がん研究センター、日本泌尿器科学会などの公表資料。