「ドーバー海峡横断部」は、日本テレビ系バラエティー番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から生まれた、芸能人による本格的な遠泳挑戦企画です。内村光良を部長に、堀部圭亮、ウド鈴木、濱口優、神尾米、藤井貴彦の6人が参加し、イギリスとフランスを隔てるドーバー海峡をリレー形式で泳いで横断しました。
挑戦が成功したのは1999年8月31日。6人が交代で泳ぎ続け、記録したタイムは16時間37分でした。単なるバラエティー番組の企画を超え、約2年間にわたる練習や仲間との葛藤、最後のゴールまでを追いかけた物語は、平成のテレビ史に残る名企画として語り継がれています。
さらに2026年10月には、メンバーが集まる28周年の会が開催されたことも報じられました。かつて海を渡った6人は現在どうしているのか。企画が始まった理由、部員のプロフィール、横断成功までの経緯、そして25周年会から最新の同窓会まで、当時の放送記録や報道をもとに整理します。
【企画の経緯】ドーバー海峡横断部はなぜ誕生した?内村光良の一言が始まり

ドーバー海峡横断部の誕生を理解するには、まず『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』という番組の特徴を知る必要があります。
『ウリナリ!!』が生み出した本気の挑戦企画『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』は、日本テレビ系で1996年から2002年まで放送されたバラエティー番組です。
ウッチャンナンチャンを中心に、芸人、タレント、俳優、アナウンサーなどが参加し、さまざまな挑戦を繰り広げました。
番組を代表する企画には、次のようなものがあります。
- 芸能人社交ダンス部
- ドーバー海峡横断部
- ポケットビスケッツ
- ブラックビスケッツ
特に社交ダンス部やドーバー海峡横断部は、出演者が長期間にわたって練習を重ね、実際の大会や国際的な挑戦に臨むという構成が特徴でした。
出演者の成長や失敗も放送内容に組み込まれ、結果だけではなく、そこに至るまでの過程を楽しめる番組作りが行われていたのです。
発案のきっかけは内村光良の「海で泳ぎたい」企画誕生の経緯については、当時の番組制作に携わったプロデューサー・土屋敏男氏が2024年のTOKYO FM関連インタビューで振り返っています。
土屋氏によると、内村光良に「何をやりたい?」と尋ねたところ、内村から「泳ぐのも好きだし海で泳ぎたい」という趣旨の返答があったといいます。
そこで土屋氏が考えたのが、ドーバー海峡横断でした。
海で泳ぎたいという希望を、誰もが簡単には実現できない国際的な挑戦に発展させたわけです。
この発想には、土屋氏が語る番組制作の考え方が表れています。
普通なら難しいと判断してしまうことに挑戦する。成功するかどうかだけでなく、挑戦する人間が何を経験するのかを番組にするという考え方です。
約2年にわたって続いた長期プロジェクトドーバー海峡横断部は、1997年7月25日に企画として初登場しました。
当初から完成された遠泳チームだったわけではありません。
2017年のエキサイトニュースによる振り返りでは、創部当初の練習で内村が25メートルを泳ぐのもやっとで、ウド鈴木に至っては泳ぐこと自体が難しい状態だったと紹介されています。
そこから専門的な指導を受け、プールでの練習や国内の遠泳大会への参加などを重ねていきました。
メンバー構成にも変化があり、最終的に6人のスイマーが決まります。
つまり、この企画の面白さは、最初から泳げる人を集めて海峡を渡らせることではありませんでした。
泳ぎに不慣れな芸能人たちが、長い時間をかけて一つの目標に向かって成長していくことそのものが、番組の中心だったのです。
【メンバー一覧】内村光良ら6人の部員と千秋の役割を紹介
ドーバー海峡横断部のメンバーとして知られているのは、内村光良、堀部圭亮、ウド鈴木、濱口優、神尾米、藤井貴彦の6人です。
放送ライブラリーに登録されている1999年10月1日の特別番組の出演者・番組概要にも、この6人がドーバー海峡横断部員として記録されています。
また、千秋はマネージャーとしてチームを支えた存在です。6人の横断スイマーとは役割が異なります。
ドーバー海峡横断部のメンバー・関係者一覧内村光良は、ドーバー海峡横断部の部長です。
単に有名芸人として企画の中心にいたのではなく、自分自身も泳ぎ、メンバーと一緒に挑戦する立場でした。
土屋敏男氏のインタビューからも、内村の希望が企画の出発点だったことが分かります。
番組を見ていた人にとって、内村は笑いを生み出す芸人であると同時に、部員を引っ張っていくリーダーでもありました。
副部長・堀部圭亮の存在堀部圭亮は副部長を務めました。
俳優・タレントとして活動する堀部は、内村とともに部を支える存在です。
2024年の25周年会について報じた日刊スポーツの記事では、千秋が堀部について、当時と変わらず管理職のような振る舞いを見せていると紹介しています。
長い年月が経過しても、部長と副部長という関係性がメンバー間で共有されていることが伝わるエピソードです。
スポーツ経験者・神尾米とアナウンサー藤井貴彦神尾米は元女子プロテニス選手です。
6人の中でもスポーツ経験を持つ人物として参加しました。ただし、競技経験があることと、冷たい海で長時間泳ぐことは別の能力が大切です。
藤井貴彦は当時、日本テレビのアナウンサーでした。
現在はフリーアナウンサーとして知られていますが、ドーバー海峡横断部ではテレビ局のアナウンサーという立場を超えて、他の部員とともに挑戦する一人でした。
このように、異なる職業や経歴を持つ6人が同じ目標を共有したことも、企画の魅力につながっています。
【1999年8月31日】16時間37分でドーバー海峡横断に成功した全貌
ドーバー海峡横断部の最大の見せ場は、1999年8月31日の挑戦です。
6人がリレー形式で泳ぎ続け、イギリスからフランスへの横断を達成しました。
その所要時間が16時間37分です。
6人が交代で泳ぐリレー遠泳という方式今回の挑戦は、1人で最初から最後まで泳ぐ単独横断ではありません。
6人が交代しながら泳ぐリレー遠泳です。
この違いは、記録を理解するうえで非常に重要です。
単独横断では、一人のスイマーが長時間にわたって泳ぎ続ける体力と持久力が問われます。
一方、リレー方式では、複数の泳者が決められた順序で交代しながら海峡を進みます。
自分が泳いでいない時間も、船上で仲間の状況を見守り、次の出番に備えなければなりません。
そのため、個人の泳力だけではなく、チーム全体の持久力や連携が大切です。
挑戦を難しくした海の環境ドーバー海峡は、イギリスとフランスを隔てる海域です。
最狭部でも約33キロメートルの距離があり、一般的なプールでの水泳とは条件が大きく異なります。
特に問題となるのが、海流、水温、波、船酔いなどです。
2017年のエキサイトニュースの回顧記事では、潮流の強さや低い水温、船酔いへの対策が紹介されています。
また、練習では泳力だけでなく、冷水や船酔いに耐えるための準備も行われたと報じられています。
海峡横断は、単純に泳ぐ距離だけで難易度を判断できる挑戦ではありません。
予定どおりに進まない海の状況に対応しながら、チーム全員が最後まで泳ぎ続ける必要がありました。
16時間37分の意味は「6人でつないだ成功」1999年8月31日、ドーバー海峡横断部は16時間37分をかけて横断に成功しました。
この数字は、6人のリレー遠泳全体にかかった時間です。
一人が16時間37分泳ぎ続けたという意味ではありません。
また、単独泳の世界最速記録を意味するものでもありません。
番組の企画として注目すべきなのは、6人が交代で泳ぎながら、最終的に全員でゴールまでたどり着いたことです。
エキサイトニュースの回顧記事では、ゴール後にメンバーが涙を流しながら抱き合って成功を喜んだ様子も紹介されています。
テレビの企画として始まった挑戦が、実際の海峡横断という結果に結びついた瞬間でした。
【放送記録・時系列】1997年の企画開始から1999年の成功まで
ドーバー海峡横断部の歩みを整理すると、企画の長期性がよく分かります。
放送記録と当時の企画を振り返る報道から、主な出来事をまとめました。
| 時期 | 出来事 | 内容 |
|---|---|---|
| 1996年 | 『ウリナリ!!』放送開始 | 日本テレビ系のバラエティー番組として放送 |
| 1997年7月25日 | ドーバー海峡横断部が初登場 | 海峡横断を目指す長期企画が始まる |
| 1997〜1999年 | 練習・メンバーの挑戦 | 泳力の向上や国内の遠泳大会などを経験 |
| 1999年8月31日 | 海峡横断に成功 | 6人によるリレー遠泳で16時間37分を記録 |
| 1999年10月1日 | 成功を伝える特番を放送 | 『ドーバー海峡完全横断!!奇跡の16時間37分SPECIAL』 |
| 2024年12月 | 25周年会 | 千秋がメンバー全員集合の様子を公開 |
| 2025年9月 | 26周年の会 | 堀部圭亮や千秋が同窓会を報告 |
| 2026年10月 | 28周年の会 | メンバーが再集結。堀部圭亮の還暦祝いも実施 |
1997年の初登場と全43回の放送についてはENCOUNTの報道、1999年の特番については放送ライブラリーの番組記録、近年の周年会については日刊スポーツやオリコンの報道をもとに整理しています。
1999年10月1日に放送された特別番組横断成功後には、成功までの道のりを振り返る特別番組が放送されました。
番組名は、
『ウッチャンナンチャンのウリナリ!! ドーバー海峡完全横断!!奇跡の16時間37分SPECIAL』
です。
放送ライブラリーの公式記録によると、放送日時は1999年10月1日、19時から20時54分まで。
放送時間は97分と記録されています。
番組概要には、33キロのドーバー海峡横断に挑戦する企画であり、内村光良、堀部圭亮、ウド鈴木、濱口優、神尾米、藤井貴彦アナウンサーの6人に密着した内容と記載されています。
日本出発から感動のゴールまでを伝える特番として保存されている点は、歴史的な放送資料としても重要です。
企画の放送回数は全43回ENCOUNTの2025年9月の報道では、ドーバー海峡横断部は1997年7月25日に初登場し、約2年間にわたって全43回放送されたと紹介されています。
1回の特番で終わる企画ではなく、長期間にわたって視聴者が成長や練習の過程を追いかけられる構成だったのです。
そのため、成功した瞬間だけを切り取っても、この企画の本当の魅力は伝わりません。
約2年間の積み重ねがあったからこそ、16時間37分のゴールが視聴者にとっても大きな意味を持ったのでしょう。
【ドーバー海峡横断部の現在】25周年会・26周年会・2026年28周年の会
ドーバー海峡横断部について、近年特に注目されているのが、元メンバーによる継続的な交流です。
企画そのものは終了していますが、当時の仲間との関係は現在も続いています。
2024年12月:25周年会でメンバー全員が集合2024年12月30日、千秋が自身のInstagramでドーバー海峡横断部の25周年会の様子を公開しました。
日刊スポーツは翌31日、この集まりを報道しています。
公開された写真には、次の6人が写っていました。
- 内村光良
- 堀部圭亮
- ウド鈴木
- 濱口優
- 神尾米
- 藤井貴彦
もちろん、マネージャーとして参加した千秋も一緒です。
この会では、当時の映像を見ながら思い出話を楽しんだといいます。
加えて、篠宮ディレクターが当時の日記、海図、Tシャツなどを持参したことも紹介されました。
千秋は、当時のメンバーが無謀ともいえる挑戦をやり遂げたことに、改めて感動したという趣旨の感想を伝えています。
また、メンバーの関係性についても「一生ものの仲間」という思いを表現しました。
2025年9月:26周年の会も開催2025年9月には、堀部圭亮が自身のXで26周年の会について報告しました。
オリコンニュースによると、前年の25周年の節目に続き、2025年も集まりが開催されています。
参加者は近況を報告しながら、当時のオンエア映像を見返したそうです。
映像を見て「こんな事あったっけ?」と思い出す場面もあり、現在の視点から当時の出来事を再発見する機会になったと紹介されました。
また、写真の並びやポーズを当時の放送素材と同じにするという演出も行われています。
単なる懐かしい飲み会ではなく、当時の映像や記録を共有する、メンバーにとって大切な恒例行事になっていることが分かります。
2026年10月:28周年の会でメンバーが再集結2026年10月には、ドーバー海峡横断部の28周年の会が開催されました。
10月3日付のライブドアニュースがオリコンニュースの報道を掲載し、堀部圭亮が自身のXで集合写真を公開したことを伝えています。
今回の集まりでは、堀部の還暦祝いも行われました。
堀部は、メンバーがグループLINEで集合時間を調整し、本人が到着するとクラッカーで迎えたことを報告しています。加えて、ケーキとプレゼントも用意されていたそうです。
堀部は、予想していなかったサプライズに喜び、忘れられない日になったという思いを投稿しました。
また、今後も順番に還暦を迎えるメンバーがいることから、これからも一緒にお祝いしていきたいという展望も明かしています。
1999年の横断成功から年月が経過しても、メンバーの交流が続いていることを示す最新の動きです。
現在のメンバーは何をしている?現在の6人は、それぞれ異なる分野で活動しています。
| メンバー | 現在の主な活動・立場 |
|---|---|
| 内村光良 | お笑いタレント、司会者、番組出演など |
| 堀部圭亮 | 俳優、タレント |
| ウド鈴木 | キャイ〜ンとしてのお笑い・テレビ出演 |
| 濱口優 | よゐことしてのお笑い・タレント活動 |
| 神尾米 | 元女子プロテニス選手 |
| 藤井貴彦 | フリーアナウンサー |
なお、神尾米については元女子プロテニス選手という経歴、藤井貴彦については現在フリーアナウンサーとして活動していることが知られています。
2026年の周年会で確認できるのは、メンバーが現在も個々の活動を続けながら、昔の仲間として交流しているという姿です。
かつてのような遠泳企画が再始動したという発表ではありません。周年会と横断への再挑戦は、区別して理解する必要があります。
【プロの結論】ドーバー海峡横断部が現在も語り継がれる3つの理由
ドーバー海峡横断部が長年にわたって記憶されている理由は、単に芸能人が海を泳いで渡ったからではありません。
番組の構成、出演者の成長、そして挑戦後も続く人間関係という3つの要素が重なっています。
1. 成功までの過程を長期間にわたって放送した現在のテレビ番組や動画コンテンツでは、結果を短時間で伝える形式も一般的です。
しかし、ドーバー海峡横断部は、練習から本番までの長い過程を放送しました。
最初から泳げたわけではないメンバーが、専門的な指導を受け、国内の遠泳にも参加し、徐々に実力を身につけていく。
この成長を視聴者が継続して見られたことが、大きな魅力でした。
ゴールの瞬間に感動が生まれたのは、それ以前の失敗や努力を視聴者も知っていたからです。
2. 芸能人の仕事を超えた本気のチーム活動だったドーバー海峡横断部には、芸人、俳優、元プロスポーツ選手、アナウンサーという異なる経歴の人物が参加していました。
普段のテレビでは、それぞれのキャラクターや専門分野で活躍する人たちです。
しかし、この企画では全員が一人の泳者として同じ目標に向かいました。
芸能界での知名度や普段の立場は、海峡を渡るための直接的な武器にはなりません。
求められるのは、練習を続けること、仲間を信頼すること、そして自分の順番が来たときに泳ぐことです。
この構造が、通常のバラエティー企画とは異なる緊張感を生み出しました。
3. 挑戦が終わっても仲間としての関係が続いている2024年の25周年会、2025年の26周年の会、そして2026年の28周年の会。
これらの集まりから分かるのは、横断成功が一度きりのテレビ出演で終わっていないということです。
千秋の投稿や堀部圭亮の発信には、当時の映像を見返し、思い出を語り、近況を報告する様子が記録されています。
視聴者にとっても、かつてテレビで応援したメンバーが今も交流している姿は、企画の続きを見ているような感覚につながります。
ドーバー海峡横断部の価値は、16時間37分という数字だけでは測れません。
挑戦によって生まれた仲間との関係が、27年以上経過した現在まで続いていることも、この企画が語り継がれる大きな理由です。
よくある誤解と正しい情報検索する際に混同しやすいポイントも整理しておきます。
| よくある疑問・誤解 | 正しい情報 |
|---|---|
| 16時間37分は内村一人の記録? | 6人によるリレー遠泳全体の所要時間 |
| 6人の中に千秋も含まれる? | 千秋はマネージャー。横断した6人のスイマーとは別 |
| 1999年10月1日が横断成功の日? | 横断成功は8月31日。10月1日は特別番組の放送日 |
| 2026年に再挑戦した? | 2026年に報じられたのは28周年の会 |
| 現在もテレビ番組として活動している? | 番組企画は終了しており、近年はメンバーの交流が続いている |
特に注意したいのが、16時間37分の意味です。
これは6人のチームによるリレー遠泳のタイムであり、単独泳の記録ではありません。
また、1999年8月31日の挑戦日と、1999年10月1日の放送日を混同しないことも大切です。
当時の番組内容を正確に知りたい場合は、放送ライブラリーの番組記録を確認するのが有効です。1999年の特別番組について、放送日時、出演者、番組概要が登録されています。
【よくある質問】ドーバー海峡横断部に関するFAQ
Q1:ドーバー海峡横断部のメンバー6人は誰ですか?
A1:内村光良、堀部圭亮、ウド鈴木、濱口優、神尾米、藤井貴彦の6人です。千秋はマネージャーとして参加していました。
Q2:ドーバー海峡横断に成功した日はいつですか?
A2:1999年8月31日です。6人がリレー形式でイギリスからフランスまで泳ぎ、16時間37分で横断を成功させました。
Q3:ドーバー海峡横断部の企画は何がきっかけで始まりましたか?
A3:プロデューサーの土屋敏男氏が内村光良にやりたいことを尋ねた際、内村が海で泳ぎたいという希望を伝えたことが発端です。その希望をドーバー海峡横断という大きな挑戦に発展させました。
Q4:千秋はドーバー海峡横断部のメンバーですか?
A4:千秋はマネージャーとして参加していました。実際に海峡を泳いで渡った6人とは役割が異なります。現在も周年会の様子などを発信しています。
Q5:ドーバー海峡横断部は現在も活動していますか?
A5:当時のテレビ企画は終了しています。ただし、メンバー同士の交流は続いており、2026年10月には28周年の会が開催されたと報じられました。
Q6:ドーバー海峡横断部の映像はどこで確認できますか?
A6:放送ライブラリーに1999年10月1日放送の『ドーバー海峡完全横断!!奇跡の16時間37分SPECIAL』の番組情報が登録されています。放送ライブラリーでは番組ID「010146」で検索できます。視聴できるかどうかは施設の利用案内を確認してください。
ドーバー海峡横断部は、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から誕生した、芸能人による本格的なリレー遠泳企画です。
内村光良、堀部圭亮、ウド鈴木、濱口優、神尾米、藤井貴彦の6人は、長期間の練習と準備を重ね、1999年8月31日に16時間37分でドーバー海峡の横断に成功しました。
その背景には、内村の希望を壮大な挑戦に発展させた土屋敏男氏の企画力と、出演者たちの努力がありました。
そして、2024年の25周年会、2025年の26周年の会を経て、2026年10月には28周年の会も開催されています。
テレビ番組としての企画は終了していても、当時の仲間との交流は続いています。
ドーバー海峡横断部が今も語り継がれる理由は、単なる遠泳の成功ではありません。
泳ぎが得意とは限らなかった6人が、同じ目標に向かって努力し、16時間37分をつないでゴールしたこと。そして、その挑戦が終わった後も、一生ものの仲間として関係を育てていること。
この2つが重なっているからこそ、ドーバー海峡横断部は平成のテレビバラエティーを代表する挑戦企画として、2026年になっても人々の記憶に残り続けているのです。