2026年現在、料理愛好家・タレントとして活躍する平野レミさんの夫は、イラストレーター・グラフィックデザイナーとして知られた故・和田誠さんです。2人は1972年に結婚し、約47年間にわたって夫婦生活を送りました。和田さんは2019年10月7日に肺炎のため83歳で亡くなっています。
2人の出会いは、平野さんが出演していたラジオ番組がきっかけでした。初対面からわずか10日ほどで結婚したというエピソードは、2026年に公開された平野さんの自伝やインタビューでも改めて紹介されています。2人の間には長男・和田唱さんと次男・和田率さんがおり、それぞれ音楽と食の分野で活躍しています。
- 旦那は和田誠さん: 日本を代表するイラストレーター、グラフィックデザイナー、映画監督として活躍した人物。
- 1972年に結婚: 久米宏さんが関係するラジオ番組をきっかけに出会い、約10日で結婚した。
- 2019年に死去: 10月7日に肺炎のため83歳で亡くなった。
- 息子は2人: 長男はミュージシャンの和田唱さん、次男は実業家の和田率さん。
- 2026年現在: 平野レミさんは料理愛好家として活動を続け、夫との思い出もインタビューで語っている。
【平野レミの旦那は和田誠さん!現在の関係とプロフィール】

平野レミさんの夫は、2019年に亡くなった和田誠さんです。
和田さんは単なる著名人の配偶者ではありません。日本の広告デザイン、出版、イラストレーション、映画など、幅広い分野に足跡を残したクリエイターです。
和田誠さんのプロフィール| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 和田誠(わだ・まこと) |
| 生年 | 1936年 |
| 没年 | 2019年 |
| 職業 | イラストレーター、グラフィックデザイナー、映画監督、エッセイスト |
| 出身 | 大阪府 |
| 妻 | 平野レミ |
| 結婚年 | 1972年 |
| 代表的な仕事 | 『週刊文春』の表紙、広告デザイン、映画監督 |
| 死去 | 2019年10月7日、肺炎のため |
和田さんの公式サイトによると、1959年に多摩美術大学を卒業し、広告制作会社ライトパブリシティに入社。その後、1968年に独立してフリーランスとして活動を始めました。
特に知られている仕事が、たばこ「ハイライト」のパッケージデザインや、長年にわたる『週刊文春』の表紙イラストです。
1977年から40年間にわたり、同誌の表紙を約2000号分担当しました。
また、イラストレーションだけでなく映画制作にも取り組み、1984年には映画『麻雀放浪記』で初監督を務めています。
つまり、和田さんの職業をイラストレーターだけで説明するのは十分ではありません。視覚表現を中心に、出版、広告、映画、文章などを横断して活躍したマルチクリエイターでした。
2026年現在、平野レミさんの夫は?2026年11月現在、和田誠さんはすでに亡くなっています。
平野さんは夫との死別後も、料理愛好家としてテレビや雑誌などで活動を継続しています。
2026年3月にはNHK Eテレの「最後の講義」に出演し、和田さんとの出会いや結婚までの経緯を語りました。
加えて、2026年7月15日公開のNTTファシリティーズのインタビューでも、和田さんとの結婚生活や料理に夢中になったきっかけを振り返っています。
現在の平野さんを理解するうえで、和田さんは過去の夫というだけでなく、料理愛好家としての人生にも深く関わった存在です。
【平野レミと和田誠の馴れ初め!出会いから10日で結婚した理由】
平野レミさんと和田誠さんの出会いは、1972年の秋です。
2人を結びつけたのは、当時TBSラジオで活動していた平野さんと、番組を聴いていた和田さん、そして共通の知人だった久米宏さんでした。
出会いのきっかけは久米宏さんのラジオ番組当時、平野さんはシャンソン歌手として活動し、TBSラジオの番組「ミュージック・キャラバン」で久米宏さんと関わっていました。
和田さんは、平野さんが出演したテレビの歌番組を見て、その独特な振る舞いに興味を持っていたといいます。
さらにラジオ番組を聴くようになり、実際に会いたいと思うようになりました。
そこで和田さんは、麻雀仲間だった久米さんに平野さんを紹介してほしいと頼みます。
ところが、久米さんは最初から乗り気ではありませんでした。
2026年5月の文春オンラインでは、平野さんの自伝『平野レミ大百花』をもとに、久米さんが和田さんに紹介を勧めなかった経緯が紹介されています。
それでも和田さんは諦めず、TBSのディレクターに依頼。1972年秋、女性アナウンサーも交えた4人で食事する機会が実現しました。
初対面から意気投合した2人初めて会った場所は、TBSのビルにある日本料理店でした。
平野さんが後年のインタビューで振り返ったところによると、和田さんは落ち着いていて、話が面白く、知識も豊富な男性だったそうです。
食事中、平野さんはしゃぶしゃぶのたれの作り方を店員に尋ねていました。
その姿を見て、和田さんも料理が好きな人だと感じたといいます。
食事の後、和田さんは平野さんを自宅兼仕事場に誘いました。
そこでは、浮世絵師・月岡芳年の作品集を見ながら、幽霊や怪奇現象にまつわる話をしたそうです。
平野さんの父親も怪談に関心が深かったため、こうした話題は2人の距離を縮めるきっかけになりました。
フランク・シナトラのコンサートが結婚の転機に2人が何度か会った後、和田さんは以前から計画していたフランク・シナトラのコンサートを見るため、アメリカへ出発しました。
平野さんは、会えなくなったことで寂しさを感じたと自伝で振り返っています。
帰国した和田さんは、平野さんに結婚を申し込みました。
平野さんの返事は迷いのないものでした。
「しましょう、しましょう」と即答したというエピソードは、2人の馴れ初めを象徴する話として知られています。
出会いから10日で結婚したのは本当?結論からいえば、出会って間もなく結婚したという話は、平野さん自身が語っている実話です。
2026年のNHK出演時にも、平野さんは出会って10日後に結婚したと振り返っています。
一方、2026年5月に公開された自伝の抜粋では、結婚を決めた時期を「出会って一週間ぐらい」と説明しています。
ここで整理しておきたいのは、結婚を決意した時期と、実際に結婚した時期の表現です。
いずれも初対面から非常に短期間だったことを示していますが、単に初対面の日に結婚を決めたわけではありません。何度か会い、会話を重ねたうえで、互いに結婚を決断したのです。
1972年に結婚した2人は、その後約47年間、夫婦として人生をともにしました。
【平野レミと和田誠の夫婦生活!家事分担と心に残るエピソード】
出会いから短期間で結婚した2人ですが、夫婦生活は約47年間続きました。
その生活を知る手がかりになるのが、平野さん自身が語った家庭でのエピソードです。
和田誠さんは家事にも積極的だった和田さんは仕事に強いこだわりを持つクリエイターでしたが、家庭では家事や子育てにも関わっていました。
2020年のほぼ日刊イトイ新聞の対談で、平野さんは夫が日常的に行っていた家事について語っています。
具体的には、次のようなことです。
- 食後の食器洗い
- ゴミ出し
- 庭の枯れ葉の掃除
- 子どもの幼稚園への送り迎え
平野さんが家事を手伝ってもらったことにお礼を言うと、和田さんは家庭の仕事は家族の誰がやってもよいという考えを示したそうです。
家事を「妻の仕事」と決めつけず、家族の生活を維持するための共同作業として捉えていたことが伝わります。
仕事と家庭を分ける独自のスタイルもう一つ興味深いのが、和田さんの仕事と家庭の境界線です。
平野さんによれば、和田さんは自分の仕事場に家庭の雰囲気を持ち込まないようにしていました。
ある日、平野さんが仕事場に靴下を置いたところ、和田さんから仕事場には家庭のものを置かないでほしいと伝えられたそうです。
最初は厳しく感じたものの、後になって仕事と家庭をきちんと分ける人だったと理解するようになったといいます。
このエピソードは、2人が常に一緒に行動する夫婦ではなく、それぞれの仕事や個人の世界を尊重する関係だったことを示しています。
和田誠さんが料理愛好家・平野レミを育てた平野さんの料理人生にも、和田さんは大きな影響を与えました。
結婚当初の平野さんは、現在のような料理愛好家としての活動を確立していたわけではありません。
和田さんに料理を作り、喜んで食べてもらうことが、料理を続ける楽しみにつながっていったそうです。
2026年4月の文春オンラインのインタビューでは、和田さんが平野さんの料理を否定せず、いつも最初に味見してくれたというエピソードが紹介されています。
味付けが足りないときも、単に批判するのではなく、コクや塩気について具体的な感想を伝えてくれたそうです。
また、料理のネーミングや文章の修正にも協力していました。
ほぼ日刊イトイ新聞の対談では、平野さんが考えた料理名を和田さんが面白く言い換えた話も登場します。
例えば「怠慢餃子」を、中華風の響きを持つ「台満餃子」に変更したというエピソードです。
料理の味だけでなく、表現や見せ方にも和田さんのクリエイターとしての感性が生かされていました。
こうした関係を振り返ると、和田さんは平野さんの活動を単に応援しただけではありません。彼女の個性を認め、料理を仕事として発展させるための身近な協力者でもあったのです。
【平野レミの家族構成!息子の和田唱と和田率は何者?】
平野レミさんと和田誠さんの間には、2人の息子がいます。
長男はミュージシャンの和田唱さん、次男は実業家・クリエイティブディレクターの和田率さんです。
父親がデザインや映画、母親が音楽や料理の分野で活動してきたこともあり、息子たちもそれぞれ異なる専門分野でキャリアを築いています。
和田家の家族・関係者一覧| 人物 | 平野レミとの関係 | 職業・活動 |
|---|---|---|
| 平野レミ | 本人・母 | 料理愛好家、シャンソン歌手 |
| 和田誠 | 夫・息子たちの父 | イラストレーター、グラフィックデザイナー、映画監督 |
| 和田唱 | 長男 | ミュージシャン、TRICERATOPSのボーカル・ギター |
| 和田率 | 次男 | 実業家、キッチンブランドremyの創業者 |
| 上野樹里 | 長男の妻 | 女優 |
| 和田明日香 | 次男の妻 | 料理家、食育インストラクター |
長男の和田唱さんは、1975年12月1日生まれのミュージシャンです。
ロックバンド「TRICERATOPS(トライセラトップス)」でボーカルとギターを担当しています。
バンド活動だけでなく、ソロ活動や音楽制作にも取り組んでいます。
2016年には女優の上野樹里さんと結婚しました。
上野さんは平野レミさんの義理の娘にあたります。
次男・和田率はキッチンブランドremyの創業者次男の和田率さんは1979年生まれです。
慶應義塾大学を卒業後、広告クリエイティブの仕事を経験し、2014年にキッチン用品ブランド「remy」を創業しました。
母親の平野レミさんが掲げてきた「キッチンから幸せ発信」という考えを受け継ぎ、調理器具の企画・開発などを手がけています。
また、子どもたちのために作る弁当をテーマにした著書『お弁父』でも知られています。
率さんの妻は料理家・食育インストラクターの和田明日香さんです。
和田明日香さんは、平野レミさんの次男の妻として家族関係にあり、料理の分野でも活躍しています。
それぞれの才能を生かす和田家和田家の特徴は、家族全員が同じ仕事をしているわけではないことです。
父・和田誠さんはデザインと映画、母・平野レミさんは音楽と料理、長男・唱さんは音楽、次男・率さんは食に関わる商品開発というように、それぞれ異なる道を歩んできました。
2025年には、和田誠さんが長年手がけた『週刊文春』の表紙をめぐり、平野さん、唱さん、率さんが創作の思い出を語る企画も掲載されました。
父親の仕事を家族が振り返り、作品に込められた思いや制作の裏側を共有する姿からは、和田誠さんの作品が家族にとっても大切な財産になっていることがうかがえます。
【和田誠はなぜ亡くなった?2019年の死去と平野レミの現在】
和田誠さんは、2019年10月7日、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。享年83歳でした。
和田誠さんの亡くなった理由は肺炎2019年10月11日、和田誠事務所から死去が公表されました。
日刊スポーツなどの報道によると、和田さんは亡くなる約1年前から体調を崩し、自宅で療養していました。
その後、2019年7月から東京都内の病院に入院し、肺炎を患って亡くなったとされています。
平野さんは当時、夫の最期についてコメントを発表しました。
肺炎を患ってから食事ができなくなった和田さんのために、好きだった料理をたくさん作り、安らかな顔のそばに置いたと振り返っています。
また、47年間にわたって自分の料理をおいしいと食べてくれた夫への感謝も伝えました。
死因について公表されているのは肺炎です。別の病気や事故が原因だったという公式発表はありません。
夫を亡くした後も続く料理への思い和田さんとの死別は、平野さんにとって大きな出来事でした。
長年一緒に食卓を囲んできた相手を失い、生活にも変化が生まれました。
2026年の文春オンラインのインタビューでは、夫を亡くしてからの一人での食事や、家事を自分で行う現在の生活についても語っています。
それでも、料理への情熱は失われていません。
2026年7月のNTTファシリティーズのインタビューでは、和田さんが料理を褒めてくれたことが、自分が料理を好きになった大きな理由だったと振り返っています。
結婚後、夫のために作った料理が喜ばれ、そこから自分自身の仕事として料理に取り組むようになったという経緯です。
平野さんの現在の活動をたどると、和田さんとの夫婦生活は、単なる過去の思い出ではなく、料理愛好家としての原点にもつながっています。
【平野レミの旦那に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:平野レミの旦那は誰ですか?
A1:平野レミさんの夫は、イラストレーター・グラフィックデザイナーの和田誠さんです。1972年に結婚し、約47年間夫婦生活を送りました。和田さんは2019年10月7日に肺炎のため83歳で亡くなっています。
Q2:和田誠さんが亡くなった理由は何ですか?
A2:死因は肺炎です。亡くなる約1年前から体調を崩して自宅療養を続け、2019年7月から都内の病院に入院していました。同年10月7日に83歳で亡くなりました。
Q3:平野レミと和田誠は出会って何日で結婚しましたか?
A3:出会って約10日で結婚したと平野さん自身が語っています。1972年秋に初めて会い、和田さんからのプロポーズを平野さんが快諾しました。結婚を決めた時期については、出会って約1週間という本人の回想もあります。
平野レミさんの夫は、2019年に83歳で亡くなったイラストレーター・和田誠さんです。
2人は1972年に出会い、わずか10日ほどで結婚。久米宏さんを介した出会いから始まり、約47年間にわたって夫婦として生活しました。
和田さんはイラストレーターや映画監督として日本の文化に大きな足跡を残した一方、家庭では食器洗いやゴミ出し、子育てにも関わっていました。
また、平野さんの料理を褒め、料理名や文章にもアイデアを提供するなど、彼女の才能を引き出す存在でもありました。
2人の息子である和田唱さんと和田率さんも、それぞれ音楽と食の分野で活躍しています。
夫婦関係を理解するうえで注目したいのは、出会って10日という結婚までの速さだけではありません。約47年間、それぞれの仕事や個性を尊重しながら、家庭で互いを支え続けたことです。
2026年現在も、平野レミさんが夫との思い出を語るたびに、和田誠さんが彼女の人生や料理に残した影響が伝わってきます。
2人の関係は、短期間で始まった恋愛が、長い年月をかけて互いの人生を豊かにしていった夫婦の歩みとして記憶されています。
主な確認資料: 和田誠公式サイト、文春オンライン(2026年の平野レミ本人による自伝・インタビュー)、日刊スポーツ、ほぼ日刊イトイ新聞、NTTファシリティーズ、TRICERATOPS公式プロフィール。