高円宮妃久子さまの実家は、香川県にルーツを持つ鳥取家です。宮内庁の公式プロフィールには、久子さまが故・鳥取滋治郎氏の第一女子として記載されています。父親は商社で要職を歴任した実業家で、母親の鳥取二三子さんも外交官の家庭に生まれ、海外生活や日仏交流に深く関わってきた人物でした。
一方、「久子さまの実家は香川県三豊市なのか」「父親はどのような仕事をしていたのか」「母方には外交官や旧華族につながる家系があるのか」といった疑問には、少し整理が必要です。東京都生まれという事実と、父方の鳥取家が香川県に築いてきた歴史は、必ずしも同じ意味ではありません。2026年11月現在の宮内庁資料、文化庁の文化財記録、報道資料などをもとに、家族の背景から結婚までの歩みをたどります。
【先に結論】久子さまの実家はどこ?東京生まれと香川県三豊市の鳥取家

久子さまの実家について調べる際、最初に押さえておきたいのは、出生地と先祖代々の家の所在地を区別することです。
久子さまは1953年7月10日、東京都で誕生されました。旧姓は鳥取で、宮内庁の公式プロフィールには、父親である故・鳥取滋治郎氏の第一女子と記載されています。
つまり、久子さまの父方のルーツをたどると香川県につながりますが、ご本人の出生地は東京都です。
この点は、香川県にある鳥取家住宅が紹介される際に、誤解が生まれやすい部分でもあります。
香川県三豊市に残る鳥取家の歴史久子さまの父方につながる鳥取家は、香川県三豊市豊中町の旧笠田村にゆかりを持つ旧家です。
同家の歴史については、所有者側が公開する由緒資料や文化庁の登録有形文化財データベースに記録が残されています。
鳥取家は地域の有力な家として知られ、代々、笠田村の村長を輩出してきました。江戸時代には庄屋を務めた家としても紹介されています。
ここで重要なのは、香川県にある鳥取家住宅が、久子さまのご両親が暮らした東京都内の実家そのものという意味ではないことです。
鳥取家住宅は現在も残っている?香川県三豊市豊中町笠田笠岡には、鳥取家ゆかりの歴史的建造物が残っています。
このうち、現在の登録有形文化財となっている屋敷は、鳥取家本家から分かれた鳥取柔三郎の分家の住宅です。本家はその近くに残ると、所有者側の歴史資料に説明されています。
文化庁の記録によれば、主屋は明治前期に建てられた木造平屋建てで、茅葺き屋根を特徴としています。
2021年10月14日には、鳥取家住宅の主屋などが国の登録有形文化財となりました。
したがって、久子さまの実家のルーツを知るうえでは、三豊市の鳥取家が重要な場所であることは間違いありません。ただし、文化財として登録された分家の住宅と、久子さまの直系の本家を同一視することはできません。
【父親の正体】鳥取滋治郎氏の職業と経歴、鳥取家の歴史
久子さまの父親は、鳥取滋治郎(とっとり・しげじろう)氏です。
宮内庁が公表する高円宮家のプロフィールにも、久子さまの父親として名前が掲載されています。
鳥取滋治郎氏は一般的な会社員というより、国内外の商社で重要な役職を務めた実業家でした。
鳥取滋治郎氏はどんな仕事をしていた?鳥取滋治郎氏の職業を理解するうえで注目したいのが、三井物産と東邦物産での経歴です。
講談社のデジタル版『日本人名大辞典+Plus』を掲載するコトバンクや、イミダスの人物事典では、鳥取氏について三井物産や東邦物産などで役員を歴任した人物と紹介されています。
また、FNNプライムオンラインが掲載した1973年の写真には、鳥取滋治郎氏が欧州三井物産の社長室にいる様子が記録されています。
主な経歴として知られているのは次の内容です。
- 欧州三井物産の社長を務めた。
- 東邦物産の専務を務めた。
- 商社での海外業務や経営に関わった。
特に欧州三井物産での仕事は、久子さまの家庭環境を考えるうえでも興味深いものです。
父親の海外赴任によって、久子さまは幼少期から英国で教育を受ける機会を得ました。商社勤務という父親の職業が、結果として娘の国際的な教育環境にも影響を与えたのです。
なお、鳥取滋治郎氏と母・二三子さんは2013年の報道写真にも登場しており、二三子さんの活動を紹介したFNNの記事には、夫婦で欧州三井物産の社長室にいた1973年の写真が掲載されています。
鳥取家の歴史と由来鳥取家の歴史を考える際には、香川県三豊市の地域史も重要です。
同地の旧笠田村では、鳥取家が地域の有力な家として歴史を重ねてきました。
所有者側の資料によると、本家から分家した鳥取柔三郎は、1875年に独立した屋敷を構えました。その住宅が現在の鳥取家住宅として知られています。
鳥取柔三郎も笠田村の村長を務めた人物です。
つまり、鳥取家は単に著名な皇族の出身家というだけではなく、地域の行政や農業、土地の歴史にも関わってきた家系です。
また、鳥取という姓について、鳥取県との直接的な関係を示す公的資料はありません。香川県の鳥取家という姓と、現在の鳥取県という地名を結び付けて考えるのは適切ではありません。
父親の職業と家柄を整理久子さまの父親について、確認できる情報を整理すると次のようになります。
- 氏名:鳥取滋治郎
- 続柄:久子さまの父親
- 職業:実業家
- 主な経歴:欧州三井物産社長、東邦物産専務など
- 家系:香川県ゆかりの鳥取家
宮内庁のプロフィールに記載された父親との続柄と、各種人物事典に掲載された職業上の経歴を合わせると、久子さまが商社経営に携わる家庭で育ったことが分かります。
【母方の家系】鳥取二三子さんと外交官・友田二郎氏の関係
久子さまの家系を調べる際、父方の鳥取家と同じくらい注目されるのが母方の家族です。
母親は鳥取二三子(とっとり・ふみこ)さんです。
二三子さんの父親は外交官で、幼少期からフランスで生活した経験を持っていました。
母・鳥取二三子さんの生い立ちFNNプライムオンラインの皇室担当解説委員による2023年の記事では、二三子さんは1927年生まれで、外交官だった父親とともに幼少期からフランスで暮らしたと紹介されています。
そのため、フランス文化や国際交流に親しむ環境で成長しました。
1952年には商社勤務の鳥取滋治郎氏と結婚。その後は夫の仕事に伴い、ニューヨーク、ロンドン、パリなどで海外生活を送りました。
1953年には長女の久子さまが誕生しています。
1976年に日本へ帰国すると、二三子さんはフランス語婦人会に入会。その後、会長や役員などを長年務め、日本とフランスの交流に貢献しました。
2013年には、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章のオフィシエを授与されています。
母親自身も国際的な活動に取り組んできた人物だったことが分かります。
友田二郎氏はどのような外交官だった?母方の家系をたどると、外交官の友田二郎氏の名前が登場します。
友田二郎氏は、二三子さんの父親として家系資料に記載されている人物です。
紀伊國屋書店が掲載する著書『国際儀礼とエチケット』の著者紹介には、友田氏の外交官としての経歴が詳しく記されています。
同書の紹介によると、友田氏は1915年に外務省へ入り、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、パリやロンドンの大使館、マルセイユやリヨンの領事館などに勤務しました。
加えて、外務大臣秘書官を務めたほか、戦後は外務省研修所の講師や宮内庁式部官も兼任しています。
この経歴から、久子さまの母方には外交や国際儀礼に関わる家庭環境があったことがうかがえます。
ただし、友田二郎氏の外交官としての経歴と、二三子さんとの親子関係は、それぞれ異なる資料で確認される情報です。家系図サイトに掲載されている遠い祖先までの系譜を、すべて同じ確度の公的記録として扱うことはできません。
母方の家系と曽我家などの関係インターネット上には、久子さまの母方の家系を友田家から曽我家などへとさかのぼる家系図も存在します。
こうした系図では、友田盛子さんや曽我家に関係する人物が登場します。
ただし、宮内庁の公式プロフィールが公表しているのは、久子さまの父親との続柄など基本的な情報です。母方の遠い祖先については、一般公開されている公式プロフィールだけでは詳細な系譜を確定できません。
重要なのは、外交官の友田二郎氏という具体的な人物の経歴と、さらに上の世代に関する系図上の主張を分けて理解することです。
【久子さまの家系図】父方・母方の人物関係と確認できる事実
ここまで紹介した人物の関係を整理すると、久子さまの家系は、香川県にルーツを持つ鳥取家と、外交官の友田家という二つの背景から成り立っています。
家族関係を一覧にすると次のようになります。
| 人物 | 久子さまとの関係 | 主な経歴・確認できる情報 |
|---|---|---|
| 鳥取滋治郎 | 父 | 欧州三井物産社長、東邦物産専務などを歴任 |
| 鳥取二三子 | 母 | フランスでの生活経験、日仏交流活動 |
| 友田二郎 | 母方の祖父とされる人物 | 外交官、外務大臣秘書官、宮内庁式部官 |
| 鳥取柔三郎 | 父方の親族につながる人物 | 香川県旧笠田村の村長、鳥取家の分家住宅を構えた人物 |
| 高円宮憲仁親王 | 夫 | 1984年12月6日に久子さまと結婚 |
| 承子女王 | 長女 | 1986年3月8日生まれ |
| 千家典子さん | 次女 | 1988年7月22日生まれ、2014年に結婚 |
| 守谷絢子さん | 三女 | 1990年9月15日生まれ、2018年に結婚 |
この家系図から読み取れるのは、父方には商社経営や地域社会に関わる背景があり、母方には外交や国際交流に関わる背景があったことです。
ネット上の家系情報と公的資料の違い久子さまの家系を調べると、非常に多くの人物名や家系図が見つかります。
しかし、情報には次のような違いがあります。
- 宮内庁の公式プロフィール: 父親との続柄、誕生日、学歴、結婚日などを確認できる。
- 文化庁の文化財記録: 香川県の鳥取家住宅の所在地、建築年代、文化財登録状況を確認できる。
- 報道各社の記事: 両親の活動、母親の経歴、家族に関する公表情報を確認できる。
- 民間の家系図サイト: 祖先や親族のつながりを調べる参考になるが、すべてが公的に裏付けられているわけではない。
特に、遠い親戚や旧華族との関係を扱う場合は、人物名が一致するだけで血縁関係まで確定したと判断しないことが大切です。
【生い立ちと学歴】聖心女子学院からケンブリッジ大学、1984年の結婚へ
久子さまの生い立ちを語るうえで欠かせないのが、英国での教育経験です。
父親の海外赴任によって幼少期から国際的な環境に触れ、語学力や海外文化への理解を深められました。
聖心女子学院で学んだ幼少期久子さまは聖心女子学院の初等科から中等科まで学ばれました。
その後、1967年に父親の転勤に伴って家族で英国へ渡られています。
この時期は、父親の商社勤務と久子さまの教育環境が密接に結び付いていた時期でもあります。
ケンブリッジ大学ガートン・カレッジへ英国ではケンブリッジ大学で学ばれました。
宮内庁の公式プロフィールによると、1972年にガートン・カレッジへ入学し、1975年にケンブリッジ大学を卒業されています。
さらに1979年にはケンブリッジ大学から修士号を授与されました。
学んだ分野については、関係機関が掲載するプロフィールで中国学、人類学、考古学などが紹介されています。
なお、大学のカレッジ名については、ネット上の一部資料に異なる記載がありますが、宮内庁の公式プロフィールではガートン・カレッジと明記されています。
帰国後は通訳・翻訳の仕事に従事帰国後は、英語などの語学力を生かして通訳や翻訳の仕事に携わりました。
単に海外の大学を卒業しただけではなく、実際に語学を使う仕事を経験していたことが特徴です。
この経験は、後の国際親善や海外の関係者との交流にも生かされていきました。
1984年12月6日、高円宮憲仁親王と結婚久子さまは1984年に高円宮憲仁親王との婚約が整い、同年12月6日に結婚されました。
宮内庁の公式記録では、次のような経緯が確認できます。
- 1984年8月1日:皇室会議
- 1984年9月17日:納采の儀
- 1984年12月6日:ご結婚
結婚当日には、久子さまのご両親も自宅前で報道陣の取材に応じています。
FNNプライムオンラインが紹介した当時の映像記録では、母親の二三子さんが娘の結婚について語った様子も伝えられています。
二三子さんは、結婚を控えた久子さまについて、次のように話されました。
「やはり感激いたします。」
また、父親の滋治郎さんは、娘に対して無事に務めを果たすよう伝えたと報じられています。
こうした当時の記録からは、商社で国際的に活躍した父親と、海外生活を経験した母親が、娘の新しい生活を送り出した様子が伝わってきます。
【2026年最新】久子さまの実家の現在と鳥取家の評判
2026年現在、鳥取家の歴史を知るうえで重要な場所となっているのが、香川県三豊市に残る鳥取家住宅です。
この住宅は単なる古民家ではなく、地域の歴史を伝える文化財として保存・活用されています。
鳥取家住宅は2021年に登録有形文化財へ文化庁の国指定文化財等データベースでは、鳥取家住宅の主屋が登録有形文化財として記録されています。
登録日は2021年10月14日です。
また、主屋以外にも、新座敷、風呂場棟、裏座敷、土蔵、米蔵、温室、門など、合計12件の建造物が登録対象となりました。
明治前期から昭和前期にかけて建てられた建物が残されており、地域の建築文化を知るうえでも貴重な存在です。
現在はゲストハウスとして活用される建物も鳥取家住宅の分家側の建物の一部は、現在、ゲストハウス「花鳥苑」として活用されています。
所有者側の公式案内によれば、登録有形文化財である新座敷を宿泊施設として利用でき、伝統的な日本建築や五右衛門風呂などを体験できる施設として運営されています。
また、2024年5月の四国新聞の記事では、三豊市文書館の企画展「三豊の豪家 vol.2」で鳥取家が取り上げられ、資料や写真、久子さまにつながる家系図などが展示されたことが報じられました。
このように、鳥取家の歴史は地域の文化財や郷土資料という形で現在にも受け継がれています。
鳥取家の評判は?旧家としての評価を考える鳥取家について確認できる客観的な評価は、地域の歴史と文化財としての価値にあります。
特に注目されるのは次の3点です。
1. 地域社会における歴史
旧笠田村で歴代の村長を輩出した家として、地域行政の歴史に関わっています。
2. 建築文化としての価値
明治から昭和にかけて建てられた建物が残り、文化庁によって登録有形文化財として評価されています。
3. 地域資料としての継承
三豊市の企画展などでも鳥取家の歴史が取り上げられ、地域の歴史を伝える資料として活用されています。
一方、鳥取家の現在の家族構成や本家の私生活について、詳細な公表情報はありません。
文化財としての評価と、現在の家族の生活や評判は別の問題です。ネット上の出自に関する憶測や断定的な書き込みを、歴史的な事実と混同する必要はありません。
2026年現在の久子さまの活動宮内庁の高円宮家公式プロフィールには、久子さまが現在務められている総裁職や名誉総裁職などが掲載されています。
日本サッカー協会、日本フェンシング協会、日本ホッケー協会、バードライフ・インターナショナルなど、スポーツや文化、国際交流、自然保護に関わる団体で活動されています。
また、日本赤十字社の名誉副総裁や大阪芸術大学客員教授なども務められています。
こうした活動を見ると、久子さまの現在の公的な役割は、鳥取家という出自だけで説明できるものではありません。
ケンブリッジ大学での学び、通訳・翻訳の経験、海外生活、そして皇室に入られてからの長年の公務が重なり、現在の活動につながっています。
【よくある質問】久子さまの実家に関するFAQ
Q1:久子さまの実家は香川県のどこですか?
A1:父方の鳥取家は香川県三豊市豊中町の旧笠田村にゆかりがあります。ただし、久子さまご本人は東京都生まれで、三豊市の文化財住宅がそのまま幼少期の実家というわけではありません。
Q2:久子さまの父親・鳥取滋治郎氏の職業は何ですか?
A2:実業家です。欧州三井物産の社長や東邦物産の専務など、商社で要職を歴任しました。
Q3:久子さまの母親・鳥取二三子さんはどんな人ですか?
A3:1927年生まれで、外交官だった父親とフランスで生活した経験を持つ人物です。日仏交流に長年取り組み、2013年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章のオフィシエを授与されました。2023年7月18日に96歳で亡くなられています。
Q4:友田二郎氏は久子さまとどのような関係ですか?
A4:母親の二三子さんの父親にあたる人物として家系資料に記載されています。外交官としてパリやロンドンの大使館、海外の領事館などに勤務し、外務大臣秘書官や宮内庁式部官も務めました。
Q5:久子さまはどこの大学を卒業されましたか?
A5:英国のケンブリッジ大学です。1972年にガートン・カレッジへ入学し、1975年に卒業。1979年には修士号を授与されています。
Q6:久子さまはいつ高円宮憲仁親王と結婚されましたか?
A6:1984年12月6日です。宮内庁の公式記録で結婚日が確認できます。
Q7:鳥取家の住宅は2026年現在も残っていますか?
A7:はい。香川県三豊市には鳥取家住宅の建物が残り、国の登録有形文化財として保存されています。一部はゲストハウスとして活用されています。
久子さまの実家について調べると、香川県ゆかりの鳥取家と、母方の友田家という二つの家系が浮かび上がります。
父親の鳥取滋治郎氏は欧州三井物産の社長や東邦物産の専務を務めた実業家で、母親の二三子さんは外交官の家庭に育ち、フランスとの交流に生涯をかけて取り組んだ人物でした。
父方の鳥取家は香川県三豊市の地域史に深く関わり、現在も登録有形文化財となった住宅を通じて、その歴史を伝えています。
一方、久子さまご本人は東京都で生まれ、聖心女子学院を経てケンブリッジ大学で学び、1984年12月6日に高円宮憲仁親王と結婚されました。
久子さまの実家を正確に理解するには、出生地である東京、父方のルーツである香川県三豊市、母方の外交官・友田家という三つの視点を分けて考えることが大切です。
2026年現在も、宮内庁の公式プロフィールや地域の文化財資料を通じて、鳥取家の歴史と久子さまの歩みを知ることができます。