小泉今日子さんの生い立ちを調べると、「一家離散」「父親の会社倒産」「母親と姉たちとの別居」という、華やかなアイドル時代からは想像しにくいエピソードが浮かび上がります。神奈川県厚木市で両親と2人の姉と暮らしていた小泉さんは、中学2年生の頃、父親が経営する会社の経営難によって家族が別々に暮らすことになりました。
2023年12月から2024年2月にかけて公開された「kodomoe」のロングインタビューでは、父親の仕事、母親の芸者時代、姉たちとの関係、そして父親と猫と暮らした日々まで本人が詳しく語っています。加えて、2026年には還暦を迎え、全国ツアーを成功させるなど、歌手・俳優・プロデューサーとして活動を続けています。
【一家離散の理由】小泉今日子が中学2年生で経験した家庭環境の変化

小泉今日子さんが一家離散を経験したのは、中学2年生の頃です。
当時の小泉家は、父親、母親、2人の姉、そして末っ子の今日子さんという5人家族でした。神奈川県厚木市の郊外にある一戸建てで暮らし、父親は小さな会社を経営。母親は専業主婦として家庭を支えながら、会社の仕事も手伝っていました。
ところが、父親の会社が経営難に陥り、家庭の生活環境が大きく変わります。
小泉さんが2023年のkodomoeインタビューで説明したところによると、会社の経営が苦しくなると、借金取りが自宅に来る可能性がありました。そのため、母親と3人の娘が父親と同じ家で暮らし続けることは難しいと判断されます。
そこで母親は2人の姉を連れて、狭いアパートへ引っ越しました。父親は元の生活拠点に残り、小泉さんも一時的に家族と離れることになったのです。
父親の会社は何をしていた?父親が経営していたのは、カセットテープを製造する会社でした。
kodomoeのインタビューでは、会社の本社は東京都世田谷区にあり、厚木の自宅近くには製造工場があったと紹介されています。工場はプレハブの建物が2棟ある小規模なもので、近所の主婦たちがパートとして働いていました。
母親も工場に出入りし、働く女性たちの世話をしていたそうです。
会社の経営が悪化したことについて、小泉さんは音楽ナタリーのインタビューでは「倒産」と表現しています。一方、kodomoeでは「経営難」や「会社の危機」と説明されています。
この2つの証言を合わせると、会社の経営破綻が一家の生活を揺るがすほど深刻だったことが分かります。ただし、会社の正式名称、負債額、法的な破産手続きの詳細までは公表されていません。
一家離散は両親の離婚が原因だったのか?ここは誤解されやすい部分です。
小泉さんが語っている一家離散は、父親の会社の経営難をきっかけとした生活拠点の分離です。両親の離婚によって家族が解散したという説明ではありません。
また、会社の危機はほどなくして解決したものの、母親と姉たちは父親のもとへ戻ることを選びませんでした。小泉さんだけが父親と暮らすことになり、家族5人が再び同じ家で生活することはなかったといいます。
【父・母・姉たちの人物像】厚木で育った小泉今日子の家族構成
父親は元TBS社員でカセットテープ会社を経営小泉さんの父親は、かつてTBSの社員として働いていた時期があったと、音楽ナタリーのインタビューで本人が明かしています。
その後、自ら会社を経営するようになり、カセットテープの製造事業を手がけました。
家庭では無口な一面がありながら、新聞を隅々まで読む知識豊富な人物だったそうです。小泉さんが何かを質問すると、きちんと答えてくれる存在でもありました。
また、家では父親がテレビのチャンネル権を持っており、野球中継が始まると、見たかったテレビ番組を我慢することもあったと振り返っています。
小泉さんは父親について、家族の中では大切にされていた男性だったと語っています。会社経営の問題によって家族の暮らしは変わりましたが、父娘の関係そのものは良好だったことが、その後のインタビューからも伝わります。
母親は厚木の飯山温泉で芸者をしていた小泉今日子さんの母親には、一般的な専業主婦とは少し異なる経歴がありました。
母親はもともと、神奈川県厚木市の飯山温泉で芸者をしていた女性です。母親の大叔母が置屋を営んでいたことがきっかけでした。
母親自身も10代の頃に家庭環境の変化を経験しています。母親の父親が家を出てしまい、長女だった母親は大叔母の養女となり、芸者の道へ進んだといいます。
結婚後は専業主婦となり、子育てや地域活動、父親の会社の手伝いなどをしていました。
しかし、父親の会社が経営難になると、昔から付き合いのあった芸者仲間が経営するスナックで働き始めます。その後、自分でも店を持つようになりました。
小泉さんは、母親にとって芸者時代の仲間たちとのつながりが特に大切だったのではないかと振り返っています。経済的に苦しい状況になった際、母親の旧友たちが支えてくれたことも、家族の別居後の生活を考えるうえで重要な背景です。
三姉妹の末っ子だった小泉今日子小泉さんは1966年2月生まれ。両親と2人の姉がいる三姉妹の末っ子として、厚木市で育ちました。
kodomoeのインタビューによると、2番目の姉とは2歳差、長姉とは8歳差です。
特に長姉は、小泉さんにとって母親のような存在でした。幼い頃に体調を崩したとき、背中をさすったり、身の回りの世話をしたりしてくれたのも長姉だったそうです。
小泉さんが一人暮らしを始めるときには裁縫セットを持たせ、20歳の誕生日には真珠のネックレスとピアスを贈りました。結婚したときにも、着物に合わせるバッグと草履を用意してくれたといいます。
こうしたエピソードからは、単に年齢の近い姉妹というだけではなく、長姉が人生の節目を支える重要な存在だったことがうかがえます。
【一家離散の真相を時系列で整理】中学2年生から1982年の芸能界デビューまで
小泉今日子さんの生い立ちと一家離散を理解するには、厚木での幼少期、家族の別居、父親との生活、芸能界への進出を時系列で見ると分かりやすくなります。
| 時期 | 出来事 | 本人の証言・確認できる内容 |
|---|---|---|
| 1966年2月 | 神奈川県で誕生 | 両親と2人の姉がいる三姉妹の末っ子 |
| 2歳頃 | 厚木市郊外へ転居 | 父親が親族から土地を譲り受け、マイホームを建てた |
| 中学2年生の頃 | 一家離散 | 父親の会社の経営難をきっかけに母親と姉たちが引っ越す |
| その後 | 父娘と猫の生活 | 小泉さんは父親のもとへ戻り、母親と姉たちは別々に暮らす |
| 1981年頃 | 芸能界への道が開ける | 『スター誕生!』への出場とグランプリ獲得がデビューにつながる |
| 1982年 | 歌手デビュー | 16歳で芸能界に本格的に進出 |
| 2016年 | 『黄色いマンション 黒い猫』刊行 | 父親や家族、猫との記憶をエッセイで振り返る |
| 2023~2024年 | kodomoeロングインタビュー | 一家離散の経緯や父親、母親、姉たちとの思い出を詳しく語る |
| 2026年 | 還暦記念ツアー開催 | 「KK60 ~コイズミ記念館~」で全国23都市31公演を実施 |
小泉さんが一家離散を経験した当時、姉たちは高校生でアルバイトができる年齢でした。一方、中学2年生だった小泉さんは、まだ自分で働いて家計を支えることが難しい立場でした。
音楽ナタリーのインタビューでは、両親が新しく何かを始めようとするとき、自分の面倒を見ることが負担になってしまうのではないかと考えていたことを明かしています。
そのため、『スター誕生!』のオーディションに合格したときには、芸能界で働けることを前向きに受け止めたそうです。
芸能界への進出は、単に歌手になる夢をかなえる出来事ではありませんでした。家族の経済状況が変化するなかで、自分自身の力で生きていくための選択肢でもあったのです。
【家族離散のその後】父娘二人暮らしと『黄色いマンション 黒い猫』に残された記憶
父親と暮らすことになった理由一家離散の後、母親と2人の姉は父親のもとへ戻りませんでした。
kodomoeの2024年2月20日公開のインタビューによると、会社の危機はほどなくして解決したものの、母親と姉たちは別々の生活に慣れ、元の家に戻ることを望まなかったそうです。
一方、小泉さんは学校に通いやすく、友人にも会いやすいことから、父親のもとへ戻ることを選びました。
本人は当時の状況を次のように振り返っています。
「そこからは家族5人で暮らしたことがないんです」
この証言が示すのは、一家離散が一時的な引っ越しだけでは終わらなかったということです。家族それぞれの生活がその後も別々に続いていきました。
父親と猫との暮らしは冒険のようだった家族が離れて暮らすことになった小泉さんですが、父親との二人暮らしを悲しい思い出として語っているわけではありません。
むしろ本人は、父親と二人だけの生活を冒険のように感じていて、楽しかったと話しています。実際には猫も一緒に暮らしていたため、本人の表現では「3人暮らし」でした。
特に印象的なのが、父親と外食に出かけるときのエピソードです。
父親は自動車の運転免許を持っていなかったため、二人で自転車に乗って、とんかつを食べに出かけていたそうです。
その際、家にいた猫が二人の後を追いかけてきました。小泉さんたちは「すぐ帰ってくるから大丈夫」と声をかけて出かけ、帰宅すると猫が家の前で待っていたといいます。
家族が別々に暮らすという大きな変化のなかにも、父親と娘、そして猫との穏やかな日常がありました。
2016年刊行の『黄色いマンション 黒い猫』と父親への思い小泉今日子さんの家族に関する記憶を知るうえで、2016年に刊行されたエッセイ集『黄色いマンション 黒い猫』も重要な作品です。
同書は、アイドルとして活動していた頃の思い出だけでなく、家族、猫、生と死、街の変化など、本人の人生に関わるさまざまな記憶を綴ったエッセイ集です。2021年には文庫版も発売されています。
2016年4月の刊行記念トークイベントでは、小泉さんが亡き父親との関係について語り、中学生の頃に家庭が崩壊して一家離散となったこと、父親との二人暮らしが楽しかったことを振り返りました。
父親が亡くなった後も、こうした思い出を明るく語れることは、小泉さんにとって父娘の時間が大切な記憶として残っていることを感じさせます。
『黄色いマンション 黒い猫』というタイトルだけを見ると、猫にまつわるエッセイという印象を受けますが、作品のテーマはそれだけではありません。家族との関係や、人生の中で出会った人々との記憶も含めた自伝的な作品です。
【小泉今日子の家族構成と2026年現在】母親・姉・甥や姪との関係は?
長姉はすでに他界している小泉さんは2023年のkodomoeインタビューで、長姉がすでに亡くなっていることを明かしています。
長姉は幼い頃から小泉さんの面倒を見てくれた存在であり、一人暮らしを始めるときや成人したとき、結婚したときにも節目ごとに支えてくれました。
小泉さんが長姉を母親のように感じていたという話からも、その関係の深さが伝わります。
母親には4人の孫と複数のひ孫がいる母親や姉たちの現在については、本人が公に話した範囲で分かる情報があります。
2025年8月、スポニチが報じたTBSラジオ出演時の発言によると、小泉さんには2人の姉がおり、それぞれ2人ずつ子どもがいます。そのため、母親には少なくとも4人の孫がおり、さらに複数のひ孫もいるとのことでした。
小泉さん自身は、姪や甥にとって、親には相談しにくいことも話せる面白いおばとしての役割を担っていると語っています。
これは、家族が別々に暮らすことになった中学生時代から、年月を経て家族との関係がそれぞれの形で続いていることを示すエピソードです。
2026年現在の小泉今日子は還暦を迎えても第一線で活動小泉今日子さんは1966年2月4日生まれで、2026年に60歳の還暦を迎えました。
2026年の大きな活動が、還暦記念ツアー「KK60 ~コイズミ記念館~ KYOKO KOIZUMI TOUR 2026」です。
ビクターエンタテインメントの公式特設サイトによると、同ツアーは2026年1月から5月まで全国23都市31公演を開催し、全会場ソールドアウト、約9万人を動員しました。
加えて、2026年4月22日のNHKホール公演と5月3日の日本武道館公演を収録した映像作品などが、11月25日に発売予定となっています。
また、公式ファンクラブの2026年11月のニュースでは、次のような活動も発表されています。
- 2026年10月31日:ドキュメンタリー映画『女たちのミュニシパリズム』の音楽・主題歌を黒猫同盟が担当。
- 2026年11月2日:TBSラジオ75周年記念イベントへの出演決定。
- 2026年11月25日:還暦記念ツアーのBlu-ray・DVD・SHM-CD発売予定。
歌手としての活動だけでなく、俳優、エッセイスト、プロデューサーとしても幅広い仕事を続けています。2015年に株式会社明後日を立ち上げ、2024年にはシン・コイズミックスプロダクションズを始動するなど、制作側にも活動の幅を広げてきました。
なお、母親や姉たちの現在の居住地、健康状態、日常生活などの詳細は、広く公表されていません。家族の近況については、本人がインタビューやラジオで語った範囲が公開情報の中心です。
【小泉今日子の一家離散に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:小泉今日子が一家離散したのは何歳のときですか?
A1:中学2年生の頃です。1966年2月生まれであるため、当時はおおむね13~14歳でした。父親の会社が経営難に陥ったことがきっかけでした。
Q2:小泉今日子の父親の会社は何の会社でしたか?
A2:カセットテープを製造する会社でした。本社は東京都世田谷区にあり、厚木の自宅近くに工場があったとkodomoeのインタビューで紹介されています。
Q3:小泉今日子の母親は芸者だったのですか?
A3:はい。母親は厚木市の飯山温泉で芸者をしていました。結婚後は専業主婦となりましたが、父親の会社が経営難になった際、昔の芸者仲間のスナックで働き始め、その後は自分でも店を持つようになったと本人が語っています。
Q4:一家離散後、小泉今日子は誰と暮らしていたのですか?
A4:父親と暮らしていました。猫も一緒にいたため、小泉さんは父親と猫との3人暮らしと表現しています。自転車で外食に出かけるなど、楽しい思い出も多かったそうです。
Q5:小泉今日子の姉は現在どうしていますか?
A5:本人の2023年のインタビューでは、8歳上の長姉がすでに他界していることが明かされています。もう1人の姉については、現在の詳しい生活状況は公表されていません。
Q6:小泉今日子の家族は一家離散後に再び一緒に暮らしましたか?
A6:小泉さんによると、父親の会社の危機が解決した後も母親と姉たちは戻らず、家族5人で再び暮らすことはありませんでした。
Q7:2026年現在、小泉今日子は何をしていますか?
A7:2026年に還暦を迎え、全国23都市31公演の「KK60 ~コイズミ記念館~」ツアーを開催しました。歌手、俳優、プロデューサーとして活動を続けており、11月25日には同ツアーの映像作品やライブ音源の発売が予定されています。
小泉今日子さんの一家離散は、中学2年生の頃に父親の会社が経営難に陥ったことから始まりました。母親と2人の姉が家を離れ、小泉さんは父親のもとに戻り、猫と一緒に暮らすことになりました。
母親は芸者時代の仲間とのつながりを生かして仕事を始め、姉たちもそれぞれの生活を築いていきました。会社の危機が解決した後も家族5人が再び同居することはなく、別々の生活が続きました。
しかし、小泉さん自身は父親との二人暮らしを不幸な出来事としてだけ捉えていません。猫と過ごした日々や自転車で出かけた思い出を、人生の冒険のようだったと振り返っています。
1982年の芸能界デビューには、家庭の事情から自立したいという思いもありました。その後、トップアイドルとして活躍し、俳優、エッセイスト、プロデューサーへと活動を広げてきました。
2026年、60歳を迎えた小泉今日子さんは、還暦記念ツアーを成功させ、新たな作品やプロジェクトにも取り組んでいます。
【プロの結論】
小泉今日子さんの一家離散を理解するうえで大切なのは、「家族が別々に暮らした」という事実だけでなく、その後にそれぞれがどのような関係を築いてきたかを見ることです。
父親との生活、母親の再出発、姉たちから受けた愛情、そして芸能界で自立していく過程。本人が語ったエピソードをたどると、家庭環境の変化が必ずしも家族との縁の断絶を意味するわけではなかったことが分かります。
「一家離散」という言葉だけでは語り尽くせない、家族それぞれの人生と、小泉今日子という表現者の原点がそこにあります。
主な根拠資料: kodomoe前編・後編、音楽ナタリー、MANTANWEB、スポニチアネックス、ビクターエンタテインメントおよび小泉今日子オフィシャルファンクラブの公開情報。