萬田久子さんのパートナーだった佐々木力さんは、アパレル業界で活躍した実業家です。長年、夫婦同然の生活を送っていましたが、2人が法律上の夫婦になることはありませんでした。
実際、2018年に出演したフジテレビ系「ダウンタウンなう」では、萬田さん自身が「結婚したことないので」と語り、子どもや孫がいても戸籍は真っ白だと説明しています。
つまり、萬田さんの結婚歴を整理すると、次のようになります。
- 法律上の結婚:公表されている婚姻歴はない
- 事実婚のパートナー:実業家の佐々木力氏
- 子ども:佐々木氏との間に長男が1人
- 佐々木氏との関係:2011年の死別まで長年継続
芸能ニュースでは佐々木氏を「夫」と表現することがありますが、これは長年連れ添った関係を表す呼称です。婚姻届を提出した法律上の夫という意味ではありません。
女性自身の2018年の報道でも、萬田さんは戸籍上の結婚経験がないことを明かしています。したがって、離婚歴があるという情報も正確ではありません。
【佐々木力氏との関係を理解するためのポイント】
2人の関係は、単に結婚という制度を選ばなかった男女というだけではありません。長男の誕生、仕事上の支え合い、家族としての生活、そして最期の病床でのプロポーズまで、長い時間を共有した関係でした。
【馴れ初め】萬田久子と佐々木力氏は1980年代半ばに出会った

萬田さんと佐々木さんが出会ったのは1980年代半ばです。
2018年のForbes JAPANのインタビューで、萬田さんは佐々木さんとの出会いについて振り返っています。
当初、萬田さんは佐々木さんを「香港で成功した人」という程度に認識していたそうです。しかし、交際を始め、一緒に海外へ出かけるようになると、香港でもイタリアでも知人から声をかけられる佐々木さんの人脈の広さに驚いたといいます。
萬田さんが魅力を感じていたのは、華やかな経営者としての顔だけではありませんでした。
佐々木さんは訪れる国の文化や言葉を積極的に吸収し、人との交流を楽しむ人物だったと、萬田さんは同インタビューで語っています。
佐々木力氏はどんな実業家だった?佐々木力氏は1951年3月16日生まれ。ファッション業界で長年活動し、国内外で事業を展開した経営者です。
1972年に神奈川大学を卒業した後、繊維商社のタキヒヨーに入社。ニューヨーク駐在や香港での事業経験を経て、ワールドの取締役などを歴任しました。
その後、アパレル企業の経営者として独立し、ファッションブランドの事業を拡大していきます。
特に重要なのが、株式会社リンク・セオリー・ジャパンでの活動です。
佐々木さんは、ニューヨーク発のファッションブランド「Theory(セオリー)」を日本市場に紹介した人物として知られています。
ファーストリテイリングの公式発表によると、2003年にはリンク・セオリー・ジャパンの代表取締役社長兼CEOに就任。2009年にはファーストリテイリングの上席執行役員にもなっています。
Forbes JAPANの記事では、ファーストリテイリングの柳井正氏と佐々木さんの深い信頼関係も紹介されています。佐々木さんの葬儀で柳井氏が弔辞を述べたエピソードからも、ビジネス界での存在感がうかがえます。
萬田さんにとって佐々木さんは、人生のパートナーであると同時に、互いに刺激を与え合う存在だったのでしょう。
【長男】萬田久子は29歳でニューヨーク出産!未婚の母になった背景
萬田さんと佐々木さんの間には、1987年10月に男の子が誕生しています。
出産した場所はアメリカ・ニューヨークでした。当時の萬田さんは29歳です。
当時、佐々木さんには妻と子どもがいました。そのため、萬田さんの妊娠と出産は大きな話題となり、芸能メディアでも「未婚の母」として取り上げられました。
なぜニューヨークで出産したのか?2026年1月10日放送の「モモコのOH!ソレ!み~よ!」で、萬田さんは当時の生活について振り返りました。
当初は女優を辞めるつもりで渡米したものの、ニューヨークでの生活を続けるうちに、再び日本で仕事をしたい気持ちが強くなったそうです。
その後、約1年で日本に戻り、長男はニューヨークに残しました。萬田さんの母親を現地に呼び、子育てを手伝ってもらったといいます。
当時58歳だった母親が、初めてパスポートを取得してニューヨークに渡ったというエピソードも披露しています。
出産を機に芸能活動を完全に終えるのではなく、仕事と子育ての両立を模索したことが分かります。
長男の父親は佐々木力氏長男については、佐々木さんが1990年に認知したと報じられています。
また、佐々木さんと前妻の離婚が成立したのは1994年です。
つまり、長男の誕生から父親の認知、前妻との離婚までには時間差がありました。
長男はその後、両親と生活をともにするようになり、佐々木さんが亡くなるまで家族としての関係が続きました。
なお、長男の現在の職業や詳しい私生活については、広く公表されている情報が限られています。著名人の子どもであっても、本人の活動と家族のプライバシーは分けて考える必要があります。
【時系列で検証】萬田久子が入籍しなかった理由と婚姻届の真相
萬田さんと佐々木さんは、なぜ長年一緒に暮らしながら婚姻届を提出しなかったのでしょうか。
この疑問を解くには、2人の関係を時系列で見る必要があります。
| 時期 | 出来事 | 関係性・確認できる事実 |
|---|---|---|
| 1980年代半ば | 2人が出会う | 萬田さんが20代のころ。佐々木さんとの交際が始まる。 |
| 1987年10月 | ニューヨークで長男を出産 | 萬田さん29歳。未婚の母となる。 |
| 1988年ごろ | 3人で同居生活 | 萬田さん、佐々木さん、長男の生活が始まる。 |
| 1990年 | 佐々木氏が長男を認知 | 父子関係が認知されたと報道される。 |
| 1994年 | 佐々木氏が前妻と離婚 | 離婚成立後も萬田さんとの入籍は行われなかった。 |
| 2011年7月 | 病床で結婚の約束 | 佐々木氏が「元気になったら結婚しよう」と伝えた。 |
| 2011年8月9日 | 佐々木氏が死去 | 60歳。婚姻届を提出することなく死別。 |
| 2026年1月10日 | 婚姻届の思い出を告白 | 萬田さんが婚姻届を棺に入れたことを明かした。 |
実は、萬田さんは2025年2月に出演した日本テレビ系「世界頂グルメ」で、事実婚について自分の考えを語っています。
結婚という形について質問された際には、次のように説明しました。
「敢えてそうしたわけじゃないのよ」
これは、最初から法律婚を拒否して事実婚を選んだわけではなかったという意味です。
一方、2013年の日刊ゲンダイの記事では、当初の世間からの批判や前妻の家族への配慮、萬田さん自身の思いなどが、入籍しなかった背景として紹介されています。
ただし、これらは当時の関係者の証言に基づく報道上の見方であり、萬田さんが公式に認めた唯一の理由ではありません。
重要なのは、1994年に佐々木さんの離婚が成立した後も、2人は婚姻届を出さずに生活を続けたという事実です。
実は佐々木氏から結婚を申し込まれていた2011年7月12日、佐々木さんは病床で萬田さんに結婚を申し込みました。
報道によると、佐々木さんの言葉は「元気になったら結婚しよう」というものでした。
萬田さんは通夜後の取材で、うれしさと同時に、もっと早く聞きたかったという複雑な心境を明かしています。
そして、2026年1月10日のテレビ出演で、さらに印象的なエピソードを語りました。
佐々木さんの病状が悪化し、意識が戻らない期間が続いたころ、萬田さんはお手伝いさんに頼んで婚姻届を取り寄せてもらったそうです。
自分で記入した婚姻届を、亡くなった佐々木さんの棺に入れたといいます。
「もし気が向いたら、あなたも判を押してね」
婚姻届は役所には提出されませんでした。
また、佐々木さんが萬田さんのために結婚式をサプライズで計画していたことや、亡くなった後に誕生石のダイヤモンドが子どもたちから渡されたことも、同番組で明かしています。
長年、法律上の夫婦ではなかった2人ですが、最期の時間には結婚という形を意識していたことが伝わるエピソードです。
【2011年8月】佐々木力氏の死去と死因はスキルス性胃がん
佐々木力さんは、2011年8月9日、60歳で亡くなりました。
死因はスキルス性胃がんです。
ファーストリテイリングは2011年8月10日付の公式IR発表で、上席執行役員だった佐々木力氏の逝去を公表しています。
葬儀では萬田さんが喪主を務めました。
闘病期間はわずか数か月2011年の報道によると、佐々木さんは同年3月ごろから腰の痛みを訴え、6月の検査でスキルス性胃がんが判明しました。
萬田さんは2011年の通夜後の会見で、佐々木さんには末期がんであることを伝えたものの、余命については伝えなかったと説明しています。
2026年1月のテレビ出演では、余命3か月と告げられ、最後の約1か月は意識不明だったことも振り返りました。
その間、病院で過ごす時間を通して、2人の絆が深まったと話しています。
佐々木氏の死後も続く家族のつながり佐々木さんの葬儀では、萬田さんが喪主を務め、多くの芸能関係者や経済界の人物が参列しました。
Forbes JAPANによると、ファーストリテイリングの柳井正氏も弔辞を述べています。
萬田さんは2014年のイベントでも、亡くなったパートナーについて、心の中にずっと残る人だと語っていました。
また、佐々木さんの遺産相続については、婚姻関係がなかったため、自身には相続権がないという趣旨の説明もしています。
この点は、事実婚と法律婚の違いを考えるうえでも重要です。
長年生活をともにしていても、婚姻届を提出していなければ、法律上の配偶者としての権利が自動的に生じるわけではありません。
【2026年最新】萬田久子の現在は?新しい恋愛と芸能活動
2026年11月現在、萬田久子さんは68歳です。
1958年4月13日生まれで、大阪府出身。1980年のNHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」で女優デビューしました。
2026年も芸能活動を続けており、所属事務所の公式プロフィールには、テレビ朝日系ドラマ「はだかんぼうたち」や、ゲーム「ドラゴンズドグマ2:ダークアリズン」の声の出演などが掲載されています。
2026年1月に「新しい恋愛」を告白今回の話題で特に注目したいのが、2026年1月10日放送の「モモコのOH!ソレ!み~よ!」での発言です。
長年連れ添った佐々木さんとの思い出を語った後、萬田さんは現在の恋愛についても触れました。
「新しい恋愛をさせていただいています」
この発言は、佐々木さんとの死別後も、新しい恋愛に前向きな姿勢を持っていることを示しています。
ただし、放送を伝えた日刊スポーツなどの記事では、新しい恋愛の相手の名前や詳しい交際状況までは明らかにされていません。
そのため、特定の男性を現在の恋人や再婚相手と断定することはできません。
明石家さんまとの熱愛報道の真相も説明同じ2026年1月の番組では、明石家さんまさんとの過去の熱愛報道についても振り返りました。
萬田さんによると、20代のころに写真を撮られたことはあったものの、実際には2人きりで会っていたわけではなく、複数人での交流だったそうです。
恋愛関係に発展したわけではなく、当時はお互いに交際相手がいたのではないかと話しています。
したがって、この昔の報道を2026年現在の恋愛相手と結び付けるのは誤りです。
萬田久子は再婚する可能性がある?現時点で、萬田さんが再婚を発表したという情報はありません。
一方、2025年のテレビ出演では結婚という制度について「私流」と語り、2026年には新しい恋愛をしていることを明かしました。
過去のパートナーとの関係を大切にしながら、新しい人生や恋愛にも心を開いている様子がうかがえます。
再婚するかどうかは本人の選択であり、恋愛をしていることと結婚を決めることは別の話です。
【萬田久子の旦那】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:萬田久子に旦那はいますか?
A1:2026年11月現在、法律上の旦那はいません。長年のパートナーだった実業家・佐々木力さんとは事実婚関係でしたが、婚姻届は提出していません。
Q2:萬田久子の事実婚パートナー・佐々木力は何歳で亡くなりましたか?
A2:2011年8月9日に60歳で亡くなりました。死因はスキルス性胃がんです。ファーストリテイリングの公式発表でも逝去日と享年が確認できます。
Q3:萬田久子には子どもがいますか?
A3:佐々木力さんとの間に1987年生まれの長男が1人います。萬田さんは29歳のときにニューヨークで出産しました。
萬田久子さんには、法律上の旦那はいません。しかし、佐々木力さんという長年のパートナーと、家族としての時間を積み重ねてきました。
今回の経緯を整理すると、要点は次の5つです。
- 佐々木力氏とは1980年代半ばに出会い、交際を始めた。
- 1987年にニューヨークで長男を出産した。
- 1994年に佐々木氏と前妻の離婚が成立した後も入籍しなかった。
- 2011年8月9日に佐々木氏がスキルス性胃がんで亡くなった。
- 2026年1月には婚姻届を棺に入れた思い出と、新しい恋愛について語った。
特に注目すべきなのは、萬田さんが事実婚を最初から強く望んでいたわけではないと明かしている点です。
2025年の発言や2026年の婚姻届のエピソードからは、法律上の結婚という形式だけでは測れない、2人の長い関係が見えてきます。
【プロの結論】
萬田久子さんの結婚歴を調べる際には、「法律上の結婚」と「長年連れ添ったパートナー関係」を混同しないことが大切です。
佐々木力さんは戸籍上の夫ではありませんでしたが、長男を育て、仕事や生活を支え合い、最期まで深い絆を持ち続けた人生のパートナーでした。
そして2026年、萬田さんは新しい恋愛についても語っています。
過去の愛情を大切にしながら、自分らしい人生を歩み続ける姿こそ、現在の萬田久子さんを理解するうえで見逃せないポイントです。
主な情報源: ファーストリテイリング公式IR、萬田久子さん所属事務所公式プロフィール、Forbes JAPAN、テレ朝POST、日刊スポーツ、スポニチ、デイリースポーツ、女性自身。