御神本訓史(みかもと・のりふみ)騎手は、2026年11月現在も大井所属の現役ジョッキーとして活躍している。1999年4月10日に島根県の益田競馬場でデビューし、2025年12月18日には地方競馬通算3,000勝という大記録を達成。2026年も10月30日時点で95勝、勝率24.7%を記録しており、45歳を迎えた現在も第一線で結果を残している。
その歩みは、輝かしい勝利だけでは語れない。故郷・益田競馬場の廃止、2003年の落馬による重傷、2015年の騎手免許更新不合格、そして2017年の921日ぶりの復帰。幾度もの転機を乗り越え、地方競馬を代表する騎手へと成長した。JpnI3勝を含む重賞実績とともに、御神本訓史のプロフィール、現在の成績、過去の出来事を振り返る。
【2026年最新】御神本訓史は現在も大井所属!プロフィールと成績

御神本訓史騎手は、地方競馬の大井を主戦場とする現役騎手だ。2026年は年間95勝を挙げ、勝率24.7%という高い数字を残している。
2025年には年間136勝、勝率25.9%を記録しており、2年続けて安定した成績を維持している。特に2026年は騎乗384回に対して95勝。およそ4回に1回の割合で勝利している計算になる。
御神本訓史の基本プロフィール- 名前:御神本訓史(みかもと・のりふみ)
- 生年月日:1981年8月25日
- 年齢:45歳(2026年11月現在)
- 出身地:島根県
- 所属:大井
- 初騎乗:1999年4月10日
- 初勝利:1999年4月10日
- デビュー競馬場:益田競馬場
- 大井移籍:2002年9月12日
- 地方競馬通算勝利:3,097勝(公表データ掲載値)
東京シティ競馬(TCK)の騎手プロフィールでは、所属厩舎の欄に東京都騎手会と記載されている。一方、地方競馬情報サイトでは所属は大井とされている。いずれも現在の競走活動を確認するうえで押さえておきたい情報だ。
2026年の最新成績は95勝・勝率24.7%南関東4競馬場の騎手データおよび地方競馬情報サイトに掲載された2026年の成績は、次のとおりだ。
- 1着:95回
- 2着:67回
- 3着:37回
- 騎乗回数:384回
- 勝率:24.7%
- 連対率:42.2%
集計基準日は2026年10月30日。年間95勝という数字だけでなく、連対率42.2%も注目に値する。騎乗したレースの4割以上で2着以内に入っており、勝利だけでなく安定した上位入着も実現している。
また、2026年はスレイマンとのコンビなどで重賞でも結果を残している。45歳という年齢を迎えても、南関東競馬の有力騎手として存在感を保っている。
【経歴・年表】益田競馬デビューから地方競馬3,000勝まで
御神本訓史の競馬人生を理解するうえで欠かせないのが、益田競馬場で過ごした若手時代だ。
父親が益田競馬場の調教師だったことから、幼い頃から馬が身近にいる環境で育った。本人も過去のインタビューで、父親の仕事を通じて自然に馬に親しんでいたと振り返っている。
1999年4月10日、益田競馬場で騎手としてデビュー。同じ日に初勝利も挙げ、早くから才能を発揮した。
益田時代はデビュー2年目でリーディングを獲得デビューからわずか3か月後には、シリウスファイターに騎乗して日本海特別を制覇。益田競馬での最初の大きな重賞タイトルを手にした。
さらに2000年には益田リーディングジョッキーを獲得。デビュー2年目で地元競馬場のトップに立ったことは、当時から高い評価を受けていた証拠だ。
2002年6月にはサントゥールワンとのコンビで益田優駿を制覇。しかし、同年8月に益田競馬場が廃止される。生まれ育った地域の競馬場を離れなければならなくなったことは、大きな転換点だった。
その後、2002年9月12日付で大井競馬場へ移籍。小規模な地方競馬場から、多頭数で激しい競争が繰り広げられる南関東の中心へと活動の舞台を移した。
御神本訓史のキャリア年表と関係馬・主要レース| 時期 | 出来事・関係者 | 主な実績・意味 |
|---|---|---|
| 1999年4月 | 益田競馬場でデビュー | 4月10日に初騎乗・初勝利 |
| 1999年7月ごろ | シリウスファイター | 日本海特別を制覇 |
| 2000年 | 益田競馬 | デビュー2年目でリーディング獲得 |
| 2002年 | サントゥールワン | 益田優駿を制覇。競馬場廃止後、大井へ移籍 |
| 2003年 | 落馬事故 | 外傷性くも膜下出血・脳挫傷の重傷 |
| 2005年 | 大井競馬 | 本格復帰。通算500勝を達成 |
| 2006年 | ベルモントファラオ | 東京シティ盃を制覇 |
| 2007年 | フジノウェーブ | JBCスプリントでJpnI初制覇 |
| 2013年 | 南関東4競馬場 | 年間253勝で南関東リーディング獲得 |
| 2015年 | 騎手免許更新 | 免許試験不合格により騎手活動を離れる |
| 2017年8月 | 大井競馬 | 921日ぶりに実戦復帰 |
| 2019年 | ブルドッグボス | JBCスプリント2勝目 |
| 2023年 | ミックファイア | ジャパンダートダービー制覇 |
| 2025年12月18日 | ラティサワー | 地方競馬通算3,000勝達成 |
| 2026年 | 大井所属騎手として活動 | 10月30日時点で年間95勝、勝率24.7% |
この年表から分かるのは、御神本騎手のキャリアが単純な右肩上がりではなかったことだ。競馬場の廃止、身体的な負傷、免許更新の問題という複数の転機を経験しながら、再びトップレベルの舞台に戻ってきた。
【重賞実績】御神本訓史のJpnI3勝と代表的な名馬
御神本訓史の騎手としての評価を語る際、欠かせないのがJpnI3勝という実績だ。
2007年のフジノウェーブ、2019年のブルドッグボス、2023年のミックファイア。3頭とのコンビでダート競馬の大舞台を制している。
2007年:フジノウェーブで地方馬初のJBCスプリント制覇2007年10月31日、大井競馬場で開催された第7回JBCスプリント。御神本騎手はフジノウェーブに騎乗し、7番人気という評価を覆して優勝した。
この勝利は、JBCスプリントとJBCクラシックを通じて、地方所属馬が初めて優勝した歴史的な出来事だった。
中央勢が上位人気を占めるなか、フジノウェーブは直線で先行馬をとらえ、最後の接戦を制した。御神本騎手にとっても、初のJpnIタイトルとなった。
フジノウェーブとは、その後も数々の重賞を制覇。東京スプリング盃では同一重賞4連覇という記録にも関わり、御神本騎手の代表的なパートナーとして知られるようになった。
2019年:ブルドッグボスでJBCスプリント2勝目2019年11月4日、浦和競馬場で開催された第19回JBCスプリントでは、ブルドッグボスに騎乗した。
レースでは、藤田菜七子騎手が騎乗するコパノキッキングをゴール前で差し切って優勝。御神本騎手は12年ぶりにJBCスプリントを制した。
2007年のフジノウェーブに続く2度目のJBCスプリント制覇であり、異なる馬で同じ大舞台を勝ち切った点も印象的だ。
地方競馬の騎手が、所属競馬場や馬の能力だけでなく、レース展開を読み切る技術によって全国規模のタイトルを獲得できることを示した勝利だった。
2023年:ミックファイアでジャパンダートダービー制覇2023年7月12日、大井競馬場で開催された第25回ジャパンダートダービーでは、ミックファイアに騎乗して優勝した。
ミックファイアはこの勝利によって、南関東3歳クラシック三冠を無敗で達成。22年ぶり、史上2頭目となる快挙だった。
このレースは、御神本騎手のキャリアにおいても大きな意味を持つ。益田競馬場でデビューした騎手が、長い年月を経て地元・大井の大舞台で無敗の三冠馬を導いたからだ。
2026年も重賞勝利を積み重ねる3,000勝達成後も、重賞での活躍は続いている。TCK公式の重賞勝利歴には、2026年だけでも次の5勝が掲載されている。
- 1月22日:報知グランプリカップ(SIII)/グロリアムンディ
- 2月4日:報知オールスターカップ(SIII)/スレイマン
- 6月4日:若潮スプリント(SIII)/ブルーメンガルテン
- 6月16日:川崎スパーキングスプリント(SIII)/ハーフブルー
- 10月21日:埼玉栄冠賞(SIII)/スレイマン
特にスレイマンとのコンビでは、2026年に報知オールスターカップと埼玉栄冠賞を制覇。大井所属の騎手でありながら、船橋・川崎・浦和を含む南関東各場で重賞を勝っている点も特徴だ。
なお、JpnI3勝と重賞勝利数は区別して理解したい。JpnIはダートグレード競走の最上位格付けであり、重賞全体の勝利数とは別の数字である。2025年12月18日の3,000勝達成時点では、重賞93勝、そのうちJpnIが3勝だった。
【2015年の騎手免許更新不合格】何があった?経緯と復帰まで
御神本訓史の経歴で、特に大きな転機となったのが2015年の騎手免許更新不合格だ。
当時は南関東を代表するトップジョッキーの一人であり、2013年には自身初の南関東リーディングも獲得していた。しかし、競馬場内の規則違反による処分などが重なり、騎手免許の継続が認められなかった。
免許更新不合格に至った背景2013年2月21日から2014年11月13日までの間、御神本騎手は資格のない人物を、施術師であると偽って大井競馬場の騎手調整ルームに入室させていた。
この行為について、特別区競馬組合は2015年2月27日に処分を発表。2015年3月2日から4月10日まで、30日間の騎乗停止となった。
加えて、2014年4月には、許可を得ず騎手調整ルームの外へ出たことによる6日間の騎乗停止処分も受けていた。
こうした経緯があるなか、地方競馬全国協会(NAR)は2015年3月17日、御神本騎手が免許試験委員会で不合格となったことを発表した。
当時の報道によると、NARは不合格の詳細について個人情報の観点から公表を控え、筆記試験や面接試験、過去の業務状況などを総合的に勘案して審議したと説明している。
そのため、免許更新不合格を特定の一つの違反だけに直接結び付けるのではなく、当時の処分歴とNARの説明を分けて理解する必要がある。
2017年に騎手免許を再取得免許を失った後、御神本騎手は騎手復帰を目指して活動を続けた。
その間、千葉県の小林牧場で厩務員として働きながら、騎手免許の再取得を目指していた。2017年3月には、2度目の受験で騎手免許試験に合格したことが発表された。
そして2017年8月28日、大井競馬12Rのサマーメモリー賞でロイヤルキングに騎乗。2015年2月19日の浦和競馬以来、実に921日ぶりの実戦復帰となった。
2017年9月11日には復帰後初勝利も達成。長い空白期間を経て、再び勝利騎手として競馬場に戻ってきた。
この出来事は、御神本騎手のキャリアを語るうえで外せない再出発の瞬間だ。
【落馬事故と復帰】瀕死の重傷から再びトップ騎手へ
御神本訓史の競馬人生には、免許更新の問題とは別に、身体的な危機もあった。
特に2003年5月の落馬事故は、騎手生命だけでなく生命そのものが危ぶまれるほどの重大な出来事だった。
2003年5月の落馬事故で一時意識不明に2002年に益田競馬場から大井競馬場へ移籍した御神本騎手は、翌2003年5月にレース中の落馬事故に遭った。
報道によると、負傷の内容は外傷性くも膜下出血と脳挫傷。一時は意識不明となり、長期のリハビリを余儀なくされた。
約1年にわたるリハビリを経て騎手としての活動を再開したものの、休養と復帰を繰り返し、本格的に戦列へ戻ったのは2005年だった。
2005年には通算500勝を達成。TCKの当時のインタビューでも、負傷後に周囲やファンの支援を受けながら復帰したことを振り返っている。
2011年にも落馬負傷、約7か月後に復帰さらに2011年11月30日、大井競馬10Rで再び落馬負傷。約7か月間、実戦から離れることになった。
2012年6月24日の大井競馬9Rで復帰し、騎乗を再開。負傷による長期離脱を経験しながらも、再び競馬場に戻ってきた。
2011年の負傷は、2003年の重傷事故とは別の出来事だ。両者を混同しないことが、御神本騎手の経歴を正しく理解するポイントになる。
2015年の落馬負傷も復帰への障壁に2015年2月19日には浦和競馬9Rで落馬し、左坐骨骨折と左殿筋下血腫と診断された。
この負傷によって、その後の騎乗を取りやめることになった。さらに同年の免許更新不合格も重なり、競馬場から長期間離れることになった。
2017年の復帰までには、免許の再取得だけでなく、身体の回復も必要だった。921日という空白期間には、こうした複数の事情が関係している。
御神本騎手のキャリアを振り返ると、単に勝利数を重ねた騎手というだけではなく、負傷や制度上の問題を乗り越えて競技生活を続けてきた人物であることが分かる。
【プロの結論】御神本訓史の強さは騎乗技術と復帰後の実績にある
御神本訓史の競馬人生を評価する際、注目したいのは3つの要素だ。
1. 小規模競馬場から大井へ適応した経験益田競馬場と大井競馬場では、コースの規模や出走頭数、レースの展開が大きく異なる。
本人も過去のインタビューで、益田競馬場は1周約1,000メートルであり、大井へ移籍した当初は多頭数のレースに慣れるのが難しかったと振り返っている。
異なる競馬環境に適応し、南関東リーディングを獲得するまでに成長した点は、騎手としての対応力を示している。
2. 逃げから追い込みまで幅広い騎乗スタイルTCKの公式騎手プロフィールでは、得意な騎乗法として逃げ、先行、差し、追込の4種類が掲載されている。
これは、特定の戦法だけに依存しない騎乗スタイルを確認できる情報だ。馬の脚質や枠順、レースの流れに応じて異なる戦術を選べることは、南関東の多様な競走条件で戦ううえで大きな強みとなる。
3. 45歳でも重賞で結果を残す現役力2026年10月30日時点の95勝、勝率24.7%という成績は、現在も高い競争力を保っていることを示す。
また、2026年にも複数の重賞を勝っており、単に過去の実績に支えられている騎手ではない。
2025年12月の3,000勝達成時には、調教師への転身についても質問されていた。報道された本人のコメントでは、将来の可能性には触れながらも、当面は騎手としての仕事に集中する意向を示している。
「目の前の騎手業に専念しようかなと思っています」
出典:2025年12月18日の地方競馬通算3,000勝達成時の報道
この発言からも、少なくとも3,000勝達成時点では、騎手として競馬に向き合う姿勢を重視していたことが分かる。
今後の評価では、過去のJpnI実績だけでなく、2026年の勝率や重賞での騎乗馬、実際のレース結果を継続的に見ることが重要だ。
御神本訓史に関するよくある質問(FAQ)
Q1:御神本訓史は2026年現在も現役騎手ですか?
A1:はい。2026年11月現在も現役です。地方競馬情報サイトでは大井所属と掲載されています。
Q2:御神本訓史の地方競馬通算勝利数はいくつですか?
A2:2025年12月18日に地方競馬通算3,000勝を達成しました。その後も勝利を重ね、2026年の公表データでは地方通算3,097勝となっています。JRAでは別途6勝を記録しています。
Q3:御神本訓史の2026年の成績は?
A3:2026年10月30日時点で95勝、騎乗384回、勝率24.7%、連対率42.2%です。
Q4:御神本訓史のJpnI勝利は何勝ですか?
A4:JpnIは通算3勝です。2007年のフジノウェーブ、2019年のブルドッグボスによるJBCスプリント、2023年のミックファイアによるジャパンダートダービーで優勝しています。
Q5:御神本訓史はなぜ騎手免許の更新に不合格となったのですか?
A5:2013年から2014年にかけての騎手調整ルームへの不適切な入室に関する問題などがあり、2015年に騎乗停止処分を受けました。同年3月に免許試験不合格も発表されています。NARは筆記試験、面接、過去の業務状況などを総合的に審議したと説明しています。
Q6:御神本訓史は落馬事故からいつ復帰しましたか?
A6:2003年の重大事故からはリハビリを経て2005年に本格復帰しました。また、2015年の騎手活動休止後は、2017年8月28日に921日ぶりに実戦復帰しています。
御神本訓史は、1999年の益田競馬デビューから長い年月をかけ、地方競馬を代表するトップジョッキーへと成長した人物だ。
2002年の益田競馬場廃止に伴う大井への移籍、2003年の落馬による重傷、2015年の騎手免許更新不合格、そして2017年の921日ぶりの復帰。決して平坦ではない競馬人生を歩んできた。
その後もフジノウェーブ、ブルドッグボス、ミックファイアなどの名馬とともにJpnI3勝を達成。2025年12月18日には地方競馬通算3,000勝という大台に到達した。
2026年も10月30日時点で95勝、勝率24.7%を記録し、重賞でも勝利を積み重ねている。
今後の注目点は、地方通算3,100勝への到達、さらなる重賞タイトル、そして南関東のトップジョッキーとしてどこまで実績を伸ばすかという点だ。
御神本訓史の魅力は、過去の栄光だけではない。幾度もの困難を経ても騎手として競馬場に立ち続け、現在進行形で勝利を積み重ねていることにある。
3,000勝はキャリアの終着点ではなく、新たな記録への通過点。2026年以降も、その騎乗と成績から目が離せない。
主な事実確認資料: 東京シティ競馬(TCK)公式騎手プロフィール・3,000勝達成発表・騎手ヒストリー、地方競馬情報サイト、南関東4競馬場の騎手データ、NARの2015年免許試験発表、日刊スポーツ、競馬専門メディアの過去の復帰報道。