元TBSアナウンサーの男性には、安東弘樹、国山ハセン、生島ヒロシ、久米宏、小林豊など、テレビ・ラジオの歴史に名を残す人物がいます。しかし、全員がTBSを退社してフリーアナウンサーになったわけではありません。局内の別部署へ異動した人、定年退職した人、独立して新しいメディア事業を始めた人など、その後のキャリアは大きく異なります。
2026年11月現在、特に注目したいのは、2018年に退社した安東弘樹の自動車ジャーナリストとしての活動、2022年に退社した国山ハセンの米国起業、そして生島ヒロシの2025年の活動自粛と2026年のラジオ復帰です。一方、小林豊は2019年にアナウンス部から異動しており、退社と異動の違いを理解するうえで重要な人物です。歴代の男性アナウンサーを整理しながら、入社・退社時期、転身理由、現在の活動を解説します。
【2026年版一覧】元TBS男性アナウンサーの代表的人物と現在の活動

元TBSアナウンサーの男性を調べる際は、入社年だけでなく、アナウンス部を離れた時期と会社そのものを退職した時期を分けて見る必要があります。
ここでは、歴代のTBS男性アナウンサーの中から、知名度や代表番組、その後のキャリアが特徴的な人物を中心に整理しました。入社年・退社年は公表資料や報道で確認できる範囲のものです。
| 人物 | TBS入社・退社 | 代表的な活動・経歴 | 2026年時点の状況 |
|---|---|---|---|
| 久米宏 | 1967年入社・1979年退社 | ザ・ベストテン、ニュースステーション | 2026年1月1日逝去 |
| 生島ヒロシ | 1976年入社・1989年退社 | TBSラジオの朝のワイド番組 | 文化放送のラジオ番組に復帰 |
| 大沢悠里 | 1964年入社・1991年退局 | 大沢悠里のゆうゆうワイド | 2022年に土曜日版が終了 |
| 松下賢次 | 1975年入社・2013年定年退職 | スポーツ実況、マスターズ中継 | フリーアナウンサーとして活動 |
| 安東弘樹 | 1991年入社・2018年3月退社 | 王様のブランチ、アッコにおまかせ! | フリーアナウンサー・自動車ジャーナリスト |
| 小林豊 | 1989年入社・2019年7月にアナウンス部から異動 | JNN NEWS、東京フレンドパーク | 2025年にTBSを退職 |
| 国山ハセン | 2013年入社・2022年12月退社 | グッとラック!、news23 | PIVOTのMC・プロデューサー、FOX UNION代表 |
この一覧で押さえておきたいのは、小林豊の経歴です。2019年にアナウンス部を離れたものの、その時点ではTBSを退社していません。2025年には退職祝いがTBSのポッドキャストで話題になっており、アナウンサーとしての引退と会社からの退職が別のタイミングだったことが分かります。
また、国山ハセンはTBS在籍中に『news23』のキャスターを務めた後、2022年末に退社しました。2026年には米国での事業にも取り組んでおり、従来のフリーアナウンサーという枠に収まらない活動を展開しています。
【安東弘樹の現在】2018年の退社理由とフリー転身後の仕事
安東弘樹は、元TBS男性アナウンサーの中でも、局アナからフリーへの転身後に専門分野を広げた代表的な人物です。
1991年にTBS入社、2018年3月末に退社安東弘樹は1967年10月8日生まれ、神奈川県出身。1991年にTBSへ入社し、バラエティーから報道まで幅広い番組を担当しました。
「アンディ」の愛称でも親しまれ、『王様のブランチ』『アッコにおまかせ!』などへの出演でも知られています。TBS在籍中にはアナウンス部次長として後輩の指導や組織運営にも関わり、出演者と管理職の役割を兼ねる立場にありました。
2018年2月9日、TBSラジオ『たまむすび』で退社を発表。3月31日をもって、27年間勤務したTBSを離れました。
退社について本人は、アナウンス部の管理業務や番組出演、自動車関連の仕事などを並行して担当する中で、すべての仕事を中途半端にしたくないという考えから、何かに集中する選択が必要になったと説明しています。
単にテレビ出演を増やしたいという理由ではなく、会社員としての管理職業務と、自分が専門性を高めたい仕事との両立を考えた決断でした。
2026年現在はフリーアナウンサーと自動車ジャーナリスト退社後は芸能事務所キューブに所属し、フリーアナウンサーとして活動。加えて、以前から深い関心を持っていた自動車分野での仕事にも力を入れています。
安東は単なる自動車好きではありません。自動車競技国内A級ライセンスなどの資格を持ち、日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員を2017年から務めています。日本自動車ジャーナリスト協会の会員として、自動車関連の執筆活動にも携わっています。
2026年6月のBS-TBS出演時には、現在の仕事について、自動車関連の仕事が全体の半分から3分の1程度を占めると説明しました。アナウンサー業と自動車ジャーナリスト業を並行していることが分かります。
所属事務所の公式プロフィールでも、フリーアナウンサーとしての活動や自動車関連の仕事が紹介されています。
安東弘樹のケースは、TBS退社が必ずしもテレビ業界から離れることを意味しない好例です。局アナ時代に培った伝える力を生かしながら、個人の専門性を独立した仕事へ発展させています。
【国山ハセンの現在】TBS退社からPIVOT、米国起業までのキャリア
2026年の元TBSアナウンサーを語るうえで、特に大きな変化を見せているのが国山ハセンです。局アナからビジネス動画メディアのプロデューサーへ、さらに米国での起業へと活動領域を広げました。
2013年入社、2022年12月にTBSを退社国山ハセンは1991年生まれ。中央大学商学部を卒業し、2013年4月にTBSテレビへ入社しました。
在籍中は『アッコにおまかせ!』『王様のブランチ』『ひるおび』などの情報・バラエティー番組に出演。2019年から2021年には『グッとラック!』のメインMCを務め、2021年8月からは報道番組『news23』のキャスターとして活動しました。
そして、2022年12月にTBSを退社。翌2023年1月から、ビジネス動画メディアPIVOTに映像プロデューサーとして参画しました。
国山ハセンがTBSを辞めた理由退社理由については、本人が複数のインタビューで説明しています。
週刊女性PRIMEのインタビューでは、TBSでさまざまな番組を経験するうちに、局アナとしての将来像がある程度見えるようになり、新しい環境でゼロから何かを生み出すことに魅力を感じたと語っています。
また、ニッポン放送の番組では、報道番組のキャスターとして働く中で、自分自身が企画や意思決定に関わる範囲に限界を感じたことにも触れています。
2026年のダイヤモンドZAiのインタビューでも、TBSで目標としていた番組MCとニュースキャスターを経験できたことに加え、会社員としての働き方や収入、将来の可能性を考えたことが転身の背景として紹介されました。
つまり、国山の退社は番組を降板したことだけが理由ではありません。自分で事業をつくり、意思決定できる立場に進みたいというキャリア上の選択でした。
2025年にFOX UNIONを設立、2026年は日米をつなぐ事業へ2023年からPIVOTでMCと映像プロデューサーを担当した国山は、2025年2月に米国でFOX UNIONを創業しました。
本人の公表によると、米国での起業は、日本の技術や文化、食、自然などの魅力を海外へ伝えること、そして海外の最新情報を日本へ届けることが目的です。
2025年4月からは米国へ生活拠点を移し、ロサンゼルスと東京を行き来する形で活動することを発表しました。
2026年の本人のプロフィールでは、FOX UNIONの代表取締役CEOとPIVOTのMC・プロデューサーを兼ねる立場が紹介されています。日本と米国を結ぶ映像コンテンツの企画・制作や、企業・起業家へのインタビューなどが主な活動領域です。
国山ハセンの現在を調べる際には、「元TBSのフリーアナウンサー」という説明だけでは不十分です。現在はアナウンサーとしての経験を事業づくりに転用する、メディア起業家としての側面が大きくなっています。
【生島ヒロシ・久米宏】TBS時代とフリー転身後の大きな転機
生島ヒロシと久米宏は、TBSのアナウンサーから独立し、ラジオやテレビで長く活躍した代表的な人物です。ただし、2026年の状況には大きな違いがあります。
生島ヒロシは1976年入社、1989年にフリー転身生島ヒロシは1950年12月24日生まれ、宮城県気仙沼市出身です。1976年にTBSへアナウンサーとして入社し、1989年に退社してフリーに転身しました。
TBS時代を経て独立した後も、ラジオを中心に活動を続けました。特に1998年4月から担当した『生島ヒロシのおはよう定食』『生島ヒロシのおはよう一直線』は、約27年間にわたる長寿番組となりました。
ここで重要なのは、同番組の出演期間とTBS社員としての在籍期間を混同しないことです。生島は1989年にTBSを退社しており、1998年以降の番組出演はフリーアナウンサーとしての仕事でした。
2025年の番組降板と2026年のラジオ復帰生島ヒロシについては、2025年1月に大きな転機がありました。
TBSラジオは1月27日、同氏について重大なコンプライアンス違反を確認したとして、担当していた2番組からの降板を発表しました。
本人も謝罪コメントを公表し、不適切な画像をスタッフに送ったことや、生放送中にスタッフへの当たりが強くなったことなどを説明。ハラスメントに対する認識の甘さを反省し、芸能活動を無期限で自粛する意向を示しました。
さらに2025年2月21日、所属していた生島企画室はFIRST AGENTへ社名を変更。生島本人も事務所を退所し、役職を辞して資本関係もなくなりました。
その後、2026年3月に文化放送が新番組への起用を発表。4月5日から『生島ヒロシの日曜9時ですよ~』のパーソナリティーとして仕事に復帰しました。
初回放送では、番組冒頭で一連の騒動について謝罪。約1年2カ月ぶりの仕事復帰となりました。
文化放送の公式番組情報でも、2026年11月現在、日曜午前9時からの番組とパーソナリティーとして生島の名前が掲載されています。
生島ヒロシの現在を調べる際は、TBSラジオからの降板と、ラジオ業界からの引退を同じ意味で捉えないことが大切です。TBSの番組には出演していませんが、別の放送局で新たな仕事を始めています。
久米宏は1979年に退社、2026年1月に逝去久米宏は1944年7月14日生まれ、埼玉県出身。1967年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、TBSにアナウンサーとして入社しました。
在籍中は『ぴったしカン・カン』『ザ・ベストテン』などの人気番組で司会を担当。1979年にTBSを退社し、フリーアナウンサーへ転身しました。
独立後の代表的な仕事が、1985年から2004年までメインキャスターを務めたテレビ朝日の『ニュースステーション』です。ニュースを視聴者に分かりやすく届けるスタイルを確立し、日本の報道番組に大きな影響を与えました。
2026年1月13日、所属事務所から訃報が発表されました。久米は同月1日に肺がんのため81歳で亡くなっていました。
したがって、2026年時点の久米宏については、現在の出演番組や所属先を探すのではなく、TBS時代からフリー転身後に築いた放送史上の実績を振り返ることが適切です。
【小林豊に見る異動と退社の違い】元TBSアナウンサーになった経緯
元TBSアナウンサーの男性を調べている読者が、特に混同しやすいのが「アナウンス部からの異動」と「TBSそのものからの退社」です。この違いを理解するうえで、小林豊は重要な事例です。
小林豊は2019年7月にアナウンス部から異動小林豊は1989年にTBSへ入社した男性アナウンサーです。「小林少年」という愛称でも知られ、『JNN NEWS』『2時っチャオ!』『関口宏の東京フレンドパークII』などに出演しました。
また、気象予報士や防災士の資格を持ち、気象情報を伝える仕事でも活躍。TBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』では「小林豊のTOKYO潜入大作戦」という中継企画を担当しました。
転機となったのは2019年6月29日です。同番組で最後の中継を担当した際、7月1日付でアナウンス部から別部署へ異動することを明らかにしました。
このとき、本人はアナウンサーとしての活動を終えることを説明し、最後の出演を締めくくりました。ラジオ番組の公式記事にも、異動に伴う最後の中継について記録されています。
その後はメディアビジネス局などで勤務し、海外事業開発部の担当部長も務めました。アナウンサーとしてマイクの前に立つ仕事から、メディア事業を支える側へと役割を変えたのです。
2025年10月のTBSポッドキャストでは、小林の退職祝いに関する話題が取り上げられています。2019年の異動と2025年の退職は、別々の出来事として整理する必要があります。
異動と退社は何が違うのかテレビ局のアナウンサーは、会社に雇用された社員です。そのため、アナウンス部から報道局、編成局、営業部門、海外事業部門などへ移ることがあります。
この場合、本人がアナウンサーとして番組に出演しなくなっても、会社との雇用関係は続きます。一方、退社は会社との雇用関係そのものを終了することです。
両者の違いを整理すると、次のようになります。
- アナウンス部からの異動:TBS社員として在籍しながら、別の部署で働く。
- フリー転身:TBSを退社し、個人や芸能事務所などを通じて仕事をする。
- 定年退職:会社の定年制度などに基づき退職し、その後フリーで活動する場合もある。
- 退社後の起業:会社を離れ、自ら事業を立ち上げる。
小林豊のように、アナウンサーを辞めた後も長く同じ放送局で働く人はいます。したがって、「元TBSアナウンサー」という表現だけでは、現在もTBSに所属しているのか、すでに退職しているのかまでは判断できません。
【TBS男性アナウンサーの退社理由】フリー転身を選ぶ人が増える背景
歴代のTBS男性アナウンサーを見ると、退社の理由は一律ではありません。個人の専門性を高めたい人もいれば、新しいメディアに挑戦したい人、定年を機に独立した人もいます。
安東弘樹は専門分野への集中を選んだ安東弘樹の場合は、管理職業務、アナウンサー業務、自動車関連の活動を並行する中で、仕事の優先順位を見直す必要が生じたことが大きな理由でした。
退社後もアナウンサーの仕事を続けていますが、自動車ジャーナリストとしての活動も独立した柱になっています。会社員時代に培った経験を、専門分野の仕事へ結び付けた転身です。
国山ハセンは新しいメディアと事業づくりを選んだ国山の場合は、テレビ局で目標としていた番組MCや報道キャスターを経験したうえで、次の成長機会を求めたことが特徴です。
従来の放送局の枠組みから離れ、企画・制作・出演を一体的に進められる環境へ移ったことが、その後のPIVOT参画や米国起業につながっています。
大沢悠里や松下賢次は長年の局アナ経験を独立後に生かした大沢悠里は1964年にTBSへ入社し、1991年2月に退局してフリーアナウンサーになりました。ラジオ番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』は1986年から2016年まで平日版が続き、2016年からは土曜日版へ移行。2022年3月に番組の歴史に幕を下ろしました。
松下賢次は1975年にTBSへ入社し、スポーツ実況を中心に活躍しました。特にマスターズ・トーナメントの実況などで知られ、「世界の松下」の愛称でも親しまれています。
アナウンスセンター部長やTBSアナウンススクールの初代校長などを歴任した後、2013年に定年退職。以降はフリーアナウンサーとして活動しています。
こうした歴代男性アナウンサーの経歴を見ると、退社は必ずしもテレビ局での仕事を否定する行為ではありません。長年の経験を別の形で生かすためのキャリア選択でもあります。
また、テレビ局の外に動画配信サービスやビジネスメディア、インターネットを中心とした情報発信の場が広がったことも、独立後の選択肢を増やしています。
元TBSアナウンサーの現在を調べる際は、次の3点を確認すると経歴を誤解しにくくなります。
- 退社日:いつTBSとの雇用関係が終了したのか。
- 転身後の職業:フリーアナウンサー、プロデューサー、経営者、ジャーナリストなど、現在の主な仕事は何か。
- 現在の所属:芸能事務所、制作会社、自身の会社、放送局など、現在の活動拠点はどこか。
【元TBS男性アナウンサー】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:元TBSアナウンサーの男性で、現在もテレビやラジオに出演している人は誰ですか?
A1:安東弘樹、生島ヒロシなどが代表例です。安東はフリーアナウンサーとしてテレビ・ラジオに出演し、自動車ジャーナリストとしても活動しています。生島は2026年4月から文化放送の『生島ヒロシの日曜9時ですよ~』で仕事に復帰しています。
Q2:国山ハセンは現在何をしていますか?
A2:2026年現在、国山ハセンはビジネス動画メディアPIVOTのMC・プロデューサーとして活動するほか、2025年に設立したFOX UNIONの代表取締役CEOも務めています。日本と米国を結ぶ映像メディア事業に取り組んでいます。
Q3:小林豊はTBSを退社したのですか?
A3:小林豊は2019年7月にアナウンス部から他部署へ異動しましたが、この時点ではTBSを退社していません。その後は海外事業開発などを担当し、2025年には退職祝いがTBSのポッドキャストで取り上げられています。2019年のアナウンサーとしての引退と、会社からの退職は区別する必要があります。
元TBSアナウンサーの男性には、安東弘樹、国山ハセン、生島ヒロシ、久米宏、大沢悠里、松下賢次、小林豊など、さまざまな経歴を持つ人物がいます。
2026年の動向で特に注目されるのは、安東弘樹のアナウンサーと自動車ジャーナリストの両立、国山ハセンのPIVOT参画と米国起業、生島ヒロシの文化放送での仕事復帰です。久米宏については2026年1月1日に81歳で亡くなったことも、最新の経歴を整理するうえで欠かせない出来事です。
そして、小林豊の経歴から分かるように、アナウンサーを辞めることとTBSを退社することは同じではありません。局内異動、定年退職、フリー転身、起業はそれぞれ異なるキャリアの選択です。
元TBS男性アナウンサーを調べる際には、名前や過去の出演番組だけでなく、入社年、アナウンス部を離れた時期、退社時期、現在の活動をセットで確認することが大切です。2026年以降も、放送局で培った経験を新しいメディアや専門分野に生かす元アナウンサーたちの活動に注目が集まりそうです。
主な事実確認資料: TBS NEWS DIG、TBSラジオ、TBSアナウンサーズ、キューブ公式プロフィール、PIVOTの発表、文化放送公式番組情報、各人物へのインタビュー・2026年の報道。