ホーム スポーツ 【結論】原大智はモーグルを引退!2026年現在は競輪選手として活動

【結論】原大智はモーグルを引退!2026年現在は競輪選手として活動

伊部 拓海 伊部 拓海 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

原大智は、2026年現在、モーグルの現役選手ではない。北京オリンピック終了後に競技生活に区切りをつけ、競輪選手として第二のキャリアを歩んでいる。

モーグル引退が決まったのは、2022年2月の北京オリンピック終了後。同年4月から競輪に専念する生活へ移行した。

2022年4月6日に掲載された月刊競輪WEBのインタビューでは、引退について本人が次のように明言している。

「はい、もう未練なく引退しました。ここからは競輪に絞っていきます」

この発言からも分かるように、モーグル引退は一時的な休養ではなく、競技人生の方向を変える明確な決断だった。

2026年11月現在のプロフィール


競輪選手・宮城登録・117期
- 生年月日:1997年3月4日
- 年齢:29歳
- 出身地:東京都渋谷区
- 登録府県:宮城県
- 競輪の期別:117期
- 現在の級班:S級2班


特に注意したいのは、出身地と競輪の登録府県は別の情報だという点だ。原は東京都渋谷区出身と紹介されている一方、競輪選手としては宮城県登録で活動している。

KEIRIN.JPの2026年11月6日更新プロフィールでは、2026年1月1日からS級2班に所属していることが確認できる。今期得点は104.70だ。

つまり、原大智は過去のオリンピックメダリストというだけではない。現在も競輪のS級で戦う現役プロ選手である。

【モーグルの競技実績】平昌五輪銅メダルから北京五輪7位まで

原大智モーグル

原大智のモーグル時代を語るうえで欠かせないのが、平昌オリンピックの銅メダルと2019年世界選手権の銅メダルだ。

日本男子モーグルの歴史に残る実績を築いた後、競輪選手として北京オリンピックに出場するという異例のキャリアを実現した。

2018年平昌オリンピックで日本男子初の銅メダル

2018年2月、原は韓国で開催された平昌冬季オリンピックの男子モーグルに出場した。

男子モーグルは、雪面に連続するコブを滑りながら、途中に設けられたジャンプ台でエア技を披露する競技だ。

評価の対象となるのは、主にターン、エア、スピード。技術の正確さだけでなく、空中での完成度や滑走全体のスピードも求められる。

原はこの大会で82.19点を記録し、銅メダルを獲得した。

これは冬季オリンピックのフリースタイルスキー男子種目における日本人初の表彰台という快挙だった。

単にメダルを獲得しただけではない。日本男子モーグルが世界のトップと競い合えることを証明した結果でもあった。

2019年世界選手権でも2つの銅メダル

平昌五輪で結果を残した原は、翌2019年の世界選手権でも活躍した。

KEIRIN.JPの公式プロフィールに記載されている国際大会の実績は次のとおり。

- 男子モーグル:銅メダル
- 男子デュアルモーグル:銅メダル

デュアルモーグルは、2人の選手が並行するコースを同時に滑り、直接対決する形式の競技だ。

通常のモーグルとは異なる駆け引きも必要になる。原は両種目で銅メダルを獲得し、単発のオリンピックでの活躍にとどまらない実力を示した。

2022年北京オリンピックでは7位入賞

2022年2月5日、原は北京オリンピックの男子モーグルに出場した。

この時点で原はすでに競輪選手としてデビューしており、二つの競技を並行していた。

大会では決勝1回目を3位で通過。しかし、決勝2回目では得点を伸ばせず、最終的に7位となった。上位6人が進む決勝3回目への進出はならなかった。

メダル獲得には届かなかったものの、2大会連続のオリンピック出場で7位入賞という結果を残している。

注目したいのは、原自身が北京大会への出場を競輪選手としての誇りと捉えていたことだ。

2022年4月のインタビューでは、競輪選手としてオリンピックに出場できたことについて、平昌で銅メダルを獲得した時よりもうれしく、誇りに思うと語っている。

この言葉には、すでに競輪を自分の将来の中心に据えていた原の意識が表れている。

【原大智の経歴・年表】モーグルから競輪117期への転身を整理

原大智のキャリアには、大きく分けて3つの段階がある。

1つ目はモーグル選手として世界を目指した時代。2つ目は競輪とモーグルを両立した二刀流時代。そして3つ目が、北京五輪後に競輪一本へ移行した現在の競技人生だ。

年代別の主な実績
時期 出来事・実績 意味・備考 1997年3月 東京都で誕生 3月4日生まれ 小学6年生 モーグルを始める 競技人生の出発点 2017年 冬季アジア大会銀メダル デュアルモーグル 2018年2月 平昌五輪銅メダル 男子モーグル 2019年2月 世界選手権銅メダル2個 モーグル・デュアルモーグル 2019年5月 競輪選手養成所に入所 特別選抜試験で合格 2020年3月 養成所を卒業 117期 2020年5月15日 競輪選手デビュー 広島競輪場 2020年12月 競輪初優勝 西武園競輪場 2022年2月 北京五輪7位 モーグル引退を決断 2022年4月 競輪一本に専念 二刀流を卒業 2024年7月 S級2班に昇格 競輪で上位クラスへ 2026年11月 S級2班で現役活動 宮城県登録・117期

この年表から分かるのは、モーグルでの成功を終着点とせず、競輪という新しい競技に挑戦する準備を早い段階から進めていたことだ。

競輪117期への入所は異例のルートだった

原が競輪選手になる際に利用したのは、日本競輪選手養成所の特別選抜入学試験だ。

通常の競輪選手とは異なり、他競技での優れた実績を評価されて入所するルートである。

原はモーグルのオリンピックメダリストという実績を持っていたため、この特別選抜で合格。2019年5月に養成所へ入り、2020年3月に卒業した。

その後、2020年5月15日に117期として競輪デビューを果たしている。

KEIRIN.JPの通算成績によると、初勝利は2020年8月16日のいわき平競輪場、初優勝は同年12月30日の西武園競輪場だった。

【競輪転向の理由】なぜ原大智はメダリストの座を離れたのか

原大智の競輪転向には、単なる競技変更以上の背景がある。

2025年12月24日に公開されたREAL SPORTSの本人インタビューでは、競輪との出会いや将来設計、二刀流の限界について詳しく語られている。

きっかけは17歳のときのトレーナーとの出会い

原が競輪という競技を初めて意識したのは17歳の頃だった。

モーグルのナショナルチームでトレーナーを務めていた人物から、競輪選手を紹介されたことがきっかけだという。

そのトレーナーは競輪選手のコンディショニングにも携わっており、原の身体能力を見て競輪に適性があると勧めた。

原自身も、自転車でスピードを出すことに魅力を感じたと振り返っている。

ただし、紹介されたからといって、すぐに競輪へ転向したわけではない。

当時はモーグルで世界を目指しており、別の競技を始めても簡単には成功できないことを理解していた。

セカンドキャリアを見据えた現実的な判断

競輪転向を考えるうえで、もう一つ大きかったのが将来の仕事という問題だ。

原はインタビューで、スポーツを職業にできる競技が限られていることや、競技によっては20代後半から引退を意識する必要があることに触れている。

五輪メダリストになったとしても、その後の人生は続く。

競技を引退した後にどのような仕事をするのか。アスリートとして身体能力を生かし続けられる選択肢は何か。

そうした将来への考えが、競輪という選択につながった。

特に競輪は、身体能力と技術を競いながらプロとして賞金を獲得する職業でもある。原にとっては、単なる趣味や副業ではなく、長期的な職業選択という意味合いがあった。

平昌五輪前の挫折も転向を考える契機に

興味深いのは、競輪への挑戦を具体的に考え始めた時期だ。

原によると、平昌オリンピックの数カ月前、国際大会で思うような成績が出ず、自分が立てた計画も進まなかった。

金メダル獲得が難しいのではないかと感じ、モーグルでの挑戦を最後にすることも考えたという。

その時期に、次の人生について意識するようになった。

しかし、平昌五輪では予想を上回る銅メダルを獲得。結果としてモーグルを続ける余地も生まれ、競輪との二刀流に挑戦することになった。

つまり、競輪転向はモーグルで失敗したからという単純な理由ではない。五輪で結果を残した後も、将来を見据えて新しい道を開拓した選択だった。

【二刀流の限界と現在の実力】競輪選手としてどこまで成長した?

原大智は2020年の競輪デビューから2022年の北京五輪まで、モーグルと競輪の二刀流を続けていた。

しかし、世界レベルのモーグル選手とプロ競輪選手という二つの立場を維持することは、想像以上に過酷だった。

練習時間の9割を競輪に充てていた時期も

2023年5月の月刊競輪WEBのインタビューでは、二刀流時代の練習について興味深い話が紹介されている。

原は競輪デビュー直後、自転車競技の経験不足から苦戦していた。

その不足を補うため、冬のモーグルシーズンであっても、練習時間の配分は競輪9割、モーグル1割だったという。

午前中に競輪の練習を行い、午後にスキーの練習をするような日もあった。

本人も、ほとんど休んだ記憶がないと2025年のインタビューで振り返っている。

二刀流を卒業した本当の理由

北京五輪後、原は二つの競技を同時に極め続けることの難しさを認識した。

2025年のREAL SPORTSのインタビューでは、両立には限界を感じていたと説明している。

これはモーグルの能力が衰えたからという話ではない。

競輪選手としても上を目指すためには、練習時間や身体のコンディション管理を競輪に集中させる必要があったということだ。

二つの競技で結果を出そうとするより、一つの競技に絞って専門性を高める。原の決断は、競技者としての合理的な選択でもあった。

2024年にはS級2班へ昇格

競輪選手としての原は、デビュー当初から順調だったわけではない。

2025年のインタビューでは、同期選手が昇級していく中、自身はA級3班に長くとどまり、精神的につらい時期があったと振り返っている。

それでも競輪に向き合い続け、2024年7月にはS級2班へ昇格した。

一度はA級1班へ降格したものの、2026年1月には再びS級2班に所属している。

この級班の変遷は、KEIRIN.JPの公式プロフィールにも掲載されている。

2026年の競輪成績と今後の目標

2026年11月6日時点で確認できる原の競輪選手情報は次のとおり。

項目 2026年11月現在
登録府県 宮城県
期別 117期
級班 S級2班
現在の年齢 29歳
今期得点 104.70
脚質 両
登録番号 015418

今後の目標を考えるうえで参考になるのが、2025年12月のREAL SPORTSのインタビューだ。

当時の原はA級で戦っており、まずS級に定着すること、その先にS級での優勝やG1出場を目標として挙げていた。

2026年にはS級2班へ復帰しているため、当時掲げた目標の一つであるS級で戦う環境を取り戻したことになる。

今後はS級での安定した成績や、より上位の大会への挑戦が注目点となる。

モーグルの経験は競輪に生きているのか

モーグルと競輪は、一見するとまったく異なる競技だ。

しかし、原のインタビューからは、モーグル時代に培った精神面の強さが競輪にも生きていることが分かる。

特に養成所での厳しいトレーニングや、競輪デビュー直後の苦戦を乗り越える際に、目標から逃げずに向き合う姿勢が役立ったという。

また、競輪は着順によって勝敗が明確に決まる競技だ。

原は2022年のインタビューで、採点競技であるモーグルと、1着でゴールした選手が勝者となる競輪の違いにも触れている。

採点を待つ競技から、自分の走りで順位を決める競技へ。この違いも、原の新しい挑戦を理解するうえで興味深いポイントだ。

【よくある誤解を検証】原大智のモーグル引退と競輪転向の真相

原大智について検索すると、モーグルの現役選手なのか、二刀流を続けているのかなど、過去の情報と現在の情報が混在しやすい。

ここでは、混同しやすいポイントを整理する。

よくある疑問・認識 確認できる事実
現在もモーグル選手なのか 2022年北京五輪後に引退
競輪は副業なのか 2022年4月から競輪一本に専念
北京五輪ではメダルを獲得したのか 男子モーグル7位
競輪選手としての実績はあるのか 2020年デビュー、2024年にS級昇格
2026年も競輪選手なのか S級2班として現役活動中
競輪転向はモーグルでの失敗が原因か 将来設計と新たな競技への挑戦が背景

特に重要なのは、北京五輪7位という結果とモーグル引退を結び付けて、成績不振による引退だったと解釈しないことだ。

本人は2022年のインタビューで未練なく引退したと語っている。2025年の取材でも、二つの競技を極め続けることの難しさを引退の背景として説明している。

【プロの結論】原大智のキャリアから分かること

原大智の競技人生で注目すべきなのは、五輪メダル獲得後に競技を変えたという点だけではない。

モーグルでは世界のトップレベルに到達しながら、競輪では新人選手としてゼロから技術を身につける道を選んだ。

しかも、競輪への転向を考えたのは17歳の頃。将来の仕事や競技寿命を意識しながら、長期的なキャリアを設計していた。

これはアスリートのセカンドキャリアを考えるうえでも示唆に富む。

原の事例から見えるのは、次の3点だ。

1. 実績がある競技に固執しないこと。 過去の成功と将来の目標は必ずしも同じではない。
2. 次のキャリアを早くから考えること。 現役時代から将来の職業選択肢を持つことが、新しい挑戦を可能にする。
3. 転向後も初心者として努力すること。 五輪メダリストであっても、競輪では経験不足に苦しみ、基礎から成長する必要があった。

原大智の競技転向は、成功した競技を捨てたというより、自分の可能性を別の舞台で追い続ける選択だったと捉えるのが適切だ。

【原大智の現在に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:原大智は現在もモーグル選手ですか?

A1:いいえ。2022年2月の北京オリンピックを最後にモーグルを引退しています。2022年4月から競輪に専念しています。

Q2:原大智がモーグルを引退したのはいつですか?

A2:2022年の北京オリンピック終了後です。本人は2022年4月のインタビューで、未練なく引退したと明言しています。

Q3:原大智は平昌オリンピックで何位でしたか?

A3:2018年平昌オリンピックの男子モーグルで銅メダルを獲得しました。日本男子フリースタイルスキー初の五輪表彰台でした。

Q4:原大智は北京オリンピックでメダルを獲得しましたか?

A4:2022年北京オリンピックでは男子モーグル7位でした。決勝1回目は3位で通過しましたが、決勝2回目で順位を落とし、メダルには届きませんでした。

Q5:原大智が競輪選手になった理由は何ですか?

A5:17歳の頃にトレーナーから競輪を紹介されたことがきっかけです。スピードへの興味に加え、将来の職業やセカンドキャリアを考えたことも転向の理由でした。

Q6:原大智は競輪の何期生ですか?

A6:117期です。2019年に日本競輪選手養成所へ特別選抜で入所し、2020年5月15日にプロデビューしました。

Q7:原大智は2026年現在、競輪でどのクラスに所属していますか?

A7:2026年11月6日時点ではS級2班です。2026年1月1日から同級班に所属しています。

Q8:原大智の出身地と生年月日は?

A8:1997年3月4日生まれで、東京都渋谷区出身と紹介されています。競輪選手としての登録府県は宮城県です。

原大智は2018年平昌オリンピックで銅メダルを獲得し、2019年世界選手権でも2つの銅メダルを手にした、日本男子モーグルを代表する選手だった。

2022年北京オリンピックでは7位入賞。その大会を最後にモーグルを引退し、競輪一本に専念する道を選んだ。

2026年11月現在は競輪117期、宮城県登録のS級2班。過去の五輪実績だけでなく、競輪選手としての現在の成績や今後の上位大会への挑戦にも注目が集まる。

原大智の魅力は、平昌五輪のメダリストという肩書だけではない。世界の舞台で結果を残した後、経験のない競技に飛び込み、苦戦を乗り越えて再びS級へ戻ってきたことにある。

モーグルは引退しても、アスリートとしての挑戦は終わっていない。 2026年以降、競輪選手としてどこまで成長し、どのような結果を残すのか。原大智の第二の競技人生は、これからも追いかける価値がある。

主な参照資料:日本オリンピック委員会(JOC)、KEIRIN.JP、月刊競輪WEB、けいりんマルシェ、REAL SPORTS、アスミチストーリー。

同じカテゴリの記事

伊部 拓海
コンテンツディレクター 伊部 拓海
プロフィールを見る →

映画・ドラマ担当。公開資料と一次報道を照合し、ネタバレの扱いには線引きルールを設けています。

おすすめの関連記事