東関親方の現在を理解するうえで欠かせないのが、2021年の東関部屋閉鎖です。
2020年に部屋を継承したにもかかわらず、なぜわずか約1年後に八角部屋へ移籍したのでしょうか。
先代・潮丸の急逝が継承問題の発端東関部屋は、元関脇・高見山が1986年2月に高砂部屋から独立して創設した相撲部屋です。
歴代の所属力士には、次のような人物がいます。
- 元横綱・曙
- 元小結・高見盛
- 元前頭・潮丸
外国出身力士の先駆者だった高見山が築いた部屋は、長年にわたって多くの関取を育ててきました。
その後、先代の東関親方だった元前頭・潮丸が師匠を務めていましたが、2019年12月13日に41歳で亡くなります。
後継者がすぐに決まらなかったため、所属力士は一時的に八角部屋で預かられることになりました。
最終的に、東関部屋で育った振分親方が後継者となり、2020年1月30日に正式な継承が承認されました。
2021年4月、東関部屋が約35年の歴史に幕ところが、東関部屋の運営は長く続きませんでした。
日本相撲協会は2021年3月12日の理事会で、東関親方と所属力士6人を4月1日付で八角部屋に転属させること、東関部屋を閉鎖することを承認しました。
東関親方は協会を通じて、力士たちにとってより良い環境を求め、八角理事長に相談したうえで移籍を決断したと説明しています。
当時の日刊スポーツは、師匠として部屋を運営する精神的な負担も背景にあったと報じました。
ここで大切なのは、東関親方が相撲協会を退職したわけではないという点です。
閉鎖されたのは東関部屋であり、親方としての活動は継続しています。
所属力士とともに八角部屋へ移り、部屋付き親方として新しい立場で活動することになりました。
現在の八角部屋との関係師匠は元横綱・北勝海の八角親方。東関精彦は同部屋に所属する年寄として登録されています。
日本相撲協会の2026年公式部屋紹介にも掲載
八角部屋は高砂一門に属し、東関部屋の所属力士を受け入れた部屋でもあります。
2026年現在も東関精彦は八角部屋所属です。東関という年寄名は残っていますが、東関部屋そのものが復活したわけではありません。
【現役時代の実績】高見盛の最高位・戦績とロボコップの由来

本名:加藤精彦
最高位:小結
得意技:右四つ・寄り
愛称:角界のロボコップ
高見盛は、単に個性的なパフォーマンスで知られた力士ではありません。
学生相撲時代から実績を残し、幕内で長く活躍した実力派の小結でした。
加藤精彦のプロフィールと相撲経歴1976年5月12日、青森県北津軽郡板柳町に生まれた加藤精彦は、小学4年生から相撲を始めました。
弘前実業高校を経て日本大学へ進学し、大学時代には全日本相撲選手権で優勝。アマチュア横綱にも輝いています。
1999年3月、大学卒業後に東関部屋へ入門し、幕下付け出し15枚目格で初土俵を踏みました。
2000年1月場所で十両に昇進した際、四股名を加藤から高見盛に変更。同年7月場所には新入幕を果たします。
2002年9月場所には新小結に昇進し、三役入りを実現しました。
高見盛の生涯戦績・受賞歴日本相撲協会の公式力士プロフィールに記載された成績は以下のとおりです。
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| 最高位 | 小結 |
| 生涯戦歴 | 563勝564敗46休 |
| 通算場所数 | 83場所 |
| 幕内戦歴 | 408勝446敗16休 |
| 幕内在位 | 58場所 |
| 十両優勝 | 1回 |
| 殊勲賞 | 1回 |
| 敢闘賞 | 2回 |
| 技能賞 | 2回 |
| 金星 | 2個 |
| 幕内優勝 | 0回 |
特に注目したいのが、2003年名古屋場所です。
この場所で高見盛は横綱・武蔵丸と横綱・朝青龍を破り、1場所で2つの金星を獲得しました。
最終成績は9勝6敗。2横綱に勝利した活躍が評価され、殊勲賞を受賞しています。
翌場所にも9勝6敗を記録し、敢闘賞を獲得。再び小結に昇進しました。
一方、2003年九州場所前には右肩を負傷。その後は故障にも悩まされ、幕内上位で安定して活躍することは難しくなっていきます。
2011年には十両へ陥落し、2013年1月場所で5勝10敗となったことが引退の決断につながりました。
なぜ「ロボコップ」と呼ばれたのか?高見盛を語るうえで欠かせないのが、取組前の独特な気合入れです。
拳を握り、顔や胸、肩などを何度もたたき、身体を揺らすような動作を繰り返してから土俵に上がる姿は、当時の大相撲中継でも強い印象を残しました。
ぎこちない動作とロボットを思わせる動きから、「角界のロボコップ」という愛称が定着しました。
実は、このパフォーマンスには本人なりの理由がありました。
2023年10月に出演したフジテレビ系の番組で、本人がきっかけを説明しています。
2000年秋場所で右膝前十字靱帯を断裂する大けがを負った後、復帰した土俵で恐怖を感じたことが始まりでした。
当初は顔を拳でたたいて闘争心を引き出そうとしましたが、頭に痛みが残るため、次第に身体をたたく動作へ変化していったといいます。
つまり、ファンを楽しませるためだけの演出ではなく、けがを乗り越えて土俵に立つための本人独自のルーティンだったのです。
このエピソードは、高見盛という力士の人間的な側面を知るうえでも興味深いものです。
華やかな人気の裏側には、けがへの恐怖と向き合いながら、毎日の取組に臨む姿がありました。
【間違いやすい情報を整理】振分親方と東関親方は別人なのか?
インターネットで名前を検索すると、振分親方、東関親方、高見盛、加藤精彦という複数の名称が登場します。
さらに2024年には、年寄「振分」の襲名によって、もう一つの混同が生じています。
2026年現在、年寄「振分」を名乗るのは元妙義龍2024年9月24日、日本相撲協会は元関脇・妙義龍の現役引退と年寄「振分」の襲名を発表しました。
妙義龍の本名は宮本泰成です。
そのため、2026年現在の協会資料には、東関精彦とは別に「振分泰成」という親方が掲載されています。
この違いは非常に重要です。
| 呼び方 | 人物 |
|---|---|
| 高見盛 | 元小結・加藤精彦 |
| 振分親方(2013年当時) | 元高見盛・加藤精彦 |
| 東関親方 | 元高見盛・加藤精彦 |
| 東関精彦 | 元高見盛・加藤精彦の現在の年寄名 |
| 現在の振分親方 | 元関脇・妙義龍(宮本泰成) |
年寄名跡は、親方個人に永久に固定される名前ではありません。
襲名や継承によって別の親方が名乗ることがあります。
そのため、過去の記事に「振分親方」と書かれていても、必ずしも現在の振分親方を指しているとは限りません。
ネット検索で間違えないための3つの判断基準振分親方について調べるときは、次の3点を確認すると人物の取り違えを防げます。
1. 現役時代の四股名を確認する: 高見盛なら加藤精彦、妙義龍なら宮本泰成です。
2. 年寄名の履歴を見る: 日本相撲協会の公式プロフィールには襲名の変遷が掲載されています。
3. 所属部屋と担当職務を見る: 東関精彦は八角部屋所属で、指導普及部・社会貢献部を担当しています。
名前だけを手掛かりに情報を集めると、別の親方の経歴が混ざる可能性があります。
特に2024年以降の「振分親方」という検索結果は、元高見盛と元妙義龍を区別することが大切です。
【振分親方に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:振分親方は2026年現在、何をしていますか?
A1:元小結・高見盛の加藤精彦は、現在、年寄「東関精彦」として日本相撲協会で活動しています。八角部屋所属の委員で、指導普及部・社会貢献部を担当しています。
Q2:高見盛はなぜ振分親方から東関親方になったのですか?
A2:2020年1月30日、先代の東関親方・潮丸の死去を受けて、年寄「東関」と東関部屋を継承したためです。その後、2021年に東関部屋が閉鎖され、八角部屋へ移籍しました。
Q3:振分親方と高見盛は同一人物ですか?
A3:2013年に引退した元高見盛の加藤精彦は、引退後に振分を襲名したため、当時は同一人物です。ただし、2024年9月に元関脇・妙義龍が年寄「振分」を襲名したため、2026年現在の振分親方は別人です。
振分親方として知られた元小結・高見盛こと加藤精彦は、2013年の現役引退後、年寄「振分」を襲名しました。
2020年には先代の死去を受けて東関部屋を継承し、年寄「東関」となりましたが、部屋は2021年4月に閉鎖。現在は八角部屋に所属する東関精彦として、日本相撲協会の委員を務めています。
2026年の公式資料では、指導普及部と社会貢献部が担当業務です。
今回の経歴で押さえておきたい要点は次の3つです。
- 高見盛=加藤精彦という人物関係は変わらない。
- 東関部屋の閉鎖後も、親方として日本相撲協会で活動を続けている。
- 2024年以降、年寄「振分」は元妙義龍が襲名しており、現在の東関精彦とは別人である。
現役時代にはロボコップの愛称で人気を集め、最高位小結まで上り詰めた高見盛。現在は土俵上の主役から、相撲界を支える親方へと役割を変えています。
過去の四股名や年寄名だけで判断せず、日本相撲協会の最新プロフィールと職務分掌を確認することが、2026年現在の姿を正しく理解するポイントです。