ハナ肇の最期について、貴重な手掛かりを残しているのが、付き人だったなべおさみの著書です。
2008年2月、文藝春秋から刊行された『病室のシャボン玉ホリデー ハナ肇、最期の29日間』は、1993年8月13日から9月10日までの闘病生活を記録した作品です。
なべおさみは、ハナ肇の付き人として長く身近に接していた人物です。著書には、入院中の様子や芸能界の仲間たちとの交流が描かれています。
入院中も周囲との交流を続けていた同書の出版社紹介によると、病室にはザ・ピーナッツや布施明、クレージーキャッツのメンバーらが訪れました。
特に印象的なのは、病室で即興の「シャボン玉ホリデー」のコントが演じられたというエピソードです。
加えて、ザ・ピーナッツが「スターダスト」を歌う場面も紹介されています。
テレビの人気番組をともに作り上げた仲間たちが、今度は病室に集まり、ハナ肇を囲んでいたのです。
9月8日夜から容体が急変1993年9月10日の共同通信報道では、所属事務所の渡辺プロダクション専務だった諸岡義明氏の説明として、ハナ肇の容体が急変したのは9月8日夜からだったと伝えられています。
亡くなる直前には、妻の葉子さんと娘2人、谷啓夫妻、桜井センリらクレージーキャッツのメンバーが付き添っていました。
報道によれば、最期の表情は笑ったように見えたといいます。
一方、植木等は北海道にいたため、最期を看取ることができませんでした。長年苦楽をともにした仲間の一人が間に合わなかったことも、当時の報道で伝えられています。
がん告知を受けていたのか?もう一つ、ハナ肇の闘病生活で関心を集めるのが、本人が自分の病気をどこまで知らされていたのかという点です。
1993年9月10日の共同通信報道では、ハナ肇本人にはがんの告知がなく、最後まで胃潰瘍だと知らされていたと伝えられています。
これは当時の報道に記された情報であり、本人が病気についてどのように受け止めていたのか、その内心までを示すものではありません。
ただ、病室での交流を記録したなべおさみの著書と合わせて読むと、最期まで周囲の人々とのつながりが続いていたことが分かります。
ハナ肇の闘病生活は、病気との闘いだけではなく、家族や芸能界の仲間たちに囲まれた29日間でもありました。
【人物・経歴】ハナ肇とは何者だったのか?クレージーキャッツのリーダーとしての功績

ハナ肇は、単なるコメディアンではありませんでした。
ドラマーとして音楽活動を始め、コミックバンドのリーダーとしてテレビや映画に進出し、俳優としても高い評価を受けた人物です。
本名は野々山定夫(ののやま・さだお)。1930年2月9日、東京府北豊島郡長崎町(現在の東京都豊島区)に生まれました。
クレージーキャッツを率いたリーダー1956年、ハナ肇はクレージーキャッツを結成し、リーダーを務めました。
グループには、次のようなメンバーが所属していました。
- ハナ肇:ドラムス、リーダー
- 植木等:ボーカル、ギター
- 谷啓:トロンボーン
- 犬塚弘:ベース
- 安田伸:テナーサックス
- 石橋エータロー:ピアノ
- 桜井センリ:ピアノ
メンバーそれぞれが音楽的な個性を持ち、演奏とコントを組み合わせた独自のスタイルで人気を獲得しました。
テレビ・映画で残した代表的な仕事ハナ肇の代表的な活動を振り返ると、音楽と喜劇の両方で実績を残したことが分かります。
テレビ番組
- 『おとなの漫画』
- 『シャボン玉ホリデー』
- 『巨泉・前武ゲバゲバ90分』
「アッと驚く為五郎」というギャグも広く知られ、昭和のテレビ文化を象徴する存在になりました。
映画
- 『ニッポン無責任時代』などの無責任シリーズ
- 『馬鹿まるだし』
- 『運が良けりゃ』
- 『人間の証明』
- 『会社物語 MEMORIES OF YOU』
特に『会社物語』は、ハナ肇の俳優としての評価を改めて高めた作品です。
俳優としての評価と受賞歴ハナ肇は喜劇だけでなく、映画俳優としても評価されました。
1988年公開の『会社物語』では、ブルーリボン賞主演男優賞などを受賞。毎日映画コンクール男優主演賞も受けています。
また、1991年4月29日には紫綬褒章を受章しました。
こうした経歴からも、ハナ肇が単なる人気お笑いタレントではなく、音楽・テレビ・映画の各分野で功績を残した表現者だったことが分かります。
【ハナ肇の死因】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ハナ肇の直接的な死因は何ですか?
共同通信の1993年9月10日の報道では、肝細胞がんによる食道静脈瘤破裂と伝えられています。後年の人物紹介では、肝不全と肺炎も死因として記載されています。
Q2:ハナ肇は肝臓がんだったのですか?
はい。当時の共同通信報道では肝細胞がんが伝えられています。肝細胞がんは肝臓に発生する悪性腫瘍の一種です。
Q3:ハナ肇はいつ吐血して入院したのですか?
1993年8月13日です。自宅で吐血し、杏林大学医学部付属病院に入院しました。検査の結果、食道静脈瘤破裂と診断されたと報じられています。
Q4:ハナ肇は何歳で亡くなりましたか?
1993年9月10日、63歳で亡くなりました。午前7時3分に杏林大学医学部付属病院で死去しています。
Q5:ハナ肇の最期を看取ったのは誰ですか?
当時の共同通信報道によると、妻の葉子さんと娘2人、谷啓夫妻、桜井センリらクレージーキャッツのメンバーが最期を看取りました。植木等は北海道にいたため、間に合わなかったと伝えられています。
ハナ肇は、1993年9月10日、63歳で亡くなりました。
死因をめぐる情報を整理すると、次の3点が重要です。
1. 病気の背景は肝細胞がんだった。 共同通信の当時の報道でも確認できる。
2. 1993年8月13日に吐血して入院した。 食道静脈瘤破裂と診断され、杏林大学医学部付属病院で闘病生活を送った。
3. 最終的な病状には肝不全と肺炎の記述もある。 後年の人物紹介では、この2つが死因として併記されている。
特に注意したいのは、肝細胞がん、食道静脈瘤破裂、肝不全、肺炎をすべて同じ意味の病名として扱わないことです。それぞれ病気の背景や出血、最終的な全身状態を示しています。
ハナ肇は、クレージーキャッツのリーダーとして昭和のテレビ界を盛り上げ、映画俳優としても確かな実績を残しました。
亡くなる直前まで仲間たちに囲まれ、病室でもかつての番組を思わせる交流があったことは、付き人のなべおさみが残した闘病記からもうかがえます。
2026年現在、死去から33年が経過しても、ハナ肇の功績は昭和のテレビ・映画史を語るうえで欠かせません。 その死因を正しく理解することは、彼の晩年だけでなく、一人の芸能人が残した長い足跡を振り返ることにもつながります。