市川猿之助家の系譜は、初代市川猿之助から二代目、三代目、四代目へと続いています。ただし、猿之助の名跡は父から長男へ一直線に受け継がれたわけではありません。
重要なのは、二代目市川猿翁と四代目市川段四郎が兄弟であり、それぞれの家系から香川照之と四代目市川猿之助が出ているという点です。
市川猿之助家系図(簡略版)
二代目 市川段四郎
澤瀉屋の系譜の起点となる人物
二代目 市川猿之助
初代猿之助の長男
三代目 市川段四郎
二代目猿之助の長男
長男の系統
三代目 市川猿之助
香川照之
五代目 市川團子
香川照之の長男
次男の系統
四代目 市川段四郎
三代目段四郎の次男
四代目 市川猿之助
四代目段四郎の長男
※血縁関係を簡略化した系図。名跡の襲名順と親子関係は必ずしも一致しません。
この家系図から分かるのは、四代目猿之助と香川照之が同じ三代目段四郎を祖父とする従兄弟だということです。
また、五代目團子は香川照之の息子なので、四代目猿之助にとっては従兄弟の子にあたります。
国立劇場の文化デジタルライブラリーや日本俳優協会の人物資料でも、この段四郎・猿之助系の歴史と人物のつながりが紹介されています。
【歴代名跡を解説】初代から四代目まで市川猿之助は誰が継いだ?

市川猿之助という名前は、単なる芸名ではありません。澤瀉屋の歴史と芸を象徴する重要な名跡です。
初代市川猿之助:澤瀉屋の礎を築いた人物
初代 市川猿之助
1855年~1922年
初代猿之助は、坂東三太郎の子として生まれました。九代目市川團十郎の門弟となり、さまざまな芸名を経て1890年に初代市川猿之助を名乗ります。
初代は1910年に長男へ猿之助の名跡を譲り、二代目市川段四郎を襲名しました。
このため、初代市川猿之助と二代目市川段四郎は別々の人物ではなく、同一人物が異なる時期に名乗った名前です。
東京都千代田区の観光協会による人物紹介や、国立劇場の人物履歴にもこの襲名経緯が記録されています。
二代目市川猿之助:後の初代市川猿翁
二代目 市川猿之助
1888年~1963年
初代猿之助の長男です。若い頃は市川團子を名乗り、1910年に二代目市川猿之助を襲名しました。
二代目は1919年にヨーロッパへ渡り、海外の演劇を研究しました。帰国後は1920年に春秋座を結成し、新作や新舞踊などにも取り組みました。
伝統を守るだけではなく、新しい表現を積極的に取り入れた人物です。
1963年には孫にあたる三代目へ猿之助の名跡を譲り、自身は初代市川猿翁となりました。
三代目市川猿之助:スーパー歌舞伎を創始
三代目 市川猿之助
1939年~2023年
本名は喜熨斗政彦。三代目市川段四郎の長男で、後の二代目市川猿翁です。
1947年に三代目市川團子として初舞台を踏み、1963年に三代目市川猿之助を襲名しました。
三代目を語るうえで欠かせないのが、1986年に始まったスーパー歌舞伎です。
従来の歌舞伎の枠組みに現代的な演出や壮大な舞台表現を取り入れ、歌舞伎の新たな可能性を示しました。
宙乗りや早替わりなどの演出も、澤瀉屋を象徴する特色として知られています。
2012年には四代目へ猿之助を譲り、自身は二代目市川猿翁を襲名。2023年9月13日に83歳で亡くなりました。日本俳優協会の発表にも、その芸歴と功績が記されています。
四代目市川猿之助:市川亀治郎から襲名
四代目 市川猿之助
1975年11月26日生まれ
本名は喜熨斗孝彦。四代目市川段四郎の長男で、二代目市川猿翁の甥にあたります。
1980年に歌舞伎座で初お目見得を経験し、1983年には二代目市川亀治郎を名乗って初舞台を踏みました。
2012年6月・7月の新橋演舞場で、四代目市川猿之助を襲名。『義経千本桜』の忠信実は源九郎狐やスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』のヤマトタケルなどを演じました。
この襲名では、三代目猿之助が二代目猿翁となり、香川照之が九代目市川中車、香川の長男が五代目市川團子を同時期に襲名しています。
つまり、2012年は澤瀉屋の複数の名跡が新しい世代へ移った大きな節目でした。
【血縁関係を徹底整理】市川猿之助・市川段四郎・香川照之・團子の続柄
検索する人が特に迷いやすいのが、四代目市川猿之助と香川照之、そして市川團子の関係です。
名前だけを見ると、全員が同じ市川姓を持つ親子のように思える可能性があります。しかし、実際には二つの兄弟家系が合流する形になっています。
人物別の続柄・関係一覧| 人物 | 家系上の立場 | 四代目猿之助との関係 |
|---|---|---|
| 二代目市川猿翁 | 三代目段四郎の長男 | 伯父 |
| 四代目市川段四郎 | 三代目段四郎の次男 | 父 |
| 四代目市川猿之助 | 四代目段四郎の長男 | 本人 |
| 香川照之(九代目中車) | 二代目猿翁の長男 | 従兄弟 |
| 五代目市川團子 | 香川照之の長男 | 従兄弟の子 |
四代目市川猿之助の父親が四代目市川段四郎です。
四代目段四郎は1946年生まれで、三代目段四郎の次男として誕生しました。
1969年に四代目市川段四郎を襲名し、歌舞伎俳優として活動しました。
その長男が1975年生まれの四代目市川猿之助です。
したがって、この二人は実の父と長男という関係です。養子縁組や師弟関係だけで結ばれているわけではありません。
市川猿之助と香川照之の関係
四代目市川猿之助
父:四代目市川段四郎
香川照之
九代目市川中車
この二人は従兄弟同士です。
香川照之は1965年12月7日生まれで、父親は三代目市川猿之助、後の二代目市川猿翁です。
一方、四代目猿之助の父親は四代目市川段四郎。
つまり、香川照之の父と四代目猿之助の父は兄弟です。
香川照之は俳優として長く活動してきましたが、2012年に九代目市川中車を襲名し、歌舞伎界にも進出しました。
ここで注意したいのは、香川照之は四代目猿之助の父親でも兄弟でもなく、父親同士が兄弟の従兄弟だということです。
市川猿之助と市川團子の関係
五代目市川團子
2004年1月16日生まれ
父親は香川照之(九代目市川中車)、祖父は二代目市川猿翁です。
五代目市川團子は香川照之の長男です。
2012年6月・7月の新橋演舞場『ヤマトタケル』でワカタケルを演じ、五代目市川團子として初舞台を踏みました。
四代目猿之助との関係は、香川照之を介して理解すると簡単です。
- 香川照之と四代目猿之助は従兄弟。
- 市川團子は香川照之の長男。
- したがって、市川團子は四代目猿之助の従兄弟の子。
親族呼称では、四代目猿之助から見て團子は従甥にあたります。
團子は四代目猿之助の実の息子ではありません。ここは家系図を読むうえで間違えやすいポイントです。
【澤瀉屋の歴史】市川猿之助と市川中車・市川團子の名跡は何が違う?
澤瀉屋の家系図を理解するには、血縁関係だけでなく、歌舞伎独特の名跡制度を知る必要があります。
そもそも澤瀉屋とは?澤瀉屋は「おもだかや」と読みます。
歌舞伎俳優が所属する一門の屋号で、市川猿之助家と市川段四郎家が使用してきました。
屋号の由来については、初代猿之助の生家が薬草の澤瀉を扱う薬種商だったことに由来するという説明が伝えられています。
澤瀉は水辺に生育する植物で、薬草としても利用されてきました。
また、澤瀉屋は革新的な舞台表現と古典歌舞伎の双方を大切にしてきた一門です。二代目猿之助の新舞踊、三代目猿之助のスーパー歌舞伎など、各世代が新しい表現に挑戦してきました。
市川猿之助・市川猿翁・市川中車・市川團子の違い| 名跡 | 人物 | 意味・位置づけ |
|---|---|---|
| 市川猿之助 | 四代目市川猿之助 | 澤瀉屋の中心的な名跡 |
| 市川猿翁 | 二代目市川猿翁 | 三代目猿之助が2012年に襲名 |
| 市川中車 | 九代目市川中車 | 香川照之が2012年に襲名 |
| 市川團子 | 五代目市川團子 | 香川照之の長男が2012年に襲名 |
| 市川段四郎 | 四代目市川段四郎 | 猿之助家と並ぶ澤瀉屋の重要な名跡 |
このように、それぞれの名前には異なる歴史と役割があります。
特に注意したいのは、二代目市川猿翁と初代市川猿翁は別人だという点です。
- 初代市川猿翁:二代目市川猿之助が1963年に改名した名前。
- 二代目市川猿翁:三代目市川猿之助が2012年に襲名した名前。
同じ「猿翁」という名前でも、代数が異なります。
また、香川照之の市川中車という名前も、猿之助から改名したものではありません。市川中車という別の名跡を襲名したものです。
【プロの結論】血縁と名跡は別々に考えると理解しやすい歌舞伎の家系図では、実際の親子関係と芸名の継承を混同しないことが大切です。
澤瀉屋の場合、初代から二代目、三代目、四代目へと猿之助の名跡が受け継がれていますが、その継承は単純な父子相続ではありません。
二代目から三代目への継承では孫にあたる人物が名跡を受け、三代目から四代目への継承では甥にあたる人物が受け継ぎました。
つまり、歌舞伎の名跡は血縁だけで決まるものではなく、芸の継承や一門の歴史とも深く結びついているのです。
【2026年最新】四代目市川猿之助の現在と市川團子の活動
2026年11月現在、四代目市川猿之助と市川團子では、公表されている活動状況に違いがあります。
四代目市川猿之助の現在四代目猿之助については、2023年の事件とその後の司法判断が現在の状況を理解するうえで重要です。
2023年5月、東京都内の自宅で父の四代目市川段四郎と母が亡くなりました。
その後、四代目猿之助は両親への自殺ほう助の罪で起訴され、同年11月17日に東京地方裁判所から懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡されました。
判決は同月20日付で確定しています。テレビ朝日や日刊スポーツなども、判決確定を報じています。
2026年11月の歌舞伎 on the webの出演劇場一覧では、市川猿之助は「休演」と掲載されています。また、2026年9月時点の歌舞伎俳優情報でも、確認できる出演中・今後の公演はありません。
したがって、2026年11月時点では、歌舞伎の舞台への復帰を確認できる公演情報は公表されていません。
なお、舞台出演情報がないことと、今後の活動方針が正式に決まったことは別の話です。復帰や名跡の今後については、公式発表と実際の公演情報を基準に判断する必要があります。
香川照之(市川中車)の現在香川照之は俳優としての活動と歌舞伎俳優としての活動を持つ人物です。
2012年に九代目市川中車を襲名して以降、澤瀉屋の芸の継承にも取り組んできました。
歌舞伎では『ヤマトタケル』『新・水滸伝』などに出演し、新作歌舞伎にも挑戦しています。
また、息子の團子と同じ一門に属し、親子で歌舞伎の舞台に立つ関係でもあります。
五代目市川團子の現在
五代目市川團子
2004年1月16日生まれ
香川照之の長男で、二代目市川猿翁の孫。
2026年の團子は、歌舞伎だけでなく映像作品にも活動の幅を広げています。
所属事務所の公式プロフィールなどで確認できる主な活動は次のとおりです。
- 2026年1月: NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』に森蘭丸役で出演。
- 2026年5月: 春秋座での「新翔 春秋会」に出演。
- 2026年7月・8月: スーパー歌舞伎『もののけ姫』でアシタカを担当。
- 2026年9月: 南座「九月花形歌舞伎」『新・水滸伝』に出演。
2025年11月にはトライストーン・エンタテイメントへの所属も発表されました。
こうした活動から、五代目團子は澤瀉屋の次世代を担う歌舞伎俳優として、舞台と映像の両方で経験を積んでいることが分かります。
【誤解しやすいポイント】市川猿之助の家族構成と血縁関係の真相
市川猿之助の家系については、名前が似ていることや、複数の名跡が存在することから、続柄を取り違えやすい傾向があります。
ここでは、特に間違いやすい点を整理します。
誤解1:香川照之は市川猿之助の兄弟?これは誤りです。
香川照之と四代目市川猿之助は従兄弟です。父親同士が兄弟にあたります。
誤解2:市川團子は四代目猿之助の息子?これも誤りです。
團子の父親は香川照之(市川中車)です。四代目猿之助との関係は従兄弟の子です。
誤解3:二代目市川猿翁と三代目市川猿之助は別の家系?同じ人物が異なる名跡を名乗った関係です。
三代目市川猿之助が2012年に二代目市川猿翁を襲名しました。したがって、二つの名前を別人として家系図に並べると誤解につながります。
誤解4:市川猿之助の名跡は必ず長男が継ぐ?必ずしもそうではありません。
三代目猿之助から四代目猿之助への継承が示すように、実子以外の血縁者が名跡を受け継ぐこともあります。
名跡の継承と実際の親子関係は、分けて理解する必要があります。
【市川猿之助の家系図】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:四代目市川猿之助と香川照之はどんな関係ですか?
A1:従兄弟同士です。香川照之の父である二代目市川猿翁と、四代目猿之助の父である四代目市川段四郎が兄弟です。
Q2:市川猿之助と市川團子は親子ですか?
A2:親子ではありません。五代目市川團子は香川照之の長男で、四代目猿之助から見ると従兄弟の子にあたります。
Q3:2026年現在、四代目市川猿之助は歌舞伎に復帰していますか?
A3:2026年11月時点の歌舞伎俳優出演劇場一覧では休演と掲載されており、復帰公演は確認できません。一方、五代目市川團子は舞台やテレビドラマなどで活動しています。
市川猿之助家の家系図を整理すると、澤瀉屋が長い歴史の中で受け継いできた血縁関係と芸の継承が見えてきます。
最後に、押さえておきたいポイントを振り返ります。
- 初代市川猿之助は、後に二代目市川段四郎を名乗った人物。
- 二代目市川猿之助は、後の初代市川猿翁。
- 三代目市川猿之助は、後の二代目市川猿翁。
- 四代目市川猿之助の父親は四代目市川段四郎。
- 香川照之(九代目市川中車)は四代目猿之助の従兄弟。
- 五代目市川團子は香川照之の長男で、四代目猿之助の従兄弟の子。
2026年の澤瀉屋を考えるうえでは、四代目猿之助の現在の状況と、團子をはじめとする次世代の活動を分けて見ることが大切です。
市川猿之助の家系図を正しく理解する最大の要点は、血縁関係・襲名した名跡・一門の芸の継承という3つの視点を混同しないことです。 これを押さえれば、歴代猿之助から香川照之、市川團子までの関係を正確に理解できます。