光進丸は、加山雄三さんが実質的な所有者として知られ、自ら設計にも携わったプレジャーボートです。単なるレジャー用のクルーザーではなく、長年の夢を形にした船でした。
公益財団法人日本セーリング連盟の紹介によれば、加山さんは幼少期から海に親しみ、14歳で自主制作のカヌーを作っています。その後、船への関心を深め、1964年に初代光進丸、1969年に2代目、1982年に3代目を完成させました。
光進丸の基本スペック| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 船名 | 光進丸(こうしんまる) |
| 船種 | プレジャーボート |
| 総トン数 | 104トン |
| 公式年譜のサイズ | 100フィート(約30.48メートル) |
| 全長に関する事故調査記録 | 25.59メートル(垂線間長) |
| 船幅 | 6.58メートル |
| 深さ | 3.23メートル |
| 船体素材 | FRP |
| エンジン | ディーゼル機関2基 |
| 出力 | 合計1,339kW |
| 建造・進水時期 | 1982年 |
出典は加山雄三公式サイトの年譜と運輸安全委員会の船舶事故調査報告書です。
ここで注目したいのが、全長に関する数字です。
加山さんの公式年譜には「100フィート、104t」と記載されています。100フィートをメートルに換算すると約30.48メートルです。一方、運輸安全委員会の記録では、光進丸の長さは25.59メートルとされています。
これは事故調査報告書が「垂線間長(Lr)」を記載しているためです。船の全長と垂線間長は測定基準が異なります。
したがって、光進丸を全長約30メートルの船と紹介することと、事故調査資料に25.59メートルと記載されていることは、必ずしも矛盾しません。
また、104トンという数字は総トン数であり、船体そのものの重量を意味するものではありません。
【加山雄三の歴代の船】初代から光進丸7世までの歩み

光進丸の歴史を理解するには、加山さんと船との関係をたどる必要があります。
日本セーリング連盟のプロフィールでは、加山さんが船を造り始めた経緯として、1964年の初代、1969年の2代目、1982年の3代目が紹介されています。
一方、加山雄三公式サイトの1982年の年譜では、同じ船が「光進丸7世」と表記されています。
つまり、公式年譜と日本セーリング連盟では世代の呼び方が異なります。いずれも1982年に進水した104トンの船を指しており、単純に別の船と考える必要はありません。
光進丸にまつわる重要年表意外に知られていないのが、楽曲「光進丸」が現在の3代目の船よりも先に発表されていることです。
1978年8月にシングルとして発売された「光進丸」は、松本隆さんが作詞し、加山さんが弾厚作名義で作曲した作品です。
つまり、1982年に進水した船のために初めて作られた曲ではありません。光進丸という名前そのものが、加山さんの音楽と船への情熱を結び付ける存在だったのです。
1983年には2か月間の長期航海を実現加山さんの公式年譜には、1983年4月に光進丸で2か月間の長期航海を行った記録があります。
航海先として挙げられているのは、父島諸島、サイパン、テニアン、グアムです。
単に港に停泊させて楽しむ船ではなく、実際に長距離の航海を経験した船でした。
加山さんが船舶に関心を持ち続け、大型5級海技士航海科の免許を取得していたことからも、船は趣味の枠を超えた人生の大きなテーマだったことが分かります。
【2018年の光進丸火災】安良里漁港で何が起きたのか?
2018年4月1日夜、静岡県賀茂郡西伊豆町の安良里漁港で、光進丸が炎上しました。
火災発生時、船は係留中で無人でした。加山さん本人は沖縄でコンサートに出演しており、船内に乗っていた人はいませんでした。
運輸安全委員会の調査記録によれば、住民が午後9時ごろに汽笛を聞き、白煙を上げている光進丸を目撃。その情報を受けた造船所の従業員が現場に向かい、火災を確認して消防へ通報しました。
火災発生から引き揚げまでの経緯2018年4月1日
午後9時28分ごろ、消防への通報が行われました。現場は安良里漁港の係留施設付近です。
2018年4月2日
加山さんが羽田空港で記者会見を開き、船を失った悲しみと、消火活動にあたった地元関係者への感謝を語りました。
火災はこの時点で鎮圧状態となっていましたが、完全な鎮火には至っていませんでした。
2018年4月3日
午後3時30分ごろ、火災が鎮火しました。
2018年4月4日
午前10時ごろ、光進丸は横付けされていた作業船とともに転覆しました。
2018年4月18日
サルベージ会社がクレーン船を使って船体を引き揚げました。その後、静岡市の清水港へ運ばれました。
特に重要なのは、火災による焼損だけでなく、鎮火後に船体が転覆・水没したことです。
事故調査報告書によれば、前部と後部の甲板を除く船体の損傷は全損と評価されました。船体上部構造物や内部設備の大部分が焼失し、原形をとどめないほどの被害だったと記録されています。
【光進丸の出火原因と真相】電気系統のトラブルだったのか?
光進丸の火災をめぐって、最も多く検索されている疑問の一つが出火原因です。
火災直後の報道では、電気系統のトラブルが疑われていました。しかし、最終的な調査結果は、特定の電気機器や配線を出火元と断定するものではありませんでした。
なぜ電気系統が疑われたのか当時の報道によれば、光進丸には陸上から電源ケーブルが接続されていました。
船内ではエアコンなどの電気設備を使用しており、長時間の通電状態にあったことが分かっています。
運輸安全委員会の報告書には、火災発生時に稼働していた設備として、次のものが記録されています。
- 風呂用の湯沸かし器
- 風呂の湯の循環ポンプ
- 家庭用暖房オイルヒーター3台
- エアコン1台
これらは船内の居住区で使用されていました。
運輸安全委員会が示した調査結果2019年3月20日、運輸安全委員会は光進丸の火災に関する船舶事故調査報告書を議決しました。
この報告書で重要なのは、出火場所と具体的な発火原因を区別していることです。
調査では、火災は船内の居住区から発生したと考えられるとされました。
加えて、稼働していた電気機器のいずれかの電路などから発火し、周囲の可燃物に燃え移った可能性が示されています。
しかし、居住区全体の焼損が激しく、発火した機器や電路を特定できる状態ではありませんでした。
つまり、調査結果を整理すると次のようになります。
| 調査項目 | 判明した内容 |
|---|---|
| 出火場所 | 船内の居住区と推定 |
| 出火時の状態 | 無人で係留中 |
| 電気設備 | 複数の機器が稼働 |
| 電気系統の発火 | 可能性が示された |
| 特定の発火機器 | 特定できず |
| 最終的な出火原因 | 不明 |
火災発生当初、原因が分からないことから、さまざまな憶測が広がりました。
しかし、2018年5月8日の報道では、静岡県警下田署が船体の実況見分を行い、船内からの出火と判断したうえで、事件性はないとしたことが伝えられています。
ただし、これは特定の電気機器が原因だったと証明されたことを意味しません。
警察による事件性の判断と、事故調査における具体的な発火原因の特定は別の問題です。
したがって、光進丸の出火原因について最も正確な説明は、船内の居住区から出火したと考えられるものの、具体的な発火原因は特定されなかったというものです。
【光進丸のその後】2026年現在、船はどこにある?
「光進丸は現在どこにあるのか」という疑問に対しては、運輸安全委員会の事故調査報告書が重要な答えを示しています。
船体は2018年4月18日に引き揚げられた後、静岡市の清水港に移送されました。
そして、同委員会の2019年3月20日付の事故調査報告書には、次の経過が記されています。
焼損が激しかった光進丸は、その後、解体処分となった。
つまり、2026年現在、かつての光進丸は船として現存していません。
光進丸は清水港に残っているのか?ここは誤解されやすい部分です。
2018年に清水港へ運ばれたことは事実ですが、それは引き揚げ後の移送先です。
その後、解体処分されたことが公的な事故調査記録に残っています。
したがって、2026年現在も清水港に光進丸が船体のまま保管されている、という理解は正しくありません。
また、解体後の部材や残骸が現在どこに保管されているかについては、公表された資料から確認できません。
引き揚げ作業には別の船が関わっていた光進丸のその後について、加山さんが2018年6月にTOKYO FMの番組で語ったエピソードがあります。
沈没した光進丸を引き揚げ、解体場所まで運ぶために、大型のサルベージ船が現場に来たという話です。
その船の名前は「幸神丸」。
読み方は光進丸と同じ「こうしんまる」ですが、漢字は異なります。
加山さんは、愛船が同じ読みの船に運ばれていったことに、特別な感慨を抱いたと振り返っています。
このエピソードは、光進丸の物理的な終わりと、加山さんにとっての思い出の継承を象徴するものです。
【加山雄三の船への思い】光進丸はなぜ特別な存在だったのか
光進丸が単なる所有船ではなかったことは、加山さん自身の発言から伝わってきます。
2018年4月2日の記者会見で、加山さんは光進丸について、人生をともに歩んできた相棒を失ったような悲しみを語りました。
また、船の中にはギターやエレキギター、キーボードなどの楽器を積んでいたことも明かしています。
船内で多くの曲を作ってきたという話からも、光進丸が音楽活動と密接に結び付いていたことが分かります。
船の中で生まれた音楽と家族・仲間との思い出光進丸は、加山さんにとって航海のための場所であると同時に、創作や交流の場でもありました。
2018年4月の会見では、船を自分で考え、設計し、我が子のように作り上げてきたと説明しています。
加えて、家族や友人、仲間と過ごした時間についても語りました。
その船内には楽器があり、長期航海の思い出があり、日常から離れて心を休める時間がありました。
2018年6月のTOKYO FMのインタビューでは、加山さんは光進丸を自分の分身と表現しました。
「光進丸」は俺の分身だったからね。
この発言は、船を単なる高価な所有物としてではなく、自身の人生や価値観と深く結び付いた存在として捉えていたことを示しています。
火災後も歌い続けると宣言した「光進丸」火災から間もない2018年4月2日の会見で、加山さんは楽曲「光進丸」をこれからも歌い続けるかと質問されました。
その答えは、歌い続けるというものでした。
同年6月27日にはアルバム『演歌の若大将~Club光進丸』が発売されています。
火災の約10日前に撮影された光進丸船内の写真も、アルバムのジャケットに使用されました。
船体は失われても、光進丸という名前を冠した音楽作品は残り続けることになったのです。
光進丸の喪失が加山雄三の人生観に与えた影響TOKYO FMのインタビューで、加山さんは光進丸の沈没を人生の転機として振り返っています。
船を失った経験から、自分がこれから何をすべきなのか、人の役に立つために何ができるのかを考えるようになったと話しました。
また、2019年には加山さんが以前から関心を寄せていた海洋環境の問題に取り組む「海 その愛基金 海洋環境クリーンプロジェクト」が設立されました。
同基金は日本セーリング連盟とともに進められた取り組みです。2019年10月の関連発表では、光進丸の焼失を経て、海への感謝や自分の役割を考えたことも紹介されています。
ここに、光進丸の物語を考えるうえで大切な視点があります。
船そのものは解体されました。しかし、船への愛情や海に対する思いが、音楽や社会活動という別の形に引き継がれているのです。
【加山雄三の船・光進丸】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:加山雄三の船、光進丸は2026年現在どこにありますか?
A1:2018年4月に引き揚げられた後、静岡市の清水港に移送されました。その後、運輸安全委員会の事故調査報告書によって解体処分されたことが確認されています。船としては現存しておらず、解体後の部材の所在は公表資料から確認できません。
Q2:光進丸の火災原因は電気系統の故障だったのですか?
A2:電気機器の電路などから発火した可能性は運輸安全委員会の報告書に記されています。しかし、船体の焼損が激しく、具体的な機器や配線は特定されていません。電気系統が原因と確定したわけではありません。
Q3:光進丸は何トンで、全長は何メートルでしたか?
A3:総トン数は104トンです。加山さんの公式年譜では100フィート(約30.48メートル)と記載されています。一方、事故調査報告書には垂線間長25.59メートルとあります。
Q4:光進丸は何代目の船だったのでしょうか?
A4:日本セーリング連盟の紹介では1982年に完成した3代目とされています。一方、加山雄三公式サイトの年譜では「光進丸7世」と記載されています。いずれも1982年に進水した104トンの船を指しています。
Q5:加山雄三は光進丸の火災後、新しい船を造ったのでしょうか?
A5:火災直後の会見では、次の船について明言を避けています。2026年現在、旧光進丸の後継船が建造されたことを裏付ける公的な記録は、今回確認した資料にはありません。
Q6:光進丸という楽曲も火災で失われたのですか?
A6:いいえ。楽曲「光進丸」は1978年に発売された音楽作品です。船の焼失後も加山さんは歌い続けると宣言し、2018年発売のアルバムにも光進丸の名前が残されています。
加山雄三さんの愛船「光進丸」は、1982年に進水した総トン数104トンの大型プレジャーボートでした。
自ら設計に携わり、長期航海を行い、家族や仲間と過ごし、音楽を生み出してきた船です。
しかし、2018年4月1日の火災によって大きな損傷を受け、4日には水没。4月18日に引き揚げられて清水港へ移送された後、解体処分となりました。
出火場所は船内の居住区と考えられていますが、具体的な発火原因は特定されていません。電気系統のトラブルは可能性として示されたものの、確定した原因ではないという点が重要です。
2026年現在の状況を整理すると、次の3点に集約できます。
- 船体の現状: すでに解体処分されており、船としては存在しない。
- 火災の真相: 居住区からの出火と考えられるが、具体的な発火原因は不明。
- 加山雄三との関係: 船の名前を冠した楽曲や海洋環境への取り組みに、その思いが受け継がれている。
光進丸は、単に大きな船を所有したという芸能人のエピソードではありません。少年時代から海に憧れ、自ら船を設計し、長年にわたって海と音楽を愛してきた加山雄三さんの人生を象徴する存在でした。
船体は失われても、楽曲「光進丸」は残り、その名前と航海の記憶は今も語り継がれています。
主な参考資料:加山雄三オフィシャルサイト「ヒストリー」、公益財団法人日本セーリング連盟、国土交通省運輸安全委員会「船舶事故調査報告書」(2019年3月20日)、日刊スポーツ(2018年4月の火災関連報道)、TOKYO FM(2018年6月18日インタビュー)、リビエラグループ(2019年10月1日発表)。