東京都練馬区に「西大泉町(にしおおいずみまち)」という町名がある。ところが、その所在地を地図で確認すると、不思議な光景が目に入る。東京都の一部であるはずの西大泉町が、埼玉県新座市片山3丁目の住宅地に四方を囲まれているのだ。東京都練馬区に属しながら、地理的には埼玉県内にぽつんと存在する、全国的にも珍しい飛び地である。
なぜ、この場所だけ東京都のまま残されたのか。江戸時代の小榑村、明治時代の榑橋村、東京府への編入、昭和49年(1974年)に判明した飛び地の存在など、歴史をたどると複数の行政区域の変遷が浮かび上がる。一方、練馬区自身も成立の詳しい経緯を確認できる記録は残っていないと説明している。2026年10月1日現在の住民基本台帳では、13世帯30人が暮らす小さな町だ。
【場所を地図で確認】西大泉町は東京都練馬区なのに埼玉県に囲まれている

西大泉町は、東京都練馬区の北西部に位置する町名だ。ただし、一般的な練馬区の市街地とは異なり、周囲を埼玉県新座市片山3丁目に囲まれている。
つまり、地理的には埼玉県新座市の住宅地の中にありながら、行政上は東京都練馬区に所属する。こうした土地を「飛び地」と呼ぶ。
西大泉町の位置と基本情報西大泉町の基本情報を整理すると、次のとおりだ。
- 正式な所在地:東京都練馬区西大泉町
- 周囲の自治体:埼玉県新座市片山3丁目
- 読み方:にしおおいずみまち
- 郵便番号:178-0066
- 町名の状態:住居表示未実施
- 町の性格:東京都練馬区に属する飛び地
西大泉町の規模は非常に小さい。近年の地域資料では、およそ東西30メートル、南北60メートル程度の区画として紹介されている。面積は約0.002平方キロメートルで、練馬区内でも特に小さな町域だ。
練馬区の本体側とも比較的近く、2017年のJタウンネットの現地取材では、両者の距離は約100メートルと紹介された。遠く離れた土地というより、既存の住宅地のすぐ近くに行政境界だけが複雑に残っている場所である。
なぜ埼玉県新座市の中に東京都があるのかここで理解しておきたいのは、都県境と行政サービスの範囲は、必ずしも目に見える道路や河川と一致するわけではないという点だ。
西大泉町は、周囲の土地が新座市だからといって自動的に新座市へ所属するわけではない。行政区域を変更するには正式な手続きが必要であり、現在も練馬区の町名として管理されている。
練馬区が公開している区政への意見と回答でも、埼玉県新座市片山3丁目内に練馬区西大泉町という飛び地があることが取り上げられている。区は昭和49年に存在を把握したと説明している。
この場所の不思議さは、地理的な位置と行政上の所属が異なることにある。単に東京都と埼玉県の境界線が曲がっているという話ではない。
【歴史を解説】小榑村から榑橋村へ、西大泉町が生まれるまで
西大泉町の歴史を理解するには、現在の練馬区という行政区画だけを見るのでは不十分だ。江戸時代、この一帯は現在の東京都ではなく、武蔵国新座郡の村として位置付けられていた。
練馬区公式の「ねりまの地名物語」や、練馬わがまち資料館に掲載された郷土史研究家・桑島新一さんの解説をたどると、町名の変遷が見えてくる。
江戸時代は小榑村(こぐれむら)の一部西大泉町周辺は、江戸時代には旧新座郡小榑村の一部だった。
小榑村は「こぐれむら」と読み、現在の大泉学園町、西大泉、南大泉などにまたがる広い地域を含んでいた。
江戸時代初めは幕府直轄領だったが、元禄16年(1703年)には村高の半分に当たる730余石が、武州久喜藩主の米津出羽守に与えられた。こうした領地の変遷も、この地域の歴史を考えるうえで重要な背景となる。
「小榑」という地名の由来は何か小榑の「榑」という文字には、山から切り出した木材や薪に関係する意味がある。練馬わがまち資料館の解説では、木材を山から運び出す作業を行った場所に由来するという説が有力とされている。
一方、「クレ」という音を「呉」に結び付け、古代の渡来人との関係を考える説も紹介されている。
その背景として挙げられるのが、天平宝字2年(758年)の出来事だ。『続日本紀』には、新羅からの帰化僧らを武蔵国に移住させ、新羅郡を置いたことが記録されている。その後、新羅郡は新座郡へと名称が変化した。
ただし、小榑という地名が渡来人に直接由来することまで確定しているわけではない。木材に関する説と古代の地名に関する説は、いずれも地名の背景を考えるための歴史的な見方である。
明治22年、橋戸村と合併して榑橋村が誕生明治22年(1889年)、小榑村は隣接する橋戸村と合併した。新しい村の名称は「榑橋村(くれはしむら)」となった。
これは、旧村名の一部を組み合わせて作った合成地名だ。同じ時期には全国各地で町村合併が進み、複数の旧地名を組み合わせた新しい村名が生まれている。
現在、榑橋という名前は当時の自治体名としては残っていないが、練馬区大泉町5丁目にある北大泉くれはし公園にその名が受け継がれている。
明治24年に東京府へ編入、大泉村へ榑橋村の歴史を大きく変えたのが、明治24年(1891年)の東京府への編入だ。
それまで埼玉県に属していた榑橋村は東京府へ移り、大泉村となった。現在の練馬区大泉地域につながる行政区画の基礎が、この時期に形成された。
昭和7年(1932年)には、大泉村の地域が東大泉町、西大泉町、南大泉町、北大泉町、大泉学園町の5つに分かれた。
西大泉町という町名も、この行政上の町名整理によって誕生した歴史を持つ。
【飛び地ができた理由】練馬区の公式回答と歴史から見える可能性
西大泉町について最も多く検索される疑問が、「なぜ埼玉県の中に東京都練馬区の土地が残っているのか」という問題だ。
この疑問に対して、練馬区は公式に回答を公表している。重要なのは、飛び地が存在することは確認されている一方、成立した正確な経緯は記録が残っておらず、明らかになっていないという点だ。
昭和49年(1974年)に飛び地の存在が判明練馬区の公式回答によると、西大泉町の飛び地が区に把握されたのは昭和49年(1974年)だった。
平成26年度に区民から寄せられた質問に対し、練馬区は、周辺の土地がかつて大名領地として点在していたため、その一部が残ったのではないかという説などを紹介している。
しかし、成立経緯を確認できる記録は残っていない。つまり、大名領地の名残という説明も確定した歴史的事実ではなく、あくまで考えられる説の一つだ。
確認できる歴史と、まだ解明されていない点現在までに確認できる主な出来事と、飛び地の成立に関する論点を整理した。
| 時期 | 出来事・関係する歴史 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 江戸時代 | 小榑村 | 現在の西大泉周辺が旧新座郡小榑村の一部だった。 |
| 1889年(明治22年) | 榑橋村の成立 | 小榑村と橋戸村が合併した。 |
| 1891年(明治24年) | 東京府へ編入 | 榑橋村が東京府に移り、大泉村となった。 |
| 1932年(昭和7年) | 西大泉町の成立 | 大泉村の地域が5つの町名に分かれた。 |
| 1974年(昭和49年) | 飛び地の存在が判明 | 練馬区が飛び地の存在を把握した。 |
| 1981年(昭和56年) | 住居表示の実施 | 周辺地域の町名整理が進む一方、飛び地は住居表示未実施の町名として残った。 |
| 2026年 | 現在の行政区域 | 練馬区西大泉町として存続。10月1日現在で13世帯30人。 |
飛び地ができた理由については、大きく分けて二つの考え方がある。
一つ目は、江戸時代の領地や土地所有の複雑さに由来するという説だ。
江戸時代には、一つの村の中に複数の領主の土地が混在することがあった。村の領域と個々の土地の支配関係が必ずしも一致していなかったため、村の一部だけが別の行政区域に囲まれる状況も起こり得た。
西大泉町についても、こうした土地の分布が後世まで残った可能性が考えられている。
二つ目は、明治期以降の行政区域変更や手続きに関係するという説だ。
2017年1月のJタウンネットの取材記事では、練馬区の担当者が、飛び地の成立について行政手続きの漏れが関係した可能性を説明している。ただし、これも成立を証明する資料が見つかったという意味ではない。
現在のところ、どちらか一方を正解と断定できる公的記録は確認されていない。飛び地の存在が判明した1974年よりも前に、どのような土地の経緯があったのかが最大の未解明部分となっている。
新座市への編入計画はどうなったのか飛び地を解消するため、新座市へ編入する方向で調整が行われたことも報じられている。
Jタウンネットの2017年の取材では、練馬区の担当者が新座市への編入方針は存在するものの、住民から飛び地による不便の声が出ていないことや、住民の意見を無視して進めることはできないため、手続きが進んでいないと説明していた。
ただし、これは2017年時点の取材内容である。2026年現在、境界変更が正式に実施されたことを示す公表資料は確認できず、練馬区の最新人口統計にも西大泉町は独立した町名として掲載されている。
したがって、少なくとも2026年10月時点では、東京都練馬区の飛び地という状態が続いている。
【2026年最新】西大泉町の人口・暮らし・行政サービスの実態
西大泉町は歴史的に珍しい行政区域だが、現在も人が暮らす住宅地である。練馬区が公表している住民基本台帳の統計を見ると、町の規模を具体的に把握できる。
2026年10月1日現在の人口は30人練馬区の公式統計「世帯と人口 町丁別」によると、令和8年(2026年)10月1日現在の西大泉町の状況は次のとおりだ。
- 世帯数:13世帯
- 男性人口:9人
- 女性人口:21人
- 総人口:30人
人口はわずか30人であり、練馬区の一般的な住宅地と比べると極めて小規模な町だ。
参考までに、隣接する町名の西大泉は同じ統計で22,100人。西大泉町とは人口規模に大きな差がある。
この数字は2026年10月1日現在の住民基本台帳に基づくもので、町の現在の状況を示す最新の基準として確認できる。
東京都と埼玉県で分担する行政サービス西大泉町の生活で興味深いのが、地理的な位置と行政サービスの担当が必ずしも一致しないことだ。
2017年のJタウンネットによる練馬区への取材では、上下水道は新座市、ごみ処理は練馬区、学校についても基本的に練馬区の小中学校に通う仕組みと説明されていた。
この分担は、飛び地ならではの実務的な対応として紹介されたものだ。
また、練馬区の現在の公式サイトでは、西大泉町が区立小中学校の学区域案内の対象に含まれている。資源・ごみの収集曜日についても、西大泉町が練馬区の対象町名として掲載されている。
ただし、上下水道などの担当については、2017年の取材時点の説明と2026年の最新制度を同一視することはできない。具体的な利用や工事、契約に関する確認は、それぞれの担当自治体・事業者に問い合わせる必要がある。
飛び地の住民にとって不便なのか地図だけを見ると、周囲が埼玉県であるため、日常生活に大きな支障がありそうに感じるかもしれない。
しかし、2017年の練馬区への取材では、住民から飛び地であることによる不便の声が出ていないことが、編入手続きが進まない理由の一つとして説明されていた。
行政区域が特殊だからといって、必ずしも生活環境まで特殊になるわけではない。周囲の住宅地と連続しているため、日常生活では地理的な境界を意識する機会が少ないと考えられる。
もっとも、住民30人の生活実感を示す2026年の新しい住民アンケートが公表されているわけではない。現在の暮らしやすさを判断する際は、行政区分と実際の生活環境を分けて考える必要がある。
【住所・郵便番号を解説】西大泉町と西大泉は何が違う?
西大泉町を調べる際に間違えやすいのが、似た名前の「西大泉」との違いだ。両者は同じ練馬区に存在するが、正式な町名も郵便番号も異なる。
読み方は「にしおおいずみまち」西大泉町の正式な読み方は「にしおおいずみまち」だ。
一方、丁目を持つ通常の町名である西大泉は「にしおおいずみ」と読む。
最後の「町」を「まち」と読むかどうかが異なるため、住所を記載するときには注意したい。
郵便番号は178-0066、西大泉は178-0065日本郵便の公式郵便番号検索では、両者は別々の町域として登録されている。
- 西大泉町:〒178-0066
- 西大泉:〒178-0065
西大泉町は東京都練馬区の郵便番号として登録されており、周囲が埼玉県だからといって新座市の郵便番号を使用するわけではない。
住居表示未実施という特殊な住所西大泉町の住所を理解するうえで重要なのが、住居表示が実施されていない点だ。
一般的な住宅地では、住居表示制度によって「丁目・番・号」という住所が設定されることが多い。一方、西大泉町は住居表示未実施区域であり、土地の地番を基準に住所を扱う。
デジタル庁のアドレス・ベース・レジストリ(ABR)に基づく住所データでも、西大泉町は住居表示フラグが0、つまり住居表示未実施として整理されている。
同データには1179番台の地番が登録されており、1179-1、1179-2など複数の筆が確認できる。土地の登記や不動産取引で住所を確認する際には、町名だけでなく個々の地番を正確に照合する必要がある。
西大泉町と西大泉の違いを比較- 西大泉町:新座市片山3丁目に囲まれた飛び地。住居表示未実施で、郵便番号は178-0066。
- 西大泉:練馬区本体側にある通常の住宅地。1丁目から6丁目まであり、住居表示実施済み。郵便番号は178-0065。
両者は名前が似ているものの、住所制度上は別の町域だ。郵便物の発送、不動産の登記、住所変更などでは、町名と郵便番号を取り違えないようにしたい。
【プロの結論】西大泉町の飛び地が示す行政区域と歴史の関係
西大泉町の不思議さは、東京都と埼玉県の境界が入り組んでいるという見た目だけでは説明できない。
その背景には、江戸時代の村の範囲、明治時代の町村合併、府県の変更、昭和時代の町名整理、そして現在の住居表示制度という、異なる時代の行政上の仕組みが重なっている。
飛び地を生み出すのは地理だけではない一般に、自治体の境界は山や川などの自然地形だけで決められているわけではない。歴史的な村の境界や土地の管理関係、行政区画の変更などが積み重なって現在の形になる。
西大泉町も、旧小榑村から榑橋村、東京府の大泉村へと変化した歴史を持つ。その過程で、個々の土地がどのように扱われたのかを示す資料が残っていないため、飛び地の成立理由を完全に説明することが難しくなっている。
今後、飛び地は解消されるのか新座市への編入という方向性は過去の報道で示されていたが、行政区域の変更は単純な地図上の線の引き直しではない。
住所、税務、選挙、教育、公共サービスなど、住民の生活に関係する複数の制度に影響する。住民の意向や自治体間の調整も欠かせない。
2026年10月時点で西大泉町が練馬区の統計に独立した町名として掲載されていることからも、現在の行政上の位置付けは維持されている。
西大泉町を理解する際の判断基準は、次の3点に集約できる。
- 地理:埼玉県新座市片山3丁目に囲まれている。
- 行政:東京都練馬区に属する独立した町名である。
- 歴史:旧村の変遷と土地の管理関係が背景にあるものの、飛び地の成立原因そのものは未解明である。
この3つを区別すれば、西大泉町を単なる珍しい地図上の現象としてではなく、地域の歴史が現在まで残した行政上の特徴として理解できる。
西大泉町に関するよくある質問(FAQ)
Q1:西大泉町は本当に東京都練馬区なのですか?
A1:はい。周囲は埼玉県新座市片山3丁目ですが、行政上の所属は東京都練馬区です。練馬区の公式人口統計にも独立した町名として掲載されています。
Q2:西大泉町の読み方は何ですか?
A2:「にしおおいずみまち」です。丁目のある「西大泉」は「にしおおいずみ」と読みます。
Q3:なぜ西大泉町だけ埼玉県に囲まれているのですか?
A3:正確な成立理由は判明していません。練馬区は、かつての大名領地が点在していたことによる土地の名残などを説として紹介していますが、経緯を証明する記録は残っていません。
Q4:西大泉町の郵便番号はいくつですか?
A4:178-0066です。通常の西大泉は178-0065なので、郵便番号を間違えないように注意してください。
Q5:2026年現在、西大泉町には何人住んでいますか?
A5:練馬区の2026年10月1日現在の住民基本台帳によると、13世帯30人です。男性9人、女性21人となっています。
Q6:西大泉町は新座市に編入されたのですか?
A6:2026年10月時点では編入されていません。練馬区の行政区域として存続しています。過去には新座市への編入方針が報道されましたが、正式な境界変更は確認できません。
Q7:西大泉町は住居表示が実施されていないのですか?
A7:はい。住居表示未実施区域であり、地番を基準とする住所です。通常の西大泉とは住所の仕組みが異なります。
西大泉町は、東京都練馬区に属しながら、埼玉県新座市片山3丁目に四方を囲まれた珍しい飛び地だ。読み方は「にしおおいずみまち」、郵便番号は178-0066。通常の西大泉とは異なる町域で、住居表示も実施されていない。
歴史を振り返ると、江戸時代の小榑村、明治22年の榑橋村、明治24年の東京府への編入、昭和7年の西大泉町成立という変遷がある。こうした行政区域の変化が現在の境界を理解する重要な手がかりとなる。
一方、飛び地が生まれた直接の理由については、練馬区も記録が残っていないと説明している。大名領地の名残や行政手続きの問題など複数の説はあるものの、確定した真相は明らかになっていない。
2026年10月1日現在、13世帯30人が暮らす西大泉町。今も東京都の行政区域として存在し続けているこの小さな町は、江戸時代から続く土地の歴史と、現代の行政区画が交差する興味深い場所だ。
今後、仮に新座市への編入や境界変更が検討される場合も、住民の生活と意向が重要な判断材料になる。地図上の珍しい境界の背後には、土地を受け継いできた人々の暮らしと、長い地域の歴史がある。
主な根拠資料・2026年の確認情報
- 練馬区公式「ねりまの地名物語」および練馬わがまち資料館の地名史。
- 練馬区公式「区政へのご意見」平成26年度の飛び地に関する回答。
- 練馬区公式「世帯と人口 町丁別」2026年10月1日現在。
- 日本郵便の西大泉町・西大泉の郵便番号検索。
- 住居表示・地番の確認に用いたアドレス・ベース・レジストリ準拠データ。
- 飛び地の発見経緯、編入方針、行政サービスについてのJタウンネットの練馬区取材。