岐阜県揖斐郡大野町にある来振寺(きぶりじ)は、奈良時代の霊亀元年(715年)に行基が創建したと伝わる真言宗智山派の古刹です。寺名の由来には、神亀2年(725年)にこの地へ黄金色の雪が降ったという不思議な伝承が残されています。加えて、平安時代の仏教美術を伝える国宝「絹本著色五大尊像」を所蔵する寺院としても知られています。
2026年2月1日には恒例の節分星まつりが開催され、参拝者が素足で炭火の上を歩く火渡りや護摩供が営まれました。五大尊像は現在、奈良国立博物館に寄託されており、いつでも寺院で鑑賞できるわけではありません。歴史、国宝の価値、祭事の実際、アクセスや参拝時の注意点を整理します。
【来振寺の読み方は「きぶりじ」】715年の創建伝承と寺名の由来

来振寺の読み方は「きぶりじ」です。岐阜県揖斐郡大野町稲富に位置し、正式には宝雲山明星院来振寺といいます。宗派は真言宗智山派で、西美濃地域の歴史や仏教文化を伝える寺院の一つです。
来振寺の歴史は、霊亀元年(715年)に行基が開山したという伝承から始まります。創建当初は法相宗の寺院で、「新福寺」と呼ばれていたとされています。
725年に降ったという黄金色の雪が寺名の由来来振寺の名前を語るうえで欠かせないのが、神亀2年(725年)に伝わる黄金色の雪の物語です。
寺の背後にあった白山に、夏にもかかわらず黄色い雪が降り積もったとされます。この珍しい出来事を瑞祥として受け止めた聖武天皇が寺の由緒を聞き、勅命によって寺名を改めたというのが、地元に伝わる由来です。
この伝承では、黄色い雪にちなんで「黄降(きぶり)」と称され、その後「来振」の文字が当てられるようになったと説明されています。単に珍しい漢字を使った寺名ではなく、土地の伝承と結び付いた名称なのです。
西美濃三十三霊場会の寺院紹介によれば、背後の白山は石灰岩で白く見える山でしたが、1968年から石灰採掘が進み、現在は山そのものが残っていません。寺名の由来を伝える地形が失われたことも、来振寺の歴史を考えるうえで興味深い点です。
【来振寺の歴史を時系列で解説】行基の開山から戦国時代の焼失、再興まで
来振寺は、創建伝承だけでなく、中世以降の変遷にも特徴があります。長い歴史のなかで大きく発展した一方、洪水や戦乱によって伽藍を失い、その後に再興を遂げました。
鎌倉時代には僧兵を擁する大寺院へ大野町の公式文化財紹介によると、来振寺は後に真言宗へ改宗し、七堂伽藍と十二坊を構える寺院へ発展したと伝えられています。
鎌倉時代以降には勢力を拡大し、僧兵を二百数十名擁するほどの規模になったとされます。現在の境内からは想像しにくいものの、かつては地域の宗教的・社会的な中心地として大きな存在感を持っていたことがうかがえます。
1530年の洪水と1560年の兵火で伽藍が焼失寺の歴史における大きな転換点は、享禄3年(1530年)と永禄3年(1560年)です。
1530年6月3日には根尾川の大洪水が発生し、寺領の田畑が流失したと伝えられています。その30年後の1560年には、織田信長の兵火によって伽藍や僧坊などが焼失し、寺は衰退しました。
その後、豊臣秀吉と徳川家康から朱印状を受け、寺領を与えられたことなどによって再興したと、大野町の歴史資料には記されています。
2015年には開山1300年を迎える創建年を715年とする伝承に基づき、来振寺は2015年に開山1300年を迎えました。現在の寺院は、こうした長い歴史のなかで受け継がれてきた信仰と再建の積み重ねによって成り立っています。
創建から現在まで、寺の姿は変化してきました。しかし、国宝の仏画や秘仏の十一面観音菩薩などを伝える文化財の存在は、来振寺が地域の信仰を守り続けてきたことを示しています。
【国宝・絹本著色五大尊像とは?】1088年の墨書銘と奈良国立博物館への寄託
来振寺を全国的に知らしめている最大の文化財が、国宝「絹本著色五大尊像(けんぽんちゃくしょくごだいそんぞう)」です。
五大尊像は仏像ではなく、絹に彩色を施した5幅の仏画です。密教で重要な五壇法などの修法に用いられる本尊画像であり、五大明王の姿を描いています。
五大明王を描いた5幅の仏画五大尊は、密教における五大明王を指す名称です。来振寺の五大尊像は、不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、烏枢沙摩明王(金剛夜叉と関連する尊格)の図像を伝えています。
五大明王は、仏教の教えに従わない障害や迷いを降伏させる力を象徴する尊格です。怒りを表す忿怒相で描かれるのは、単に恐ろしい姿を表現するためではありません。人々を煩悩や災いから救い、仏の教えへ導くという密教の思想を視覚化したものです。
寛治2年(1088年)と寛治4年(1090年)の墨書銘五大尊像の価値を高めているのが、制作時期を考える手掛かりとなる墨書銘です。
文化庁の国指定文化財等データベースによると、降三世明王像の画絹の裏には、寛治2年(1088年)10月10日の開眼供養銘が残されています。また、軍荼利明王像には寛治4年(1090年)の年紀が記されています。
つまり、五幅すべてを単純に1088年制作と説明するのは正確ではありません。少なくとも二幅に異なる年紀があり、五幅が寛治年間に順次制作された可能性が指摘されています。
なぜ国宝に指定されたのか文化庁の解説では、来振寺の五大尊像は、鎌倉時代以前にさかのぼる五幅一組の作例として、教王護国寺(東寺)本、醍醐寺本と並ぶ貴重な作品と評価されています。
特に注目されるのが、智証大師円珍の請来様式に基づく図像であることです。五幅がそろって伝わる点に加え、図像の系統を研究するうえでも重要な資料となっています。
また、5幅の保存状態や表現技法は一様ではありません。文化庁の解説によると、不動明王像は損傷が大きく、補筆や補彩も少なくありません。一方、大威徳明王像は比較的保存状態が良好です。こうした作品内部の違いも、美術史研究における重要な論点です。
五大尊像は1974年6月8日に重要文化財に指定され、2004年6月8日に国宝へ指定されました。単なる古い仏画ではなく、平安時代の密教美術を知るうえで欠かせない文化財です。
現在は奈良国立博物館に寄託、常時鑑賞できるわけではない五大尊像の所有者は来振寺ですが、現在は奈良国立博物館に寄託されています。そのため、普段の来振寺参拝で実物の5幅を鑑賞できるわけではありません。
公開実績としては、2024年11月17日に来振寺で特別公開が行われました。この際、寺の公式告知では一般拝観料2,000円と案内されています。
加えて、2025年4月19日から5月18日まで奈良国立博物館で開催された開館130年記念特別展「超 国宝―祈りのかがやき―」の出品一覧にも、来振寺の五大尊像5幅が掲載されています。
このように、国宝の公開は特別展や期間限定の御開帳を通じて行われます。鑑賞を目的に訪問する場合は、来振寺と奈良国立博物館の展示情報を事前に確認することが大切です。
【来振寺と関係する人物・文化財・札所】知っておきたい関係性一覧
来振寺を理解するには、寺院単体の歴史だけでなく、創建に関わる人物、伝承の舞台、所蔵文化財、巡礼制度とのつながりを把握すると分かりやすくなります。
主要な関係性を整理すると、次のようになります。
| 人物・名称 | 来振寺との関係 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 行基 | 開山の伝承 | 715年に法相宗の新福寺を創建したと伝わる。 |
| 聖武天皇 | 寺名変更の伝承 | 725年の黄金色の雪の瑞祥を聞き、来振寺への改称を命じたとされる。 |
| 白山 | 寺名の由来に関わる場所 | 寺の背後にあった山。黄色い雪が降ったという伝承の舞台。 |
| 絹本著色五大尊像 | 寺が所有する国宝 | 5幅の平安仏画。1088年と1090年の年紀を持つ。 |
| 奈良国立博物館 | 文化財の寄託先 | 五大尊像を寄託保管し、特別展などで公開している。 |
| 真言宗智山派 | 現在の宗派 | 密教の伝統を受け継ぐ宗派に属する。 |
| 西美濃三十三霊場 | 第二番札所 | 宝雲山来振寺として巡礼の対象になっている。 |
| 美濃新四国八十八ヶ所霊場 | 第五十五番札所 | 十一面観世音菩薩を本尊とする札所として紹介されている。 |
この関係性から分かるのは、来振寺が単に国宝を保管する文化財施設ではないということです。行基の創建伝承、真言密教の信仰、地域の巡礼文化、そして平安仏画の保存という複数の役割を担っています。
特に西美濃三十三霊場の第二番札所であることは、地域の寺院を巡る人にとって重要な情報です。美濃新四国第五十五番札所でもあるため、複数の巡礼ルートから訪れることができます。
【2026年最新】来振寺の節分星まつりと火渡り・柴燈大護摩供
来振寺の年間行事で広く知られているのが、毎年2月第1日曜日に開催される節分星まつりです。厄除けや無病息災を願う行事で、柴燈大護摩供と火渡りが大きな見どころになっています。
2026年2月1日に節分星まつりを開催2026年の節分星まつりは、2月1日(日)に開催されました。岐阜県の揖斐県事務所が公開した2026年イベント情報では、開催時間は13時30分から16時までと案内されています。
岐阜新聞の2026年2月1日付の報道によると、当日は揖斐郡大野町稲富の来振寺で行事が営まれ、多くの家族連れなどが火渡りに参加しました。参拝者は1年間の無病息災や商売繁盛を願い、素足で炭火の上を歩きました。
柴燈大護摩供とは?柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)は、屋外に設けた護摩壇で火を焚き、祈願を行う密教の儀式です。
来振寺では、不動堂前に護摩壇を設け、護摩木を焚いて厄除けや願い事の成就を祈ります。護摩木には願い事や名前を書き、祈願の対象として火にくべます。
この儀式では、山伏による法螺や作法なども行われます。護摩壇に火が入ると、境内に煙と炎が立ち上り、行事は火渡りへと進んでいきます。
火渡りはなぜ行う?火渡りは、護摩の後に残った炭火の上を素足で歩く修法です。来振寺では、厄年の人をはじめとする参拝者が参加し、除災招福や健康を祈願します。
西美濃三十三霊場会の行事紹介では、火渡りの道は約9メートルと説明されています。「苦(九)を超える」という意味を込めた長さとされ、子どもから高齢者まで参加する地域行事として紹介されています。
同会の案内には、例年の行事規模として約400人の火渡り参加者や約2万袋の福豆まき、先着200人への笹酒の振る舞いも記載されています。ただし、これらは行事紹介に掲載された例年の説明であり、2026年当日の参加人数や配布実績を示す数値ではありません。
次回の開催日程はいつ?節分星まつりは例年2月第1日曜日に開催されています。2026年の開催は終了しており、次回の開催時間や参加方法については、寺院からの最新告知を確認する必要があります。
火渡りへの参加受付、護摩木の申し込み、当日の交通規制や駐車場の利用条件なども、年度によって変更される可能性があります。参加を希望する場合は、来振寺(0585-32-0078)へ直接問い合わせるのが確実です。
【来振寺のアクセス・拝観料・参拝情報】駐車場と訪問前の注意点
来振寺は岐阜県揖斐郡大野町稲富にあります。国宝や文化財に関心がある人はもちろん、札所巡りや節分星まつりを目的に訪れる人にも利用しやすい場所です。
来振寺の基本情報- 寺院名:宝雲山明星院 来振寺
- 読み方:きぶりじ
- 所在地:〒501-0501 岐阜県揖斐郡大野町大字稲富397-1
- 宗派:真言宗智山派
- 創建伝承:霊亀元年(715年)
- 開山伝承:行基
- 本尊:十一面観世音菩薩
- 電話番号:0585-32-0078
- 西美濃三十三霊場:第二番札所
- 美濃新四国八十八ヶ所霊場:第五十五番札所
車の場合、東海環状自動車道の大野神戸ICから約15分、距離にして約11キロメートルが目安です。
節分星まつりの案内では、無料駐車場が約200台分あると紹介されています。ただし、祭事当日は参拝者が集中するため、通常の参拝日とは交通状況が異なります。混雑が予想される場合は早めの到着を検討してください。
公共交通機関でのアクセス大野バスセンターからタクシーを利用すると約5分が目安です。また、寺院公式の地図案内では、樽見鉄道の本巣駅と木知原駅からそれぞれ約3.5キロメートルと案内されています。
駅から徒歩で向かう場合は距離があるため、タクシーやバスとの組み合わせを検討すると移動しやすくなります。公共交通機関の運行状況も事前に確認しておきましょう。
拝観料・参拝時間について一般的な観光案内では、来振寺の参拝料金は無料とされています。ただし、国宝五大尊像の特別公開など、特別な催しでは別途拝観料が設定される場合があります。
実際に2024年11月17日の国宝五大尊像の特別公開では、一般拝観料2,000円と寺院公式サイトに掲載されました。通常参拝と文化財の特別公開は、別の料金体系として考える必要があります。
また、一般参拝の開門時間や文化財の拝観受付時間については、最新の具体的な案内を確認してから訪問するのが安心です。
住所表記の違いにも注意所在地については、大野町や寺院公式の案内、観光情報では「稲富397-1」と掲載されています。一方、西美濃三十三霊場会の寺院一覧には「稲富398」という表記もあります。
カーナビや地図アプリで検索する場合は、寺院公式情報に掲載された397-1を目安にしてください。住所表示に迷った場合は、電話番号0585-32-0078で確認できます。
【来振寺に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:来振寺は何と読みますか?
A1:来振寺は「きぶりじ」と読みます。岐阜県揖斐郡大野町稲富にある真言宗智山派の寺院です。
Q2:来振寺の創建はいつですか?
A2:霊亀元年(715年)に行基が法相宗の新福寺として創建したと伝えられています。725年には黄金色の雪が降ったという伝承から、来振寺へ改称したとされています。
Q3:国宝の五大尊像は来振寺で見られますか?
A3:五大尊像は奈良国立博物館に寄託されているため、通常の参拝時に来振寺で実物を鑑賞できるわけではありません。特別公開や博物館の企画展で展示される場合があります。訪問前に最新の公開情報を確認してください。
Q4:2026年の節分星まつりはいつ開催されましたか?
A4:2026年2月1日(日)に開催されました。岐阜県のイベント情報では13時30分から16時までと案内され、柴燈大護摩供や火渡りが行われました。
Q5:来振寺の拝観料と駐車場は無料ですか?
A5:一般参拝は観光案内で無料とされています。節分星まつりの案内には無料駐車場約200台との記載があります。ただし、特別公開などは別料金になる場合があるため、事前確認がおすすめです。
Q6:来振寺は何番札所ですか?
A6:西美濃三十三霊場の第二番札所であり、美濃新四国八十八ヶ所霊場の第五十五番札所でもあります。
来振寺は、715年の行基による創建伝承、725年の黄金色の雪にまつわる寺名の由来、戦国時代の焼失と再興など、1300年以上にわたる歴史を伝える寺院です。
なかでも国宝「絹本著色五大尊像」は、1088年と1090年の年紀を持つ5幅の平安仏画として、美術史・密教史の両面で重要な価値を備えています。奈良国立博物館への寄託という現在の保管状況を理解しておけば、実物を鑑賞する機会も逃しにくくなります。
また、2026年2月1日に開催された節分星まつりでは、柴燈大護摩供と火渡りが行われ、地域の人々が無病息災や商売繁盛を祈りました。国宝を伝える文化財の寺院であると同時に、現在も地域の信仰や年中行事が息づく場所です。
訪問を計画する際は、通常参拝と特別公開の違い、文化財の展示日程、祭事の開催情報を確認することが大切です。歴史的な由緒だけでなく、五大尊像の美術的価値や節分星まつりの信仰文化にも目を向けることで、来振寺の魅力をより深く理解できるでしょう。
主な情報照合先: 大野町公式「国宝絹本著色五大尊像と来振寺」、文化庁「国指定文化財等データベース」、岐阜県公式文化財情報、奈良国立博物館の2025年特別展出品一覧、来振寺公式サイト、西美濃三十三霊場会、岐阜新聞(2026年2月1日報道)。