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西郷隆盛の本物の写真は現存する?1883年の肖像画と偽写真の真相を徹底解説

水沢 陽菜 水沢 陽菜 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
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西郷隆盛の顔を写した本物の写真は、2026年11月現在、真正なものとして公的に確認された資料が存在しない。歴史上の人物として広く知られ、明治維新を代表する政治家でありながら、本人を直接撮影した写真が残されていないことは、西郷隆盛にまつわる大きな謎の一つだ。インターネットで見かける白黒の西郷隆盛画像も、実際には写真ではなく、1883年(明治16年)にイタリア人画家エドアルド・キヨッソーネが制作した肖像画を写真複製したものが中心となっている。

この肖像画には、西郷の弟である西郷従道と、従弟の大山巌がモデルとして関わっている。加えて、制作を依頼した得能良介の存在や、本人の写真が残らなかった背景、フルベッキ写真に西郷が写っているという説など、検証すべき論点は少なくない。現存する資料と2024年に発表された写真研究を踏まえ、本人の写真と肖像画の違いから、現在流通する画像の真相まで整理する。 HTML_BLOCK_HOLD_0 HTML_BLOCK_HOLD_7

最初に結論を整理すると、西郷隆盛本人を撮影したと裏付けられる真正な写真は、2026年11月現在、確認されていない。

この点について参考になるのが、鹿児島県立図書館が公開している貴重資料の解説だ。同館は西郷隆盛の写真は存在せず、最も古い肖像画はエドアルド・キヨッソーネが描いた作品だと説明している。

また、鹿児島県教育委員会の解説資料「西郷隆盛の肖像画と込められた想い」でも、西郷は写真を一枚も残していない人物として紹介されている。

ここで注意したいのは、「西郷隆盛の写真がない」という言葉と「西郷隆盛の姿を伝える資料がない」という言葉は同じではないことだ。

西郷の容姿を伝える肖像画は複数存在する。本人と実際に面識のあった人物や、親族から話を聞いた画家が制作した作品もあり、顔立ちや体格を推測する手掛かりは残されている。

西郷隆盛の写真がない理由は写真嫌いだったから?

西郷隆盛の写真が残らなかった理由として、一般的に知られているのが本人の写真嫌いという説だ。

小学館の歴史関連記事「サライ.jp」では、西郷の実子である西郷菊次郎が、父親は生前一度も写真を撮ったことがなかったと証言したことが紹介されている。

この証言は、本人が写真撮影をしていなかったという説明を支える重要な情報だ。ただし、写真を避けた具体的な心理や理由について、本人が残した明確な説明が確認されているわけではない。

また、写真技術そのものが存在しなかったという説明も正しくない。西郷が生きた幕末から明治初期には、日本国内でも写真撮影が行われ、著名な政治家や軍人の写真が残されていた。

西郷は1827年生まれで、1877年の西南戦争で生涯を終えている。写真が普及し始めた時代を生きていたにもかかわらず、本人の写真が伝わっていないという点が、ほかの明治の元勲との大きな違いになっている。

したがって、写真がない理由を単純に時代背景だけで説明することはできない。本人が撮影をしなかったという家族の証言と、真正な写真が確認されていないという史料上の状況を分けて理解する必要がある。

【1883年の真相】キヨッソーネ肖像画はどうやって制作された?

西郷隆盛写真

西郷隆盛の顔を知るうえで、最も広く知られているのが、イタリア人画家エドアルド・キヨッソーネによる肖像画だ。

作品の下部には「E.Chiossone, Tokio 1883」と記されている。これは1883年に東京で制作されたことを示すもので、鹿児島県立図書館もこの記載を根拠として制作年を明治16年と紹介している。

エドアルド・キヨッソーネとは何者なのか

エドアルド・キヨッソーネ(Edoardo Chiossone、1833~1898年)は、イタリアのジェノバ出身の版画家・画家である。

1875年(明治8年)に日本へ招聘され、大蔵省紙幣局で働いたお雇い外国人の一人だった。約16年間にわたり同局に奉職し、銀行券や印紙のデザイン、銅版技術の指導などを担当した。

精密な描写と高度な版画技術を持っていたキヨッソーネに、西郷隆盛の肖像画制作を依頼したのが、大蔵省初代印刷局長の得能良介だった。

制作を依頼した得能良介と西郷家の関係

得能良介は西郷隆盛と明治維新以前から親交があり、娘の清子が西郷従道に嫁いでいたことから、西郷家とも深い関係を持っていた。

得能は、西郷隆盛の肖像が後世に伝わっていないことを残念に思い、キヨッソーネに制作を依頼したとされる。

しかし、キヨッソーネは西郷が1877年に亡くなった後の1875年に来日した人物である。本人と直接会ったことがなく、写真も存在しなかったため、実際の顔を目の前にして描くことはできなかった。

西郷従道と大山巌がモデルになった理由

そこで参考にされたのが、西郷の弟・西郷従道と、従弟にあたる大山巌だった。

鹿児島県立図書館の資料によると、キヨッソーネは従道の顔の上半分と、大山巌の顔の下半分を参考にして、西郷隆盛のイメージを構成した。

ただし、単純に二人の顔を合成しただけではない。西郷の親族や旧知の人物から助言を受け、実際に西郷を知っていた人々の記憶も取り入れて制作されたという。

完成した肖像画を見た親族からも高い評価を受けたと、鹿児島県教育委員会の解説資料は伝えている。

つまり、この作品は西郷本人の写真を忠実に模写したものではないが、血縁者の容貌と、本人を知る人々の記憶を組み合わせて再構成された肖像画だった。

実物の肖像画は現在も残っているのか

意外に知られていないのが、キヨッソーネが制作したオリジナル作品そのものは現存していないという事実だ。

鹿児島県教育委員会の解説によると、完成した作品は西郷家に贈られたものの、太平洋戦争中の東京空襲で焼失した。

現在、一般に目にするキヨッソーネの肖像画は、戦前に撮影されていた作品写真をもとに複製されたものだ。

そのため、現在の画像が写真のように見えるのは、もともとの絵が非常に精密だったことに加え、写真による複製が繰り返されてきたことも関係している。

【人物関係・年表】西郷隆盛の写真と肖像画をめぐる関係者一覧

西郷隆盛の写真問題を理解するには、肖像画の制作に関わった人物と、後世に西郷の姿を伝えた人物を整理すると分かりやすい。

特に重要なのは、キヨッソーネがモデルにした二人と、制作を依頼した得能良介の関係だ。

人物・資料 年代・関係 写真・肖像画における役割
西郷隆盛 1827~1877年 肖像画の中心人物。真正な本人写真は確認されていない。
西郷従道 西郷隆盛の実弟 キヨッソーネ肖像画の顔の上半分の参考モデル。
大山巌 西郷隆盛の従弟 キヨッソーネ肖像画の顔の下半分の参考モデル。
得能良介 明治期の印刷局長 西郷隆盛の肖像画制作をキヨッソーネに依頼。
エドアルド・キヨッソーネ 1883年に肖像画制作 西郷の容貌を親族の顔や関係者の記憶から再構成。
床次正精 1887年頃の作品 西郷と面識のあった画家。記憶をもとに肖像画を制作。
フルベッキ写真 明治初期の集合写真 西郷隆盛が写っているという説があるが、研究では否定的な結果。
高村光雲 1898年 上野公園に建立された西郷隆盛銅像の彫刻家。
キヨッソーネ以外にも西郷を描いた画家がいた

西郷隆盛の肖像画は、キヨッソーネの作品だけではない。

鹿児島県教育委員会の解説資料では、実際に西郷と面識があった画家による作品も紹介されている。

代表例が床次正精(とこなみ・まさよし)だ。床次は西郷と会った記憶を頼りに多数の下絵を制作し、西郷従道や黒田清隆、三島通庸らに意見を求めながら修正を重ねたとされる。作品は明治20年頃の制作とされ、実際に本人を知る画家が描いた点で重要な資料になっている。

また、服部英龍による肖像画も伝わっている。鹿児島県の資料では、猟犬を連れた狩姿や正装した軍服姿などの作品が紹介されている。

このほか、旧庄内藩士の石川静正は、鹿児島で西郷と面会した際の印象をもとに肖像画を描いたとされる。加えて、西郷の隣家で育ち、本人にかわいがられた肥後直熊も、記憶をもとに肖像画を制作している。

こうした作品を比較すると、キヨッソーネの肖像画が後世の西郷像の基準になった一方、本人を知る人々の記憶から描かれた別の表現も残されていることが分かる。

【画像検証】西郷隆盛の写真の見分け方と偽物とされる画像の真相

インターネットで「西郷隆盛の写真」と検索すると、複数の男性の白黒写真や、集合写真の一部を切り取った画像が見つかる。

しかし、画像が古く見えることや、風貌がキヨッソーネの肖像画に似ていることだけでは、西郷本人の写真とは判断できない。

西郷隆盛の写真と肖像画を見分ける4つのポイント

1.キヨッソーネの署名を確認する

有名な西郷像の下部に「E.Chiossone, Tokio 1883」と記されていれば、1883年に制作された肖像画である。写真のような質感があっても、本人を撮影した写真ではない。

2.画像の原資料と所蔵情報を調べる

本物の古写真を検証する場合、撮影者、撮影時期、原板やプリントの所蔵先、過去の目録などが重要になる。出所が不明な画像や、後年の転載だけで構成された説明には注意したい。

3.写真と肖像画の複製を区別する

古い印刷物や書籍に掲載された西郷像は、肖像画を写真撮影したものや、石版印刷によって複製されたものの場合がある。写真という媒体で保存されていることと、写真の中に本人が実際に写っていることは別問題だ。

4.歴史的な年代と人物の経歴を照合する

撮影されたとされる年代に本人がその場所にいたのか、同時代の記録と整合するのかを確認する。人物の顔だけを見て判断する方法には限界がある。

フルベッキ写真に西郷隆盛が写っているという説

西郷隆盛の写真をめぐる議論で、特に有名なのがフルベッキ写真だ。

フルベッキ写真とは、明治初期に撮影された大人数の集合写真である。外国人宣教師グイド・フルベッキや、佐賀藩関係者、教育機関の関係者などが写っているとされる。

ところが、後世になって写真に写る人物を幕末の志士や明治維新の有名人物に当てはめる説が広まった。西郷隆盛、坂本龍馬、大久保利通などの名前が挙げられたこともある。

この写真が注目を集めた背景には、人物の多さと、写っている人々の身元をめぐる長年の議論がある。

2024年の日本写真学会論文が示した検証結果

この問題について注目したいのが、2024年に日本写真学会誌で発表された伊藤泰雄氏の研究「顔認証技術を用いた古写真の人物特定~『フルベッキ写真』への応用~」だ。

同研究では、Amazon Rekognitionを使用した顔認証技術によって、フルベッキ写真に写る人物の特定を試みている。

その結果、岩倉具定・具経兄弟や佐賀藩関係者などの人物を特定する一方、西郷隆盛や坂本龍馬など、俗説で名前が挙げられていた幕末の志士については、同一人物ではないという判定が示された。

特に西郷隆盛については、キヨッソーネの肖像画と写真中の人物を比較した際の類似度が9.3%と低く、西郷本人が写っている可能性は低いと結論づけられている。

また、同論文は撮影時期についても重要な検討を行っている。岩倉兄弟の写真との照合などから、撮影時期を1868年12月から1869年3月までの期間に絞り込んでいる。

ただし、顔認証の類似度は本人である確率をそのまま示す数字ではない。比較対象となる肖像画の性質や、古写真の画質などにも左右されるため、研究結果は人物特定の重要な材料として理解するのが適切だ。

それでも、フルベッキ写真に西郷隆盛が写っているとする説については、現段階で積極的に支持できる根拠が乏しい。

【現在の西郷隆盛像】上野公園の銅像と肖像画は何が違う?

現在、西郷隆盛の姿を象徴する存在として広く知られているのが、東京・上野公園にある西郷隆盛銅像だ。

この銅像は1898年(明治31年)に建立された。台東区の公式観光情報によると、明治維新の功績を称え、西郷の旧友らによって建てられたもので、彫刻家の高村光雲が制作を担当した。

高さは約3.7メートル、胸囲は約2.6メートル。愛犬ツンを連れ、うさぎ狩りに出かける姿を表現している。

肖像画と銅像には、次のような違いがある。

キヨッソーネ肖像画は顔の再構成、上野の銅像は人物像の表現

キヨッソーネの肖像画は、西郷従道と大山巌の容貌を参考に、関係者の記憶を取り入れて顔を再構成した作品だ。

一方、上野公園の銅像は、西郷の功績や人柄を後世に伝える記念彫刻である。写真のように本人の顔を直接記録したものではなく、人物の象徴的な姿を表現している。

この違いを理解すると、銅像の顔が本当に西郷と同じだったのかという疑問にも、別の角度から向き合える。

西郷の妻が銅像を見て本人の姿とは違うという趣旨の感想を述べた逸話も伝わっている。実際に本人を知る家族の記憶と、後世に制作された彫刻との間に差があったことを象徴するエピソードだ。

つまり、現在の西郷隆盛像は、一枚の写真から正確に再現されたものではない。複数の肖像画、親族の記憶、旧知の人物の証言、そして後世の芸術表現が重なり合って形成されてきたものなのである。

【プロの結論】西郷隆盛の本当の顔を知るために重要な判断基準

西郷隆盛の写真問題から見えてくるのは、歴史上の人物の容貌が、必ずしも一枚の写真によって固定されるわけではないということだ。

本人の写真が残っていない西郷の場合、キヨッソーネの肖像画が事実上の標準的な顔として広まった。しかし、その作品は本人の直接的な写生ではなく、血縁者の容貌と周囲の人々の記憶を組み合わせた再構成だった。

加えて、床次正精や服部英龍、石川静正、肥後直熊らが残した肖像画には、それぞれ異なる視点や記憶が反映されている。

ここから導き出せる重要な判断基準は、次の3点だ。

  • 写真と絵画を混同しない:写真のように見える画像でも、制作技法と原資料を確認する。
  • モデルと制作経緯を確認する:誰が描き、どのような証言や資料を参考にしたのかを調べる。
  • 一つの肖像だけを絶対視しない:複数の作品を比較し、実際に本人を知る人々の記憶にも目を向ける。

特に重要なのは、キヨッソーネの肖像画が有名だからといって、それが西郷隆盛の顔を完全に再現していると考えないことだ。

一方で、親族や旧知の人物の助言を受けて制作されたことを考えれば、単なる想像画として片付けることもできない。写真が残らなかった西郷の容貌を考えるうえで、非常に価値のある歴史資料なのである。

西郷隆盛の写真に関するよくある質問(FAQ)

Q1:西郷隆盛の本物の写真は一枚も存在しないのですか?

A1:2026年11月現在、本人を撮影した真正な写真は確認されていない。鹿児島県立図書館なども写真は存在していないと説明しており、現在広く知られている画像の中心は肖像画の複製である。

Q2:西郷隆盛の有名な肖像画は誰が描いたのですか?

A2:イタリア人画家エドアルド・キヨッソーネが1883年に制作した。弟の西郷従道の顔の上半分と、従弟の大山巌の顔の下半分を参考にし、親族や旧知の人物の助言を取り入れて完成させた。

Q3:西郷隆盛の写真がない理由は写真嫌いだったからですか?

A3:写真嫌いだったという説明が広く伝わっている。実子の西郷菊次郎が、父は生前一度も写真を撮らなかったと証言したことも紹介されている。ただし、写真撮影を避けた具体的な理由までは明らかになっていない。

Q4:フルベッキ写真に西郷隆盛が写っている可能性はありますか?

A4:西郷隆盛が写っているという説はあるが、2024年の日本写真学会誌掲載論文では、顔認証による類似度が9.3%と低く、本人である可能性は低いと判断されている。

Q5:現在見られるキヨッソーネの肖像画はオリジナルですか?

A5:オリジナル作品は太平洋戦争中の東京空襲で焼失したとされる。現在見られる画像は、戦前に撮影された作品写真をもとに複製されたものだ。

Q6:上野公園の西郷隆盛銅像は本人の写真を参考にしたのですか?

A6:本人の写真を参考にしたものではない。1898年に高村光雲が制作した銅像で、愛犬ツンとともにうさぎ狩りに出かける姿を表現している。

西郷隆盛の本物の写真は、2026年11月現在も確認されていない。広く流通する有名な白黒画像の正体は、1883年にエドアルド・キヨッソーネが制作した肖像画の写真複製である。

その制作には、西郷従道と大山巌という二人の血縁者がモデルとして関わり、得能良介の依頼や西郷を知る人々の助言が大きな役割を果たした。

また、フルベッキ写真に西郷が写っているという説についても、2024年の写真研究では否定的な検証結果が示されている。

西郷隆盛の顔を知るためには、有名な肖像画だけを見るのではなく、制作年代、モデル、画家の記憶、親族の証言などを総合的に考えることが大切だ。

写真という決定的な記録が残されていないからこそ、複数の肖像画や歴史資料を比較する意味がある。キヨッソーネの肖像画は、西郷本人の写真ではない。しかし、明治維新を生きた人々が記憶していた西郷隆盛の姿を、後世に伝える重要な文化的遺産なのである。

主な参照資料

- 鹿児島県立図書館「これまでの貴重資料展」:キヨッソーネ肖像画の制作年、モデル、署名。
- 鹿児島県教育委員会「西郷隆盛の肖像画と込められた想い」:得能良介の依頼、肖像画の制作経緯、原画の焼失、ほかの画家による肖像画。
- 日本写真学会誌(2024年)伊藤泰雄「顔認証技術を用いた古写真の人物特定」:フルベッキ写真の人物検証。
- 台東区公式観光情報「西郷隆盛銅像」:上野公園の銅像の建立年、作者、造形。
- 小学館「サライ.jp」:西郷菊次郎の証言に関する紹介。

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水沢 陽菜

美容・健康カテゴリを担当。引用元の研究・公的機関の資料を確認したうえで、誰にでも読める形に整えます。

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