ホーム 芸能ニュース・ゴシップ 田中樹の幼少期を徹底解剖!千葉県で育った少年時代と母親・入所秘話の全貌

田中樹の幼少期を徹底解剖!千葉県で育った少年時代と母親・入所秘話の全貌

伊部 拓海 伊部 拓海 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

SixTONESの田中樹(たなか・じゅり)は、どのような子ども時代を過ごしてきたのでしょうか。クールなラップや巧みなトーク、ステージで見せる存在感からは想像しにくいものの、幼少期はスポーツに熱中し、5人兄弟の四男としてにぎやかな家庭で育ちました。

注目したいのは、芸能界入りのきっかけです。本人が2026年3月のTOKYO FM「川島明 そもそもの話」で振り返ったところによると、ジャニーズ事務所への応募をきっかけにしたのは母親でした。中学入学直後のオーディション、Hey! Say! JUMPのコンサートリハーサル、そしてジャニーズJr.としての活動開始。現在の田中樹につながる意外な少年時代が見えてきます。

【公式プロフィール】田中樹は千葉県出身!幼少期の基本情報と写真の真相

田中樹幼少期
1995年生まれ、千葉県で育ったSixTONESのメンバー

田中樹は1995年6月15日生まれ。SixTONESの公式プロフィールでは、出身地は千葉県、血液型はB型と公表されています。

2026年11月現在は31歳。SixTONESのメンバーとして活動し、グループではラップやMCを担当するなど、音楽面とトーク面の双方で存在感を発揮しています。

ここで押さえておきたいのは、公式プロフィールに記載されている出身地が「千葉県」であることです。インターネット上では柏市出身という情報も広く紹介されていますが、公式プロフィールが明示しているのは県名までです。

千葉県で過ごした少年時代については、本人がラジオやテレビで語ったスポーツ経験や家族とのエピソードから、その生活の一端を知ることができます。

(出典:SixTONES公式サイト・メンバープロフィール)

田中樹の幼少期写真は公開されている?

田中樹の幼少期写真を探しているファンにとって、注目したいのが2007年のTBSドラマ『特急田中3号』です。

同作は兄の田中聖が主演した作品で、週刊女性PRIMEなどの報道では、田中樹が兄の演じた主人公の幼少期を演じたことが紹介されています。当時はまだジャニーズ事務所に入所する前であり、現在のアイドルとしての姿とは違う、子ども時代の出演記録として興味深いものです。

また、ドラマの映像や番組関連写真は、現在の田中樹を知るファンにとっても貴重な資料になります。ただし、SNSや個人ブログに掲載されている画像は、撮影時期や本人であることを確認できる公式資料と区別して見る必要があります。

SixTONES公式プロフィールには現在のアーティスト写真が掲載されていますが、幼少期の写真をまとめた公式フォトギャラリーが公開されているわけではありません。

【家族構成】田中樹は5人兄弟の四男!母親との仲良しエピソード

男5人兄弟というにぎやかな家庭環境

田中樹は、男5人兄弟の四男として育ちました。兄弟が多い家庭で、年上の兄たちと年下の弟に囲まれた環境です。

兄弟の中でも広く知られているのが、元KAT-TUNの田中聖です。田中樹にとっては10歳年上の兄であり、芸能活動を始める前から芸能界との接点を持つきっかけにもなりました。

兄弟が多い家庭については、田中樹自身がテレビ番組で話題にしたこともあります。2023年4月放送のフジテレビ系『人志松本の酒のツマミになる話』では、家族との距離感について驚きのエピソードを披露しました。

母親との入浴エピソードが話題に

特に反響を呼んだのが、当時27歳だった田中樹が、実家に帰った際には母親と一緒にお風呂に入ることがあると明かしたことです。

番組では、男5人兄弟で母親だけが女性という家庭環境も理由として説明。田中樹は、家族の中では特別なことではないという趣旨の話をしていました。

さらに2023年8月放送の日本テレビ系『ぐるぐるナインティナイン』でも、実家では兄や弟も母親と一緒に入ることがあると説明しています。

このエピソードから伝わるのは、田中家では家族間の距離が比較的近かったということです。幼少期の具体的な家庭内の出来事すべてが公開されているわけではありませんが、成人後も本人が自然に語れるほど、家族との関係を身近に感じていることがうかがえます。

なお、母親の氏名や職業など、一般に公表されていない詳細な個人情報は明らかになっていません。

【子供時代・中学時代】田中樹はスポーツ万能だった?幼少期の性格を検証

野球・サッカー・バスケットボールなど多彩なスポーツ経験

田中樹の子ども時代を語るうえで欠かせないのが、スポーツへの熱中です。

2021年7月4日放送のTOKYO FM『木村拓哉 Flow』にジェシーとともに出演した際、田中樹は学生時代に経験したスポーツについて具体的に説明しました。

本人が挙げたのは、野球、サッカー、バスケットボール、水泳、陸上です。曜日ごとに習い事や部活動が入っており、スポーツ中心の生活を送っていたと振り返っています。

特に興味深いのが、バスケットボール部と陸上競技の関係です。本人によると、バスケットボール部に所属しながら、足の速さを買われて陸上大会の時期には陸上部の活動にも参加。冬には駅伝にも出場していたそうです。

木村拓哉から「完全にヒーローじゃん!」と声をかけられると、田中樹も体育祭では目立つ存在だったことを明かしました。

「体育祭とかめっちゃヒーローでしたね」

(TOKYO FM『木村拓哉 Flow』2021年7月4日放送より)

この発言からは、運動能力だけでなく、人前で活躍することを楽しめる性格だったことも伝わってきます。

中学時代は野球部にも所属していた

中学入学後の部活動については、2026年3月14日放送の『川島明 そもそもの話』でも本人が振り返っています。

スポニチの放送内容報道によると、田中樹は中学校に入った直後に野球部へ入部したものの、4月20日にオーディションを受けることになり、芸能活動が始まったことで野球部には2回しか参加できなかったと話しています。

一方、2021年の『木村拓哉 Flow』ではバスケットボール部への所属や陸上大会への参加を語っています。複数のスポーツに取り組んでいたことは本人の話から確認できますが、部活動の時期や所属の変化については、それぞれの発言を分けて理解する必要があります。

田中樹の幼少期の性格は目立ちたがり屋?

田中樹の性格を理解するうえで重要なのは、本人が自分自身について「目立つのも嫌いじゃなかった」と語っている点です。

スポーツ大会や体育祭で活躍することを楽しみ、友人の前で自分の将来について話すことにも抵抗がなかったようです。

ただし、目立ちたがり屋だったことと、幼い頃から芸能界を強く志望していたことは同じではありません。

本人の振り返りによれば、当時はスポーツに力を入れており、芸能活動は自分から積極的に目指していた進路ではありませんでした。現在の表現力やトーク力につながる積極性は感じられるものの、子どもの頃からアイドルになることだけを夢見ていたわけではなかったのです。

【ジャニーズ入所理由】母親が履歴書を送付!2008年のオーディション秘話

芸能界入りのきっかけは母親からの一言

田中樹が芸能界に入るきっかけとなったのは、母親がジャニーズ事務所に履歴書を送っていたことでした。

2026年3月14日放送のTOKYO FM『川島明 そもそもの話』で、田中樹本人が当時の経緯を説明しています。

中学校に入学したばかりの頃、本人は芸能活動に強い関心を持っていたわけではありませんでした。ところが、母親からオーディションに応募したことを知らされ、参加することになったのです。

2021年の『木村拓哉 Flow』でも、母親が応募したことを認めたうえで、当時はさまざまなスポーツに取り組んでいたと話しています。

つまり、田中樹の芸能活動は、本人が最初から明確なアイドル志望だったから始まったのではなく、家族の働きかけによって新しい可能性が開かれたことが出発点でした。

2008年4月20日のオーディションに参加

オーディションの日として本人が挙げているのは、2008年4月20日です。

当時は中学1年生。公式プロフィールの生年月日である1995年6月15日と照らし合わせると、オーディション時点では満12歳でした。

本人は当時の心境について、芸能界に興味がなかった一方、目立つこと自体は嫌いではなかったと説明しています。友人たちには、アイドルになるかもしれないと話していたそうです。

このエピソードは、田中樹らしい率直さが感じられる部分です。将来を大きく変える出来事でありながら、当初は習い事の延長のような感覚でオーディションに向かっていました。

Hey! Say! JUMPのリハーサルで実践的に学ぶ

オーディション後、田中樹はHey! Say! JUMPのコンサートリハーサルに呼ばれることになります。

2026年のTOKYO FMでの本人の説明によると、最初から長期間のレッスンを積み重ねてからステージに立つというより、実際の現場に呼ばれ、そこで振り付けを覚えながら経験を積む形だったそうです。

本人は当時の状況を「現場たたき上げ」と表現しています。

怒られないように振り付けを覚え、必死に取り組み、褒められればうれしくなる。その繰り返しの中で、少しずつ芸能活動に慣れていきました。

また、2026年3月のスポニチ報道では、オーディション後も正式な合格通知を受け取ったという認識がなく、次のリハーサルに呼ばれる形で活動が進んでいったと説明しています。

田中樹は、この独特なスタートについて、長い年月が経った現在も正式な合格を告げられていないという趣旨の冗談を交えて語りました。

この経験は、田中樹の芸能活動が単なる家族の後押しだけで成立したものではないことも示しています。現場で求められることを理解し、自分の力で対応していく姿勢が、その後のキャリアにつながっていきました。

【田中聖・上田竜也との関係】幼少期からKAT-TUNに親しんでいた理由

兄・田中聖を通じてKAT-TUNのメンバーと交流

田中樹の幼少期を語る際、兄の田中聖とKAT-TUNの存在は外せません。

兄の田中聖は、かつてKAT-TUNのメンバーとして活動していました。そのため、田中樹は事務所に入所する前から、KAT-TUNのメンバーと接する機会があったとされています。

2024年8月に公開されたReal Soundの記事では、日本テレビ系『あべこべ男子の待つ部屋で』にKAT-TUNの上田竜也が出演した際のやり取りが紹介されています。

上田竜也は、幼少期の田中樹が自宅に遊びに来たことを振り返り、当時の印象を「赤子がいるな」と表現しました。

田中樹も、幼い頃は上下関係をあまり意識せず、上田にフランクに話しかけていたと振り返っています。ところが、自身が事務所に入り、大人になってからは、先輩としてどのように接すればよいか考えるようになったそうです。

KAT-TUNは田中樹にとって憧れの存在だった

田中樹とKAT-TUNの関係は、兄の同僚と弟というだけではありません。

Real Soundの記事では、田中樹が亀梨和也との交流の中で「僕たちはKAT-TUN兄さんで育ってるので」と語ったことも紹介されています。

また、KAT-TUNの楽曲はSixTONESのジュニア時代のパフォーマンスにも影響を与えました。先輩グループの楽曲を披露したり、グループの表現を参考にしたりする中で、田中樹にとってKAT-TUNは音楽的な目標の一つになっていきました。

兄を通じて幼い頃から知っていた先輩たちが、芸能界に入ってからも見守ってくれる存在だったことは、田中樹のキャリアを理解するうえで特徴的な背景です。

ただし、兄の知名度だけで現在の田中樹の立場が築かれたわけではありません。上田竜也も、田中樹自身がパフォーマンスや才能によってデビューを勝ち取ったことを評価していました。

【年代別年表】田中樹の幼少期からSixTONESデビュー、2026年まで

ここまでの情報を整理すると、田中樹の人生には、スポーツ中心の少年時代から芸能界への転身、そしてSixTONES結成まで、いくつかの大きな節目があります。

時期 出来事 確認できるポイント
1995年6月15日 田中樹誕生 千葉県出身。SixTONES公式プロフィールに記載。
幼少期 5人兄弟の四男として成長 スポーツを中心とした活発な少年時代。
2007年 ドラマ『特急田中3号』 兄・田中聖の幼少期役として出演したと報道。
2008年4月 ジャニーズ事務所のオーディション 母親が履歴書を送り、4月20日のオーディションに参加。
2008年春 Hey! Say! JUMPのライブリハーサル 実際の現場で振り付けを覚え、活動経験を積む。
2012年 ドラマ『私立バカレア高校』 後のSixTONESメンバー6人が共演。
2015年 SixTONES結成 6人でグループとして活動を開始。
2020年1月22日 SixTONES CDデビュー デビュー曲『Imitation Rain』をリリース。
2026年3月 ラジオで入所当時を回顧 母親の応募やオーディション、リハーサルの経緯を語る。
2026年11月 現在の田中樹 31歳。SixTONESのメンバーとして活動。

この年表から分かるのは、田中樹が芸能活動を始めてからCDデビューまで、約12年の時間を積み重ねてきたことです。

特に2012年の『私立バカレア高校』は重要な転換点でした。2026年3月のTOKYO FM『川島明 そもそもの話』では、当時の共演をきっかけに現在のSixTONESメンバー6人の関係が形成されていった経緯も語られています。

2015年のグループ結成から2020年のCDデビューまでも5年間。田中樹の現在のMC力や表現力は、こうした長いジュニア時代の経験と無関係ではありません。

【プロの結論】田中樹の幼少期から見える3つの真実とネットの誤解

真実1:幼い頃からアイドルを目指していたわけではない

田中樹の芸能活動の始まりについて、誤解されやすいのが「幼少期からアイドルを目指していた」というイメージです。

実際には、本人が2026年のラジオで語ったように、母親が履歴書を送り、本人はオーディションに参加することになりました。当時はスポーツに熱中しており、芸能活動に対する強い志望があったわけではありません。

一方で、目立つことが嫌いではなく、友人にアイドルになるかもしれないと話していたという一面もあります。完全に消極的だったというより、新しい挑戦に対する抵抗が少なかったと見るのが自然です。

真実2:兄の存在はきっかけの一つでも、現在の実力とは別

田中聖がKAT-TUNで活動していたことは、田中樹が幼い頃から芸能界に触れる機会を持った背景として重要です。

しかし、兄が有名だったからSixTONESのメンバーになれた、と単純に説明することはできません。

ジュニア時代には現場で経験を積み、2012年の『私立バカレア高校』で仲間との関係を深め、2015年にSixTONESを結成。さらにデビューまでの5年間も活動を続けてきました。

兄とのつながりは幼少期の背景であり、現在の田中樹のキャリアは本人自身の努力と経験によって形作られたものです。

真実3:幼少期の写真より本人の発言が重要な手掛かり

幼少期写真は、人物の子ども時代を知るうえで魅力的な資料です。しかし、写真だけでは性格や家庭環境、芸能界入りの動機までは分かりません。

田中樹の場合、2021年の木村拓哉との対談や2026年の川島明との対談には、本人が当時の生活や気持ちを具体的に説明した記録があります。

スポーツに打ち込んでいたこと、母親が応募したこと、オーディション後にリハーサルへ呼ばれたことなど、こうした本人の発言を組み合わせることで、写真だけでは分からない子ども時代の姿が見えてきます。

田中樹の幼少期を調べる際は、写真の出所だけでなく、本人がいつ、どの番組で何を話したのかも確認すると、より正確な人物像をつかめます。

田中樹の幼少期に関するよくある質問(FAQ)

Q1:田中樹の出身地はどこですか?
A1:SixTONES公式プロフィールによると千葉県です。1995年6月15日生まれで、2026年11月現在31歳です。

Q2:田中樹は何人兄弟ですか?
A2:男5人兄弟の四男です。兄には元KAT-TUNの田中聖がいます。

Q3:田中樹がジャニーズ事務所に入った理由は何ですか?
A3:母親が履歴書を送ったことがきっかけです。2008年4月20日のオーディションに参加し、その後Hey! Say! JUMPのコンサートリハーサルに呼ばれました。

Q4:田中樹は幼少期から芸能界を目指していましたか?
A4:本人の説明では、当時は芸能活動に強い興味があったわけではありません。野球やサッカー、バスケットボールなどのスポーツに熱中していました。

Q5:田中樹は子どもの頃、どんな性格でしたか?
A5:本人は目立つことが嫌いではなかったと語っています。体育祭で活躍するなど、スポーツが得意で積極的な一面がありました。

Q6:田中樹とKAT-TUNの上田竜也には幼少期から交流があったのですか?
A6:ありました。兄の田中聖がKAT-TUNのメンバーだったことから、入所前から上田竜也らと接する機会がありました。上田は幼少期の田中樹との思い出をテレビ番組でも語っています。

Q7:田中樹の幼少期の写真は見られますか?
A7:2007年のドラマ『特急田中3号』で兄・田中聖の幼少期役を演じたと報道されています。ドラマ映像や公式番組写真などが、当時の姿を知る手掛かりになります。

田中樹の幼少期を振り返ると、そこには現在の華やかなアイドル像とは異なる、スポーツに熱中する活発な少年の姿がありました。

千葉県出身で、男5人兄弟の四男。母親との距離も近く、兄の田中聖を通じてKAT-TUNのメンバーとも幼い頃から交流していました。

そして、芸能界入りのきっかけは母親が送った履歴書でした。本人にとっては当初、スポーツとは別の新しい経験にすぎなかったオーディションが、Hey! Say! JUMPのリハーサル、ジャニーズJr.としての活動、そしてSixTONES結成へとつながっていきます。

2026年のラジオ出演で明かされた入所当時の話は、長年活動してきた田中樹だからこそ語れる貴重な振り返りです。

幼少期から芸能界を目指していたわけではない。それでも、新しい環境に飛び込み、現場で経験を積み、自分の居場所を築いてきた。その歩みこそが、現在の田中樹の魅力を理解する大きな手掛かりになります。

2026年もSixTONESの一員として活動を続ける田中樹。これからの活躍を追う際にも、スポーツ少年だった頃から続く挑戦心と、長いジュニア時代に培った経験に注目したいところです。

同じカテゴリの記事

伊部 拓海
コンテンツディレクター 伊部 拓海
プロフィールを見る →

映画・ドラマ担当。公開資料と一次報道を照合し、ネタバレの扱いには線引きルールを設けています。

おすすめの関連記事