元中日ドラゴンズのレジェンド投手・山本昌氏といえば、50歳まで現役を続けたプロ野球選手として知られています。しかし、野球ファンの間では、もう一つの顔として「ラジコン愛好家」という一面も有名です。1995年に始めたラジコンは単なる暇つぶしではなく、2002年には全日本選手権で4位に入賞するほどの腕前に成長。加えて、2026年3月28日放送のフジテレビ系「ジャンクSPORTS」では、約30年間でラジコンに使った金額が累計約3000万円に達すると明かし、大きな話題になりました。
なぜ山本昌氏はラジコンにそこまで夢中になったのでしょうか。始めたきっかけとなった左膝の手術、現役時代に趣味を封印した理由、山﨑武司氏と開催した伝説の「山山杯」、引退後の再開、そして2026年最新の費用事情まで、本人の寄稿やインタビュー、報道、競技団体の記録をもとに整理します。
【山本昌がラジコンを始めたきっかけは1995年の左膝の手術】

山本昌氏が本格的にラジコンを始めたのは1995年です。当時の山本氏は中日ドラゴンズの主力左腕として活躍していましたが、1993年と1994年に2年連続で最多勝を獲得した後、1995年は左膝の故障に苦しみました。
この負傷によって通常どおりの練習が難しくなり、二軍でリハビリに取り組む日々が続きます。午前中に練習が終わってしまうこともあり、野球以外に使える時間が増えていました。
リハビリ中に立ち寄ったサーキットが運命の出会い山本氏が2018年に小学館の「サライ」で執筆したコラムによると、当時、時間を持て余して近所のラジコンサーキットに立ち寄ったことが、本格的に熱中するきっかけでした。
もともと子どもの頃からラジコンに興味があり、お年玉を貯めて購入した経験もあった山本氏。しかし、1995年の出会いを境に、単に車を走らせる楽しみから、競技としてのラジコンへと関心が深まっていきます。
特に興味を引かれたのは、サーキットに集まる上級者たちの取り組み方でした。彼らはラジコンを走らせるだけでなく、走行するたびにマシンの設定を変え、タイムを縮めるための工夫を重ねていたのです。
山本氏は、こうした細かな調整を繰り返す姿勢に強い刺激を受けました。野球とは異なる世界でありながら、技術を磨き、結果を改善していく過程には共通点があったからです。
ラジコンのセッティングが野球への意識も変えた山本氏が特に注目したのは、上級者がマシンの設定を大胆に変更していたことです。良い結果が出ている状態でも、さらに速く走らせるために調整を続ける姿勢を目の当たりにしました。
この経験は、後の投球フォームの改良にも影響を与えます。1995年以降、山本氏は投球フォームについても毎年課題を見つけ、足の上げ方や歩幅などを見直すようになりました。
2016年に出演した日本テレビ系「ナカイの窓」でも、ラジコンのセッティングから野球のフォーム改良を学んだと説明しています。
つまり、ラジコンは故障中の気晴らしで終わりませんでした。結果を分析し、少しずつ改善するという考え方を身につける機会になったのです。
【全日本選手権4位!山本昌のラジコンは趣味の域を超えていた】
山本昌氏のラジコンが注目される最大の理由は、競技実績にあります。芸能人や元プロ野球選手が趣味として楽しんでいるというレベルではなく、国内の競技大会で上位に入る実力を持っていました。
2002年に全日本選手権で4位を獲得山本氏が大きな実績を残したのは2002年です。出場したのは、1/10電動ツーリングカーのスポーツクラスにあたるカテゴリーで、全日本選手権において4位入賞を果たしました。
この実績は2016年の「ナカイの窓」でも紹介され、本人も中京地区代表として全日本4位になったことを振り返っています。
1/10電動ツーリングカーは、実車のツーリングカーを模したラジコンカーを使用する競技です。車体を走らせるだけではなく、路面状況やタイヤ、サスペンション、車体のバランスなど、複数の要素を考慮する必要があります。
特に競技レースでは、操縦技術だけでなく、走行環境に合わせてマシンを調整する知識も求められます。山本氏が上級者のセッティングに関心を持ったのも、こうした競技の奥深さがあったからでしょう。
2023年にも全日本選手権へ出場山本氏の競技活動は2002年の4位入賞で終わったわけではありません。
日本モデルラジオコントロールカー協会(JMRCA)が公開している2023年度の電動レーシングカー全日本選手権の公式記録には、スポーツクラスのAメイン10位として「山本昌広」の名前が掲載されています。
2002年の4位と2023年の10位は、異なる大会年度・競技カテゴリーの記録です。単純に順位だけを比較することはできませんが、少なくとも引退後も全国規模の競技会に参加するほど、ラジコンへの情熱が続いていたことが分かります。
ラジコン界でも知られる存在になった理由山本氏の知名度は野球界だけにとどまりません。ラジコン関連のテレビ番組や専門媒体でも取り上げられ、競技者としての経験を生かした解説を行っています。
2021年にはBS日テレの「バカリズムの大人のたしなみズム」でラジコンカーの魅力を紹介。ツーリングカーだけでなく、ドリフトカーやバギーカーにも触れながら、初心者に向けて楽しみ方を伝えました。
また、ラジコンへの関心が高じて、メーカーのミワホビーと関連するシャーシモデル「YM34」が知られるようになるなど、単なる購入者にとどまらない関わり方もしてきました。
【山本昌と山﨑武司の関係とは?山山杯の歴史を年表で整理】
山本昌氏のラジコン人生を語るうえで欠かせない人物が、元中日ドラゴンズの山﨑武司氏です。二人は現役時代から親交が深く、共通の趣味であるラジコンを通じて大会まで主催していました。
その大会の名前が「山山杯(やまやまはい)」です。1996年に始まり、約10年間続いたこの大会は、国内外の実力者が集まる大規模なイベントへと成長しました。
山本昌・山﨑武司・山山杯の関係一覧| 時期 | 人物・出来事 | 内容・実績 |
|---|---|---|
| 1995年 | 山本昌 | 左膝の手術後、リハビリ中にラジコンへ本格的に熱中。 |
| 1996年 | 山本昌・山﨑武司 | 二人でラジコン大会「山山杯」を開催。 |
| 2002年 | 山本昌 | 全日本選手権の1/10電動ツーリングカー・スポーツクラスで4位入賞。 |
| 2000年代後半 | 山本昌 | 野球への集中を優先し、ラジコンを一時的に封印。 |
| 2006年 | 山山杯 | 約10年間の開催に一区切りをつける。 |
| 2015年 | 山本昌 | 50歳で現役引退。ラジコン再開への環境が整う。 |
| 2018年1月 | 山本昌・山﨑武司 | 12年ぶりに山山杯が復活。100人を超える参加者が集まる。 |
| 2023年 | 山本昌 | JMRCAの電動レーシングカー全日本選手権スポーツクラスでAメイン10位。 |
| 2026年3月 | 山本昌 | 「ジャンクSPORTS」で約30年間の累計ラジコン費用が約3000万円と告白。 |
山本氏が2018年に「サライ」で公開した本人執筆のコラムによると、山山杯は1996年から10年間開催されました。
当初は二人の趣味を生かした大会でしたが、年を追うごとに規模が拡大。最後の数年間には海外からも参加者が集まり、世界大会級と呼べるほどのイベントに成長していたといいます。
2017年のCYCLEのインタビューでは、山本氏が山山杯について、約10年間開催したことや、ラジコン大会として初めて賞金が出る大会だったことを振り返っています。
大会は2006年に一区切りを迎えましたが、2018年1月にラジコン天国名古屋店で復活しました。山本氏自身によれば、12年ぶりの開催となったこの大会には100人を超える参加者が集まりました。
山﨑武司とはラジコンへのこだわりも違った二人のラジコンに対するスタイルには、それぞれの個性が表れていました。
2017年のインタビューで山本氏は、山﨑氏について高級志向・本物志向だと説明しています。一方、自分は古いものや比較的安価なものを好むタイプだと語りました。
山﨑氏は高性能な海外製ラジコンを好み、山本氏はタミヤ製のラジコンカーを使用していたことも紹介されています。
二人は趣味の方向性が異なりながらも、ラジコンという共通点でつながっていました。山本氏が山﨑氏との関係を「彼がアクセルで私がブレーキ」と表現したエピソードも、互いの性格をよく表しています。
【現役時代はラジコンを封印?引退後の再開と2026年現在】
ラジコン好きとして知られる山本昌氏ですが、現役時代に常に自由に楽しんでいたわけではありません。むしろ、野球に集中するため、自分でラジコンを封印する時期を設けていました。
50歳まで現役を続けるために趣味を制限山本氏がラジコンと野球の両立について大きく考え直したのは、40歳前後です。
2014年の「Number Web」のインタビューでは、2005年に40歳を迎えたシーズンの成績が7勝8敗、防御率4.89だったことを振り返っています。長年の疲労や身体の変化を感じ、休み方やトレーニングへの考え方を見直す必要がありました。
さらに2010年には、野球に集中するため、ラジコンを引退まで封印する決意をしたと同記事で紹介されています。
ただし、現役中のラジコン活動が完全に途絶えていたわけではありません。2009年1月には、名古屋市のラジコン天国名古屋店で開催された「山本昌投手200勝おめでとう達成記念レース」に参加しています。
このとき山本氏は、登板のない日にラジコンを楽しむことも考えていると語っていました。趣味と本業のバランスを取りながら、時期によって取り組み方を変えていたのです。
2015年の現役引退後にラジコンを再開山本氏は2015年、50歳で現役を引退しました。中日ドラゴンズ一筋で32年間プレーした野球人生に一区切りをつけたことで、現役時代に制限していた趣味にも向き合えるようになります。
本人が2018年に「サライ」で執筆したコラムでは、現役終盤には何年もラジコンをしていなかったものの、引退を機に再開したと明かしています。
一方、引退後も野球解説や講演活動などで忙しく、自由に時間を使えるわけではありませんでした。それでも、仕事の合間を見つけてラジコンを楽しんでいたといいます。
この時期に山山杯も復活し、山本氏にとってラジコンは再び生活の大切な一部となりました。
2026年現在もラジコンへの情熱は続いている2026年11月時点で、山本氏のラジコンに関する近年の活動を確認するうえで注目されるのが、2023年のJMRCA全日本選手権への出場と、2026年3月の「ジャンクSPORTS」出演です。
2023年には公式競技記録に名前が残り、2026年には約30年間の趣味としてラジコンへの思いをテレビで語りました。
2026年3月28日放送の「ジャンクSPORTS」では、山本氏がプロ野球選手のお金事情を語る企画に登場。ラジコンに費やした累計金額を聞かれ、スタジオを驚かせました。
したがって、2026年現在の山本昌氏は、単に過去にラジコンを楽しんでいた元プロ野球選手ではありません。長年の競技経験を持ち、引退後も大会への参加やメディアでの発信を続けるラジコン愛好家として知られています。
【ラジコンに3000万円?山本昌の費用とお金の使い方】
2026年に山本昌氏のラジコンが再び大きな話題になった最大の理由は、累計費用の告白でした。
約30年間で3000万円という金額は、一般的な趣味の支出として考えると驚くほどの規模です。しかし、競技ラジコンは車体を購入すれば終わりという趣味ではありません。走行性能を高めるための調整や、部品の交換、競技参加など、継続的な費用が発生します。
2026年3月のジャンクSPORTSで3000万円を告白スポニチアネックスや日刊スポーツの2026年3月の報道によると、山本氏は3月28日放送の「ジャンクSPORTS」で、ラジコンに使った総額を聞かれ、次のように説明しました。
「95年から始めて、30年くらいになりますんで。3000万円くらいは使ってると思います」
この発言を受けて、元阪神の今成亮太氏が「僕らの給料じゃないですか」と反応。山本氏は「30年で、ですよ」と説明し、スタジオを笑わせました。
ここで押さえたいのは、3000万円が1台のラジコンの購入価格ではなく、約30年間にわたる累計費用だという点です。
過去には1000万円という金額も語っていた山本氏は以前からラジコンに使った金額を明かしていました。
2020年の「Smart FLASH」の取材では、25年間続けた趣味について、総額1000万円ほど使ったのではないかと話しています。
それから2026年の「ジャンクSPORTS」では、約30年間で3000万円という新たな概算を公表しました。
両者には大きな差がありますが、いずれも本人が異なる時期に語った概算です。途中の支出を記録した明細や、年度別の費用が公表されているわけではありません。
また、2024年4月の「ジャンクSPORTS」出演時には、ラジコンにかなりのお金を使ったものの、途中からスポンサーが付いたとも話しています。そのため、累計費用3000万円を、そのまま全額自己負担した金額と解釈することもできません。
競技ラジコンでは何にお金がかかるのか山本氏が個別の費用内訳を公開しているわけではありませんが、競技ラジコンでは一般的に次のような項目が支出につながります。
- 車体・シャーシ:走行性能や競技カテゴリーに合わせたマシン本体。
- モーター・電子機器:駆動性能や操縦性に関係するパーツ。
- タイヤ・消耗品:路面や温度に応じたタイヤ交換など。
- セッティング用品:走行状態を調整するための工具や計測機器。
- 交換・修理部品:摩耗やクラッシュによる部品交換。
- 大会関連費用:参加費、移動費、遠征に伴う費用など。
こうした支出は、競技レベルが高くなるほど細分化していきます。わずかなタイム差を縮めるためにパーツを交換したり、路面に合わせて設定を変えたりするためです。
山本氏の場合、30年間という長い期間にわたり競技を続けてきたことが、累計金額の大きさにつながっていると考えられます。
一般の人も3000万円必要なのかもちろん、山本氏の3000万円は一般的なラジコン愛好家が必要とする予算ではありません。
初心者がラジコンを始める場合、完成済みの入門モデルや組み立てキットなど、自分の予算に合わせた選択肢があります。最初から競技用の高性能マシンや大量の予備部品をそろえる必要はありません。
重要なのは、最初に購入費用だけを見るのではなく、バッテリーや充電器、消耗品、修理費なども含めて予算を考えることです。
特に競技を目指す場合は、車体の性能だけでなく、走行環境やメンテナンスにどれほど時間と費用をかけられるかが判断材料になります。
ラジコンは、機械を触ることや細かな調整を楽しめる人には向いています。一方、購入したらすぐに走らせるだけで満足したい人や、維持費をかけたくない人は、入門モデルから始める方が無理なく楽しめます。
【プロの結論】山本昌のラジコンが野球人生にもたらしたもの
山本昌氏のラジコン歴を振り返ると、最も興味深いのは、趣味と本業が互いに影響し合っていたことです。
一般的には、スポーツ選手の趣味は競技から離れて気分転換をするためのものと考えられます。しかし、山本氏の場合、ラジコンで得た発見が野球の技術向上につながっていました。
セッティングを変える勇気が投球フォームの改良につながった山本氏がラジコンから学んだことは、現状に満足せず、少しずつ改善を積み重ねる姿勢です。
サーキットで上級者たちがマシンの設定を何度も変更している姿を見て、自分の投球フォームも改善できるのではないかと考えるようになりました。
2016年の「ナカイの窓」では、1995年から50歳まで毎年投球フォームを変えてきたことを説明しています。
また、2022年に公開されたコミックDAYSのインタビューでも、ラジコン上級者の研究熱心な姿勢が、自分の身体や投球動作を見直すきっかけになったと振り返っています。
この考え方は、単にフォームを頻繁に変更することではありません。変化を恐れず、試した結果を観察し、良い部分を積み重ねていくというものです。
趣味を通じて身につけた改善の考え方ラジコン競技では、同じ車体でも路面温度やタイヤの状態、設定の違いによって走行結果が変わります。
そのため、上達するには、感覚だけに頼らず、条件を確認しながら調整することが欠かせません。
山本氏が野球でもフォームを毎年見直したことは、こうした考え方と重なります。実際、40歳を超えても球速を伸ばし、42歳を過ぎてから自己最速となる143キロを記録したことも、インタビューで紹介されています。
もちろん、50歳まで現役を続けられた理由をラジコンだけに求めることはできません。日々のトレーニング、身体のケア、指導者との出会い、長年の経験など複数の要素が重なっています。
それでも、山本氏自身がラジコンから得た発想を野球に生かしたと語っていることは、趣味の価値を考えるうえで興味深い事実です。
【プロの結論】山本昌のラジコンは単なる浪費ではない約3000万円という数字だけを見ると、山本氏のラジコンは非常にお金のかかる趣味に映ります。しかし、その30年間には、競技への挑戦、技術の習得、仲間との交流、大会の開催など、金額だけでは測れない経験が積み重なっています。
また、現役時代に趣味を封印するほど野球を優先し、引退後に再びラジコンへ戻ったという経緯も見逃せません。
山本氏の姿から読み取れるのは、趣味を仕事の代わりにするのではなく、仕事を大切にしながら、人生を豊かにするものとして楽しむ姿勢です。
ラジコンに興味がある人にとっても、最初から高額な機材を購入する必要はありません。自分の予算と楽しみ方に合わせ、少しずつ知識と技術を身につけていくことが、長く続けるための現実的な方法です。
【山本昌のラジコンに関するよくある質問(FAQ)】
Q1:山本昌がラジコンを始めたのは何年ですか?
A1:1995年です。左膝の手術後、リハビリ期間中に近所のラジコンサーキットを訪れたことが、本格的に熱中するきっかけになりました。
Q2:山本昌のラジコンの腕前はどのくらいですか?
A2:2002年の全日本選手権で4位に入賞しています。また、2023年のJMRCA電動レーシングカー全日本選手権スポーツクラスでもAメイン10位に入っています。
Q3:山本昌はラジコンに3000万円も使ったのですか?
A3:2026年3月28日放送の「ジャンクSPORTS」で、約30年間の累計費用を3000万円程度と本人が説明しました。あくまで本人による概算で、詳細な支出内訳は公開されていません。
Q4:山本昌が現役時代にラジコンを封印した理由は何ですか?
A4:野球に集中し、50歳まで現役を続けるためです。特に40歳前後から身体のコンディショニングを重視するようになり、趣味に費やす時間を制限していました。
Q5:山本昌は引退後いつラジコンを再開しましたか?
A5:2015年の現役引退後に再開しています。2018年に本人が「サライ」で執筆したコラムでも、引退を機に再開したことを明かしています。
Q6:山本昌と山﨑武司のラジコン大会は何という名前ですか?
A6:「山山杯」です。1996年から約10年間開催され、2018年1月には12年ぶりに復活しました。復活大会には100人を超える参加者が集まりました。
Q7:山本昌のラジコンは2026年現在も続いていますか?
A7:2026年3月の「ジャンクSPORTS」で約30年間の趣味としてラジコンについて語っています。また、2023年の全日本選手権への出場記録もあります。ただし、2026年の競技大会への出場状況については、確認できる公式記録が別途必要です。
山本昌氏とラジコンの関係は、1995年の左膝の手術後に始まりました。リハビリ中の時間をきっかけに出会った趣味は、2002年の全日本選手権4位という競技実績につながり、山﨑武司氏とともに開催した山山杯を通じて、ラジコン界にも影響を与える存在へと発展しました。
一方、野球に集中するため現役時代には趣味を封印し、2015年の引退後に再開。2023年には全日本選手権への出場記録が残り、2026年3月には「ジャンクSPORTS」で累計約3000万円という費用を告白しました。
今回の話題で特に注目したいのは、ラジコンが山本氏にとって単なる娯楽ではなかったことです。マシンの設定を見直す姿勢は投球フォームの改善にもつながり、50歳まで現役を続けた野球人生にも影響を与えました。
30年間、好きなことを追求し続けた山本昌氏。そのラジコン愛を理解するには、3000万円という金額だけでなく、全日本4位の実績や山山杯の歴史、そして野球にまで生かされた探究心に目を向ける必要があります。
野球界のレジェンドであり、ラジコン競技にも本気で取り組んできた山本昌氏。2026年現在も、その趣味の歩みは多くのファンの関心を集めています。