現在の電気グルーヴは、石野卓球とピエール瀧による2人組の音楽ユニットです。
ソニーミュージックの公式プロフィールでも、電気グルーヴは「石野卓球・ピエール瀧」として紹介されています。2人は1989年の結成から現在まで、ユニットの中心を担ってきました。
石野卓球(いしの・たっきゅう)
石野卓球
DJ・音楽プロデューサー・テクノミュージシャン
- 生年月日:1967年12月26日
- 出身地:静岡県静岡市
- 担当:ボーカル、シンセサイザー
- 活動開始:1989年、電気グルーヴ結成
石野卓球は、電気グルーヴの音楽的な方向性を支える中心人物です。
1989年にピエール瀧らと電気グルーヴを結成。1995年には初のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』を発表し、本格的にDJとしての活動を始めました。
その後はヨーロッパを中心に海外でも活動。1998年にはドイツ・ベルリンの大型テクノイベント「Love Parade」に出演しました。
加えて、1999年から2013年まで国内の大型屋内レイヴ「WIRE」を主宰。海外のDJやアーティストを日本に紹介する役割も担いました。
こうした経歴から、石野卓球は単なるバンドメンバーではなく、日本のクラブミュージックやテクノシーンを牽引してきたDJ・プロデューサーとしても知られています。
ピエール瀧(ピエールたき)
ピエール瀧
ミュージシャン・俳優・タレント
- 生年月日:1967年4月8日
- 出身地:静岡県静岡市
- 担当:ボーカル、Taki
- 活動開始:1989年、電気グルーヴ結成
ピエール瀧は、電気グルーヴの音楽とステージパフォーマンスに独特の個性を与えてきた人物です。
一般的なバンドのようにギターやベースを担当するというスタイルではなく、ボーカルや独自のパフォーマンスを含む役割を担っています。
ライブでは、石野卓球の電子音楽を中心としたサウンドと、瀧の存在感あるパフォーマンスが組み合わさることが大きな特徴です。
音楽活動と並行して、1995年頃から映像作品や俳優としての仕事にも取り組んできました。
代表的な出演作には、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』、映画『凶悪』、NHK大河ドラマ『龍馬伝』などがあります。また、ディズニー映画『アナと雪の女王』の日本語吹き替えではオラフ役を担当しました。
音楽以外の分野でも幅広く活動している点が、石野卓球との大きな違いです。
2人の担当パートはどう違う?ライブ制作会社SMASHの公式アーティストプロフィールでは、2人の担当は次のように記載されています。
| メンバー | 担当表記 | 主な役割 |
|---|---|---|
| 石野卓球 | Vo、Syn | ボーカル、シンセサイザー、電子音楽制作 |
| ピエール瀧 | Vo、Taki | ボーカル、独自のステージパフォーマンス |
注目したいのは、電気グルーヴが一般的なロックバンドとは異なる編成を採用している点です。
シンセサイザーや電子音響を中心に据え、2人の個性を音楽とパフォーマンスの両面で組み合わせる。そのため、ギター、ベース、ドラムという固定的な役割分担だけでは、電気グルーヴの音楽を説明できません。
この自由度の高い編成こそ、長年にわたって独自の音楽性を維持できている理由の一つです。
【歴代メンバーの変遷】CMJKの加入から砂原良徳の脱退まで

電気グルーヴは結成当初から現在の2人体制だったわけではありません。
1990年代初頭にはCMJKが在籍し、1991年には砂原良徳が加入しました。その後、砂原が脱退したことで、石野卓球とピエール瀧の2人体制が定着していきます。
前身バンド「人生」から電気グルーヴへ電気グルーヴの原点は、1980年代後半に活動していたインディーズバンド「人生(ZIN-SÄY!)」です。
石野卓球とピエール瀧は、この前身バンドでの活動を通じて音楽的な関係を築きました。
「人生」は、ケラ(現・ケラリーノ・サンドロヴィッチ)が主宰していたナゴムレコードから作品を発表していたバンドです。
当時の活動は、一般的なバンドの演奏スタイルに収まらない独特のパフォーマンスでも知られていました。
1989年に「人生」が解散すると、石野卓球とピエール瀧を中心に新たなユニットとして電気グルーヴが結成されます。
CMJKと砂原良徳が在籍した時代1990年には、インディーズアルバム『662BPM BY DG』を発表。その後のメンバー変更を経て、石野卓球、ピエール瀧、CMJKの3人体制で活動しました。
1991年にはCMJKが脱退し、代わって砂原良徳が加入します。
砂原は「まりん」の愛称でも知られ、電子音楽の制作を担当するメンバーとして電気グルーヴのサウンド形成に貢献しました。
1991年11月にはアルバム『UFO』を発表。以降、『KARATEKA』『VITAMIN』『DRAGON』などの作品を通じて、グループはテクノユニットとしての個性を強めていきます。
歴代メンバーと活動年表これまでの主要なメンバーと活動の転換点を整理すると、次のようになります。
この年表で押さえておきたいのは、CMJKと砂原良徳は同時に在籍していたわけではないという点です。
CMJKが脱退した後に砂原が加入し、その後、砂原の脱退を経て現在の2人に落ち着きました。
【砂原良徳はなぜ脱退した?】在籍期間と脱退理由の真相
砂原良徳(すなはら・よしのり)
音楽家・DJ・プロデューサー
- 生年月日:1969年9月13日
- 出身地:北海道
- 電気グルーヴ加入:1991年
- 脱退:1999年
- 愛称:まりん
砂原良徳は、電気グルーヴの歴代メンバーを語るうえで欠かせない人物です。
1991年に加入し、1999年に脱退しました。約8年間にわたってグループに在籍し、電子音楽の制作面で重要な役割を果たしています。
砂原良徳の脱退時期は1999年砂原の脱退については、1998年のヨーロッパツアーとの関係がポイントになります。
SMASHの電気グルーヴ公式アーティストプロフィールでは、1998年のヨーロッパ6か国ツアーを最後に砂原が脱退したと説明されています。
一方、砂原本人のプロフィールでは、加入が1991年、脱退が1999年と記載されています。
つまり、ツアーが行われた時期と正式な脱退年を分けて理解すると、経歴を整理しやすくなります。
脱退理由は公表されている?気になるのが、砂原がなぜ電気グルーヴを離れたのかという点です。
砂原の公式プロフィールや出演者紹介では、加入年と脱退年、ソロ活動の経歴などは確認できますが、脱退理由の詳細までは説明されていません。
砂原は電気グルーヴに在籍していた時期から、ソロ名義でも音楽活動を展開していました。
1995年にはソロアルバム『Crossover』を発表し、1998年には『TAKE OFF AND LANDING』『THE SOUND OF '70s』をリリース。脱退後の2001年には代表作の一つとなる『LOVEBEAT』を発表しています。
その後もプロデューサーやリミキサーとして活動し、2015年には高橋幸宏、TOWA TEI、小山田圭吾らとMETAFIVEを結成しました。
こうした経歴から、砂原がソロの音楽家として独自のキャリアを築いてきたことは分かります。
ただし、ソロ活動をしていたという事実だけで、それが脱退の直接的な原因だったと断定することはできません。
砂原良徳は現在も電気グルーヴのメンバー?現在の正式メンバーではありません。
砂原は歴代メンバーの一人であり、現在は石野卓球とピエール瀧の2人が電気グルーヴのメンバーとして活動しています。
なお、2009年には砂原が代表曲「Shangri-La」をリモデルしたバージョンがシングルに収録されています。
脱退後も、過去の作品やリミックスを通じて電気グルーヴとの音楽的なつながりが残っていることは興味深い点です。
【電気グルーヴの代表曲】Shangri-Laとテクノユニットとしての魅力
電気グルーヴの代表曲として、多くの音楽ファンに知られているのが1997年のシングル「Shangri-La」です。
同年に発表されたアルバム『A』とともに、グループの知名度を大きく押し上げた作品でした。
SMASHの公式プロフィールでは、「Shangri-La」とアルバム『A』について、国内で約50万枚の売り上げを記録したと紹介されています。
「Shangri-La」が電気グルーヴの代表曲になった理由「Shangri-La」の特徴は、電子音楽を基盤にしながら、幅広いリスナーが親しみやすいポップな要素を取り入れていることです。
CDジャーナルの電気グルーヴ20年史では、同曲について、シルヴェッティの「Spring Rain」をサンプリングしたヒット曲として紹介されています。
当時の電気グルーヴは、テクノファンだけでなく、サブカルチャー層や一般の音楽リスナーにも支持を広げていました。
それまでテクノというジャンルに接点がなかった人にとっても、「Shangri-La」は電気グルーヴを知る入口になった楽曲です。
電気グルーヴは単なるテクノバンドではない電気グルーヴの魅力は、電子音楽の技術的な側面だけではありません。
初期の『FLASH PAPA』では、アシッドハウスやヒップホップなどの影響を感じさせる音楽性が展開されました。
1993年の『VITAMIN』では、テクノへの志向を強め、1994年の『DRAGON』、1997年の『A』へと作風を広げています。
また、音楽作品だけでなく、独特のユーモアやステージパフォーマンスもグループの重要な個性です。
石野卓球が音楽制作を中心に担い、ピエール瀧がパフォーマンスや表現面で独自の存在感を発揮する。この組み合わせが、一般的なテクノユニットとは異なる電気グルーヴの世界観を生み出しています。
【2001年の活動休止から2004年の再始動】現在まで続く2人の歴史
電気グルーヴは、1999年に砂原良徳が脱退した後も、石野卓球とピエール瀧の2人体制で作品を発表しました。
2000年にはアルバム『VOXXX』とライブアルバム『イルボン2000』をリリースしています。
しかし、2001年に大きな転換点を迎えます。
2001年、WIRE01を最後に活動休止2001年、電気グルーヴは石野卓球が主宰する屋内ダンスフェスティバル「WIRE01」のステージを最後に活動休止しました。
この時期、石野卓球はDJやソロアーティストとしての活動を続け、ピエール瀧もテレビや映画などの仕事に取り組んでいました。
つまり、電気グルーヴというユニットの活動が休止しても、2人の個人活動が止まったわけではありません。
2004年に活動再開、WIRE04に出演2004年3月にはベストアルバム『SINGLES and STRIKES』を発表。
同年、石野卓球が主宰する「WIRE04」への出演を通じて、電気グルーヴとしての活動を再開しました。
さらに「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2004 in EZO」にも出演しています。
この再始動は、一時的な記念活動ではなく、その後の継続的な作品発表や全国ツアーにつながりました。
再始動後も続く独自の活動活動再開後の電気グルーヴは、2008年にアルバム『J-POP』、同年に『YELLOW』を発表。
2009年には結成20周年記念アルバム『20』、2017年には『TROPICAL LOVE』をリリースしました。
2015年には、大根仁監督によるドキュメンタリー映画『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』が公開され、グループの歩みを振り返る機会にもなりました。
2016年のFUJI ROCK FESTIVALでは、GREEN STAGEのクロージングアクトを務めています。
活動休止を経験しながらも、再始動後にライブと作品発表を継続していることが、現在の電気グルーヴにつながっています。
【2026年最新】電気グルーヴの現在の活動とライブ予定
2026年11月4日時点で、電気グルーヴは現役で活動を続けています。
公式サイトのINFORMATIONには、2026年のワンマンライブやイベント出演、11月の東名阪Zeppツアーに関する情報が掲載されています。
2026年の主な活動| 時期 | 活動内容 | 会場・概要 |
|---|---|---|
| 5月8日・9日 | ワンマンライブ「オケラ564」 | SGCホール有明 |
| 7月13日 | LIQUIDROOM 22nd Anniversary | LIQUIDROOM |
| 11月12日 | 「菩薩アー」 | Zepp Nagoya |
| 11月14日 | 「菩薩アー」 | Zepp Osaka Bayside |
| 11月20日 | 「菩薩アー」 | Zepp Haneda |
| 11月21日 | 「菩薩アー」 | Zepp Haneda |
2026年8月22日、電気グルーヴの公式サイトは秋の東名阪Zeppツアー「菩薩アー」の開催を発表しました。
公演日程は以下の4公演です。
- 11月12日(木): Zepp Nagoya
- 11月14日(土): Zepp Osaka Bayside
- 11月20日(金): Zepp Haneda(TOKYO)
- 11月21日(土): Zepp Haneda(TOKYO)
開場はいずれも18時、開演は19時です。
チケット料金は1階立見8,500円、2階指定9,500円、学割1階立見5,000円(いずれも税込)と公式サイトで案内されています。
11月4日時点では、これらの公演は開催前です。チケットの販売状況や公演に関する変更は、公式発表で確認できます。
2026年もメンバーは変わっていない?現在の正式メンバーは、石野卓球とピエール瀧の2人です。
2026年の公式ライブ情報でも電気グルーヴ名義で公演が発表されており、砂原良徳が正式メンバーに復帰したという発表はありません。
結成から37年目を迎えた2026年も、2人を中心とするユニットとして活動を続けています。
ここで大切なのは、過去の在籍メンバーと、現在のサポートミュージシャンや共演者を混同しないことです。ライブに参加する人物が増えたとしても、それだけで正式メンバーが変更されたことにはなりません。
【電気グルーヴメンバーの現在と歴史】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:電気グルーヴの現在のメンバーは誰ですか?
A1:石野卓球とピエール瀧の2人です。ソニーミュージックの公式プロフィールでも、この2人が電気グルーヴのメンバーとして紹介されています。
Q2:砂原良徳はいつ電気グルーヴを脱退しましたか?
A2:1999年です。1991年に加入し、約8年間在籍しました。脱退後はソロアーティストやプロデューサーとして活動しています。
Q3:電気グルーヴの前身バンドは何ですか?
A3:「人生(ZIN-SÄY!)」です。石野卓球とピエール瀧が参加していたインディーズバンドで、1989年の電気グルーヴ結成につながりました。
Q4:電気グルーヴはいつメジャーデビューしましたか?
A4:1991年です。アルバム『FLASH PAPA』でメジャーデビューしました。
Q5:電気グルーヴは解散したことがありますか?
A5:2001年に活動休止しましたが、2004年に活動を再開しています。活動休止と解散は異なり、現在も2人で活動を続けています。
Q6:電気グルーヴの代表曲は何ですか?
A6:1997年のシングル「Shangri-La」が代表曲の一つです。同年のアルバム『A』とともに大きなヒットを記録しました。
Q7:電気グルーヴは2026年も活動していますか?
A7:はい。2026年5月の「オケラ564」、7月のLIQUIDROOM 22nd Anniversary、11月の東名阪Zeppツアー「菩薩アー」などの公演情報が公式サイトで発表されています。
電気グルーヴのメンバーの歴史を整理すると、現在の2人体制に至るまでに複数の変遷があったことが分かります。
- 1989年: 石野卓球とピエール瀧を中心に結成。
- 1991年: CMJK脱退後、砂原良徳が加入。アルバム『FLASH PAPA』でメジャーデビュー。
- 1997年: 「Shangri-La」が大ヒット。
- 1999年: 砂原良徳が脱退。
- 2001年: WIRE01を最後に活動休止。
- 2004年: WIRE04などへの出演を通じて活動再開。
- 2026年: 石野卓球とピエール瀧の2人体制で活動継続。
電気グルーヴの魅力は、単に長く活動していることだけではありません。テクノを軸にしながら、ポップス、ユーモア、ライブパフォーマンスを融合させ、時代ごとに音楽の表現方法を変えてきた点にあります。
また、砂原良徳の在籍と脱退、2001年の活動休止と2004年の再始動を理解すると、現在の2人体制がどのように形成されたのかも見えてきます。
2026年11月の「菩薩アー」は、現在の電気グルーヴの活動を知るうえでも注目したいライブです。 結成から37年目を迎えた今も、石野卓球とピエール瀧は、それぞれの個性を生かしながら電気グルーヴとしての活動を続けています。