小説家・深沢潮(ふかざわ・うしお)さんの本名は、韓国籍だった時代の「李東愛(イー・ドンエ)」です。この事実は、深沢さん自身が2023年4月に公開したエッセイ「愛しのキムチ」の中で明らかにしています。現在の作家名である「深沢潮」は本名ではなく、本人が思いを込めて選んだペンネームです。
では、なぜ韓国名ではなく日本名の通称を使っていたのでしょうか。「深沢」という名字は東京都世田谷区の地名に、「潮」という名前は石川啄木の歌集『一握の砂』に由来します。加えて、1994年には結婚と妊娠を機に日本国籍を取得しています。本人のエッセイや東京都人権啓発センターのインタビュー、2025年以降の報道をもとに、名前の変遷と背景を整理します。
【本名の真相】深沢潮は李東愛(イー・ドンエ)と本人が公表

深沢潮さんの本名を知るうえで、最も重要な資料が、認定NPO法人Dialogue for People(D4P)で2023年4月28日に公開された本人のエッセイ「第1話 愛しのキムチ」です。
この記事では、深沢さん自身が「李東愛」という名前について説明しています。
李東愛とは、私が韓国籍を有していたときの本名です。
つまり、李東愛(イー・ドンエ)は、インターネット上で広まった噂や第三者が推測した名前ではありません。本人が自らの文章で明らかにした名前です。
読み方についても、本人のエッセイには「イー・ドンエ」と記されています。検索時に見かける「李東愛」という漢字表記と「イー・ドンエ」という読み方は、同じ人物の名前を指しています。
現在の「深沢潮」と韓国籍時代の本名は区別が必要ここで注意したいのは、李東愛という名前が、本人の説明ではあくまで「韓国籍を有していたときの本名」だという点です。
深沢さんは1994年に日本国籍を取得しています。そのため、韓国籍時代の本名と、現在の法的な氏名、そして作家として使用しているペンネームを、すべて同じものとして扱うことはできません。
本人が公表しているのは、韓国籍時代の本名が李東愛であることと、深沢潮がペンネームであることです。現在の戸籍上の氏名について、これらの説明だけから断定することはできません。
また、2023年のエッセイのタイトルは「李東愛が食べるとき」。あえて韓国籍時代の名前を使ったことには、自分自身の過去やルーツを見つめ直す意味が込められています。
【名前の由来】深沢は世田谷区、潮は石川啄木の『一握の砂』
深沢潮というペンネームには、本人の暮らしと文学への思いが反映されています。
2023年のD4Pのエッセイで、深沢さんは名字と名前をそれぞれどこから取ったのか、具体的に説明しています。
「深沢」は小説家を目指していた頃に住んでいた場所「深沢」は、東京都世田谷区にある地名に由来します。
深沢さんが小説家を目指していた頃、実際に世田谷区深沢に住んでいたことから、この地名を名字に採用しました。
つまり、深沢という名字は韓国名を日本風に置き換えたものではなく、本人が当時の生活や創作活動の記憶から選んだものです。
「潮」は石川啄木の歌から取った一方、「潮」の由来は、歌人・石川啄木の歌集『一握の砂』です。
深沢さんが好きだったのは、同歌集の「忘れがたき人人」の冒頭に収められた次の短歌でした。
潮かおる北の浜辺の砂山のかの浜薔薇よ今年も咲けるや
この歌の冒頭にある「潮かおる」という言葉から、「潮」を取っています。
本人によると、当初は「潮かおる」という名前にしたいと考えていました。しかし、インターネットの姓名判断で画数があまりよくなかったため、名字を変えることにしたそうです。
そこで選んだのが、住んでいた土地にちなんだ「深沢」でした。組み合わせた結果、「深沢潮」は画数もよかったため、そのままペンネームとして使うことになりました。
ペンネームを使い始めてから作家デビューへ興味深いのは、この名前で初めて応募した作品が新人文学賞を受賞したことです。
深沢さんは、ペンネームを決めた経緯を紹介するエッセイの中で、深沢潮の名前で応募した最初の作品が受賞し、プロの作家になることができたと振り返っています。
その作品が、後に代表的なデビュー作となる「金江のおばさん」です。
世田谷区の地名と石川啄木の短歌という、本人の個人的な記憶や好みから生まれた名前が、作家としての出発点にもなりました。
【通称名の背景】なぜ幼少期から日本名を使っていたのか
深沢潮さんの名前をめぐる経緯で、もう一つ大切なのが、韓国籍だった幼少期から日本名の通称を使用していたことです。
東京都人権啓発センターが2022年5月に掲載したインタビュー「在日コリアンであることを隠してきた私が小説を書く理由」では、本人が通称名を使い始めた理由を詳しく語っています。
私は幼児期から本名を隠して通称名(日本名)で生きてきました。
その背景には、両親が抱えていた二つの事情がありました。
理由1:病弱だった姉をいじめから守るため一つ目は、姉の健康状態です。
深沢さんの姉は重い心臓病を抱え、幼少期から入院や手術を繰り返していました。小学校への入学も1年延期するほど病弱で、学校生活に適応すること自体が大変だったといいます。
両親は、姉が勉強や運動についていけないことでいじめられるのではないかと心配していました。そこに在日コリアンという出自が加われば、さらに差別やいじめを受ける可能性があると考えたのです。
特に母親自身が小中学校時代にひどいいじめを経験していたことも、判断に影響していました。
理由2:父親の政治活動と家族への影響もう一つは、父親の事情です。
深沢さんの父親は、子どもが生まれる頃まで政治運動に関わっていました。当時の韓国の軍事政権に対して政府と異なる立場を取っていたため、その活動が親族に不利益をもたらすこともあったといいます。
父親は子どもの将来への影響を心配し、政治運動から離れて日本で実業に専念する道を選びました。
こうした家庭の事情もあり、両親は子どもたちが外で在日コリアンであることをできるだけ知られないようにしていました。
通称名を使っていても差別から完全には逃れられなかったしかし、日本名を使用していれば出自が知られないというわけではありませんでした。
深沢さんは、子どもの頃にチマチョゴリを着て撮影した写真が商店街の写真館に飾られたことで、周囲にルーツを知られた経験を明かしています。
中学生の頃には、韓国名を感じさせる本名から出自を知られ、噂になったこともありました。その結果、友人から仲間外れにされ、深く傷ついたと振り返っています。
また、友人や恋愛相手に在日コリアンであることを伝えた際、関係を拒絶された経験もあったそうです。
この経験から、深沢さんは名前を単なる呼び方ではなく、本人の尊厳や生き方と密接につながるものとして捉えるようになりました。
【プロフィール・年表】1994年の日本国籍取得から作家デビューまで
深沢潮さんの経歴を整理すると、名前の変化と作家としての歩みが密接につながっていることが分かります。
東京都人権啓発センターのプロフィールや本人のエッセイ、出版社の著者紹介などから、主な出来事をまとめました。
| 時期 | 出来事・関係者 | 名前・経歴との関係 |
|---|---|---|
| 1966年 | 東京都生まれ | 在日韓国人1世の父、2世の母を持つ家庭に生まれる。 |
| 幼少期 | 両親の判断 | 韓国籍時代の本名を表立って使わず、日本名の通称で生活する。 |
| 1989年 | 上智大学文学部卒業 | 卒業後、外資系金融会社勤務や日本語講師などを経験。 |
| 1994年 | 在日コリアンとの結婚・妊娠 | この出来事を機に日本国籍を取得。後に離婚。 |
| 2012年 | 「金江のおばさん」 | 第11回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。 |
| 2013年 | 「ハンサラン 愛する人びと」 | 受賞作を含む連作短編集を刊行し、作家として本格デビュー。 |
| 2023年4月 | D4Pのエッセイ連載 | 「愛しのキムチ」で李東愛が韓国籍時代の本名だと公表。 |
| 2025年1月 | 「はざまのわたし」刊行 | 食を手がかりに自身のルーツや葛藤を描いた自伝的エッセイ。 |
| 2025年9月30日 | 新潮社との出版契約終了 | 週刊新潮のコラム問題を受け、同社との全出版契約を解消。 |
| 2026年1月22日 | 東京地方裁判所に提訴 | 週刊新潮のコラムなどをめぐり、筆者と出版社に損害賠償を請求。 |
| 2026年7月24日 | 「縁を結うひと」角川文庫版 | デビュー作を含む作品がKADOKAWAから新たな文庫版として刊行。 |
東京都人権啓発センターのプロフィールには、深沢さんが1994年の在日コリアンとの結婚と妊娠を機に日本国籍を取得したと記載されています。
本人のインタビューによると、結婚相手は韓国籍でありながら、本名を隠さずに暮らしている人でした。
それまで深沢さんは、自分の出自を明かすことに強い不安を抱いていました。しかし、相手と結婚し、自分も本名で暮らすようになってから、友人に韓国人であることを伝える心理的な負担が軽くなったと語っています。
加えて、子どもの将来を考えることも、日本国籍を取得する人生の転機につながりました。
ここで押さえておきたいのは、日本国籍の取得が、それまでの韓国にルーツを持つ自分を否定することと同じではないという点です。深沢さんはその後も、両親のルーツや自身の経験を作品の重要な題材として描き続けています。
【本人のエッセイ】李東愛という名前を再び使った理由と作品への影響
深沢潮さんの名前について、さらに深く知りたい読者に注目してほしいのが、本人によるエッセイです。
特に2023年から始まったD4Pの連載と、2025年に刊行された『はざまのわたし』は、名前とアイデンティティの関係を理解する手がかりになります。
「李東愛が食べるとき」に込めた思いD4Pでのエッセイ連載は「李東愛が食べるとき」というタイトルで始まりました。
第1話の「愛しのキムチ」では、韓国籍時代の本名をタイトルに使った理由についても説明しています。
深沢さんは、小説という虚構を書く仕事を続けてきた一方、このエッセイでは自分を偽らず、素の自分に立ち戻って書きたいという思いを示しました。
キムチや食卓の記憶をたどることで、幼少期の家庭環境、父と母の考え方の違い、韓国文化との距離感などが語られています。
食べ物の思い出を入り口にすることで、民族的なルーツという大きなテーマが、日常生活の具体的な記憶として描かれているのが特徴です。
2025年刊行『はざまのわたし』で語られた葛藤2025年1月24日には、集英社インターナショナルから自伝的エッセイ『はざまのわたし』が刊行されました。
本書は、キムチ、コーヒー、寿司、カップ麺、フライドチキンなど、食べ物を切り口にして、深沢さんが経験してきた違和感や劣等感、生きづらさを振り返る作品です。
タイトルの「はざま」には、日本と韓国という二つのアイデンティティだけでなく、親と子、男と女、仕事とプライベートなど、さまざまな立場の間で揺れ動いてきた人生が象徴されています。
本名や通称名、ペンネームをめぐる経験も、こうした人生の葛藤と切り離せません。
代表作「金江のおばさん」と在日コリアンの物語深沢さんは2012年、「金江のおばさん」で第11回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞しました。
同作は在日コリアンのお見合いを取り仕切る女性を描いた作品で、受賞作を含む連作短編集は、2013年に『ハンサラン 愛する人びと』として刊行されました。後に『縁を結うひと』へ改題されています。
そのほか、父親の人生と家族の歴史を描く『ひとかどの父へ』『海を抱いて月に眠る』、在日コリアンのルーツや歴史を題材にした『緑と赤』『李の花は散っても』などがあります。
ただし、深沢さん自身は、在日コリアンをテーマにした作品が多いからといって、すべてを政治的なメッセージとして書いているわけではないと説明しています。
東京都人権啓発センターのインタビューでは、作品の中心にあるのは人が日常で感じる悩みや葛藤であり、読者が登場人物に自然と感情移入できる物語を目指していると語っています。
【プロの結論】2026年最新動向と、深沢潮の名前をめぐる誤解
2026年現在、深沢潮さんの名前をめぐる問題は、単なるプロフィールの話にとどまりません。本人が名前を選び、使い分けてきた背景には、在日コリアンとして経験した社会的な差別や、個人の尊厳に関わる問題があります。
2025年の週刊新潮コラム問題と出版契約の終了2025年7月24日発売の『週刊新潮』7月31日号に掲載された高山正之氏のコラム「創氏改名2.0」では、深沢さんら外国にルーツを持つ人物の名前について言及する記述がありました。
これに対して深沢さんは、事実誤認と差別的な内容があるとして抗議。2025年8月4日に記者会見を開き、新潮社に謝罪と反論の機会を求めました。
この問題では、深沢さんが作家デビュー当初からコリアンルーツを公表していたことも重要な論点になりました。本人のプロフィールや作品、過去のインタビューでも、その出自は公に語られていました。
新潮社は2025年8月4日に謝罪文を公表し、問題となったコラムの連載は同月28日号で終了しました。その後、深沢さんは新潮社との出版契約を解消し、2025年9月30日付で全作品の出版契約が終了しました。
2026年1月には約660万円の損害賠償を求めて提訴さらに2026年1月22日、深沢さんはコラムの筆者である高山氏と、コラムを収録した書籍を刊行した出版社ワックを相手取り、名誉感情の侵害を理由として、約660万円の損害賠償を求める訴訟を東京地方裁判所に起こしました。
これは本人が自らの名前や尊厳をめぐる問題について法的な対応を選択した出来事です。ただし、提訴は原告側の主張を裁判所が認定したことを意味するものではありません。判決や和解などの司法上の結論とは区別する必要があります。
2026年7月にはデビュー作『縁を結うひと』が角川文庫から刊行作家としての活動にも動きがあります。
2026年7月24日には、KADOKAWAから『縁を結うひと』の角川文庫版が刊行されました。これは2012年の受賞作「金江のおばさん」を含む、深沢さんのデビュー作にあたる連作作品です。
2025年に新潮社との出版契約を解消した後も、別の出版社から作品が刊行されていることは、2026年の活動を把握するうえで押さえておきたいポイントです。
名前について知るときに間違えやすい3つのポイント深沢さんの名前について情報を整理する際は、次の3点を区別すると誤解を避けられます。
- 李東愛と深沢潮は同じ種類の名前ではない:李東愛は韓国籍時代の本名、深沢潮は作家としてのペンネーム。
- 通称名とペンネームは別のもの:幼少期に使っていた日本名の通称と、作家活動のために本人が考えたペンネームを混同しない。
- 日本国籍の取得とルーツは別の問題:1994年に日本国籍を取得した後も、本人は在日コリアンとしての家族の歴史や経験を語り続けている。
深沢さん自身は、2025年のインタビューで、ペンネームも通称名も民族名も本名も、すべて自分にとって大切な名前であるという趣旨を語っています。
一つの名前だけを本人のすべてと決めつけず、それぞれがどのような背景で使われてきたのかを理解することが大切です。
【深沢潮の本名】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:深沢潮の本名は何ですか?
A1:韓国籍だった時代の本名は「李東愛(イー・ドンエ)」です。2023年4月に公開した本人のエッセイ「愛しのキムチ」で公表しています。深沢潮は作家として使用しているペンネームです。
Q2:深沢潮という名前の由来は何ですか?
A2:「深沢」は小説家を目指していた頃に住んでいた東京都世田谷区深沢から、「潮」は石川啄木の歌集『一握の砂』に収められた短歌「潮かおる北の浜辺の砂山のかの浜薔薇よ今年も咲けるや」から取っています。
Q3:深沢潮はいつ日本国籍を取得したのですか?
A3:東京都人権啓発センターの公式プロフィールによると、1994年です。在日コリアンとの結婚と妊娠を機に日本国籍を取得したと紹介されています。結婚相手とは後に離婚しています。
深沢潮さんの本名について、本人が公表している事実は明確です。韓国籍だった時代の本名は李東愛(イー・ドンエ)であり、現在の作家名である深沢潮は、自身の生活の記憶と文学への愛着から生まれたペンネームです。
幼少期には家族の事情や差別への不安から日本名の通称を使用し、1994年には結婚と妊娠を機に日本国籍を取得しました。その後、2012年の文学賞受賞を経て作家としてデビューし、在日コリアンの家族や女性の生き方を描く作品を発表してきました。
2025年の『はざまのわたし』や2026年の『縁を結うひと』の刊行からも、作家としての活動が続いていることが分かります。
【プロの結論】深沢潮という名前を理解するうえで大切なのは、李東愛、通称名、ペンネームを単純な改名の履歴として捉えないことです。それぞれの名前には、家族を守ろうとした両親の判断、社会の差別、自分らしく生きたいという思い、そして文学との出会いが重なっています。
名前は一つでなければならないわけではありません。深沢さんが語ってきた経験は、名前を選ぶ自由と、自分のルーツをどう受け止めるかという問いを、読者にも投げかけています。
本名の真相を知りたい人は、まず本人のD4Pエッセイ「愛しのキムチ」を読むとよいでしょう。名前の由来だけでなく、深沢潮という作家がどのような人生を経て現在の表現にたどり着いたのかも見えてきます。