基本情報は東京ヤクルトスワローズの選手プロフィール、NPBの選手記録を参照
長谷川宙輝の読み方は、「はせがわ・ひろき」です。「宙輝」という名前は初見では読み方に迷いやすいものの、プロ野球の選手名鑑では「ひろき」と表記されています。
1998年8月23日生まれ、東京都出身。左投左打の投手で、身長176cm、体重86kgです。
| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 名前 | 長谷川宙輝 |
| 読み方 | はせがわ・ひろき |
| 生年月日 | 1998年8月23日 |
| 年齢 | 28歳(2026年11月現在) |
| 出身地 | 東京都 |
| 身長・体重 | 176cm・86kg |
| 投打 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| 出身高校 | 聖徳学園高校 |
| ドラフト | 2016年育成ドラフト2位 |
| 所属球団 | ソフトバンク、ヤクルト |
| ヤクルト時代の背番号 | 53 |
特に注目したいのが、ヤクルト時代に背負った背番号53です。
この番号は、2020年12月に球団から発表された背番号変更によって決まりました。それまでの90番から53番への変更で、長谷川は新たな背番号で翌シーズン以降の飛躍を目指すことになります。
53番は、ヤクルトで長く活躍した五十嵐亮太さんが現役時代に着けていた番号でもあります。長谷川にとっても、期待を感じさせる背番号変更でした。
【経歴を時系列で解説】聖徳学園高校からソフトバンク、ヤクルトへ

長谷川のプロ野球人生は、東京都の聖徳学園高校から始まりました。
聖徳学園高校時代は「西東京のドクターK」長谷川が通っていた聖徳学園高校は、全国的な野球の強豪校として知られる学校ではありませんでした。
しかし、高校時代の長谷川は投手として際立った才能を見せていました。
日刊スポーツの2017年の紹介記事によると、高校時代の最速は144キロ。2年秋の大会では、1試合20奪三振を記録したこともあります。
こうした奪三振能力から「西東京のドクターK」と呼ばれ、プロ球団のスカウトから注目される存在になりました。
高校3年夏は西東京大会3回戦で敗退しましたが、全国的な知名度や高校野球の実績だけでは測れない投手としての潜在能力が評価され、2016年の育成ドラフトでソフトバンクから2位指名を受けます。
ソフトバンク時代は育成選手として3年間を過ごす2017年、長谷川は福岡ソフトバンクホークスに入団しました。
育成選手としてのスタートだったため、最初から一軍で活躍できる立場ではありませんでした。
ソフトバンクは育成選手の競争が激しい球団として知られています。長谷川もファームで経験を積みながら、支配下登録を目指す日々を送りました。
2017年の入団当初、日刊スポーツは若手左腕の一人として紹介。二軍戦デビューでは3試合、3イニングを無失点に抑え、6奪三振を記録したことも報じています。
一方、2019年はウエスタン・リーグで9試合に登板し、1勝2敗、防御率6.04という成績でした。
育成3年目を終えた長谷川は、ソフトバンクとの再契約を保留。2019年11月、ヤクルトへの支配下選手としての移籍が決まりました。
この移籍は、長谷川のキャリアにおける大きな転換点です。
本人は当初、翌年もソフトバンクでプレーするつもりで秋季キャンプに参加していました。しかし、ヤクルトから支配下契約の話が届き、熟考した末に新しい環境へ進む決断をしました。
当時の報道では、長谷川はソフトバンクへの感謝を語り、特にプロ入り後に野球を一から教えてくれたコーチの存在にも触れています。
ヤクルト時代は2020年に一軍44試合登板2020年、長谷川は東京ヤクルトスワローズに加入しました。
移籍直後の背番号は90。一軍での登板機会を得ると、シーズンを通じて44試合に登板します。
育成選手としてソフトバンクで過ごした3年間を経て、支配下選手として新天地に移り、すぐに一軍で多くの試合を任されたことは大きな成果でした。
そして2020年12月、背番号90から53への変更が発表されます。
この時期は、長谷川にとってプロ野球選手としての存在感を強めた重要な時期でした。
長谷川宙輝のプロ10年間の年表| 年 | 所属・出来事 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 2016年 | ソフトバンク | 育成ドラフト2位指名 |
| 2017年 | ソフトバンク | 育成選手として入団 |
| 2018年 | ソフトバンク | ファームで経験を積む |
| 2019年 | ソフトバンク | 育成3年目を終え、再契約を保留 |
| 2019年11月 | ヤクルト | 支配下契約での移籍が決定 |
| 2020年 | ヤクルト | 一軍44試合に登板、防御率5.82 |
| 2020年12月 | ヤクルト | 背番号90から53に変更 |
| 2021年 | ヤクルト | 一軍4試合に登板 |
| 2022年 | ヤクルト | 一軍登板なし |
| 2023年 | ヤクルト | 一軍1試合に登板 |
| 2024年 | ヤクルト | 一軍19試合に登板 |
| 2025年 | ヤクルト | 一軍4試合に登板 |
| 2026年9月29日 | ヤクルト | 戦力外通告 |
| 2026年10月6日 | ヤクルト | 今季限りでの現役引退を表明 |
2017年から2026年まで、プロとして10年間を過ごしたことが分かります。育成から支配下への移籍、一軍での活躍、そして引退まで、複数の転換点があったキャリアでした。
【2026年最新成績】通算73試合、防御率6.09の記録を検証
長谷川宙輝のプロ野球人生を振り返るうえで、成績の推移は欠かせません。
特に2020年の44試合登板と、その後の登板数の変化には注目する必要があります。
年度別の一軍成績NPBの年度別記録やスポーツナビの投手成績を基にすると、長谷川の一軍成績は次のようになります。
| 年度 | 登板数 | 勝敗 | ホールド | 防御率 |
|---|---|---|---|---|
| 2020年 | 44 | 1勝2敗 | 7 | 5.82 |
| 2021年 | 4 | 1勝0敗 | 0 | 10.80 |
| 2022年 | 0 | ― | 0 | ― |
| 2023年 | 1 | 0勝0敗 | 0 | 13.50 |
| 2024年 | 19 | 1勝0敗 | 2 | 4.71 |
| 2025年 | 4 | 0勝0敗 | 0 | 3.86 |
| 2026年 | 1 | 0勝0敗 | 0 | 27.00 |
| 通算 | 73 | 3勝2敗 | 9 | 6.09 |
出典:NPB年度別成績、スポーツナビ。Hはホールド。2026年はシーズン終了時点。
2020年の44試合登板はキャリア最大の実績長谷川の一軍キャリアで、最も目立つ数字が2020年の44試合登板です。
この年は43回1/3を投げ、45奪三振、1勝2敗、7ホールド、防御率5.82を記録しました。
防御率だけを見ると決して圧倒的な数字ではありません。しかし、44試合という登板数は、ブルペンで一定の役割を担っていたことを示しています。
特に、左投手という特徴は、試合終盤の継投や相手打線との相性を考えるうえで、チームにとって選択肢の一つになります。
育成出身の投手が移籍初年度から一軍44試合に登板したことは、長谷川のプロ野球人生を象徴する実績です。
2024年には19試合に登板して復調の兆し2021年は4試合、2022年は一軍登板なし、2023年も1試合にとどまりました。
一方、2024年には19試合に登板し、1勝、防御率4.71を記録しています。
2020年の登板数には及ばなかったものの、一軍のマウンドに再び立つ機会を増やしたシーズンでした。
2025年も一軍4試合、防御率3.86を記録。登板数は少ないものの、防御率は前年より改善しています。
ただし、登板機会を継続的に確保することと、限られた登板で良い数字を残すことは別の評価軸です。リリーフ投手には、年間を通じて安定して起用できる状態を維持することも求められます。
2026年の成績は一軍1試合、防御率27.00長谷川にとって最後のシーズンとなった2026年は、一軍登板が1試合のみでした。
投球回は1イニング、被安打2、被本塁打1、与四球2、自責点3。防御率は27.00です。
もちろん、わずか1試合の数字だけで投手としての能力を評価することはできません。
しかし、2020年に44試合を任された投手が、2026年には一軍で1試合しか登板できなかったという変化は、起用状況の大きな違いを示しています。
なお、通算成績は73試合、75回1/3、72奪三振、3勝2敗、9ホールド、防御率6.09です。
【2026年9月に戦力外通告】10月6日の引退表明と決断の理由
2026年の長谷川を取り巻く状況が大きく変わったのは、シーズン終盤でした。
9月29日にヤクルトから戦力外通告2026年9月29日、東京ヤクルトスワローズは複数選手への戦力外通告を行いました。
長谷川もその対象に含まれており、翌シーズンの契約を結ばないことが伝えられています。
この通告は、長谷川にとってヤクルトでの選手生活を終えることを意味する大きな出来事でした。
2020年には44試合に登板し、背番号53を背負うまでになった投手が、最後のシーズンには一軍1試合の登板にとどまったことも背景にあります。
10月6日に自身のインスタグラムで現役引退を発表戦力外通告から約1週間後の2026年10月6日、長谷川は自身のインスタグラムを更新し、今季限りでの現役引退を表明しました。
日刊スポーツの報道によると、投稿ではプロ野球選手として10年間プレーできたことへの驚きや、周囲への感謝をつづっています。
特に印象的なのは、聖徳学園高校からプロ入りした当時を振り返った部分です。
「まさか10年間もプロ野球選手としてプレーできるとは、18歳の頃の自分には想像もできませんでした」
また、毎日の不安や苦しみについても触れながら、チームメイトと過ごす時間が何より楽しかったと振り返りました。
コーチ、トレーナー、スタッフ、そして陰で支えた人々への感謝も示しています。
引退理由はヤクルトへの愛着と、自分自身で決めていた区切り長谷川の引退理由を理解するうえで、最も重要なのが本人の説明です。
日刊スポーツが伝えたインスタグラムの投稿には、次の趣旨の言葉が記されています。
「以前から、自分の中では『ヤクルトスワローズで戦力外になったら、ここで野球を終えよう』と決めていました」
この言葉から分かるのは、今回の引退が単に戦力外通告を受けたことだけで決まったものではないという点です。
本人は以前から、ヤクルトで戦力外になった場合には現役生活を終えるという考えを持っていました。
もちろん、他球団で現役を続ける可能性についても最後まで悩んだと説明しています。
それでも、最終的にはヤクルトへの愛着を優先しました。
本人は、スワローズに所属する人々が本当に好きだという気持ちも明かしています。
つまり、引退の背景には次の3つの要素がありました。
1. 以前から決めていた区切り: ヤクルトで戦力外になった場合は現役を終えるという本人の考え。
2. 現役続行への葛藤: 他球団などでプレーを続けられる可能性にも最後まで賭けたこと。
3. ヤクルトへの愛着: 自分を支えてくれた球団や仲間への強い思い。
戦力外通告を受けた選手が、必ずしも引退を選ぶわけではありません。他球団への移籍やトライアウトを通じて現役続行を目指す道もあります。
その中で長谷川は、自分がプロ野球人生を始めた球団ではなく、最後に長く所属したヤクルトを区切りの場所に選びました。
これは本人が明確に語った引退理由であり、単純な成績不振だけでは説明できない決断です。
【プロの結論】長谷川宙輝の10年間が示した育成出身投手の可能性
長谷川宙輝のキャリアを振り返ると、注目すべきなのは、育成選手から一軍44試合登板を実現したことだけではありません。
もう一つ重要なのは、移籍によってキャリアの可能性を広げた点です。
ソフトバンクでは育成選手として3年間を過ごし、支配下登録を目指しました。しかし、2019年にヤクルトから支配下契約の機会を得ると、新しい環境に挑戦する道を選びました。
その決断が、翌2020年の一軍44試合登板につながっています。
育成選手にとって球団移籍はキャリアを変える選択肢プロ野球では、育成選手が所属球団で支配下登録を勝ち取ることが一つの目標になります。
ただし、球団によって選手層やポジションごとの競争環境は異なります。
同じ能力を持つ投手でも、所属球団の投手陣の構成や起用方針によって、一軍での出場機会は変わります。
長谷川のケースでは、ソフトバンクで育成選手として過ごした後、ヤクルトから支配下契約の機会を得ました。
この移籍は、育成選手にとって環境を変えることがキャリア形成の選択肢になり得ることを示しています。
44試合登板という数字の意味2020年の44試合登板は、長谷川の実績を語る際に欠かせません。
リリーフ投手は、先発投手と異なり、試合展開に応じて短いイニングを任されることが多くあります。
登板数は、監督やコーチがシーズン中にどの程度起用したかを示す一つの指標です。
もちろん、登板数だけで投手の実力を判断することはできません。防御率、奪三振、与四球、ホールドなども合わせて見る必要があります。
長谷川の場合、2020年に44試合、45奪三振、7ホールドを記録した一方、通算防御率は6.09でした。
この数字の組み合わせからは、一軍の戦力として起用された経験と、長期的に安定した成績を残す難しさの両方が見えてきます。
引退は失敗ではなく、自分で選んだキャリアの終着点プロ野球では、戦力外通告が選手のキャリアを大きく左右します。
しかし、戦力外通告を受けたことと、それまでの選手生活の価値は別の問題です。
長谷川は育成選手から支配下選手になり、一軍で複数シーズンにわたって登板しました。
2020年の44試合登板は、その努力が実績として表れたシーズンです。
そして最後は、ヤクルトへの愛着と、自分の中で決めていた区切りを大切にして現役引退を選びました。
10年間というプロ生活は、本人が語ったように、18歳の頃には想像していなかった時間だったの可能性があります。
【長谷川宙輝の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:長谷川宙輝の読み方は?
A1:長谷川宙輝は「はせがわ・ひろき」と読みます。1998年8月23日生まれ、東京都出身の左投左打の元プロ野球投手です。
Q2:長谷川宙輝は2026年現在、何をしている?
A2:2026年10月6日に今季限りでの現役引退を表明しました。プロ野球選手としての10年間に区切りをつけています。引退後の具体的な活動については、今回確認できた報道では公表されていません。
Q3:長谷川宙輝はなぜ戦力外になった?
A3:2026年は一軍登板が1試合にとどまり、9月29日にヤクルトから戦力外通告を受けました。球団による個別の詳しい評価理由は公表情報からは特定できません。
Q4:長谷川宙輝の2020年の成績は?
A4:ヤクルト移籍1年目の2020年は、一軍44試合に登板。1勝2敗、7ホールド、43回1/3、45奪三振、防御率5.82を記録しました。
Q5:長谷川宙輝の通算成績は?
A5:2026年シーズン終了時点で、一軍通算73試合、3勝2敗、9ホールド、72奪三振、75回1/3、防御率6.09です。
Q6:長谷川宙輝の背番号53にはどんな意味がある?
A6:ヤクルト移籍1年目の2020年は背番号90でしたが、同年12月に53へ変更されました。53はヤクルトで活躍した五十嵐亮太さんが着用していた番号でもあります。
Q7:長谷川宙輝の引退理由は成績不振だけ?
A7:本人の説明では、以前からヤクルトで戦力外になった場合には現役を終えると決めていました。他球団などで現役を続ける可能性にも悩みましたが、最終的にはヤクルトへの愛着を理由に引退を決断しています。
長谷川宙輝は、聖徳学園高校から2016年育成ドラフト2位でソフトバンクに入団し、育成選手として3年間を過ごしました。
その後、2019年にヤクルトへ支配下選手として移籍。2020年には一軍44試合に登板し、プロ野球選手としての存在感を示しました。
背番号53を背負い、2024年にも19試合に登板するなど、複数のシーズンで一軍のマウンドを経験しています。
しかし、2026年は一軍登板が1試合にとどまり、9月29日に戦力外通告を受けました。そして10月6日、本人が現役引退を表明しました。
引退の決め手となったのは、ヤクルトで戦力外になったら現役を終えるという以前からの考えと、球団への強い愛着でした。
長谷川宙輝のプロ野球人生は、育成から支配下への挑戦、一軍44試合登板という実績、そして自分自身で選んだ引退という10年間の歩みでした。
通算73試合という数字だけでは、その過程にあった努力や葛藤、支えてくれた人々への思いまでは分かりません。2026年にユニフォームを脱いだ長谷川のキャリアは、育成選手からプロの世界で10年間戦い抜いた一つの軌跡として記憶されるでしょう。
主な情報確認資料:東京ヤクルトスワローズ公式選手プロフィール・背番号変更発表、日本野球機構(NPB)年度別成績、スポーツナビ、日刊スポーツ(2017年・2019年・2026年の報道)。