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2026年11月現在、漫才師・今くるよさんは、2024年5月27日に膵がんのため亡くなっています。所属事務所の吉本興業が翌28日に訃報を発表し、本名が酒井スエ子(さかい・すえこ)さんであることも公表しました。報道では76歳で亡くなったと伝えられていますが、吉本興業の公式発表では年齢は非公表とされています。
今くるよさんといえば、相方の今いくよさんと組んだ女性漫才コンビ「今いくよ・くるよ」で知られ、1980年代の漫才ブームを代表する存在でした。おなかをポンとたたきながら発する「どやさ!」のギャグ、華やかな衣装、息の合った掛け合いは、世代を超えて親しまれています。
二人の出会いとコンビ結成の経緯、漫才師としての芸歴、上方漫才大賞や花王名人大賞などの受賞歴、そして2022年4月の最後の舞台まで。吉本興業の公式発表や大阪府立上方演芸資料館などの記録をもとに、2026年現在の情報を整理します。
【今くるよの現在】2024年5月27日に死去、膵がんが死因だった

今くるよさんは、2024年5月27日(月)、大阪市内の病院で亡くなりました。
所属する吉本興業は2024年5月28日、公式サイトで訃報を発表。死因については膵癌(すいがん)と説明しています。
発表された内容では、葬儀は近親者を中心に執り行う予定とされ、喪主や自宅住所などは非公表でした。
今くるよの本名は酒井スエ子吉本興業の公式発表によると、今くるよさんの本名は酒井スエ子(さかい・すえこ)です。
京都市出身で、1970年に今喜多代さんに弟子入り。その後、高校時代からの友人だった今いくよさんとコンビを組み、漫才師として活動しました。
芸名の「今くるよ」と本名の酒井スエ子は、別の名前として区別されています。
今くるよの享年は76歳?公式発表との違い今くるよさんの享年については、各報道機関が76歳と伝えています。
一方、吉本興業の2024年5月28日付の訃報には「年齢非公表」と記されています。
したがって、情報を整理すると次のとおりです。
- 本名:酒井スエ子
- 出身地:京都府京都市
- 亡くなった日:2024年5月27日
- 死因:膵がん
- 享年:報道では76歳
- 所属事務所:吉本興業
享年76歳という情報は報道に基づくものであり、所属事務所が公式発表で年齢を明らかにしたわけではありません。
2026年現在の活動状況2026年11月現在、今くるよさんはすでに逝去されており、芸能活動を行っていません。
現在確認できる主な功績としては、2023年の第26回上方演芸の殿堂入りがあります。
大阪府立上方演芸資料館では、今いくよ・くるよの功績が殿堂入り名人として紹介されています。亡くなった後も、関西のお笑い文化を語るうえで欠かせない漫才師として記録されています。
【今いくよ・くるよ】二人の出会いとコンビ結成の経緯
今くるよさんの芸人人生を語るうえで欠かせないのが、長年にわたり漫才の相方を務めた今いくよさんです。
二人は単なる仕事上のコンビではありませんでした。高校時代からの同級生であり、同じソフトボール部で活動していた間柄です。
高校時代から続く二人の関係二人が出会ったのは京都市内の高校時代です。
大阪府立上方演芸資料館の紹介によると、二人はソフトボール部のチームメイトでした。
当時の役割は、今いくよさんがピッチャー、今くるよさんがマネージャー。学生時代から親しい関係を築いていました。
卒業後、二人はそれぞれ会社員として働いていましたが、漫才の世界に進むきっかけとなったのがオーディションです。
共にOLとして働いていた時期にオーディションを受けたことが、漫才師への道につながりました。
1970年の弟子入りから漫才コンビへ1970年、二人は女性漫才師の今喜多代さんらのもとで修業を始めました。
吉本興業の発表では、今くるよさんは1970年に今喜多代さんに弟子入りし、その後、今いくよさんとコンビを結成したと説明されています。
コンビの結成年については、資料によって1970年と1973年の記載があります。ORICON NEWSは1973年の結成と紹介しています。
いずれの記録からも、1970年の弟子入りが二人の芸人人生の出発点だったことが分かります。
1980年のテレビ出演が全国的なブレイクにつながった大阪府立上方演芸資料館によると、コンビ結成から約10年が経過した1980年5月、二人は初めて民放テレビ番組に出演しました。
その際、番組出演にあたって「これでウケなかったら最後」と告げられたというエピソードが残されています。
しかし、二人の漫才は見事に観客の笑いを獲得。出演後は番組への出演依頼が相次ぎ、全国的な知名度を獲得していきました。
この転機は、長年の舞台経験によって磨かれた二人の掛け合いが、テレビという新しいメディアを通じて広く伝わった出来事でもありました。
【今くるよの芸歴・経歴】漫才ブームから受賞歴までを年表で整理
今くるよさんの芸歴は、1970年の弟子入りから2022年の最後の舞台まで、半世紀以上にわたります。
特に1980年代は、今いくよさんとのコンビが全国的な人気を集めた時代です。
今くるよ・今いくよの主要な経歴| 年代 | 出来事 | 主な内容・実績 |
|---|---|---|
| 高校時代 | 二人の出会い | 同級生でソフトボール部のチームメイト |
| 1970年 | 師匠に弟子入り | 今喜多代さんらのもとで漫才を修業 |
| 1970年代 | コンビとして活動 | 女性漫才コンビとして舞台経験を積む |
| 1980年 | テレビ出演で注目 | 民放テレビ出演をきっかけに全国区へ |
| 1981年 | 上方お笑い大賞 | 金賞を受賞 |
| 1982年 | 花王名人大賞 | 最優秀新人賞を受賞 |
| 1984年 | 上方漫才大賞 | 大賞を受賞 |
| 1980年代 | 漫才ブーム | テレビ・舞台などで幅広く活躍 |
| 1986年 | 上方お笑い大賞 | 大賞を受賞 |
| 2015年 | 今いくよさん逝去 | くるよさんは以後もピン芸人として活動 |
| 2022年4月 | 最後の舞台 | 創業110周年特別公演「伝説の一日」 |
| 2023年 | 上方演芸の殿堂入り | 第26回の殿堂入り |
| 2024年5月27日 | 今くるよさん逝去 | 膵がんのため死去 |
※受賞年は吉本興業、大阪市、上方演芸資料館などの公表記録に基づきます。
上方漫才大賞・花王名人大賞の受賞歴今いくよ・くるよの受賞歴で特に知られているのが、上方漫才大賞と花王名人大賞です。
吉本興業の訃報発表では、次の受賞歴が紹介されています。
主な受賞実績
- 1981年:上方お笑い大賞・金賞
- 1982年:花王名人大賞・最優秀新人賞
- 1984年:上方漫才大賞・大賞
大阪市の「咲くやこの花賞」の公式記録にも、二人の受賞歴が掲載されています。1986年には上方お笑い大賞の大賞も受賞しました。
こうした受賞歴は、一時的なテレビ人気だけではなく、舞台芸としての漫才が高く評価されていたことを示しています。
第26回上方演芸の殿堂入りは2023年今いくよ・くるよは、2023年に第26回上方演芸の殿堂入りを果たしました。
これは大阪府立上方演芸資料館が、上方演芸の発展に貢献し、広く親しまれた演芸人を顕彰する制度です。
二人の受賞は、関西のお笑い文化に残した功績が、長い時間を経ても評価され続けていることを示すものです。
【どやさ!の誕生】今くるよのギャグと漫才スタイルが愛された理由
今くるよさんの代名詞として知られるのが「どやさ!」というギャグです。
おなかをポンとたたく仕草や、両手を顔の前で交互に前後させる独特の動きとともに、強い印象を残しました。
「どやさ!」はなぜ人気になったのか今くるよさんの漫才は、二人の見た目やファッションの違いを笑いに変えるスタイルが特徴でした。
細身で濃いメークにつけまつげが印象的な今いくよさん。一方、ふくよかな体型と華やかな衣装が特徴的な今くるよさん。
二人は互いの容姿やファッションを題材にしながら、軽快な掛け合いを展開しました。
そのなかで生まれたのが、くるよさんの「どやさ!」です。
このギャグは、言葉だけで成立するものではありません。おなかをたたく動作や表情、声の勢いが組み合わさることで、観客に強い印象を残しました。
吉本興業の訃報でも、おなかをポンとたたく仕草と「どやさ」という言葉が、くるよさんを慕う後輩芸人たちにも受け継がれたことが紹介されています。
女性漫才師の先駆者としての存在感1980年代の漫才界は、男性コンビが大きな存在感を示していた時代でした。
そのなかで、今いくよ・くるよは女性二人による本格的な漫才コンビとして独自の地位を築きました。
恋愛や結婚願望、美容、流行のファッションなど、女性の日常にも身近な話題を漫才に取り入れたことも特徴です。
単に女性芸人として注目されたのではなく、二人の個性を漫才の構造そのものに組み込み、観客が理解しやすい笑いへと変えていった点に強みがありました。
華やかな衣装や身体を使ったギャグも、舞台上での存在感を高める重要な要素でした。
後輩芸人から慕われた人柄吉本興業の発表では、くるよさんが後輩芸人に舞台衣装の靴やスーツをプレゼントしたり、食事をごちそうしたりしていたことも紹介されています。
テレビで見せる明るく豪快なキャラクターだけでなく、後輩を気遣う先輩としての一面も持っていました。
「どやさ!」というギャグが後輩たちに親しまれ、受け継がれていった背景には、こうした人柄もあったと考えられます。
【今いくよとの別れと最後の舞台】2022年の「伝説の一日」
今くるよさんの芸人人生を振り返るうえで、相方の今いくよさんとの別れ、そして最後の舞台は重要な節目です。
2015年、相方の今いくよさんが逝去今いくよさんは2015年5月28日、胃がんのため亡くなりました。
長年コンビを組んできた相方との別れは、くるよさんにとって大きな出来事でした。
ORICON NEWSによると、2015年8月に開かれた今いくよさんのお別れの会で、くるよさんは相方を振り返り、長年一緒に漫才を続けてきたことへの思いを語っています。
二人は約40年にわたり漫才の世界で活動してきました。
その後、くるよさんはピン芸人として舞台に立ち、中川家など後輩芸人との交流も続けていました。
2022年4月「伝説の一日」が最後の舞台今くるよさんの生前最後の舞台となったのは、2022年4月に大阪・なんばグランド花月で開催された吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」です。
この公演は、吉本興業の創業110周年を記念して4月2日と3日に開催された大規模な特別公演でした。
2019年5月以来、久しぶりにNGKの舞台に立ったくるよさんは、当時のORICON NEWSの取材で次のように話しています。
「感極まってます。ホンマに久しぶりやから。」
また、吉本興業の110周年についても喜びを表し、舞台に出演できたことへの思いを語りました。
この公演への出演が、吉本興業の公式発表で明らかにされた最後の舞台です。
2023年の殿堂入りが残した意味最後の舞台から約1年後の2023年、今いくよ・くるよは第26回上方演芸の殿堂入りを果たしました。
大阪府立上方演芸資料館の記録では、二人は第26回の殿堂入り名人として紹介されています。
この顕彰は、二人の漫才が当時の人気だけで評価されたのではなく、上方演芸の歴史に残る功績として認められたことを意味します。
2024年にくるよさんが亡くなった後も、二人のコンビ名は関西演芸史に残り続けています。
【プロの結論】今くるよが日本のお笑い界に残した功績
今くるよさんの功績を考えるとき、単に「どやさ!」で有名な漫才師だったという説明だけでは十分ではありません。
注目すべきなのは、二人の個性をそのまま漫才の武器に変えたことです。
今いくよさんと今くるよさんは、体型もファッションも異なる二人でした。その違いを隠すのではなく、舞台上で積極的に笑いへと変換しました。
加えて、恋愛や結婚、美容、流行といった生活に近い話題を取り上げ、幅広い世代が楽しめる漫才を確立しました。
今くるよの功績を理解する3つの視点1. 女性漫才師の可能性を広げたこと
男性中心の漫才界で、女性二人によるコンビとして全国的な人気を確立しました。受賞歴やテレビ出演は、その存在感を裏付けています。
2. キャラクターと話芸を融合させたこと
「どやさ!」は、言葉、動作、表情を組み合わせた芸でした。キャラクターそのものが笑いを生み出す、視覚的にも分かりやすい漫才の魅力を示しました。
3. 後輩に受け継がれる芸人文化を残したこと
舞台上の笑いだけでなく、後輩を支える姿勢も吉本興業の発表で伝えられています。長く芸能界で活動した先輩としての存在感も、功績の一部です。
今くるよさんの芸を振り返る際には、単独のギャグだけでなく、今いくよさんとの関係性、時代背景、舞台で培った表現力を合わせて見ることが大切です。
【今くるよに関するよくある質問(FAQ)】
Q1:今くるよさんはいつ亡くなりましたか?
A1:2024年5月27日です。大阪市内の病院で膵がんのため亡くなったことを、所属事務所の吉本興業が翌28日に発表しました。
Q2:今くるよさんの死因は何ですか?
A2:死因は膵がん(膵癌)です。吉本興業の公式訃報で公表されています。
Q3:今くるよさんの本名と享年は?
A3:本名は酒井スエ子(さかい・すえこ)さんです。亡くなった際の年齢は報道では76歳とされていますが、吉本興業の公式発表では年齢非公表です。
Q4:今いくよさんと今くるよさんはどのように出会ったのですか?
A4:高校時代の同級生で、同じソフトボール部のチームメイトでした。卒業後、二人ともOLとして働いていた時期にオーディションを受け、漫才師への道に進みました。
Q5:今くるよさんの代表的なギャグは何ですか?
A5:代表的なギャグは「どやさ!」です。おなかをポンとたたく仕草や、両手を顔の前で交互に動かす独特のポーズとともに知られています。
Q6:今くるよさんの最後の舞台はいつですか?
A6:2022年4月、なんばグランド花月で開催された吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」です。吉本興業の公式訃報で最後の舞台として紹介されています。
Q7:今いくよ・くるよは上方演芸の殿堂入りをしていますか?
A7:はい。2023年に第26回上方演芸の殿堂入りを果たしました。二人の上方演芸への貢献が評価されています。
今くるよさんは2024年5月27日、膵がんのため76歳と報道される年齢で亡くなりました。本名は酒井スエ子さん。高校時代の同級生だった今いくよさんとともに、長年にわたって女性漫才の世界を切り開いてきた人物です。
1970年の弟子入りから始まった芸人人生では、1980年代の漫才ブームで全国的な人気を獲得。1981年の上方お笑い大賞金賞、1982年の花王名人大賞最優秀新人賞、1984年の上方漫才大賞大賞など、数々の実績を残しました。
相方を亡くした後も舞台に立ち続け、2022年4月の「伝説の一日」が最後の舞台となりました。そして2023年には、今いくよさんとともに第26回上方演芸の殿堂入りを果たしています。
2026年現在、今くるよさん本人の新たな活動はありません。しかし、「どやさ!」というギャグ、今いくよさんとの絶妙な掛け合い、後輩を思いやる人柄は、今も二人の漫才を知る人々の記憶に残っています。
今くるよさんの歩みは、一人の人気芸人の生涯にとどまりません。女性漫才師が全国的に活躍する道を切り開き、上方演芸の魅力を広く伝えた歴史の一部です。今いくよさんと築いた笑いの世界は、これからも日本のお笑い文化の中で語り継がれていくでしょう。
主な事実確認資料
- 吉本興業「今くるよ 訃報のお知らせ」
- 大阪府立上方演芸資料館「今いくよ・くるよ」「上方演芸の殿堂入り」
- 大阪市「咲くやこの花賞」受賞者記録
- ORICON NEWS「今くるよさん、生前最後の舞台」「今くるよさん死去、相方いくよさんの訃報からちょうど9年」