1988年から1989年にかけて東京都足立区綾瀬周辺で発生した「女子高生コンクリート詰め殺人事件」。被害者は、当時17歳だった古田順子さんです。約40日間にわたる監禁と凄惨な暴行の末に命を奪われ、遺体をコンクリート詰めにして遺棄されたこの事件では、中心的な加害者4人が刑事裁判で実刑判決を受けました。2026年現在、注目されているのは、主犯格Aに対する懲役20年の判決だけではありません。準主犯格Bの出所後の再犯と孤独死、ほかの加害者の再逮捕や死亡など、長年ほとんど伝えられてこなかった事件後の経過です。
事件の裁判記録、東京高裁の判決、北海道放送(HBC)の独自取材、2025年から2026年にかけて公表された報道を照らし合わせると、4人の役割と刑罰、出所後の経過には、それぞれ異なる事実が確認できます。
【犯人は誰?】女子高生コンクリート詰め殺人事件の4人とそれぞれの役割

女子高生コンクリート詰め殺人事件で刑事裁判にかけられたのは、主犯格A、準主犯格B、C、Dと呼ばれる4人の少年です。
犯行当時の年齢はおおむね16歳から18歳。4人は東京都足立区内の同じ中学校の先輩・後輩で、事件当時は高校を中退するなどして、綾瀬周辺で非行グループを形成していました。
裁判記録では、それぞれの関与の仕方や集団内での立場が認定されています。
主犯格A:犯行を主導した中心人物Aは4人の中で最年長であり、事件の発端となった女子高校生の連れ去りを主導しました。
東京地裁の判決では、Aが被害者を連れ去るきっかけを作り、その後の監禁や暴行にも中心的な役割を果たしたことが認定されています。
東京高裁も、Aがグループ内で主導的な地位にあり、犯行全体に与えた影響が最も大きかったと判断しました。
最終的に言い渡された刑は、懲役20年です。
準主犯格B:グループ内でAに次ぐ立場Bは当時17歳で、Aに次ぐ立場にあった少年です。
東京高裁の判決では、Aの指示を受けるだけではなく、ほかの少年たちをまとめたり、犯行に積極的に加わったりしていたことが指摘されています。
一審では懲役5年以上10年以下の不定期刑となり、控訴審でもこの刑が維持されました。
出所後には別の監禁事件を起こし、再び実刑判決を受けています。
C:監禁場所となった自宅を提供した少年Cは当時16歳前後で、被害者が監禁されていた住宅の居室を提供した人物です。
単に自宅を提供しただけではなく、監禁中の暴行にも積極的に関与したことが裁判で認定されました。
東京地裁では懲役4年以上6年以下でしたが、東京高裁は刑を引き上げ、懲役5年以上9年以下としました。
出所後の2018年には、別の傷害事件で逮捕されたことが報じられています。
D:監視役などを担当した少年Dは当時17歳前後で、グループ内ではAやBに従属する立場でした。
しかし、裁判所は、監禁中の見張りや暴行への参加などを重く評価しています。
一審では懲役3年以上4年以下でしたが、控訴審では懲役5年以上7年以下に引き上げられました。
その後、1996年に出所したことがHBCの取材で明らかになっています。
なお、4人の実名や現在の個人情報を追うことと、刑事裁判で認定された役割を理解することは別の問題です。以下では、裁判記録や報道で使われるA〜Dの区分で整理します。
【事件の経緯】1988年から1989年まで何が起きたのか
事件の舞台となったのは、埼玉県三郷市から東京都足立区綾瀬、そして東京都江東区若洲へと続く地域です。
1988年11月25日夜、当時17歳の高校3年生だった古田順子さんは、アルバイト先から自転車で帰宅していました。
その帰り道でAとCに遭遇し、連れ去られます。
その後、足立区綾瀬にあったCの自宅に監禁され、A、B、C、Dらによる性的暴力や繰り返される暴行を受けました。
監禁は約40日間続きました。
事件発生から発覚までの時系列- 1988年11月25日: 古田順子さんが埼玉県三郷市内で連れ去られる。
- 1988年11月26日: 足立区綾瀬のC宅で監禁が始まる。
- 1988年12月: 性的暴力や暴行、食事を十分に与えない行為などが続く。
- 1989年1月4日: 古田順子さんが死亡する。
- 1989年1月: A、B、Cらが遺体をドラム缶に入れ、コンクリートで固めて遺棄する。
- 1989年3月29日: 東京都江東区若洲の埋め立て地で遺体が発見される。
- 1989年: 捜査が進み、中心的な加害者4人が刑事裁判に付される。
この事件が発覚するきっかけとなったのは、加害者側の別事件に関する捜査でした。
裁判資料によると、AとBは別の事件で逮捕され、少年鑑別所に収容されていました。その後の捜査で本件についての供述が得られ、事件の全容が明らかになっていきます。
被害者・古田順子さんの将来裁判記録に記された古田さんの生活は、事件の残酷さを考えるうえで重要です。
古田さんは高校3年生で、卒業後の就職も決まっていました。普通の高校生活を送り、社会人として新しい生活を始めるはずだった時期です。
裁判所は、被害者本人に何ら落ち度がなかったこと、長期間にわたり孤立無援の状態に置かれたこと、両親や親族が受けた苦痛についても判決理由の中で詳しく触れています。
この事件を単なる少年犯罪の一例として扱うことは、被害者が奪われた人生や遺族の苦しみを見落とすことにつながります。
【判決内容を比較】東京地裁の一審と東京高裁の控訴審で刑はどう変わった?
この事件の刑事裁判で大きな争点となったのが、4人それぞれの刑事責任と量刑でした。
1990年7月の東京地裁判決では、4人全員に実刑判決が言い渡されました。
しかし、その後、検察側が量刑不当を理由に控訴。1991年7月12日の東京高裁判決では、A、C、Dの3人について刑が引き上げられました。
4人の一審判決・控訴審判決一覧| 加害者 | 主な役割 | 東京地裁・一審 | 東京高裁・控訴審 |
|---|---|---|---|
| A | 主犯格・犯行を主導 | 懲役17年 | 懲役20年 |
| B | 準主犯格・集団内でAに次ぐ立場 | 懲役5年以上10年以下 | 同じ刑を維持 |
| C | 監禁場所の提供・暴行に加担 | 懲役4年以上6年以下 | 懲役5年以上9年以下 |
| D | 監視役など・暴行に加担 | 懲役3年以上4年以下 | 懲役5年以上7年以下 |
出典:東京地方裁判所平成元年(合わ)第72号判決、東京高等裁判所平成2年(う)第1058号判決。
なぜ主犯格Aは懲役20年になったのか東京高裁は、Aが犯行の発端を作り、長期間にわたる監禁や暴行を主導したことを重視しました。
加えて、事件の重大性、犯行の残虐性、遺族の処罰感情、社会に与えた影響などを総合的に判断しています。
その結果、一審の懲役17年では軽すぎるとして、懲役20年を言い渡しました。
当時の有期懲役刑の上限に相当する重い刑でした。
Bの刑が据え置かれた理由Bについては、東京高裁は一審判決の懲役5年以上10年以下を維持しました。
BはAの指示を受ける立場だった一方で、単なる従属的な参加者ではありませんでした。裁判所は、監禁や暴行などにおけるB自身の積極的な関与を認定しています。
CとDの刑も引き上げられたCについては、監禁場所を提供しただけでなく、監禁中の暴行にも積極的に参加したことが重視されました。
Dについても、監視役という立場だけでは責任を免れず、殺害に至る暴行に加わったことなどが評価されています。
控訴審後、Dは最高裁判所に上告しましたが、1992年7月に上告が退けられ、4人の刑が確定しました。
【少年法の適用理由】未成年だった4人が刑事裁判で実刑になったのはなぜ?
この事件について、現在も多くの人が疑問に感じるのが少年法の適用です。
「犯行当時は未成年だったから、軽い処分になったのではないか」という疑問です。
しかし、実際の裁判経過はそれほど単純ではありません。
少年法は更生を重視する制度少年法は、罪を犯した少年の健全な育成を目的とし、成人の刑事司法とは異なる手続きを定めています。
基本的には、少年事件は家庭裁判所に送られ、家庭環境や生育歴、本人の性格、非行の状況などを調査したうえで処分が判断されます。
処分には少年院送致や保護観察のほか、検察官送致、いわゆる逆送があります。
逆送された事件は、検察官によって起訴されれば、通常の刑事裁判で審理されます。
なぜ4人は刑事裁判にかけられたのかこの事件では、家庭裁判所が4人を刑事処分の対象と判断し、検察官に送致しました。
裁判所が重視したのは、単に少年だったという事情だけではありません。
- 約40日間にわたる監禁という犯行の重大性
- 被害者への継続的な暴行や性的虐待
- それぞれの加害者が果たした役割
- 被害者の死亡という重大な結果
- 加害者それぞれの過去の非行歴や生育環境
東京地裁の判決記録には、CやDの弁護側が教育的な保護処分を求めたことも記されています。
しかし裁判所は、犯行の重大性や各人の積極的な関与などを踏まえ、家庭裁判所に戻して保護処分とすることは適切ではないと判断しました。
現在の少年法と当時の少年法は同じではない2022年4月には改正少年法が施行され、18歳・19歳は「特定少年」と位置付けられました。
現在は、18歳・19歳について原則逆送対象事件が拡大され、逆送後の刑事裁判や実名報道の取り扱いにも特例が設けられています。
ただし、この改正を1988年の事件に遡って適用することはできません。
この事件は、当時の少年法の制度のもとで、家庭裁判所から刑事裁判へと進んだ事例です。
少年法が適用されたことと、刑事責任を問われなかったことは、まったく別の話です。
【加害者4人の現在】出所後の再犯報道と死亡した人物のその後
事件から数十年が経過した現在、4人のその後について重要な情報を伝えているのが、北海道放送(HBC)の独自取材です。
HBC報道部の山﨑裕侍記者は、2000年から2005年にかけて加害者や家族、関係者に取材し、裁判資料や捜査資料も調べてきました。
その後も関係者への取材を続け、2025年には準主犯格BとDの死亡について報じています。
A:2013年に振り込め詐欺容疑で逮捕、その後の消息は不明主犯格Aは、懲役20年の判決を受けて服役しました。
出所後は仕事に就いていたとされますが、2013年1月には、パチンコ必勝法に関する情報料金を名目に現金を振り込ませる振り込め詐欺の容疑で逮捕されたと報じられています。
ただし、重要なのはその後の処分です。
この事件については、本人が黙秘を続け、不起訴処分になったと報じられています。
したがって、詐欺事件で有罪判決を受けたと説明するのは正確ではありません。
2025年に公開されたノンフィクション関連の記事では、その後さらに改名したとの情報が紹介されているものの、現在の消息は分かっていないとされています。
B:2004年に再犯し、2022年に51歳で死亡準主犯格Bの出所後については、HBCが特に詳しく取材しています。
Bは1999年8月4日に刑務所を出所しました。
出所後はコンピューター関連の派遣仕事に就いたものの、数年で退職。その後、知人男性を監禁して負傷させる事件を起こしました。
2004年に逮捕され、最終的に懲役4年の実刑判決を受けています。
HBCの取材では、出所後のBが周囲の人間に対する疑念を強め、社会生活が不安定になっていった経緯も取り上げられています。
また、2004年の再犯について、犯罪精神医学の専門家が、長期の拘禁生活で生じた拘禁反応や被害妄想的な態度との関係を指摘しています。
そして2025年1月、HBCはBがすでに死亡していたことを明らかにしました。
死亡したのは2022年7月16日、51歳。自宅で孤独死していたことが、義兄への取材などから判明しました。
この報道は、事件の加害者の出所後を長期にわたって追跡した調査報道として大きな意味を持ちます。
C:2018年に殺人未遂容疑で逮捕、その後は傷害罪で有罪Cは、監禁場所となった自宅を提供した少年です。
1998年に出所したとされ、その後の生活については、ノンフィクション記事などで断片的に伝えられてきました。
大きく報じられたのが、2018年8月19日に埼玉県川口市で発生した事件です。
Cは当時45歳。路上で男性に暴行を加え、刃物で負傷させたとして殺人未遂容疑で逮捕されました。
ただし、裁判の結果を正確に理解する必要があります。
逮捕時の容疑は殺人未遂でしたが、その後は傷害罪で起訴されています。
2019年8月のFRIDAYデジタルの報道でも、さいたま地裁で傷害事件の公判が続いていたことが確認できます。
その後の判決は、懲役1年6か月、執行猶予3年でした。
したがって、殺人未遂罪で有罪判決を受けたという説明は誤りです。
2026年に公開された文春オンラインの記事でも、この2018年の事件が改めて取り上げられていますが、それ以降の現在の生活については、確かな公表情報が限られています。
D:1996年に出所、2021年に49歳で死亡Dは、監禁中の見張り役などを担当していた人物です。
HBCの独自取材によれば、Dは1996年に出所しました。
2000年の取材時には、東京都内のアパートで母親と生活していましたが、仕事に就かず、自室に閉じこもる生活を送っていたといいます。
その後、母親への再取材によって、Dが2021年5月に死亡していたことが判明しました。
死亡時の年齢は49歳でした。
HBCは、出所後の孤立した生活や、母親が抱えていた苦悩についても報じています。
4人の出所後を比較すると見えてくること| 加害者 | 出所後に確認された主な経過 | 2026年時点の確認状況 |
|---|---|---|
| A | 2013年に詐欺容疑で逮捕。不起訴 | 現在の消息は不明 |
| B | 2004年に監禁致傷事件。懲役4年 | 2022年7月に51歳で死亡 |
| C | 2018年に別事件で逮捕。傷害罪で有罪 | 2019年の判決以降の情報は限定的 |
| D | 1996年に出所。社会的に孤立した生活 | 2021年5月に49歳で死亡 |
ここで注意したいのは、逮捕と有罪判決を同じものとして扱わないことです。
Aは詐欺容疑で逮捕されましたが不起訴。BとCは別の事件で刑事責任を問われています。Dについては、HBCが死亡を報じています。
4人全員について、2026年現在の生活状況が詳細に判明しているわけではありません。
【2026年最新情報】HBC北海道放送の独自取材が明らかにした事件のその後
2025年から2026年にかけて、この事件が再び注目された大きな理由の一つが、HBC北海道放送による継続的な調査報道です。
特に2025年1月6日に配信された特集は、準主犯格Bの死亡を明らかにしたことで注目されました。
HBCは2000年から加害者本人や家族、関係者に取材を続けており、事件発生当時の裁判だけでは見えてこなかった社会復帰後の問題を掘り下げています。
HBC報道で明らかになった3つの重要な論点1.刑期を終えた後の更生は簡単ではない
Bのケースでは、出所後に仕事に就いた時期があった一方、職場での人間関係や生活上のトラブルを経て再犯に至りました。
HBCは、長期の拘禁生活が本人の心理状態に与える影響についても専門家の見解を紹介しています。
ただし、精神的な問題だけで犯罪を説明したり、責任を軽くしたりすることはできません。
2.加害者の家族も事件の影響を受け続けていた
HBCの取材では、BやDの家族が長期間にわたって抱えてきた苦悩も明らかになっています。
Dの母親は、息子の社会復帰が難しくなった後も、被害者への謝罪の気持ちを持ち続けていたと報じられました。
加害者の家族の苦しみと、被害者遺族の苦しみは別のものです。両者を混同せず、事件が長期にわたって周囲に及ぼした影響を考える必要があります。
3.服役後の社会復帰を支える制度の重要性
HBCの特集は、加害者のその後を紹介するだけでなく、刑務所での矯正教育や出所後の社会内処遇にも焦点を当てています。
刑罰を終えた後に社会とのつながりを失い、再び犯罪に至るケースをどう防ぐかは、刑事司法にとって重要な課題です。
事件現場となった足立区綾瀬と江東区若洲足立区綾瀬
古田順子さんが監禁されていたのは、足立区綾瀬にあったCの自宅です。
当時の住宅はすでに取り壊されており、現在の街並みと事件当時の状況は同じではありません。
江東区若洲
遺体が遺棄され、発見されたのは江東区若洲の埋め立て地でした。
HBCの記者は2025年の報道で、遺体発見現場の近くに供養のための菩薩像があり、現在も花束や飲み物を供える人がいると伝えています。
事件から数十年が経過しても、被害者を悼む人々の思いは残っています。
【プロの結論】事件を少年法の問題だけで終わらせてはいけない
この事件を振り返る際、議論が少年法の厳罰化だけに集中することがあります。
しかし、裁判記録を読むと、問題はそれだけではありません。
東京地裁は、少年たちの生育環境や集団内の力関係、心理的な未熟さなどを検討しました。一方、東京高裁は、それらの事情を考慮しても、犯行の重大性や個々の責任を軽視できないと判断しました。
この二つの判断には、少年司法が抱える難しい課題が表れています。
事件から考えるべき3つの視点- 刑事責任と更生は両立させる必要がある。 更生を目指すことは、被害者への責任を軽くすることではありません。
- 出所後の再犯防止にも目を向ける必要がある。 服役が終わった後の生活環境、精神的な支援、就労支援などは重要な課題です。
- 被害者と遺族の尊厳を忘れてはならない。 加害者の人生だけを追い続けると、事件の中心にいた被害者の存在が薄れてしまいます。
2026年現在、この事件を理解するために必要なのは、犯人の現在を興味本位で追いかけることだけではありません。
古田順子さんに何が起きたのか、裁判所が何を認定したのか、そして加害者の社会復帰後にどのような問題が生じたのか。この3つを切り離さずに考えることが大切です。
【女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人は何人ですか?
事件の中心的な加害者として刑事裁判にかけられたのは、主犯格A、準主犯格B、C、Dの4人です。事件に関わった少年はほかにもおり、HBCは関係者が計7人いたと報じています。
Q2:主犯格Aの判決は懲役何年ですか?
東京地裁の一審判決では懲役17年でしたが、1991年7月12日の東京高裁控訴審で懲役20年に引き上げられました。
Q3:準主犯格Bは現在どうなっていますか?
Bは2004年に出所後の別事件で逮捕され、懲役4年の実刑判決を受けました。その後、2022年7月16日に51歳で死亡していたことが、HBCの2025年の独自取材で明らかになりました。
Q4:加害者4人は全員出所していますか?
4人とも刑期を終えて出所したことが報道されています。ただし、現在も全員が存命というわけではありません。Bは2022年、Dは2021年に死亡しています。
Q5:Cは出所後に殺人未遂事件を起こしたのですか?
2018年に殺人未遂容疑で逮捕されましたが、その後は傷害罪で起訴され、2019年に懲役1年6か月、執行猶予3年の判決を受けています。殺人未遂罪で有罪になったわけではありません。
Q6:2026年現在、4人全員の居場所は分かっていますか?
いいえ。BとDの死亡は報道で確認されていますが、Aの現在の消息は不明で、Cについても2019年の判決以降の詳しい生活状況は公表情報が限られています。
女子高生コンクリート詰め殺人事件では、主犯格A、準主犯格B、C、Dの4人が刑事裁判で実刑判決を受けました。
東京高裁はAに懲役20年を言い渡し、CとDについても一審より刑を引き上げています。
出所後については、Bが再犯によって再び服役した後、2022年に51歳で死亡。Dも2021年に49歳で死亡しました。Aには詐欺容疑による逮捕と不起訴、Cには2018年の傷害事件に関する逮捕・有罪判決が報じられています。
2025年のHBC北海道放送による独自取材と、2026年に公開された関連報道によって、加害者4人のその後についても新たな情報が整理されました。
事件から長い年月が経過しても、古田順子さんが奪われた人生と遺族の苦しみが消えることはありません。
事件の記録を正しく残し、少年司法のあり方や再犯防止、被害者支援について考え続けることが、事件を風化させないために必要です。
主な参照資料:東京地方裁判所平成元年(合わ)第72号判決、東京高等裁判所平成2年(う)第1058号判決、法務省「少年法改正Q&A」、HBC北海道放送・山﨑裕侍記者による2025年の調査報道、FRIDAYデジタルの2019年公判報道、文春オンラインの2025~2026年関連記事。