マキノノゾミのプロフィール
- 職業:劇作家・脚本家・演出家・俳優
- 生年月日:1959年9月29日
- 出身地:静岡県
- 学歴:同志社大学
- 代表的な活動:劇団M.O.P.主宰
マキノノゾミさんは、舞台演劇を中心に活動してきた日本の劇作家です。戯曲の執筆だけでなく、舞台の演出やテレビドラマの脚本も手掛けています。
代表的な仕事には、NHK連続テレビ小説「まんてん」の脚本や、舞台作品「MOTHER」「東京原子核クラブ」などがあります。「MOTHER」では1994年に芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。「東京原子核クラブ」では1997年に読売文学賞を受賞しています。日本劇作家協会の戯曲デジタルアーカイブにも、その経歴と受賞歴が掲載されています。
キムラさんとの関係では、単なる芸能人夫婦という側面だけでなく、演劇を一緒に作ってきた仕事仲間という側面が大きな意味を持っています。
マキノさんが主宰した劇団M.O.P.では、キムラさんは看板女優として活躍しました。夫が作・演出を担当し、妻が舞台に立つという関係が長年続いていたのです。
2026年現在も、マキノさんの名前はキムラさんの演劇人生を語るうえで欠かせない存在です。
【馴れ初め】同志社大学での出会いと劇団M.O.P.での共演

2人の出会いは、京都での学生時代にさかのぼります。
ここで押さえておきたいのが、キムラ緑子さんは同志社大学ではなく、同志社女子大学の卒業生だという点です。一方、マキノノゾミさんは同志社大学の出身です。
同志社女子大学の公式紹介によると、キムラさんは在学中、同志社大学の演劇サークル「第三劇場」に入部しました。つまり、大学の所属先は異なりますが、演劇活動を通じて同じ場所に集まっていたことが出会いの背景にあります。
学生時代に始まった演劇との縁2025年12月10日放送の「徹子の部屋」で、キムラさんは学生時代の出会いを振り返っています。
大学に入ったときに友達に連れられて演劇を見に行ったときに、(マキノさんが)2年上の先輩としていた。
この出会いをきっかけに、2人は一緒に芝居を作るようになりました。キムラさんにとって演劇は、最初から職業として目指していたものではありません。友人に誘われて劇団を見に行ったことが、俳優人生の大きな転機になりました。
1984年、劇団M.O.P.の旗揚げ1984年、マキノさんを中心に劇団M.O.P.が旗揚げされました。キムラさんも旗揚げから参加し、劇団を代表する女優として活動します。
劇団M.O.P.は、つかこうへい作「熱海殺人事件」でスタートした劇団です。京都を拠点に活動しながら、独自の舞台作品を発表し続けました。
キムラさんは舞台俳優として経験を積み、マキノさんは劇作家・演出家として作品を生み出す。こうして2人は、恋愛関係だけでなく、創作活動を共有するパートナーになっていきました。
劇団M.O.P.は2010年9月の最終公演「さらば八月のうた」をもって解散しています。約26年間続いた劇団の歴史は、2人の人生にも深く刻まれたものです。
【結婚・離婚・再婚】キムラ緑子とマキノノゾミの関係を年表で整理
2人の関係を理解するには、最初の結婚から離婚、そして再婚までの流れを整理すると分かりやすくなります。
特に注意したいのが再婚時期です。過去の報道には2010年と2011年の両方が登場します。2026年8月30日公開の文春オンラインの記事では、2010年ごろに復縁し、2011年に正式に再婚したという経緯が整理されています。
2人の関係の年表
この年表から分かるのは、2005年の離婚が2人の関係の完全な終わりではなかったということです。
離婚後も劇団での仕事が続き、同じ作品を作る関係は維持されていました。夫婦という形をいったん手放しても、長年築いてきた信頼関係や演劇への共通の思いは残っていたのです。
【離婚理由の真相】2005年に別れたのはなぜ?
キムラ緑子さんとマキノノゾミさんが離婚した理由として、本人が語っているのが一緒にいる時間が長すぎたことと、自分一人の時間が欲しかったことです。
仕事でも家庭でも一緒だった2人2018年1月22日放送の「徹子の部屋」では、キムラさんが過去の結婚生活について説明しています。
当時は劇団M.O.P.で一緒に活動していたため、稽古場でも顔を合わせ、自宅に帰っても同じ時間を過ごしていました。
仕事と家庭の境界がほとんどなく、朝から晩まで一緒にいる生活だったのです。
キムラさんは、当時の自分には一人で過ごす時間が必要だったと振り返っています。マキノさんとの関係が嫌になったというより、近すぎる距離感に息苦しさを感じていたことが、離婚につながった背景として語られています。
子供がいなかったことも関係していた?2018年1月13日放送の関西テレビ「おかべろ」では、離婚について子供の存在にも言及しました。
キムラさんは「子はかすがい」という言葉に触れ、もし子供がいたら離婚していなかったと思う、という趣旨の話をしています。
この発言から、夫婦をつなぐ存在について当時どのように考えていたのかが伝わります。ただし、子供がいなかったことだけが離婚の原因だったわけではありません。本人が説明している中心的な理由は、生活と仕事の両方で距離が近すぎたことでした。
仕事のための上京も夫婦関係に影響した?キムラさんは35歳ごろ、東京での仕事をきっかけに上京を決断しています。
2026年8月の文春オンラインの記事によると、引っ越し先や日取りを決めた後でマキノさんに報告したという経緯も紹介されています。
このエピソードからは、キムラさんが俳優として自分の道を切り開こうとする行動力がうかがえます。一方で、劇団での共同作業と夫婦生活を同時に続けることには、難しさもあったようです。
つまり、2005年の離婚は、単純な不仲や一時的な感情だけで説明できるものではありません。仕事に情熱を注ぐ2人が、個人としての時間と夫婦としての距離をどう保つかという問題に直面していたと考えられます。
【再婚理由の真相】なぜ同じ相手ともう一度結婚した?
離婚した夫婦が、なぜ再び結婚することになったのでしょうか。
キムラさんは過去のテレビ番組で、この経緯を率直に語っています。重要なのは、離婚後もマキノさんとの演劇活動が途切れていなかったことです。
離婚後も劇団で一緒に芝居を作っていた2021年12月11日放送のカンテレ「モモコのOH!ソレ!み〜よ!」では、復縁の背景が紹介されました。
離婚後も劇団M.O.P.での関係は続き、同じ作品を作るために稽古場で長期間一緒に過ごしていました。キムラさんによれば、離れて暮らしていても、稽古で3か月ほど一緒になることがあったそうです。
加えて、マキノさんになついていた猫の存在も、番組ではユーモラスに振り返られています。
夫婦ではなくなっても、日常的に共有する仕事や思い出が残っていたことが分かります。
東日本大震災の時期に感じた心細さ再婚を決意した背景には、精神的につらい時期を一人で過ごすことへの心細さもありました。
2014年7月4日放送の「徹子の部屋」で、キムラさんは東日本大震災のあった2011年の暮れに、再び結婚したいとマキノさんに申し出た経緯を説明しています。
一人ではいられなくなり、もう一度結婚してほしいと頼んだところ、マキノさんは最初、今さら籍を入れる必要はないのではないかという反応だったそうです。それでもキムラさんは再婚を希望し、最終的に再び夫婦となりました。
2021年の番組では、精神的につらいときに、気軽に「どないしてるん」と声をかけられる相手がマキノさんだったという趣旨の説明もしています。
長年の付き合いがあり、仕事の価値観を共有し、離婚後も関係が続いていたからこそ、人生の難しい時期に頼れる相手として再認識したのでしょう。
2010年と2011年、再婚時期が異なるのはなぜ?検索すると、再婚した年が2010年と書かれている記事と、2011年と書かれている記事が見つかります。
これは、復縁した時期と正式に再婚した時期を分けて考えると整理できます。
- 2010年ごろ:離婚後の関係が再び近づき、復縁した時期。
- 2011年:東日本大震災の年に、キムラさんが改めて入籍を希望し、正式に再婚した時期。
2026年8月の文春オンラインも、復縁は2010年ごろ、正式な再婚は2011年と整理しています。2010年と2011年のどちらか一方だけを見て、報道が間違っていると判断する必要はありません。
【夫婦仲と2026年最新】現在もマキノノゾミと仲良く暮らしている?
2026年11月現在、キムラ緑子さんとマキノノゾミさんは再婚後の夫婦生活を続けています。
現在の夫婦仲を知るうえで特に重要なのが、2025年12月10日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」です。
2025年12月「徹子の部屋」で夫婦関係を告白番組では黒柳徹子さんから、一度離婚して同じ相手と再婚したことについて質問されました。
それに対してキムラさんは、マキノさんと現在も変わらず暮らしていると説明し、次のように話しました。
「もう3回やると世間に怒られちゃうので今は仲良く暮らしています」
この発言は、MANTANWEBが番組内容を報じた記事にも掲載されています。離婚と再婚を重ねた過去を笑いに変えながら、現在の夫婦関係について明るく話していたのが印象的です。
夫の好きなものは学生時代から変わらない同じ番組では、マキノさんの性格や趣味についても語っています。
キムラさんによると、マキノさんは学生時代からビートルズが好きで、ビートルズのTシャツを着たり、音楽を聴いたり、演奏したりすることを続けているそうです。
一方、自分は好きなものがどんどん変わるタイプだと話し、夫の変わらない好みを面白がっていました。
この話から伝わるのは、再婚後の2人が、それぞれの性格の違いも含めて付き合っているということです。学生時代から長く相手を知っているからこそ、変わらない部分を自然に受け止められるの可能性があります。
2026年も続くキムラ緑子の俳優活動キムラさんは2026年も舞台や映像作品で活動しています。
所属事務所シス・カンパニーの公式プロフィールには、2026年の出演作品として舞台「わが歌ブギウギ-笠置シヅ子物語-」や、リーディングドラマ「終わった人」などが掲載されています。
また、2026年の「VIVANT」シーズン2への出演情報も掲載されており、俳優としての活動は現在も続いています。
夫婦関係については、2025年12月の「徹子の部屋」での発言が、2026年11月時点で確認できる直近の具体的な公のコメントです。少なくとも本人の説明では、現在の夫婦仲は良好です。
【子供・家族構成】キムラ緑子とマキノノゾミに子供はいる?
キムラ緑子さんの家族について調べる人が気になるのが、子供の有無です。
2人の間に子供はいないとする報道があり、キムラさん自身も過去のテレビ番組で、子供がいた場合の夫婦関係について振り返っています。
子供を持たなかった理由は公表されている?2018年の「おかべろ」では、キムラさんが離婚を振り返る中で、子供がいたら離婚していなかったと思うという趣旨の話をしました。
ただし、これは子供を持たなかった理由を説明したものではありません。仕事を優先したから、あるいは夫婦間で子供について意見が異なっていたからなど、具体的な事情を本人が明らかにしたわけではありません。
そのため、家族構成については、夫婦2人を中心とした生活が公に伝えられているという理解が適切です。
また、キムラさんは2025年12月の「徹子の部屋」で、淡路島で暮らす両親についても語っています。母親は施設で生活し、父親は一人暮らしをしており、帰省時には母親も実家に戻って一緒に過ごすことが紹介されました。
こうした話からも、キムラさんにとって家族とのつながりは大切なものだと分かります。
【よくある質問】キムラ緑子の旦那に関するFAQ
Q1:キムラ緑子の旦那は誰ですか?
A1:劇作家・脚本家・演出家のマキノノゾミさんです。劇団M.O.P.の主宰者として知られ、キムラさんとは学生時代から演劇を通じて交流してきました。
Q2:キムラ緑子とマキノノゾミはいつ結婚しましたか?
A2:最初の結婚は1992年です。2005年に離婚し、2010年ごろに復縁、2011年に正式に再婚したと整理されています。
Q3:キムラ緑子が離婚した理由は何ですか?
A3:仕事でも家庭でも一緒に過ごす時間が長く、自分一人の時間が欲しくなったことを本人が説明しています。
Q4:キムラ緑子が再婚した理由は何ですか?
A4:離婚後も演劇を通じて交流が続き、精神的につらい時期に、気軽に頼れる相手がマキノさんだったと本人が振り返っています。
Q5:キムラ緑子とマキノノゾミの現在の夫婦仲は?
A5:2025年12月の「徹子の部屋」で、キムラさんは「今は仲良く暮らしています」と話しています。
Q6:キムラ緑子とマキノノゾミの間に子供はいますか?
A6:子供はいないと報じられています。本人は2018年の番組で、子供がいたら離婚していなかったと思うという趣旨の発言をしています。
Q7:キムラ緑子とマキノノゾミの出会いは同志社大学ですか?
A7:はい。キムラさんは同志社女子大学、マキノさんは同志社大学の出身です。キムラさんが同志社大学の演劇サークル「第三劇場」に参加したことが出会いにつながりました。
Q8:2026年現在、キムラ緑子は芸能活動を続けていますか?
A8:続けています。所属事務所の公式プロフィールには2026年の舞台出演などが掲載されています。
キムラ緑子さんの旦那は、劇作家・脚本家・演出家のマキノノゾミさんです。
2人は同志社の演劇活動を通じて出会い、1984年の劇団M.O.P.旗揚げ以降、長年にわたり一緒に舞台を作ってきました。1992年に結婚したものの、仕事と家庭の両方で一緒に過ごす時間が長くなり、2005年に離婚。その後も演劇を通じた関係は続き、2010年ごろの復縁を経て、2011年に再婚しました。
2人の歩みで興味深いのは、離婚によって仕事仲間としての信頼まで失ったわけではなかったことです。夫婦としては距離を置く必要があった一方、演劇を一緒に作る相手としては、お互いに欠かせない存在だったのでしょう。
2025年12月の「徹子の部屋」では、キムラさん本人が現在の生活について「今は仲良く暮らしています」と明かしています。
【プロの結論】 キムラ緑子さんとマキノノゾミさんの結婚・離婚・再婚から読み取れるのは、長く続く関係には、相手を大切にする気持ちだけでなく、お互いの距離感を見直すことも必要だという点です。2人にとって演劇は、離婚後も続いた共通の仕事であり、再び夫婦になるきっかけの一つでもありました。
一度別れたからこそ、相手の存在や一緒に過ごす意味を改めて考えることができたの可能性があります。2026年現在も、それぞれの仕事を続けながら暮らす2人の関係は、長い時間をかけて築かれたパートナーシップの一つとして注目されます。