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名古屋アベック殺人事件の犯人実名は誰か?6人の年齢・役割・判決・現在を徹底検証

倉持 玲奈 倉持 玲奈 • 更新: • 公開: • 読了約 18 分
目次

1988年2月、名古屋市の大高緑地公園で発生した「名古屋アベック殺人事件」。交際中だった19歳の野村昭善さんと20歳の末松須弥代さんが、男女6人の集団に襲われ、金品を奪われたうえ、連れ回されて殺害された凶悪事件である。

事件の犯人実名を調べると、主犯とされた少年K、成人の共犯者・高志健一、そしてほかの少年少女5人の名前に関する情報が入り交じっている。とりわけ、1989年の名古屋地裁判決と1996年の名古屋高裁判決では、犯行時の年齢や共謀への参加時期が量刑を左右した。2025年にもデイリー新潮が加害者6人のその後を取り上げている。

事件の全体像、6人の年齢と役割、実名報道の経緯、少年法61条との関係、そして2026年現在の情報を、当時の新聞報道、研究論文、公開判決文をもとに整理する。

【先に結論】名古屋アベック殺人事件の犯人実名と公表の経緯

名古屋アベック殺人事件犯人実名

最初に、実名について整理しておきたい。

当時の新聞報道で実名が確認できる人物の一人が、成人の被告人として起訴された高志健一である。1989年1月の朝日新聞報道では、当時21歳の暴力団員として名前が掲載されている。

一方、主犯格とされたのは、犯行時19歳6か月だった少年である。少年事件として扱われたため、当時の新聞報道や裁判資料では、実名ではなくアルファベットなどによる匿名表記が使われている。

ここで重要なのは、高志健一と主犯の少年Kは別の人物だという点だ。

高志は事件当時20歳を超えていた成人の共犯者であり、主犯とされた19歳の少年とは区別しなければならない。

また、インターネット上で見かける少年Kの実名情報や、後年の雑誌記事に掲載された人物名には、仮名が含まれる場合がある。2025年のデイリー新潮の記事でも、加害者の名前について仮名である旨が明記されている。

そのため、仮名を実名として扱うことはできない。公刊された裁判記録と当時の報道で確認できる範囲を区別する必要がある。

【事件の経緯】1988年2月23日、大高緑地で何が起きたのか

事件が起きたのは1988年2月23日未明。舞台となったのは、愛知県名古屋市緑区にある大高緑地公園だった。

被害者は、理容師として働いていた野村昭善さん(当時19歳)と、同じ理容店で見習いをしていた末松須弥代さん(当時20歳)。

2人は交際中で、双方の家族にも認められた関係だった。将来は理容の仕事を続けていくことを目指していた。

事件は大高緑地での襲撃だけにとどまらない。公開された名古屋高裁の判決文や犯罪社会学の研究論文によると、6人は事件前から名古屋市内のテレビ塔周辺などで顔を合わせていた。

犯行の流れは次のとおりである。

事件発生前からの強盗行為

6人は2月22日深夜から23日未明にかけて名古屋市内に集まり、停車中の車内にいる男女を狙った強盗を計画した。

最初に向かったのは名古屋港の金城ふ頭周辺だった。最初の襲撃は被害者が逃げて未遂に終わったが、その後、別の男女を襲い、金品を奪って負傷させている。

それでも犯行をやめず、次に向かった場所が大高緑地公園だった。

大高緑地で野村さんと末松さんが襲われる

2月23日午前4時30分ごろ、駐車場にいた野村さんと末松さんが6人に襲撃された。

2人は暴行を受け、金品を奪われた。さらに末松さんは性的被害にも遭った。

その後、犯行の発覚を恐れた加害者らは、2人を解放せずに連れ回した。

2月24日から25日にかけて2人が殺害される

2月24日未明、名古屋市内で被害者2人の殺害について話し合いが行われた。

同日、野村さんが愛知県長久手町で殺害された。

さらに翌25日午前3時ごろ、末松さんも三重県内の山林で殺害された。2人の遺体は埋められた。

この事件では、最初から殺人を目的としていたのではなく、金品目的の強盗と性的暴行の発覚を恐れたことから、犯罪がさらに深刻化した経緯が裁判で認定されている。

出典:名古屋高等裁判所1996年12月16日判決、鮎川潤「ある強盗殺人事件の研究」『犯罪社会学研究』第17号。

【犯人6人の年齢と役割】主犯と高志健一の関係を整理

事件に関与したのは、男性4人、女性2人の計6人だった。

犯行時の年齢は17歳から20歳。5人が少年少女で、1人が成人だった。

1992年に発表された犯罪社会学の研究論文では、判決文をもとに6人の年齢や生育歴、事件での役割が整理されている。

人物の区分 犯行時の年齢 事件での位置づけ 一審判決
成人の男性・高志健一 20歳1か月 成人の共犯者 懲役17年
主犯格の少年K 19歳6か月 犯行を主導した中心人物 死刑
男子少年 18歳10か月 共犯者。殺人の共謀にも参加 懲役13年
男子少年 17歳 殺害の実行にも関与 無期懲役
女子少年 17歳7か月 強盗など一連の犯行に参加 懲役5年以上10年以下
女子少年 17歳1か月 強盗など一連の犯行に参加 懲役5年以上10年以下

※少年少女5人の実名ではなく、研究論文・裁判記録に基づく年齢と区分を示している。

主犯とされた少年K

事件の中心人物とされたのが、犯行時19歳6か月だった少年Kである。

名古屋高裁の判決では、最初の強盗行為を提案し、その後も集団の動きを事実上主導した人物として認定されている。

被害者2人の連行や殺害にも中心的な役割を果たした。

1989年の名古屋地裁では死刑判決を受けたが、1996年の控訴審では無期懲役に変更された。

少年Kの実名については、当時の主要報道や公開判決文で確認できる形では扱われていない。後年の記事に登場する名前も仮名と実名を区別する必要がある。

高志健一被告

高志健一は、犯行時20歳1か月だった成人の共犯者である。

1989年当時の新聞報道では、暴力団員として実名が掲載されていた。

一審では懲役17年を言い渡されたが、控訴審で懲役13年に変更されている。

その理由は、野村さん殺害について共謀に加わったと認めるには合理的な疑いが残ると高裁が判断したためだ。

ただし、末松さんの殺害に関する共謀や死体遺棄など、残る犯罪についての責任まで否定されたわけではない。

残る3人の少年少女

残る3人の少年少女も、それぞれ異なる形で事件に関与した。

18歳10か月の男子は、殺人の共謀には参加したものの、殺害の実行行為には加わらなかったと判決で整理されている。

17歳の男子は主犯格の少年とともに殺害の実行を担った人物だった。

2人の少女も強盗や暴行などの犯行に関与し、事件の経過において重要な役割を果たした。

6人全員が同じ行動を取ったわけではない。誰がどの犯罪に関与し、どの時点で殺害の共謀に加わったかが、後の量刑判断を大きく左右した。

【判決理由を検証】1989年の死刑判決と1996年の無期懲役

この事件が刑事司法の歴史で注目される理由の一つが、少年だった主犯格に対する死刑判決と、その後の控訴審での変更である。

1989年6月28日:名古屋地裁の一審判決

名古屋地裁は6人全員を有罪とした。

判決の内訳は以下のとおり。

- 主犯格の少年K:死刑
- 17歳の男子少年:無期懲役
- 高志健一:懲役17年
- 18歳10か月の男子少年:懲役13年
- 女子少年2人:懲役5年以上10年以下の不定期刑

一審が重視したのは、犯行の悪質性、被害者2人の命が奪われた結果の重大性、被害者遺族の感情などだった。

また、被告人らが集団で行動し、互いに影響を与えながら犯罪をエスカレートさせた点も判断材料となった。

当時19歳だった主犯格に死刑が言い渡されたことは、少年犯罪に対する刑罰のあり方をめぐる大きな議論を呼んだ。

1996年12月16日:名古屋高裁の控訴審判決

控訴審判決では、一審の刑が変更された。

対象 一審 控訴審
主犯格の少年K 死刑 無期懲役
高志健一 懲役17年 懲役13年

この変更には、それぞれ異なる理由があった。

主犯格の少年Kについて

高裁は、事件の重大性や主犯としての責任を認めたうえで、犯行時の年齢、集団犯罪の性格、犯行後の反省、矯正可能性などを総合的に検討した。

とりわけ重要だったのは、殺人が当初から周到に準備された独立の計画ではなく、強盗事件を起点とする約45時間の一連の経過の中でエスカレートしたという認定である。

また、粗暴犯罪の前科前歴がないことや、控訴審の公判を通じて反省が深まったことも考慮された。

その結果、高裁は死刑ではなく、無期懲役によって長期にわたり罪を償わせる余地があると判断した。

高志健一について

高裁は、野村さん殺害の共謀に高志が参加したと認めるには合理的な疑いが残ると判断した。

一方、後から末松さんの殺害と遺体の遺棄に関する共謀に加わったことは認定されている。

こうした個別の関与状況を踏まえ、懲役17年から13年に変更された。

この判決は、単純に少年だったから刑が軽くなったというものではない。各被告人の行動、共謀の成立時期、事件への関与の程度を分けて検討した結果だった。

出典:名古屋高等裁判所平成元年(う)第262号判決、1996年12月16日。

【少年法61条と実名報道】なぜ少年Kは匿名で報道されたのか

犯人実名をめぐる問題を理解するには、少年法61条の存在が欠かせない。

少年法61条は、少年事件について、氏名、年齢、職業、住居、容貌などから本人を特定できる記事や写真を新聞紙その他の出版物に掲載することを禁止する規定である。

この規定の背景には、少年の更生と社会復帰を妨げないという考え方がある。

1988年当時の少年法

当時の少年法では、20歳未満が少年として扱われていた。

したがって、犯行時19歳だった主犯格の少年Kも、少年法の対象だった。

一方、20歳1か月だった高志健一は成人であり、少年法61条による少年の推知報道禁止の対象ではなかった。

これが、当時の新聞報道で高志の実名が確認できる一方、少年5人が匿名で扱われた背景の一つである。

少年法51条と17歳の被告人

もう一つ重要なのが少年法51条だ。

同条1項では、犯行時18歳未満の者に死刑を科すべき場合、無期刑にすることが定められている。

この事件では、犯行時17歳だった男子少年が該当した。

そのため、一審では死刑相当と判断されたものの、法律の規定により無期懲役となった。

一方、犯行時19歳だった主犯格の少年Kには、この年齢による死刑の制限は適用されなかった。

2022年の少年法改正で何が変わった?

2022年4月の改正少年法施行により、18歳と19歳は「特定少年」と位置づけられた。

18歳・19歳も引き続き少年法の対象だが、一定の重大事件について家庭裁判所から検察官に逆送され、起訴された場合には、実名などの推知報道禁止が解除される。

ただし、17歳以下の少年には、この特例は適用されない。

1988年の名古屋アベック殺人事件に現在の制度をそのまま当てはめることはできない。事件当時の法律と報道状況を基準に考える必要がある。

なお、2017年の愛知県弁護士会による少年事件の実名報道への声明は、2014年に発生した別の名古屋市内の事件に関するものだ。この声明を1988年の名古屋アベック殺人事件の実名公表の根拠として扱うのは誤りである。

【犯人の現在】無期懲役となった主犯と6人のその後

事件から約38年が経過した2026年現在、6人のその後にも関心が集まっている。

ただし、全員について現在の生活状況が公的に明らかになっているわけではない。

主犯格の少年Kのその後

主犯格の少年Kは、1996年の控訴審で無期懲役となった。

デイリー新潮が2021年に再掲載した2016年の取材記事では、岡山刑務所で服役する本人との面会の様子が紹介されている。

当時、事件から約28年が経過していたが、なお刑務所で服役していた。

ただし、これは2016年時点の情報であり、2026年現在の収監状況や仮釈放の有無を示すものではない。

ほかの5人のその後

2025年2月のデイリー新潮の記事では、2003年の「新潮45」に掲載された事件後の調査内容が紹介されている。

それによると、事件から15年後の2003年時点で、6人のうち4人が出所していたという。

また、同記事は遺族への損害賠償についても取り上げ、当時、請求された金額に対して支払いが十分に進んでいなかった状況を伝えている。

ただし、出所した4人のその後の生活や、2026年現在の所在については、最新の確かな情報として一括して確認できるわけではない。

過去の報道に登場する仮名や、ネット上で流通している個人情報を現在の本人の状況と結びつけることにも注意が必要だ。

【プロの結論】犯人実名を調べる際に見落としてはいけない3つの事実

名古屋アベック殺人事件の犯人実名をめぐる情報は、単純な名前の一覧だけでは正確に理解できない。

特に押さえておきたいのは次の3点だ。

1. 高志健一と主犯格の少年Kは別人

高志健一は成人の共犯者であり、主犯格とされた少年Kは19歳6か月だった。1989年の新聞報道では高志の実名が掲載されているが、少年Kは匿名で扱われていた。

2. 一審と控訴審では判決理由が異なる

1989年の死刑判決が1996年に無期懲役へ変更された背景には、少年の更生可能性だけでなく、事件の発生経緯、殺人の計画性、犯行後の反省など複数の事情があった。

3. 実名と仮名を混同しない

後年の雑誌記事では、取材対象者のプライバシーに配慮して仮名が使用されている。記事に名前が書かれているからといって、その名前が戸籍上の実名や当時の報道名と一致するとは限らない。

事件を正確に理解するためには、新聞報道、判決文、少年法の条文をそれぞれ別の資料として照合することが大切だ。

【名古屋アベック殺人事件犯人実名】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:名古屋アベック殺人事件の犯人6人の実名は全員公表されている?

A1:全員の実名が確認できる形で公表されているわけではない。1989年の新聞報道では成人の被告人・高志健一の実名が確認できる。一方、犯行時少年だった5人については、当時の報道や公開判決文では匿名表記が中心となっている。

Q2:名古屋アベック殺人事件の主犯は誰?

A2:主犯格とされたのは、犯行時19歳6か月の少年Kである。高志健一とは別人で、1989年に死刑判決を受けた後、1996年に無期懲役へ変更された。

Q3:なぜ主犯の死刑判決は無期懲役になった?

A3:名古屋高裁は、犯行の重大性を認めながらも、少年の精神的未成熟さ、集団犯罪の性格、殺人に至る経緯、反省の深まり、矯正可能性などを総合的に判断したためである。

Q4:高志健一被告はどのような判決を受けた?

A4:1989年の名古屋地裁では懲役17年を言い渡された。1996年の名古屋高裁では野村さん殺害の共謀について無罪とされ、懲役13年に変更された。

Q5:犯人6人は2026年現在どうしている?

A5:2003年時点で6人中4人が出所していたとの報道がある。また、主犯格の少年Kについては2016年の取材時点で岡山刑務所に収監されていた。2026年現在の全員の状況を確定できる公表情報はない。

Q6:少年法61条があっても18歳や19歳の実名報道は可能?

A6:2022年4月以降、18歳・19歳の特定少年については、逆送後に起訴された場合、推知報道禁止が解除される。ただし、17歳以下の少年にはこの特例は適用されない。

名古屋アベック殺人事件は、1988年2月23日から25日にかけて発生した、6人の男女による強盗殺人事件である。

犯人実名については、成人の共犯者だった高志健一の名前が当時の新聞報道で確認できる。一方、主犯格とされた少年Kを含む少年少女5人は、少年法との関係から匿名報道が中心だった。

裁判では1989年に主犯格へ死刑判決が下されたが、1996年の名古屋高裁で無期懲役へ変更された。高志健一についても懲役17年から13年へ変更されている。

2026年にこの事件を振り返る際に大切なのは、実名の公表状況と刑事責任の認定を混同しないことだ。

被害者2人の失われた未来、遺族が長年抱えてきた苦しみ、そして少年犯罪に対する司法の判断。それぞれを切り分けて理解することが、この事件の真相と裁判記録を読み解く出発点となる。

主な参考資料
- 名古屋高等裁判所「平成元年(う)第262号判決」1996年12月16日。
- 鮎川潤「ある強盗殺人事件の研究―『大高緑地アベック殺人事件』」『犯罪社会学研究』第17号、1992年。
- 1989年1月・6月の朝日新聞関連記事。
- 法務省「少年法改正Q&A」。
- デイリー新潮「名古屋アベック殺人」関連記事、2025年2月24日。

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テクノロジー分野を担当。一次情報(公式発表・公式サイト)と発表日を必ず確認し、推測は推測と明記する編集方針に従っています。

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