俳優の大森南朋さんの父親は、俳優であり前衛舞踏家としても知られる麿赤兒(まろあかじ)さんです。「麿赤兒」と書いて「まろあかじ」と読む、独特な名前が気になって検索した人も多いのと考えられます。
麿赤兒さんは本名を大森宏といい、舞踏集団「大駱駝艦(だいらくだかん)」を主宰してきた芸術家です。長男は映画監督の大森立嗣さん、次男は俳優の大森南朋さんという芸術一家でもあります。2025年7月のテレビ朝日系『徹子の部屋』では、大森南朋さんが父との幼少期のエピソードや、父の近況を語りました。さらに2026年も麿赤兒さんは舞台活動を続けています。
【結論】大森南朋の父親は誰?麿赤兒の読み方は「まろあかじ」

大森南朋さんの父親は、俳優・舞踏家として活躍する麿赤兒(まろあかじ)さんです。
「麿赤兒」は一般的な人名ではあまり見かけない漢字の組み合わせですが、芸名として長年使用されています。読み方は「まろあかじ」。姓と名を分ける場合は「麿(まろ)」「赤兒(あかじ)」です。
一方、本名は大森宏。大森南朋さんと同じ「大森」という姓であることからも、実の親子であることが分かります。平凡社の百科事典マイペディアでも、麿赤兒さんの本名は大森宏と紹介されています。
大森南朋さんは1972年2月19日生まれの俳優です。父親の麿赤兒さんは1943年2月23日生まれで、2026年11月現在83歳。親子でありながら、それぞれ異なる表現分野で独自のキャリアを築いてきました。
麿赤兒さんは、映画やテレビドラマで個性的な役を演じる俳優として知られる一方、日本の前衛舞踏を世界に広めた人物でもあります。単に有名俳優の父親というだけでは語り尽くせない芸術家です。
【プロフィール】麿赤兒の本名・芸名の由来とは?
本名は大森宏、芸名は麿赤兒麿赤兒さんの基本プロフィールを整理すると、次のとおりです。
- 芸名:麿赤兒(まろあかじ)
- 本名:大森宏
- 生年月日:1943年2月23日
- 出身:奈良県
- 職業:俳優・舞踏家・演出家
- 主宰団体:大駱駝艦
麿赤兒さんは早稲田大学文学部演劇科に進学しましたが、中退しています。その後、演劇活動を経て、俳優としての表現と舞踏の世界を深く追求するようになりました。
本名の大森宏と芸名の麿赤兒は、印象が大きく異なります。芸名には、舞台上で独特の存在感を放つ彼の芸術家としての個性が表れています。
麿赤兒という芸名の由来には複数の意味がある芸名の由来については、本人の自伝『完本 麿赤兒自伝 憂き世 戯れて候ふ』に触れた、作家・平松洋子さんの2025年のエッセイが参考になります。
同エッセイによれば、麿という文字には、奈良の三輪山の麓で育った少年時代に親しんだ柿本人麿の「麿」が関係しています。また、赤という文字には山部赤人の「赤」が結び付けられています。
加えて、本人はトイレで目にした痔の鮮血から名前を思いついたという、ユーモラスな説明もしているそうです。
このほかにも、大和国に伝わる妖怪「赤子」や、民草、嬰児などの意味を重ねた解釈が紹介されています。単純に一つの意味だけで決まった芸名ではなく、文学的な連想と本人らしい遊び心が折り重なった名前なのです。
名前の由来を知ると、麿赤兒という芸名そのものが、既存の枠に収まらない彼の表現スタイルを象徴しているようにも感じられます。
(参考:Bunkamura「作家・平松洋子が語る 麿 赤兒」2025年10月30日掲載)
【経歴・年表】麿赤兒は俳優であり前衛舞踏家!大駱駝艦を設立
麿赤兒さんのキャリアを理解するうえで欠かせないのが、1960年代のアングラ演劇と、1970年代に本格化した前衛舞踏です。
一般的な俳優としての活動だけでなく、身体表現そのものを芸術に昇華させてきたことが、彼の大きな特徴です。
唐十郎との出会いと状況劇場への参加1960年代半ば、麿赤兒さんは劇作家・演出家の唐十郎さんが率いる「状況劇場」に参加しました。同時期に舞踏家の土方巽さんに師事し、演劇と舞踏の両方から身体表現を追究していきます。
状況劇場は、当時の既成演劇の枠組みに挑戦したアングラ演劇を代表する存在です。麿赤兒さんは、強烈な肉体表現や独特の演技によって存在感を発揮しました。
1972年に大駱駝艦を旗揚げ大きな転換点となったのが、1972年の舞踏集団「大駱駝艦」の設立です。
大駱駝艦の読み方は「だいらくだかん」。麿赤兒さんが主宰し、演劇と舞踏を融合させた独自の舞台表現を展開してきました。
その表現様式は「天賦典式(てんぷてんしき)」と呼ばれます。鍛え上げられた身体、独特の化粧、衣装、大規模な舞台演出などを組み合わせ、観客の予想を超える舞台を生み出してきました。
1982年にはアメリカン・ダンス・フェスティバルで海外デビューを果たし、その後も海外公演を重ねています。「BUTOH」という日本発の舞踏表現が世界的に知られるようになった背景にも、麿赤兒さんと大駱駝艦の活動があります。
麿赤兒の経歴・活動年表| 時期 | 主な出来事 | 活動上の意味 |
|---|---|---|
| 1943年 | 奈良県に生まれる | 後の舞踏家・俳優としての出発点 |
| 1960年代 | 状況劇場に参加、土方巽に師事 | アングラ演劇と前衛舞踏に取り組む |
| 1972年 | 大駱駝艦を旗揚げ | 独自の舞踏表現を本格的に展開 |
| 1982年 | アメリカン・ダンス・フェスティバルで海外デビュー | 海外での舞踏活動を拡大 |
| 2006年 | 文化庁長官表彰 | 舞台芸術分野での功績が評価される |
| 2025年 | 大森南朋が『徹子の部屋』で父の近況を紹介 | 現在も舞踏活動を続けていることが話題に |
| 2026年 | 日仏共同舞台『Alter Ego』に出演 | 83歳でも舞踏家として活動 |
この経歴から分かるのは、麿赤兒さんが俳優業と舞踏家としての活動を並行して続けてきたことです。
映画やテレビでは強烈な個性を持つ俳優として、舞台では身体表現を追究する芸術家として、それぞれ異なる魅力を発揮しています。
(参考:国際交流基金 Performing Arts Network Japan、コトバンク・平凡社マイペディア、山口情報芸術センターの人物プロフィール)
【家族構成】大森南朋の兄は映画監督・大森立嗣!親子関係を整理
大森南朋さんの家族について調べると、父親だけでなく、兄の大森立嗣さんも映画業界で活躍していることが分かります。
父は俳優・舞踏家、兄は映画監督、弟は俳優という、それぞれ異なる分野で表現活動を続ける家族です。
大森南朋と麿赤兒の親子関係大森南朋さんは麿赤兒さんの次男です。父親と同じ芸能・表現の世界で活動していますが、二人のキャリアは大きく異なります。
麿赤兒さんは前衛舞踏や個性的な舞台演技を中心に活動してきました。一方、大森南朋さんは映画やテレビドラマで幅広い役柄を演じる俳優として知られています。
大森南朋さんは1993年に映画でデビュー。その後、映画『殺し屋1』や『ヴァイブレータ』、NHKドラマ『ハゲタカ』などで注目されました。2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』では武市半平太役を演じています。
父親の存在は大きなものだったと考えられますが、南朋さんは独自の俳優人生を築いてきました。
兄の大森立嗣は映画監督大森南朋さんの兄は、映画監督・脚本家として知られる大森立嗣(おおもりたつし)さんです。
1970年9月4日生まれで、南朋さんより約2歳年上です。2005年公開の『ゲルマニウムの夜』で長編映画監督デビューを果たし、その後も『まほろ駅前多田便利軒』『さよなら渓谷』『セトウツミ』『日日是好日』などを手がけています。
俳優の大森南朋さんと映画監督の大森立嗣さんは兄弟であり、父親は麿赤兒さんです。
大森南朋の家族関係一覧| 人物 | 続柄・関係 | 主な活動 |
|---|---|---|
| 麿赤兒 | 父親 | 俳優・前衛舞踏家・演出家 |
| 母親 | 母親 | 南朋と立嗣を育てた人物 |
| 大森立嗣 | 兄 | 映画監督・脚本家 |
| 大森南朋 | 本人・弟 | 俳優 |
なお、2025年の『徹子の部屋』では、幼少期から両親が別居しており、兄とともに母親に育てられたことを南朋さん自身が語っています。
家族がそれぞれどのような生活を送ってきたかについては、公表された本人の発言やプロフィールで分かる範囲にとどめる必要があります。芸能一家という肩書きだけで、家族の内情まで一括りにすることはできません。
(参考:映画.com人物プロフィール、日本映画監督協会、大森南朋所属事務所アパッチ)
【2025年徹子の部屋】大森南朋が語った父・麿赤兒との幼少期
大森南朋さんと父親の関係が改めて注目されたのが、2025年7月9日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』です。
番組に初出演した南朋さんは、父親の麿赤兒さんについて、幼少期の思い出や現在の活動を語りました。
父親が家に帰ってくるのは年に1回ほどだった南朋さんによると、子どもの頃から両親は別居しており、兄とともに母親に育てられました。
父親は自身の舞踏活動に打ち込んでいたため、家に帰ってくる機会は少なく、年に1回ほどだったといいます。
たまに会う父親は、一般的な父親像とはかなり違っていたようです。番組では、会うと突然頭に噛みついてくることもあったという、印象的なエピソードを紹介しました。
母親はそんな父親の振る舞いを「野生の王国」的な育て方として笑っていたそうです。
南朋さんは、個性的な両親の姿を反面教師にして、自分は普通に生きたいと思うようになったことも明かしています。
父親の近況は?マドンナのために特別公演を開催番組では、麿赤兒さんの近況についても話題になりました。
南朋さんによると、2024年末ごろ、世界的歌手のマドンナさんが日本をプライベート旅行で訪れた際、麿赤兒さんの舞台を見たいという話があり、関係者を通じて特別な公演が行われたそうです。
ただし、これは南朋さんが後日談として聞いた話だと説明しています。南朋さん自身が公演の場に立ち会ったという話ではありません。
さらに黒柳徹子さんから、現在も踊っているのかと尋ねられた南朋さんは、父親は今も踊っており、元気に活動していると答えました。
この発言は、麿赤兒さんが単なる過去の前衛芸術家ではなく、80代になっても現役の舞踏家として活動していることを伝えるものでした。
(参考:テレビ朝日「テレ朝POST」2025年7月8日、日刊スポーツ2025年7月9日)
【2026年最新】麿赤兒の現在の活動と大森南朋に似ているという評判
2026年11月現在、麿赤兒さんは83歳。舞踏家としての活動を継続しており、舞台への出演や後進の作品への関与も確認できます。
2026年10月には日仏共同舞台『Alter Ego』に出演2026年の大きな活動の一つが、チェリストのエリック=マリア・クテュリエさんとの日仏国際コラボレーション作品『Alter Ego』です。
同作品は2026年10月29日から11月1日まで、東京・シアタートラムで上演されました。
麿赤兒さんは振付・演出・美術・舞踏表現を担当。チェロの生演奏と舞踏を組み合わせた舞台で、音楽と身体表現の新しい関係を追究しました。
83歳を迎えても、自ら舞台表現に携わっている点は注目に値します。
2026年12月には大駱駝艦の公演を監修加えて、大駱駝艦の公式公演情報では、2026年12月7日から13日にかけて、谷口美咲子さんによる壺中天舞踏公演『あわい』が予定されています。
この公演で麿赤兒さんは監修として名前が掲載されています。出演者としてではなく、団体を率いてきた立場から舞台づくりを支える活動です。
こうした動きからも、麿赤兒さんの現在の活動は、自ら踊ることだけでなく、大駱駝艦の舞踏表現を次の世代につないでいくことにも広がっています。
大森南朋は父親に似ている?2026年の親子写真が話題大森南朋さんと麿赤兒さんについては、顔立ちが似ているという話題もあります。
2026年2月には、大森南朋さんが自身のSNSで父親とのツーショットを公開したとスポーツニッポンが報道しました。
投稿では、83歳を迎える父親と54歳を迎える息子という親子の近況が紹介され、写真を見たファンからは「そっくり」「似てきましたね」といった反応が寄せられたと伝えられています。
親子で並んだ姿を見て、初めて二人の関係を知った人もいたようです。
ただし、顔立ちの似方は見る人によって印象が異なります。親子であるという事実と、外見についての感想は分けて考えるのが自然です。
2025年のテレビ出演に続き、2026年には親子写真や舞台活動も話題になりました。父と息子がそれぞれの分野で活躍を続けていることが、改めて伝わってきます。
(参考:大駱駝艦公式公演情報、世田谷パブリックシアター、スポーツニッポン2026年2月2日)
【大森南朋の父親・麿赤兒】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:大森南朋の父親の名前は何と読みますか?
A1:麿赤兒と書いて「まろあかじ」と読みます。俳優・前衛舞踏家として知られ、大森南朋さんの実の父親です。
Q2:麿赤兒の本名は大森宏ですか?
A2:はい。本名は大森宏です。芸名の麿赤兒は「まろあかじ」と読み、本名とは異なる芸名を長年使用しています。
Q3:大森南朋の兄は誰ですか?
A3:兄は映画監督の大森立嗣さんです。『ゲルマニウムの夜』『さよなら渓谷』『日日是好日』などを手がけています。父親は麿赤兒さんです。
Q4:麿赤兒は現在も舞踏家として活動していますか?
A4:はい。2026年10月には『Alter Ego』に出演しました。また、同年12月の大駱駝艦公演『あわい』では監修を務める予定です。
Q5:麿赤兒という芸名の由来は何ですか?
A5:柿本人麿の「麿」や山部赤人の「赤」など、文学的な連想が紹介されています。本人の自伝には、ユーモラスな別の説明も登場します。
大森南朋さんの父親は、俳優・前衛舞踏家として活躍する麿赤兒(まろあかじ)さんです。本名は大森宏で、1972年に舞踏集団「大駱駝艦」を旗揚げし、日本の前衛舞踏を国内外に広めてきました。
兄は映画監督の大森立嗣さん。父・兄・弟がそれぞれ俳優、映画監督、舞踏家として表現の世界で活躍していることも、大森家の大きな特徴です。
2025年7月の『徹子の部屋』では、大森南朋さんが父親との距離のあった幼少期や、現在も元気に踊り続ける父親の様子を紹介しました。2026年には『Alter Ego』への出演も実現し、麿赤兒さんの舞踏家としての活動は現在も続いています。
名前の読み方だけを知りたい人にとっての答えは「まろあかじ」。さらに背景を知ると、麿赤兒さんが独自の芸名と芸術表現を持ち、息子の大森南朋さんもまた自分自身の俳優人生を切り開いてきたことが見えてきます。
親子という関係だけでなく、それぞれが異なる表現を追究してきた二人の歩みこそ、大森南朋さんの父親について知るうえで興味深いポイントです。
編集上の補足: 2026年11月6日時点の情報を反映しています。特に2026年10月の『Alter Ego』と12月公演『あわい』の情報を盛り込み、2025年の『徹子の部屋』での発言と区別しています。