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潮田玲子の若い頃を写真と経歴で振り返る|オグシオ5連覇から2026年の現在まで

黒田 宗一郎 黒田 宗一郎 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
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元バドミントン日本代表の潮田玲子さんは、若い頃から高い競技能力と親しみやすい笑顔で注目を集めてきたアスリートです。小椋久美子さんとの「オグシオ」として全日本総合選手権5連覇を達成し、2008年の北京オリンピックにも出場。現役引退後はスポーツキャスターやタレントとして活動の幅を広げています。

潮田玲子さんの若い頃の写真を振り返ると、幼少期のラケットを握る姿から、学生時代の真剣な表情、オグシオ時代の華やかなユニフォーム姿まで、競技人生の変化が見えてきます。2025年には日本バドミントン協会の理事に就任し、2026年現在も競技の普及やスポーツ界の発展に携わっています。

【写真で振り返る】潮田玲子の若い頃がかわいい!幼少期から競技人生の始まりまで

潮田玲子若い頃

潮田玲子さんは1983年9月30日生まれ、福岡県出身です。身長166cm。所属事務所セント・フォースのプロフィールでも、元バドミントン日本代表として紹介されています。

若い頃の写真で特に印象的なのは、競技に打ち込む真剣な表情と、試合以外で見せる柔らかな笑顔の対比です。

小学生時代の写真にはラケットを握る幼い姿

潮田さんがバドミントンに触れたのは3歳頃でした。

母親が地域のママさんバドミントンクラブに参加していたため、幼い潮田さんも体育館に連れて行かれていたそうです。

ただし、遊びとしてラケットに触れていた時期と、選手として競技を始めた時期は異なります。

本格的に地域のジュニアクラブチームに入ったのは小学1年生、年齢でいうと6歳頃です。

CHANTO WEBの2023年のインタビューでは、当時の潮田さんの写真も掲載されています。赤いジャージ姿でラケットを振る小学1年生の写真は、現在の華やかな姿とはまた違った魅力があります。

幼いながらもラケットをしっかり握り、練習に取り組む様子が伝わってくる一枚です。

最初からバドミントンが好きだったわけではない

意外なのは、潮田さんが最初から練習を楽しんでいたわけではないことです。

2022年のTOKYO FMのインタビューでは、当初は素振りや正しいフォームを身につけるための基礎練習が中心で、ゲーム形式の練習に進むまで時間がかかったと振り返っています。

小学2年生頃から大会に出場するようになり、試合で勝つ喜びを覚えて競技にのめり込んでいきました。

小学3年生頃には、指導者から吸収力を評価されるようになったといいます。

また、母親のインタビューでは、週4回ほど練習に通いながらも、放課後に遊びたい日は練習を休むこともあったと語っています。

親から厳しく強制される英才教育ではなく、自分の意思で競技を好きになっていったことが、長い選手人生の土台になりました。

【小学生・中学・高校時代】潮田玲子の学生時代と全国優勝の軌跡

潮田玲子さんの競技人生を語るうえで、学生時代の実績は欠かせません。

小学生時代から全国大会で結果を残し、中学3年生で全国優勝。高校では九州国際大学付属高校女子部に進学し、後に日本代表として共に戦う小椋久美子さんとの関係を深めていきました。

小学生時代:全国大会で3位入賞

小学生時代の潮田さんは、女子シングルスで全国小学生大会に出場し、全国3位に入賞しています。

この時点ですでに全国レベルの実力を備えていました。

幼い頃から競技を続けていたとはいえ、本人の回想では、練習が楽しくなったのは小学2〜3年生頃です。

好きな競技に夢中になり、少しずつ実績を積み重ねていく姿は、後のトップアスリートとしての活躍につながっています。

中学時代:3年生で全国中学生大会優勝

潮田さんの学生時代における大きな転機が、中学3年生での全国中学生大会女子シングルス優勝です。

小学生時代の全国3位から、さらに順位を上げて全国の頂点に立ちました。

中学生の段階で全国優勝を経験したことは、将来の日本代表入りを目指すうえでも大きな実績でした。

高校時代:九州国際大学付属高校で競技に打ち込む

潮田さんが進学したのは、福岡県の九州国際大学付属高等学校女子部です。

2002年に卒業し、その後は三洋電機に所属して競技を続けました。

高校時代には、後にオグシオとして活躍する小椋久美子さんとも大会で顔を合わせていました。

2024年のインタビューでは、当時の小椋さんとはインターハイなどで顔を合わせるライバル関係だったことを明かしています。

もともとはシングルスを中心に活動していた潮田さんですが、ジュニアナショナルチームに選ばれたことをきっかけに小椋さんとダブルスを組むようになります。

この出会いが、その後の競技人生を大きく変えました。

高校卒業後は小椋さんとともに三洋電機へ進み、世界を目指す本格的な競技生活に入っていきます。

【オグシオ・イケシオ】潮田玲子の若い頃を代表する華やかな競技実績

潮田玲子さんの知名度を一気に押し上げたのが、小椋久美子さんとの女子ダブルス「オグシオ」です。

2人は実力だけでなく、試合中の息の合ったプレーや明るいキャラクターでも人気を集めました。

小椋久美子とのオグシオが全日本総合選手権5連覇

2002年頃からペアとして活動した2人は、女子ダブルスで国内外の大会に挑戦していきます。

大きな成果となったのが、全日本総合バドミントン選手権大会での連続優勝です。

2004年から2008年まで5年連続優勝という実績を残しました。

さらに2007年の世界バドミントン選手権では女子ダブルス銅メダルを獲得。

日本国内だけでなく、世界でも通用するペアとして評価されました。

当時のバドミントンは、現在ほどテレビや一般メディアで取り上げられる機会が多い競技ではありませんでした。

そのなかでオグシオは、競技の実力とメディアでの存在感を両立させた存在でした。

潮田さん自身も2022年のTOKYO FMの番組で、オグシオとして注目されたことについて、アスリートとしてうれしかったと振り返っています。

それまでバドミントンを知らなかった人にも競技を知ってもらえるようになり、街中で声をかけられる機会も増えたそうです。

北京オリンピック2008では女子ダブルス5位

2008年、潮田さんは小椋さんとともに北京オリンピックに出場しました。

当時24歳。日本を代表する女子ダブルスの選手として、世界の強豪と対戦しました。

結果は5位入賞。

メダルには届かなかったものの、国内で培った実力をオリンピックという大舞台で発揮しました。

オグシオの存在が広く知られるようになったのも、この北京五輪の時期です。

オグシオ解散後は池田信太郎とのイケシオへ

北京五輪後、潮田さんと小椋さんはペアを解消しました。

その後、潮田さんは新しい競技への挑戦として、池田信太郎さんと混合ダブルスを組みます。

このコンビは「イケシオ」と呼ばれました。

2009年から活動し、全日本社会人大会や全日本総合選手権大会で優勝するなど、新しいペアとして結果を残しました。

2012年のロンドンオリンピックでは、池田さんとの混合ダブルスで出場しています。

潮田玲子を取り巻く主要人物と競技人生の関係
人物・組織 潮田玲子との関係 主な出来事・実績
小椋久美子 女子ダブルスのパートナー オグシオとして全日本総合選手権5連覇、北京五輪出場
池田信太郎 混合ダブルスのパートナー イケシオとして全日本大会優勝、ロンドン五輪出場
増嶋竜也 夫・元プロサッカー選手 2012年9月30日に結婚
九州国際大学付属高校 母校 競技力を磨いた学生時代の拠点
日本バドミントン協会 競技団体 2025年に理事へ就任
Woman's ways 潮田さんが代表を務める団体 女性アスリートの環境改善や支援

オグシオとイケシオは、単にパートナーが変わったというだけではありません。

女子ダブルスから混合ダブルスへの転向は、潮田さんにとって新しい競技への挑戦でした。

北京五輪までの成功にとどまらず、次のオリンピックを目指して競技を続けたことが、彼女のアスリートとしての大きな特徴です。

【2012年引退の真相】潮田玲子が現役生活に別れを告げた理由

潮田さんは2012年9月、現役を引退しました。

北京・ロンドンと2度のオリンピックを経験した彼女にとって、引退は競技人生の大きな節目でした。

ロンドンオリンピック後に引退を決断

2012年のロンドンオリンピックでは、池田信太郎さんとの混合ダブルスで出場しました。

結果はグループリーグ敗退。

その後、潮田さんは同年9月のヨネックス・オープン・ジャパンを最後に競技生活を終えました。

引退の背景には、単純な成績だけでは説明できない事情がありました。

CHANTO WEBのインタビューでは、本人がロンドン五輪後の心境について、次のように振り返っています。

- 北京五輪後からロンドン五輪を目指すまでの4年間は長く、厳しいものだった。
- 世界のトップで戦えなければ意味がないと思うほど、競技に真剣に向き合っていた。
- ロンドン五輪後は心身ともに疲弊しており、次の4年間を戦い続けることは難しいと感じていた。
- 結婚や引退後のキャリアについて考える時期にも差しかかっていた。

つまり、引退は単なる競技成績によるものではなく、長年の競技生活をやり切ったうえでの決断でした。

引退時に残した言葉

2012年のロンドン五輪後、JOCが掲載した選手団コメントでは、潮田さんはオリンピックについて次のように語っています。

この舞台に帰ってこられたのがすごく大きいです。オリンピックという最高の舞台を味わえたことは素直に良かったと思います。

また、やってきたことに悔いはないという気持ちも伝えています。

一方で、オリンピックでメダルを獲得するという夢を達成できなかったことへの思いもありました。

引退後のコメントでは、競技生活を通じて多くのことを学び、人として成長できたと振り返っています。

【結婚・家庭】潮田玲子と増嶋竜也の出会いから現在まで

潮田玲子さんの人生におけるもう一つの大きな転機が、元Jリーガーの増嶋竜也さんとの結婚です。

2人はともにトップレベルで競技に取り組んできたアスリート同士でした。

2012年9月30日に増嶋竜也と結婚

潮田さんと増嶋さんは、2012年9月30日に入籍しました。

この日は潮田さんの29歳の誕生日でもあります。

増嶋さんは当時、柏レイソルに所属するプロサッカー選手でした。

結婚発表では、同じアスリートとして理解し合えることや、共に成長していける存在であることを伝えています。

潮田さんにとっては、現役引退と結婚が重なった人生の大きな転換期でした。

子どもは2人

2人の間には、長男と長女が誕生しています。

- 2015年9月:第1子となる男児が誕生
- 2017年8月:第2子となる女児が誕生

潮田さんは子育てをしながら、スポーツ関連の仕事やテレビ出演などを続けています。

夫婦ともにアスリートとしての経験があるため、子どものスポーツとの向き合い方についても独自の考えを持っています。

インタビューでは、自分たちが親として指導者になりすぎると親子関係が変わってしまうため、子ども自身が楽しめる環境を大切にしたいという考えを語っています。

【2026年最新】潮田玲子の現在は?日本バドミントン協会理事として活躍

2026年現在、潮田玲子さんは元日本代表選手という肩書にとどまらず、スポーツ界の運営や女性アスリートの支援にも携わっています。

2025年6月に日本バドミントン協会の理事へ就任

大きなニュースとなったのが、2025年6月22日の日本バドミントン協会の役員改選です。

同協会の評議員会で新任理事として承認され、潮田さんは理事に就任しました。

同時に、アスリート委員会の委員長も務めています。

就任時には、バドミントンを知らない人に競技を知ってもらう機会を増やしたいという考えを示しました。

また、現役選手との交流経験を生かし、選手と協会をつなぐ役割を担いたいという意向も報じられています。

2026年1月1日現在の日本バドミントン協会の事業計画書にも、潮田さんの理事としての名前が掲載されています。

Woman's waysの代表として女性アスリートを支援

潮田さんは2021年に一般社団法人Woman's waysの代表理事に就任しました。

この団体は、女性アスリートが安心して競技を続けられる環境づくりを目指しています。

特に女性特有の健康課題や、生理など競技生活に関わる問題に向き合う活動を行っています。

現役時代に自ら競技の厳しさを経験した潮田さんだからこそ、選手の立場から必要な支援を考えることができます。

テレビ出演やスポーツキャスターとしても活動

所属事務所セント・フォースの2026年掲載プロフィールでは、現在の主な活動として以下が紹介されています。

- 日本テレビ「シューイチ」
- 東海テレビ「スイッチ!」
- 日本バドミントン協会理事
- Woman's ways代表
- 福島県教育復興大使
- NAGASEこどもみらい財団評議員

加えて、2026年のHAPPY WOMAN AWARDでは、WELL-BEING IMPACT賞を受賞しています。

競技の第一線を退いた後も、スポーツの普及、女性の活躍、社会貢献など複数の分野で活動を続けています。

【プロの結論】潮田玲子の若い頃から現在までを振り返って見える3つの魅力

潮田玲子さんのキャリアを振り返ると、単に若い頃がかわいい、オグシオが人気だったという話だけでは見えてこない魅力があります。

1. 幼少期から積み重ねた基礎がトップレベルの実績につながった

小学1年生から本格的に始めたバドミントン。

最初は基礎練習を退屈に感じながらも、少しずつ競技の楽しさを見つけていきました。

全国小学生大会3位、中学3年生で全国優勝という実績は、長期的な努力の積み重ねを示しています。

2. オグシオ解散後も新しい挑戦を選んだ

北京五輪後に小椋さんとのペアを解消したことは、大きな転機でした。

しかし潮田さんは競技を離れるのではなく、池田さんとの混合ダブルスに挑戦しました。

女子ダブルスで成功した経験にとどまらず、新しい種目でロンドン五輪を目指した姿勢は、アスリートとしての強さを表しています。

3. 引退後も競技との関わり方を変えて成長している

2012年の引退後は、スポーツキャスターやメディア出演に活動を広げました。

さらに2025年には日本バドミントン協会の理事に就任。

選手として競技を盛り上げる立場から、今度は競技環境そのものを支える立場へと変化しています。

このキャリアの変化こそ、潮田玲子さんの現在を理解するうえで見逃せないポイントです。

【よくある質問】潮田玲子の若い頃に関するFAQ

Q1:潮田玲子がバドミントンを始めたのは何歳ですか?

A1:3歳頃から母親と一緒に体育館に通っていました。本格的に地域のジュニアクラブチームに入ったのは小学1年生、6歳頃です。

Q2:潮田玲子の小学生時代の成績は?

A2:全国小学生大会の女子シングルスで3位に入賞しています。中学3年生では全国中学生大会の女子シングルスで優勝しました。

Q3:潮田玲子と小椋久美子は何連覇しましたか?

A3:オグシオとして全日本総合バドミントン選手権大会の女子ダブルスで2004年から2008年まで5年連続優勝しました。

Q4:潮田玲子は北京オリンピックで何位でしたか?

A4:2008年の北京オリンピックでは、小椋久美子さんとの女子ダブルスで5位に入賞しました。

Q5:潮田玲子が引退した理由は何ですか?

A5:2012年のロンドンオリンピック後、長年の競技生活による心身の疲弊や、次の4年間を戦い続けることの難しさなどを考え、同年9月に引退しました。

Q6:潮田玲子の夫は誰ですか?

A6:元プロサッカー選手の増嶋竜也さんです。2012年9月30日に結婚し、2人の子どもがいます。

Q7:潮田玲子は2026年現在、何をしていますか?

A7:日本バドミントン協会の理事・アスリート委員会委員長、Woman's ways代表理事などを務めています。また、テレビ番組への出演やスポーツ関連の活動も続けています。

潮田玲子さんの若い頃を振り返ると、小学1年生から始めたバドミントンが人生の中心となり、全国大会での優勝、オグシオでの全日本5連覇、北京オリンピック5位入賞へとつながっていったことが分かります。

小椋久美子さんとのペア解消後も、池田信太郎さんとのイケシオで新たな挑戦を続け、2012年のロンドンオリンピックを最後に現役を引退しました。

その後は増嶋竜也さんとの結婚、子育て、メディア出演と活動の幅を広げ、2025年には日本バドミントン協会の理事に就任しています。

2026年現在の潮田さんは、かつてコート上で戦っていた経験を生かし、競技の普及や次世代のアスリートを支える立場へと進んでいます。

若い頃の写真に写る一人の少女が、日本を代表するアスリートとなり、現在はスポーツ界を支える存在になった。その歩みこそが、潮田玲子さんが長く注目され続ける理由です。

取材・事実確認に使用した主な資料

- JOC「潮田玲子・北京2008/アスリートプロフィール」
- CHANTO WEB「有名チームからスカウトも、潮田玲子がバドミントンを続けられた両親の存在」
- TOKYO FM「潮田玲子が才能を感じ始めた小学時代」
- ヨネックス公式プロフィール・現役時代の戦績
- 日本バドミントン協会「2025年役員改選」「2026年度事業計画書」
- セント・フォース公式プロフィール(2026年掲載情報)
- 柏レイソル公式入籍発表
- ORICON NEWS・スポーツ報道各社の結婚、家族、引退関連記事

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コンテンツディレクター 黒田 宗一郎
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グルメ・レシピ担当。材料と手順は必ず再現検証し、出典を明記します。

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