「お~ま~え~は~ア~ホ~か~!」という独特の音色と、ノコギリを使った奇抜な演奏で全国的な人気を集めた横山ホットブラザーズ。昭和の上方演芸を代表する音曲漫才トリオとして、長年にわたり寄席やテレビで活躍してきました。
2026年現在、横山ホットブラザーズは3人そろっての活動を終了しています。長男の横山アキラさんは2020年12月、次男の横山マコトさんは2022年4月に亡くなりました。三男の横山セツオさんが残るメンバーとして知られていますが、かつてのトリオによる舞台活動は再開していません。
その歴史は1936年に横山東六さんが結成した音楽ショウ「トウロクショウ」にさかのぼります。1937年のマコトさんの初舞台、1952年の横山ホットブラザーズ結成、1996年の文化庁芸術祭大賞など、上方演芸史に残る歩みをたどります。
【2026年最新】横山ホットブラザーズの現在は?メンバー3人のその後

横山ホットブラザーズの現在を知るうえで重要なのは、中心メンバーだったアキラさんとマコトさんの訃報、そして3人での活動が最後に行われた時期です。
長男・横山アキラさんは2020年12月に死去横山ホットブラザーズのリーダーを務めた長男・横山アキラさんは、2020年12月9日午前8時、腎不全のため大阪市内の療養施設で亡くなりました。享年88歳でした。
2020年12月11日、所属事務所の発表を受けて各報道機関が訃報を伝えました。
所属事務所によると、アキラさんは10年以上前から腎臓の数値が悪く、加齢とともに状態が悪化していたといいます。また、以前に自転車で犬の散歩をしていた際に転倒して腰を負傷し、その後は療養やリハビリを続けていました。
最後の舞台は2016年秋のなんばグランド花月です。腰の状態が改善すれば、もう一度舞台に立ちたいという思いを持ってリハビリに励んでいましたが、その願いはかないませんでした。
アキラさんの死去は、長年トリオを支えてきたファンや演芸関係者にとって大きな出来事となりました。
次男・横山マコトさんは2022年4月に死去次男の横山マコトさんは、2022年4月22日、虚血性心疾患のため大阪市内の病院で亡くなりました。享年87歳でした。
2022年4月26日、所属事務所が訃報を公表。日刊スポーツなどの報道によると、マコトさんは亡くなる当日の朝に体調不良を訴え、知人が救急通報しました。搬送途中に意識を失い、その後、病院で亡くなったとされています。
マコトさんはアコーディオンを担当し、演奏面でトリオを支えた重要人物でした。アキラさんがノコギリを演奏する際にも、音楽的な構成を支える役割を果たしていました。
アキラさんの死去から約1年4か月後の訃報となり、横山ホットブラザーズの復活を望んでいたファンにとっても悲しい知らせとなりました。
三男・横山セツオさんは現在どうしている?三男の横山セツオさんは1946年生まれ。横山ホットブラザーズではエレキギターを担当し、1966年からグループに加わりました。
アキラさんとマコトさんが亡くなった後、セツオさんは3兄弟のうち残るメンバーとなりました。大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」の人物紹介にも、1946年生まれのメンバーとして掲載されています。
ただし、2026年現在、以前と同じ形で定期的に舞台出演を続けていると確認できる公演情報は見当たりません。かつてのトリオ活動と、セツオさん個人の近況は分けて考える必要があります。
2022年にマコトさんが亡くなった際、セツオさんは報道を通じて「やっぱり寂しいですね」と心境を伝えました。兄たちと長い年月をともに過ごしたセツオさんにとって、トリオの活動は単なる仕事以上の意味を持っていたことがうかがえます。
【結成の歴史】横山東六から始まった1936年・1937年・1952年の軌跡
横山ホットブラザーズの歴史を正確に理解するには、1936年、1937年、1948年、1952年という複数の節目を整理する必要があります。
特に1937年は、グループの正式結成年と混同されやすい年です。大阪府立上方演芸資料館の記録では、東六さんによる「トウロクショウ」の結成は1936年、次男マコトさんの初舞台は1937年とされています。一方、横山ホットブラザーズという名称での結成は1952年です。
横山東六が築いた音楽と笑いの原点創始者である横山東六さんは1906年生まれ。1928年に関西交響楽団へ入団し、音楽の経験を積みました。
1933年には「陽気屋東六」の芸名で漫才師としてデビュー。その後、妻の登志子さんとコンビを組み、1936年に音楽と笑いを組み合わせた「トウロクショウ」を結成しました。
東六さんの特徴は、一般的な楽器だけにこだわらなかったことです。ノコギリや鍋、釜など、身近な道具を使って音を生み出し、演芸に取り入れました。
こうした発想が、後の横山ホットブラザーズの独創的な音曲漫才につながっていきます。
1952年に横山ホットブラザーズを結成1948年には、東六さんと長男のアキラさんが音楽漫談のショーを開始しました。その後、1952年に東六さん、アキラさん、マコトさんらによって横山ホットブラザーズが結成されます。
当初から現在知られる3兄弟だけで構成されていたわけではありません。父・東六さんを中心に、音楽と笑いを組み合わせたショーとして発展していきました。
1966年には三男のセツオさんが加入。1974年6月に東六さんが引退した後は、アキラさん、マコトさん、セツオさんの兄弟3人で活動を続ける形が確立しました。
なお、アキラさんの訃報を伝えた報道では、東六さんの引退を1975年とする記述もありますが、上方演芸資料館の人物記録では1974年6月とされています。
【メンバー歴代と役割】横山ホットブラザーズを支えた人物・年表一覧
横山ホットブラザーズの魅力は、単に兄弟が集まって演奏するだけではありませんでした。それぞれのメンバーが異なる役割を担い、音楽、ボケ、ツッコミ、演奏技術を組み合わせて独自の舞台を作り上げていました。
主要メンバーの関係と歴史的な節目を
| 人物・時期 | 担当・出来事 | 主な役割・実績 |
|---|---|---|
| 横山東六 | 創始者・バイオリンなど | 1936年にトウロクショウを結成。創作楽器や小道具ネタを考案 |
| 横山アキラ | 長男・ギター、ノコギリ | トリオのリーダー。ノコギリ芸と笑いを担当 |
| 横山マコト | 次男・アコーディオン | 演奏面の中心人物。作曲家としても活動 |
| 横山セツオ | 三男・エレキギター | 1966年加入。掛け合いやツッコミで舞台を盛り上げた |
| 1933年 | 東六が漫才師デビュー | 陽気屋東六として活動開始 |
| 1936年 | トウロクショウ結成 | 音楽と笑いを融合させたショーの原点 |
| 1937年 | マコトが初舞台 | 次世代メンバーの演芸活動が始まる |
| 1948年 | 東六とアキラが音楽漫談を開始 | 後のグループにつながる活動 |
| 1952年 | 横山ホットブラザーズ結成 | グループ名での活動を開始 |
| 1966年 | セツオ加入 | 兄弟3人の体制へ発展 |
| 1974年6月 | 東六引退 | 以後は兄弟3人を中心に活動 |
| 1996年 | 文化庁芸術祭大賞 | 音曲漫才の功績が高く評価される |
| 2003年 | 第38回上方漫才大賞 | 大賞を受賞 |
| 2008年度 | 第13回上方演芸の殿堂入り | 上方演芸への長年の貢献を評価 |
| 2016年10月 | なんばグランド花月で最後の舞台 | 以後、トリオとして活動休止 |
| 2020年12月9日 | アキラ死去 | 腎不全、享年88 |
| 2022年4月22日 | マコト死去 | 虚血性心疾患、享年87 |
アキラさんはギターを打楽器のように扱うこともあり、ノコギリ芸を含めて舞台の笑いを引き受けました。
マコトさんはアコーディオンの名手で、演奏全体を支える音楽的な中心人物でした。作曲家として学校の校歌や企業の社歌なども手掛けています。
セツオさんはエレキギターを担当。東六さんや兄たちとの掛け合いでは、「お前は黙っとれ!」といったツッコミを受ける役回りでも笑いを生み出しました。
ワッハ上方の解説によると、東六さんは舞台の全面に出るのではなく、ゴリラのまねや「おじゃましました!」という短い登場で印象を残すスタイルも確立していました。
それぞれの個性が重なることで、演奏だけでも漫才だけでもない、横山ホットブラザーズならではの音楽ショーが成立していたのです。
【ノコギリ芸の秘密】「お前はアホか」の誕生秘話と独自の演奏技術
横山ホットブラザーズを全国的に有名にした最大の要素が、アキラさんによるノコギリ芸です。
ノコギリを叩くと、まるで人間がしゃべっているかのような音が響き、「お~ま~え~は~ア~ホ~か~!」というフレーズに聞こえます。この独特の芸は、音楽と関西特有の言葉のリズムを組み合わせたものでした。
「お前はアホか」は舞台のアドリブから生まれた誕生の経緯については、漫才作家の本多正識さんが日刊ゲンダイのコラムで紹介しています。
本多さんは2000年代初頭のトリオ結成50周年特番の構成を担当し、メンバーから芸にまつわる話を聞いていました。
そのコラムによると、「お前はアホか」というネタは、舞台上で偶然鳴らしたノコギリの音に言葉を重ねたことがきっかけだったといいます。試しに音に合わせてフレーズを乗せたところ、客席から大きな笑いが起こり、定番の芸へと発展しました。
つまり、最初から完成された演目として考案されたものではなく、舞台での偶然と演者の発想が結びついて誕生した芸だったのです。
実は専用楽器ではなくアメリカ製の本物のノコギリこの芸について、もう一つ興味深い事実があります。
一般的にはミュージカルソーと呼ばれる演奏用ノコギリを使っていると思われがちですが、本多さんの取材記事によると、アキラさんが使用していたのはアメリカ製の本物のノコギリでした。
もともとは先輩芸人がアメリカから持ち帰ったもので、それを譲り受けてネタに取り入れたとされています。
通常の楽器とは異なり、音域が限られているため、演奏できる曲にも制約があります。アキラさんが実際にノコギリを叩いて音の範囲を調べ、マコトさんがその音域で演奏できる曲を探すという役割分担がありました。
その結果、「荒城の月」「お正月」「世界に一つだけの花」など、誰もが知っている楽曲を独特の音色で披露できるようになりました。
音程だけではない、笑いを生む技術横山ホットブラザーズのノコギリ芸が優れていたのは、単純に珍しい音が出るからではありません。
音の高低と日本語のイントネーションを一致させることで、観客に言葉を連想させる仕組みになっていました。
加えて、アキラさんの表情や間の取り方、マコトさんの音楽的な支え、セツオさんのツッコミが重なり、演奏そのものが漫才の一部として機能していました。
楽器の珍しさだけに依存せず、音楽・言葉・表情・タイミングを組み合わせたところに、長年愛された理由があります。
【受賞歴と文化的評価】文化庁芸術祭大賞・上方漫才大賞・殿堂入り
横山ホットブラザーズは、テレビで人気を集めたお笑いグループというだけではありません。上方演芸の伝統を守り、音曲漫才という芸能の価値を後世に伝えた功績が高く評価されています。
1996年:文化庁芸術祭大賞1996年度、横山ホットブラザーズは第51回文化庁芸術祭の大賞を受賞しました。
これは関西漫才界で初めての文化庁芸術祭大賞と報じられた実績です。音楽と漫才を融合させた独自の芸風が、演芸文化として高く評価されたことを示しています。
2003年:第38回上方漫才大賞2003年には、第38回上方漫才大賞で大賞を受賞しました。
上方漫才大賞は、ラジオ大阪が1966年に創設した歴史ある漫才賞です。現在は関西テレビ放送とラジオ大阪が共同主催しており、上方漫才を代表する賞の一つとして知られています。
ラジオ大阪の歴代受賞者一覧にも、2003年の大賞受賞者として横山ホットブラザーズの名前が掲載されています。
2008年度・2009年:上方演芸の殿堂入り横山ホットブラザーズは、上方演芸の発展に貢献した演芸人を顕彰する「上方演芸の殿堂入り」も果たしています。
大阪府立上方演芸資料館の公式記録では、第13回殿堂入り、平成20年度と記載されています。平成20年度は2008年度に当たります。一方、新聞などの報道では2009年の殿堂入りとして紹介されることがあります。
このため、2009年という表記と公式資料の2008年度という表記には、年度と暦年の違いがある点を押さえておきたいところです。
2016年度:大阪市の無形文化財に指定加えて、横山ホットブラザーズは大阪市の無形文化財にも関わる重要な存在となりました。
大阪市は2016年度、上方漫才の保持者として横山ホットブラザーズを指定しました。この指定については2017年6月に報道され、上方漫才の継承と発展への貢献が評価されたと説明されています。
大阪市の文化財分類一覧にも、上方漫才の保持者として横山ホットブラザーズが掲載されています。
これらの実績から、横山ホットブラザーズは単なる人気芸人ではなく、上方演芸の伝統を担った存在として評価されていることが分かります。
【解散理由と活動終了】2016年の最終舞台から復活しなかった背景
横山ホットブラザーズについて検索すると、「解散理由」という言葉も多く見られます。しかし、活動の終わりを理解するには、正式な解散発表と実際の活動休止を区別する必要があります。
最後の舞台は2016年10月のなんばグランド花月日刊スポーツやデイリースポーツの報道によると、横山ホットブラザーズの3人がそろった最後の舞台は2016年10月のなんばグランド花月でした。
アキラさんが体調を崩したことから、トリオは活動を休止。その後、3人そろっての舞台復帰は実現しませんでした。
2011年には吉本興業との業務提携を経て、なんばグランド花月などの舞台にも出演していました。長い演芸活動の中で、再び花月の舞台に立つ機会を得ていたことも、後期の大きな節目でした。
マコトさんが守ろうとした3人の舞台活動休止の背景として象徴的なのが、マコトさんの考え方です。
日刊スポーツの2022年4月26日の報道では、マコトさんが「3人やないと、横山ホットブラザーズやない」と話していたことが伝えられています。
アキラさんが体調を崩した後も、マコトさんとセツオさんだけでトリオの名前を使って舞台に立つことはありませんでした。
この言葉からは、横山ホットブラザーズというグループが、単に3人の芸人を集めた名前ではなかったことが分かります。それぞれの役割や掛け合いがそろって初めて成立する、兄弟ならではの芸だったのです。
解散理由は不仲ではなく、健康問題と3人の芸へのこだわり活動終了の背景には、アキラさんの健康問題と、3人そろっての舞台を大切にするマコトさんの考えがありました。
2020年にアキラさんが亡くなり、2022年にはマコトさんも亡くなったことで、兄弟3人による活動再開は不可能になりました。
したがって、一般的に「解散」と表現されることはありますが、報道で確認できる経緯は、2016年10月の最終舞台を経た活動休止と、その後のメンバーの逝去です。
メンバー間の不仲や対立によって解散したという事実は、主要な報道からは確認できません。
【プロの結論】横山ホットブラザーズが上方演芸に残したもの
横山ホットブラザーズの功績を振り返ると、最も注目すべきなのは、音曲漫才という芸の形式を現代まで伝えたことです。
昭和の上方演芸では、楽器を演奏しながら歌や掛け合いで笑いを生み出す音曲漫才が重要な位置を占めていました。しかし、時代とともに会話を中心としたしゃべくり漫才が主流となり、音楽を軸にした芸を続けるグループは少なくなっていきました。
その中で横山ホットブラザーズは、ノコギリ、アコーディオン、ギターなどを組み合わせ、音楽と笑いを一つの舞台として成立させ続けました。
珍しい道具を使うだけでは成立しない芸だったノコギリを演奏する芸は、一見すると珍しさだけで観客を楽しませるものに思える可能性があります。しかし、実際には音域の制約を理解し、演奏できる楽曲を選び、観客に言葉を連想させる音を作り出す技術が必要でした。
加えて、3人の役割分担が明確だったからこそ、音楽だけに偏らず、笑いのある舞台として完成していました。
歴史を振り返る際に押さえたい3つの判断基準- 結成年の違い:1936年は東六さんのトウロクショウ結成、1937年はマコトさんの初舞台、1952年は横山ホットブラザーズの結成という、それぞれ異なる節目である。
- 活動終了の経緯:2016年10月に最後の舞台を迎えた後、活動休止となった。一般的な不仲による解散説とは異なる。
- 受賞と文化財指定:1996年の文化庁芸術祭大賞、2003年の上方漫才大賞、殿堂入り、大阪市の無形文化財指定は、それぞれ異なる評価制度による実績である。
これらを区別して理解すると、横山ホットブラザーズの歩みを単なる懐かしい芸人の歴史ではなく、上方演芸の継承という観点から捉えられます。
横山ホットブラザーズに関するよくある質問(FAQ)
Q1:横山ホットブラザーズは2026年現在も活動していますか?
A1:3兄弟そろっての活動は終了しています。2016年10月のなんばグランド花月での舞台を最後に活動休止となり、2020年にアキラさん、2022年にマコトさんが亡くなりました。
Q2:横山アキラさんの死因は何ですか?
A2:腎不全です。2020年12月9日に大阪市内の療養施設で亡くなりました。享年88歳でした。
Q3:横山マコトさんの死因は何ですか?
A3:虚血性心疾患です。2022年4月22日に大阪市内の病院で亡くなりました。享年87歳でした。
Q4:横山セツオさんは現在も健在ですか?
A4:ワッハ上方の人物紹介では1946年生まれのメンバーとして掲載されています。2026年現在の具体的な出演状況や定期的な舞台活動については、最新の公演情報による確認が必要です。
Q5:横山ホットブラザーズはいつ結成されましたか?
A5:横山ホットブラザーズとしての結成は1952年です。その前身となる東六さんの音楽ショウ「トウロクショウ」は1936年に結成され、マコトさんは1937年に初舞台を踏んでいます。
Q6:「お前はアホか」のノコギリ芸はどのように生まれましたか?
A6:漫才作家の本多正識さんが日刊ゲンダイのコラムで紹介した話によると、舞台で偶然鳴らしたノコギリの音に言葉を重ねたことがきっかけです。その場で大きな笑いが起こり、定番の芸になったとされています。
Q7:横山ホットブラザーズの代表的な受賞歴は何ですか?
A7:1996年度の第51回文化庁芸術祭大賞、2003年の第38回上方漫才大賞、2008年度の第13回上方演芸の殿堂入りなどがあります。また、大阪市の無形文化財「上方漫才」の保持者にも指定されています。
横山ホットブラザーズは、1936年のトウロクショウ結成を原点に、1952年のグループ結成から長年にわたって上方演芸を盛り上げてきました。
長男の横山アキラさんは2020年に腎不全で、次男の横山マコトさんは2022年に虚血性心疾患で亡くなりました。三男の横山セツオさんが残るメンバーとなりましたが、兄弟3人による舞台は2016年10月を最後に再開されていません。
「お前はアホか」のノコギリ芸は、偶然の発想を磨き上げた独創的な演目でした。そこには、アキラさんの演奏技術、マコトさんの音楽的な支え、セツオさんの掛け合い、そして東六さんから受け継いだ創作精神がありました。
1996年の文化庁芸術祭大賞、2003年の上方漫才大賞、上方演芸の殿堂入り、大阪市の無形文化財指定という実績は、その芸が単なる一時的な人気にとどまらなかったことを物語っています。
2026年現在、横山ホットブラザーズの3兄弟がそろう舞台を再び見ることはできません。しかし、独特のノコギリの音色と音楽を使った笑いは、上方演芸の歴史を語るうえで欠かせない存在として残っています。
彼らが築いたものは、単なる「お前はアホか」という一発芸ではありません。音楽と話芸を融合させ、兄弟それぞれの個性を一つの舞台に結実させた、長い年月をかけて磨かれた演芸文化そのものなのです。
主な根拠資料
- 大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」:結成史、メンバー構成、受賞歴。
- デイリースポーツ:横山アキラさんの訃報と死因。
- 日刊スポーツ:横山マコトさんの訃報、活動休止の経緯。
- 日刊ゲンダイ:漫才作家・本多正識さんによるノコギリ芸の誕生秘話。
- ラジオ大阪:第38回上方漫才大賞の受賞記録。
- 大阪市:指定文化財分類一覧。