2026年現在の木樽さんは、故郷の千葉県銚子市を拠点に、野球の普及や子どもたちの育成に取り組んでいます。
現在の主な活動拠点は、銚子スポーツタウンです。施設のアドバイザーを務めるほか、銚子黒潮野球塾の塾長として、地域の子どもたちに野球を教えています。
引退後も野球界で活躍してきた経歴木樽さんのキャリアは、1976年の現役引退で終わったわけではありません。
むしろ、引退後も長年にわたってプロ野球や社会人野球の現場に携わってきました。
| 時期 | 所属・役職 |
|---|---|
| 現役引退後 | ロッテの一軍・二軍投手コーチ |
| 引退後 | ロッテ二軍監督 |
| 引退後 | ロッテのスカウト部長 |
| 2002~2010年 | 読売ジャイアンツの編成部・育成担当コーチなど |
| 2011~2013年 | JFE東日本硬式野球部ヘッドコーチ |
| 2014年 | 銚子商業高校ヘッドコーチ |
| 2014年以降 | 銚子市行政アドバイザーなど |
| 2026年 | 銚子スポーツタウンのアドバイザー、銚子黒潮野球塾塾長 |
プロ野球の現場では、選手を育てる指導者としてだけでなく、スカウトとして将来の選手を発掘する立場も経験しました。
巨人の編成部や育成担当コーチを経験したことからも、現役時代の投手経験だけにとどまらず、球団運営や選手育成に関する幅広い知識を持っていることが分かります。
銚子スポーツタウンのアドバイザーとして活動2026年4月29日、銚子スポーツタウンの公式コラムに「銚子スポーツタウンと私」という記事が掲載されました。
木樽さん本人が執筆した記事で、銚子スポーツタウンのアドバイザーを務めていることや、故郷に戻ってからの歩みが紹介されています。
木樽さんは約50年間離れていた銚子に、14年前に夫婦で帰郷したと説明しています。
帰郷後は銚子市の行政アドバイザーとして地域に関わり、銚子スポーツタウンの構想にも協力してきました。
特に注目したいのは、施設が完成するまでの過程です。
かつての銚子市立西高校の跡地は、校舎や体育館、野球場が荒廃した状態でした。そこから宿泊施設や体育館、食堂、野球場などを整備し、スポーツ合宿にも対応できる施設へと変わっていきました。
木樽さんは、その再生を支える立場で関わっています。
銚子黒潮野球塾で子どもたちを指導2026年の木樽さんの活動を語るうえで、もう一つ重要なのが銚子黒潮野球塾です。
この野球塾は、銚子スポーツタウンで毎月1回開催されている小中学生向けの野球教室です。
2026年6月15日に公開された公式コラムで、木樽さんは活動の趣旨について、故郷への貢献と東総地域の野球少年を増やすことを挙げています。
指導者として参加しているのは、木樽さんだけではありません。
- 木樽正明さん: 元ロッテの投手で、野球塾の塾長
- 篠塚和典さん: 元巨人の内野手で、野球塾の教頭
- 渡辺進さん: 元ヤクルトの内野手で、コーチ
- 澤井良輔さん: 元ロッテの選手で、指導に協力
いずれも銚子商業高校のOBです。プロ野球で経験を積んだ先輩たちが、地元の子どもたちを支える体制になっています。
また、公式コラムでは、野球塾は小中学生を対象としており、参加費無料で、地域を問わず参加を歓迎していると説明されています。
2026年7月には第26回野球塾を開催2026年の具体的な活動を示す資料として、銚子スポーツタウンが7月8日に公開した第26回銚子黒潮野球塾の開催レポートがあります。
第26回 銚子黒潮野球塾

2026年7月4日開催・公式レポート7月8日公開66人
参加者合計3人
主な指導者
| 区分 | 参加人数 |
|---|---|
| 中学生・硬式野球 | 32人 |
| 小学生・軟式野球 | 34人 |
| 合計 | 66人 |
会場:銚子スポーツタウン・くろしおかもめ球場
この日は、木樽さんが塾長、篠塚さんが教頭、渡辺さんがコーチを務めました。
木樽さんは子どもたちの指導に加え、木樽ドリームズの選手たちによるサポートも受けながら、野球塾を運営しています。
開催レポートでは、キャッチボールや守備練習、打撃練習など、基本技術を中心とした指導の様子が紹介されました。
木樽さんは得意のアメリカンノックも披露。子どもたちがボールを追いかける実践的な練習も行われています。
現役時代に112勝を挙げた投手が、今度は地域の子どもたちに野球の楽しさを伝えている。2026年の木樽さんを象徴する活動です。
【プロの結論】木樽正明の本当の功績は112勝だけではない
木樽正明さんの経歴を振り返ると、大きく3つの功績が浮かび上がります。
第一は、銚子商業高校からプロ野球へ進んだ選手としての実績です。
1965年の甲子園準優勝は、千葉県の高校野球史に残る出来事でした。その中心選手だった木樽さんは、東京オリオンズからドラフト2位指名を受け、プロの世界でも結果を残しました。
第二は、短い現役生活で達成した高い投手成績です。
1969年の最優秀防御率、1970年のMVP、1971年の最多勝。これらは別々のシーズンに達成した実績であり、通算112勝という数字の中身を理解するうえで欠かせません。
加えて、1974年には日本一にも貢献しています。
第三は、引退後も野球界で培った経験を次世代に還元していることです。
ロッテ、巨人、JFE東日本、銚子商業高校と、選手育成に関わるさまざまな立場を経験してきました。
2026年の銚子黒潮野球塾は、その経験を地域に還元する活動です。
現役時代の実績を懐かしむだけでなく、引退後に何をしてきたのかまで見ることで、木樽さんという人物の全体像が見えてきます。
木樽正明について調べる際の3つの判断基準木樽さんの情報を調べる際には、次の点を押さえておくと、経歴の取り違えを防げます。
1. 通算成績はNPB公式記録を優先する。 112勝80敗3セーブ、防御率3.05が基本データです。
2. 1970年と1971年のタイトルを混同しない。 1970年がMVP、1971年が最多勝です。
3. 現在の活動は2026年の銚子スポーツタウンの発信を確認する。 過去のコーチ歴と現在の地域活動は分けて理解する必要があります。
この3点を押さえるだけでも、木樽さんの経歴をかなり正確に把握できます。
【木樽正明の現在と経歴】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:木樽正明の読み方は?
A1:読み方は「きたる・まさあき」です。日本野球機構の公式選手データにも、この読み方が掲載されています。
Q2:木樽正明のプロ通算成績は何勝?
A2:NPB公式記録では、通算367試合に登板し、112勝80敗3セーブ、防御率3.05です。奪三振は841個、完投は68試合を記録しています。
Q3:木樽正明がMVPを獲得したのは何年?
A3:1970年です。この年は21勝10敗、防御率2.53を記録し、パ・リーグMVPに選ばれました。
Q4:1971年の木樽正明の成績は?
A4:47試合に登板して24勝8敗、防御率3.45を記録し、パ・リーグ最多勝を獲得しました。
Q5:木樽正明はなぜ29歳で引退した?
A5:長年の腰痛と投球能力の低下が主な理由です。1976年シーズンを最後に現役を引退しました。
Q6:木樽正明は2026年現在、何をしている?
A6:銚子スポーツタウンのアドバイザーを務め、銚子黒潮野球塾の塾長として小中学生の野球指導に携わっています。2026年7月にも同野球塾の開催が公式に報告されています。
Q7:木樽正明は銚子商業高校の出身?
A7:はい。1965年夏の甲子園で銚子商業高校のエースとして準優勝を経験しました。その年のドラフト会議で東京オリオンズから2位指名を受けています。
木樽正明さんは、銚子商業高校の甲子園準優勝からプロ野球での通算112勝、1970年のMVP、1971年の最多勝まで、輝かしい実績を残した元ロッテの投手です。
29歳で現役を引退した後も、ロッテや巨人での指導・編成業務、社会人野球での指導、母校での後進育成など、野球界で長く活動してきました。
2026年現在は銚子スポーツタウンを拠点に、銚子黒潮野球塾の塾長として子どもたちに野球を教えています。2026年7月の開催実績からも、その活動が継続していることが分かります。
木樽さんの功績は、プロ通算112勝という記録だけではありません。甲子園での経験、プロ野球で培った技術、指導者としての知識を故郷に還元していることにも大きな価値があります。現役時代から2026年の現在までをたどると、野球と銚子を結び続けてきた一人の野球人の姿が見えてきます。