2026年11月現在、高橋奈七永は女子プロレスラーとしての約29年間の現役生活を終え、パーソナルトレーナー・ボディメイクコーチとして新たなキャリアを歩んでいる。2025年5月24日にマリーゴールドの大会で引退試合を行い、リングを降りた後も、自身の代名詞である「パッション」を大切にした活動を続けている。
全日本女子プロレスでのデビューから、WWWA世界シングル王座の獲得、スターダムやSEAdLINNNGの旗揚げ、そしてマリーゴールドで迎えた現役最後の日まで。その歩みは、日本の女子プロレスの歴史そのものと深く結びついている。現在は高円寺のパーソナルトレーニング施設FLENJIでトレーナー活動を行い、身体づくりだけでなく、コーチングを通じて人の可能性を引き出す仕事にも取り組んでいる。
【2026年最新】高橋奈七永の現在は?引退後の仕事と活動を紹介

高橋奈七永は、2025年5月24日の引退以降、プロレスラーとしての活動から離れ、身体づくりとコーチングを軸にした仕事へと活動の場を移している。
2026年の活動を理解するうえで注目したいのが、パーソナルトレーナー、ボディメイクコーチ、パッションコーチという3つの役割だ。
2026年からFLENJIでトレーナー活動を開始2026年1月29日、東京・高円寺にあるピラティス&パーソナルトレーニング施設FLENJIが、高橋奈七永のトレーナー活動開始を発表した。
施設のお知らせによると、約30年間のプロレス経験で培った身体づくりの知識や経験を生かし、利用者の健康づくりや生活の質の向上をサポートするという。
高橋奈七永が現役時代から大切にしてきた言葉は「パッション」。
プロレスのリングでは、相手と真正面から向き合い、全力で戦う姿勢を貫いてきた。その姿勢を、今度は運動や身体づくりに悩む人たちへ伝えていく仕事である。
単に筋力を鍛えるだけではなく、本人の「変わりたい」という気持ちを後押しすることに重点を置いている点が特徴だ。
ボディメイクコーチとして目指すもの高橋奈七永は2026年3月、自身のnoteでトレーナーとして生きていく決意を改めて発信している。
そこで語られているのは、体重を落とすことだけを目的としないボディメイクだ。
本人が重視しているのは、次のような課題への向き合い方である。
- 頑張りすぎてしまう原因を考える。
- トレーニングや生活習慣が続かなくなる理由を整理する。
- 自分が本当に実現したいことを見つける。
- 身体と心の両方を整え、自信につなげる。
つまり、高橋奈七永のボディメイクは、身体の変化をきっかけに生活や考え方まで前向きに変えていくことを目指している。
2026年6月のインタビューでも、本人はパーソナルトレーナーとボディメイクコーチとして活動していることを明かした。プロレスラー時代の経験を、誰かの人生に関わる仕事へつなげているという。
2026年秋もパッションコーチとして活動2026年9月30日付のnoteでは、自らを「パッショントレーナー」と紹介し、コーチングの学びや今後実現したい目標について発信している。
また、10月4日付の投稿でもコーチングへの取り組みを紹介しており、引退後の活動が継続していることがうかがえる。
本人の公式ブログでも、ボディメイクコーチやパーソナルトレーナーとしてのクライアントへのサポート、コーチングの勉強について発信している。
現役時代は対戦相手と向き合ってきた高橋奈七永。現在は、利用者が自分自身と向き合い、目標を実現するための伴走者になろうとしている。
この変化こそ、2026年の高橋奈七永を理解する最大のポイントだ。
【2025年5月24日】高橋奈七永の引退試合はどうなった?青野未来との最後の一戦
高橋奈七永の引退試合が行われたのは、2025年5月24日、国立代々木競技場第二体育館だった。
大会はマリーゴールドの旗揚げ1周年記念大会「SHINE FOREVER 2025~A Glorious Celebration!~」。
女子プロレス界で長年活躍してきた高橋奈七永にとって、約29年間の現役生活を締めくくる特別な舞台となった。
引退試合の相手は青野未来メインとなる高橋奈七永引退記念試合の対戦相手は、マリーゴールド所属の青野未来だった。
試合は30分1本勝負。
互いに激しくぶつかり合う展開となり、最後は青野未来がワンセコンドEXを決め、22分4秒、片エビ固めで勝利した。
高橋奈七永は敗れたものの、最後まで真正面から戦い抜いた。
引退試合という特別な舞台で、相手に勝利を譲るような内容ではなく、現役選手として最後まで全力で戦う姿を見せたのである。
最後の最後に登場した中西百重引退記念試合の後には、特別なボーナストラックとして1分1本勝負のエキシビションマッチが5試合組まれた。
対戦相手は次の5人だった。
- 暁千華
- 山岡聖怜
- 天麗皇希
- 堀田祐美子
- 中西百重
なかでも注目されたのが、最後の相手となった中西百重だ。
中西百重は高橋奈七永と全日本女子プロレス時代の同期であり、互いのデビュー戦の相手でもある。
つまり、プロレス人生の始まりに関わった相手と、最後のリングでも対戦するという特別な巡り合わせだった。
最後の試合では高橋奈七永が中西百重から3カウントを奪取。現役最後のリングで、かつての同期との対戦を実現させた。
引退セレモニーで語ったプロレス人生試合後には引退セレモニーが行われ、全日本女子プロレス時代の仲間やプロレス関係者、母親らが高橋奈七永を見送った。
デイリースポーツの報道によると、本人はセレモニーで次のように語っている。
約30年真っすぐやってきた。何回も心が折れそうになったが、やられても立ち上がるのがプロレス。終わりよければ全てパッションと思えるプロレス人生だった。
この言葉には、高橋奈七永のプロレス人生が凝縮されている。
華やかなタイトル獲得だけでなく、団体の解散、怪我、精神的な苦難、再起、そして新団体の立ち上げ。
数々の困難を経験してきたからこそ、最後に「終わりよければすべてパッション」と振り返ることができたのだろう。
【プロフィール・経歴】高橋奈七永は何者?全日本女子プロレスからの歩み
高橋奈七永(たかはし・ななえ)
女子プロレスラー・元SEAdLINNNG代表・パーソナルトレーナー
- 生年月日:1978年12月23日
- 出身地:埼玉県川口市
- 身長:165cm
- デビュー:1996年7月14日
- 引退:2025年5月24日
- 得意技:ワンセコンドEX、ナナラッカ、冷蔵庫爆弾
高橋奈七永は、アニマル浜口ジムでトレーニングを積み、全日本女子プロレスでデビューした女子プロレスラーだ。
1978年12月23日生まれで、2026年11月現在は47歳。17歳でプロレスデビューを果たし、以後、女子プロレス界の第一線で活躍してきた。
プロフィールについては、WRESTLE UNIVERSEの選手紹介や、集英社のスポーツメディア「web Sportiva」のインタビューでも紹介されている。
高校中退からプロレスラーの道へ高橋奈七永がプロレスを目指すようになった背景には、全日本女子プロレスへの強い憧れがあった。
高校を中退し、アニマル浜口ジムで約1年間トレーニングを積んだ後、1995年に全日本女子プロレスへ入門。
そして1996年7月14日、後楽園ホール大会で中西百重を相手にデビューした。
当時の女子プロレス界は、全日本女子プロレスを中心に激しい競争が繰り広げられていた時代だ。
高橋奈七永は、デビュー後に中西百重とのタッグ「ナナモモ」でも存在感を発揮。1997年の大量離脱後は、新生全女を支える主力選手として活動した。
2004年、悲願のWWWA世界シングル王座を獲得高橋奈七永のキャリアにおける大きな到達点が、2004年のWWWA世界女子シングル王座獲得だ。
WWWA世界シングル王座は、全日本女子プロレスの歴史を象徴する最高峰のタイトルとして知られていた。
高橋奈七永は念願のベルトを手にしたものの、その後、怪我によって王座を返上することになる。
加えて、療養中だった2005年4月17日には全日本女子プロレスが解散。
チャンピオンとしての活躍をさらに続けるはずだった時期に、所属団体そのものがなくなるという大きな転機を迎えた。
高橋奈七永がWWWA世界シングル王座の最後の王者として名前を残しているのは、この歴史的経緯によるものだ。
【団体・王座・関係者との関係】高橋奈七永のキャリア年表
高橋奈七永の経歴を理解するには、所属団体だけでなく、各団体でどのような役割を担ったのかを見る必要がある。
単に複数の団体を渡り歩いた選手ではない。団体の立ち上げや運営、若手選手への影響、タイトル戦線など、女子プロレス界の節目に深く関わってきた人物だ。
| 関連エンティティ | 高橋奈七永との関係 | 主な意味・転換点 |
|---|---|---|
| 全日本女子プロレス | 1996年デビュー | プロレス人生の原点 |
| WWWA世界シングル王座 | 2004年に獲得 | 最後の王者として歴史に名を残す |
| プロレスリングSUN | 2006年に旗揚げ | 新しいプロレスへの挑戦 |
| スターダム | 2011年の旗揚げに参加 | 初代ワールド王者として団体を支える |
| SEAdLINNNG | 2015年に旗揚げ | 団体代表として運営にも携わる |
| マリーゴールド | 2024年5月に参加 | 現役生活最後の挑戦 |
| 青野未来 | 引退試合の対戦相手 | 2025年5月24日の最後の公式試合 |
| 中西百重 | 全女時代の同期 | デビュー戦と引退日の両方で対戦 |
| FLENJI | 2026年からトレーナー活動 | セカンドキャリアの活動拠点 |
2005年の全女解散後、高橋奈七永は2006年10月1日にプロレスリングSUNを旗揚げした。
海外選手との対戦を通じて、全女時代とは異なるプロレスの技術や考え方を吸収していく。
2008年にはフリーに転向し、夏樹たいよう、華名(現在のASUKA)とともに「パッション・レッド」を結成。
2010年にはプロレス大賞の女子プロレス大賞を受賞した。
そして2011年1月、スターダムの旗揚げに参加する。
ここで高橋奈七永が獲得したのが、ワールド・オブ・スターダム王座だ。初代王者となり、7度の防衛を達成。新団体の基盤づくりに貢献した。
SEAdLINNNGの旗揚げと代表としての活動2015年5月にスターダムを離れ、同年6月にはSEAdLINNNGを旗揚げした。
選手としてリングに立つだけではなく、団体を運営する立場にもなったことは大きな変化だった。
しかし、団体運営と現役選手としての活動を両立することは簡単ではない。
2021年12月にはSEAdLINNNGを退団。自身がうつ病を患っていたことも公表した。
その後、2022年4月にGLEATで復帰し、同年8月にはスターダムのリングにも再登場。10月には優宇とのタッグでゴッデス・オブ・スターダム・タッグリーグを制した。
苦難を経ても、プロレスラーとして再び立ち上がったのである。
最後の挑戦となったマリーゴールド2024年5月、高橋奈七永はロッシー小川が立ち上げた女子プロレス団体マリーゴールドに参加した。
約30年に及ぶキャリアを持つベテランとして、団体の精神的支柱となる役割も担った。
しかし、2024年12月13日、Sareeeとのマリーゴールド・ワールド王座戦に敗れた後、2025年5月に現役を引退すると発表する。
本人は当時、プロレスラーとしての区切りをつけ、自分の人生の第二章を始めたいという考えを示していた。
この発表から約5か月後、2025年5月24日に引退試合を迎えることになる。
【自伝を読む】『終わりよければ、すべてパッション!』に記された波乱の28年間
『終わりよければ、すべてパッション!』
著者:高橋奈七永/出版社:彩図社
- 発売:2025年5月23日(出版社書誌情報)
- ページ数:352ページ
- 価格:税込2,500円
- ジャンル:自伝・スポーツ・エッセイ
高橋奈七永のプロレス人生をより深く知りたい読者にとって、重要な資料となるのが自伝『終わりよければ、すべてパッション!』だ。
彩図社から刊行されたこの本は、約28年間のプロレス生活を振り返った集大成である。
出版元の紹介によると、内容は全日本女子プロレス時代から、プロレスリングSUN、スターダム、SEAdLINNNG、マリーゴールドまで幅広い。
また、日高郁人との対談や、キッスの世界に関する対談なども収録されている。
自伝で注目したい5つのテーマ1. 全日本女子プロレスへの憧れとデビュー
高校を中退してまで目指したプロレスの世界。入門後の経験や、中西百重との関係など、原点を知ることができる。
2. WWWA世界シングル王座の獲得と全女解散
念願のタイトルを獲得した一方、怪我によって王座を返上。さらに全女の解散という大きな出来事に直面する。
3. スターダムでの栄光と挫折
新団体の旗揚げに参加し、初代ワールド王者となるまでの経験と、その後の苦悩が重要なテーマとなっている。
4. SEAdLINNNGの設立と精神的な苦難
選手と団体運営者という二つの役割を担った時代。責任やプレッシャー、うつ病からの復活なども扱われている。
5. マリーゴールドで迎えた最後の挑戦
現役生活の最後に選んだ団体で、どのように引退までの時間を過ごしたのか。キャリアの締めくくりを知ることができる。
なぜ自伝が重要なのか高橋奈七永のキャリアは、獲得タイトルだけを並べても全体像を理解しにくい。
全女解散後に団体を立ち上げ、スターダムの旗揚げに参加し、SEAdLINNNGでは代表も務めた。
こうした経験は、プロレスラーとしての実績だけでなく、経営者・指導者としての側面も含んでいる。
2026年にトレーナーやコーチとして活動する姿を理解するうえでも、自伝に記された過去の経験は重要な背景となる。
【プロの視点】高橋奈七永の引退は終わりではなくキャリアの転換点
高橋奈七永の引退後の活動を考えると、注目すべきなのは、プロレスで培った経験を別の仕事にどう生かしているかという点だ。
一般的に、プロレスラーのキャリアは身体的な負担が大きく、現役生活を終えた後の働き方も重要な課題となる。
高橋奈七永自身も2026年5月のインタビューで、現役時代は引退後の人生を具体的に考えられなかったと振り返っている。
そのうえで、現在の仕事に出会えたことを、プロレス人生が役立つやりがいのある仕事として語っている。将来的には、プロレスラーやアスリートのメンタルを支えるコーチングにも取り組みたいという目標を示した。
プロレス経験がトレーナー活動に生きる理由プロレスラーとして長く活動するには、筋力や体力だけではなく、食事管理、コンディショニング、怪我への対応、精神的な自己管理など、多くの知識と経験が必要になる。
高橋奈七永は2026年のインタビューで、現役15周年を機に肉体改造に取り組み、半年間で約10kg減量した経験についても語っている。
この経験から食事の大切さを学び、身体づくりへの考え方が変わったという。
こうした自身の経験は、利用者の身体づくりを支える仕事に結びついている。
また、2026年6月にはFLENJIで「ナナエブートキャンプ」というグループレッスンも実施された。
施設の紹介によると、高橋奈七永の入場曲に合わせて身体を動かし、参加者の体力に応じて運動の質を高める内容だった。
現役時代のパッションを、運動を楽しむためのプログラムに変えている点も興味深い。
高橋奈七永の現在を評価する3つのポイント- 身体づくりの実体験: 約30年間の競技生活と自身の肉体改造経験を持つ。
- 継続を支えるコーチング: 運動だけでなく、目標設定や習慣づくりにも関心を持っている。
- プロレス界とのつながり: 引退後もイベントや交流を通じてプロレス関係者との関係を続けている。
ここで誤解したくないのは、引退後にプロレスとの関係が完全になくなったわけではないということだ。
2026年9月の本人のnoteでは、プロレス関係者の自主興行でナナエブートキャンプを実施したことも紹介されている。
ただし、これは現役選手としての試合復帰を意味するものではない。現在の中心的な活動は、コーチングや身体づくりの指導にある。
【高橋奈七永に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:高橋奈七永はいつ引退しましたか?
A1:2025年5月24日です。マリーゴールドの代々木第二体育館大会で青野未来と引退記念試合を行い、約29年間の現役生活を終えました。
Q2:高橋奈七永は2026年現在、何をしていますか?
A2:パーソナルトレーナー、ボディメイクコーチ、パッションコーチとして活動しています。2026年から高円寺のFLENJIでトレーナー活動を開始し、個別指導やグループレッスンにも取り組んでいます。
Q3:高橋奈七永はWWWA世界シングル王座を獲得していますか?
A3:はい。2004年に獲得しています。その後、怪我によって王座を返上しました。WWWA世界シングル王座の最後の王者としても知られています。
Q4:高橋奈七永の自伝は何という本ですか?
A4:彩図社から出版された『終わりよければ、すべてパッション!』です。2025年5月に刊行され、全日本女子プロレスからマリーゴールドまでのプロレス人生がまとめられています。
高橋奈七永は、2025年5月24日の引退試合をもって約29年間のプロレスラー人生に幕を下ろした。
全日本女子プロレスでのデビュー、2004年のWWWA世界シングル王座獲得、スターダムの旗揚げ、SEAdLINNNGの設立、そしてマリーゴールドでの最後の挑戦。数々の転機を経験してきた人物だ。
2026年現在はFLENJIでのトレーナー活動をはじめ、ボディメイクコーチやパッションコーチとして新しい道を歩んでいる。
特に注目したいのは、身体を鍛えるだけでなく、コーチングを通じて人の考え方や行動の変化を支えようとしていることだ。
高橋奈七永のプロレス人生は2025年に終わった。しかし、本人が大切にしてきた「パッション」という価値観は、現在の仕事にも引き継がれている。
引退を単なる競技生活の終わりとして捉えるのではなく、長年積み重ねてきた経験を次の世代や新しい利用者に還元する転換点として見ることが、彼女の現在を理解するうえで最も重要だ。
リングを降りても、パッションは終わらない。 2026年の高橋奈七永は、プロレスラーとは異なる立場から、新たな挑戦を続けている。