倉田真由美さんの夫だった叶井俊太郎さんは、1967年9月18日生まれ、東京都出身の映画プロデューサーです。
映画の買い付けや配給、宣伝、プロデュースなど、映画業界の幅広い仕事に携わりました。特に知られているのが、2001年に日本で公開されたフランス映画『アメリ』です。
叶井さんは、この作品を日本に紹介するための買い付けに関わりました。当初はカルト映画として注目していた作品が大ヒットし、日本国内で興行収入約16億円を記録。映画業界で叶井さんの名前が広く知られるきっかけになりました。
叶井俊太郎の代表的な仕事叶井さんの仕事は、一般的な映画プロデューサーのイメージだけでは語れません。
ホラー、カルト映画、コメディー、海外の個性的な作品など、ジャンルにとらわれず作品を日本に紹介してきた人物です。
代表的な関係作品には、次のようなタイトルがあります。
- 『アメリ』(2001年):日本での買い付け・紹介に関わり、大ヒットにつながった作品。
- 『いかレスラー』(2004年):河崎実監督による異色のコメディー映画。
- 『ヅラ刑事』:河崎実監督によるユニークな映画作品。
- 『日本以外全部沈没』(2006年):大胆な設定で話題を集めた風刺コメディー。
なかでも『アメリ』の成功は、叶井さんの映画を見る目と、一般的な商業映画の枠に収まらない作品を紹介する姿勢を象徴しています。
映画会社の経営と波乱のキャリア叶井さんは1991年に映画配給会社へ入社し、翌1992年には香港映画『八仙飯店之人肉饅頭』を買い付けました。
その後、2003年にファントム・フィルムの設立に携わり、2005年にはトルネード・フィルムを設立して代表を務めます。
しかし、映画会社の経営は順調な時期ばかりではありませんでした。トルネード・フィルムは2010年に破産を申請し、負債総額は約3億円と報じられています。
その後は映画の宣伝・プロデュースの仕事を続け、2019年にはサイゾーに移り、映画関連の業務に携わりました。
叶井さんのキャリアは、大ヒット作品を見いだす力と、映画会社経営の難しさの両方を経験したものだったのです。
【2009年に結婚】倉田真由美との馴れ初めと子供、結婚歴

倉田真由美さんと叶井俊太郎さんが結婚したのは、2009年9月です。
2人の交際が始まったのは2008年末ごろ。友人の作家・中村うさぎさんから紹介されたことが出会いのきっかけでした。
倉田さんは漫画家として、叶井さんは映画プロデューサーとして、それぞれ独自の世界で活動していました。
映画や漫画の好みが一致した2人2025年のインタビューで倉田さんは、叶井さんとは映画や漫画の好みが細かい部分まで一致していたと振り返っています。
初めて会ったときから話が尽きず、自然に交際が始まったといいます。
結婚に至るまでの経緯も比較的早く、2009年には妊娠と結婚を公表。同年11月16日には第2子となる女児が誕生しました。
倉田真由美と叶井俊太郎、それぞれの結婚歴2人には、それぞれ過去の結婚歴があります。
倉田さんは2006年に一度結婚しましたが、約1年半で離婚しています。前の結婚では長男が生まれており、叶井さんとの結婚は再婚でした。
一方、叶井さんは倉田さんと結婚する以前に3度の離婚を経験しています。倉田さんとの結婚は4度目でした。
ただし、結婚歴の多さだけで2人の関係を評価することはできません。倉田さん自身が後年のインタビューで語ったように、過去の結婚と叶井さんとの結婚では、夫婦の相性が大きく違っていたようです。
子供は何人?娘と長男について倉田さんには長男と長女の2人の子供がいます。
長男は以前の結婚で生まれた子供で、長女は2009年11月に叶井さんとの間に生まれた娘です。
叶井さんは長男とも家族として過ごし、長女の育児にも積極的だったと倉田さんが後年のインタビューで振り返っています。
叶井さんの死去当時、長女は中学2年生でした。
子供たちは一般人であり、成人後を含めた詳しい生活や職業などは公表情報が限られています。
家族のプライバシーを尊重することも大切です。
【叶井俊太郎の経歴と夫婦の歩み】年代別の重要な出来事
ここで、叶井さんの映画業界での活動と、倉田さんとの家庭生活、闘病の経緯を時系列で整理します。
| 時期 | 出来事 | 詳細・背景 |
|---|---|---|
| 1967年 | 東京都で誕生 | 9月18日生まれ |
| 1991年 | 映画配給会社に入社 | 映画業界でのキャリアを開始 |
| 1992年 | 香港映画を買い付け | 『八仙飯店之人肉饅頭』 |
| 2001年 | 『アメリ』に関わる | 日本で興行収入約16億円のヒット |
| 2003年 | ファントム・フィルム設立 | 映画配給事業に携わる |
| 2005年 | トルネード・フィルム設立 | 代表として映画事業を展開 |
| 2009年9月 | 倉田真由美と結婚 | 4度目の結婚 |
| 2009年11月 | 長女が誕生 | 16日に女児を出産 |
| 2010年 | 会社が破産申請 | 負債総額約3億円 |
| 2019年 | サイゾーに移る | 映画の宣伝・プロデュースに従事 |
| 2022年5~6月 | 膵臓がんと診断 | 余命半年から1年と告げられる |
| 2023年10月 | 病状を公表 | 倉田さんが夫の病気を公表 |
| 2023年11月 | ステージ4を公表 | 仕事を続けながら療養 |
| 2024年2月16日 | 死去 | 56歳。東京都内の自宅で亡くなる |
| 2025年2月 | 闘病記を刊行 | 『抗がん剤を使わなかった夫』 |
| 2025年10月 | 新たな著書を刊行 | 『夫が「家で死ぬ」と決めた日』 |
この年表から見えるのは、映画業界での活動と家庭生活が、叶井さんにとって切り離せないものだったということです。
特に、膵臓がんの診断を受けてからも仕事を続けたことは、本人の人生観をよく表しています。
【膵臓がんと余命半年の宣告】抗がん剤を使わなかった理由と最期
叶井俊太郎さんの病気が判明したのは、2022年5~6月ごろです。
体や顔が黄色くなる黄疸の症状が出たことが、病気に気づくきっかけでした。
当初、医療機関で胃炎と診断されたものの、倉田さんは症状に違和感を持ち、別の病院で診察を受けることを勧めました。
その後、膵臓がんと診断され、医師から余命半年から1年程度と告げられました。
なぜ抗がん剤治療を受けなかったのか叶井さんが選択したのは、抗がん剤治療やがんを切除するための標準的な治療を受けず、できるだけ普段どおりの生活を続けるという道でした。
本人は、抗がん剤による副作用や身体的な負担を避けたいと考えていました。
2023年の映画.comのインタビューでも、治療によって身体が衰弱することへの抵抗感や、残された時間を仕事に使いたいという考えを語っています。
叶井さんにとって、仕事は単なる収入源ではありませんでした。
映画の宣伝や企画に携わり、人と会い、好きな作品について話すことそのものが生活の楽しみだったのです。
余命を告げられた後も会社に出勤し、映画の宣伝活動を続けました。
抗がん剤を使わなかったから医療を受けなかった、というわけではないここは誤解されやすい部分です。
叶井さんは標準的な抗がん剤治療を選ばなかったものの、医療的な処置をすべて拒否したわけではありません。
倉田さんが2024年以降のインタビューで明かしたところによると、胆管にステントを入れる処置や、十二指腸が圧迫された際のバイパス手術などを受けています。
また、NKT細胞を用いた治療や高濃度ビタミンC点滴など、標準治療以外の方法も試していました。
倉田さん自身も2025年のインタビューで、どの方法に効果があったのかは分からないと説明しています。
したがって、叶井さんの闘病を「何も治療せずに過ごした」と表現するのは正確ではありません。
余命半年から約1年9カ月を生きた当初の余命宣告は半年から1年程度でした。
しかし、叶井さんはその後も仕事や日常生活を続け、2023年10月には倉田さんが病状を公表。11月にはステージ4であることも明らかになりました。
2023年12月には、末期がん患者としての経験を語った対談集『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』も刊行しています。
そして、2024年2月16日、東京都内の自宅で56歳で亡くなりました。
診断から亡くなるまでの期間は、診断時期の違いによって約1年8カ月から1年9カ月と報じられています。
最期まで自宅で過ごすことを望んだ夫叶井さんは最期を迎える場所として、自宅を選びました。
倉田さんは、夫が亡くなる前日までシャワーを浴び、髪を洗い、髭を剃り、普通に会話していたと振り返っています。
そして、2024年2月27日、倉田さんは夫の死を初めて公に報告しました。
「いい思い出しかありません。最高の父ちゃんでした」
この言葉には、闘病を支えた妻としての思いと、家族として過ごした年月への感謝が込められています。
なお、叶井さんの治療選択は本人と家族が置かれた状況の中で決めた個別の判断です。抗がん剤治療を受けないことが、膵臓がんの患者全員に適しているわけではありません。治療方法は病状や本人の希望を踏まえ、専門医と相談して決める必要があります。
【夫婦仲は本当に良かった?】叶井俊太郎の人物像と倉田真由美の証言
叶井俊太郎さんは、映画業界でも私生活でも個性の強い人物として知られていました。
仕事では、一般的なヒット作だけでなく、独特な世界観を持つ作品を積極的に紹介。映画のジャンルや興行規模にとらわれない姿勢が特徴でした。
一方、経営面では会社の破産という大きな挫折も経験しています。
成功だけでなく失敗も含めて、映画業界で強烈な印象を残した人物でした。
倉田真由美が語った夫婦の相性倉田さんは夫婦関係について、2025年のインタビューで、叶井さんとはほとんど喧嘩をしなかったと話しています。
以前の結婚では些細なことで衝突が続きましたが、叶井さんとは違いました。
映画や漫画の好みが似ていて、会話が尽きず、互いに無理をしない関係だったといいます。
また、倉田さんは2人の関係を一般的な恋愛夫婦とは少し違うものとして説明しています。
子供が生まれてからは「父ちゃん」と「ママ」と呼び合い、家族として自然体で暮らしていたそうです。
夫婦仲が良かったと分かるエピソード印象的なのは、夫が病気になった後も、倉田さんが本人の希望を尊重し続けたことです。
余命宣告を受けた当初は、治療を受けてほしいという思いもありました。しかし、複数の医療機関で意見を聞き、夫の希望や治療の負担について考える中で、本人の選択に寄り添うようになりました。
また、叶井さんは映画の仕事を最後まで大切にし、倉田さんや家族との日常も維持しようとしていました。
夫婦の関係を理解するうえでは、こうした日々の積み重ねが重要です。
叶井俊太郎の評判は?癖の強さと仕事への情熱叶井さんは、誰にでも好かれるタイプというより、強烈な個性を持つ人物でした。
倉田さん自身も、夫について「癖の強い人」と振り返っています。
映画関係者の追悼記事やインタビューからは、映画に対する情熱、仕事仲間との幅広い交流、独特のユーモアが伝わってきます。
また、亡くなる直前まで仕事を続け、映画関係者と関わり続けたことも特徴的です。
病気になってからも自分の人生の主導権を手放さず、好きな仕事を続けたいという意思を持っていたことが、叶井さんの人物像を理解する手がかりになります。
【2026年現在】倉田真由美は夫との死別後どうしている?2025年の著書も紹介
2026年11月現在、倉田真由美さんは夫との死別を経験した漫画家・著述家として、叶井さんとの生活や闘病を振り返る発信を続けています。
特に注目されるのが、2025年に刊行した2冊の著書です。
2025年2月『抗がん剤を使わなかった夫』2025年2月14日発売・古書みつけ
『抗がん剤を使わなかった夫~すい臓がんと歩んだ最期の日記~』
この本は、叶井さんが膵臓がんと診断されてから亡くなるまでの約640日間を、妻の視点から記録した作品です。
抗がん剤を使わない選択をした夫の日常、家族との生活、病状の変化、最期の時間などがつづられています。
単なる闘病記ではなく、本人の意思を尊重することや、残された時間をどう過ごすかという問題にも向き合った内容です。
叶井さんの病気についてニュースで知った人にとっても、報道だけでは分からない家庭内での出来事を知る手がかりになります。
2025年10月『夫が「家で死ぬ」と決めた日』2025年10月刊行・小学館
『夫が「家で死ぬ」と決めた日 すい臓がんで「余命6か月」の夫を自宅で看取るまで』
こちらは、自宅で夫を看取るまでの経験に焦点を当てた著書です。
叶井さんが自宅で最期を迎えたいと考えるようになった経緯や、家族がどのように在宅での生活を支えたのかが記されています。
在宅での看取りを考える家族に向けた情報も含まれ、在宅緩和ケア医による解説や準備のためのチェックリストも掲載されています。
2冊を読み比べると、最初の著書が夫の闘病と日常を記録したもの、2冊目が自宅で最期を迎えるまでの具体的な過程に重点を置いたものという違いがあります。
死別後の生活と家族について夫の死後、倉田さんは悲しみを抱えながらも、漫画や映画、日々の暮らしを続けてきました。
2024年には、娘と23歳の姪との3人暮らしが始まったことも公表しています。
その後のインタビューでは、夫を亡くした喪失感についても率直に語っています。
2026年現在、叶井さんが亡くなったという事実は変わりませんが、倉田さんが夫との時間を著書に残したことによって、2人の人生や闘病の記録は多くの読者に共有されています。
なお、2026年の具体的な出演予定や家族の日常の詳細については、本人の公表情報を基準に受け止める必要があります。
【倉田真由美の旦那に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:倉田真由美の旦那は誰ですか?
A1:映画プロデューサーの叶井俊太郎さんです。2009年9月に結婚し、2024年2月16日に膵臓がんのため56歳で亡くなりました。
Q2:叶井俊太郎の死因は何ですか?
A2:膵臓がんです。2022年に診断され、余命半年から1年と告げられた後、約1年8カ月から1年9カ月にわたり闘病しました。
Q3:叶井俊太郎はなぜ抗がん剤を使わなかったのですか?
A3:抗がん剤の副作用や身体的負担を避け、残された時間を仕事や日常生活に使いたいと考えたためです。ただし、ステント処置やバイパス手術などの医療的処置は受けています。
Q4:倉田真由美と叶井俊太郎の間に子供はいますか?
A4:2009年11月に生まれた娘がいます。また、倉田さんには以前の結婚で生まれた長男もいます。
Q5:叶井俊太郎は映画『アメリ』の監督ですか?
A5:監督ではありません。日本での買い付けに関わった映画プロデューサー・映画配給関係者です。『アメリ』は日本で約16億円の興行収入を記録しました。
Q6:叶井俊太郎は何度結婚していますか?
A6:倉田真由美さんとの結婚は4度目でした。それ以前に3度の離婚を経験しています。
Q7:倉田真由美は2026年現在、どのような活動をしていますか?
A7:漫画家・著述家として活動し、2025年には夫との闘病を記録した『抗がん剤を使わなかった夫』と、自宅での看取りを振り返る『夫が「家で死ぬ」と決めた日』を刊行しています。
倉田真由美さんの旦那は、映画プロデューサーの叶井俊太郎さんです。
2009年に結婚した2人は、映画や漫画の好みが一致し、喧嘩の少ない自然体の夫婦関係を築いてきました。
叶井さんは『アメリ』の日本でのヒットに関わるなど映画業界で活躍しましたが、2022年に膵臓がんと診断され、2024年2月16日に56歳で亡くなりました。
抗がん剤治療を選ばず、仕事や家族との時間を大切にした闘病生活は、大きな注目を集めました。
そして、倉田さんは2025年に2冊の著書を刊行し、夫との最後の日々や自宅での看取りを記録しました。
今回の話から読み取れる要点は3つあります。
1. 叶井俊太郎さんは、映画『アメリ』の買い付けなどで知られる映画業界の人物だった。
2. 夫婦の関係は、互いの個性や希望を尊重する自然体の家族関係だった。
3. 2025年の著書は、夫婦の闘病記録であると同時に、在宅での看取りや家族の意思決定を考える資料にもなっている。
叶井さんの人生は、映画への情熱と自分らしい生き方を貫いた人生でした。そして倉田さんが残した記録は、夫婦がともに過ごした時間を後世に伝えるものになっています。