『情報ライブ ミヤネ屋』の最終回は、2026年10月2日(金)午後1時55分から3時50分まで放送されました。読売テレビ制作、日本テレビ系列で全国に放送されてきた昼の情報番組です。
最終回の放送回数は5134回。2006年7月31日の初回放送から約20年、平日の午後を彩ってきた番組が、節目となる20周年の時期に終了しました。
最終回の冒頭では、宮根が過去の放送映像を振り返りながら番組の歩みを紹介。初回放送当時43歳だった宮根の姿も映し出され、長い年月を重ねてきたことを印象づけました。
宮根は冒頭で、2006年7月31日に番組が始まったことと、今回が5134回目の放送であることを伝え、視聴者に感謝を示しました。単なる番組終了の告知ではなく、20年間の活動を振り返る特別な生放送としてスタートしたのです。
読売テレビの最終回告知でも、20年間に番組を彩った各界の人物への感謝を込めた企画が発表されていました。
【終了理由を検証】宮根誠司がミヤネ屋を卒業した本当の理由

ミヤネ屋終了をめぐって最も関心を集めたのが、「なぜ人気番組を終わらせる必要があったのか」という疑問です。
今回の終了は、宮根誠司本人から番組側に申し出たことが発端でした。2026年1月28日に終了方針が報道され、翌29日には関係者が宮根本人の意向によるものと説明。2月12日には宮根が番組内で正式に卒業を発表しました。
読売テレビの松田陽三社長も同日の記者会見で、宮根には20年で一区切りをつけたいという思いがあり、局側は慰留したものの、最終的には本人の意向を尊重したと説明しています。
つまり、局側が一方的に司会者を交代させたという話ではありません。20年という節目を迎えた宮根自身が、新しい人生の時間を確保するために選んだ卒業だったのです。
宮根が明かした「20年で一区切り」の理由終了の背景をさらに詳しく理解するには、2026年10月15日に出演したTOKYO FMのラジオ番組『ラジオのタマカワ』での発言が重要です。
宮根は、実は60歳になるタイミングでも一度、番組を卒業したいと申し出ていたことを明かしました。しかし、その際は周囲から慰留され、出演を続けることになったといいます。
そして、63歳を迎える2026年、放送開始から20年という節目で改めて卒業を決断しました。
宮根が語った理由の中心にあったのは、人生に残された時間への意識でした。
「圧倒的に人生の時間がないと思った」
加えて、健康寿命を意識する年齢になり、仕事を続けるだけでなく、旅行や新しい挑戦、人生を楽しむための時間も確保したいという考えを語っています。
毎週月曜日から金曜日まで生放送を担当する帯番組は、出演者にとって大きな責任を伴います。ニュースの準備、取材、打ち合わせ、放送本番を長年続ける生活では、ほかの仕事に挑戦する余裕も限られます。
宮根にとってミヤネ屋の卒業は、テレビの仕事を完全に辞めることではなく、長年固定されていた働き方を変えるための決断だったと読み取れます。
視聴率低迷による打ち切り説は本当なのか番組終了のニュースが出た際には、視聴率の低迷や昼の情報番組をめぐる競争が原因ではないかという見方もありました。
しかし、読売テレビが示した説明は、宮根本人の20年で一区切りをつけたいという意向を尊重したというものです。宮根自身も、10月15日のラジオ出演で、人生の時間や健康寿命、新しい挑戦のために卒業を選んだと説明しています。
したがって、視聴率低迷による打ち切りだったと断定する根拠はありません。番組の終了と司会者の卒業を混同しないことが、今回の経緯を理解するポイントです。
【20年の歴史と歴代出演者】ミヤネ屋を支えた人物と転換点
ミヤネ屋は、最初から全国的な知名度を持っていた番組ではありません。大阪発のローカル情報番組としてスタートし、徐々に放送エリアを広げていきました。
番組の大きな特徴は、宮根の関西らしいテンポのある進行と、ニュースをめぐる出演者同士の率直なやり取りです。政治、事件、芸能、スポーツ、生活情報など幅広い話題を扱い、ニュースを伝えるだけでなく、出演者の反応や議論も番組の見どころになっていました。
ミヤネ屋の主要な歴史年表| 時期 | 出来事・出演者 | 番組における意味 |
|---|---|---|
| 2006年7月31日 | ミヤネ屋放送開始 | 関西ローカル番組としてスタート |
| 2007年4月 | 森若佐紀子アナウンサー | 初期のアシスタントを担当 |
| 2008年3月31日 | 全国ネット放送開始 | 大阪発の情報番組として全国に展開 |
| 2011年4月 | 川田裕美アナウンサー | アシスタントを引き継ぐ |
| 2015年3月 | 林マオアナウンサー | 新たな進行体制へ |
| 2020年8月 | 澤口実歩アナウンサー | アシスタントを担当 |
| 2025年3月 | 西尾桃アナウンサー | 最終期の進行を担当 |
| 2026年2月12日 | 宮根が卒業を正式発表 | 20年で一区切りを決断 |
| 2026年10月2日 | 最終回・5134回 | 20年間の放送が終了 |
歴代アシスタントの交代は、番組の時代ごとの変化を象徴しています。森若佐紀子、川田裕美、林マオ、澤口実歩、西尾桃と、読売テレビのアナウンサーが宮根を支えてきました。
また、コメンテーターやリポーターにも多彩な顔ぶれが参加。丸岡いずみ、藤村幸司、ガダルカナル・タカ、杉山愛、アン ミカらは、番組を語るうえで欠かせない出演者です。
こうした出演者の入れ替わりがありながらも、宮根が中心となる番組の基本スタイルは維持されました。
大阪発の番組が全国区になった背景ミヤネ屋の大きな転換点は、2008年3月31日の全国ネット放送開始です。
それ以前は関西を中心とする番組でしたが、全国に放送されるようになったことで、宮根の名前と番組独自の進行スタイルが広く知られるようになりました。
2016年の放送10周年を振り返ったインタビューでは、宮根自身が、東京のキー局とは異なる大阪発の距離感を番組の武器として挙げています。政治家やゲストにも遠慮せず質問する姿勢が、番組の個性につながっていました。
東京のスタジオから発信する一般的な情報番組とは異なり、大阪を制作拠点としながら全国のニュースを扱う。この地域性と全国ネットの組み合わせが、ミヤネ屋の独自性を生み出した要因のひとつです。
【最終回の放送内容】大表彰SPと藤井聡太・杉本昌隆の師弟インタビュー
2026年10月2日の最終回を象徴した企画が、特別編成の「あのニュースの主役を直撃&大表彰SP」でした。
番組が20年間にわたって取り上げてきたニュースの主役や各界の著名人を訪ね、感謝の表彰状を贈るとともに、当時の出演や取材を振り返る構成です。
単に過去の映像を流すだけでなく、番組に関わった人物と改めて向き合い、当時は話せなかったエピソードを聞くことが企画の中心でした。
藤井聡太六冠と杉本昌隆八段が師弟そろって登場最終回の大きな見どころのひとつが、将棋界の藤井聡太六冠と師匠の杉本昌隆八段へのインタビューでした。
宮根自ら2人のもとを訪ね、師弟がそろった状態で話を聞くという、最終回にふさわしい企画が実現しました。
話題になったのは、藤井の棋士としての歩みだけではありません。師匠と弟子の関係、普段のやり取り、プライベートに関する質問など、将棋の対局中にはなかなか聞けない素顔にも迫りました。
特に印象的だったのが、藤井が三段リーグに在籍していた時期、杉本からかけられた言葉について振り返った場面です。
「心配してないから」
藤井は、師匠からこの言葉をかけられたことを印象に残っている出来事として語りました。結果が求められる厳しい世界で、弟子を信頼して見守る師匠の姿勢が伝わるエピソードです。
宮根の率直な質問と、杉本の親しみやすい受け答えも見どころになりました。勝負師としての藤井と、師匠として弟子を支える杉本という異なる立場から、二人の関係性が浮かび上がるインタビューでした。
沢尻エリカのサプライズ出演も実現もうひとつ話題になったのが、俳優の沢尻エリカのサプライズ出演です。
最終回前日の告知では、宮根が「超大物俳優をめぐって、まさかまさかの大展開が起こった」と予告していました。
実際の最終回では、過去に番組が大規模な捜索取材を行ったこともある沢尻がスタジオに生出演。宮根へのサプライズという形で登場しました。
過去の取材対象者が最終回に再び番組に登場するという展開は、ミヤネ屋の20年間の取材と人とのつながりを象徴する場面となりました。
20年間の名場面集で振り返ったニュース最終回では、20年分の放送から厳選した名場面集も紹介されました。
ミヤネ屋が扱ってきたのは、芸能ニュースや日々の話題だけではありません。東日本大震災、新型コロナウイルスの感染拡大、安倍元首相銃撃事件、旧統一教会問題など、日本社会を揺るがした重大ニュースも取り上げてきました。
政治の動き、事件・事故、自然災害、国民的な話題。20年のニュース映像を並べることは、そのまま日本社会の変化を振り返ることにもつながります。
加えて、出演者からのメッセージや天気予報の特別企画も用意され、最後までミヤネ屋らしい幅広い内容が盛り込まれました。
【宮根誠司の最後の挨拶】涙を見せた理由と20年間への感謝
最終回のクライマックスは、宮根による最後の挨拶でした。
スタジオには歴代のコメンテーターやリポーター、番組を支えてきたスタッフらが集まりました。宮根は視聴者だけでなく、スポンサーや制作関係者にも感謝を伝え、20年間の放送を振り返りました。
特に宮根の感情が大きく揺れたのが、長年一緒に仕事をしてきたリポーター・藤村幸司の登場でした。
藤村幸司の復帰に宮根が涙藤村幸司は、ミヤネ屋で長年リポーターを務めてきた人物です。最終回では約4か月ぶりにスタジオに姿を見せました。
その際、藤村自身が、がんを患って治療を受けていたことを明かしました。宮根は、卒業発表の直後ごろに藤村の病気が分かったこと、長年の仕事仲間として一緒に20周年を迎えたいと思っていたことを振り返りました。
そして、藤村に向かって感謝の言葉を伝えます。
「治ってくれてありがとう」
この場面では宮根が声を詰まらせ、涙を拭う姿が映し出されました。藤村も、再びスタジオに戻れたことへの思いを語っています。
単に番組が終わる寂しさだけではなく、長年苦楽を共にしてきた仲間が再びそろったことへの安堵や感謝が重なった瞬間でした。
最終回の涙が印象に残った理由は、こうした人間関係が画面を通じて伝わったことにもあります。
「私のわがままで卒業」宮根が語った最後の言葉宮根は、番組終了について自分自身の決断だったことを改めて説明しました。
「私のわがままで卒業させていただくということになりました」
加えて、20年間にわたって視聴者から叱咤激励を受け、番組を続けてこられたことへの感謝を伝えました。
最後に語ったのは、寂しさと解放感が入り交じった複雑な心境です。
「寂しいという気持ちと、ちょっと肩の荷が降りたような」
そして、今後の司会者人生についても言及。残された時間は多くないと感じているものの、テレビを見ている人の力になり、平和で笑顔になれることを伝える司会者でありたいという思いを述べました。
最後は「ミヤネ屋、これにて閉店ガラガラ~」という言葉で締めくくりました。ますだおかだの岡田圭右のギャグを取り入れた、笑顔を残すフィナーレでした。
涙で始まり、笑いで締める。宮根らしい最後の挨拶だったといえます。
【後番組と宮根の現在】ニュースtoへの交代と今後の活動
ミヤネ屋が終了した後、読売テレビの平日午後1時55分の時間帯を引き継いだのが、新情報番組『ニュースto(にゅーすと)』です。
後番組「ニュースto」は10月5日にスタート『ニュースto』は2026年10月5日(月)に放送を開始しました。ミヤネ屋の終了から週明けを挟んで、新しい情報番組へとバトンが渡された形です。
読売テレビが掲げた番組コンセプトは「ニュースと“あなた”の暮らしをつなぐ」。情報を伝えるだけでなく、視聴者がニュースを考え、備え、行動するきっかけを届けることを目指しています。
MC体制は曜日によって異なります。
- 月曜日~木曜日:黒木千晶アナウンサー
- 隔週金曜日:黒木千晶アナウンサー
- 毎週金曜日:村上信五(SUPER EIGHT)
- 月曜日~木曜日のサブMC:岩原大起アナウンサー
- 隔週金曜日のサブMC:西尾桃アナウンサー
曜日レギュラーには黒谷友香、石原伸晃、内藤剛志、アン ミカらが参加。火曜日は週ごとに出演者を起用する方針も発表されています。
ミヤネ屋が宮根の個性を中心にした進行を特徴としていたのに対し、ニュースtoは複数の視点や出演者の知見を引き出す番組づくりを掲げています。
同じ時間帯の情報番組でも、MCの構成やニュースへの向き合い方には違いが見られます。
宮根誠司は現在も「Mr.サンデー」に出演ミヤネ屋の卒業によって、宮根がテレビから引退したわけではありません。
2026年11月現在も、フジテレビ系の情報番組『Mr.サンデー』でキャスターを務めています。番組公式情報でも、11月の放送予定に宮根の出演が掲載されています。
宮根は2026年7月のプラチナエイジ授賞式でも、『Mr.サンデー』については引き続き頑張りたいと話していました。したがって、ミヤネ屋の終了は司会者としての活動全体の終了ではありません。
また、10月15日のラジオ出演では、これまでの報道・情報番組とは異なるジャンルにも挑戦してみたいと発言。ニュース以外の番組に呼ばれれば出演してみたいという希望を明かしました。
10月21日のニッポン放送の番組出演では、長年の帯番組を離れたことで平日の自由な時間が生まれた一方、生活の変化に戸惑う気持ちも語っています。新たなレギュラー番組が決まっているという発表はなく、今後の活動は既存の出演と新しい仕事への可能性を探る段階です。
宮根が選んだのは、仕事を辞めることではなく、仕事の幅と人生の時間を組み直すことだったのでしょう。
【よくある質問】ミヤネ屋の最終回に関するFAQ
Q1:ミヤネ屋の最終回はいつ放送されましたか?
A1:2026年10月2日(金)午後1時55分から3時50分まで放送されました。通算5134回目の生放送で、2006年7月31日から続いた約20年の歴史に幕を下ろしました。
Q2:ミヤネ屋の終了理由は視聴率低迷ですか?
A2:公表された主な理由は、宮根誠司本人が20年を節目に卒業したいと申し出たことです。読売テレビ側は慰留したものの、本人の意向を尊重したと説明しています。
Q3:宮根誠司は最終回で泣いたのですか?
A3:はい。長年のリポーターである藤村幸司が、がんの治療を経て約4か月ぶりにスタジオに復帰した場面で涙を見せました。「治ってくれてありがとう」と感謝を伝えた姿が大きな反響を呼びました。
Q4:最終回の藤井聡太と杉本昌隆のインタビューでは何を話しましたか?
A4:師弟関係や普段の交流、プライベートなどについて宮根が質問しました。藤井は三段リーグ時代に杉本から「心配してないから」と声をかけられたエピソードも振り返りました。
Q5:ミヤネ屋の後番組は何ですか?
A5:2026年10月5日から『ニュースto』が始まりました。月曜日から木曜日は黒木千晶アナウンサー、金曜日はSUPER EIGHTの村上信五がMCを担当しています。
Q6:宮根誠司は現在、何をしていますか?
A6:2026年11月現在もフジテレビ系『Mr.サンデー』のキャスターを務めています。また、本人はニュース以外のジャンルの番組にも挑戦したいという意向を明かしています。
『情報ライブ ミヤネ屋』は、2026年10月2日の5134回目の放送をもって、20年の歴史に幕を下ろしました。
今回の終了で押さえておきたいのは、番組終了の主体が宮根誠司本人の卒業希望だったことです。20年という節目、60代以降の人生の時間、新しい仕事への挑戦。これらが重なった結果として、本人が番組を離れる決断をしました。
最終回では、藤井聡太六冠と杉本昌隆八段の師弟インタビュー、沢尻エリカのサプライズ出演、20年間の名場面集など、番組を象徴する企画が並びました。そして藤村幸司の復帰と宮根の涙が、長年の仲間との絆を印象づけました。
一方、後番組の『ニュースto』は新しいMC体制でスタートし、宮根自身も『Mr.サンデー』を中心に活動を続けています。
今回の出来事を理解するうえで大切なのは、番組の終了と出演者の引退を同じものとして捉えないことです。長寿番組が終わっても、そこで培われた経験や人間関係、視聴者とのつながりが消えるわけではありません。
大阪発の情報番組を全国区に育てた20年間は、宮根誠司にとっても読売テレビにとっても大きな財産です。そして宮根にとってのミヤネ屋卒業は、過去を終わらせるだけではなく、新しい自分を試すためのスタートでもあります。
「これにて閉店ガラガラ」という最後の言葉は、20年の歴史を笑顔で締めくくると同時に、宮根誠司の次の挑戦を予感させるものとなりました。