- 長男:平野英樹(ひらの・えいじゅ)
- 次男:平野歩夢(ひらの・あゆむ)
- 三男:平野海祝(ひらの・かいしゅう)
2022年の日本テレビの特集でも、3人は「平野3兄弟」として紹介された。単に同じ競技を楽しんでいた兄弟ではなく、それぞれが国内外の舞台で実績を残している点が特徴だ。
平野歩夢の家族構成新潟県の公式発表によると、2022年3月に歩夢と海祝が県知事を表敬訪問した際、父の平野英功さん、母の平野富美子さんも同行している。
公表されている家族関係を整理すると、父・母・3人の息子という構成になる。
父の英功さんはサーフィンに親しみ、息子たちがボードスポーツを始めるきっかけをつくった人物でもある。
【年齢差・競技歴を比較】平野英樹、歩夢、海祝のプロフィール一覧

3兄弟の年齢差は、歩夢を基準にすると、兄の英樹が約3歳上、弟の海祝が約4歳下となる。
日刊スポーツが2026年4月15日のトークイベントで報じた年齢は、英樹30歳、歩夢27歳、海祝23歳だった。
以下は、同日の報道と日本オリンピック委員会(JOC)、所属先の公表情報をもとに整理した比較表だ。
※年齢は2026年4月15日の報道時点。年齢差は報道された満年齢からの目安で、誕生日によって実際の日数・月数の差は異なる。
長男・平野英樹は歩夢の原点となった存在兄・英樹さんは、幼い頃からスノーボードで頭角を現したプロスノーボーダーだ。
日本テレビの2022年の特集によると、英樹さんは当時、最年少記録となる12歳でプロスノーボーダーになった。
加えて、13歳の頃には東京ドームで開催された世界大会「X-TRAIL JAM」に出場する実力を持っていた。ジュニア時代から国内外で注目されていた選手だったことが分かる。
歩夢が競技を始めた背景にも、兄の存在があった。
2026年8月に公開された専門メディア「BACKSIDE」の特集では、歩夢が幼少期から英樹の練習や行動を見ながら成長してきた経緯が紹介されている。
歩夢自身も、ソチ五輪前のインタビューで兄について次のように振り返っていた。
英樹がやってることを見ながら、英樹の後ろをずっとついてきました。
兄は単なる競技の先輩ではなく、歩夢にとって目標を具体的に示してくれる存在だった。
また、英樹さんは2026年4月のトークイベントで、将来的にはアスリートのセカンドキャリア支援に取り組みたいという考えも語っている。
競技者として培った経験を、次の世代や競技生活を終えた選手たちに還元しようとする姿勢も、現在の英樹さんを知るうえで注目したい点だ。
三男・平野海祝は北京五輪で世界に存在感を示した弟の海祝は、兄たちの影響を受けながらスノーボードの道へ進んだ。
所属先のTOKIOインカラミの選手紹介によると、海祝は2014年のソチ五輪で歩夢の活躍を見たことをきっかけに、12歳で本格的にスノーボードを目指した。
主な競技実績は次のとおりだ。
- 2018年:世界ジュニア選手権3位
- 2020年:冬季ユースオリンピック銀メダル
- 2022年:Winter X Games銅メダル
- 2022年:北京冬季五輪男子ハーフパイプ9位
特に北京五輪で注目されたのが、約7.4メートルの高さに達したエアだ。初出場ながら大きな存在感を示し、世界のスノーボードファンに名前を知られるようになった。
海祝は、兄の歩夢と同じ競技に挑戦しながらも、自分自身の個性を持つ選手として成長している。
2026年4月のトークイベントでは、オフシーズンにサーフィンにも取り組んでいることを紹介。新潟の海の寒さについてユーモアを交えて話し、兄たちにもサーフィンを勧めていた。
【3兄弟の原点】スケートボードとスノーボードを続けた幼少期
平野3兄弟の強さを考えるうえで欠かせないのが、幼少期から続けてきたスケートボードとスノーボードの練習だ。
3人は新潟県村上市で育ち、夏場はスケートボード、冬場はスノーボードという環境でボードスポーツに取り組んできた。
雪の日も続いた3人のスケートボード練習2026年4月15日、東京都内で開催されたユニクロのトークイベントでは、3兄弟が幼少期の練習について振り返った。
日刊スポーツによると、3人は雪が降る寒い日にも毎日のように集まり、スケートボードで競い合っていたという。
印象的なのは、単に技を練習するだけではなく、誰が一番上手いのかを毎日決めていたことだ。
英樹さんは当時について、次のように話した。
誰が1位か毎日決めるっていうのをやっていて、めちゃくちゃ楽しかった。
歩夢も、五輪を超えた目標として「宇宙一決定戦」を持ち出していたことを懐かしんだ。
勝敗を競いながらも、競技そのものを楽しむ。こうした日々の積み重ねが、3人それぞれの技術を磨く土台になった。
スケートボードとスノーボードの二刀流が育った理由平野兄弟の特徴は、幼少期から複数のボードスポーツに触れていたことだ。
スケートボードでは、バランス感覚やボードの操作、空中での身体の使い方などを身につける機会がある。一方、スノーボードのハーフパイプでは、雪面の状況やスピード、高さ、着地の精度などが求められる。
もちろん、両競技は同じ技術で成り立つわけではない。しかし、空中で身体をコントロールする感覚や、繰り返し挑戦する姿勢など、共通する部分もある。
歩夢は実際に東京2020オリンピックでスケートボード男子パークに出場し、その後、北京2022ではスノーボード男子ハーフパイプで金メダルを獲得した。
日本オリンピック委員会の記録にも、歩夢がスケートボードとスノーボードの両方で五輪に出場したことが残されている。
父・平野英功が整えた練習環境兄弟の成長を語るうえで、父・平野英功さんの存在も重要だ。
英功さんはもともとサーフィンに親しんでいた。息子たちも当初はサーフィンに触れたが、長男の英樹さんが海で溺れた経験から海を怖がるようになり、その後、スケートボードやスノーボードに興味を持つようになったという。
2018年の日刊スポーツの取材では、英功さんが歩夢の幼少期に新潟県村上市の老朽化した体育館を借り、日本海スケートパークとして整備した経緯を明かしている。
その際に必要だった資金は約800万円。英功さんは借金をして施設を整え、息子たちが地元で練習できる場所をつくった。
加えて、遠征費や宿泊費を節約するため、県外の大会に出向いた際には車中で過ごすこともあったという。
ここで注目したいのは、父親が単に子どもたちに競技を勧めたのではなく、練習を継続できる環境そのものをつくったことだ。
地方に住む若い選手にとって、身近に本格的な練習施設があるかどうかは、競技を続けられるかを左右する要素になる。
平野3兄弟が幼少期からボードスポーツに打ち込めた背景には、こうした家族の取り組みがあった。
【兄弟仲は良い?】喧嘩もあった幼少期から現在の関係まで
平野3兄弟は、幼い頃から常に仲良く過ごしていたというわけではない。
2026年4月のFASHIONSNAPの報道によると、歩夢は兄との幼少期について、2人で夢中になってボードに打ち込みながら、たくさん喧嘩もしたと振り返っている。
その関係を表す言葉として印象的なのが、次の一言だ。
兄・英樹とは競い合いながら成長言葉というより、背中で学ばせてもらう関係だった。
幼少期の歩夢は、兄の練習を見ながら技術を覚えていった。
BACKSIDEの特集では、父の英功さんも、英樹が歩夢の見本となり、兄弟が同じ環境で成長してきたことを振り返っている。
歩夢は兄が父から指導を受ける様子を見て、自分の練習にも生かしていたという。
一方で、練習中には父から厳しく指導される場面もあり、歩夢自身も兄と父のやり取りを見ながら、次に何を求められるのか考えていた。
こうしたエピソードからは、兄弟の関係が単純な仲良しではなく、競技を通じて刺激を与え合うものだったことが伝わってくる。
2026年、3兄弟が初めてそろってトークイベントに登壇2026年4月15日のユニクロのトークイベントは、3兄弟の現在の関係を知るうえでも重要な機会だった。
FASHIONSNAPによると、3人がそろってトークショーに出演するのは初めてだった。
イベントでは幼少期の思い出だけでなく、歩夢が2026年のミラノ・コルティナ五輪を目指す過程で経験した大けがについても話題になった。
歩夢は五輪直前の1月末に骨盤などを骨折。大会への出場が危ぶまれるほどの状態だったが、リハビリとトレーニングを続けて本番の舞台に立った。
その間、英樹と海祝は家族として歩夢を支えながらも、必要以上に言葉をかけず、本人を見守ることを選んだという。
海祝は事故を目撃した際の恐怖を語り、英樹も家族として簡単には手助けできない状況だったと振り返っている。
歩夢自身も、兄弟があえて距離を保ってくれていたことを感じていたと話した。
これは兄弟仲を考えるうえで興味深いエピソードだ。
幼少期には競い合い、時には喧嘩もしていた3人が、現在は互いの競技者としての立場や気持ちを理解し、必要な距離を保ちながら支え合っている。
2026年11月現在、歩夢は次の挑戦を見据える2026年のミラノ・コルティナ五輪では、歩夢は男子ハーフパイプで7位に入賞した。
JOCの公式記録によると、歩夢はソチ2014で銀メダル、平昌2018で銀メダル、北京2022で金メダルを獲得しており、ミラノ・コルティナ大会で5大会連続の五輪出場を果たした。
また、2026年4月のイベントでは、もう一度オリンピックを目指したいという思いと、新しいことにも挑戦したいという意欲を語っている。
英樹は競技経験を生かしたセカンドキャリア支援、海祝は次世代を引っ張る存在になることを将来の目標として挙げた。3人が同じ競技だけにこだわらず、それぞれの道を考え始めている点も見逃せない。
【プロの結論】平野歩夢の強さを理解する鍵は3兄弟の競争環境にある
平野歩夢の競技人生を振り返ると、五輪でのメダル獲得だけでは説明できない背景が見えてくる。
それは、幼少期から兄と弟が身近なライバルだったこと、そして父親が地元に練習環境を整えたことだ。
特に重要なのは、兄弟それぞれが同じ道を歩みながら、同じ結果を目指すだけではなかった点にある。
- 英樹は先頭を走る兄として、歩夢の競技人生の手本になった。
- 歩夢は兄の背中を追いながら、五輪金メダリストへと成長した。
- 海祝は兄の活躍をきっかけに競技を志し、北京五輪の舞台に立った。
3人が同じ環境で競い合っていたからこそ、互いの技術や成長を間近で感じられた。
また、スケートボードとスノーボードの両方に取り組んだ経験も、平野家ならではの特徴だ。
ただし、歩夢の成功を兄弟の競争だけに結びつけるのは正確ではない。本人の努力、競技を支える指導者やスタッフ、家族の支援、地元の練習環境など、複数の要素が重なっている。
2026年のトークイベントで3人が語ったエピソードは、競技成績だけでは見えない平野兄弟の関係を伝えている。
【よくある質問】平野歩夢の兄弟に関するFAQ
Q1:平野歩夢の兄弟は何人ですか?
A1:兄と弟が1人ずついる3人兄弟です。長男が平野英樹さん、次男が平野歩夢選手、三男が平野海祝選手です。
Q2:平野歩夢と兄・英樹、弟・海祝の年齢差は?
A2:2026年4月15日の報道時点では、英樹さんが30歳、歩夢選手が27歳、海祝選手が23歳でした。歩夢選手との年齢差は、兄が約3歳上、弟が約4歳下です。
Q3:平野英樹もオリンピック選手ですか?
A3:英樹さんはプロスノーボーダーですが、歩夢選手や海祝選手とは異なり、五輪出場選手として紹介されているわけではありません。12歳でプロになった実績を持ち、幼少期の歩夢選手に大きな影響を与えました。
Q4:平野3兄弟は全員スケートボードをしていたのですか?
A4:はい。3人は幼少期からスケートボードに取り組んでいました。冬はスノーボードにも励み、互いに競い合っていました。ただし、現在の競技活動や実績はそれぞれ異なります。
Q5:平野歩夢の父親はどんな人ですか?
A5:父親は平野英功さんです。サーフィンに親しみ、息子たちの競技環境を整えるため、新潟県村上市に日本海スケートパークを整備しました。約800万円の借金をして施設をつくったことも、日刊スポーツの取材で明かしています。
Q6:平野歩夢兄弟の現在の仲は良いですか?
A6:2026年4月の3兄弟のトークイベントでは、幼少期の喧嘩や競争について語る一方、五輪直前の大けがを家族として見守った経験も紹介されました。互いを尊重しながら支え合う関係がうかがえます。
Q7:2026年に平野歩夢はどんな成績を残しましたか?
A7:2026年2月のミラノ・コルティナ冬季五輪で男子ハーフパイプ7位に入賞しました。北京五輪の金メダリストとして連覇に挑み、大会直前の大けがを乗り越えて出場したことも大きな話題になりました。
平野歩夢には、兄・英樹さんと弟・海祝選手がいる。3人は幼少期からスケートボードとスノーボードに取り組み、互いに競い合いながら成長してきた。
兄の英樹さんは歩夢にとって競技の手本であり、弟の海祝選手は歩夢の活躍に刺激を受けて五輪出場を実現した。
そして、父・英功さんが整えた練習環境も、3人の競技人生を支える大きな要素だった。
2026年4月のトークイベントで明かされた幼少期の練習や喧嘩の思い出、五輪直前のけがをめぐる家族の支えは、平野兄弟の絆を象徴するエピソードといえる。
平野歩夢の強さを知るには、本人の五輪実績だけでなく、兄弟3人が同じ場所で競い合ってきた歴史にも目を向けたい。 それぞれが異なる道を進みながら、今もボードスポーツを通じてつながっていることが、平野3兄弟の大きな魅力だ。