「インリン・オブ・ジョイトイ黒船」という検索キーワードで注目されるのが、2000年代のグラビア界を席巻したインリンと、同じ時代に「グラビア界の黒船」と呼ばれたリア・ディゾンとの関係です。しかし、この2人にはメディアで定着した呼び名に明確な違いがあります。インリンの代名詞は「M字開脚」と「エロテロリスト」であり、「黒船」という異名が広く定着した人物はリア・ディゾンです。
2026年11月現在、インリンは50歳。台湾・台北市出身で、2016年の芸名変更とJOYTOY脱退を経て、現在も日本と台湾を行き来しながら芸能活動を続けています。10月31日深夜にはテレビ東京系「二軒目どうする?~ツマミのハナシ~」にも出演しました。黒船という呼称の真相から、M字開脚の誕生秘話、2000年代の活躍、現在のテレビ出演まで、その経歴を整理します。
【真相検証】インリン・オブ・ジョイトイは本当に「グラビア界の黒船」だったのか?

最初に整理したいのが、「黒船」という言葉とインリンの関係です。
結論からいえば、インリン・オブ・ジョイトイを「グラビア界の黒船」と呼ぶのは、一般的に定着したメディア上の肩書きとは異なります。この呼び名で広く知られているのは、アメリカ出身のリア・ディゾンです。
「グラビア界の黒船」はリア・ディゾンの代名詞リア・ディゾンは2006年に来日し、アメリカ・ラスベガス出身のモデルとして日本のグラビア界に登場しました。
当時の報道では、その美貌とスタイル、インターネットを通じて広がった海外での人気などが注目され、「グラビア界の黒船」というキャッチフレーズで紹介されました。
2006年10月にはファースト写真集『Petite Amie』の発売記念イベントが開催され、2007年には歌手としても活動を広げ、NHK紅白歌合戦に出場しています。
2006年当時のASCII.jpや、その後のORICON NEWSなども、リア・ディゾンを「グラビア界の黒船」と紹介しています。この呼び名が彼女の日本でのブレイクを象徴する表現として定着した背景があります。
インリンの異名は「エロテロリスト」一方、インリンが2000年代に広く知られるようになったきっかけは、刺激的なグラビア表現とM字開脚でした。
雑誌のキャッチコピーから広まった「エロテロリスト」という異名は、インリンの個性的な表現を象徴する言葉です。
2026年8月15日公開の双葉社「THE CHANGE」のインタビューでも、インリン本人がこの呼び名の誕生について説明しています。本人が考案した言葉ではなく、雑誌のキャッチコピーとして付けられたものだったと振り返っています。
つまり、両者の呼び名は次のように整理できます。
- リア・ディゾン:海外から登場した新しい存在を象徴する「グラビア界の黒船」
- インリン:独特のグラビア表現とM字開脚を象徴する「エロテロリスト」
台湾出身という共通点や、同じ2000年代のグラビア界で活躍したという接点から、2人のキャッチコピーが混同されることはあります。しかし、メディア史を振り返ると、それぞれ異なる個性で人気を獲得したタレントです。
【徹底比較】インリンとリア・ディゾンは何が違う?黒船と呼ばれた理由
インリンとリア・ディゾンは、2000年代の日本のエンターテインメント市場で大きな注目を集めた女性タレントです。ただし、人気の広がり方やメディアでの位置付けには違いがありました。
2人のプロフィールとメディア上の立ち位置リア・ディゾンの人気は、海外で先行して注目されていたモデルが日本に進出したという話題性と結び付いていました。
インリンの場合は、1995年からの活動を土台に、日本の雑誌グラビアやテレビ番組で独自のキャラクターを確立していった点が特徴です。
| 比較項目 | インリン | リア・ディゾン |
|---|---|---|
| 出身 | 台湾・台北市 | アメリカ・ラスベガス |
| 日本での活動 | 1995年にJOYTOYに参加 | 2006年に来日 |
| 代表的な呼び名 | エロテロリスト | グラビア界の黒船 |
| 注目された特徴 | M字開脚、個性的な衣装、強いキャラクター性 | 海外発の人気、美貌、グラビアと音楽活動 |
| 代表的な活動 | グラビア、バラエティー、ドラマ、プロレス関連活動 | グラビア、歌手活動、テレビ、CM |
| 大きな転機 | 2016年のJOYTOY脱退とソロ活動への移行 | 2007年の歌手デビューと紅白歌合戦出場 |
黒船という言葉は、外部からやって来た存在が、それまでの市場や価値観に大きな変化をもたらすことを表現するときに使われます。
リア・ディゾンの場合、海外でのインターネット上の人気を背景に、日本のグラビア市場へ登場したという経緯が、この表現と結び付きました。
それまでの日本のグラビアアイドルとは異なる海外出身のモデルとして紹介されたことも、話題性を高めた要因です。
対するインリンは、日本での活動歴を持ち、独特のポージングや衣装、雑誌のキャッチコピーを通じて知名度を高めていきました。
したがって、インリンを黒船と表現する場合は、海外出身という意味での比喩的な使い方と、実際にメディアで定着した異名とを区別する必要があります。
【誕生秘話】インリンのM字開脚と「エロテロリスト」の異名はどう生まれた?
インリンの芸能活動を語るうえで欠かせないのが、M字開脚です。単なるポージングではなく、彼女の知名度を押し上げ、芸能活動の幅を広げた大きな転換点でした。
M字開脚は本人のアイデアから生まれた2026年8月15日に公開された双葉社「THE CHANGE」のインタビューでは、インリン本人がM字開脚の誕生について詳しく語っています。
当時のグラビアアイドルには、内股を中心とした上品で癒やし系のポーズが多かったといいます。そのなかで、インリンは誰も真似できないような表現をしたいと考えていました。
撮影現場で求められたのは「かっこよくしゃがむ」というポーズでした。そこで、両脚を閉じるよりも開いたほうが強く、かっこよく見えると考え、自分なりのポーズを披露したのです。
その写真を掲載した週刊プレイボーイが「インリン、M字開脚!」というキャッチコピーを付けました。
本人は当初、コンビニで雑誌を見て初めて「M字開脚」という名称を知ったと振り返っています。自分が考えたポーズに編集部が名前を付けたことで、独自の代名詞が誕生しました。
「エロテロリスト」は本人が考えた言葉ではなかったM字開脚の知名度が上昇すると、インリンには「エロテロリスト」という呼び名が付くようになりました。
2026年のインタビューによると、この言葉も雑誌のキャッチコピーとして生まれたもので、本人が最初から名乗っていたわけではありません。
しかし、このキャッチコピーは芸能活動に大きな影響を与えました。インリン自身は、異名が付いたことで写真集の増刷が決まり、テレビ出演の機会も増えたと説明しています。
特に『踊る!さんま御殿!!』などの有名番組への出演は、グラビアを知らない視聴者にも名前を浸透させるきっかけになりました。
本人にとっても大きな挑戦だったグラビア活動2022年2月26日の文春オンラインのインタビューでは、インリンがデビュー前の意外な一面を明かしています。
台湾から日本に移り住んだ後、短大生の頃にファッション誌の読者モデルを経験。もともとはモデルの仕事に憧れていたといいます。
一方、育った家庭は厳格で、デビュー前にはビキニを着た経験もほとんどなかったと振り返っています。
セクシーで自立した女性というJOYTOYの世界観を表現する仕事は、当時の本人にとって新しい挑戦でした。
この経緯を知ると、インリンの大胆なグラビアは、最初から完成されたキャラクターを演じていたというよりも、仕事を通じて独自の表現を身に付けていった結果だったことが分かります。
インリンは1995年に活動を始めてから、グラビア、バラエティー、ドラマ、プロレス関連の活動まで幅広く経験してきました。
台湾・台北出身で10歳から東京生活公式プロフィールによると、インリンは1976年2月15日生まれ、台湾・台北市出身です。10歳から東京で生活し、中国語、台湾語、日本語を話すトライリンガルとして紹介されています。
短大時代にはファッション誌の読者モデルを経験。その後、カメラマンとの出会いをきっかけに、マルチメディアユニットJOYTOYに参加しました。
1995年に始まったこの活動が、インリン・オブ・ジョイトイとしての芸能活動の出発点です。
2000年代はグラビアからテレビ、プロレスへ2000年代に入ると、M字開脚とエロテロリストのキャラクターでグラビア界の注目を集めました。
週刊プレイボーイをはじめとした雑誌や写真集で活動する一方、バラエティー番組への出演も増加。『ロンドンハーツ』『ダウンタウンDX』『笑っていいとも!』『Qさま!!』など、多くの番組に出演しました。
ドラマにも活動の場を広げ、『H2~君といた日々』『喰いタン』『弁護士のくず』『左目探偵EYE』などの作品に出演しています。
また、プロレス団体ハッスルでは「インリン様」としても活動。グラビアで形成された強烈なキャラクターをリング上のパフォーマンスにも展開しました。
こうした活動の幅広さが、単なるグラビアモデルにとどまらないインリンの特徴です。
2016年3月にJOYTOYを脱退し「インリン」に改名大きな転換点となったのが2016年3月です。
日刊スポーツの2016年3月15日の報道によると、インリンは所属事務所の移籍に伴い、台湾の芸能プロダクションである英里有限公司(EILI)に所属することを発表しました。
同時に、それまで活動していたユニットJOYTOYを脱退し、芸名を「インリン」に変更。以降はソロ活動を開始しました。
この変更は、単なる芸名の短縮ではありません。ユニットの一員としての活動から、自分自身の名前を軸とする活動へ移行した節目でもありました。
【2026年最新】インリンの現在は?台湾での生活とテレビ出演を調査
2026年11月現在のインリンは、台湾を生活の拠点としながら、日本でのテレビ出演やグラビア活動を続けています。
現在は台湾・台北を拠点に活動2026年11月1日付の日刊スポーツによると、インリンは10月31日深夜放送のテレビ東京系「二軒目どうする?~ツマミのハナシ~」に出演し、現在の暮らしについて語りました。
2008年に日本人男性と結婚したインリンは、長男が生まれた後に台湾へ戻ったと説明。現在は台北で生活しています。
夫が台湾を気に入り、移住を希望したことも理由の一つだったといいます。本人は日本を離れる際、空港で泣いたほど日本での生活に愛着があったことも明かしました。
公式プロフィールでは、3人の子どもの母親であることも紹介されています。
また、2026年11月1日の番組関連報道では、長男が日本の高校に通い、寮生活を送っていることも明らかになりました。インリンは仕事で来日した際に寮の片付けなどもしていると話しています。
2026年に確認できるテレビ・配信出演インリンの公式サイトに掲載された2026年の出演情報を整理すると、日本での活動は現在も継続していることが分かります。
- 9月8日:ABEMA『愛のハイエナ』に出演。
- 9月4日~6日:ABEMA『LDH PERFECT SHINE旅行』に出演。
- 10月1日:YouTube『島田秀平のお怪談巡り』に出演。
- 10月11日:日本テレビ『限界インストール24』に出演。
- 10月31日深夜:テレビ東京『二軒目どうする?~ツマミのハナシ~』にゲスト出演。
特に10月31日深夜の「二軒目どうする?」では、松岡昌宏、博多大吉とともに当時のグラビア活動を振り返り、M字開脚の誕生秘話も語りました。
2026年11月1日にはスポーツ報知、スポニチアネックス、日刊スポーツなどが番組での発言を報道。かつてのグラビア時代を知らない世代にも、インリンの名前が改めて紹介される機会になりました。
2025年には49歳でグラビア作品を発売現在の活動を語るうえで見逃せないのが、2025年9月29日に発売された小学館のデジタル写真集『BACK TO THE M』です。
49歳で再びグラビア作品に取り組み、かつての代名詞であるM字開脚を含む写真を披露しました。
2026年8月15日公開の双葉社「THE CHANGE」のインタビューでも、当時の撮影やグラビア活動について詳しく語っています。
かつての人気を懐かしむだけではなく、過去の表現を現在の自分で再び見せるという活動は、長く芸能界で経験を積んできたインリンならではの展開です。
2026年12月にはイベント出演も予定インリンの公式サイトでは、2026年12月22日に開催予定の「インリン・リリカの国境またぎの都市伝説2026」も告知されています。
鐘崎リリカ、ゲストの佐々木優太とともに出演するイベントで、テレビ以外にも活動の場を広げています。
このように2026年のインリンは、テレビ、配信、インタビュー、イベントと複数の媒体で活動しています。過去のグラビア時代だけで現在を判断することはできません。
【プロの結論】インリンの本当の魅力は「黒船」ではなく独自の表現力にある
インリン・オブ・ジョイトイという名前が現在も記憶されている理由は、単純に露出度の高いグラビアで人気を得たからではありません。
注目すべきなのは、本人のアイデア、雑誌編集者のキャッチコピー、テレビ出演による認知拡大という複数の要素が組み合わさり、一つの強いキャラクターを作り上げたことです。
雑誌のキャッチコピーが芸能人のブランドになったM字開脚という言葉は、本人が最初から考案したものではありません。本人のポージングを見た週刊プレイボーイの編集部がキャッチコピーとして付けたものです。
そこから他の雑誌にも広がり、インリンといえばM字開脚というイメージが形成されました。
同じように、エロテロリストという異名も、本人の表現をメディアが言葉にしたものです。編集側の命名が本人の知名度や出演機会を押し上げた事例といえます。
グラビアだけでなくテレビやプロレスにも進出した強みインリンはグラビアの枠を超えて、バラエティー番組やドラマ、プロレス関連の活動にも挑戦しました。
これは、特定の写真やポーズだけに依存せず、キャラクターそのものを別のメディアに展開できたことを意味します。
2000年代のグラビア界には多くの人気タレントがいましたが、テレビやプロレスの舞台でも独自の存在感を発揮したことが、インリンの記憶されやすさにつながっています。
2026年の活動から見えるキャリアの継続性2016年の芸名変更とJOYTOY脱退は、芸能活動を終えるための決断ではなく、活動形態を変えるための転機でした。
台湾での生活、3人の子育て、グラビア作品への再挑戦、テレビ出演など、現在の活動は2000年代とは異なる形で展開されています。
特に2025年の写真集発売と2026年のテレビ出演は、過去の知名度を現在の仕事につなげている具体例です。
インリンのキャリアを評価するなら、「黒船だったか」という呼称だけに注目するより、どのように独自の表現を作り、時代に合わせて活動を変えてきたのかを見ることが大切です。
【よくある質問】インリン・オブ・ジョイトイと黒船に関するFAQ
Q1:インリン・オブ・ジョイトイは「グラビア界の黒船」と呼ばれていた?
A1:一般的に「グラビア界の黒船」として知られているのはリア・ディゾンです。インリンの代表的な異名は「エロテロリスト」で、M字開脚が代名詞でした。
Q2:インリンとリア・ディゾンは同じ人物?
A2:別人です。インリンは台湾・台北市出身で1995年から芸能活動を開始。リア・ディゾンはアメリカ・ラスベガス出身で2006年に来日しました。
Q3:インリンのM字開脚は誰が考えた?
A3:ポーズ自体はインリン本人のアイデアです。「かっこよくしゃがむ」という撮影の要望に対し、脚を開いたほうが強く見えると考えました。「M字開脚」という名称は週刊プレイボーイのキャッチコピーから広まりました。
Q4:エロテロリストという異名は本人が考えた?
A4:2026年の双葉社のインタビューで、本人は雑誌のキャッチコピーとして付けられたもので、自分が考えた言葉ではないと説明しています。
Q5:インリンは2016年に何を変更した?
A5:2016年3月にJOYTOYを脱退し、芸名を「インリン・オブ・ジョイトイ」から「インリン」に変更しました。台湾の芸能プロダクションに移籍し、ソロ活動を開始しています。
Q6:インリンは2026年現在どこに住んでいる?
A6:台湾・台北を生活拠点にしています。日本人男性と2008年に結婚し、3人の子どもを育てながら、日本での芸能活動も続けています。
Q7:インリンの2026年のテレビ出演は?
A7:日本テレビ『限界インストール24』やテレビ東京『二軒目どうする?~ツマミのハナシ~』などへの出演が確認できます。ABEMAの番組にも出演しています。
「インリン・オブ・ジョイトイ黒船」という検索キーワードの背景には、2000年代のグラビア界で活躍した女性タレントへの関心があります。しかし、実際のメディア上の呼び名を整理すると、「グラビア界の黒船」はリア・ディゾン、「エロテロリスト」はインリンという違いがあります。
インリンのM字開脚は本人の発想と雑誌編集部のキャッチコピーが組み合わさって誕生し、その後のグラビア活動やテレビ出演を広げるきっかけになりました。加えて、JOYTOY脱退と2016年の芸名変更を経て、現在は台湾を拠点に芸能活動を続けています。
2026年にはテレビ東京の番組出演やグラビアに関するインタビューなど、新たな活動も確認できます。かつてのエロテロリストというイメージだけでは捉えきれない、長いキャリアを持つタレントです。
インリンを正しく理解する要点は、「黒船」という言葉に当てはめることではなく、M字開脚や独自のキャラクターを通じて2000年代のグラビア文化に足跡を残し、その後も活動を継続してきた人物として見ることです。