竹島領土問題は、日本と韓国が同じ島に対して異なる領有権を主張し続けている、東アジアの重要な外交問題です。日本では「竹島」、韓国では「独島(トクト)」と呼ばれ、両国とも歴史的資料や国際法を根拠に、自国固有の領土であるとの立場を崩していません。
対立の背景には、17世紀の島の利用記録、1905年の島根県編入、韓国が主張する1900年の大韓帝国勅令第41号、1951年のサンフランシスコ平和条約、1952年の李承晩ラインなど、複数の歴史的経緯があります。2026年現在も韓国による実効支配が続き、日本政府は抗議と平和的解決の働きかけを継続しています。
なぜ両国の主張は食い違うのでしょうか。歴史資料の解釈、戦後の国際秩序、領土をめぐる法的な争点、そして現在の外交状況を整理すると、問題が長期化している構造が見えてきます。
- 領有権の主張: 日本政府は竹島を日本固有の領土と主張し、韓国政府は独島を歴史的・地理的・国際法的に韓国固有の領土と主張している。
- 対立の歴史: 17世紀の記録、1905年の島根県編入、1951年の平和条約、1952年の李承晩ラインが主要な争点となっている。
- 2026年の現状: 韓国の実効支配が続き、ICJへの付託も実現していない。両国の外交的な主張と抗議は現在も続いている。
【基本知識】竹島領土問題とは?日本と韓国が争う島の位置と歴史的背景

竹島は、日本海に位置する島々で、島根県隠岐の島町に属しています。東島と西島を中心とする岩礁群からなり、総面積は約0.21平方キロメートルです。
一方、韓国では「独島」と呼ばれ、韓国の慶尚北道に属する島として扱われています。
日本と韓国で呼び方が異なる理由両国では、島の名称そのものが異なります。
| 日本での呼称 | 韓国での呼称 |
|---|---|
| 竹島(たけしま) | 独島(トクト) |
| 日本海 | 東海(韓国側の呼称) |
| 島根県隠岐の島町 | 慶尚北道(韓国側の行政上の位置付け) |
名称の違いは単なる翻訳の問題ではありません。それぞれの政府が、自国の領土として島を位置付けていることを反映しています。
なぜ小さな島が大きな外交問題になるのか竹島は面積だけを見れば非常に小さな島です。しかし、領土問題では面積の大きさが重要性を決めるわけではありません。
主な争点は次のとおりです。
- 領土主権がどちらの国に帰属するのか
- 歴史的な文献や地図をどう解釈するのか
- 近代国家による編入が国際法上どのように評価されるのか
- 戦後の国際条約が島の帰属をどう扱ったのか
- 現在の実効支配にどのような法的意味があるのか
加えて、周辺海域の漁業資源や海洋管理、安全保障上の問題も関係します。
そのため、竹島問題は単純に島の距離や面積を比較して解決できるものではありません。
【歴史を解説】17世紀の日本の利用から1905年の島根県編入まで
竹島領有権問題を理解するうえで欠かせないのが、17世紀から近代に至るまでの歴史資料です。
ここでは、日本政府と韓国政府がそれぞれ根拠として挙げる記録を確認します。
17世紀:江戸幕府と大谷家・村川家による島の利用日本政府の公式説明によると、17世紀初め、日本の大谷家と村川家は江戸幕府の許可を得て鬱陵島へ渡航していました。
当時の日本では、現在の鬱陵島を「竹島」、現在の竹島を「松島」と呼んでいました。
日本政府は、この渡航の際に現在の竹島が航行の目標や停泊地として利用され、アシカ猟やアワビ漁なども行われていたと説明しています。
こうした利用実績や当時の資料を根拠として、日本政府は遅くとも17世紀半ばには現在の竹島に対する領有権が確立していたと主張しています。
韓国側が主張する1454年の『世宗実録地理志』韓国政府は、日本の17世紀の利用記録より古い歴史資料も領有権の根拠として挙げています。
代表的なのが、1454年に編纂された朝鮮王朝の『世宗実録地理志』です。
この文献には、于山島(ウサンド)と武陵島(ムルンド)が朝鮮半島の東側の海にある二つの島として記載されています。
韓国政府は、武陵島を現在の鬱陵島、于山島を現在の独島と解釈し、朝鮮王朝が古くから両島を認識していた証拠として位置付けています。
また、1770年の『東国文献備考』などにも于山島に関する記述があるとして、歴史的な領有権を主張しています。
ただし、重要なのは、古文献に登場する于山島が現在の竹島を指しているのかという点です。
日本政府は、当時の地理書や地図に描かれた于山島の位置・大きさなどを根拠に、現在の竹島と同一視することには疑問があると反論しています。
つまり、文献が存在するかどうかだけでなく、そこに記された島が現代のどの島に相当するのかが争点になっています。
1877年の太政官指令と1900年の大韓帝国勅令第41号近代の領有権を考えるうえで、1877年の太政官指令も重要な資料です。
韓国政府は、この指令にある「竹島外一島」について、日本の当時の最高意思決定機関が鬱陵島と独島を日本の領土ではないと判断した証拠だと説明しています。
一方、日本政府は、この文書が現在の竹島の領有権を否定したものだという解釈を認めていません。
さらに韓国側が重視するのが、1900年10月25日に公布された大韓帝国勅令第41号です。
この勅令第2条には、鬱陵島と竹島、石島を鬱島郡の管轄とする内容が記されています。
韓国政府は、この石島が現在の独島を指すとして、1905年の日本による編入以前から行政上の管轄権が存在したと主張しています。
これに対して日本政府は、石島が現在の竹島であるという明確な根拠や、当時の大韓帝国が同島を実効的に管理していた事実は確認できないとの立場です。
1905年2月:日本政府が竹島を島根県に編入1905年は、竹島問題における大きな転換点です。
日本政府は1905年1月28日の閣議決定により、竹島を島根県隠岐島司の所管とし、正式に島根県へ編入しました。
同年2月22日には、島根県が告示第40号を公布しています。
日本政府は、隠岐の漁業者によるアシカ猟事業の安定化を求める動きなどを背景に、閣議決定によって領有意思を再確認したと説明しています。
その後、官有地台帳への登録、漁業許可、国有地使用料の徴収などを行ったことも、日本側の主権行使を示す根拠として挙げられています。
一方、韓国政府は、この編入を日本の朝鮮半島への侵略が進む過程で行われた不当な措置と位置付けています。
韓国側は、1900年の勅令第41号によってすでに韓国領であった島を、日本が1905年に編入したと主張しています。
このため、1905年の編入が有効な領有権の再確認だったのか、それとも他国の領土に対する不当な編入だったのかという点が、両国の根本的な対立になっています。
【日韓の主張を比較】竹島領有権問題で両政府の見解が食い違う理由
日本政府と韓国政府は、どちらも歴史的資料と国際法を根拠として自国の領有権を主張しています。
しかし、同じ歴史的出来事についても、その評価は大きく異なります。
日本政府の公式見解外務省が公表している日本政府の基本的な立場は、次の3点です。
1. 竹島は歴史的事実と国際法に照らして日本固有の領土である。
2. 韓国による竹島の占拠には国際法上の根拠がない。
3. 領有権問題は国際法に基づいて平和的に解決すべきである。
日本政府は、17世紀からの利用実績、1905年の閣議決定、戦後のサンフランシスコ平和条約などを主な根拠として挙げています。
韓国政府の公式見解韓国外交部は、独島について歴史的・地理的・国際法的に明白な韓国固有の領土であると説明しています。
加えて、韓国政府は独島をめぐる領土紛争そのものが存在しないという立場です。
そのため、日本との外交交渉や国際司法裁判所による司法的解決の対象ではないとしています。
主な根拠は以下のとおりです。
- 1454年の『世宗実録地理志』などの古文献
- 1900年の大韓帝国勅令第41号
- 1877年の太政官指令
- 第二次世界大戦後の連合国側の文書
- 現在まで続く韓国の行政・警備体制
両国の公式見解を論点別に整理すると、次のようになります。
出典:日本外務省、韓国外交部の各公式資料を基に整理。
この比較から分かるのは、両国が単純に異なる資料を持っているだけではないということです。
同じ文献や条約を見ても、どの時代の国家による統治を重視するのか、どの記述を現在の竹島に結び付けるのか、戦後の国際秩序をどう解釈するのかが異なっています。
なお、これは日韓両政府の公式見解を比較したものであり、国際司法裁判所などの第三者機関が領有権について最終判断を下した結果ではありません。
【戦後の転換点】サンフランシスコ平和条約と李承晩ラインは何を変えたのか
竹島領土問題が現在のような対立構造になった背景には、第二次世界大戦後の国際秩序があります。
特に重要なのが、1951年のサンフランシスコ平和条約と、1952年の李承晩ラインです。
1951年:サンフランシスコ平和条約の条文1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約が署名されました。
この条約の第2条(a)には、日本が朝鮮の独立を承認し、済州島、巨文島、鬱陵島を含む朝鮮に対する権利・権原・請求権を放棄するという内容が記されています。
ここで注目されるのが、条文に竹島、すなわち独島の名称が明記されていないことです。
日本側の解釈
日本政府は、条約が日本の放棄する朝鮮領土を列挙する一方、竹島をその対象に含めなかったことを重視しています。
加えて、1951年8月のラスク書簡を重要な外交資料として挙げています。
これは、韓国の梁駐米大使が米国に対して、平和条約の領土放棄条項に独島などを追加するよう求めたことに対し、米国務省のラスク極東担当国務次官補が回答した書簡です。
日本政府は、この回答が韓国側の要求を認めなかったことを、竹島が朝鮮領として扱われなかった根拠の一つと説明しています。
韓国側の解釈
韓国政府は、条約に列挙された済州島、巨文島、鬱陵島は朝鮮に属する島の例示であり、独島が明記されなかったからといって韓国領から除外されたことにはならないと主張しています。
また、1946年のSCAPIN第677号など、連合国軍総司令部による戦後の行政区域に関する指令も根拠として挙げています。
ただし、日本政府は、SCAPIN第677号には領土帰属の最終決定を示すものではないという趣旨の規定があり、行政上の措置をそのまま領有権の確定とみなすことはできないと反論しています。
このように、戦後条約の文言と起草過程の解釈が、日韓の主張を分ける重要な論点になっています。
1952年:李承晩ラインの一方的設定1952年1月18日、韓国の初代大統領である李承晩は、海洋主権宣言を発表しました。
これによって設定されたのが、一般に「李承晩ライン」と呼ばれる海域の境界線です。
このラインは公海上の広い範囲を含み、竹島もその内側に取り込まれました。
日本政府は、国際法上の根拠がない一方的な設定であるとして、同年1月28日に韓国政府へ抗議しています。
その後、1954年には韓国側の海洋警察隊が竹島に派遣され、韓国による実効支配が強まりました。
日本政府は、この一連の行為を国際法上の根拠がない占拠と位置付けています。
一方、韓国政府は、独島に対する自国の主権を行使しているという立場を維持しています。
重要なのは、李承晩ラインの設定によって、現在まで続く政治的・行政的な対立の構図が形成されたことです。
【実効支配とICJ】韓国が管理する竹島と国際司法裁判所の現状
2026年現在、竹島領土問題を理解するうえで欠かせないのが、韓国による実効支配と国際司法裁判所をめぐる問題です。
韓国による実効支配の実態現在、竹島は韓国側が行政・警備体制を敷いて管理しています。
韓国外交部の公式説明によると、韓国は独島について、次のような行政上・物理的な管理を行っています。
- 韓国の警備隊を常駐させている
- 周辺の海域や上空を軍事的に防衛している
- 独島に関する法律や行政制度を運用している
- 灯台などの政府施設を設置・運用している
- 民間人が居住している
一方、日本政府は、これらの措置を正当な領有権に基づく行為とは認めていません。
日本の2026年版外交青書でも、韓国による警備隊の常駐などを不法占拠と位置付け、日本の立場を維持することが明記されています。
ここで区別しておきたいのが、実効支配と領有権の法的判断です。
実効支配とは、ある地域を実際に行政・警備などによって管理している状態を指します。
しかし、現実に管理しているという事実だけで、国際法上の領有権が自動的に確定するわけではありません。
竹島問題では、韓国の実効支配が続く一方、日本政府が領有権を放棄していないため、法的主張と現実の管理状況が一致しない状態が続いています。
国際司法裁判所(ICJ)への提訴はなぜ実現しないのか日本政府は、竹島問題を平和的に解決するため、国際司法裁判所(ICJ)への付託を複数回提案しています。
主な経緯は以下のとおりです。
1954年9月
日本政府は、竹島の領有権問題をICJに付託することを韓国側に提案しました。しかし、韓国政府は同年10月に拒否しました。
1962年3月
日韓外相会談の際、日本側から改めてICJへの付託が提案されましたが、韓国側は受け入れませんでした。
2012年8月
韓国の李明博大統領が現職大統領として初めて竹島に上陸した後、日本政府は再びICJへの付託を提案しました。
しかし、韓国政府はこの提案も拒否しました。
では、なぜ日本政府が一方的に提訴できないのでしょうか。
その理由は、ICJの管轄権の仕組みにあります。
ICJが国家間の争いを審理するには、原則として当事国双方が裁判所の管轄権を受け入れている必要があります。
日本は1958年以来、一定の条件の下で相手国から一方的に提訴された場合にもICJの強制管轄権を受け入れる宣言をしています。
しかし、韓国は同様の立場を取っていません。
そのため、日本が単独で竹島問題をICJに持ち込んでも、韓国が同意しなければ審理を開始できないのです。
韓国政府が提訴に応じない理由は、単に裁判で負けることを恐れているといった単純な説明ではありません。
韓国側は、そもそも独島に領土紛争は存在しないという立場を取っています。
韓国外交部は、独島は歴史的・地理的・国際法的に韓国固有の領土であり、外交交渉や司法的解決の対象ではないと公式に説明しています。
つまり、日本は第三者による法的判断を求め、韓国はそのような判断の必要性自体を認めないという、根本的な立場の違いが存在するのです。
【2026年最新】竹島領土問題の現在と、なぜ日韓で解決できないのか
2026年11月現在も、竹島をめぐる日韓の対立は続いています。
特に2026年には、2月の「竹島の日」式典と8月の韓国軍による軍事訓練をめぐり、両国政府がそれぞれの立場を改めて表明しました。
2026年2月22日:竹島の日の式典と韓国政府の抗議島根県では、毎年2月22日を「竹島の日」としています。
この日は、1905年2月22日に島根県が竹島の編入を告示したことに由来します。
島根県は2005年に竹島の日条例を制定し、2006年から毎年記念式典を開催しています。
2026年2月22日に開催された式典には、古川直季内閣府政務官が出席しました。日本政府による政務官の派遣は14年連続となりました。
これに対して韓国外交部は強く抗議し、式典の即時廃止を要求しました。
加えて、在韓日本大使館の松尾裕敬総括公使を外交部庁舎に呼び、抗議の意思を伝えています。
この出来事は、竹島の日が日本国内の領土問題に関する行事であるだけでなく、韓国側にとっても歴史認識や主権に関わる外交問題として受け止められていることを示しています。
2026年8月6日:韓国軍が独島周辺で防衛訓練を実施2026年8月6日には、韓国軍が独島周辺の海域で「東海領土守護訓練」を実施しました。
韓国海軍は、この訓練を領土や国民、財産に対する脅威に対応するためのものと説明しています。
韓国軍による独島防衛訓練は毎年実施されており、2026年8月の訓練は同年初めての実施でした。
日本外務省は同日、韓国政府に対して強く抗議しました。
金井正彰外務省アジア大洋州局長から駐日韓国大使館の次席公使に対し、また在韓国日本大使館の次席公使から韓国外交部のアジア太平洋局長に対して、それぞれ日本の一貫した立場を伝えています。
2026年の主な動きを整理すると、次のようになります。
| 時期 | 出来事 | 外交上の意味 |
|---|---|---|
| 2月22日 | 島根県で竹島の日式典 | 韓国政府が抗議 |
| 8月6日 | 韓国軍が独島周辺で防衛訓練 | 日本政府が抗議 |
| 11月現在 | 韓国の実効支配が継続 | 領有権問題は未解決 |
竹島領土問題が長期化している背景には、いくつかの構造的な理由があります。
1. 歴史資料の解釈が一致しない
17世紀の日本の利用記録、朝鮮王朝の古文献、1900年の大韓帝国勅令など、両国が根拠とする資料が異なります。
加えて、同じ資料でも、記載された島が現在の竹島に該当するのかという解釈が分かれています。
2. 1905年の編入に対する評価が正反対
日本政府は1905年の閣議決定を、領有意思の再確認と説明しています。
一方、韓国政府は当時の日本の朝鮮半島への進出と関連付け、不当な編入だったと主張しています。
この評価の違いは、単なる行政手続きの問題を超えて、両国の近代史認識にも関係しています。
3. 戦後条約の解釈が異なる
サンフランシスコ平和条約に竹島の名称が明記されていないことが、両国の主張を分ける大きな要因になっています。
日本は条約とその起草過程を自国の主張の根拠とし、韓国は島が条文に記載されていないことだけで韓国領から除外されたとはいえないと主張しています。
4. 韓国が実効支配を継続している
韓国は警備隊や政府施設を置き、行政上の管理を続けています。
日本はその都度抗議していますが、現実の管理状況は変わっていません。
5. 国際司法裁判所での解決が実現していない
日本はICJへの付託を提案していますが、韓国は応じていません。
第三者による法的判断が行われないため、両国がそれぞれの公式見解を維持したまま、問題が長期化しています。
平和的解決に向けて必要なこと竹島問題の解決を考える際、重要なのは軍事的な緊張を高めないことです。
日本政府は国際法に基づく平和的解決を掲げており、韓国政府も自国の主権を守る立場を維持しています。
両国がそれぞれの主張を持つことと、外交・経済・安全保障などの分野で協力することは、必ずしも両立しないわけではありません。
歴史資料の共同研究、外交当局間の意思疎通、偶発的な衝突を防ぐための危機管理など、領有権問題とは別の分野でも対話を継続する余地があります。
また、歴史的な根拠を検討する際には、文献の成立年代、当時の地名、行政管轄の実態、国際条約の文言を分けて確認する必要があります。
領土問題をめぐる情報は、政府の公式発表と歴史研究者による資料分析を区別して読むことが大切です。
【よくある質問】竹島領土問題に関するFAQ
Q1:竹島は日本と韓国のどちらの領土なのですか?
竹島について、日本政府は日本固有の領土、韓国政府は韓国固有の領土と主張しています。現在は韓国が実効支配していますが、国際司法裁判所による最終的な領有権判断は出ていません。
Q2:竹島はいつから領土問題になったのですか?
歴史的な対立の根源は古く、17世紀の鬱陵島周辺の利用や島の認識をめぐる問題にさかのぼります。現在の対立構造が形成される大きな転換点となったのは、1905年の日本による島根県編入と、1952年の李承晩ライン設定です。
Q3:1905年の島根県編入は何を意味するのですか?
日本政府が1905年1月28日の閣議決定によって竹島を島根県の管轄に編入し、同年2月22日に島根県が告示第40号を公布したことです。日本は領有意思の再確認と説明し、韓国は不当な編入と評価しています。
Q4:韓国が竹島を実効支配しているのはなぜですか?
1952年の李承晩ライン設定後、韓国は竹島を自国の管理下に置く措置を進めました。1954年には海洋警察隊が派遣され、その後も警備施設や灯台などを整備し、行政・警備体制を維持しています。
Q5:なぜ国際司法裁判所で解決しないのですか?
ICJが国家間の紛争を審理するには、原則として当事国双方の管轄権への同意が必要だからです。日本は1954年、1962年、2012年に付託を提案しましたが、韓国は一貫して拒否しています。
Q6:竹島の日はいつですか?
毎年2月22日です。1905年2月22日の島根県告示第40号に由来し、島根県は2005年に条例を制定、2006年から記念式典を開催しています。韓国政府はこの行事に抗議しています。
Q7:2026年現在、竹島領土問題は解決していますか?
解決していません。2026年11月現在も韓国による実効支配が続き、日本政府は領有権を主張しています。2月の竹島の日式典や8月の韓国軍の訓練をめぐっても、両国間で抗議が行われました。
竹島領土問題は、単純に日本と韓国のどちらが島に近いか、どちらが現在管理しているかだけでは判断できない複雑な領土問題です。
17世紀の利用記録、1454年の『世宗実録地理志』、1877年の太政官指令、1900年の大韓帝国勅令第41号、1905年の島根県編入など、長い歴史の中に複数の論点が存在しています。
加えて、1951年のサンフランシスコ平和条約と1952年の李承晩ラインによって、戦後の日韓関係における重要な外交問題へと発展しました。
2026年現在の状況を整理すると、次の3点が特に重要です。
- 歴史的根拠: 日韓両国は異なる歴史資料の解釈に基づいて領有権を主張している。
- 現在の実態: 韓国が実効支配を続ける一方、日本政府は領有権を放棄せず抗議を継続している。
- 今後の課題: 国際法に基づく平和的解決と、日韓間の外交対話をどう両立させるかが問われている。
竹島問題を正しく理解するには、日本政府の公式見解だけでなく、韓国政府の主張や歴史的資料の原文、戦後条約の内容まで確認することが欠かせません。
特定の国の主張だけを事実として受け取るのではなく、歴史的事実、政府の解釈、現在の実効支配、国際法上の評価を分けて考えることが、領土問題を冷静に理解するための基本です。
日韓両国にとって、領土問題は外交上の難題であり続けています。だからこそ、感情的な対立や一方的な圧力ではなく、歴史と国際法に基づいた平和的な対応を積み重ねることが求められています。