バレーボール男子日本代表として北京2008・東京2020の2度のオリンピックに出場した清水邦広さん。愛称「ゴリ」で親しまれ、パナソニック パンサーズの絶対的エースとして長年活躍してきた選手ですが、2026年に現役引退を発表しました。
2026年11月現在、清水さんは大阪ブルテオンのコーチングスタッフとして新たなキャリアを歩んでいます。引退を決断した背景には、長年苦しんできた膝の状態だけでなく、若手選手に対する意識の変化もありました。2018年の大けがから東京五輪への復帰、そして18シーズンに及ぶクラブ生活の終わりまで、その歩みには日本男子バレーの歴史が重なっています。
【2026年最新】清水邦広の現在は?現役引退から大阪ブルテオンのコーチへ

清水邦広さんは2026年に現役を引退し、所属していた大阪ブルテオンでコーチングスタッフとして活動しています。
引退が正式に発表されたのは2026年4月24日。大阪ブルテオンの公式発表によると、背番号1のオポジットとしてプレーしてきた清水さんは、2025-26シーズンの終了をもって18シーズンに及ぶ選手生活に区切りをつけました。
2026年5月19日にコーチ就任を正式発表引退発表から約1か月後の5月19日、大阪ブルテオンは清水さんとコーチングスタッフとして契約を更新したことを公表しました。
それまでの2025-26シーズンには選手兼コーチとして活動していましたが、引退後は選手としての契約から指導者としてのキャリアへと移行しています。
クラブの公式発表では、清水さん自身も新しい立場への意欲を語っています。
今年からコーチとしてのキャリアをスタートすることになりました。サムエルボ ヘッドコーチのもとで多くのことを学ばせていただきながら、ブルテオンに関わっていきます。
これまで自分が培ってきた経験を、少しでも選手たちに還元できるように頑張っていきたいと思っています。
これまでの経験を次世代の選手に伝えることが、新しい役割の中心です。
引退後も大阪ブルテオンに残る意味清水さんにとって、大阪ブルテオンは単なる所属チームではありません。2008-09シーズンにパナソニック パンサーズへ入団して以来、選手生活の大部分を過ごしてきた場所です。
チームはパナソニック パンサーズから大阪ブルテオンへと名称を変えましたが、清水さんはその変化を現場で経験してきました。
長年チームを支えてきた選手が指導者として残ることには、戦術や技術だけでなく、クラブの歴史や勝利への姿勢を若手へ伝える意味もあります。
2026年8月9日に配信された福井テレビの報道では、清水さんはコーチとして、けがを抱える選手へのメンタルケアやコミュニケーションも重視したいと語っています。自身が大けがと長いリハビリを経験したからこそ、プレー以外の部分でも選手を支えたいという考えがうかがえます。
【引退理由を検証】清水邦広が現役生活に終止符を打った本当の背景
清水邦広さんの引退理由は、単純に年齢だけでは説明できません。
大阪ブルテオンの公式発表と、2026年8月に福井テレビの番組「タイムリーふくい」で本人が語った内容を整理すると、大きく分けて3つの要素が浮かび上がります。
理由1:長年の膝の故障と身体的な限界清水さんは2018年2月、試合中に右膝へ深刻なけがを負いました。
その後も手術やリハビリを繰り返しながらプレーを続けましたが、2026年の引退発表時には、本人がここ数年の膝の状態について、決して良好とはいえず、思うようにプレーできない時間が増えていたと明かしています。
40歳という節目を迎えることも、将来を考えるうえで無視できない要素でした。
理由2:若手選手を見る視点が変わった福井テレビの2026年8月9日の報道で明らかになったのが、引退を決定づけた心理的な変化です。
以前の清水さんは、西田有志選手などの若い選手の活躍を見ると、自分も負けずに頑張ろうという競争心を燃やしていました。
ところが、年齢を重ねるにつれて、若手選手のプレーを見た際に「こうすればもっと上手くなるのに」という指導者に近い視点が自然に浮かぶようになったといいます。
本人は、かつて持っていた「悔しさをバネに頑張る気持ち」が薄れていることに気づいたと振り返っています。
この変化は、単なる意欲の低下とは異なります。選手として勝負することへの情熱が、若い選手を育てることへの関心に移り始めたという、キャリアの転換点だったと考えられます。
理由3:2026年1月に引退を決意同じ福井テレビの報道によると、清水さんが引退を決断したのは2026年1月です。
4月24日のクラブ発表までには一定の時間がありましたが、本人の中ではシーズン途中から次の人生を見据えた決断が固まっていました。
引退後のインタビューでは、現役生活が終わった寂しさを感じる一方、コーチとして現場に立つと、もっとバレーボールに関わりたいという気持ちも湧いてくると語っています。
つまり、清水さんの引退はバレーボールそのものから離れる決断ではありません。競技者から指導者へ、情熱を注ぐ対象を変える選択だったのです。
【経歴年表】清水邦広のパナソニック時代から大阪ブルテオンまでの歩み
清水邦広さんは1986年8月11日生まれ、福井県福井市出身。東海大学を卒業後、パナソニック パンサーズへ入団し、日本代表とクラブの両方で長く活躍しました。
特に2009-10シーズンの国内三冠や、2019-20シーズンの日本人最多得点記録更新は、キャリアを代表する実績です。
清水邦広のプロフィール- 名前:清水邦広(しみず・くにひろ)
- 生年月日:1986年8月11日
- 出身地:福井県福井市
- 身長:192cm(大阪ブルテオン公式プロフィール)
- 体重:97kg
- 利き腕:左
- ポジション:オポジット
- 出身高校:福井工業大学附属福井高校
- 出身大学:東海大学
- 愛称:ゴリ
- 日本代表歴:2007~2021年
- クラブ所属歴:2009~2026年
| 時期 | 出来事・所属 | 主な実績・ポイント |
|---|---|---|
| 2007年 | 日本代表入り | 日本代表として国際大会に参加 |
| 2008年 | 北京オリンピック | 21歳で五輪初出場、日本は11位 |
| 2008-09 | パナソニック パンサーズ入団 | 黒鷲旗優勝、MVP受賞 |
| 2009-10 | 国内三冠達成 | 最高殊勲選手賞、スパイク賞、ベスト6 |
| 2010年 | アジア競技大会 | 男子バレーボール金メダル |
| 2014年 | リーグ優勝 | 最高殊勲選手賞、スパイク賞、黒鷲旗MVP |
| 2018年 | 右膝の大けが | 長期離脱とリハビリを経験 |
| 2019-20 | V.LEAGUE | 日本人最多得点記録を更新 |
| 2021年 | 東京オリンピック | 日本代表として7位入賞 |
| 2025-26 | 大阪ブルテオン選手兼コーチ | 選手と指導者の両方を経験 |
| 2026年4月 | 現役引退を発表 | 18シーズンのクラブ選手生活に終止符 |
| 2026年5月 | 大阪ブルテオンのコーチ就任 | 指導者として新たなキャリアを開始 |
この経歴から分かるのは、清水さんが一時的なスター選手ではなく、長期にわたってチームの中心を担ってきた存在だということです。
パナソニック パンサーズ時代の黄金期清水さんが入団したパナソニック パンサーズは、国内トップレベルの強豪チームでした。
2009-10シーズンには天皇杯、V・プレミアリーグ、黒鷲旗の国内三冠を達成。清水さん自身も最高殊勲選手賞、スパイク賞、ベスト6などを受賞し、チームの中心選手として存在感を発揮しました。
2011-12シーズンにも三冠達成に貢献し、2013-14シーズンには再びリーグ優勝と個人タイトルを獲得しています。
2019-20シーズンにはVリーグの通算得点記録を更新。長年にわたって得点力を維持したことが、清水さんの選手としての大きな特徴です。
その後、パナソニック パンサーズは大阪ブルテオンへと名称を変更。清水さんはチームの歴史を知るベテランとして、クラブの新しい時代にも関わり続けました。
【日本代表・五輪成績】北京2008と東京2020で清水邦広が残した功績
清水邦広さんのキャリアを語るうえで欠かせないのが、北京2008と東京2020という2度のオリンピックです。
北京2008:21歳でつかんだ初めての五輪清水さんは東海大学在学中の2008年、21歳で北京オリンピック日本代表に選出されました。
当時の日本代表は厳しい戦いを強いられ、男子チームは11位という結果に終わっています。
若手選手として大舞台を経験した清水さんにとって、北京五輪は国際舞台でのスタート地点でした。その後、ロンドン2012、リオデジャネイロ2016では日本の出場権獲得がかなわず、五輪の舞台から遠ざかる時期も経験します。
東京2020:大けがを乗り越え最年長選手として出場北京大会から13年後、清水さんは東京2020オリンピックに出場しました。
特筆すべきなのは、2018年の大けがから復帰して代表入りを果たしたことです。年齢を重ね、身体的な負担も増える中で、再び五輪の舞台に立ちました。
東京大会では日本男子が7位に入賞。清水さんはチーム最年長選手として若手を支え、長年の国際経験を生かしました。
なお、東京五輪後に引退したのは日本代表としての活動です。クラブでの現役生活はその後も続いており、2026年の引退とは区別する必要があります。
日本代表での主な成績- 2008年:北京オリンピック11位
- 2009年:ワールドグランドチャンピオンズカップ銅メダル、ベストスコアラー賞
- 2010年:アジア競技大会金メダル
- 2015年:ワールドカップ6位
- 2019年:ワールドカップ4位
- 2021年:東京オリンピック7位
日本オリンピック委員会の記録では、北京大会と東京大会の両方への出場が確認できます。2大会を経験したことは、清水さんの長い代表キャリアを象徴する実績です。
【膝の大けがと復帰】清水邦広はなぜ引退せず東京五輪まで戻れたのか
清水邦広さんのキャリアで最も大きな試練となったのが、2018年2月の右膝の負傷です。
2018年2月に右膝の前十字靱帯を損傷2018年2月18日の試合中、清水さんは右膝を負傷しました。
当時の報道によると、診断は右膝の前十字靱帯損傷で、全治12か月。加えて、その後のインタビューでは内側側副靱帯や半月板、軟骨にも損傷が及んでいたことが明らかになっています。
バレーボールのオポジットは、強烈なスパイクを打つだけでなく、ジャンプと着地を何度も繰り返すポジションです。膝の機能は競技力に直結するため、この負傷は選手生命を左右しかねないものでした。
約1年のリハビリと段階的な復帰清水さんは長期間のリハビリに取り組み、約1年をかけて競技に復帰しました。
復帰後も右膝の違和感や筋力の回復と向き合いながら、試合に出場。2019-20シーズンには再びチームの得点源として活躍し、Vリーグの通算得点記録も更新しました。
本人は2020年のインタビューで、手術で移植した靱帯がなじむまでに時間がかかり、ようやく自分の膝として動かせる感覚が戻ってきたと説明しています。
東京五輪後も続いた膝との闘い東京五輪への出場を果たした後も、膝の問題が完全に解消したわけではありません。
2021年の東京大会終了後には右膝の手術を受けています。その後もコンディションを整えながらクラブでプレーを続けました。
2026年の引退発表では、本人がここ数年の膝の状態について言及し、思うようにプレーできない時間が増えていたことを明かしています。
約8年にわたる負傷との闘いを振り返ると、清水さんの現役生活は単に長かっただけではありません。身体的な制約を抱えながら、何度も競技への復帰を選び続けた時間でもありました。
【ゴリの愛称と結婚歴】清水邦広の妻・子供・中島美嘉との関係
清水邦広さんはコート上での力強いプレーから「ゴリ」の愛称で親しまれています。また、歌手の中島美嘉さんとの結婚・離婚や、その後の再婚についても関心が集まってきました。
「ゴリ」という愛称の由来「ゴリ」という呼び名がついたのは高校時代です。
福井工業大学附属福井高校のバレー部顧問だった堀豊監督が、清水さんを「ゴリ」と呼んだことが始まりとされています。
2008年のスポーツナビのインタビューでは、清水さん本人も高校1年生のときに突然そう呼ばれるようになったと振り返っていました。
後年のNumberの取材では、堀監督が野性味のある選手に育てたいという思いから名付けた背景も紹介されています。
ゴリラを連想させる豪快なスパイクや力強いプレースタイルとも相まって、ファンの間で定着した愛称です。
中島美嘉との結婚と2018年の離婚清水さんは2014年12月25日、歌手の中島美嘉さんと結婚しました。
2人の出会いは2011年にさかのぼります。中島さんがバレーボールの試合を観戦したことをきっかけに知り合い、交際へ発展したと報じられています。
しかし、2018年2月2日に離婚届を提出。翌3日に連名で離婚を発表しました。
当時の報道によると、清水さんは大阪を拠点に競技活動を続け、中島さんは東京を中心に音楽活動を行っていました。東京と大阪を往復する生活が続き、家族として過ごす時間を十分に確保することが難しかったと説明されています。
離婚の理由については、2人が話し合った結果、それぞれの将来を考えて別々の道を選んだという発表内容が基本となります。
2022年に再婚、子供は2人清水さんは2022年1月11日、以前から交際していた女性との再婚を自身のSNSで報告しました。
再婚相手の詳しいプロフィールや名前などは広く公表されていませんが、本人は互いに支え合い、笑顔の絶えない家庭を築いていきたいという趣旨のコメントを発表しています。
その後、2022年9月3日に第1子となる女児が誕生したことを報告。さらに2025年4月には、第2子となる男児の誕生も公表しました。
2026年現在、報道で確認できる子供は女児1人、男児1人の計2人です。
家族の詳しい生活や再婚相手の個人情報については、本人が公表している範囲を超えて語ることはできません。競技生活を支えてきた家族への感謝は、2026年の引退コメントにも記されています。
【プロの結論】清水邦広の引退が日本男子バレー界に残すもの
清水邦広さんの引退は、一人のベテラン選手が競技生活を終えたというニュースにとどまりません。
北京五輪から東京五輪までを経験し、国内リーグの変化やクラブの名称変更、膝の大けが、長期リハビリなど、さまざまな転換点を乗り越えてきた選手が、次世代を育てる立場に移った出来事です。
選手としての経験を指導に転換できる強み清水さんの強みは、攻撃技術や得点力だけではありません。
長年にわたり国内外の大会を経験し、若手時代の五輪、代表から遠ざかった時期、大けがからの復帰、ベテランとしての東京五輪出場までを知っています。
こうした経験は、若手選手が壁にぶつかったときに、技術指導だけでは伝えられない実践的な助言につながります。
とりわけ、けがを抱えた選手の心理的な負担や、復帰までの時間の使い方については、清水さん自身の経験が指導現場で生きる可能性があります。
選手兼コーチから専任の指導者へ移行した意味清水さんは2025-26シーズンから選手兼コーチとして活動していました。
つまり、引退後に突然指導者の道へ進んだのではなく、現役選手としての活動と指導者としての視点を並行して経験してきたことになります。
この段階的な移行は、選手としての立場を理解しながら、チーム全体を支える役割へ移るうえで大きな意味を持ちます。
2026年8月の福井テレビのインタビューでは、清水さんは将来的にコーチという立場でオリンピックのメダルを獲得することを目標として語っています。
これは現時点で日本代表のコーチに就任したという意味ではありません。現在の所属は大阪ブルテオンのコーチングスタッフであり、五輪メダルは将来に向けた本人の目標です。
清水邦広の引退をめぐる誤解と正しい理解- 誤解1:東京五輪の直後に現役引退した。
正しくは、東京五輪後に日本代表から退き、クラブでの現役生活は2026年まで続けています。 - 誤解2:けがだけが引退理由だった。
膝の状態に加え、年齢による変化や指導者目線への意識の変化も本人が説明しています。 - 誤解3:引退後はバレー界から離れた。
2026年5月から大阪ブルテオンのコーチングスタッフとして活動しています。 - 誤解4:2025-26シーズン以前から完全に指導者だった。
2025-26シーズンは選手兼コーチで、現役引退後にコーチングスタッフとして契約しています。 - 誤解5:中島美嘉さんとの離婚後、再婚していない。
2022年に再婚し、2022年と2025年に子供の誕生を公表しています。
清水さんのキャリアを評価する際には、単純な得点数やタイトルだけでなく、長期間にわたってチームを支えた貢献、負傷からの復帰、若手への継承という3つの視点が欠かせません。
18シーズンを同じクラブの系譜で戦い抜いた経験は、大阪ブルテオンにとっても貴重な財産です。選手としての実績が、今後は指導者としての評価にどうつながっていくかが注目されます。
清水邦広の現在・引退・家族に関するよくある質問(FAQ)
Q1:清水邦広は2026年に現役引退したのですか?
A1:はい。2026年4月24日に大阪ブルテオンが発表し、2025-26シーズンの終了をもって現役を引退しました。
Q2:清水邦広は現在何をしていますか?
A2:2026年5月19日に大阪ブルテオンのコーチングスタッフへの就任が発表され、現在は指導者として活動しています。
Q3:清水邦広の引退理由は何ですか?
A3:長年の膝の故障、年齢によるパフォーマンスの変化、若手選手を見る際の指導者目線への変化などが背景にあります。本人は2026年8月のインタビューで、引退を決めた心理的な変化についても説明しています。
Q4:清水邦広は北京五輪と東京五輪の両方に出場しましたか?
A4:はい。2008年の北京五輪と2021年の東京五輪に出場しました。北京大会は11位、東京大会は7位です。
Q5:清水邦広の身長とポジションは?
A5:大阪ブルテオンの公式プロフィールでは身長192cm、ポジションはオポジットです。左利きで、強力なスパイクを武器としてきました。
Q6:「ゴリ」という愛称の由来は何ですか?
A6:高校時代に福井工大福井高校のバレー部顧問から呼ばれたことが始まりです。野性味のある選手に育てたいという指導者の思いが背景にあります。
Q7:清水邦広は中島美嘉と離婚した後、再婚していますか?
A7:はい。中島美嘉さんとは2014年に結婚し、2018年2月に離婚。その後、2022年1月に別の女性との再婚を発表しています。
Q8:清水邦広に子供は何人いますか?
A8:2026年現在、公表されている子供は2人です。2022年に女児、2025年に男児が誕生したことを本人が報告しています。
Q9:清水邦広は引退後、日本代表のコーチになったのですか?
A9:現時点で発表されているのは大阪ブルテオンのコーチ就任です。本人は将来的にコーチとしてオリンピックのメダルを獲得する目標を語っていますが、日本代表コーチへの就任が決まったという発表ではありません。
清水邦広さんは2026年4月、2025-26シーズンをもって現役引退することを発表しました。そして同年5月には大阪ブルテオンのコーチングスタッフに就任し、選手から指導者へと新たな一歩を踏み出しています。
パナソニック パンサーズ時代の黄金期、日本代表としての北京・東京五輪出場、2018年の右膝の大けがからの復帰。約30年間のバレーボール人生には、数々の栄光と困難がありました。
引退の決め手となったのは、膝の状態だけではありません。若手選手を見て自分も競い合いたいと思う気持ちから、どうすれば選手が成長できるかを考える気持ちへと変化したことも、大きな転機でした。
現在の清水さんは、長年培ってきた経験を後輩たちへ伝える立場にあります。将来的にはコーチとしてオリンピックのメダルを目指すという新しい目標も掲げています。
「ゴリ」としてコートを沸かせた現役時代は終わりました。しかし、日本バレーボール界への挑戦は終わっていません。大阪ブルテオンでどのような選手を育て、指導者としてどんな実績を残していくのか。清水邦広さんの第二のバレーボール人生にも注目が集まります。
主な事実確認資料: 大阪ブルテオンの現役引退・コーチ就任公式発表、日本オリンピック委員会の選手記録、福井テレビの2026年8月9日インタビュー、日刊スポーツ・スポーツニッポンの報道、スポーツナビの過去のインタビューを参照しています。