日高六男(ひだか・むつお)さんは、大相撲の元大関・若嶋津として活躍し、「南海の黒豹(なんかいのくろひょう)」の愛称で昭和の相撲ファンに親しまれた名力士です。2026年3月15日、肺炎のため千葉県内の病院で69歳で亡くなりました。現役時代には幕内優勝2回を達成し、引退後は松ケ根部屋を創設。さらに年寄・二所ノ関を襲名し、相撲界の後進育成にも力を注ぎました。
妻は元歌手の高田みづえさん。2017年10月の転倒事故と頭部手術、その後の長いリハビリ生活、2023年の日本相撲協会退職を経て、最期まで相撲と深く関わり続けた人生でした。ここでは、日本相撲協会の公式力士記録と2026年の訃報、関係者の証言をもとに、本名の読み方から現役時代の実績、結婚、親方としての功績、晩年までを振り返ります。
【まず確認】日高六男の読み方と2026年3月15日の訃報・死因

日高六男さんの読み方は「ひだか・むつお」です。1957年1月12日、鹿児島県熊毛郡中種子町(種子島)に生まれました。現役時代の四股名は「若嶋津六夫(わかしまづ・むつお)」で、本名の「六男」と四股名の「六夫」では漢字が異なります。
日本相撲協会の公式プロフィールでも、本名は日高六男、最高位は大関、所属部屋は二子山部屋と記録されています。検索時には「日高六男」と「若嶋津六夫」の両方が使われますが、同一人物を指しています。
2026年3月15日、日高さんは肺炎のため千葉県内の病院で亡くなりました。69歳でした。スポーツ紙の報道によれば、2025年夏ごろから体調を崩し、療養施設で過ごしていたといいます。亡くなったのは3月15日午前で、妻のみづえさんら家族に見守られての最期でした。
死因については、スポーツニッポンや千葉日報などが「肺炎」と報じています。2017年の頭部手術後に長期療養を続けていたことは事実ですが、2017年の転倒事故と2026年の肺炎による死去との直接的な因果関係が発表されたわけではありません。
3月24日には千葉県市川市で葬儀・告別式が営まれ、相撲関係者や親交のあった人々ら約300人が参列しました。昭和の大相撲を彩った人気大関との別れを惜しむ場となりました。
【経歴・年表】種子島出身の日高六男が大関・若嶋津になるまで
日高さんの相撲人生は、鹿児島県の種子島から始まりました。鹿児島商工高校(現在の樟南高校)で相撲に取り組み、高校卒業後、初代若乃花が師匠を務める二子山部屋に入門。1975年3月場所で初土俵を踏みました。
入門当初は体重が80キロに満たない軽量力士でした。恵まれた体格を武器にするタイプではなく、稽古を重ねて技術とスピードを磨き、番付を上げていきます。1980年春場所で新十両、1981年初場所で新入幕を果たしました。
1982年には関脇として存在感を示し、同年九州場所後に大関昇進が決定。1983年1月場所から大関として土俵に上がりました。1984年には2度の幕内優勝を達成し、名実ともに昭和を代表する人気大関の一人となります。
日本相撲協会の公式記録と報道各社の訃報を整理すると、主な歩みは次のとおりです。
| 時期 | 出来事 | 主な実績・意味 |
|---|---|---|
| 1957年1月12日 | 鹿児島県中種子町に誕生 | 種子島出身 |
| 1975年3月 | 二子山部屋から初土俵 | 本名の日高で力士生活を開始 |
| 1980年3月 | 新十両 | 四股名を若島津に改名 |
| 1981年1月 | 新入幕 | 幕内力士となる |
| 1982年11月 | 大関昇進決定 | 翌1983年1月から大関在位 |
| 1984年3月 | 幕内初優勝 | 14勝1敗 |
| 1984年7月 | 幕内2度目の優勝 | 15戦全勝 |
| 1985年2月・9月 | 高田みづえさんと婚約・結婚 | 人気歌手との結婚が話題に |
| 1987年7月 | 現役引退 | 年寄・松ケ根を襲名 |
| 1990年2月 | 松ケ根部屋を創設 | 二子山部屋から独立 |
| 2014年12月 | 年寄・二所ノ関を襲名 | 松ケ根部屋が二所ノ関部屋に改称 |
| 2017年10月19日 | 路上で転倒、頭部手術 | 長期のリハビリ生活へ |
| 2021年12月 | 部屋を後進に継承 | 元関脇玉乃島の放駒親方が継承 |
| 2023年7月21日 | 日本相撲協会を退職 | 参与としての在籍を終える |
| 2026年3月15日 | 肺炎のため死去 | 69歳 |
この年表から見えてくるのは、現役時代の華やかな成績だけでなく、引退後も長く相撲界に身を置き、部屋の運営や後進育成に携わった人生です。力士としての約12年間と、親方としての約36年間は、それぞれ異なる形で相撲界に貢献した時間でした。
【現役時代の実力】幕内優勝2回と通算515勝を残した若嶋津の強さ
若嶋津の現役時代を語るうえで欠かせないのが、1984年に達成した2度の幕内優勝です。春場所では14勝1敗、名古屋場所では15戦全勝という圧巻の成績を残しました。同じ年に2度の優勝を成し遂げたことは、当時の大相撲における存在感を象徴しています。
日本相撲協会の公式プロフィールによると、生涯戦歴は515勝330敗21休、75場所。幕内戦歴は356勝219敗13休、大関在位は28場所で250勝145敗13休です。三賞は敢闘賞2回、技能賞3回、金星は2個を記録しています。
得意技は左四つ、上手投げ、吊り。左四つに組んでからの攻めや、相手の体勢を崩す投げ技、素早い仕掛けが持ち味でした。188センチの長身ながら、現役時代の体重は公式プロフィールで118キロと記録されています。
「南海の黒豹」と呼ばれた理由若嶋津の代名詞となったのが「南海の黒豹」というニックネームです。鹿児島県・種子島出身という南国のイメージに加え、浅黒い肌、引き締まった体つき、素早い身のこなし、精悍な顔立ちが印象的でした。
重量級の力士が豪快な押し相撲や圧力で勝負する場面が目立つなか、若嶋津は機敏な動きと技術で相手を攻略するタイプでした。緑色の締め込み姿も印象に残り、土俵上の華やかさと実力を兼ね備えた人気力士として支持されました。
横綱に届かなかった背景と現役引退一方で、若嶋津は横綱には昇進していません。身長188センチに対して体重が比較的軽く、巨漢力士との対戦では体格差が課題になりました。小錦や大乃国ら大型力士に対抗するため、体重増加を図ったことや、内臓疾患に苦しんだことも報道されています。
大関として活躍を続けたものの、1987年7月の名古屋場所中に現役引退を決断。年寄・松ケ根を襲名しました。横綱という最高位には届かなかったものの、2度の幕内優勝と515勝という数字は、若嶋津が一時代を築いた力士であることを示しています。
【結婚と家族】日高六男と高田みづえの出会い・結婚、その後の夫婦生活
日高六男さんの人生を語るうえで、元人気歌手・高田みづえさんとの結婚も大きな出来事です。2人はともに鹿児島県出身で、1980年代に大きな注目を集めたカップルでした。
1985年2月、当時大関だった若嶋津とアイドル歌手の高田みづえさんが婚約を発表しました。そして同年9月27日、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで挙式・披露宴を行っています。披露宴はテレビ朝日系列で生中継され、30%を超える視聴率を記録したと報じられました。
高田さんは結婚を機に芸能界を引退し、相撲部屋を支える立場へと生活を変えました。力士の妻であるだけでなく、松ケ根部屋、二所ノ関部屋の女将として、力士や関係者を支える役割を担いました。
スポーツ雑誌『Number』の取材記事では、華やかな芸能活動から相撲部屋の女将へと転身した高田さんの姿が紹介されています。日々の部屋の仕事に取り組む様子や、飾らない人柄が伝えられ、夫の相撲人生を家庭と部屋の両面から支えていたことがうかがえます。
2017年の事故後も続いた夫婦の支え合い2017年10月に日高さんが倒れた際、高田さんは病院に駆けつけ、その後も長い療養生活を支えました。2023年12月に開かれた「感謝の集い」では、日高さんは家族に車椅子を押されて会場に入り、夫婦そろって公の場に姿を見せています。
同会には部屋の関係者や後援会関係者、元力士ら約400人が出席しました。日高さんは入門から48年を振り返り、関取を7人育てられたことへの感謝を述べています。長年にわたる夫婦の生活は、現役力士の妻、部屋の女将、そして療養を支える家族という複数の側面を持っていました。
2026年3月の葬儀では、喪主を務めた高田さんが夫について「俺は相撲しか知らない。相撲人生だった」と語っていたことを明かしました。長年連れ添った夫の人生を象徴する言葉として、多くの参列者の胸に残りました。
【親方としての功績】松ケ根部屋の創設と二所ノ関部屋の再興
若嶋津は1987年の引退後、年寄・松ケ根を襲名し、二子山部屋付きの親方として後進の指導にあたりました。そして1990年2月、二子山部屋から独立して松ケ根部屋を創設します。
部屋の師匠として力士の育成に取り組み、関取を7人輩出しました。代表的な弟子には、元小結・松鳳山、元幕内・若孜、若光翔、若東龍、春ノ山、一山本、島津海らがいます。現役時代の実績を後進の育成に生かしたことは、親方としての大きな功績です。
2014年、年寄・二所ノ関を襲名2014年12月1日、日高さんは年寄・二所ノ関を襲名しました。日本相撲協会の名跡変更のお知らせによると、年寄・松ケ根だった元大関若嶋津が二所ノ関を襲名し、松ケ根部屋も二所ノ関部屋へと名称を変更しています。
二所ノ関は相撲界で長い歴史を持つ名跡です。その名称を引き継ぎ、部屋の看板を戻したことは、単なる改称にとどまりません。一門の伝統や歴史を次世代に伝える役割を担う出来事でした。
また、2014年4月からは日本相撲協会の理事も務めました。現場での力士指導に加え、協会運営にも関わる立場となり、相撲界の中核を担う親方の一人として活動しました。
後進への継承と2023年の退職2021年12月には、部屋を元関脇・玉乃島の放駒親方に継承しました。2022年1月に定年を迎えた後は参与として日本相撲協会に残りましたが、2023年7月21日付で退職しています。
2023年12月の感謝の集いでは、長年の相撲人生を支えてくれた関係者や弟子たちへの感謝を示しました。現役力士としての優勝記録だけでなく、関取7人を育てた指導者としての実績も、若嶋津の評価を形づくる重要な要素です。
なお、2014年に日高さんが襲名した二所ノ関の名跡と、現在の二所ノ関部屋の運営体制は、時期によって継承者が異なります。歴史的な部屋名の復活と、その後の部屋の継承を分けて理解すると、親方としての歩みが整理しやすくなります。
【2017年の転倒から晩年まで】頭部手術と長いリハビリ生活、2026年の最期
日高さんの晩年を大きく変えたのが、2017年10月19日に起きた転倒事故です。千葉県船橋市内の路上で自転車とともに倒れているところを発見され、病院に搬送されました。
当時の報道によると、頭部を強く打ち、緊急手術を受けました。手術は約4時間半に及び、一時は意識不明となって集中治療室で治療を受けました。10月21日付の日刊スポーツは、指先に動きが見られるなど、少しずつ反応が出てきたと関係者が説明したことを伝えています。
現役復帰ではなく、療養とリハビリの日々へ事故後は長期のリハビリ生活が続きました。かつて相撲協会の理事や審判部長を務めていた日高さんにとって、相撲の現場から離れざるを得なくなったことは大きな転機でした。
2017年の事故以降も、関係者や家族の支えを受けながら療養を続けました。2023年12月の感謝の集いでは車椅子で会場に入り、弟子や後援会関係者に感謝を伝えています。公の場で確認できる姿からは、以前のような相撲部屋の運営や稽古指導とは異なる生活を送っていたことが分かります。
2025年夏からの療養と2026年3月15日の訃報2026年3月の報道では、日高さんは2025年8月ごろから施設で療養していたとされています。相撲中継を気にかける様子もあり、亡くなる前日にも妻に「お母さん、相撲に行かなくていいの?」と尋ねたと、高田さんが葬儀で明かしました。
そして2026年3月15日、肺炎のため69歳で死去。報道によれば、亡くなる朝まで意識があり、周囲に感謝の言葉を伝えていたといいます。
「俺は相撲しか知らない。相撲人生だった」
この言葉は、葬儀で高田みづえさんが紹介した日高さんの生前の言葉です。若いころに種子島から角界に入り、大関として2度の優勝を経験し、引退後は部屋を創設して弟子を育てた。その人生を振り返るうえで、本人の歩みを端的に表す言葉といえます。
3月24日の葬儀・告別式には約300人が参列しました。高田さんは、倒れた後も周囲の支援を受けながら相撲協会の定年まで在籍できたことへの感謝を語っています。2026年現在、日高さんの功績は現役時代の記録だけでなく、親方として残した人材と相撲界への貢献にも及んでいます。
【日高六男さんに関するよくある質問(FAQ)】
Q1:日高六男さんの読み方は何ですか?
A1:ひだか・むつおです。元大関としての四股名は若嶋津六夫(わかしまづ・むつお)で、本名の「六男」と四股名の「六夫」は異なる漢字です。
Q2:日高六男さんはいつ、何歳で亡くなりましたか?
A2:2026年3月15日、69歳で亡くなりました。死因は肺炎と報じられています。
Q3:若嶋津の幕内優勝は何回ですか?
A3:2回です。1984年春場所に14勝1敗、同年名古屋場所に15戦全勝で優勝しました。
Q4:日高六男さんの妻は誰ですか?
A4:元歌手の高田みづえさんです。1985年2月に婚約を発表し、同年9月27日に結婚しました。
Q5:2017年の転倒事故では何が起きたのですか?
A5:2017年10月19日、千葉県船橋市内の路上で倒れているところを発見され、頭部の緊急手術を受けました。その後、長期のリハビリ生活を送っていました。
Q6:日高六男さんの通算成績はいくつですか?
A6:515勝330敗21休です。75場所にわたる生涯戦歴で、幕内優勝2回、敢闘賞2回、技能賞3回、金星2個を記録しました。
Q7:二所ノ関部屋は日高六男さんが創設したのですか?
A7:1990年に創設したのは松ケ根部屋です。2014年12月に日高さんが年寄・二所ノ関を襲名した際、部屋名も二所ノ関部屋に変更されました。松ケ根部屋の創設と二所ノ関部屋への改称は、別の時期の出来事です。
Q8:日高六男さんはいつ日本相撲協会を退職しましたか?
A8:2023年7月21日付で退職しました。2017年の転倒事故後も療養を続け、定年後は参与として協会に在籍していました。
日高六男さんは、若嶋津の四股名で大関まで昇進し、1984年に幕内優勝2回を達成した名力士でした。通算515勝330敗21休という記録に加え、「南海の黒豹」と呼ばれた俊敏な相撲と精悍な姿で、多くのファンに記憶されています。
引退後は松ケ根部屋を創設し、2014年には二所ノ関の名跡を襲名。関取7人を育てるなど、後進の育成にも実績を残しました。高田みづえさんとの結婚、2017年の転倒事故、長期の療養、2023年の協会退職を経て、2026年3月15日に肺炎のため69歳で亡くなりました。
【プロの結論】日高六男さんの生涯を評価するときは、幕内優勝2回という競技成績だけでなく、親方として部屋を築き、弟子を育て、二所ノ関の伝統を受け継いだ功績まで見る必要があります。また、人物情報を調べる際には、本名の日高六男と四股名の若嶋津六夫、松ケ根部屋の創設と二所ノ関部屋への改称、2017年の事故と2026年の死因をそれぞれ区別すると、経歴を正確に理解できます。
土俵での華やかな活躍と、相撲界を支えた親方としての年月。その両方が、元大関・若嶋津、日高六男さんが残した大きな足跡です。