大相撲の元幕内力士・大翔鵬清洋(だいしょうほう・きよひろ)さんは、2026年2月13日に日本相撲協会から引退届が受理され、約13年間にわたる力士生活に幕を下ろしました。最高位は西前頭9枚目、通算成績は417勝433敗2休。モンゴル・ウランバートル出身で、185.2cm、191.9kgという恵まれた体格と、右四つからの力強い寄りを武器に活躍した力士です。
引退の背景にあったのは、長年苦しんできた腰痛の悪化でした。2026年2月16日の引退会見では、関取復帰を目指して治療やリハビリに取り組んだものの、再び腰を痛めたことで現役続行を断念した経緯を明かしています。その後、10月4日には両国国技館で断髪式が行われ、現在は妻とともに輸入雑貨を扱う事業に取り組んでいます。
この記事では、日本相撲協会の公式プロフィールや引退発表、2026年の引退会見・断髪式に関する報道をもとに、大翔鵬の本名や生い立ち、相撲人生、引退理由、そして現在の活動までを整理します。
【2026年最新】大翔鵬は現在どうしている?引退後の生活と活動

2026年11月現在、大翔鵬は現役力士としての活動を終え、輸入雑貨を扱う事業に携わっています。現役時代の所属先だった追手風部屋で力士を続けているわけではなく、相撲界から新しい仕事の世界へと活動の軸を移しました。
妻とともに輸入雑貨を扱う事業へ2026年2月16日の引退会見で、大翔鵬は今後の進路について、日本で生活を続けながら、妻が代表を務める輸入雑貨関連の通販会社を手伝う考えを明らかにしました。
母国モンゴルなどの商品を輸入・販売する仕事で、これまでの相撲人生とは異なる分野への挑戦です。
引退後の活動については、2026年10月4日の断髪式を伝えたデイリースポーツも報道しています。妻とともに輸入雑貨を扱う事業を始めており、仕事を通じて新しい人生を歩んでいることが紹介されました。
現役時代に培ったモンゴルとのつながりを生かせる仕事であることも、新たな活動の特徴です。
2026年10月4日に断髪式を開催引退後の大きな節目となったのが、2026年10月4日に東京・両国国技館の大広間で行われた断髪式です。
式には大関の霧島、琴桜ら約130人が参加。最後は師匠の追手風親方(元幕内・大翔山)が止めばさみを入れ、大翔鵬の大銀杏を切り落としました。
デイリースポーツによると、大翔鵬は断髪式を終えた際、次のように語っています。
「寂しさはない。けじめをつけられて良かった」
また、今後については、仕事を成功させ、いつか追手風部屋を支援する後援者になりたいという目標も示しました。
力士として部屋に所属していた立場から、将来は部屋を応援する側に回りたいという思いがうかがえます。現役時代に築いた師匠や仲間との関係を、引退後も大切にしていることが伝わるエピソードです。
【プロフィール】大翔鵬清洋の本名・出身・身長・体重を紹介
大翔鵬清洋は、モンゴル出身の元大相撲力士です。日本相撲協会の公式プロフィールでは、四股名の読み方や本名、所属部屋、体格、得意技などが公開されています。
大翔鵬の基本プロフィール大翔鵬の本名はチミデレゲゼン・シジルバヤルです。1994年8月28日、モンゴルの首都ウランバートルで生まれました。
身長は185.2cm、体重は191.9kg。200kgに迫る体格を生かした力強い相撲が持ち味でした。
| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 四股名 | 大翔鵬 清洋(だいしょうほう きよひろ) |
| 本名 | チミデレゲゼン・シジルバヤル |
| 生年月日 | 1994年8月28日 |
| 年齢 | 32歳(2026年11月現在) |
| 出身地 | モンゴル・ウランバートル |
| 所属部屋 | 追手風部屋 |
| 身長 | 185.2cm |
| 体重 | 191.9kg(日本相撲協会公式プロフィール) |
| 得意技 | 右四つ・寄り |
| 初土俵 | 2013年3月場所 |
| 新十両 | 2016年11月場所 |
| 新入幕 | 2019年3月場所 |
| 最高位 | 西前頭9枚目 |
| 引退発表 | 2026年2月13日 |
| 通算成績 | 417勝433敗2休 |
なお、体重については時点によって数字が異なります。日本相撲協会の公式プロフィールには191.9kgと掲載されていますが、2026年2月の引退会見や10月の断髪式に関する報道では195kgと紹介されています。測定時期の違いによる数字として区別するとよいでしょう。
モンゴル生まれで9歳から日本生活大翔鵬はモンゴルのウランバートルで生まれ、9歳のときに家族とともに日本へ移住しました。その後、千葉県で生活し、柏相撲少年団で相撲に取り組むようになります。
千葉県立流山南高校に進学し、相撲を本格的に続けた後、卒業後に追手風部屋へ入門しました。
大翔鵬の経歴で興味深いのは、モンゴル出身でありながら、日本での生活や学校教育を通じて相撲の基礎を身につけた点です。
2026年10月の断髪式に関する報道では、千葉県の柏相撲少年団時代に琴桜らと稽古を重ねていたことや、流山南高校では阿炎と同級生だったことも紹介されています。
こうした少年時代からのつながりは、引退後の断髪式に多くの関係者が集まった背景の一つでもあります。
【通算成績・最高位】大翔鵬の13年間の相撲人生を振り返る
大翔鵬の力士人生は、2013年3月場所の初土俵から始まりました。幕下で経験を積み、2016年11月場所に新十両、2019年3月場所に新入幕を果たしています。
日本相撲協会の公式記録によると、生涯戦歴は417勝433敗2休(77場所)。幕内では53勝82敗、9場所を務めました。
初土俵から新入幕までの道のり2013年3月場所に初土俵を踏んだ大翔鵬は、幕下での経験を重ねながら番付を上げていきました。
2016年11月場所には新十両に昇進。関取としての第一歩を踏み出します。
さらに2019年3月場所には新入幕を実現しました。日刊スポーツの報道によると、新入幕を決めるまでには5場所連続で8勝7敗の勝ち越しを記録していました。
派手な連勝で一気に番付を上げたというより、毎場所着実に勝ち越しを積み重ねて幕内にたどり着いた力士だったことが分かります。
大翔鵬の最高位は西前頭9枚目大翔鵬の最高位は西前頭9枚目です。
右四つから相手を組み止め、重い腰を生かして前に出る相撲が持ち味でした。特に体格を生かした寄りは、対戦相手にとって簡単には崩せない武器でした。
幕内優勝や三賞の受賞、金星の獲得には至りませんでしたが、幕内で9場所を務めた実績があります。また、公式記録には序二段優勝1回が残されています。
大翔鵬の通算成績を数字から読み解く通算417勝433敗2休という数字は、勝ち星だけでなく、長期間にわたって土俵に立ち続けたことも示しています。
特に注目したいのは、幕内での成績と生涯成績を分けて見ることです。
- 生涯戦歴:417勝433敗2休
- 幕内戦歴:53勝82敗
- 幕内在位:9場所
- 最高位:西前頭9枚目
- 序二段優勝:1回
- 幕内優勝:0回
- 三賞:殊勲賞・敢闘賞・技能賞はいずれも0回
大翔鵬は横綱や大関を目指す番付の頂点には届きませんでした。しかし、十両昇進と幕内昇進を経験し、13年近くプロの力士として土俵に立ち続けたことは、キャリアを評価するうえで欠かせない実績です。
【引退理由を検証】大翔鵬はなぜ2026年2月に現役を退いたのか
大翔鵬の引退理由は、慢性的な腰痛の悪化と、関取復帰が難しいという本人の判断です。
引退を決めたのは2026年2月の発表直前ではありません。2025年11月の九州場所期に腰の状態が再び悪化し、現役続行を断念する決断に至ったと、引退会見で説明しています。
2025年1月場所の腰の負傷が転機に大翔鵬にとって大きな転換点となったのは、2025年1月場所でした。
腰を痛めたことで、それまで所属していた十両から幕下へと番付を下げることになります。
しかし、本人はすぐに引退を選んだわけではありませんでした。腰の状態が回復すれば、再び関取に戻れると考え、治療やリハビリを続けていたのです。
ところが、2025年11月の九州場所前後に腰の状態が再び悪化。回復を目指して努力してきたものの、以前のような相撲を取ることが難しくなっていきました。
得意の右四つでも勝てないという現実大翔鵬にとって右四つは、長年磨いてきた自分の相撲の中心でした。
相手と組み合い、持ち前の体格と重い腰を使って前に出る。その形を作れることが、幕内まで番付を上げた大きな要因でした。
しかし、腰の故障が再び悪化したことで、得意の形になっても十分な力を発揮できなくなっていきます。
スポニチの引退会見報道では、関取復帰を目指してリハビリや治療に取り組んでいたものの、本人が現役続行の限界を感じたことが伝えられています。
師匠の追手風親方や周囲からは、もう少し現役を続けるよう勧める声もあったといいます。それでも最終的には本人の決意が優先されました。
引退会見で明かした率直な思い2026年2月16日、両国国技館の記者クラブで引退会見を開いた大翔鵬は、13年間の土俵人生を振り返りました。
「悔いはない。楽しかった」
この言葉には、幕内昇進という目標を達成したことや、長年相撲に取り組んできた充実感が表れています。
一方で、引退会見では、もっと基礎運動に取り組めばよかったという反省も口にしていました。現役を続けたい気持ちが残っていたからこそ、身体の状態と向き合って下した決断だったことがうかがえます。
引退理由を単純に年齢や成績だけで説明することはできません。31歳という年齢であっても、故障によって自分の持ち味を発揮できなくなれば、力士としての将来を慎重に考える必要があります。大翔鵬の場合、その大きな要因が腰痛だったのです。
【引退までの経緯】2025年から2026年までの重要な出来事
大翔鵬の引退までの経緯を理解するには、2025年の番付下降から2026年の引退発表までを時系列で確認が必要です。
特に、最後に土俵に上がった場所と、協会が引退を発表した日付は分けて理解する必要があります。
最後の本場所は2026年1月場所大翔鵬は2026年1月場所に東三段目5枚目で出場し、3勝4敗という成績を残しました。
この場所が実際に土俵に上がった最後の本場所となりました。その後、2月13日に日本相撲協会が引退届の受理を発表しています。
なお、日本相撲協会の公式プロフィールでは引退場所が令和8年3月場所と記載されています。これは最後に出場した1月場所と、協会プロフィール上の引退場所の表記が異なるためです。両者を混同しないことが大切です。
引退から断髪式までの流れ引退届の受理から断髪式までの動きを整理すると、次のようになります。
- 2025年1月:初場所で腰を痛め、十両から幕下へ降下。
- 2025年11月:九州場所期に腰の状態が再び悪化し、引退を決断。
- 2026年1月:初場所に東三段目5枚目で出場し、3勝4敗。
- 2026年2月13日:日本相撲協会が引退届を受理。
- 2026年2月16日:両国国技館で引退会見を開催。
- 2026年10月4日:両国国技館で断髪式を開催。
この流れから分かるのは、引退は突然の思いつきではなく、長期間の治療や番付下降を経たうえでの決断だったということです。
【プロの結論】大翔鵬の相撲人生から分かる実績と引退の意味
大翔鵬のキャリアを評価する際、最高位だけを見てしまうと、相撲人生の全体像を捉えきれません。
西前頭9枚目という最高位は、横綱や大関を輩出する幕内上位の実績とは異なります。しかし、幕下で経験を積み、十両に昇進し、幕内の土俵に立ったことは、プロ力士として確かな成果です。
勝ち越しを積み重ねて幕内に到達した力士大翔鵬の新入幕までの歩みで特徴的なのは、5場所連続の8勝7敗という成績です。
大きな連勝で一気に番付を駆け上がるのではなく、毎場所の勝ち越しを積み重ねることで幕内昇進を実現しました。
このようなキャリアは、相撲という競技における継続力の重要性を示しています。番付を上げるには、目の前の一番で勝つことだけでなく、長期間にわたって安定した成績を残すことが必要です。
引退は成績だけでは判断できない大翔鵬の引退を考えるうえで重要なのは、最後の番付や勝敗だけで判断しないことです。
2025年1月に十両から陥落し、その後も幕下、三段目へと番付を下げました。しかし、本人は治療とリハビリを続け、関取復帰を目指していました。
最終的に現役を退いたのは、単に勝てなくなったからではなく、腰の状態が悪化し、自分の持ち味である右四つの相撲を十分に発揮できなくなったためです。
プロスポーツ選手のキャリアは、技術や実績だけでなく、身体の状態と競技を続けられる見通しによっても左右されます。大翔鵬の引退は、その現実を示す事例でもあります。
相撲界とのつながりは引退後も続く大翔鵬は引退後、追手風部屋を離れて別の仕事に取り組んでいますが、相撲界との関係まで断ち切ったわけではありません。
2026年10月の断髪式では、師匠や現役力士、かつての仲間が集まり、13年間の土俵人生をねぎらいました。
本人が将来の目標として語ったのは、仕事を成功させ、追手風部屋の後援者になることです。
現役時代は部屋に支えられる立場でしたが、今後は支える側として恩返しをしたいという考えがうかがえます。
大翔鵬の相撲人生は、最高位だけで評価するよりも、幕内昇進までの努力、長期にわたる土俵生活、故障と向き合った引退、そして新しい仕事への挑戦までを含めて見ることで、その全体像が理解できます。
【大翔鵬の現在・引退・経歴に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:大翔鵬は現在何をしていますか?
A1:2026年11月現在、現役を引退し、妻とともに輸入雑貨を扱う事業に携わっています。2026年10月4日には両国国技館で断髪式も行いました。
Q2:大翔鵬はいつ引退しましたか?
A2:2026年2月13日です。この日に日本相撲協会が引退届を受理したと公式発表しました。2月16日には引退会見を行っています。
Q3:大翔鵬の引退理由は何ですか?
A3:腰痛の悪化です。治療やリハビリを続けて関取復帰を目指しましたが、再び腰を痛め、現役を続けることが難しいと判断しました。
Q4:大翔鵬の最高位は何枚目ですか?
A4:最高位は西前頭9枚目です。幕内在位は通算9場所でした。
Q5:大翔鵬の本名と出身地は?
A5:本名はチミデレゲゼン・シジルバヤルです。1994年8月28日にモンゴルのウランバートルで生まれました。
Q6:大翔鵬の通算成績はどれくらいですか?
A6:日本相撲協会の公式プロフィールでは417勝433敗2休、77場所です。幕内戦歴は53勝82敗となっています。
Q7:大翔鵬の身長と体重は?
A7:日本相撲協会の公式プロフィールでは身長185.2cm、体重191.9kgです。引退会見や断髪式の報道では195kgと紹介されたこともあります。
Q8:大翔鵬の最後の本場所はいつですか?
A8:2026年1月場所です。東三段目5枚目で3勝4敗でした。協会のプロフィール上では引退場所が2026年3月場所と記載されています。
大翔鵬清洋は、モンゴル・ウランバートル出身の元幕内力士です。2013年3月場所で初土俵を踏み、2016年11月場所に新十両、2019年3月場所に新入幕を果たしました。
最高位は西前頭9枚目で、通算成績は417勝433敗2休。幕内では9場所を務め、右四つからの力強い寄りを持ち味としていました。
2026年2月13日に引退届が受理された背景には、長年の腰痛の悪化がありました。関取復帰を目指して治療を続けたものの、身体の状態を考慮して現役生活に終止符を打ちました。
引退後は妻とともに輸入雑貨を扱う事業に取り組み、10月4日には断髪式を開催。今後は仕事を成功させ、追手風部屋を支援する後援者になるという新たな目標も掲げています。
2026年11月現在、大翔鵬は力士としての13年間を終え、第二の人生を歩んでいます。幕内昇進までの努力、故障と向き合った引退、そして相撲界への恩返しを目指す新たな挑戦。その歩みは、元幕内力士としての実績だけでは語り尽くせないものです。
主な事実確認資料
日本相撲協会の公式プロフィール・2026年2月13日付引退発表、スポニチの2月16日引退会見報道、日刊スポーツの引退発表報道、デイリースポーツの10月4日断髪式報道を参照しています。