俳優・風間杜夫さんの若い頃は、子役として映画に出演していた時代から、早稲田大学での学生演劇、俳優小劇場養成所、つかこうへい作品への参加まで、意外にも波乱に富んだ道のりでした。本名は住田知仁(すみた・ともひと)。1949年4月26日生まれで、2026年11月現在は77歳です。
1982年の映画『蒲田行進曲』で倉岡銀四郎(銀ちゃん)を演じ、翌1983年のドラマ『スチュワーデス物語』では村沢教官役で大ブレイクしました。しかし、その華やかな人気の裏には、13歳で子役を卒業し、大学で演劇を再開した時期や、劇団を立ち上げて仲間と活動した下積み時代があります。タレントデータバンク、早稲田ウィークリー、本人インタビューなどを手掛かりに、その経歴と現在を時系列で整理します。
【プロフィール】風間杜夫の本名・生年月日・若い頃の基本情報

風間杜夫さんは、東京都世田谷区上馬出身の俳優です。映画、テレビドラマ、舞台、声優、落語と活動領域が広く、長年にわたって日本の演劇・映像界で存在感を示してきました。
日本コロムビアの公式プロフィールでは、本名を住田知仁、生年月日を1949年4月26日と紹介しています。芸名の風間杜夫として知られる以前は、本名で子役活動をしていました。
基本プロフィールを整理すると、次のとおりです。
- 芸名:風間杜夫(かざま・もりお)
- 本名:住田知仁(すみた・ともひと)
- 生年月日:1949年4月26日
- 出身地:東京都世田谷区
- 年齢:77歳(2026年11月4日現在)
- 職業:俳優、声優、落語家
- 代表作:『蒲田行進曲』『スチュワーデス物語』『熱海殺人事件』など
注目したいのは、風間さんが子役として芸能活動を始めたものの、少年期にいったん俳優の仕事から離れている点です。幼少期から現在まで一貫してテレビに出演し続けてきたわけではありません。学業に専念した期間と、大学で演劇を再開した時期が、後の俳優人生を形づくりました。
【子役時代】住田知仁として東映映画に出演した少年時代
風間杜夫さんが芸能界に入ったのは、まだ小学生だった頃です。本人がエッセイスト・関容子さんのインタビューで語ったところによると、幼い頃は内気で恥ずかしがり屋な性格でした。
そこで母親が児童劇団への入団を勧め、小学2年生頃に児童劇団「東童」へ入団します。最初から俳優になることを強く決意していたというより、引っ込み思案な性格を変えるためのきっかけが演劇だったのです。
東映児童演劇研修所の一期生に児童劇団に入った翌年には、東映児童演劇研修所の一期生となりました。ここから映画への出演機会が増え、本名の住田知仁として東映作品に出演するようになります。
子役としての活動は順調で、少年雑誌の表紙を飾るほどの人気を集めました。東映京都撮影所や東京撮影所の作品にも出演し、時代劇を含む映画の現場を経験しています。
代表的な出演エピソードとして知られるのが、映画『江戸の悪太郎』です。風間さんは大友柳太朗さんらと共演し、子役として撮影現場で経験を積みました。大友さんには特にかわいがられ、京都の自宅に泊まりに行くほど親しい交流があったことも本人が振り返っています。
13歳で子役を卒業した理由意外なのは、これほど人気を得ていたにもかかわらず、風間さんが13歳頃に児童劇団を退団したことです。
きっかけの一つは、当時、東映の教育映画などで共演した米倉斉加年さんから受けた助言でした。将来も役者を続けたいなら、子役の仕事をいったんやめて学校で勉強し、大人になってから改めて演技を学ぶべきだという趣旨の言葉だったと、婦人公論のインタビューで語っています。
中学校に進学すると、学校生活や勉強にも興味を持つようになりました。子役の仕事で学校を休むことが嫌になり、本人の意思で劇団を離れます。
その後は玉川学園で中学・高校時代を過ごし、学生生活に専念しました。幼少期に芸能界で成功した経験を持ちながら、一度その環境から離れたことが、後の演技に別の視点をもたらしたと考えられます。
【早稲田大学・俳優小劇場養成所】若い頃の演劇活動と1971年の転機
子役を卒業した風間さんは、学生時代も演劇への関心を失っていませんでした。高校時代には早稲田大学の大隈講堂で学生劇団の芝居を観劇し、早稲田への進学を志すようになります。
1969年に早稲田大学へ進学風間さんは一浪して、1969年に早稲田大学へ入学しました。本人が早稲田ウィークリーのインタビューで語ったところによると、早稲田の活気あるキャンパスに魅力を感じ、入学後すぐに学生劇団「自由舞台」に参加しています。
大学時代は、1969年から70年にかけて学生運動が激しくなった時期と重なります。演劇の稽古だけでなく、デモにも参加し、機動隊に拘束されて警察署に連行された経験もありました。
こうした経験は、後にさまざまな人物の感情を演じ分ける俳優としての幅にもつながっていきます。
22歳で俳優小劇場養成所へ大学時代を経て、風間さんは22歳頃に俳優小劇場の付属俳優養成所に入所します。婦人公論のインタビューでは、養成所に入った年に俳優小劇場の解散が決まり、仲間と入所金の返還を求めたエピソードも明かしています。
養成所での経験は長く続きませんでしたが、その後の劇団活動へとつながりました。演技を学ぶ場所がなくなったことを、仲間との新しい劇団づくりへと転換したのです。
1971年に表現劇場を旗揚げ1971年、風間さんは役者仲間と劇団「表現劇場」を旗揚げしました。
当時の仲間には、後にコントユニット「シティボーイズ」を結成する大竹まことさん、斉木しげるさん、きたろうさんがいました。風間さんは大竹さん、斉木さんと8畳のアパートで共同生活を送りながら、劇団の活動を続けていたと早稲田ウィークリーで振り返っています。
生活は決して裕福ではなく、仮面ライダーショーのアルバイトで地方を回ったこともありました。風間さん自身が仮面ライダー役を担当し、ショーの後には着ぐるみ姿で子どもたちにサインをする仕事までこなしていたそうです。
しかし、役者中心の集団だった表現劇場は、演出や脚本の方向性をまとめることが難しく、約3年で活動に区切りをつけました。
この時期は、単なる無名時代ではありません。舞台経験を積み、仲間と作品を作り、演技を仕事として続けるための土台を築いた重要な期間でした。
【若い頃の経歴年表】つかこうへいとの出会いから代表作まで
風間杜夫さんの若い頃を理解するには、子役時代からブレイクまでを一続きの経歴として見ることが大切です。主な出来事を年表にまとめました。
| 時期 | 出来事・活動 | 関係者・作品 |
|---|---|---|
| 1949年 | 東京都に生まれる | 本名・住田知仁 |
| 1957年頃 | 8歳頃に児童劇団「東童」へ入団 | 子役として演劇を始める |
| 1958年頃 | 東映児童演劇研修所の一期生となる | 東映映画に出演 |
| 13歳頃 | 児童劇団を退団し学業に専念 | 玉川学園へ進学 |
| 1969年 | 早稲田大学に入学 | 学生劇団「自由舞台」 |
| 1971年 | 表現劇場を旗揚げ | 大竹まこと・斉木しげる・きたろう |
| 1971年頃 | 俳優小劇場の付属養成所で学ぶ | 演技の再修業 |
| 1977年 | つかこうへい作品への出演が本格化 | 『戦争で死ねなかったお父さんのために』 |
| 1982年 | 映画『蒲田行進曲』に出演 | 倉岡銀四郎役 |
| 1983年 | ドラマ『スチュワーデス物語』に出演 | 村沢浩教官役 |
| 1996〜1997年 | 舞台出演をきっかけに落語へ本格的に取り組む | 『すててこてこてこ』など |
| 2026年 | 77歳で俳優・落語・舞台活動を継続 | ひとり芝居・朗読劇など |
この年表で特に重要なのは、1971年の表現劇場と1977年のつかこうへい作品への参加です。表現劇場で仲間と活動した経験を経て、風間さんは演出家・劇作家のつかこうへいさんと出会います。
1977年『戦争で死ねなかったお父さんのために』で注目風間さんがつかこうへい作品に本格的に参加したのは1977年です。初めてつかさんの作・演出による紀伊國屋ホールの舞台に立った作品が『戦争で死ねなかったお父さんのために』でした。
つかさんは俳優の内面を鋭く見抜き、風間さんの持つ繊細さや内面の激しさを演技に生かすよう促したと、婦人公論のインタビューで本人が語っています。
つか作品の特徴は、感情の振れ幅が大きく、登場人物が激しい言葉をぶつけ合うことです。風間さんの持つ二枚目の雰囲気だけでなく、卑屈さ、滑稽さ、狂気なども引き出す演出が、俳優としての新しい魅力を開花させました。
早稲田ウィークリーのインタビューでは、つか作品が大きなブームとなり、紀伊國屋ホールに収容人数を大きく上回る観客が集まった当時の熱気も振り返っています。
子役時代の経験、大学での演劇、養成所での修業、劇団活動。これらがつかこうへいとの出会いによって結びつき、映画やテレビでの成功へと進んでいきました。
【蒲田行進曲・スチュワーデス物語】若い頃の風間杜夫が大ブレイクした理由
風間杜夫さんの名前を全国的に広めた作品として欠かせないのが、映画『蒲田行進曲』とテレビドラマ『スチュワーデス物語』です。
1982年『蒲田行進曲』で倉岡銀四郎を演じる1982年10月9日公開の映画『蒲田行進曲』は、風間さんの代表作となった作品です。
風間さんが演じたのは、映画撮影所のスター俳優・倉岡銀四郎、通称「銀ちゃん」。共演は平田満さん、松坂慶子さんです。
物語は、スター俳優の銀ちゃん、大部屋俳優のヤス、そして女優の小夏を中心に展開します。華やかなスターの顔と、人間的な弱さや身勝手さを併せ持つ銀ちゃんは、非常に振れ幅の大きい役柄でした。
松竹の公式作品データベースによると、同作はつかこうへいさんの直木賞受賞小説を映画化したもので、脚本もつかさん自身が担当。つか作品の舞台に数多く出演していた風間さんと平田さんが抜擢され、2人の出世作となりました。
風間さんはこの作品で第6回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。舞台で培った感情表現を映画の中でも発揮し、俳優としての評価を大きく高めました。
1983年『スチュワーデス物語』の村沢教官役で人気爆発映画での成功に続き、1983年にはTBS系ドラマ『スチュワーデス物語』に出演します。
風間さんが演じたのは、訓練生を厳しく指導する村沢浩教官です。主演の堀ちえみさんをはじめ、高樹澪さん、山咲千里さん、片平なぎささんらが出演しました。
TBSチャンネルの番組情報では、1983年制作、全22話の作品として紹介されています。訓練生たちの成長を描く青春ドラマであり、風間さんのダンディーな教官役も人気を集めました。
『蒲田行進曲』の銀ちゃんは、スターとしての華と人間的な弱さを持つ役柄。一方、『スチュワーデス物語』の村沢教官は、厳しさと大人の魅力を併せ持つ人物です。
この2作品が短期間に続いたことで、風間さんは舞台中心の実力派俳優から、幅広い世代に知られるテレビ・映画スターへと活躍の場を広げました。
【落語と現在2026年】77歳になった風間杜夫の新しい挑戦
風間杜夫さんの魅力は、1980年代のブレイクで完成したわけではありません。1990年代以降も新しい表現に挑戦し、俳優としての活動領域を広げてきました。
1997年から本格的に落語へ取り組む風間さんが落語に取り組むようになったきっかけは、1996年の舞台『すててこてこてこ』です。落語家を演じるために林家正雀さんから指導を受け、古典落語の演目「野ざらし」を覚えました。
翌1997年にはテレビ特番で「堀之内」を披露。その後、立川談春さんの独演会にゲスト出演して「湯屋番」を演じたことが、本格的に落語へ取り組む転機になったといいます。
あきた芸術劇場ミルハスが2026年3月に掲載したインタビューによると、風間さんは特定の師匠を持たず、高座経験を重ねながら独自に芸を磨いてきました。年間25本ほど高座に上がる活動も続けています。
俳優として培った人物描写や声の使い分けが、落語の話芸にも生かされています。落語家を演じるのではなく、噺に登場する人物を自分の表現で描き出す姿勢が特徴です。
2026年現在も舞台・朗読劇で活躍2026年11月4日現在、風間さんは77歳です。70代後半になっても、舞台で観客の前に立つ活動を続けています。
2026年秋には、白石加代子さんと共演する朗読劇『古事記』の全国公演にも参加しました。日本神話を題材に、2人がさまざまな神々や登場人物を演じ分ける舞台です。朗読という形式を通して、声と表現力を前面に出した新しい挑戦となりました。
加えて、2026年11月5日・6日には、亀戸文化センター・カメリアホールで、ひとり芝居『カラオケマン さすらいヘルパー』への出演が予定されています。11月15日にも埼玉県のサンシティ越谷市民ホールで公演が予定されています。
若い頃に舞台俳優として経験を積み、映画とテレビで人気を得た後も、ひとり芝居や落語、朗読劇へ活動を広げてきた風間さん。2026年の活動からも、特定の作品や役柄だけにとどまらない表現者としての姿がうかがえます。
【若い頃の写真】子役時代・表現劇場時代の画像を見るポイント
風間杜夫さんの若い頃の写真を探す場合、注目したい時期は大きく2つあります。ひとつは住田知仁として活動していた子役時代、もうひとつは1971年に結成した表現劇場の時代です。
7〜8歳頃の子役時代の写真婦人公論の2024年のインタビュー記事には、風間さん本人から提供された児童劇団に入った7〜8歳頃の写真が掲載されています。
当時の写真は、現在の風間杜夫という俳優の原点を知るうえで貴重な資料です。住田知仁という本名で映画に出演し、少年雑誌の表紙を飾るほど人気だった時代を確認できます。
表現劇場時代の若い頃の写真もうひとつの見どころは、早稲田ウィークリーの2016年のインタビュー記事に掲載された表現劇場時代の写真です。
こちらは20代前半の風間さんを知る手掛かりになります。大竹まことさん、斉木しげるさんらと劇団を立ち上げ、俳優として活動していた頃の姿です。
つまり、写真を探す際は「子役時代の住田知仁」と「劇団活動をしていた若い頃の風間杜夫」を分けて見ると、俳優としての変化を理解しやすくなります。
また、映画『蒲田行進曲』の銀ちゃん時代の写真は、1982年の出演作を通じて確認できます。子役、舞台俳優、映画スターという3つの時期を比較すると、長いキャリアの変化がよく分かります。
【よくある質問】風間杜夫の若い頃に関するFAQ
Q1:風間杜夫の若い頃の本名は何ですか?
A1:本名は住田知仁(すみた・ともひと)です。子役時代は本名で東映映画などに出演していました。
Q2:風間杜夫は何歳から子役として活動していましたか?
A2:8歳頃から児童劇団「東童」に所属し、翌年には東映児童演劇研修所の一期生となりました。13歳頃に劇団を退団しています。
Q3:風間杜夫は早稲田大学の何学部に通っていましたか?
A3:早稲田大学に進学し、学生劇団「自由舞台」で演劇活動をしていました。第二文学部演劇専攻として紹介される経歴があり、大学は中退しています。
Q4:風間杜夫とつかこうへいの関係は?
A4:1977年からつかこうへい作品に多数出演した俳優と演出家・劇作家の関係です。『戦争で死ねなかったお父さんのために』などを通じて、風間さんの俳優人生に大きな影響を与えました。
Q5:風間杜夫は2026年現在何歳ですか?
A5:1949年4月26日生まれのため、2026年11月現在は77歳です。舞台、ひとり芝居、落語など幅広い活動を続けています。
Q6:風間杜夫が落語を始めたのはいつですか?
A6:1996年の舞台『すててこてこてこ』で落語家を演じたことがきっかけです。1997年にはテレビ特番で落語を披露し、その後、本格的に高座に上がるようになりました。
【プロの結論】風間杜夫の若い頃から現在までを振り返る
風間杜夫さんの俳優人生をたどると、子役時代の成功だけで現在の評価が築かれたわけではないことが分かります。
8歳頃に児童劇団へ入り、東映映画で経験を積み、13歳頃に子役を卒業。その後、早稲田大学の学生演劇で再び芝居に向き合い、俳優小劇場養成所や表現劇場で経験を重ねました。
そして1977年のつかこうへい作品への参加、1982年の『蒲田行進曲』、1983年の『スチュワーデス物語』という転機を経て、全国的な人気俳優へと成長します。
さらに1997年からは落語にも本格的に取り組み、現在はひとり芝居や朗読劇にも挑戦しています。
風間杜夫さんの経歴から読み取れる大きな特徴は、一つの成功した役柄やジャンルにとどまらず、経験を積み重ねながら表現の幅を広げてきたことです。
若い頃の写真を調べるなら子役時代と表現劇場時代、代表作を知りたいなら『蒲田行進曲』と『スチュワーデス物語』、現在の活動を知りたいなら舞台や落語に注目すると、風間さんの魅力を立体的に理解できます。
77歳を迎えた2026年も、風間杜夫さんの活動は続いています。子役から始まり、舞台で鍛えられ、映画とテレビで花開いた俳優人生。その歩みそのものが、長く第一線で活躍する表現者の魅力を物語っています。
主な参照資料: タレントデータバンク、日本コロムビア公式プロフィール、早稲田ウィークリー、婦人公論、松竹作品データベース、TBSチャンネル、あきた芸術劇場ミルハス、トム・プロジェクト。