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西郷隆盛の身長は178cmか180cmか?軍服・遺品・証言から体格の実像を徹底検証

水沢 陽菜 水沢 陽菜 • 更新: • 公開: • 読了約 24 分
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西郷隆盛の身長は何cmだったのでしょうか。教科書や上野公園の銅像では、堂々とした巨漢として描かれる西郷ですが、実際の身長については178cm説と約180cm説が知られています。体重についても108kg説と110kg説があり、紹介する資料によって数字に違いがあります。

興味深いのは、西郷本人の写真が1枚も残っていないにもかかわらず、着用していた軍服や遺品、親族の岩山トクの証言などから、当時としては際立った体格だったことが伝わっている点です。鹿児島県観光サイトの情報、歴史資料、肖像画の制作経緯、糸子夫人が上野の銅像を見た際の逸話を照らし合わせ、2026年現在の情報から西郷隆盛の身体的特徴を整理します。

【結論】西郷隆盛の身長は178cmが有力?180cm説との違い

西郷隆盛身長

西郷隆盛の身長について、まず注目したいのが鹿児島県の公式観光サイト「かごしまの旅」です。

同サイトの西郷隆盛に関する紹介では、残された衣服や親戚の岩山トクの証言などを手がかりに、身長178cm、体重110kgと推定しています。

一方、同じ鹿児島県観光サイトの別の人物紹介ページでは、身長179cm、体重108kg程度という数字が掲載されています。加えて、西郷が実際に着用した軍服のサイズから身長178cm、体重108kgと算出したという歴史紹介もあります。約180cmという説も、こうした推定値を丸めた数字として広まっています。

つまり、178cmと180cmの違いは、西郷の身長について異なる身体測定結果が残っていることを意味するわけではありません。複数の資料や紹介記事で、推定方法や数字の丸め方が異なっているのです。

身長・体重の代表的な推定値




身長の有力な推定値

178cm


鹿児島県観光サイトの紹介


体重の推定値

110kg


親族の証言・衣服などを根拠とする紹介

ほかに紹介されている数値

身長
179cm・約180cm


体重
108kg

いずれも推定値であり、本人の実測値として確定した数字ではありません。

特に、サライ.jpの歴史関連記事では、現存する西郷着用の軍服のサイズから身長178cm、体重108kgと推定した内容が紹介されています。鹿児島県観光サイトの178cm・110kgという数字と比較すると、身長はほぼ一致し、体重に2kgの差があります。

この違いを考える際には、衣服の寸法から身体を推定することと、本人の体重を直接測定することは別だと理解する必要があります。

約180cmという数字が生まれた背景

約180cm説には、軍服の大きさが関係しています。

2018年に大阪歴史博物館で開催された西郷隆盛関連の展示では、鹿児島県歴史資料センター黎明館所蔵の軍帽・軍服の複製が紹介されました。その際、展示担当者の説明として、軍服から西郷の身長は180cmあったと推定されるという趣旨のコメントが報じられています。

このように、178cmという具体的な推定値と、約180cmという概数が並存しています。どちらか一方だけを実測による確定値として扱うのは適切ではありません。

現時点で読者が押さえておきたいのは、西郷隆盛は身長178〜180cm程度と推定される、当時としては非常に大柄な人物だったという点です。

【推定根拠】軍服・遺品・岩山トクの証言から分かる西郷の体格

西郷隆盛の体格を考えるうえで、肖像画以上に注目したいのが、実際に身につけていた衣服と、本人を知る親族の証言です。

鹿児島県観光サイトは、残された衣服と親戚の岩山トクの証言を、身長178cm・体重110kgという推定の根拠として紹介しています。

1.西郷が着用した軍服のサイズ

西郷の軍服は、身体の大きさを考えるための重要な手がかりです。

サライ.jpの歴史関連記事では、現存する西郷着用の軍服のサイズをもとに、身長178cm、体重108kgという推定が紹介されています。

また、鹿児島県歴史資料センター黎明館には、西郷隆盛の軍帽・軍服に関する資料があります。展示では複製品が用いられることもありますが、こうした遺品の存在そのものが、西郷の体格を考える際の重要な材料になっています。

ただし、軍服の寸法は身体そのものの寸法ではありません。着用時のゆとりや仕立て、衣服の種類によっても変わります。そのため、軍服だけから身長や体重を小数点単位まで正確に算出できるわけではありません。

2.岩山トクの証言が重要視される理由

もう一つの手がかりが、親族の岩山トクです。

鹿児島県観光サイトでは、岩山トクを西郷の親戚として紹介し、その証言を体格推定の根拠の一つに挙げています。

衣服は身体の大きさを物理的に推測する材料ですが、身近で西郷を知っていた人の証言には、日常生活での姿や体格についての記憶が含まれます。この二つを組み合わせることに意味があります。

なお、同サイトの紹介文は証言の具体的な発言全文や、身長を何cmと測定したという記録までは掲載していません。岩山トクの証言は実際の身体測定値そのものではなく、衣服などとともに体格を考えるための証言資料として位置づけるのが妥当です。

3.西郷隆盛の身体測定記録は残っているのか

ここで気になるのが、西郷隆盛の身長や体重を直接測定した記録の有無です。

現在広く紹介されている178cm・179cm・180cmという数字は、軍服や衣服、親族の証言などから導かれた推定値です。少なくとも、これらの数字を裏づける本人の身体測定票や、現代の健康診断のような公式計測記録は、一般に根拠として提示されていません。

西郷の体格を検証する際は、次のように資料を区別すると分かりやすくなります。

- 軍服・遺品:身体の大きさを物理的に推測する材料
- 岩山トクの証言:実際に西郷を知っていた親族による記憶
- 肖像画:当時の人物の記憶やモデルをもとにした視覚資料
- 後世の身長・体重の紹介:上記の資料をもとに整理された推定値

つまり、178cmという数字は有力な推定値ですが、本人が測定台に立って記録された数値とは性質が異なります。

【比較検証】西郷隆盛の体重110kg説と108kg説、明治時代の平均身長との差

西郷隆盛の体格をより具体的に理解するには、体重の違いだけでなく、当時の日本人男性の平均身長と比較する必要があります。

江戸時代末期から明治初期の日本人男性は、現在の男性と比べるとかなり小柄でした。江戸東京博物館の資料では、江戸時代の男性の推定平均身長はおおむね155〜158cmとされています。また、Jミルクが紹介する歴史的な人骨研究では、江戸末期から明治初頭の男性の平均身長は約155cmと説明されています。

これらを基準にすると、178cmの西郷は当時の平均を約23cm上回っていた計算になります。180cmなら約25cmの差です。当時の一般的な男性の中では、ひときわ目立つ長身だったことが分かります。

身長・体重をめぐる主要資料の比較
資料・関係者 紹介されている内容 資料の意味 鹿児島県観光サイト 178cm・110kg 衣服と岩山トクの証言を根拠とする推定 鹿児島県観光サイトの別記事 179cm・108kg 体格に関する別の紹介数値 サライ.jp 178cm・108kg 現存する軍服のサイズからの推定 大阪歴史博物館の展示紹介 約180cm 軍服を手がかりにした展示担当者の推定 江戸東京博物館 男性155〜158cm 江戸時代の人骨に基づく平均身長の推定

この比較から見えてくるのは、身長の推定値が178〜180cmに集まっている一方、体重は108〜110kgと幅があることです。数字が異なるからといって、必ずしも資料同士が矛盾しているわけではありません。

110kgと108kg、どちらが正しいのか

108kg説は、軍服のサイズをもとにした推定として紹介されています。一方、110kg説は、鹿児島県観光サイトが衣服や岩山トクの証言などを踏まえて紹介している数字です。

この2kgの差を説明できる、統一された計算方法や本人の体重測定記録は示されていません。

したがって、記事や歴史資料を読む際には、108kgと110kgのどちらかを絶対的な正解と決めつけるのではなく、西郷の体重はおよそ108〜110kgと推定されていると理解するのが自然です。

体重だけでは分からない西郷の体格

西郷の特徴は、単に体重が重かったということではありません。身長も非常に高く、肩幅や胴回りなども大きかったと伝えられています。

鹿児島県観光サイトが紹介する「ウドサァ」という呼び名も興味深いものです。鹿児島弁で大きな人を意味する呼び方として紹介されており、地域の人々が西郷の大柄な体格を印象深く受け止めていたことがうかがえます。

【写真がない理由】西郷隆盛の肖像は本物なのか?キヨッソーネの秘密

西郷隆盛の身長や体格を考えるうえで、避けて通れないのが写真の問題です。

幕末から明治にかけて活躍した坂本龍馬、高杉晋作、大久保利通などには本人の写真が伝わっています。しかし、西郷隆盛については、本人と確証を持って確認できる写真が残っていません。

そのため、私たちが一般的に思い浮かべる西郷の顔は、実際の写真ではなく、死後に制作された肖像画を通じて形成されたものです。

なぜ西郷隆盛は写真を撮らなかったのか

西郷が写真を残さなかった事実を伝える重要な証言があります。

実子で、後に京都市長を務めた西郷菊次郎は、父について次のように語ったとサライ.jpの記事で紹介されています。

「父は生前写真というものは唯の一度もとったことがありません」

この証言からは、西郷が生前に一度も写真を撮らなかったことがうかがえます。

ただし、写真を撮らなかった理由については、本人の明確な説明が確認されているわけではありません。

武士として自分の姿を後世に残すことを好まなかったという見方や、自己顕示を避ける性格だったという解釈もあります。しかし、これらは写真が残らなかった理由を説明する後世の考察であり、本人が明言した理由とは区別する必要があります。

写真がないという事実と、写真を嫌った理由が確定していることは同じではありません。

キヨッソーネが描いた西郷隆盛の肖像画とは


エドアルド・キヨッソーネの肖像画

明治16年(1883年)制作
西郷の死後に制作された代表的な肖像。実弟と従弟をモデルにし、親族や旧知の人物の記憶も取り入れた。

西郷隆盛の肖像として最も有名なのが、イタリア出身の画家・版画家エドアルド・キヨッソーネによる作品です。

キヨッソーネは明治8年(1875年)に来日し、大蔵省紙幣局で銀行券や印紙のデザインなどに携わった人物です。

この肖像画が制作されたのは、明治16年(1883年)。西郷が西南戦争で亡くなった明治10年(1877年)から6年後のことでした。

キヨッソーネ自身は西郷と面識がありません。そこで、実弟の西郷従道の顔の上半分と、従弟の大山巌の顔の下半分を参考にし、さらに親族や西郷を知る人々の証言を取り入れて肖像を完成させました。

鹿児島県教育委員会の教育関係資料に掲載された吉満庄司氏の解説によると、この作品は単純に二人の顔を組み合わせただけではなく、近親者や旧知の人物の記憶も反映したものです。完成した作品を見た親族からも高く評価されたと記されています。

また、制作された原画は西郷家に贈られましたが、太平洋戦争中の東京空襲で焼失したとされています。現在広く知られている図版は、戦前に撮影された写真をもとにしたものです。

実際に西郷と会った人物が描いた肖像画も存在する

キヨッソーネの肖像画だけが西郷の容貌を伝える資料ではありません。

鹿児島県教育委員会の資料では、西郷と実際に面識があった画家・床次正精の肖像画も紹介されています。

床次は西郷に会った記憶をもとに何枚もの下絵を制作し、西郷従道や黒田清隆ら、西郷をよく知る人々の意見を聞いて修正を重ねたとされています。

また、旧庄内藩士の石川静正は明治3年(1870年)と明治8年(1875年)に鹿児島を訪れ、西郷本人と面会しています。そのときの印象をもとに肖像画を描き、後に西郷夫人や遺族による鑑定でも評価されたと紹介されています。

こうした作品は、写真がない西郷の容貌を考えるうえで重要です。特に本人と面識のあった人物の記憶をもとにした肖像画は、キヨッソーネの作品とは異なる価値を持っています。

【上野の銅像】西郷隆盛の実物と糸子夫人が驚いた理由

西郷隆盛の姿を象徴する存在といえば、東京都台東区の上野恩賜公園にある銅像です。

犬を連れ、着流し姿で立つ西郷の姿は、歴史に詳しくない人にも広く知られています。しかし、この銅像が西郷本人の実際の姿を忠実に再現しているかというと、そうではありません。

上野の西郷像は1898年に完成

上野の西郷隆盛像は、彫刻家の高村光雲が人物部分を制作し、犬の部分は後藤貞行が担当しました。

完成したのは明治31年(1898年)です。西郷の没後21年が経過していました。

制作にあたっては、顔の部分にキヨッソーネの肖像画が参考にされ、身体の下半分には西郷が愛用したズボンなどが参考にされたと伝えられています。

つまり、銅像の顔と身体には、それぞれ異なる資料が使われていたのです。

糸子夫人が銅像を見て語った言葉

上野の銅像をめぐる有名な逸話が、西郷の妻・糸子(いと)夫人の反応です。

明治31年の除幕式に招かれた糸子夫人は、完成した銅像を見て、次のように語ったと伝えられています。

「アラヨウ、宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ!」

標準的な日本語に直すと、「あらまあ、うちの主人はこんな人ではなかったのに」という意味です。

この逸話は、西郷の実際の容貌と銅像の姿が異なっていたことを示すエピソードとして知られています。

ただし、糸子夫人が不満を示した理由については、顔が似ていなかったからという解釈だけではありません。

サライ.jpでは、着流し姿で犬を連れているという銅像の表現が、夫人の知る西郷の普段の身だしなみや立場にふさわしくなかった可能性も紹介しています。実際の発言の意図を一つに決めることは難しいものの、少なくとも銅像の姿が本人の実像をそのまま再現したものではなかったことを考えさせる逸話です。

上野の銅像を見れば本当の身長が分かる?

銅像の大きさから西郷の身長を逆算することはできません。

銅像は芸術作品であり、見る位置や全体のバランスを考慮した造形になっています。また、顔の参考資料も身体の参考資料も、本人の写真や直接的な身体測定に基づくものではありません。

したがって、上野の西郷像は西郷の体格を想像する手がかりにはなりますが、178cmや180cmという身長を証明する資料にはなりません。

実物の体格を知りたい場合は、銅像の印象よりも、衣服や親族の証言を重視する方が合理的です。

【体格と健康】西郷隆盛はなぜ巨漢になった?ホフマン医師と狩猟生活

西郷隆盛の大柄な体格は、単に生まれつきの特徴だけで説明できるものではありません。生活習慣や健康管理に関する逸話も残されています。

ドイツ人医師ホフマンから受けた助言

鹿児島県観光サイトによると、西郷は東京で活動していた頃、ホフマンというドイツ人医師から健康管理について助言を受けていました。

その内容は、食事制限と運動です。

西郷は明治政府を辞して明治6年(1873年)に鹿児島へ戻りました。その後は山野での狩猟に頻繁に出かけるようになり、運動を兼ねた活動を続けたと紹介されています。

さらに温泉での湯治も取り入れていました。鹿児島県観光サイトでは、狩猟や温泉が西郷の健康管理と結びついていたことが説明されています。

大食漢として知られた西郷

西郷の食生活についても、鹿児島県観光サイトには興味深いエピソードがあります。

好物として挙げられているのは、鰻や豚肉です。狩りの帰りに鰻屋へ立ち寄り、猟犬にまで鰻を食べさせたという話も紹介されています。

また、甘いものも好み、あんこ入りのかるかんまんじゅうを食べていたと伝えられています。

こうした食生活と運動習慣を合わせて見ると、西郷は大柄な体格でありながら、健康管理にも関心を持っていたことが分かります。

体重108〜110kgという推定値だけを見ると、非常に大柄な人物という印象が強くなります。しかし、山野を歩き回る狩猟や湯治を取り入れていたことも、西郷の生活を理解するうえで欠かせない要素です。

【プロの結論】西郷隆盛の身長・体重を史料から判断するポイント

西郷隆盛の身長を調べると、178cm、179cm、180cmという数字が出てきます。体重も108kgと110kgの二つが代表的です。

これらの数字を単純に比較するだけでは、史実の理解は深まりません。大切なのは、どの数字が、どのような資料に基づいて紹介されているのかを確認することです。

身長・体重の情報を見極める3つの基準



根拠となる資料が明示されているか

軍服の寸法、遺品、親族の証言など、数字の出どころが説明されている資料を優先します。


実測値と推定値が区別されているか

身体測定の記録がない場合、身長や体重は推定値として扱う必要があります。


複数の資料で共通する部分を確認する

178〜180cmという身長の範囲や、108〜110kgという体重の範囲など、資料を横断して一致する特徴を重視します。

西郷隆盛の体格について分かっていること

2026年現在、歴史資料や鹿児島県観光サイトなどで確認できる情報を整理すると、次のようになります。

- 身長は178〜180cm程度と推定されている。
- 体重は108〜110kg程度という説がある。
- 大柄な体格は衣服や親族の証言からも伝えられている。
- 当時の男性の平均身長と比較しても、非常に長身だった。
- 本人の写真は残っておらず、有名な肖像画は死後に制作された。
- 上野の銅像も、本人の姿をそのまま再現したものではない。

特に注目すべきなのは、身長や体重の推定と、肖像画や銅像によって形成されたイメージが、別々の資料に基づいていることです。

西郷隆盛の実像に近づくには、軍服のような物的資料、岩山トクや糸子夫人などの親族に関する記録、本人を知る画家の作品を組み合わせて考える必要があります。

【西郷隆盛の身長】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:西郷隆盛の身長は178cmと180cmのどちらですか?

A1:鹿児島県観光サイトでは178cmと推定されています。一方、軍服を根拠に約180cmとする紹介もあります。実測記録による確定値ではありませんが、178〜180cm程度と考えるのが妥当です。

Q2:西郷隆盛の体重は110kgだったのでしょうか?

A2:110kg説は鹿児島県観光サイトが衣服や親族の岩山トクの証言などを根拠に紹介しています。一方、軍服のサイズから108kgとする説もあります。およそ108〜110kgという推定が知られています。

Q3:西郷隆盛の写真は本当に1枚もないのですか?

A3:西郷本人の写真は確認されていません。実子の菊次郎も父は生前一度も写真を撮らなかったと証言しています。有名なキヨッソーネの肖像画は1883年に描かれたもので、写真ではありません。

Q4:西郷隆盛の身長は当時の平均よりどれくらい高かったのですか?

A4:江戸末期から明治初期の男性の平均身長は約155cmとされています。178cmなら約23cm、180cmなら約25cm高く、当時としては非常に大柄でした。

Q5:上野の西郷隆盛像は実物に似ているのでしょうか?

A5:本人の写真がないため、実際の姿を忠実に再現したものとはいえません。キヨッソーネの肖像画や西郷の衣服などが参考にされています。除幕式で糸子夫人が驚いたという逸話も残っています。

Q6:西郷隆盛の体格を証明する遺品はありますか?

A6:西郷が着用した軍服などの衣服が、身長や体重を推定する手がかりとして紹介されています。鹿児島県歴史資料センター黎明館などに関連資料があり、衣服の寸法から大柄な体格だったことがうかがえます。

西郷隆盛の身長は、鹿児島県観光サイトが紹介する178cmをはじめ、179cmや約180cmという推定があります。体重も108kg説と110kg説があり、いずれも衣服や親族の証言などを手がかりとした数字です。

明治初期の日本人男性の平均身長が約155cmだったことを踏まえると、西郷が当時としては際立って大柄だったことは明らかです。

また、西郷の写真が残っていないこと、キヨッソーネが本人の死後に肖像画を描いたこと、糸子夫人が上野の銅像を見て驚いたという逸話も、私たちが知っている西郷像が必ずしも実物そのものではないことを物語っています。

西郷隆盛の体格を知るうえで大切なのは、178cmか180cmかという数字だけに注目することではありません。軍服という物的資料、岩山トクら親族の証言、同時代の平均身長、そして実際に西郷を知っていた人々が残した肖像画を総合することです。

西郷隆盛は、身長178〜180cm、体重108〜110kg程度と推定される、明治初期としては並外れた体格の人物だった。これが、現在知られている資料を総合したときの、最も自然な理解です。

上野公園の銅像を見る機会があれば、その堂々とした姿だけでなく、軍服や親族の証言から伝わる実際の西郷の姿にも思いを巡らせてみてください。

主な参考資料

  • 鹿児島県公式観光サイト「かごしまの旅」西郷隆盛に関する特集・人物紹介
  • 鹿児島県教育委員会・吉満庄司「西郷隆盛の肖像画と込められた想い」
  • 小学館「サライ.jp」西郷隆盛の軍服・写真・上野銅像に関する歴史記事
  • 江戸東京博物館「江戸時代の男女の平均身長はどれくらいか」
  • 産業技術総合研究所「日本人の身長の時代変化」
  • 大阪歴史博物館の西郷どん関連展示紹介(2018年)

情報整理:2026年11月

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水沢 陽菜

美容・健康カテゴリを担当。引用元の研究・公的機関の資料を確認したうえで、誰にでも読める形に整えます。

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